後鳥羽院下野 ごとばのいんのしもつけ 生没年未詳 別称:信濃

日吉社禰宣祝部成仲の孫。允仲の娘。成茂の妹。源家長の妻。家清・藻壁門院但馬の母。
はじめ皇后宮に仕えたが、建仁三年(1203)頃、後鳥羽院に仕えるようになり、まもなく院の近臣であった源家長の妻となった。元久元年(1204)十一月の春日社歌合、寛喜四年(1232)三月の石清水若宮歌合、嘉禎二年(1236)の遠島御歌合、宝治二年(1248)の「宝治百首」、建長三年(1251)九月十三夜影供歌合などに出詠。新古今集初出。勅撰入集計二十六首。女房三十六歌仙

山桜

手折(たを)りてもたれにか見せむ山ざくら花もかひなき旅の空かな(現存和歌六帖)

【通釈】手折ったところで、誰に見せようというのか。山桜の花よ、せっかく美しく咲いていても、たった独りで旅をする私が相手では、あなたも張り合いがないだろう。

【語釈】◇花もかひなき (見せるべき人のいない私も張り合いがないが)花の方としても、咲いている甲斐がない。

【補記】天福元年(1233)寂延法師撰「御裳濯和歌集」にも見える。

山家秋風

風の音に耐へてもいかがす住みはてむ山のおくまで秋は来にけり(建長三年影供歌合)

【通釈】蕭条と吹く風の音に耐えながら、こんなところに住んで、どうやって最後まで暮らしおおせることができよう。山の奥までも、秋はまあやって来たことだ。

時雨(しぐれ)

忘られぬ昔は遠く成りはてて今年も冬ぞ時雨きにける(遠島御歌合)

【通釈】忘れられない思い出の、あの頃――それも遠い昔になってしまって……。それでも年は巡り巡り、今年もまた冬はやって来て、時雨が降る季節になりました。私の袖にも時雨のように涙が降り注ぎます。

【補記】嘉禎二年(1236)、隠岐の後鳥羽院が主催した歌合に献った歌。「忘られぬ昔」に、院に仕えた宮廷での日々を想起させる。

恋歌の中に

最上川いなとこたへていな舟のしばしばかりは心をも見む(新後拾遺998)

【通釈】最上川の稲舟ではないけれど、「いいえ」と答えて、ちょっとだけ、あの人の気持を試してみよう。

【語釈】◇最上川(もがみがは) 出羽国の歌枕。福島・山形県境に発し、山形県を貫流して日本海に注ぐ。◇いな舟 稲を積んだ舟。「否」(プロポーズに対する拒絶)を掛ける。

【補記】藤原為家家の百首歌。

【本歌】作者未詳「古今集」みちのくうた
最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり
  円融天皇「拾遺集」
いかにせむわが身くだれる稲舟のしばしばかりの命たえずは

右衛門督為家百首歌よませ侍りける恋の歌

片糸のあはずはさてや絶えなまし契りぞ人のながき玉の緒(新勅撰1009)

【通釈】縒り合わせていない片糸は、すぐに切れてしまう。そのように、もしあの人と繋がれなかったら、そのまま私の命は絶えてしまうだろう。契りこそ、人の命を永くつなぎとめる絆なのだ。

【語釈】◇片糸 まだ縒り合わせていない糸。「片糸の」は「あふ」の枕詞としても用いられる。◇契り 愛を誓い合うこと。約束を言い交わすこと。

【補記】藤原為家主催の百首歌。

寄雨恋

かきくもれたのむる宵の村雨にさはらぬ人のこころをも見む(続古今1148)

【通釈】いっそ掻き曇り、一雨降ればいい。来ると約束した今宵、俄雨くらいであの人は挫けないはず。私への思いがどれほどか、試してみましょう。

【語釈】◇たのむる宵 あの人が来ると言って私に期待させる宵。◇村雨にさはらぬ人 村雨になど遮られない人。「さはる(障る)」は、障害物のために行き悩む意。

【補記】宝治二年(1248)、後嵯峨院主催の百首歌。

名所歌よみ侍りけるに

逢ふ人に問へどかはらぬおなじ名の幾日(いくか)になりぬ武蔵野の原(続古今929)

【通釈】逢う人ごとに訊いても同じ名ばかりが返ってくる。そんなふうにして何日たったのだろう、武蔵野の原を旅して…。

【語釈】◇かはらぬおなじ名 旅先で出くわした人に土地の名を訊くと、誰もが同じ名「むさしの」を答えた、ということ。

【補記】藤原基家主催の名所十五首歌。

題しらず

有明の月は涙にくもれども見しよに似たる梅が香ぞする(新勅撰1037)

【通釈】有明の月は涙で曇ってよく見えないけれど、あの人と共に過ごした夜とそっくりな――あの時を思い出させる梅の香がする。

【語釈】◇見しよに似たる 見し夜に似たる。「よ」は世でもあり、夫婦関係・時節など様々なニュアンスが籠もる。

【参考歌】源通具「新古今集」
今来むと契りしことは夢ながら見しよに似たる有明の月

山桜

桜咲くながらの山のながき日も昔を恋ひぬ時のまぞなき(遠島御歌合)

【通釈】桜の花が咲く長柄山――その名のように永い春の一日も、始終昔を恋しく思ってばかりいるのです。

【語釈】◇ながらの山 長等山・長良山とも書く。近江国の歌枕。比叡山の南。山麓には三井寺がある。桜の名所。

【補記】嘉禎二年(1236)、隠岐の後鳥羽院が主催した歌合に献った歌。院の名歌「桜咲く遠山鳥のしだりをのながながし日もあかぬ色かな」を踏まえ、院のもとで過した宮廷生活を懐古する。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日