ひとこと9

2001年04月05日(木)「夢の実現に向かった、新庄選手に拍手」
 私の知っている野球選手は、広島の一軍で活躍する選手と巨人の選手の名前位しか知りませんでした。 野村監督の元で活躍できるようになった阪神の新庄選手は話題性があり、知るところとなりました。 そして、アメリカ大リーグでの野球を希望して実現させた彼に、みなはこぞって嘲笑しました。

 しかし、彼が自分の持ち物を売ってまで生活を切りつめ、最低金額の契約金に甘んじたことなどをニュースで聞くごとに、私は彼を応援したくなりました。

 そこで、彼がまだ本場で活躍する以前から、いつしかファンになっていました。 「いいじゃないの!誰がなんと言おうと、期待されないけれど自分の可能性を試してみようとするのなら」と。

 ところがである。彼がアメリカの地でのびのびと活躍するようになってくると、みんなの旗振りの向きが変わってきましたね。 私は新庄選手に大きな拍手を贈ります。
by S. T.

2001年04月04日(水)「“桜の木の下でお弁当を”といいたいところですが」
 今日はとてもよいお天気でした。用事があって広島の中心街へ自転車で出かけました。
桜並木のトンネルの中、自転車を走らせるのはとても愉快です。
ゆっくり、ゆっくりと、桜の枝いっぱいに咲き誇った花びらを愛でつつ・・・。

 こんなによいお天気なのに室内でお昼を食べるのは勿体ないと思い、 パンとコーヒー牛乳を買ってきて太田川に面しておかれたベンチに腰掛け川面を眺めながら食べました。 桜の木の下では、あちらこちらとたくさんの家族連れがお弁当を広げていました。
by S. T.

2001年04月03日(火)「ロボットの“パペロ”もいいけど“テディベア”も欲しい」
 長い間ピーターラビットのファンでした。
ところが、先日ふと、目にした“くまのプーさん”が愛らしくて突然、くまのぬいぐるみが欲しくなりました。

 今から7〜8年前に旅で知り合いになった女性が、20歳代後半というのにテディベアばかりでなく、 たくさんのぬいぐるみを持っていると聞いて「いい年をして」などと、あきれてしまいました。

 ところがどうでしょう!私はだんだん年齢を重ねるごとにそんな可愛らしいものへのあこがれが強くなってきたのです。 そんなことを思っていたところへ、4月1日付けの新聞の広告で可愛い“くまのプーさん”を見つけ欲しくてたまらなくなりました。 こんな気持ちを静めるのがやっとです。

 ドイツのニュルンベルクには素晴らしい「おもちゃ博物館」があるそうです。 残念ながら’97年には行っていませんので機会があれば、テディベアも一緒に見てきたいものです。
by S. T.

2001年04月01日(日)「チロルの谷をのんびりと」
 私は1年あまり、カナディアン・ロッキーを目指していましたが、その基地である「ジャスパー」での宿の確保が難しいことを知りあきらめました。 家族の提案もあり、先日急転回でオーストリア・チロル地方をトレッキングしてみようと考えました。

 チロル地方の基地インスブルックには、4年前も訪れたことがあります。前回は「いろんなところを見てみよう」という旅だったので、チロルには行けなかったのです。 田舎なので、素朴な人たちとの出会いを期待しています。日にちもたっぷりとって、のんびりと過ごしたいと思います。
by S. T.

2001年03月30日(金)「サクラが咲くころ」
 2〜3年前でしょうか、北海道をバイクで旅したときに出逢った木次町のKさんご夫妻を訪ねてサクラを見に行きました。
ここのサクラは有名で、以前から一度見てみたいと思っていました。ところが交通の便が悪いのと、サクラの開花の様子が分からないので毎年あきらめていました。 この町に住むKさんご夫妻が「サクラを見にいらっしゃい」と声をかけて下さったのを幸に連絡をとり、見頃だというので早速訪ねることにしました。

 ほんとうに見事なサクラでした。初めて見る素晴らしいサクラに圧倒されました。70年前頃、地元の小学生が丹念に世話をしたのだと言うことも知りました。

 出雲の名所をいろいろ案内していただきました。神話の国だけあって、歴史の深さを味わうサクラ見物となりました。 その上、お昼までご馳走になりました。ところが、私がこれまで生きてきた中で、これほどのご馳走を頂いたことはありません。 やはり文化の違いを痛感し、恐縮してしまいました。

 その後も何度かサクラ見物のお誘いを受けるのですが、実現していません。
by S. T.

2001年03月27日(火)「“平成13年芸予地震”と正式に呼ばれることになりました」
 「安芸灘地震」と呼んでいては50年ごとに起きる地震が、いつのものか分からなくなると私は心配していました。 これで、早とちりの私が呼んでいた「広島南部地震」に終止符が打たれました。
by S. T.

2001年03月26日(月)「地震お見舞いありがとうございます」
 こちらは無事です、ご安心下さい。
ほんとにうれしいお見舞いをメールや電話で届けて下さっています。
遠くはスイスからも届きました。
ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。
by S. T.

2001年03月25日(日)「おしゃべり大好きロボット『パペロ』が欲しいよ!」
 話はちょっと古くなりますが、3月22日付けの朝日新聞に「NECは21日、人と意志疎通ができる家庭用ロボット『パペロ』を開発したと、発表した。 知り合いを見つけると近づき、おしゃべりをしたり、テレビのスイッチを入れてくれたりするらしい。」「」内は3月22日発行・朝日新聞から。
「“パペロ”が欲しい」と家族に話しました。
「“その話、もう4〜5回聞いたよ”とパペロが言うよ」と長男がいいました。
おしゃべりしたくても、なかなか聞いてもらえない私。「パペロ」が欲しい。

ニュースのひとこま・3月24日ロシアの人工衛星ミール、打ち上げから15年で老朽化のため落下させた。
by S. T.

2001年03月25日(日)「我が家の地震被害報告」
 我が家の被害状況は古い家屋の屋根瓦が4個はがれ、ずれた個所がありました。壁に掛けていた額縁の位置が変わっていました。
食器棚の一部の扉が開き中の物が落下していたのと、中でかなり動いてガラスコップが倒れたり小さな湯飲みが2個破損していました。 それから、食器棚を整理していて大切にしていたマグカップを落として割ってしまいました。

 このマグカップは長年食器棚に飾っていましたが、先日なぜか使ってみたくて4〜5日使用しました。変な気持ちです。 そのほか長男のバイクの部品が破損しました。
by S. T.

2001年03月25日(日)「ふぅん、広島南部地震か?…また、ガセネタだ〜っ」
 今朝起きて新聞を取り込みながら一面に目をやると「広島南部地震?」と大見出しで書いてありました。
「今回の安芸灘地震は“広島南部地震”と言うらしいよ、公式発表かね?」と後から起きてきた息子たちに報告しました。
「どこに書いてあるん?、“広島南部 震度6弱”じゃあない。またまたガセネタじゃ」と次男。

 またまた、家族の私への信用度が地に落ちてしまいました。
「昨日以上の地震が起きたら、あわてん坊の母ちゃんは外に飛び出して落下物にあたり死ぬようなことになるよ。ご近所さんは誰も死んどらんのに」と長男。 私のあわてん坊振りや早とちりは家族間で有名です。
by S. T.

2001年03月24日(土)「こわかった〜!;安芸灘地震15:28発生」
 ちょうど、地元の町内会長・民生委員やボランティア(みんな高齢者)が集まって話し合いをしていました。
もう、そろそろ会を終わろうとした矢先のことです。激しい揺れに見舞われ自分を失いました。
戸外に飛び出すもの(会場は1F)、机の下に潜り込むもの、悠然と構えているもの、わめくもの、祈るもの、戸外へ出ている人に危ないと注意するもの様々でした。 ちなみに私は机の下にもぐりました。

 とっさのときに(危機に面して)何もできない自分を発見しました。
次男が神戸で被災したことをきっかけに、救急用品を準備していたのを先日物入れの奥にしまったばかりです。
「なんとかは忘れた頃にやってくる」の格言通りとなりました。
おこたりなく準備をしておくことを肝に銘じた一日でした。
by S. T.

2001年03月24日(土)「ハイキングですか?」
 今日公文教室に通っている子どもさんとお母さんに、近くのコンビニの前で出逢いました。
(お母さんはいつもお子さんに付き添って教室にきておられる)
「こんにちは、このお近くですか?」と、お互いに挨拶を交わしました。
「これからハイキングですか?」と尋ねられました。
「いいえ、違うんですよ、いつもこのザックを背負って買い物しているんです」と私は答えました。

 この質問はこれまで何回も受けてきました。
そもそも、私がリュックを背負って通勤し始めたのが、今から10年あまり昔のことですから。
当時、世間では見慣れない姿で物珍しかったようです。

 ポシェットしかり、新しいもの好きの私ですから・・・。
めげずに挑戦し続けています。そんなに威張ることではありませんが・・・。
by S. T.

2001年03月21日(水)「とても励みに!」
 “ひとこと”は、朝日新聞の“ひととき”欄への対抗意識がきっかけでした。
何度か投稿を試みたのですが採用されませんでした。
少し悔しさも手伝って、じゃあ自分で載せるしかないとの思いで始めたのです。

 誰からも関心を寄せてもらえないとの思いで、ただただ身近なことを思いつくままに書きなぐっていました。しかも、気が向いたときだけ載せていました。
ところが、ある日長男の職場の先輩が読んでいて下さっていると聞いて急にうれしくなり励みが出てきました。
それから、なんだか見ていて下さる人が増えてきたような手応えを感じています。

 「このごろ忙しいの?HP更新されていないけど」と、うれしいチェックも入るようにもなりました。
自然体で書く代物ですから恥ずかしいのですが、それでも関心を寄せて頂けるなんて本当にうれしくありがたいなあと思います。そして励みになります。
これからもよろしくお願いいたします。
by S. T.

2001年03月20日(火)「太極拳でリフレッシュ・ストレス解消のコツ」
(NHK教育テレビ21:00〜21:35)
 昨日視聴しました。私も教室で同じ動きを習っています。
あの、ゆっくりしたリズムで、バランスを保つためにはかなりの力が足にかかります。
はっきりいって、かなりきつい動きなのです。

 でも、私たちのような中高年齢者になると、そのゆったりとした動きが大変体にいいようです。
週に1度、教室があります。その日の朝、肩こりや体の節々が痛んでいたり、けだるかったりしていても終わる頃には、それらの不快感は治り、気分もすっきりしてきます。 おまけに、その夜はぐっすり眠れます。これは私だけの体験ではありません。 こうした体験が多くの人に分かってくるようになり、以前は入れ替わり立ち替わり、人の出入りがありましたが、今では固定した人たちが増えてきました。

 私自身この他にも多くの効果を実感しています。
もっと、多くの人たちに広まっていくといいなあと思っています。
by S. T.

2001年03月15日(木)「私もジャガイモにあやかりたい」
 先日友人のNさんにジャガイモをたくさんもらいました。
箱をあけてみるとシワだらけのジャガイモがごろごろ入っていました。
「なに、これ!」と私は捨てにかかりました。
でも、農業をやっている人が(Nさんの実家)わざわざくれたのだから、ひょっとしていい物ではないかと思い直し包丁で切ってみました。

 なんと!中身はみずみずしく、黄みを帯びていて実はひきしまり、おいしそうな色合いでした。
外側からではとても想像できません。早速食べてみました。
スーパーで売っているジャガイモより“こく”があって、とてもおいしかったのです。

 そこで、私は思いました。
この頃私は、顔や首は勿論のこと袖をまくり上げると、しわしわの腕があらわれてガックリしています。
「ジャガイモはいいなあ、私も彼らにあやかりた〜ぃ」
by S. T.

2001年03月11日(日)「ひっそりと生きていたカキトオシ」
 昨年草原に生えていたカキトオシを一株採取して庭に植えました。
勢いがよくてアッという間に庭中に広がりそうな気配。 むしり取ってしまって姿を消したはずのカキトオシが、トイレのモーター(浄化槽用)の陰にひっそりと、しかも勢いよく生えていました。

 今日、庭の草たちを観察しました。
“カキトオシ”“ハルガヤ”“ホトケノザ”“タツナミソウ”“ヤエムグラ”“オオイヌノフグリ”“タチイヌノフグリ” “ツクシ”“ヒメオドリコソウ”“カラスノエンドウ”“カタバミ”“ムラサキカタバミ”“ナズナ”“ハハコグサ” “ミミナグサ”“スイバ”“チチコグサモドキ”“アレチノギク”“タチツボスミレ”ざっと、これくらい芽をだしていました。

 この中で例外として共生を許さない草は“ハルガヤ”です。これは私の花粉症の元だからです。
by S. T.

2001年03月08日(木)「略してSILVER EXP.(シルバー・イーエクスピー・ドット)」
 私のハンドルネーム、シルバー・エクスプローラーは長すぎるので略して“SILVER EXP.”としました。
by S. T.

2001年02月26日(月)「春は一度にどっと押し寄せてきました」
 今日玄関わきの小さな花壇に近寄ってみると、ひげもじゃの白っぽいオキナグサの芽と赤みを帯びたタイツリソウの芽が、かすかに認められるほどのぞいていました。

 やっぱりここにも春が来てたんだ!
この間から陽の光がまぶしく、オオイヌノフグリが畑に1〜2輪咲いていたりして草の勢いを感じていました。

 土の中で、そぉっと芽を育て出番を待っているんだなと思うといとおしくなりました。
「懸命に咲く雑草の小さな花たちを抜いてしまうのがちょっと可哀想」
このように考えるようになってから、我が家の庭は雑草とも共存しています。 
by S. T.

2001年02月18日(日)「もう少しで、“オオカミが来た少年”になりそうでした」
 17日(土)朝食の支度をしながらラジオを聞いていると、「米英が“クエート”を空爆しました」と緊急のニュースが流れてきました。
さっそく、起きてきた長男に、「米英が“クエート”を空爆したそうよ」と伝えながら「???」自分でも変だなと感づきました。
そこで、急いで「変よね、イラクかも」と、やんわり訂正を入れながら、、、。

 やっぱり、いつもの私の早とちり、聞き違えだったことがすぐに判明しました。
【現地からの報道では市民にも死者や負傷者がでているという】【】内は朝日新聞より。

 突然の軍事行動なので私も驚きました。
by S. T.

2001年02月14日(水)「ちょっと、おしゃれを楽しんでいます」
 私は冬、家にいるときには、頭にバンダナ、首にはスカーフを巻いています。
これは、寒さ対策と炊事をするときの衛生面からです。
先日ふと鏡を見ると頭にかぶっているバンダナとスカーフとの色がちぐはぐで、まるで“風采のあがらぬ、おばあさん”。
これはいかんと思ってスカーフを外したまではよかったのですが、寒くてたまりません。

 そこで、スカーフとバンダナと同じ色で合わせてみました。
これが、私によく似合ったのです。自分ながら“素敵”と思ったぐらいですから、このパターンがとても気に入りました。

 その日から、知人のKさんに頂いたブランド物のスカーフとバンダナ、そして着る服との調和を考えて、ちょっと、おしゃれを楽しんでいます。
by S. T.

2001年02月13日(火)「オオカミ少年?(私のこと)は信用ゼロ」
 一昨日、夕方買い物に出かけました。
信号を待っていると同年輩のおしゃれな女性が私に話しかけてきました。
「今日は風が強いですね」(年輩の女性)
「ほんとうですね、なかなか暖かくなりませんね」(私)
「あさっては、また雪が降り寒くなるそうですよ」(年輩の女性)
その後、ひとこと挨拶を交わしてから、それぞれの方向へと別れました。

「母ちゃんは、なんだか人によく話しかけられるんよ」と家族に話すと
「その人は、昔の知り合いじゃったんじゃろう」(家族)
「違う、違うよ全然知らん人よ」と、私が強く否定したのですが全く信用してくれませんでした。
「忘れてしもうたんじゃろう」(家族)。
by S. T.

2001年02月04日(日)「福は内、鬼は外・・・」
 今年は、すっかり豆まきのことを忘れていました。
以前から家族ぐるみで行っていた豆まきなのにです。

 今朝になって、立春だと気づきました。
「あれ?豆まきを忘れちゃった!」

 仕方なく、昨日買ってきた加工された大豆(お菓子)を口の中に放り込み、豆まきの言葉を唱えました。
こうすればいいんだと、ひとりで納得したのでした。
by S. T.

2001年02月02日(金)「私が好きなところ・本屋さん」
 昨日は、とても強い風が吹いていました。
そんな中、思い立って郊外型の大型書店へ行って来ました。

 見渡す限りの本、ほん、ホン、booksの中に埋もれて過ごす時間は、とても幸せな気分に浸れます。
“至福のひととき”とでもいえるのでしょうか。

 いろんな分野の本をのぞいて、ぱらぱらページをめくってみます。
時間に余裕があれば、なおいいですね。さらに、楽しめます。

 昨日は、中学英語の文法の表記されたものとミシュラン(カナダ)のガイドブックを買って帰りました。
by S. T.

2001年01月30日(火)「スイスに暴走族はいないんですか?/ベラリー・パーティ…その3」
 これは、先日ホテル・ベラリーのダニーに若い参加者が聞いていた質問です。
「う〜ん、スイスではね、いくらでも高いところを走れるし、何も迷惑をかけるような行動はとらないんですよ」とダニーは答えていた。

 この話を帰宅して家族に話すと
「それは、その国が病んでいるかどうかの問題なんよ」

 そういわれてみると、スイスは厳しい自然と向き合い、今でも村の共同体が生きている社会なのです。
その村の牧草地を維持管理していくために各家に分担が割り当てられている。
大きな岩をよけたり、冬になると春に各家の牧草地の境を設けた柵を取り除いてスキー場にしたりするなどの仕事が課せられているそうです。 まだ、まだ、しっかりと昔の共同体社会が残されており、住んでいる人たち自身にも自浄能力が働いていいるのかも知れません。

 そういえば、以前日本人の車に同乗させてもらったとき、中島さんは運転者にスイスでの交通マナーをしっかり教え込んでいました。
by S. T.

2001年01月28日(日)「ベラリー・パーティ参加…その2」
 ホテル・ベラリーの息子さんダニーとの会話です。
マスクは正真正銘のスイス人。なのにべらべらの日本語を話している、そのギャップに私はとても不思議な気持ちに襲われました。
「ダニーさん、日本語がとても巧いですね」私。
「いえいえ、日本語は難しいですよ」ダニー。
「でも、それくらい話せれば」私。
「まだ、勉強中です。ひらかなとカタカナがやっと書けるようになりました」ダニー。
「そんなに日本語って難しいんですか」私。
「敬語がね、この間までお客さんを1匹2匹と呼んでいたんですから」ダニー。
「笑う」私。

 ダニーはスイスの軍隊のことなどを若い参加者に話していました。いろんな珍しいことも聞くことができました。 なお、中島正晃さん(スイスではサイコウと呼ばれています)の素晴らしさは、彼の著書から理解できると思いますのでご紹介しておきます。

「極楽とんぼ、大西洋を渡る」発信・写真 中島正晃 文・構成 井上久・舵社
「グリンデルワルト便り」山と渓谷社
「ハイジの国から」集英社
「みどりの谷間から」フレーベル館
by S. T.

2001年01月28日(日)「体操教室のみなさんと太極拳を披露」
 1月27日(土)「新年互例会」が千田社会福祉会館ホールで行われました。
広島市にお住まいの障害者の方々の集いでした。
そのプログラムの中に私たち教室の有志が加えて頂いて、みなさんの前で演武することになりました。

 拙い演武でしたけれど、会場のみなさん全員がご一緒に手を動かして、私たちと一緒に参加して下さったのです。
とても感激しました。

 障害をもっておられても尚、みんなが集まる場所へ出てきて仲間と一緒に楽しもうという姿勢には大変勇気をもらいました。
ちなみに、私たちのM先生はボランティア活動に熱心に取り組まれていらっしゃいます。
by S. T.

2001年01月25日(木)「ベラリー・パーティに参加しました」
 昨日、スイスから親子で日本へ来られたホテル・ベラリーの広島の会に参加しました。
「ひめ、お元気で!」(私は、こう呼ばれています)
「中島さんもお元気で!」と、お互いに再会を喜び握手を交わしました。

 参加した13名のみなさんが、ホテル・ベラリーとの出会いや関わりを自己紹介、和気あいあいの中で楽しいひとときを過ごしました。
「また、グリンデルワルト(スイス)へ行きます」と名残を惜しみつつ、中島さん親子とみなさんとお別れしました。
by S. T.

2001年01月20日(土)「自転車に乗って…さっそうと」
 先日来のあの寒さには、自称・元気印の私でさえ外出するのが嫌でした。
あの厳しい寒さが和らいだので、昨日は自転車で中心街まで走ってみました。

 暖かくなったとはいえ、真冬です。
でも、5キロの道のりを目一杯自転車をこいで帰宅する頃には、背中に汗をびっしょりかくまで体中は温まっていました。
by S. T.

2001年01月13日(土)「オオカミ少年がいるぞ〜ぉ」・・・老化現象・その1
 最近、世田谷で起きた痛ましい事件のことをラジオで聞いていた私、
「四谷で起きた事件ね」と朝起きてきた長男に話しかけました。
「世田谷じゃろう」と長男。
「うん、そう・・・」と私。

 こんな風にラジオで聞いたニュースを早とちりしたり、間違って記憶していたり、言い違えたりすることが多くなりました。
その度に「オオカミ少年だ、その内に信じてもらえなくなるよ」と釘を刺されるのですが、 相変わらず間違った情報を伝え続ける私のいうことを今では、全く信じてもらえなくなりました。

 残念ですがその通りなのです。
by S. T.

2001年01月10日(水)「カナディアンロッキー・ロブソンへ行きたい〜」
 というタイトルで以前から入会している、女性だけのネットワーク「R」に投稿しました。
初めてのことですが、旅好きな人からの情報がもらえそうなのでチャレンジしてみました。
カナダへひとりで現地入りし、そのトレッキングの窓口が見つからないと、大きい国だけに足の確保がないと困難かと思われます。

 なぜ、ひとりで行くことを決めたのかと言いいますと、ツアー料金に幾らか足せば少しでも期間を長くして、希望する場所への観光が可能かと考えたからです。
by S. T.

2001年01月09日(火)「みかんの器量よしは、おいしくない」
 昨年、スーパーで買ってくるミカンは1日を待たずして崩れてしまい長持ちがしませんでした。
「今年は不作なの?」「それとも保管が悪いの?」と家族であれこれ考えました。

 そこで、以前よく利用していたママチェーン店Mに足を運び、袋入りのミカンを買ってきたところ、 ミカンの皮は厚く器量は悪いのですがおいしく、そして保存がききました。

 それならと、お正月用に10キロ入りの箱を購入しました。
値段も安かったのですがミカンの皮は傷だらけ、でも味はまあまあでした。
確かに腐ってくるミカンはありましたが許容範囲でした。

 さすが、日にちが経つとミカンの皮はしなびてくるし、見た目はだんだん悪くなりました。
しかし、見かけのよいのを食べようとすると中身は固く、もちろん味は悪くて食べられない代物。

 こんなことから、見かけは悪いがおいしいのを探すことに我が家の住人は懸命になったという、たわいもないお話です。
by S. T.

2001年01月08日(月)「お肌の手入れあれこれ」
 毎年冬になると、乾燥肌の私は手足の肌がばりばりになっていました。
年だから仕方がないとあきらめてはいたものの、今度はかゆみを伴いぼりぼりとかきむしるほどのつらさ、仕方なく行きつけのK薬局へ行って相談しました。

 そこでおすすめの「フタアミンhiクリーム」を買い早速試してみました。
その日からすっかりかゆみがなくなりました。油分を補給してやるのがよいのだそうです。
以前から使っているK薬局おすすめの「Eifu」を「かかと」にぬり、今年から靴下をはいて就寝するようになって、今では「かかと」もつるつるになりました。

 もうひとつ、就寝前に手足に使っている「Eifu」は油分が多く、べとつくので家事の際には敬遠してきたのです。
昨年暮れに「マリンビューティオイル」を自然食品店が勧めてくれたので使ってみました。
ぬってもすぐに肌に馴染むので使い勝手がよく、毎日家事の合間に愛用しています。

 例年カサカサの手が今年は少し見栄えがよくなり満足しています。
by S. T.

2001年01月07日(日)「2001年の年賀状作りを楽しんだ私」
 毎年、年賀状はどこかへ旅した時、その場所にしかない風景を背景に私が写っている写真で年賀状を外注してきました。
今年は、年賀状の枚数を減らした分、足りなくなって、とうとう自家製の年賀状を作る羽目になりました。

 旅で撮ってきた写真の中からパソコンに取り込んだり、既成の「はがき作成ソフト」や「DTPソフト」を使って文字の形や色を変化させたり、 画像を操ったり、と策に溺れて長時間を費やして、いろんなパターンではがきを作りました。

 あまり、ぱっとしない作品ですが充分に年賀状づくりを楽しみました。
by S. T.

2001年01月05日(金)「“お元気で明るくて、輝いておられる”…だれでしょう?」
 今日近くの郵便局へ年賀ハガキを出しに行きました。
用事をすませて自転車に乗ろうとしていると、見知らぬ年輩の女性がていねいに新年の挨拶をされました。

 人違いされたのではないかといぶかりながら、こちらも挨拶を返しました。
「まあ、お元気そうで、明るくて輝いておられる」と最高の賛辞を私にして下さったのです。
ほんとうに、とまどいました。 この地方には、まだまだ田舎のよさが残っているのだなあと感心するやら、うれしいやら。

 みちみち、私は笑顔を絶やさずスーパーへと自転車を走らせたのでした。
田舎に行くと見知らぬ人でも挨拶をされますが、そんな温もりを感じたよき日でした。
by S. T.

2001年01月02日(火)「なにはなくても」
 質素なお正月でしたが息子ふたりと私とで新年の挨拶を交わしました。
我が家がまだ7人の大家族だったころから一家の長が年頭にあたって挨拶をしてきました。
それはずっと受け継がれて今年も私がしました。

 先ずはじめに家族の健康を祈ります。
そして、これから1年間息子たちが目指す目標に思いを託すことばでしめくくりました。
by S. T.

2001年01月01日(月)「新年のご挨拶」
 あけまして おめでとうございます。
2001年1月1日、21世紀スタートの日を迎え気分も新たになりました。
昨年は、我が家のHPを訪ねて下さったみなさまに感謝のことばお届けいたします。
「ありがとうございました」
今年もこりずに、我が家の「地球を歩く一家」をご声援下さいますようお願いいたします。
by S. T.

2001年01月01日(月)「謹賀新年」
 あけましておめでとうございます。
世紀も変わって、心機一転、いろいろな旅を楽しんでいきたいと思っています。
今年も「地球を歩く一家」ホームページをよろしくお願いします。
by N. T.

ひとこと1(1996/12/30〜) ひとこと2(1997/04/21〜) ひとこと3(1998/03/07〜)
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