村上天皇 むらかみてんのう 延長四〜康保四(926-967) 諱:成明

延長四年六月二日、醍醐天皇の第十四皇子として桂芳坊で生まれる。母は太政大臣藤原基経女、穏子(おんし)朱雀天皇・保明親王は同母兄。皇后は藤原安子(師輔女)。側室には藤原芳子(実頼女。宣燿殿女御)・源計子(広幡御息所)・徽子女王(斎宮女御)・荘子女王(代明親王女)ほか美女才媛を揃え、多くの子女をなした。憲平親王(冷泉天皇)・守平親王(円融天皇)・保子内親王(藤原兼家室)・選子内親王具平親王ほかの父。
天慶三年(940)、元服。朱雀天皇には男子がなかったため、同七年、十九歳で皇太子となる。同九年(946)四月十三日、朱雀天皇の譲位を受けて践祚。この時二十一歳。藤原忠平同師輔らを補佐として、治世は二十一年に及び、後世、天暦の聖代として仰がれた。康保四年五月二十五日、崩御。四十二歳。
早くから文を好み、和歌を能くした。天暦五年(951)には、梨壺に撰和歌所を設け、源順・清原元輔らを召して万葉集の訓点と『後撰集』の撰進に当たらせた。また多くの歌合を主催したが、特に天徳四年(960)内裏歌合は、晴儀歌合の典範として後世重んじられた。『村上天皇御集』がある。後撰集初出。勅撰入集五十七首。

  8首  4首 計12首

広幡(ひろはた)の御息所(みやすどころ)につかはしける

逢ふことははつかにみえし月影のおぼろけにやはあはれとも思ふ(新古1256)

【通釈】あなたに逢ったことと言えば、二十日の月のようにほのかに見ただけだが、あんなぼんやりした月影のようにあなたのことを思っているだろうか、いや常ならず愛しく思っているのだ。

【語釈】◇はつか 「わずか」の意に、「二十日月(はつかづき)」を掛ける。◇おぼろけにやは ヤハは反語。「おぼろけ」は月の光が朧ろの意に、いい加減・並大抵、といった意を掛ける。

【補記】「広幡の御息所」は源庶明女、計子。返歌は「月影に身をやかへましあはれてふ人の心にいりてみるべく」。

【参考歌】凡河内躬恒「躬恒集」「玉葉集」
五月雨のたそかれ時の月かげのおぼろけにやはわれ人をまつ
  よみ人しらず「拾遺集」
逢ふことはかたわれ月の雲隠れおぼろげにやは人の恋しき

天暦御時、広幡の御息所ひさしく参らざりければ、御文つかはしける

山がつの垣ほにおふる撫子に思ひよそへぬ時のまぞなき(拾遺830)

【通釈】山人の家の垣根に生える撫子――その花になぞらえてあなたを偲ばない時とてないのです。

【語釈】◇思ひよそへぬ時のまぞなき なぞらえて偲ばない時とてない。「思ひよそへ」は、何かにかこつけて人を偲ぶ意。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
あな恋し今もみてしか山がつの垣ほにさける大和撫子
【参考歌】大伴家持「万葉集」
我が屋戸に蒔きし撫子いつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
  「伊勢物語」(定家本等には見えない章段の歌)
わが宿に蒔きしなでしこいつしかも花に咲かなむよそへても見む

斎宮女御いまだ参り侍らざりける時、桜につけてつかはさせ給うける

吹く風の音にききつつ桜花目には見えずもすぐる春かな(玉葉1250)

【通釈】風の噂にばかり聞きながら、美しい桜の花を目には見ることができずに春を過ごしていますよ。

【補記】「斎宮女御」は重明親王女、徽子女王。前斎宮で女御となったゆえこの称がある。その徽子女王が入内する以前に贈った歌。

女御徽子女王、まゐらんとてさも侍らざりければ

逢ふことはいつにかあらん明日香河さだめなき世ぞおもひわびぬる(続古今1091)

【通釈】あなたに逢うのはいつになるのだろう。「昨日の淵ぞ今日は瀬になる」と歌に詠まれた明日香川ではないが、明日はどうなるか知れない人生を思って嘆いてしまうよ。

【語釈】◇明日香河 大和国の歌枕。古今集の「世の中は何か常なる明日香川きのふの淵ぞけふは瀬になる」以来、「常ならぬ」ものの象徴とされた。

斎宮女御入内の後のあしたにたまはせける

思へども猶あやしきは逢ふ事のなかりし昔なに思ひけん(玉葉1455)

【通釈】いくら思い巡らしても一層不思議でならないのは、あなたと逢うことのなかった昔、自分は何を思って過ごしていたのだろう、ということだ。あなたと逢うようになって以来、あなたのこと以外何も考えられなくなってしまったのだから。

【補記】いわゆる後朝の歌。斎宮女御の返しは「昔とも今ともいさや思ほえずおぼつかなさは夢にやあるらむ」。

「春になりて」と奏し侍りけるが、さもなかりければ、内より「まだ年もかへらぬにや」とのたまはせたりける御返事を、かえでの紅葉につけて   女御徽子女王

かすむらん程をもしらず時雨つつすぎにし秋の紅葉をぞみる

【通釈】霞のかかる季節になったらしいことも知らずに、私は時雨のような涙に濡れながら、去年の秋の紅葉ばかりを眺めているのです。帝との過去の楽しかった思い出にばかり耽っております。

【補記】里に帰っていた徽子女王が「春になりましたら(参ります)」と言っていたのに、参上するけはいがないので、天皇は「まだ年が改まっていないのだろうか」と御文を遣った。それに対する返事の歌。

御返し

今こんとたのめつつふることのはぞ常磐(ときは)にみゆる紅葉なりける(新古1247)

【通釈】すぐに帰りますと期待させておいて、そのまま過ごしているあなたの言葉は、常磐に見えて、実は色の変わってしまった(心変わりのした)紅葉だったのだな

【語釈】◇常盤 「常に変わらない確かな物」「常緑」の両義。

天暦の御門、忘れぬるかとのたまはせたりければ   女御徽子女王

忘られず思はましかば忘れぬを忘るる物と思はましやは

【通釈】もし私を忘れられずに思って下さっていたのでしたら、いつも忘れずお慕い申している私の心を、忘れることもあるものだなどとお思いにはなりませんでしょうに。お忘れになったのは帝の方ではありませんか。

【語釈】◇忘れぬるか 私のことを忘れたのか。天皇からの御文にあった文句。

御返し

忘るらんことをばいさや知らねども問はぬやそれと問ひしばかりぞ(玉葉1608)

【通釈】あなたが私を忘れたかどうかは、さあ知らないけれども、ちっとも音沙汰がないのは、やっぱり私を忘れたのかなと思って、そう尋ねたばかりだよ。

斎宮女御につかはしける

天の原そこともしらぬ大空におぼつかなさをなげきつるかな(新古1411)

【通釈】この大空の下、あなたは今どこら辺にいるのか。よく分からないままに、空へ向かって長嘆息してしまったよ。

【補記】「おぼつかなさ」は、物事がはっきりせず不安を感じている心の状態。『村上御集』によれば、里に下って久しく参内しなかった斎宮女御に贈った歌。徽子女王の返歌は「なげくらむ心をそらに見てしがなたつあさぎりに身をやなさまし」。

共政朝臣肥後守にてくだり侍りけるに、妻の肥前がくだり侍りければ、筑紫櫛、御衣(おんぞ)などたまふとて

わかるれば心をのみぞつくし櫛さしてあふべきほどをしらねば(拾遺320)

【通釈】遠く別れてしまうので、悲しい物思いばかりをしている。再び逢えるのはいつ頃になることか、それと指し示すことができないので。ただ心づくしの品として筑紫櫛を与えよう。

【語釈】◇共政朝臣 藤原共政(-998)。備前介佐衡の子。正四位下美濃守に至る。◇肥前 平安直の娘。村上後宮に女房仕えしていたのだろう。◇筑紫櫛(つくしぐし) 筑紫産の櫛。◇さして 櫛の縁で「挿して」と言い、「(いつの日と)指して」の意を掛ける。

【補記】離別歌。肥前が夫に従って肥後国に下った時、餞の品と共に贈った歌。

中宮かくれ給ひての年の秋、御前の前栽に露の置きたるを、風の吹きなびかしたるを御覧じて

秋風になびく草葉の露よりもきえにし人をなににたとへん(拾遺1286)

【通釈】秋風に靡く草葉に置いた露よりもはかなく消えてしまった人を、いったい何に喩えようか。

【語釈】◇中宮 藤原安子。選子内親王の母。応和四年(964)、選子を生んだ五日後の四月二十九日に崩御。◇露よりも 次句の「きえ」との間に「はかなく」などの語が省略されている気持。露ははかないものの喩えとされたが、それよりもはかなく死んでしまった人を何に喩えたらよいのか、ということ。

【主な派生歌】
置くと見る露もありけりはかなくも消えにし人を何にたとへむ(和泉式部)

少将高光、横河(よかは)にのぼりて、かしらおろし侍りにけるを、きかせ給ひてつかはしける

都より雲の八重たつおく山の横河の水はすみよかるらん(新古1718)

【通釈】雲が幾重にも立ち隔てている奥山の横川――そこを流れる水は清らかに澄み、都よりも住み良いであろう。

【補記】藤原高光が比叡山横川で出家入道した時の作。「すみ」に「澄み」「住み」両義を掛ける。高光の返しは「ももしきの内のみ常に恋しくて雲の八重たつ山はすみうし」。

今上、帥(そち)のみこときこえし時、太政大臣の家にわたりおはしまして、かへらせ給ふ御贈り物に御本たてまつるとて   太政大臣

君がため祝ふ心のふかければひじりの御代のあとならへとぞ

【通釈】あなたのためにお祝い申し上げる心が深いので、聖代の手跡をお習いなさいと、この御本を差し上げます。

【語釈】◇帥のみこ 村上天皇が大宰帥であったのは天慶六年(943)十二月から翌年四月まで。◇太政大臣 貞信公藤原忠平◇御本 習字の手本。◇ひじりの御代のあとならへ 唐土の聖代の手跡をお習いなさい。聖人君子にならった政治を行いなさい、の意を含める。

御返し

教へおくことたがはずは行末の道とほくとも跡はまどはじ(後撰1379)

【通釈】贈物の書物に教え伝えることに違反しなければ、聖人君主に至る道のりが遠くても、彼らの辿った跡を見失って迷うことはないでしょう。

【語釈】◇跡はまどはじ 聖人の辿った跡を見失って迷うことはあるまい。「跡」には習字の手本の手跡の意が掛かる。


最終更新日:平成16年06月22日