ひとこと2

ひとこと1(1996/12/30-1997/04/13) ひとこと2(1997/04/21-1998/02/11)


1998年 2月11日(水)

長野冬季オリンピックが2月7日に開催されました。
そして、2月10日清水宏保選手が祈願の金メダルを取ってくれました。
大変感動しました。今まで見てきたオリンピック競技では、こんな体験は初めてです。
期待をかけられた選手のプレッシャーたるや大変なのもでしょう。
特に金を取れと周囲からの暗黙のプレッシャーはどれだけのもか私たちには計りしれません。
ピーンと張りつめた清水選手のスタートはこちらもドキドキして、
見るに忍びないような気持ちになりました。
私は彼のために金を取ってもらいたいと祈りました。

by S. T.


1998年 2月 6日(金)

今日は朝から暖かな一日です。今日も歩いてきました。
1月6日から、コレステロールを燃焼させるために再開した
「ウォーキング」が習慣になりつつあります。

何を始めても長続きしない私ですが、
とりあえず目標を3ヶ月と短くしたのがいいのでしょう。
もう、1ヶ月もやったんだという達成感を味わっています。
 
話は変わりますが、今日ウォーキングのコースで見つけたO工芸所に
まな板を持参してカンナをかけてもらいに行きました。
10年近く使っているまな板にカビが入り、反ってしまったからです。

O工芸所の中をのぞくと、数名の女性が和気和気あいあいとおしゃべりしながら、
てんでに板を彫っているではありませんか。
あまり楽しそうなので、一人一人の作品を見せてもらい、話しかけてみました。
そうこうしていると、先生から「あなたもやってみられませんか?」と誘われ、私の心は動きました。
長期でなくてもいい、写真立てとタオルかけくらい出来たらいいな、と本気で思いました。
でも「春からボタニカル・アートを再開します!」
と先生にお手紙したばかりだし、とやや反省。

帰宅して息子たちに話すと
「危ないけん、やめときんさい!」
「お母ちゃんは落ち着きがないけん、絶対に手を切るよ!」だそうです。
でも、明日も教室の日なので見学に行ってみます。

by S. T.


1998年 1月28日(水)

1月の上旬からひいていた風邪がようやく快復した。
症状は、大量の鼻水を流しながら、1日の高熱をはさんで微熱が継続。
ようやく熱が下がったのが、1月24日だから、まる2週間である。
「今年の風邪は…」と言うよりも、自分の抵抗力(免疫力)のなさが心配だ。
マスコミなどでは、抵抗力のある若者などは高熱が3日間ほど続いて、ほどなく快復。
抵抗力のあまりない高齢者などは微熱が続き、症状が長引くと伝えていた。
「もう自分も高齢者の仲間入りか」とショックを受けたが、直ってみるとやはり元気だ。

風邪をひいた時にいつも感じるのが、健康の有り難みである。
いつも元気で風邪一つひかないのが理想的ではあるが、
たまに(年に1度ぐらい)風邪をひいて自身の健康の有り難みを痛感するのも、
神様の思し召しのような気がする。
風邪だ風邪だと邪険にせず、上手に風邪と付き合って生活していきたいものだ。

by N. T.


1998年 1月26日(月)

以前から時機をうかがっていたプリンターを買い換えた。
財政状況も厳しいので、なかなか踏み出せないでいたが、
発売以来だいぶ価格の方も下がってきたので購入に踏み切った。
機種は、雑誌などでの評判がよいエプソンのPM-750Cである。

それで結果はどうだったかというと、これが期待通りの買い物であった。
さすがに「写真画質」とうたうだけあって、カラー写真の印刷品質は素晴らしい。
もちろん、割高になる専用の用紙を使ってではあるが、
家庭で気軽にこのようなアウトプットが得られる時代になったのか、と感慨も深い。
特に、銀塩写真の2Lサイズ〜A4サイズの写真印刷では、
経済性を考えても引き合うのではないかと感じたぐらいだ。
「これでまた表現の幅が広がった」と機嫌がよい。

by N. T.


1998年 1月17日(土)

今朝の朝日新聞を開くと、「鎮魂のともしび」阪神大震災で亡くなった人たちを悼み
と書かれた記事と、6400本のろうそくがともっている写真がありました。

我が家の次男もこの大地震を神戸で体験しました。
会社の寮が中央区の異人館街にありました。
幸い、建物も新しく崩壊は免れました。
彼は出勤に備えて電気、ガスを止め、まさに家を出ようとしたところだったそうです。
もし、時間が4〜5分ずれていたら、死んでいたかも知れません。
出勤途中の道路脇のブロック塀や大きな建物が崩れていましたし、
三宮駅構内で下敷きになっていたかも知れません。
本当に命があったことは幸せだったのでしょう。
今でも、音や振動に敏感に反応するそうです。

それにしても、仮設住宅で2万4000世帯ですか暮らしているのですね。
私も、あの大地震から、震災に遭い寒空に震えている市民の皆さんを見て、
誰に気兼ねなく自分の温かい布団にくるまって眠れることの幸せを感じるようになりました。
どうか、1日も早く仮設住宅から出て、もう少しましな住宅に住まわれることを祈ります。

by S. T.


1998年 1月 8日(木)

本日の朝日新聞(関西以西版)の声欄に投稿されていた
「自転車専用道建設の推進を」は諸手をあげて賛成です。
私も日頃考えていたことだからです。
私の中心街への足は自転車です。いつも、置き場に困っています。
ひょいと置こうにも「自転車放置撤去地区」と張り紙されて置けません。
仕方なく、デパートの駐輪場や公営の自転車置き場に持っていけば「100円」徴収されます。
時には、「満車」と張り紙されている時もあります。

自転車は自動車ほど場所も取らず、しかもクリーンです。
おまけに、体力アップ健康増進にも役立ち、何らマイナス面はありません。
これから、高齢者社会がやって来るます。
せいぜい、みんなに自転車に乗ってもらい、
町中に気楽に乗り付けて置ける場所「公営駐輪場」を増やして下さい。
政治家の皆さんお願い致します。       

by S. T.


  1998年 1月 6日(火)

今日、ようやく我が家の合成洗剤を処分しました。
新聞紙で袋を作り、ゴミ袋に入れてぼろきれに洗剤を吸わせました。
かなりの匂いが鼻につき、今更ながらこんな物を長年使っていたのかと恐ろしくなりました。

我が家から合成洗剤を追放してから4〜5年立ちました。
ところが、使いかけていた合成洗剤の処分に頭を悩ませていたのです。
それがやっと、解決しました。

合成洗剤が環境に悪いこと、そして私たち自身にとっても
悪影響を及ぼすことなどを知り、石鹸に切り替えました。現在は我が家はオール石鹸です。
洗濯は絹からウールまで、炊事場の洗い物、風呂掃除、体を洗うのは勿論のこと、
頭髪も石鹸シャンプーを使っています。
石鹸シャンプーと言えば大げさですが、要するに固形の石鹸を頭に直接こすりつけ、
泡立てて洗うのみです。(本当は手のひらで泡立てて使う方がよいと思います)
時には、クエン酸でリンスするときもありますが、ほとんど洗い放しと言うことです。
それでも髪は痛みませんし、むしろ艶やかです。

シャボン玉石鹸は、純石けん分99l無添加剤で香りや手触りが柔らかく、
身体に優しい洗剤です。ぜひ、一度お試しを。
とにかく、「ひとりで何が出来る?」と、言われてもいいです。
環境にいいことは、ひとりでもいい、努力しようと考えています。

by S. T.


1998年 1月 5日(月)

昨日、我が家に娘達一家が来て、今年の正月はひとまず終わりとなりました。
一番小さい孫が男の子で、翔(しょう)と言います。
近くに住んではいますが、シャイな彼は私にはあまり話しかけて来ません。
しかし、一日我が家で過ごしたせいか、彼自慢の合体おもちゃ「ギャラクシー・メガ」
「ゲロタン」「ウルトラマン・キング」をなめらかな口調で説明してくれました。
もうひとつ、持参したおもちゃの名前が分からず困っていましたが、
昔子どもだった我が家の次男が「ライディーン」だと彼に教えていました。

その時、4歳の彼が「むかし、〜して遊んだの」「むかしは・・だった」と言うので、
彼の言う「むかし」は去年のことだろうと推測したのですが、
同じ「むかし」でも私のような年齢とでは随分違うものだと面白く感じました。

by S. T.


1998年 1月 1日(木)

まずは、新年あけましておめでとうございます。
昨年は、このホームページを友人・知人にとどまらず多くの方々に見ていただきました。
今年も、昨年以上にコンテンツの充実・更新に努力するつもりです。
これからも"地球を歩く一家"を、どうぞよろしくお願い致します。

by "地球を歩く一家"一同


1997年12月20日(土)

久しぶりにEMボカシを使って生ゴミを処理しました。
1年半ぶりでしょうか?長いことやっていないように思います。
EMボカシで堆肥をを作るのです。
作り方は、蓋付きのバケツのような容器に毎日出る生ゴミを入れて
EM(Effective・Micro-organisms:有用微生物群)ボカシをふりかける。
(3角コーナーいっぱいの生ゴミでボカシ15cが目安)
生ゴミが容器にいっぱいになったら冬で2週間、夏で1週間放置。
その後、容器から生ゴミを取り出し畑に埋めます。
漬け物のような(発酵)いい匂いがします。
やがて土にかえり、農作物を育ててくれるのです。
無農薬で美味しい野菜が出来ます。
 
3年半前から次男の勧めで作り始めました。
半信半疑でしたが、土の力を快復させ病気や、虫害に強く、
しかも、農薬を使用しないので環境にも自分自身にも優しいのです。
今では、広島市もその生ゴミ処理を推奨していますが、
少し面倒なのと地面がないと出来ませんので、なかなか定着しません。
私がよく旅をするので多分、昨年の春から作っていないでしょう。
さっそく、再度挑戦です。

EMボカシについての参考文献「地球を救う大変革1,2」比嘉照夫 サンマーク出版

by S. T.


1997年12月15日(月)

12月8日から14日まで東京に行って来ました。
それにしても、東京は厳しいところだと思いました。
私にとって、頭の痛くなるような交通路線図。
駅の人混みにぶつかりながら、その複雑な標識に翻弄されました。
そして、いろんな人に分からないことを尋ねたのですが、ほとんどの人が冷たかったです。
「済みません、日比谷線で人形町に行きたいのですが教えて下さい」と言いましたが、
「すまんけど、その路線図を見て」とあっけなく去っていきました。
その路線図はともかく、その日比谷線はどこにあるかも分からないのになあ!
あ〜あ!
また、雑踏で足を踏まれることもたびたびでしたけれど、なんにも挨拶無しでした。
そんな、日本ですが(都会)、ヨーロッパの人たちの親切やマナーの良さには
今更ながら感心しています。
まあ、日本人は忙がし過ぎるのでしょうか?
心を無くしてしまったのでしょうね。

by S. T.


1997年12月 2日(火)

なんと、初雪です。急に寒くなるのですから、たまりません。
今日、外国に住んでいる人たちへクリスマスカードを書きました。
ドイツ、スイス、イギリス、ニュージランドの5通です。
ニュージランドの2通は’94年に旅した時、知り合った現地の方たちです。
ディックさんは、私が訪ねた時はウエリントンに住んでいましたけれど、
今年の春に「オタキへ引っ越しました」というはがきをもらいました。
結婚された娘さんのシャリーとも友達です。
もうひとりは、アーサーさんです。
25年(当時)前にイギリスから移り住んだそうです。
日本が好きで時々日本にもやって来ます。
彼は、カタカナが読めますので私の拙い英文とカタカナで手紙を書きます。
英文で手紙を書こうと思いますと、辞書片手に何時間もかかります。
大変ですけれど、返事が貰えるので楽しいですね。

by S. T.


1997年11月28日(金)

11/25に我が家の電話回線をISDN化した。
昨年からの懸案事項であったので、とりあえずやれやれといったところだ。
DSUの設置場所と2台のパソコンの設置場所が離れているので、
TAユニットを2台と、ノート用にはISDNカードと、かなりぜいたくなラインナップ。
NTTの配線、接続工事は1時間ほどで終了したのだが、
「お客様工事」のバス配線やら、デスクトップパソコンの設定変更に、まる1日費やしてしまった。
COMポートのIRQ変更や、BIOS設定値の変更まで手をつけざるを得なかった。

苦労した甲斐もあって、通信環境はすこぶる良好である。
大きな画像ファイルの読み込みやFTPなど、以前と比べて通信待ちのストレスがかなり減った。
さすがは同期64kbpsのパフォーマンスである。
以前から評判の悪かった「インターネット通信中は話し中」も解消された。
なかなか快調である。

by N. T.


1997年11月16日(日)/「おめでとう日本代表イレブン!」

昨日の夜(正確にはきょう)、サッカーの日本代表チームが、
来年にフランスで開催されるワールドカップ本大会への出場を決めた。
まずは選手と関係者に「おめでとう」そして「ありがとう」と言いたい。

自分は熱狂的サポーターではないが、それでもアジア地区最終予選は力を入れて応援していた。
第3戦の対韓国戦の敗戦以降は、何度も「もうだめか」と思ったが、
選手はよくあきらめずに開き直ってここまで戦ってきたと思う。

4年前のアジア地区最終予選、対イラク戦の時もテレビの前に釘付けであったが、
今回も前回以上に気合いを入れてテレビで応援した。
日本の試合運びについて、何度か凡ミスはあったが、何より気迫が感じられてよかった。
第7戦の対韓国戦勝利以降の、いい流れがそのまま続いている感じであった。

日本代表がふがいない負け方などすると、テレビに向かって悪態をついてきたのであるが、
今日ばかりは感謝の気持ちでいっぱいである。
やはり日本代表が勝つのは嬉しいものだ。

by N. T.


1997年11月15日(土)

私の家から自転車で10分そして、電車(芸備線)で30分の狩留家へ行って来ました。
1年前、骨粗鬆症の検査をある診療機関で受けました。
ところが「骨量」が80歳並しか無いことが分かりました。
驚くやら、悲しむやら全く自信を失ってしまいました。
「これから老後は体をしっかり動かして健康を維持していこう」と思っていたのに、
骨折する危険性を考えると何処にも行かれなくなってしまう。

こんなふうに考えて悩んでいる時、友人から、あるお医者さんを紹介されました。
1ヶ月に1度だけ、診療を受け、薬を貰いに行きます。
薬は1種類だけです。たくさんの薬は出されません。大変優しい先生です。

病院のある狩留家には、田畑や自然がたくさん残っていて、心が安まります。
昨日も医院に行く道に黄色の葉っぱが道一杯に落ちていました。
あまりの多さに私は嬉しくなって「わあ、綺麗こんなにたくさん落ちて」と
思わずその葉っぱの上をさくさく歩いてみました。
久しぶりに童心に帰った思いでした。

更に嬉しいことに、帰国してレントゲン写真を撮っていた結果が分かりました。
「あなたの今回の骨量の測定結果は、
 同性同年代の平均値の110%、若年成人平均値の91%でした。」 
「骨量が下がっていた人の治療をして、
 こんなに骨量が平均値より上昇したケースは珍しいですよ。」
「旅でしっかり歩いて、太陽を浴びたのがいいのでしょう。」
と先生におっしゃって頂きました。

by S. T.


1997年11月 1日(土)

母がヨーロッパのみやげとして持ち帰った国旗ステッカーの処遇に困った。
当初は、白色の台紙に貼り付けてポスターのように部屋に飾ろうかとも思ったが、
あいにく我が家にはそのようなスペース(A0サイズ)はない。
次に、スクーターに貼ろうかとも考えてみたが、
両面テープで粘着シミュレーションをしてみると
「これじゃ恥ずかしくて街を走れない!」
ということが判明した(当たり前か)。
結局、お蔵入りかと思われたその寸前、玄関扉に貼ることを思いついた。
もともと味気のない家ではあるが、アルミ製の玄関扉は特に味気がない。
実際に20種類の国旗ステッカーを貼ってみると、
これがなかなかイケて?いる。
我が家への訪問客の反応が楽しみである。

by N. T.


1997年10月30日(木)

町内にあるIスーパーに買い物に行きました。
食料品を買ってレジで精算をしていると、正面にあるお茶屋さんの中にいる
顔見知りの店員さんと目が合って挨拶を交わしました。
「お茶を飲んで帰られませんか」と誘われて店内にお邪魔することにしました。

このスーパーは約25年前頃出来たのでよく利用しています。
いつの頃か、顔見知りの店員さんが出来ておしゃべりするようになったのです。
帽子屋さん、生地屋さん、眼鏡屋さん、お茶屋さん、
忙しい季節に派遣されてくる食料品売場の店員さんなどです。

味気ないスーパーの買い物です、
名前も知らない人たちですが親しくおしゃべりしながらの買い物は楽しいですね。
最近黙っていても買い物が出来る世の中になりましたね。
コンビニもそうです。

私が以前勤務していたY町にも個人商店があります。
おもちゃ屋さん、花屋さん、肉屋さん、生地屋さん、うどん屋さん、
ぼたん屋さん、衣料品店、八百屋さんなどなど、
時には自転車で出かけて(自転車で25分)旧交を温めています。
だんだんそんなお店が少なくなってきましたね。

by S. T.


1997年10月12日(日)

約20年ぶりにマツタケの丸焼きを食べた。
親戚のおばさんが持ってきてくれたもので、時価数千円はするらしい。
知り合いの山で取れた県内産のマツタケとのことであった。
もらってすぐ、マツタケを前に「どう食べるか」の話になり、
せっかくの日本の味なので、焼いてしょうゆにつけて食べることにした。
思ったほど香りはしなかったが、普段食べつけないのでこれはこれでおいしかった。
今度食べられるのは、いつになるのだろうか?

by N. T.


1997年 9月26日(金)

毎年、季節の到来を感じさせる花を見るのが好きである。
それも測ったように毎年同じ時期に咲くものがいい。
春は何と言っても桜(ソメイヨシノ)の開花。
そして、秋は彼岸花なのである。
2年ほど前から開花時期を観察してきたが、
だてに彼岸花という名前がついてはいない。
自宅周辺の川土手にも結構咲くのだが、
これが必ず彼岸の入り前後に咲き始めるのだ。
「おぬし、なかなかやるな」と言いたくなるぐらいである。
8月までは全く地上に姿を見せなかったものが、
急に茎を伸ばして真っ赤な花火のような花を付けるのである。
群生することも多いので、それはそれは見事な眺めだ。

by N. T.


1997年 9月16日(火)

9/13,14と広島市の野外活動センターで催された
「健常児&障害児ふれあいキャンプ」にボランティア参加してきた。
このイベントは毎年広島市が主催して夏休みに実施しているもので、
今年は台風の影響でこの日に順延開催となったのである。
ぼくはこの手のイベントには初めての参加で、
世間では「いまどきの子ども事情は・・・」とか言われていて
最初は「どんな子どもなのか?」と疑心暗鬼であったが、
まあ、なにしろ子どもたちがかわいいのである。
実際に接する子どもたちは、少し生意気ではあったが、元気でかわいい盛りの小学生であり、
少々疲れはしたが、イベントを楽しむことが出来た。

障害児も、重度の子はいなくてその点、楽ではあったが、
それでも耳の不自由な子どもとのコミュニケーションには苦労させられた。
イベントの間は、とにかく子どもたちが出来るだけ笑顔でいられるように行動したつもりだ。
最初は緊張していた子どもたちも、次第に口数が増え、
コミュニケーションの深まりと共に自身の充足感も増してきたように思う。
できれば来年も参加してみたい。

by N. T.


1997年 8月24日(日)

このところ毎朝、我が家の庭に深紅の大輪アサガオが咲いている。
いかにも夏の朝の風物詩といった感じで、朝の日課の水やりもさわやかである。
これは5月下旬に種子を入手し、6月に種まきしたもの。
双葉が出てからすぐに植木鉢に移植し、日当たりに注意しながら設置場所を選んできた。
現在は2階の窓の手すりからネットを垂らし、それに巻き付けている。
植物の栽培など、小学校以来で懐かしい気もするが、これが結構難しい。
アサガオの場合はまだ花が咲いて良かったが、
4月に種まきしたタチアオイは梅雨明けと共に全滅した。
けっこう成育状況を気にしながら育てていたのだが、長雨の影響か、
土が悪かったのか、手入れが不十分だったのか、日当たりが悪かったのか、
とにかく、芽が出た11株/11株のすべて枯れてしまった。
タチアオイは1年草でぐんぐんと大きくなるはずなのに、
ぼくの植えたものは極端に成長が遅かった。
来年こそはたくさん花を咲かせたいものだ。

by N. T.


1997年 8月21日(木)

今に始まったことではないが、今の実年齢よりかなり若く見られていることが多い。
特に、旅先で出会う20代前半〜中盤の若者からそう見られる。
歳より若く見られることはそれなりに嬉しいのではあるが、
逆にそれだけ軽く見られていると思うと複雑な心境である。
顔のつくり、これまでに背負った苦労の寡少、張りのある肌?、行動性癖など
色々と原因は思い当たるのだが、決定打はない。
勘違いする年齢層がほぼ特定されているので、勘違いする人の周囲に、
30代中盤の男子がいないのではないのだろうか?という気もする。
まあ、大したことではないから気にすまい。

しかし、もっと年輩の方々の中にも実年齢より10〜20歳も若く見られる人がいる。
これには明らかに原因があって、共通して見られるのは好奇心が旺盛なことである。
とにかく心が自由に解放されていて、前向きな人が多い。
自分もいくつまで生きられるかわからないが、
いつまでも若く見られるようあり続けたいものである。

by N. T.


1997年 7月17日(木)

少し前の話になるのだが、とは言ってもついこの間。
うちのホームページの紹介が、インターネット情報雑誌に掲載されたのである。
日経BP社の「日経ネットナビ8月号」という雑誌の中の
 「Hot! Hot! Hot!」:今月の必見サイト/旅行記
というコーナーにである。

トップページの画像と3行ほどの簡単な説明であったが、やはり嬉しいものだ。
そのせいか、7月の上旬以降、ホームページのアクセスが増えているのである。
元々のアクセス数が少ないこともあるが、軽く50%はアップしているだろうか。
とにかくこのホームページを見てくれる方々のために、
日々内容の充実更新を頑張らなくては。

by N. T.


1997年 7月 7日(月)

母がヨーロッパに旅立って、まもなく3ヶ月になろうとしている。
最初の訪問国であるトルコに着いてしばらくの間は、予期せぬトラブルに巻き込まれ、
「予定を切り上げて早く帰国する」などと、ことある度に泣き言をもらしていたが、
さすがに最近は旅に慣れてきたとみえて、それなりに楽しんでいるようである。
第1の懸案事項であった、北極圏内のノールカップ岬にも、無事あしあとを残すこともできた。
あとは、関心のある土地を中心に、臨機応変に旅をつくっていってもらいたいものだ。

by N. T.


1997年 6月23日(月)

ついに、と言うべきか、自分の趣味にピアノ演奏を仲間入りさせることになった。
ひょんなことから弾かざるを得ない状況に追い込まれてしまったのだが、
生誕以来30数年間、まともにピアノを弾いたことはない。
必要とされる技能レベルは、さながら遙か遠くでせせら笑っているようだ。
おまけに成人になって始めたので、演奏技能の向上スピードは、蚊がとまるほどに遅い。
これまでの自分ならすぐにくじけるところだが、いや待てよ、と思い直した。

ここ数年来、自分にとってピアノを自由自在に弾けることは大きな懸案事項であったのだ。
自分の好きな曲を、自分の手で弾くことが出来れば、どんなにか素晴らしいことだろう。
ショパンなどと大それたことは言わないが、
市販されているホピュラーソング曲集は弾けるようになりたい。
実際、ピアノで和音を追いかけてゆくのは楽しいものである。

最近、本当に初歩の初歩だが、1曲弾けるようになった。
簡単な曲とはいえ、美しい曲を弾けるようになるのは嬉しいものだ。
次のターゲットはバッハの「主よ人の望みよ喜びよ」と
ダイアナ・ロスの「If We Hold on Together」。
いずれもメロディーの美しい曲で、ぜひともマスターしたい。
半年後ぐらいには弾けるようになっているだろうか?
そのためには日々の地道な練習あるのみ。
文字通り「継続こそ力なり」である。

by N. T.


1997年 6月20日(金)

いい気になってホームページへ画像を放り込んでいたら、
ファイルの総容量が18MBを超えてしまった(リミット20MB)。
特別企画の写真がかさばっているのだ。
かと言って、今さら企画を縮小するのもつまらないから他にサーバー(25MB)を確保した。
これまでが20MBだったから、一気に倍以上になった。
急にお金持ちになった気分で、精神衛生にはよい状態である。
さて、これからもバシバシ画像を放り込もう。

by N. T.


1997年 6月 5日(木)

先月の3日に「5月のジレンマ」というタイトルでここに書いたが、
毎年この時期、もっぱら花粉症が風物詩となっている。
5月下旬に入ると、症状があまりにもひどくなっていった。
目がとんでもなくかゆく、鼻がとんでもなくちくちくするのである。
鼻水をかむトイレットペーパーも大量に消費してしまった。

とにかく、日常業務にも支障をきたすようになったので近所の病院に出向いた。
ドクターいわく、花粉症を治療する薬はないが、症状を抑える薬はあるとのこと。
さっそく服用したところ、たちどころに症状がおさまった。
今までの血のにじむような苦労は何だったのか?
こんなに見事に症状が消えるなんて予想もしなかったよ。

あまりにも嬉しくて”風薫る5月”を存分に満喫しようとしたら、
暦は”うっとおしい梅雨へまっしぐら”の6月になっていた。

by N. T.


1997年 5月11日(日)/「インターネット・メール」

昨年12月にこのホームページを開設して以来、
「ホームページを見た」というメールを全国各地からいただいた。
国内だけでなく、海外在住の日本人の方からもメールをいただいた。
大変ありがたくもあり、嬉しいことでもある。
電子メールは、電話と異なって相手が不在でも用件が伝わるし、何より早い。
通信料金はきわめて安く済む。おおむね市内料金の10円で充分だ。
手紙のようにかしこまって書くような雰囲気がないので、気軽にメールを送られる利点もある。
趣味に関するホームページを立ち上げていると、同行の方々からの励ましメールが嬉しい。
旧知の友人・知人とのメールのやりとりも楽しいものだ。

by N. T.


1997年 5月 3日(土)/「5月のジレンマ」

木々の新緑がまばゆいばかりの、風薫る5月。
暑くもなく寒くもなく、気候的には最もさわやかな季節である。
生命の営みのエネルギーが上昇傾向にあるこの時期、
知らず知らず自然からパワーを得ているような気分にさえなってしまう。
1年12ヶ月の中でいちばん好きな月(季節)は?と聞かれれば、
考えるまでもなく「5月です!」と答える。

ところが、そんな素晴らしい季節の到来が素直に喜べなくなってきた。
悲しいことに、9年前からアレルギー性鼻炎にとりつかれてしまったのである。
毎年ゴールデンウィークの声を聞くと、きっちりと目や鼻の粘膜が反応する。
そしてこの苦しい状態が6月下旬までの約1ヶ月半、継続するのだ。
ちなみに今年は、例年になく春の訪れが早かったせいか、症状が2週間早く出始めた。

ふつうアレルギー性鼻炎は2〜3月のスギ花粉によるものがポピュラーなのだが、
私の場合はイネ科の花粉に反応しているようなのだ。
悪いことに、自宅がイネ科の草が旺盛に繁茂している川土手のすぐ側にあって、
ひどい時には、くしゃみを15連発しては体力を消耗しつつ、
ダラダラと垂らした鼻水が止まらないで”鼻栓”のお世話になったり、
充血した角膜をかきむしりたいほど目がかゆくなるのである。

このいい季節を大いに楽しみたい、と思う反面、
一刻も早く過ぎ去ってほしい、という切実な思いもある。
今年こそは、症状も軽いまま、つつがなく梅雨を迎えたいものである。

by N. T.


1997年 4月21日(月)/「正夢伝説」

我が家には、以前から「正夢伝説」なる奇妙な現象が語り継がれている。
それは普段、夢に現れない、遠く離れている肉親の夢を見た時、
その夢はかなりの確率を持って現実のものとなる、というのである。
元々人間の持つ超能力がそうさせるのかどうかは定かではないが、
我が家の場合はその適用範囲が、きっちりと肉親に限定されており、
また、その正統的継承者はもっぱら母親(グランマ・ヘルメス)なのである。

古くは祖父が無くなった時に母親が見た夢から、
2人の息子が学生時代、下宿先から帰省の電話をかける1日前に、帰宅した夢を見たとか、
最近では、昨年秋相次いで2人の息子がネパールへ旅立って行った時、
私(N. T.)については、ほとんど”瀕死”の状態で帰ってきた私の夢を見たし、
(私は高所トレッキングの影響で、帰国後2週間”瀕死”の状態にあった)
弟(Hideyuki.T)については、旅の途中で「疲れた」と言って突然帰国した弟の夢を見た。
(弟は日程こそ変更しなかったが、現地でかなり疲労していたらしい)
姉の所の孫の”所行”についても、時々正夢を見ているのである。

つい先日、今度は近くに住む姉が母親の夢を見たという。
トルコへ出発直後、「自宅にパスポートを忘れた」と言って姉宅に舞い戻った母親の夢を見たらしい。
昨日は、弟が「旅はしんどいので帰ってきた」と言う母親の夢を見た。

案の定、旅先(トルコ・イスタンブール)から「緊急事態発生!」とのFAXを受け取った。
旅が始まった早々、予期せぬトラブルが発生し、困っているという。

おそるべし、我が家の「正夢伝説」である。 

by N. T.


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