牧野信一 まきの・しんいち(1896—1936)


 

本名=牧野信一(まきの・しんいち)
明治29年11月12日—昭和11年3月24日 
享年39歳(大光院法船日信居士)❖牧野信一忌 
神奈川県小田原市中町1丁目14–13 清光寺(日蓮宗)



小説家。神奈川県生。早稲田大学卒。大正8年浅原六朗らと同人誌『十三人』を創刊、短編『爪』が島崎藤村に激賞された。13年作品集『父を売る子』を刊行。昭和6年『文科』を創刊。『改造』に『ゼーロン』を発表。『酒盗人』『泉岳寺付近』『鬼涙村』『裸虫抄』『好色夢』『淡雪』などがある。






  

 自分であつめた本は、これまでの幾度かの嵐で大半あとかたもなかったが、天井裏や長持の中からなど、誰のものかも知れないやうな、ヒストリアンズ・ヒストリイとかブリタニカとか、古典的な西洋料理全集といふやうなものまで、あらひざらひ掻きあつめて見ると、それでもトラックに一臺は十分の量だった。
 餘程彼の頭は衰弱してゐたのに相違なかった----そんなものまでも棄て去らなければならぬかとおもふと、假面皮が剥がされるやうな痛さを覺え、裸になったら、もうまるっきり何の智能もなく、キリギリスのやうな笛を吹きながらころりと野たれ死でもしてしまひさうな光景が髣髴としたり、叉、はらわたを抉られた赤蛙の骨ひとつになって水の上を泳いでゐる悽惨な姿が、そのままわが身の上に喩へられたりするかのやうな滑稽げなデリウジョンになど驅られるのであった。ズボンのポケットに手首を入れて、廊下をぶらぶらと行き戻りしながら、何氣なさを装うて吹いてゐる口笛の音までが、わらってゐるもののやうに震へたりした。
                                                               
(裸蟲抄)



 

 牧野一族は狂気の血縁でつながっていると明示していた牧野信一であった。島崎藤村に認められ、新進私小説作家として出発するもとになった『爪』にも〈狂人になるんぢやないかしら!〉と呟く箇所がある。牧野自身の意識の中では、いつか一族の「狂気の血」に取り込まれてしまうのではないかという怖れを終生抱きつづけることになるのであった。「ギリシャ牧野」と評される幻想的作品群の時代にあってもその暗然たる気分にとりつかれていた。
 長年の貧窮生活、酒、母との反目、妻せつの失踪事件等々、彼の心身を極度に衰弱させる条件が重なっていく中で、彼が逃れ得たのは死のみであった。昭和11年3月24日黄昏、小田原新玉町の実家納戸で牧野信一は縊死して果てた。



 

 牧野信一は文壇の中にも石川淳や安岡章太郎、吉行淳之介、島尾敏雄など多くの贔屓があった。牧野に『風博士』を絶賛され、世に出る機会を与えてもらった坂口安吾の弔辞は、夢と現実の交錯を独特の作品に示した牧野の作家人生を言い当てている。
 〈牧野さんの人生は彼の夢で、彼は文学にそして夢に生きていた。夢が人生を殺したのである。殺した方が牧野さんで、殺された人生の方には却って牧野さんがなかった。牧野さんの自殺は牧野さんの文学の祭典だ〉——。
 間近の高架を新幹線の轟音が突き抜けていく。昭和31年の20年忌に新しく建てられた「牧野信一之墓」に佇んでいると、境内庭の砂利石をはじきながら餌をついばむ、痩せた小鳩の喉の音さえ苦しげに聞こえた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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