書くということ

 

●僕らが僕らでなくなる時
序章 はじまり
第1章 任務

 

●懐かしき朝
第1章

僕らが僕らでなくなる時

序章 はじまり

 それは突然にやってきた。私にはそう思えた。
 僕らが僕らでなくなる時、それは余りにも突然な出来事だった。ようく考えてみれば大分前にその兆候がなくはなかった。それは、今から3年前、僕が1層上に単身赴任していた時に逆上る。
 ‘長いドラマ’の始まりだと言った政治家がいるが、それ自体はたいした事はなかったものの、その言葉は妙に胸に残った。まさに、その‘長いドラマ’の始まりだった。

 “臭うわ、臭うのよ” 妻は私が帰ると、私の着ている物を嗅ぎながらそう言った。
 “おい犬みたいな事はよせよ”
 “犬みたいな事、誰がそんな事を言ったの?”
 “誰も言いやしないさ、俺がそう思っただけだよ”
 “誰から聞いたの、犬みたいだなんて事”
 “何でいつもそんな言い方をするんだ?俺が自分でそう思っただけだよ”
 “いいや、私が犬みたいだって誰かに言われたのよ。そうでなければそんな事を急に言うわけがないわ”
 “俺は誰かが言ったから俺も言うなんて事はしないよ。俺はそんな馬鹿じゃーないよ。いつも自分で考えて言っているさ!”
 “何だか、分からないからね。信用してないわ!”
 最近はいつもこうなる。いや、以前よりは少しましになったかも知れない。こんな風になったのは、私が1層上に単身赴任してからだ。一時は、こんな会話が毎日の様に続いた。最近は、ようく考えれば月に1〜2回の時期にかたまっている。妻は1年位前に女性を上がったのだが、ひょっとしてそのなごりはあるのかも知れない。しかし、それにつけても、私の留守中に一体何があったのだろう。

 1層上に上がるにはそれなりに苦労はあった。まず言葉だ。先輩は問題ない、標準語は通じると言った。確かに、ビジネスでは通じた。しかし、標準なる意味は一体なんなのか、本当に分かっている人がどれだけいるのか?今となっては明らかだ。誰も分かってはいなかったのだ。それも当然なのだろう。知識は当局から一方的に流れるだけなのだから。先輩だって1層上に行った経験はなく、その知識は当局から聞いた話の受け売りに過ぎない。それを伝えた当局の人間だって1層上の事をどれだけ知っているか分かりはしない。

 1層上に赴任するには、通常の出張の様に自宅からそのまま行くものと思っていた。もちろん、通行手形なるものが必要である事は知っていたし、あらかじめ更新してあった。
 1層上に行く前に、通行所の入り口にある宿泊所に一泊させられた。それがどうしても必要と分かったのは、宿泊する日の夜になってからだ。宿泊所には昼過ぎに入った。午後早くに入るように指示されていたからだ。荷物はあらかじめ宅配便で送ってあった。もちろんそれらの荷物がチェックされることは知っていた。宿泊所に着くと同時に身体検査があった。主にウィルス中心の検査であったが、何故か尻の穴まで調べられた。
 食事の前、5時からは風呂と決まっていた。後から分かった事だが、予めその時間に担当の人間を待機させており、身につけていた物を調べさせたのであった。そうして上の人間にとって問題ない事が分かった時点で残されたのは、僕という人間が無害の人間であるかという事だけであった。もちろん、調査書は事前に入手し、チェックはされていたのではあるが、見ると聞くとでは、いや書かれた物だけよりは実物を見て判断する方がより良いとそう思ったに相違ない。僕もそう思う。そして、僕という人間が観察される時間が、更に半日費やされた。