本名=辻 潤(つじ・じゅん)
明治17年10月4日—昭和19年11月24日
享年60歳(醇好栄潤信士)
東京都豊島区駒込6丁目11–4 西福寺(真言宗)
評論家。東京府生。旧制東京府開成尋常中学校(現・開成高等学校)中退。ダダイズムの中心的人物の一人。明治42年上野高等女学校の英語教師となるが、伊藤野枝との恋愛問題で退職、野枝が大杉栄のもとに出奔以後は放浪生活を送る。昭和7年精神異常の兆候が現れ、入院、放浪、保護を繰り返し、最後は餓死した。『ですぺら』、翻訳に『天才論』などがある。
自分はなんだ?……という疑問に対して一切で無であるという定義は同時になんの定義でもあり得ないが、それ以上に明確な答はあり得ないのだ……矛盾ということはまた一切であり、同時に無だという意味を含んでいる。
一切の現象はそれが、現象である限り、悉く矛盾しているのである。矛盾は現象を成立する根本原理に他ならない。
細胞は無限に分裂する……一切の現象は無限に分裂する---自己もまた無限に分裂する純粋な認識は神のみが出来る、茲に神というのは常識的な言葉を偶々借用したまでである。神は矛盾と分裂とを意識しないのである。純粋な認識に近づくことは神に近づくことである。
解脱は逃避ではない。純粋な認識に近い状態を指すのである。
完全な無智は純粋の認識と等しい。維摩の最後の答は「黙」である。不答に等しいのである。
退屈は一切の能動の母胎である。始めに神は退屈を感じたにちがいない。
一切の理想主義はそれ自から人間の悪業の一切を造作するものである。その最も下劣なるものは人間によって造作させられたる「律法」である。
(絶望の書)
小学校の代用教員となり、アナキストたちと交わるようになったことが辻潤の運命を決定づけることになった。女学校の英語教師でありながら、生徒であった伊藤野枝との恋愛問題がさらに輪をかけた。退職後は定職に就くこともなく、野枝との間に男子(辻まこと)が生まれたが、野枝は大杉栄のもとへ去って行った。
今は遠い昔、ダダイストのなれの果てか、あるいは求むるところの理想であったのか。昭和19年11月24日、戦争末期、最初の東京爆撃のあった日の夜に、放浪生活で疲弊しきった貧弱な体を東京・淀橋区上落合(現・新宿区)のアパートの一室に沈めた辻潤。虱まみれの布団の中で発見された彼の遺体は狭心症と診断されたが、まぎれもなく餓死そのものであった。
〈自分にとって、生きているということは恥を曝すということにしかすぎない。(中略)去るものは日々に消え、行く者またかくの如し。かくていつまで生きたとて死ぬだけの話成り〉——。
投げやりといえば投げやりな言葉であるが、ダダイズムの旗手らしい何ともニヒリズムに満ちた表現ではないか。
染井吉野桜発祥の里、東京・駒込の桜木に囲まれた、ここ西福寺にある「陀仙辻潤の墓」は平穏の中にあった。野心を捨て、無為な希望を恥じ、〈浮遊不知所求(浮遊求むる所を知らず)〉を銘として生きてきた辻潤にとって、重い石の下に閉じこめられたこの場所ははたして休息となっているのだろうか
。〈浮遊して求めるところを知らず、猖狂して往くところを知らず〉。
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