ひとこと1

ひとこと1(1996/12/30-1997/04/13) ひとこと2(1997/04/21-1998/02/11)


1997年 4月13日(日)/「出発直前にトラブル続き」

気がかりな歯医者さんも午前中(4/12)の診療で
「いってらしゃ〜い」の言葉と共にめでたく終了しました。

おととい(4/11)−今日(4/13)のトラブル顛末です。
玄関の照明が切れてしまったのですが、これが5〜6年前に取り替えた器具で、
シェードのはずし方が分からないのです。
留守を預ける長男を呼んでみましたが、シェードを壊してしまいしました。
でも、「ランプを替えればいいだろう」と言うことでランプを付け替えたのですが、
明かりはいっこうに付いてくれないのです。
結局、電気屋さんに来てもらいました。

やはり、「昇圧回路基板」が駄目になっていたのでした。
昼過ぎに来た電気屋さんは部品を取りに行ったり、
部品と電線が合わないので、又部品をと行ったり来たり。
家での作業なので午後はずっと私も時間を取られてしまいました。

今朝、洗面器(陶製)の下を覗いてみると水漏れしています。
「なんで、こうもトラブルが続くの?」って感じです。
所帯主の私として、これを処置しておくのが義務とでも言いたげな事ばかりが・・・。

by グランマ・ヘルメス


1997年 4月 8日(火)

墓参り、入院中の実家の母を見舞う。
これも、長期間留守をするので是非実行しておかなくてはならない事のひとつでした。
やはり、主婦(世帯主)が家を空けるとなると色々やっておかなくてはならない用事があります。
隣近所との付き合い、親戚とのこと、公的な事への対応、私信の扱い、家事一般、
家の内外、外回りは溝の見回り、草、花への水やり等々、もう際限がない位です。

by グランマ・ヘルメス


1997年 4月 4日(金)

この頃とみに失敗談が増えてきました。
先日、アストラムライン(新交通システム)の自動改札口にカードを差込み、
勢いよく通り抜けようとしたところ、いきなり前方の扉が閉まって通れなくなった。
カードに残金がかなりあるはずなのに「ええ!そんなはずがない」と、
よくカードを見ると「0」の表示。
仕方なくカードを購入しようと自動券売機へ1000円札を入れてみたが、カードが出てこない。
しょうがないので事務室でカードを購入した。

アストラムラインが開業してから日が浅く、もっぱら私は自転車で動くので、
今ひとつ自動券売機とかカードの使用方法が飲み込めないでいます(年齢のせいもある)。

今回も帰りにそっと、自動券売機をのぞいてみてカードの買えない理由を発見しました。
金額の選択をしなかったことが原因でした。
これも落ち着いて、事にあたればいいことなのに、いつものあわてん坊が災いしたようです。

もう一つ、今日になってやっと、自動改札機を通れなかった理由が分かりました。
実は先日アストラムラインを利用した時、2枚のカードを持参していました。
自動券売機に向かい少ない金額の方を先に差し込み、
更に買ったばかりのカードを差し込みました。
そして、自分の下りる駅のボタンを押すと切符が出てきたのです。
そばに「いらなくなったカードはこの中へお入れ下さい」と箱が置いてあったので、
そこに新しい方のカードを入れてしまったようです。
本当に悔しいやら情けないやら、今となってはどうしようもないです。

と、こんな失敗ばかりしていますが、今日もまたこんな失敗をてしまいました。
旅に持参する太極拳「練功十八法」のテープをダビングしようとして、
テープの入れ方を間違い、頭の方を消してしまいました。
早速、先生にお願いしてダビングしてもらうことになりました。
自分が心配になってしまいました。大丈夫かしら?

by グランマ・ヘルメス


1997年 4月 4日(金)

先週の末、地球最接近中のヘールボップ彗星を見ました。
0〜1等星ぐらいの明るさで、最近「光害」のひどいこの辺りでも、肉眼ではっきりと確認できました。
倍率10倍の双眼鏡で北西の空をのぞくと、はっきりと尾が見えます。
昨年の百武彗星接近時も双眼鏡でのぞいたのですが、この時は彗星と言うより星雲と言った感じで、
彗星のシンボルである尾は確認できませんでした。
考えてみれば、生まれて初めて彗星の尾を確認したことになります。
今度は皆既日食を見てみたいものです。

by N. T.


1997年 4月 1日(火)

朝食の準備をしながらラジオを聞いていると、天気予報で「晴れているのは今日迄です。」
明日から雨の日が何日か続くらしいことを報じていました。
「桜の花も今日中にしっかり見ておきましょう」とも言っていました。
と、言うことで2、3の用事にかこつけて広島城のお堀に咲く桜を見に行きました。
花の色はやや白ぽっく満開でした。もう少し、早く来ればよかったのにとちょっと悔やみました。

広島城で開催されている「毛利元就博」も観てきました。
印象に残ったのは、「厳島の戦い」の奇襲作戦がかなりの頭脳を使った戦いのようでした。
今年のNHK大河ドラマ「毛利元就」は地元と言うこともあり、
しかもよく知っている地名や山がドラマに出てくるので親しさを覚えます。

用事のひとつに、以前関わりのあったK児童館に寄り旧交をあたためて来ました。
そして、「児童館のボランティア要員として名前を登録して頂いて、
帰国後子ども達にいろんなお話をしてくれませんか」との依頼があり、応ずる事にしました。 
帰りは太田川土手筋にある桜並木をくぐって自転車を走らせたのでした。
たくさんの桜見物をして満足しました。

by グランマ・ヘルメス


1997年 3月25日(火)/「元気宣言!」

おととい、体調がすぐれず半日寝込んでしまったのです。
「いつも、お母ちゃんが元気宣言すると危険信号なんよ。」
「それを言い始めると、風邪をひいて3〜4日寝込んだり、疲れたといって元気をなくしたりするんよ。」
と長男。

今回も毎日、旅の計画や準備でいろいろあって疲れたようです。
余り自覚がないのですけれど。
旅立ちも間近なので、少し早めに就寝するように努力しています。

by グランマ・ヘルメス


1997年 3月23日(日)

デジタルカメラ(EPSON:CP-200)を購入した。
ホームページに張り付ける写真更新のタイムラグをなくしたかったのと、
デジタルカメラそのものへの好奇心から決断した。
値段もかなりお手頃になっていたこともある。

意外と近接撮影もこなしてくれるので、何かと重宝しそうである。
雑誌などのインプレッションでも評価の高かった発色が、やはり良い。
パンフォーカス(固定焦点)なのでピントは甘いが、
用途を限定すればこれはこれで使えると思う。

by N. T.


1997年 3月13日(木)

生まれて初めて手術というものを経験した。
とは言っても、唇にできた5mm弱の腫れものを除去するだけだったから
たいしたことはなかったのであるが、根が小心者なので結構ビビッってしまった。

あらかじめ近所の町医者から紹介された総合病院の歯科に赴き、
虫歯治療で使用される小さな麻酔注射を唇に打たれた。
針が小さいのでほとんど痛くはない。
手術中はかなり出血していたようだが、痛みもなく30分ほどで縫合まで完了した。

帰宅して、麻酔が切れた痛みをこらえたまではよかったのだが、
案の定、食事が大変である。
あらためて、五体満足を感謝せねばならぬ、と感じた。

翌日、今度は母親が、脚にできた腫れものを除去手術した。
いくら親子でも、そこまで似なくてもよかろう、とあきれた。

by N. T.


1997年 3月12日(水)

「エコロジカルツーリング」に参加してきました。
画家のM先生の案内で、太田川川縁に咲くユキワリイチゲ、
バイカオウレン、アズマイチゲなどの山野草を見て歩きました。
いずれも小さくて色合いも控えめ、それでいて高貴な美しさ、
見る者をうっとりとさせてくれる草花でした。
年々その数を減らしている事を先生は嘆いておられました。
当日、先生から教えていただいた草花の一部を列挙します(花が咲いていない物も含む)。

アズマイチゲ、セリバオウレン、マムシグサ、トキワイカリソウ、ヤブラン、エイザンスミレ、
シライトソウ、クジャクシラガ、ヤマエンゴサク、ヒメエンゴサク、ミコシグサ(ゲンノショウコ)、
ウマノアシガタ、イノモトソウ、カンゾウ、ヤブサテツ、オニタビラン、ミドリハコベ、
オオイヌノフグリ(ベロニカ)、カキドウシ、キシツツジ、ユキヤナギ、タチツボスミレ(タロボウ)、

ジロボウエンゴサク・・・タチツボスミレとエンゴサクの茎を引っかけてけんかをさせたら
エンゴサクの方が負けたので、ジロボウと呼ばれるようになったとか、

シャガ、ワサビ、スズシロソウ(葉が大根に似ている)バイカオウレン、キツネノボタン、
イチリンソウ、ノビル、カテンソウウ、ウバユリ、ヒメウズ、アキノキリンソウ、ツルカノコソウ、
キツネノカミソリ、ヤマアイ(藍色の染料)ユキワリイチゲ、キブシ、キミズキ、カワラハンノキ、カシワ、

その他沢山言って居られましたが、私がその一部を聞いてメモしたものです。
聞き間違いがあるかもしれませんので、お断りしておきます。

by グランマ・ヘルメス


1997年 3月11日(火)

マイ・フレンドの中尾さんが広島市の護国神社にお参りして、
私の(旅の安全の)ために「お守り札」を持参してくれました。
いつも優しい心遣いをしてくれている中尾さんです。
大変ありがたく頂戴しました。

by グランマ・ヘルメス


1997年 3月 8日(土)

還暦"猿頑石"の情報収集で収集していた本に次のようなことが書かれていました。
19世紀末頃、人形劇場の開館を布告する当時のミュンヘンの新聞は、

・・・この数十年、若者が早く大人になりたがり、
小さい子どもですら背のびしたがるという嘆きをよく耳にする。
これはなぜなのだろう?
『とても賢いこと』がえらくて、
現に単純さ、素朴さといったものは、
教育のがらくた置き場にしまわれてしまっているように見える。・・・

として、この人形芝居で子どもたちが本来の子どもらしさを取りもどせることを願っている。

ドイツの絵本作家:メッゲンドルファーは1847年に生まれ、ミュンヘンで育つ。
子どもだったメッゲンドルファーも、この人形劇で「心癒し養われて」、
のちのちまで語り継がれるような仕掛け絵本作家となったのである。
なぜか今の日本をみるようでやり切れない気持ちにおそわれるのは私だけでしょうか?

by グランマ・ヘルメス


1997年 3月 5日(水)/「自分探検2」

落ち着きのない私は、どうやら物事への執着心に欠けるように思います。
好奇心は強くいろんな事に手を染めるのですが長続きしません。
前に自己紹介しましたように「懲り性の飽き性」です。
このような性格が旅の傾向にも現れているのではないかと考えています。

旅仲間で同じ所を何度も何度も訪ねる人がいますが、
その気持ちが理解出来ませんし、私にはそれが出来ません。
退屈してしまうのです。
同じ場所に留まるのは1週間が限度のように思います。
次々と変わる街や風景、変化が好きですね。
今回の旅は私の性分にぴったりかもしれません、疲れますけれど。

家事をしていても同じように動き回っている時には全然自覚も無く、
朝起きた時「あれ、疲れたな」と感じるのですから、呑気なところも合わせ持っているようです。
「呑気」と言えば、「落ち着きがない」ことと同意語かもしれません。
何時までも同じ気持ちを持続出来ないのですから「済んだことはいいや」などと諦めも早いです。
長所でもあり短所でもある。

日常の生活でも「落ち着きがない」=(がさつ)が災いして失敗も多いです。
洗濯はこまめにする一方で畳むのは下手。
料理では調味料の入れ間違い、食べる時よくむせる。
究極のあせった食べ方では随分前になりますが、
コロッケを呑み込んで食道を傷つけ耳鼻科の先生にお世話になったこともあります。
先生のおっしゃるには「時々こんな人も来るんですよ」と体の仕組み(食道)の図解を示されながら、
「食道はこんなに狭いのですから今後は用心して呑み込んで下さい」と指導されたのでした。
魚の骨もよく喉にかけるので魚は苦手で食べても骨と身の山を築き、
汚らしい食べ方をしては家族に叱られています。

と、こんな風に気づいた所を記述しました。
気分があちらこちらと動くので肝心の「街を歩く」への入力がおざなりになっています。

by グランマ・ヘルメス


1997年 3月 4日(火)/「自分探検」

昨日(3/3)の失敗振りから、自分を振り返ってみようと考えました。

私ですか?はっきり言って「落ち着きがない人」です。
他人にはそう見えないようです。
なぜでしょう?

私にも確固たる答えは出せませんが、長女として育ち幾分気が回らないせいかもしれません。
「人は見かけによらぬもの」です。
でも、家族はしっかり私を見ています。
昨日のハンガリー大使館へビザを申請した件もひとつの例です。
事件、事故とまではいきませんが何か物事を前にして判断、選択、決定する時、
急展開したような場面では舞い上がってと言うか、のぼせ上がってしまい冷静な判断が下せない。
的確な対応が出来ない、あわてんぼうです。

「慌てる乞食は貰いが少ない」と言う言葉は適切ではないかもしれませんが、
「あれも、しとかなきゃ、これもしとかなきゃ」もう、忙しいばかりです。
子供達からも「おかあちゃん、落ち着きんさいや」と、
よくたしなめられている位ですから相当なものです。

私はこれを欠点ばかりではないと思うのですが、
「あれも、これも」と好奇心も旺盛ですし、落ち着かない分よく動きます。
十分に動き回るので体重はこれと言った事をやらなくても割合スリムです。
二十歳の頃と体重は余り変わらないですね。
本当です、したがって、じっといることが苦痛です。

こんな風な私ですから、落ち込んでも直ぐ回復して元気に過ごせているのではないでしょうか?
これだけが私の全てではありませんが、私の一端には間違いありません。
幸い、便利で利口な文房道具がありますので、精々これからも記述していきたいなと考えています。

by グランマ・ヘルメス


1997年 2月28日(金)

このようなリンクステッカーを作ってみました。
Photoshopの使い慣れない機能を使って約1時間。
とりあえず完成はしたものの、出来映えは・・・。
今度はもう少しマシなのを作ろ〜っと。

by N. T.


1997年 2月27日(木)

・・・我が家に時を告げる“ふたつ”の時計・・・

「ボォーン、ボォーン、ボォーン、・・・」
何年振りであろうか、懐かしい振り子時計の時を告げる音を聞いたのは!!
1階にある洋間の音楽室(我が家ではそう呼んでいる)に掛かっている、
縦43cm、横26cmの柱時計は、手巻きで30日間動いてくれていた。
カチ、カチ、カチ、カチと丸い振り子が、右に左に揺れて歯車の音と共に時を刻んでいたのだ。
しかし時を告げなくなったのは随分昔、シャシャシャと途切れてなんと頼りない響きであったことか。

その動きも止めてしまったのが昨年暮れ、もう捨ててしまおうかと思った。
でも、やっぱり捨てがたい・・・
長男に相談すると「修理を頼んでみたら、捨てるのは勿体ないよ。」と言う。
そこで、ずうっと付き合いのあった時計店のTさんに持って行ったところ、
「油が切れたようですね掃除をすればまた動きます。」
「時報が鳴らないのですけれど」と私が言うと、
「ここに部品のいらなくなったのがありますから付けてあげましょう。」

今年の1月31日に電話を入れると「とっくに出来ていますよ。」との返事。
長男愛用の35リットル・ミレーのザックを担ぎ、30分かけて歩いて受け取りに行った。
帰りは大きな動きをしないようにゆっくりと歩いた。
と、突然背中で「ボォーン」と音が鳴り、びっくり。
時計店を出る時に11時だったので、
「ああ、11時半ね!!」と思いながら、思わずにっこりしてしまった。
それから、再び確実に時を刻み、時を告げてくれるようになった。
分解掃除代は、しめて3500円なり。
素敵な音を蘇らせてくれた代償としては安いのでは、と思った。

もうひとつ、我が家の音楽室隣の食堂にも音を告げる”真四角”の時計がある。
単1電池で約1年動いてくれる、今頃主流のクォーツ時計である。
この時計は、まさにNHKの時報にぴたりと時刻が合う、信頼出来る時計。
チャイムがウエストミンスターと同じ音色で、子供たちは「学校に居るみたいでイヤだ」と言っていた。
ふたつ音色があるので、もうひとつの音を長く使用していたが、
いつの間にか時刻と時報が合わなくなったので、音を絞って聞こえなくしていた。
これは最近長男に直してもらい、再び時報を知らせるようになったのである。

我が家では、何かの記念日によく掛け時計を買った。
振り子時計は、次男を出産した直後の1965年6月、私が仕事を辞めた退職記念?に、と購入。
ウエストミンスター時計は、夫が出向の記念にと1983年3月15日に購入したものなのである。
その夫はもういない。今年2月に7回忌の法要を営んだばかりである。

by グランマ・ヘルメス


1997年 2月26日(水)

前日、パソコンは面白い!!と有頂天になった後、
この日記のページを「MO」に保存しようと思って「ファイル(F)」をクリックすると、
いつもと違う見慣れない場面が現れた。
「なんだ!こりゃあ?」と「ウィンドウ(W)」を閉じたり、開けたり。
とうとう、Nコーチにヘルプ要請。
どうしてこういう事態になったのか私本人にはさっぱり!!
と、いつもこのように操作を間違えてはNコーチのお出ましとなるのである。

私がワープロやパソコンに興味を抱いたのは、私の癖で単なる「新しものがりや」だからである。
最初、ワープロに熱中していたが程なく飽きてしまい見向きもしなくなった。
そこで、パソコンの登場である。
「いつかパソコンの時代が来るのでは?」
その時からでは年を取って恩恵に預かれないなと考えて、
我が家にも8年前、パソコンを導入したのである。

それで再びパソコンに熱中、テレビでパソコン通信のドラマを見てその装置(注:モデム)をつける。
現在のように「あとで送信」という選択が出来ないので、これもいつの間にやら遠ざかってしまった。
(注:Netscape NavigatorによるEメール送信の機能)
一昨年の「ウインドウズ95」の大騒動でも、これはニュースとして聞き流していたにずぎなかった。
しかしながら、細々とであるが旅の記録などをフロッピーに保存もしたり、と関わりは持っていた。

そして昨年の夏、「ウインドウズ95」の大騒動がひとまず冷めた頃、
なんとはなしに「これは面白そうだ!!」と長男・Nコーチに話を持ちかけた。
かかった費用は半々と言うことで話しがまとまり、昨年9月新しいパソコンが我が家にやって来た。
Nコーチに次々とパソコンの指導を受けて、現在次のような操作を覚え?学習中である。

これも我が家のNコーチのヘルプがあるからこそと感謝している。
ヘルプを要請すると、そばで見ている私にはまるで神業としか思えないような手さばきでパソコンを操り、
即座に私の難問を解決してくれるのである。
せいぜいパソコン学に励みたいと思っている。

by グランマ・ヘルメス


1997年 2月25日(火)

還暦"猿頑石"の最新情報を一太郎7で入力中、なぜか@印の間に文字を入力すると筆文字になった。
これは面白い。もうひとつ、記号を呼び出すのに「F10」を叩いては出していたので、
面倒とばかり「漢字登録」を教えてもらい沢山作ったが、
さて次回には「呼び名」を忘れて「なんだっけ?」と考えることしきり。
それをNコーチに聞くとあっさりと記号を出してくれた。
「へえー、そんな所にあるんね」とまた発見。
更に、4倍角の間に文字を入力するとその文字が4倍角になって出てくることも教えられた。
本当にパソコンは面白い!!

by グランマ・ヘルメス


1997年 2月19日(木)

廿日市市の公民館で開催された椎名誠さんの講演会へ行って来ました。
椎名さんは、数年前、たまたま家に眠っていた「岳物語」を読んだのがきっかけで知ったのですが、
独特の文調と世界各国のドキュメンタリーが読めるとあって、文庫本を中心に十数冊ほど購読しました。
ちょうどその頃、海外旅行やツーリングなどの旅行記を書いていたので、
それらを参考にしつつも自分の文才のなさを思い知ったものでした。

当時から「一度会ってみたいなあ」などと思っていて、今回ようやく念願がかないました。
観客は圧倒的に女性が多く、若い人から熟年まで8割方はそうでなかったかと思います。
ラフな格好で登場した椎名さんは、饒舌なタイプではなく、どちらかというとシャイな雰囲気でしたが、
世界各地で経験した異文化体験をネタに、面白おかしく講演されていました。
近くの席のオバサンは、話が佳境に入ってくると、ゲラゲラ大声を立てて笑っていました。
現代日本社会の文明至上主義についても、椎名誠流の批判をされていました。
やはり思っていた通りの人で、今度は”探検隊”に参加して、話をしたいなあ、などと思っています。

by N. T.


1997年 2月 9日(日)

このところ、たびたび面倒くさいことが起こっています。
まず、2週間前に気が付いたのですが、バイクの車検を出すのを忘れていました。
本当は昨年の11月で検切れだったのですが、なんと今年の1月末まで気が付かなかったのです。
いつもは、自賠責の保険会社から通知が来るのですが、今回に限って・・・
仕方がないので、自宅までバイクを引き取りに来てもらいました。

もうひとつ、デスクトップパソコンのハードディスクがイカれてしまいました。
2週間ほど前からWIN95の立ち上がりが不安定になり始め、次第に病状が悪化して行きました。
何か、人間の病気を見ているようでしたが、いわゆる「セクタ落ち」です。
保証期間中なので出費はありませんが、まる1日セットアップ作業に費やされてしまいました。
しかし、おろしてまだ4ヶ月しか経っていないのに・・・

by N. T.


1997年 1月24日(金)

司馬遼太郎さんの「竜馬が行く」を読み始めました。
以前から一度読んでみたいと思っていたのですが、正月のテレビ番組を見て買いました。
文庫本全8巻の大作なので、夜寝る前に少しずつ読み始めましたが、
読み始めると面白くなって、止めるのが惜しいくらいです。
「坂本竜馬」という人のスケールの大きさに圧倒されつつ、
自分でも、少しくらいは近づけるのではないだろうか?
などと勇気づけられている今日この頃です。

by N. T.


1997年 1月12日(日)

私がオペラを観劇したのは、今回が初めてのことです。

主役(ヴィオレッタ・ヴァレ)の味香友子さんを知ったのは、昨年4月、
広島登山講座・吉村千春氏主催のエコロジカル・ハイキングがきっかけでした。
ハイキングの途中で、時々美しい歌声を聞かせて頂いているうちに、
オペラにとても関心を持つようになりました。

イタリア語で歌われる歌の内容は、字幕スーパーで理解出来るのですが、
出場者の表情、表現を同時に見るのはいそがしかった。
劇が進行して行くに従い、高校生頃に読んだ記憶が戻り、
お父さんにアルフレードと別れさせられる場面では、再び涙するほど感動しました。

ヨーロッパに行ったら、ぜひ本場のオペラも聴いてみたくなりました。
そして「椿姫」も、もう一度読んでみよう。

by グランマ・ヘルメス


1997年 1月12日(日)

旅行記や写真をのせているホームページのオーナーに、感想兼リンク希望のメールを出しました。
ほとんどの方から返事をいただき、リンクの件も快く承知していただきました。
改めて、この場を借りてお礼を申し上げます。(^_^

今、我が家の庭(とは言っても狭いです)の”ワビスケ”が賑やかに咲いています。
ワビスケは、ツバキの仲間の園芸種で、薄いピンクの花びらが、清楚でとても美しい花です。
間もなく「最新情報ページ」でも、ワビスケの写真を紹介させていただきます。

これから季節が進むに連れて、野や山の花が少しずつ咲き始めます。
これまで具体的な動きの無かった「自然環境について」ページも、ようやく始動します。
更新の度にアナウンスしますので、ぜひとも興味のある方はご覧下さい。

by N. T.


1997年 1月 6日(月)

正月休みも明けて、みなさんもいろいろな想いを胸に”社会復帰”されたことと思います。
しかし、それにしても今年の正月はインターネット三昧でした。
と、言うよりも、インターネットづけの毎日でした。
12/30の”ひとこと”で「リンク宣言」をした後、ひたすらリンクを張りました。
いやいや、本当に疲れました。心なしか視力も落ちたように感じます。
でも、その甲斐あってか(正月休みのためと言う話もある)、アクセスが少し増えました。
日毎に増えてゆくアクセスカウンターを眺めては「ムフフ・・」と喜んでいます。
「ホームページを見たよ!」という人からも、ぼちぼちメールが届くようになりました。
やはり、一言でも感想などがあると、励みにもなり、嬉しいですねえ。
これからも”地球を歩く一家”を充実したページにしようと思っていますので、みなさんよろしく!

by N. T.


1997年 1月 1日(水)

新年、あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いします
この1年が皆さまにとって良い年になりますように・・・

今年は、このホームページを、より

「見やすく!、わかりやすく!、楽しく!、美しく!」

するよう努力しますので、ページの方もよろしくお願いします。

by "地球を歩く一家"一同


1996年12月30日(月)

96/12/02にホームページを開設・公開して、早くも1ヶ月が過ぎようとしています。
とにかく、数ある自分(家族も含む)の趣味を、他の人にも知ってもらいたくてページを作りました。
まだまだ改善の余地は多々あると思いますが、まずは軽いページを意識して作成しています。

アクセスカウンターも順調に伸びている、と言いたいところですが、今日現在で210そこそこです。
開設早々、Yahoo!をはじめとする国内のサーチエンジンに登録を済またのですが、当初思ったほど伸びていません。
たしかに、あまり一般受けするような内容ではないので、しょうがないのかもしれませんが・・・。

そこで、個人のホームページを中心にリンクを張ることにしました。
もちろん、このホームページもリンクフリーですので、気軽にリンクを張って下さい。
メールをいただければ、こちらからもリンクを張らせてもらいます。
よろしくお願いします。

by N. T.


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