ひとこと10

2001年11月25日(日)「下手の長糸2」
 私が子どもの頃、近所のおばあさんたちが針仕事をしている場面によく出逢ました。そんな、おばあさんたちに、糸通しを頼まれました。 長く、長く糸を通した針を何本も針山に刺していたのです。

 もちろん、母親たちも針仕事はよくしていました。布を板張りしたり、竹針を布の両端に突き刺して、布を張り乾かせる。こんな作業をあちらこちらでみてきました。 でも、子どもの私たちは傍観者でした。何も引き継いでいません。 戦争も激しくなり、糸さえも配給となりました。そこで、ほどいた糸はもう一度、糸巻きに巻いて使ったほどです。

 世の中はすっかり変わり、既製品が多くで回る時代となりました。遠い昔のことを針仕事から思い出しました。
by S. T.

2001年11月24日(土)「下手の長糸」
 お手玉づくりを始めてから、私は手縫いに悪戦苦闘しています。小さな布きれなのに直角に縫う個所があります。 布は、なかなか言うことを聞いてくれません。いつも、こちらが譲歩して縫っていきます。

 年を取ると、様々なことが困難になっていることに気づかされます。針穴が小さいので、糸通しが煩わしくて、つい糸を長く通します。 これが原因で糸がよくもつれます。

 お手玉は詰め物をするので、生地の目が詰まったものでないといけません。今までは、糸を通し安い針穴の大きいものを選んでいました。 これがまたネックとなり、針の滑りが悪くなる。おかげで、指先のあちらこちらに、針で刺した内出血のあとがたくさんできました。これを「下手の長糸」というようです。
by S. T.

2001年11月20日(火)「お手玉のこと」
 お手玉遊びで私のOO防止と、ある人の機能回復に役立てようと、詳しい作り方をホームページで探していたところ「神戸お手玉の会」を見つけました。 いろんな世界があるものだと感心もしたり、役立ったりで感想をメールで送りました。

 こんなことで、無料のお手玉キットが届けられたのです。 そして、「お手玉遊びで手から心の温もりが届きますように」と、ことばが添えられていました。 3個出来上がったら、その人にプレゼントするつもりです。
by S. T.

2001年11月19日(月)「お手玉をつくりました」
 お手玉の魅力にひかれて、今日縫ってみました。指先の弾力も失せて、滑る針で自分の手も縫いながら、ようやく1個縫い上げました。 実は“神戸お手玉の会”のご厚意でキットが届けられたので、さっそくそれを縫いました。日本の生地の美しさと、程良い重さのお手玉ができあがりました。

 遠い昔、学校のお昼休みや放課後、家に帰ってからも友だちとよく遊びました。 歌は忘れてしまいましたが、“神戸お手玉の会”のHPに歌も載っていたので、参考にさせて頂きます。
by S. T.

2001年11月13日(火)「はじき豆とおろしリンゴ」
 ちょっと、小腹が空いたときに食べようと、はじき豆を買ってきました。 殻がついているので、むくのが面倒だから、たくさん口に入れないで、すむのではないかと思いました。

 豆の皮をむきながら、子どもの頃を思い出しました。酒が飲めない父は、当時いろいろな豆菓子を買って食べていました。 子どもの私も、豆菓子が大好きな少女となりました。

 そして同じ日、紅玉リンゴ(完熟丸かじり)を買ってきました。見るからに真っ赤に熟れたリンゴなので栄養がありそうです。 皮のまま食べてみると、皮がぼそぼそして美味しくありませんでした。 そこで、すり下ろして食べてみました。ほんのりと甘く、とても美味しくなりました。

 おろしリンゴは、病気になったときだけ、母が私に食べさせてくれたものでした。 ふと、食糧難の子どもの頃を思い出しました。
by S. T.

2001年11月07日(水)「学校へ行こう週間」
 「学校へ行こう週間」の行事として、学区内の人を招いて給食試食会がありました。 今日は、和食でした。私が苦手なお魚でしたが、おいしく頂きました。ご飯に牛乳なので、違和感がありましたけれど。

 引き続いて、全国お手玉競技大会出場で8位になった方のお話と、実技、そして折り紙なども教えて頂きました。 お手玉は、全身と両手で玉を放りあげて受ける動作、脳の活性化に役立ち、折り紙も指先で細かな作業をするので、これも大変いい遊びではないかと思いました。

 お手玉は、仏教伝来と共に日本に伝わって来て、今のような形になったのが江戸時代。日本だけでなく、世界の国々で、3〜4000年前からあった歴史の古い遊びです。 遊牧民は牧畜の骨、海辺の民は貝殻、草の実などを使っていたと聞きました。

 公式のお手玉の寸法は横9センチ縦4.5センチの布4枚、小豆40グラムで作られています。私もお手玉を作って挑戦します。
by S. T.

2001年10月29日(月)「ジョウビタキ・その後1」
 昨日は、大雨なのに我が家の周りの電線に飛び移りながら、きれいな声で鳴いていました。「ご苦労さま」と、いってやりたいくらいの懸命さでした。

 今朝も、早くから鳴いていました。一日に何度か回っているようです。今日は、双眼鏡を持ち出して眺めて見ました。 お腹は、きれいなオレンジ色で羽は黒色に白の斑点がついていました。眺めているとき、タイミングよく、1回転してくれたので全身像を見ることができました。

 どうやら、ジョウビタキは単独行動をするようです。近くを歩いていると、あちらこちらで、ジョウビタキの鳴き声が聞こえてきます。 今、彼らは、自分たちの縄張り確保に精を出しているのでしょう。
by S. T.

2001年10月26日(金)「今年も、またジョウビタキがやってきた」
 もう、4〜5日前でしょうか耳慣れない、高音で透明感のある小鳥の鳴き声を聞くようになりました。なんという鳥だろう?と、気がかりでその姿を何度か探しました。 「そうだ!ジョウビタキがもどって来てくれたのだ。」
1年聞かない間に、すっかり忘れてしまっていた鳴き声の正体をようやく思い出しました。

 これからしばらくの間、縄張りを確保するまで鳴き声を聞くことができることでしょう。今日は、うれしいことに、そのジョウビタキの姿を見つけることができました。
by S. T.

2001年10月25日(木)「のどを詰まらせるクセ」
 今朝の朝日新聞科学欄を読んで、私のクセの原因がつかめました。私は、よくあせって食べ物をのどに詰めらせてはむせています。 「お母さんの死因は決まっとる、いつか、のどに物を詰まらせて死ぬんじゃあないかね」と家族にいわれてきました。

 なぜなの?、時には水でさえ詰まらせることもある私は、単なる性急さだけではないような気がしていました。
【人類は、食物による窒息死の危険性と引き換えに、音声言語を手に入れたといえる。】

 どうやら、私たち人類は言葉を話すことの利弁さのために、多少の不便さと妥協した事が分かりました。 高齢者になって【食物が気道に混入しないよう】働いていた防衛反応が鈍ってから、そのつけが回ってきたようです。【】内は朝日新聞・科学・病の起源・進化で探る・2より抜粋。
by S. T.

2001年10月21日(日)「寒いねえ〜っ、去年はいつ頃から?」
 このところ、シャワーだけでは寒くなってきました。
「去年はいつ頃からお湯を入れたんかね?」私。
「この頃じゃあないん」長男。
「でも、去年は風呂に湯を入れだしてからじゃけん、もうちょっと後のような気がするよ」と風呂談義。

 調べてみました。昨年11月14日から毎日風呂にお湯を落とすようになりました。
やっぱり、今年は辛抱が足りないような気がします。でも、今日は雨が降って寒そう。
by S. T.

2001年10月19日(金)「ひたすら栗の皮をむく」
 ご近所さんに栗を1キロほど頂きました。今年も実りの秋を迎え、お店で栗を見かけるようになりました。一度でいいから、大好きな栗ご飯を炊いてみたいと思いながら。 “あの手間”を考えるとどうも。

 もらって、うれしいけれど仕方なく皮むきを始めました。 「これも、脳を鍛えているのだ」と自分をなだめなだめ、1時間かけて15個の皮をむくことができました。 これで、今夜は大好きな栗ご飯が食べられぞ!
by S. T.

2001年10月19日(金)「脳を鍛えて痴呆を防ごう」(栄養と料理10月号)
 このタイトルにひかれて雑誌を購入しました。ずっと以前に定期購読していたことがある雑誌で、いろんな事を学ばせてもった雑誌です。  【使わなければ機能が低下する。頭を使って生ていこう】私は最近、物忘れが多くなってきました。なんとしても、くい止めたいと悔しい気持ちでいっぱいです。 【定年でリタイアした人の脳は機能がサーッと下がっていくことがあります。・・・中略、人と会わなくなって会話が減る。判断しない場面が減り緊張感がなくなる。 すると脳の活動が少なくなり、ボケにつながるのです。】と脳神経外科医の築山節先生が力説されていました。  せいぜい、私も、これらのことに“心して”生きていきたいものだと自分自身に誓いました。【】内は「“便利な社会が”脳の働きをゆがめる」から引用。
by S. T.

2001年10月19日(金)「地域の高齢者の皆さんに旅のはなしをしました、後日談」
 今日スーパーで、9月中旬に“旅の話”聞いて下さった方に出会いました。 「先日は、いいお話を聞かせて頂いてありがとうございました。こういう生き方をしている人がいるのかと、私とはまた違う世界を見させて頂きとても感動しました。」 と感想を伝えて下さいました。 「ひとりでも、そのようによろこんで下さる方がいらして、とてもうれしいです。」とお答えました。とても、うれしい一日でした。
by S. T.

2001年10月18日(木)「続・エヴァー・グリーン(Ever green)ってなあに?」
 毎日、家事をしながらラジオを聞いています。先日来の疑問が解けて気分もすっきり。「そうか、そうか」とうなずきながら、、、。
「そういえば、ラジオが“色あせぬものエヴァー・グリーン”と、言うとったよ」私は再度、話題にしました。(今まで“色あせぬもの”と聞いていたのにつながらなかった)
「エヴァー・グリーンは前から言われとったよ」と長男。
「それじゃ、今まで聞いても頭に残らんかったんじゃ」と私。
「そうかも」と長男。
「これは、やっぱり英語を習いだした影響かもね」と私は自分で納得しました。

 そういえば、早朝のラジオでも生島さんが「英語一期一会」で毎週新しいフレーズを放送していますが、 これとても聞いたらすぐ冷蔵庫のホワイト・ボードに英語のスペルで書いてみます。 これだけ関心が持てるようになったのも公文式英語を学ぶようになった効用だと思っています。
by S. T.

2001年10月17日(水)「エヴァー・グリーン(Ever green)ってなあに?」
「最近どうしたんか“サイモンとガーファンクル”の曲が流れとるよね」と、よくラジオを聞いている私は長男に尋ねました。
「うん、エヴァー・グリーンじゃけん」
「ふ〜ん?」と、よく分からないまま分かったような返事をした私でした。

 ところが、毎日ラジオから懐かしい曲がかかるたびに“エヴァ・グリーン”のことばが添えられます。
「エヴァー・グリーンって、どういう意味ね」と再び長男に尋ねました。
「いつまでも変わらん緑、つまりいつまでも色あせないもののことをいうんよ」と教えてくれました。
「そうなん」と、早速英和辞典を引いてみました。なるほど、なるほどと私は納得したのでした。
by S. T.

2001年10月16日(火)「マジックテープの原理」
 今日の朝日新聞「花おりおり」で“オナモミ”が紹介されていました。オナモミの実がなる頃には、子どもたち同士だけでなく、 大人と子どもたちの間でもくっつけ合いが盛んに行われ楽しんでいた光景が目に浮かびます。

 今でも河原に行くとオナモミ(オオオナモミ)を見かけますが、この頃は、そんな遊びをしている子どもたちをあまり見かけなくなりました。 でも、マジックテープがその原理を応用したのだということを初めて知りました。そして、マジックテープにまつわる話をもう一つ。

 私がトルコへ旅したとき、ホテルでそのテープを見失いました。いくら、そこのフロントに説明しても理解してもらえず“言葉の壁”をいやというほど知らされたのでした。
by S. T.

2001年10月16日(火)「イタリア首相の優越感に思う」
 朝日新聞の“地球儀”で【イタリアのベルルスコーニ首相の「西欧文明の優越性」の発言が尾を引いている。】の記事を読みました。

 私がこの度、オーストリアのブルーデンツを観光していた時のことです。お昼を食べにイタリアレストラン“トスカーナ”に入りました。(イタリア人経営) 私の注文が後回しにされるし、おまけに注文したスパゲティーを持ってきた時「コーリヤ、ホンコン、タイワン」と、アジア人をさげすんだことばを放ちました。 私はもう腹が立って仕方がなかったのですがいい返すことばもいえません。

 日本語で怒っている表情を見せましたが平気のようでした。 勘定書も投げるように置いたので、私も日本語で「あんたなんかにチップはやらないよ」と言い置いて、その店を出ました。 とても、不愉快な思いをしました。差別がいかに人を傷つけるかをしっかりと学んだのでした。
by S. T.

2001年10月13日(土)「“旅のはなし”で旅を楽しむ」
 このところ、私は毎日“旅のはなし”をHPに載せながら、再び旅の楽しさに浸っています。 旅を始めた頃は「なんで、こんなところに来ようと思ったんかね」と、悔やんでいたのにです。

 こうして、ひとつの旅で、何度もそれを再現できるのは、やはり、ひとりで計画し、現地で遭遇したさまざまなことをすべてひとりで、解決してきたからだと考えるのです。 苦労と喜びと両方がなければ、強く人の心に残らないのではないでしょうか。と、こんな風に考えています。
by S. T.

2001年09月19日(水)「地域の高齢者の皆さんに『旅のはなし』をしました」
 地域のボランティア活動のひとつとして「旅のはなし」をすることになりました。 当初皆さんの反応が気がかりだったのですが、話している間も熱心に聞いて頂き、たくさんの質問が出ました。

 さっそく、実行に移してみようかという方が現れたり、持参した写真や参考書類にも熱心に目を通して下さいました。 何かのお役に立てばの思いで引き受けたのですが、皆さんにこれほどまでに興味を持って頂けたことがとてもうれしく、励みになりました。
by S. T.

2001年09月15日(土)「秋といえば、ブドウでしょう」
 いつもの年より今年はなぜか「ブドウ」が目につきました。そして、例年よりたくさんぶどうを買って食べたように思います。

 オーストリアを旅しているときでした。セルデンで出会ったHさんが「私ね、日本ではとてもあの値段では買えないような大きなマスカットを食べたわよ」と、いうのです。 「それが、とても安いのよ」と彼女はさらに続けていいました。

 そこで、私もスーパーでマスカット色のブドウを買って食べました。味は日本産のものほど甘くはないのですが、その分量たるや多くて2回に分けて食べるほどありました。 さらにうれしかったのは値段が非常に安いことです。 スイスで買ったものしか値段を記録していなかったのですが、ジュースを含めて2スイス・フランちょっとでしたから150円前後でしょう。

 ところが、日本に戻ってスーパーで見かける値段は肝がつぶれるほどです。そこでためらいながら値段の安いものを選んで買っています。 それでも、なんだか損をしているようでなりません。 
by S. T.

2001年09月13日(木)「気に入っています、コーヒーサーバー
 この間20年位前に使っていた「コーヒーメーカー」のガラス容器を落として壊してしまいました。 コーヒーをドリップさせる容器がなくなり、どうしたものかと思案していたところ、いい物を見つけだしました。

 これは、4年前にフタを壊して使えなくなった急須を保存していたものです。これが、案外使い勝手がよくて大いに満足している私です。 この急須は手触りがよく、捨てきれなくて保存していたのです。ちょっと、不格好ですが、出番がきてよろこんでいることでしょう。

 もう一つ、最近まで使っていたのはドリップ式のコアです。13年位使用していましたが今年4月ごろ破損しました。その間、このガラス容器も待機していたのです。
by S. T.

2001年09月09日(日)「私も歌い 踊り 笑いました」
 今朝の朝日新聞日曜版“2001年旅する記者”の『踊る島 最後のユースホステル』 の記事を読んだ私は、懐かしさと、そのユース・ホステルで旅人が醸し出す一体感を思い出し、いつしか私も涙がポロポロ頬を伝わっていました。

 そんなことを書いて朝日新聞の声欄に投稿しました。 【心とからだを傷つけて、北の果てまで来た旅人を、迎えてくれる、桃岩荘ア・ゴー・ゴー。】桃岩荘とは、そんな宿です。

 私も5年前、そこに来ていた旅人と一緒に、ヘルパーたちの音頭でいつしかフォークソングやアニメの振りで歌い、踊り、飲み込まれていくような感情にとらわれていました。 当時の私の記録に“異次元の世界へ”いざなわれていく気持ちを書いていました。そんな心を解き放たれたくてやってくる者もいるでしょう。不思議な世界でした。 見知らぬ旅人がいつか温もりを感じて、、、。

 さすが、書くことを仕事にしている人の文章です。読み返す毎に涙があふれます。 【】内は朝日新聞日曜版2001年9月9日『踊る島 最後のユースホステル』から抜粋。
by S. T.

2001年09月05日(水)「続・体内時計の不思議・私の場合」
 私の体内時計は、まだまだあります。いつも不思議に思うのですが、海外旅行に出ると早朝6時に目ざめ、目ざめると必ず5分以内にはトイレに立ちたくなります。 これは、起床時間を7時に設定すると、1時間遅れで同じようなことを経験しました。

 自宅に戻ると、トイレを意識する時間に巾がでてきます。これは、旅行バージョンならぬ、自己防衛策ではないかと思います。 【「体内時計」時計のクオーツのように自律的にリズムを刻む体内時計の正体は時計遺伝子だ。 脳の直径1ミリほどの「視交叉上核」という組織で発現し、そのリズムが体温などの日変動につながる。中略】 【】内は朝日新聞『技あり』2001年9月4日付記事からひろう。

 たった1ミリほどの脳の働きなのですね。ほんとうに不思議です。
by S. T.

2001年09月05日(水)「体内時計の不思議・私の場合」
 今朝、うとうとしながら、徐々に目ざめていく自分を感じ、ふと目覚まし時計をのぞきこみました。いつもセットする時計が1時20分を指しているのです。

 あれ?変だな、この目ざめの感覚はそろそろ起きる前のはずだけれどなあ、、、。と、もう一つの時計をみると5時10分。 あちこちにある時計を出してきて時間を確認しました。

 やっぱり、そうなのです。家族が出勤する日の起床時間が近づいていました。自分の体内時計の正確さには驚かされました。 昨日の新聞で読んだばかりの体内時計の記事。 以前にも体内時計の記事を読んで感心したことがありましたが、確かに私の体内時計(時計遺伝子)も正確に動いていたんだなと思うと、なんだか、いとおしくなりました。
by S. T.

2001年09月04日(火)「我が家のパソコン・ウイルス騒動」
 昨日読んだ新聞記事の中に新種のコンピューター・ウイルス「サーカム」のことが書かれていました。そこへ、ちょうど長男からメールが転送されてきたのです。 よく見ると、今まであまり見かけたことがない表示でなにやら英文がずらずらと並んでいます。
「すわ、一大事、これこそが「サーカム」だ!」と、即[Delete]を叩き消去しました。

 帰宅した長男に、ことの子細を告げると、 「ああ、あれは家のパソコンが古いので、あの記事を読みとるソフト(プラグイン)をインストールしとらんのよ、古いけえしょうがないね。」 (パソコンは購入後5年半経過)と事もなげに答える。

 長男のノート・パソコンをのぞくと、私の友人から何年振りかのメールでした。さっそく返事を書いたのですが、、、。

 これほど私が、神経質になっているのには訳があるのです。ネパールからのメールにくっついてやってきたウイルスを私は何度も開けようと試みました。(=ダブルクリック) その時、念には念が入って次男も何度も試し、あれだけパソコンに詳しい長男までも引っ掛かって大騒動したことが過去にあったからです。 ほんと、それにしても人騒がせなウイルスですね。
by S. T.

2001年08月25日(土)「草抜きでなく、草刈りをしました。…社会復帰その2」
 我が家の庭や隣接の畑は背丈ほどとは言いませんが、驚くほどの高さに伸びた草を今朝、刈り取りました。 9時から10時までの1時間でしたが、もう汗が顔を滝のように落ちる様は今までの経験ではなかったような気がします。あまりの辛さに早々にやめました。

 気がかりですが、テレビなどで熱中症が報じられているので無理をしないことにしました。
by S. T.

2001年08月21日(火)「太極拳・体操教室に行ってきました。…社会復帰その1」
 昨日の月曜日、多分あるだろうと推定して体操教室に行ってみました。 懐かしい顔、顔。
「あら、元気そうね。太ったんじゃないの?頬がふっくらしているよ」と先生。 さすが、見る目が鋭い。
「そうなんです、2キロぐらい太りました。」と私。

 生徒の皆さんもお盆や休みで久々の教室。中高年の皆さんなのでお盆の間、家事に追われて疲れた疲れたの連発。 「今日は雑談をしながら体をほぐしましょう」と先生のご提案で1時間半。

 おしゃべりしながら、しっかり体を動かして皆さんも私もリラックスして帰りました。
by S. T.

2001年06月07日(金)「今日は草抜き」
 雨が多くなりました。日に日に、目に見えて成長している雑草は今の私には、はっきり言って憎らしい。

 春まだ、ほんのりと陽が射す頃の雑草には、彼らに生命力を感じて大きな喜びとなるのです。

 もう間もなく、留守をする私にとって今の雑草の成長は脅威です。できるだけ自然に優しくと考えて殺虫剤散布や除草剤散布は今まで避けてきました。 我が家の庭の側溝には、ヘドロがたまり沢山のかにたちが、せっせと汚物を分解してくれています。 クモも庭木に網を張って害虫(正しい表現ではありませんが)を食べてくれています。 そんな、虫たちを根こそぎに殺してしまう殺虫剤の散布には、ちょっと心が痛むのです。

 今回は草抜きのあとにマルチカバーなるものを敷いてみようかと考えました。
by S. T.

2001年05月12日(土)「強烈!スパニッシュのリズムに乗せられ・・・て」
 昨夜、パコ・デ・ルシア・セクステッドを鑑賞しました。 出演者はみ〜んなかっこいい。 ぴちっとした黒のパンツにおしゃれな白のシャツ、彼らはかっこいい足と手でリズムを刻み、いいえ全身で歌う踊る楽器を奏でる。

 歌手デュケンデがうたう時、私は目をつむり“セビーリアを”“グラナダを”“ゴルドバを”歩いた町並を頭の中で再現しながら聞きました。 フラメンコを踊るホアキン・グリロにすっかり魅せられてしまいました。

 万雷の拍手を受け、興奮のるつぼの中で演奏は終わりました。
by S. T.

2001年05月09日(水)「シュロにお別れ」
 今日、長年我が家の東側に立っていたシュロ2本を伐採しました。大きい方が7〜8メートルあり、もう一方が4メートルくらいあったでしょうか。 家の屋根よりも高くそびえて何かと管理が届かなくなって仕方なく切ることになりました。

 庭園業の方にお願いしたところ、3人の男性とクレーン車が出動して大がかりな捕り物のように緊迫した状態になりました(私の心の中では)。 伐採の一部始終(シュロ1 シュロ2)を見ていた私に、急に別れの寂しさが襲ってきました。 思わず“南無阿弥陀仏”と念仏を唱えたので、近くで一緒に見ていたお隣さんが笑っていました。

 このシュロがいつ頃からあったのか記憶は定かではありませんが、少なくとも30年以上はいたような気がします。 今は亡き姑が近所のシュロの種から育てた苗をもらって植えたのですから、それに近い年齢だと思います。 帰宅した息子に伐採したことを話すと「供養した?」と尋ねたので、「念仏を唱えたよ」と答えました。

やはり、家族の記憶の中にシュロの存在が風景として残されているのではないでしょうか。
by S. T.

2001年05月07日(月)「ホット・メールに悪戦苦闘しています…その2」
 私のパソコン・ライフも進化したのでしょうか、ホットメールを送った先から「届いた」との返事をもらいました。

 ホット・メールを開いてから、いろいろ私なりに試してみました。やっとおぼろげながら理解できたので送ってみました。 自信はなかったのですが返事がもどり、やっと成功したこと気づき「やれやれ、少しはマシになったかな」と安心しました。

 これで、ひとつずつでも“できる”が増えていくとうれしいです。
by S. T.

2001年05月04日(金)「ホット・メールに悪戦苦闘しています…その1」
 ホット・メールの立ち上げを次男に教えてもらって1ヶ月も満たないのに、すっかり開け方を忘れてしまいました。 仕方なく長男に教えを請うことになりました。(次男不在)
「どういうこと?」長男。
「これなんじゃけど」私。
“パスワード”と“サイン名”の控えをみせました。
「ふん、ふん」長男。

 インターネットを開いてアドレスのところへ打ち込む長男へ、次男は違った方法で入力していたことを伝えました。 そんなことをしながらも、長男はホット・メールを立ち上げました。
「あらっ、それでもええんね」と驚く私。
「もう一度、算数をやらんといけんねぇ」(物事を筋道たてて考えるには)と、嘆く長男でした。
by S. T.

2001年04月23日(月)「妖艶な香りのスズラン」
 昨日、我が家の庭に咲いたスズランを1本トイレに飾りました。小さな小さな花瓶です。トイレに入ると何とも言えない香りがしてきました。 それは、とても濃厚な香りなのにほんのりと匂ってきました。

 何だろうとあたりを見回しましたがスズランしかありません。 手にとって嗅いでみると、とても濃い香りで姿形からは想像できないほど、強く匂い、まさに妖艶なと表現した方がよさそうな香りでした。

 今年は思いのほかたくさん咲いたので、初めてトイレに飾り、うれしい発見をしたのでした。
画像が2点(スズラン1 スズラン2)あります。
by S. T.

2001年04月17日(火)「我が家の復活物語…その2」
 もうひとつ、このような復活物語が前にもありました。

 我が家の戸外にセンサーライトをつけて何年か経過したころ、センサーが効かなくなりました。そこでコンセントを抜いてしまったのです。 それから月日が、どれくらいたったのでしょうか、 私はその外されたコンセントが何であったかをすっかり忘れてしまっていたので差し込んでみました。

 ちょっと暮れかけた時でしたが、明るく照らされたあたりをみて、何だセンサーライトだったのかと思い出しました。 故障しているので取り外してしまおうと考えてよくみると、私がその下に入るとセンサーが反応するではありませんか、これには驚きました。

 こちらの考えていることをキャッチしたのかなって!そんなことは、ありませんよね。 それから、4〜5ヶ月間違いなくセンサーは反応してくれています。

 こんな経緯があって、時計も試してみたのです。 こんなことで、【何か別の“力”が働いたのか】かなと考える私です。【】内は2001年4月15日付け朝日新聞・旅する記者の引用。
by S. T.

2001年04月17日(火)「我が家の復活物語…その1」
 2日前に知り合いのお店で柱時計を買ってきました。かなり前から陳列してあった代物なので値段を半額以下にしてもらいました。 今まであった柱時計は、次男が誕生したころ購入したネジ巻き柱時計で思い入れもあり、分解掃除をしてもらって使用していました。 2〜3年くらいして全く動かなくなったのですが、そのまま1年くらい放置していました。

 動かない時計を見上げては、「ああそうだ、故障していたのだ」と、そんなことを何べんも繰り返していました。

 ところで、新しい柱時計を掛け替えてから古い柱時計を降ろして「ひょってして?」などと考え、振り子を動かしてみました。 あれだけ、びくともしなかった振り子がカチカチと時を刻み始めたのです。念のため時間も合わせてみました。 それから2日たちましたが全く狂いもなく正しく時を刻んで動いているのです。いやはや驚きました。
by S. T.

2001年04月08日(日)「日本中を明るくしているメジャー日本人選手」
 このところ、メジャーで活躍する日本人選手たちが日本中を明るくしています。
世の中、不景気風が吹き荒れ、みんなが生きる希望を失いつつある中、今朝もテレビ・ニュースで明るい話が飛び交っていました。
そんな中、新庄選手の人気もうなぎ登りです。とてもうれしい話です。
by S. T.

2001年04月06日(金)「“竜巻再び 無安打無得点 野茂 32歳”の記事が踊っていました」
“野茂ノーヒット・ノーラン”、“イチロー・新庄見たか熟技”など、今朝の新聞に野茂選手の偉業をたたえた記事が新聞に踊っていました。

 昨日に引き続き、野茂選手のことについては、私もずっと気にかけていたつもりです。 初めて成し遂げた彼の夢実現から、自由契約まで落ちていったけれど、あきらめずに努力して“見事な復活”を遂げた彼をたたえます。 野茂選手に乾杯。“”内は4月6日付朝日新聞から引用。
by S. T.

ひとこと1(1996/12/30〜) ひとこと2(1997/04/21〜) ひとこと3(1998/03/07〜)
ひとこと4(1999/02/07〜) ひとこと5(1999/06/30〜) ひとこと6(2000/01/01〜)
ひとこと7(2000/06/03〜) ひとこと8(2000/10/18〜) ひとこと9(2001/01/01〜)
ひとこと10(2001/04/06〜)

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