丸山 薫 まるやま・かおる(1899—1974)


 

本名=丸山 薫(まるやま・かおる)
明治32年6月8日—昭和49年10月21日 
享年75歳 
愛知県豊橋市牛川町字西側16 正太寺(浄土真宗)



詩人。大分県生。東京帝国大学中退。第三高等学校(現・京都大学)時代に三好達治、梶井基次郎らを知る。昭和7年第一詩集『帆・ランプ・鴎』を刊行。8年堀辰雄らと『四季』を創刊。19年からしばらく山形県岩根沢に疎開、国民学校の代用教員などもした。詩集『点鐘鳴るところ』『仙境』『月渡る』『蟻のいる顔』などがある。






  

学校を卒へて 歩いてきた十幾年
首を回らせば学校は思ひ出のはるかに
小さくメダルの浮彫のやうにかがやいてゐる
そこに教室の棟々が瓦をつらねてゐる
ポプラは風に裏反つて揺れてゐる
先生はなにごとかを話してをられ
若い顔達がいちやうにそれに聴入つてゐる
とある窓辺で誰かが他所見をして
あのときの僕のやうに呆然こちらを眺めてゐる
彼の瞳に 僕のゐる所は映らないだらうか!
ああ 僕からはこんなにはつきり見えるのに

(学校遠望)

     


 

 〈……夜を掃く朝の光に月はしだいに光を失って、窓の両側の隅に押しやられていた。そしてついにはそれも白く淡々しく、スープ皿の一とカケラとなって空の奥に消えていこうとしていた。そんな月に私はいつも心の中で「さようなら」と言った。自分の命もまもなくあの影のような空間に帰するのだと思ったからである〉。
 最後の詩集『月渡る』におさめられた一篇である。命のともし火はかそけくて、ゆらぎゆらぎて薄れてゆく月よ、夢見れば、脆くも美しきものは追憶の彼方へと消えていく。
 詩集の刊行された2年後の昭和49年10月21日明け方、丸山薫は脳血栓症のため豊橋市の自宅で息絶えた。



 

 本堂前の大鉢に咲く見事な蓮の花を横目に、竹林に囲まれて熱風の吹き溜まる墓地に入っていくと、入り口近くに赤ケイトウと鮮やかに対をなした「丸山 薫/三四子之墓」がある。
 〈私は、詩のために詩を書いたことはない。自分のために書いている。書いてきた。自分の存在感のために書いている。その存在感というのは、(略)永遠の時間の中にいる自分の短い生命を感じるという存在感でもある。〉と話した丸山薫のいま在るところ。かつて代用教員となって赴任した疎開先の山形県西村山郡岩根沢に建てられた詩碑にあるように、奥山の一木となって在るのかも知れない。
 〈人目をよそに 春はいのちの花を飾り 秋には深紅の炎と燃える あれら山ふかく 寂莫に生きる木々の姿が いまは私になった〉。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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