ひとこと3

ひとこと1(1996/12/30-1997/04/13)  ひとこと2(1997/04/21-1998/02/11)  ひとこと3(1998/03/07-1999/01/27)


1999年01月27日(水) 「チャンピオンに殺到して」

昨日、「スポーツ館改装のため徹底底値」でご奉仕と、そごうの広告が入っていました。
私が欲しかったダウンのコート、長男が前々から欲しいと言っていた
トレーニングウエアーが格安値段で広告。

 そごう百貨店へ急ぎ駆けつけると開店30分前、
ひっそりしていたので近くの本屋さんで時間つぶしして
15分前に戻ると、驚きました。50人くらいの人だかり。
チャンピオン、トレーニングウエアー上下セットは
20セットのみ販売とありましたので「ああ、遅れをとってしまった」と、
その場で待っておればと反省しきりでした。

とにかく、10時半開店と同時に20人ずつの区切りで
2廻り目に入店を許可されました。
私は焦ることしきり、手に持った広告で
1階と3階のフロアーである事を確認しながら売場へと急ぎました。

一瞬どこ?と、目指す売場を探しました。
とある、コーナーに目の色を変えた人たちが殺到、
「チャンピオン、チャンピオン」と叫んでいるではありませんか。
私もすぐさま直行、四方八方から延びているお客さんの手の間をかいくぐって
それらしきものをゲットしました。

手元にたぐり寄せるとまさに「チャンピオン、トレーナーセット(M)」でした。
たった20着なのに3着も握りしめている人、
「あなたの持っているサイズは?」のお客さんの声もうわずって、
そこはさながら戦場のようでした。

にかく、私はインフルエンザ快復の社会復帰をこんな形で示したのでした。

by S. T.


1999年01月09日(土) 「今年の夢はヒマラヤトレッキング」

今年も早、9日目です。この頃は、時が過ぎていく早さに驚いています。
NHK衛生第2で今年1月4、5、6の3日間“ヒマラヤトレッキング紀行”
が放映されているのを長男、次男と私とで毎回視聴しました。

初日はアンナプルナ山麓、2日目はランタンのブルーポピー、
3日目はカラパタール登頂と魅力あふれる内容です。
アンナプルナは内院までのトレッキングを私も次男も体験、
あまりの懐かしさに酔いしれました。
そして、再びヒマラヤを訪ねてみたくなりました。

しかし、60歳を過ぎての1年はかなりの体力低下が心配されます。
果たして実行に移せるでしょうか。
ブルーポピーもヒマラヤにひっそりと美しい姿を見せて
その魅力に大変ひかれました。
7月と言う雨期、トレッキングはとても辛そうでした。
でも、その幻のブルーポピーを見つけることが出来た喜びは大変だったろうと
見ている方にもそれが伝わってきました。

カラパタールは長男が体力の限界、大げさですが彼にとっては
まさに死力を尽くして登った山でした。
やはり5545メートルの高山へのトレキングはかなりハードな様子でした。
しかし、映し出されるエベレストの偉容には大変魅力を感じ、
やっぱり私も行こうと決意しました。
これから、体力アップを心がけ夢の実現に向かって行きます。

by S. T.


  1998年01月09日(土) ジョウビタキ…その4 「ジョウビタキに見つめられる私」

今朝久しぶりに暖かな朝となり気がかりな生ゴミ(EM処理済み)
を我が家に隣接する畑に埋める作業をしました。
先ずスコップで畑に2〜3カ所穴を掘ります。
バケツいっぱいある生ゴミの蓋を開けると丁度漬け物のような発酵臭が漂います。
それを埋めて土をかぶせるだけです。

ふと、視界に鳥が入ってきました。
よく見るとジョウビタキが側をぴょんぴょん飛んでいるではありませんか、
1.5メートルと言う近さです。
私が見つめるとひょいと体をかわし他の止まり木に移ります。
私の方も彼をよく観察出来ました。

腹側のオレンジ色、背中は黒で頭の所に灰色の模様がくっきりと見えました。
私が何度か場所を変えるとその度に彼も止まり木を移してしばらく
私から離れることもなくこちらを見ていました。
どうやら、彼は畑で一日を過ごしているようです。
言うまでもなく我が家の車庫への訪問は今も続いています。

by S. T.


1998年12月31日(木) 「年末の風物詩・・・笛吹宅配自動車は年末を駆ける」

今日は冬型気圧配置とかで、さっきまで晴れていたのに雨がザアッとひと降り、
大急ぎで洗濯物を軒下に取り込みました。
やれやれと、一安心した途端にまた太陽は顔を出して来るのです。
ほんとう、気まぐれなお天気に翻弄されている私です。

「年末の風物詩・・・笛吹宅配自動車は年末を駆ける」
2〜3年前からでしょうか、
いつも年末になると笛吹宅配便が家の近くに出没するようになりました。
最初は、あまりに珍しいので「どこに消えるのかしら」と行方を追ったりしました。
今年もまた「ピュー、ピューピューーーー」と音をたてながら、

若者が忙しそうに笛吹自動車を走らせています。
先日も我が家に通信販売で頼んだ品物を届けてくれました。
「まあ、いい音を出して走っとってんじゃね!」と話しかけると
若者は照れ笑いしながら、ちょっと得意そうでした。
この頃は、笛吹自動車の笛の音を聞くようになると「年末なんだ」と思うようになりました。

by S. T.


1998年12月13日(日)

今年は暖冬のようです。
日中体を動かしているときはフリースのベストで十分な暖かさですから。
昨日は年末なので窓拭きをしました。
仕事を終えると、温もりがいつまでも体にたまっているようで心地よかったです。
年末に忙しくなるといやだから早めに窓拭きもしておいたのに、
もう窓は汚れが目立つようになってきました。
なんだか損をしたような気持ちになりました。
まあ、ともかく気分はすっきり「やった」と言う充実感は味わえました。

by S. T.


1998年12月09日(水) 「ジョウビタキ…その3」

ジョウビタキはバイクに乗って遊びます。

彼は、昨日も今日も午後4時半にやってきました。
先ずはじめに、彼の通路前方にある黒い車、カペラの窓枠に止まる。
それから後方の車庫の前方にあるバイクCB1000の車体に止まる。
次はその隣り、私の愛車リード90のミラーに止まる。
自転車を飛び越え、一番奥にあるオフロードのバイク、バハ250の車体へ移り、
それから再びCB1000へ。
それから母屋と倉庫のわずかな隙間をくぐりぬけ隣家へと飛び去るのです。

毎日同じ行動かどうかわからないけれど今後も観察を続けようと思います。

by S. T.


1998年11月29日(日) 「ジョウビタキ…その2」

ジョウビタキが毎日決まって我が家を大体午前9時頃訪問してくれます。
多分何回か見回りに来るのでしょう、
時々奥側のテラスにかけてある物干し竿に止まっているのを見かけます。
最近は全然鳴かなくなり気づくことが少なくなりました。

いっときは駐車場に止めてある車の窓枠に止まり糞を引っ掛けて飛び去っていました。
何故だろう?と小首をかしげる毎日でしたがようやく理由がわかりました。
ジョウビタキは非常に縄張り意識が強く
ガラス窓に映った自分の姿を自分の縄張りに進入してきた他の鳥と判断して
糞をして縄張りを主張するのだそうです。

我が家には駐車場が2カ所あります。
ジョウビタキは前方の駐車場から入り込み後方を通り、
家と倉庫に挟まれた狭い空間を通って隣りの敷地へと飛んでいきます。
こんなに身近に飛ぶ鳥を今まで見たことがありません。

「人が住んでいるところが外敵から身を守るのに都合がよく、ツバメに近い習性なんだ」
と次男が教えてくれました。
今年はジョウビタキとの出合いを大切にしたいものです。

by S. T.


1998年11月25日(水)

ちょっと古くなりましたけれど、11月18日(水)、中国新聞朝刊に私のことが掲載されました。
{「第二の人生を豊かに 」情報発信で自己実現の喜び シニア世代のインターネット}と、
くらしのページにかなり大きく取り上げてありました。 
MMさんが主催されるLCOネットの会員として新聞記者から電話でのインタビューを受けたのです。
「思いを伝えたい」と語る私の思いを記者はうまく書いてくれていました。

by S. T.


1998年11月07日(土) 「お話会−4」

今日、お話会の原稿を書き上げました。
今回、私の長女からの依頼で今月下旬、2〜3人に
「外国で、人とのコミュニケーションはどのようにしてとったの?」
について話すことになりました。
どんなことが聞きたいかテーマを決めて貰ったのです。
何度か皆さんにお話しするようになって得た収穫です。
そうしないと私は何の脈略もなくおしゃべりに終始してしまうからです。

私は再び記憶の糸をほどきながら、記憶が失せたものは旅で使った参考資料に目を通して、
また旅を再確認する事が出来ました。
そして、違ったテーマを選ぶことで初めて気づいたことにも出くわしました。

by S. T.


1998年11月04日(水) 「私の原稿はどこへ行ったの?」

おととい、以前保存していた原稿を呼び出そうとしましたがなかなか出てきません。
長男が私用に作ってくれたショートカット・アイコンを軒並みあけてみました。
あちこち、尋ねてみましたが跡形もなく消え去っていました。

念のため長男にもみてもらたのですがどこにもありませんでした。
私「あああ、また!。どこへいたの?どうしたんかね?」
長男「こっちが聞きたいよ」
恐れていたことがまた起こりました。

3年くらい前にも紀行文の大半を消してしまい、当分立ち直れませんでした。
私がパソコンに親しむようになって何年になるのでしょう?。
ため息をつくばかりでした。
パソコン歴を言えば、かなり長くなるのですが
いつまでたっても自立できない自分に嫌気がさしてきました。
本腰を入れてパソコンノートを作ろうと考えています。

by S. T.


1998年11月02日(月) 「ジョウビタキがやってきた」

 10日前であろうか、朝起きると今まで聞いたことがない鳥の鳴き声が聞こえてきました。
「なんという鳥なんだろう」と早速調べようとした私に
次男が「ジョウビタキと言う鳥が来たよ」と教えてくれました。
なんでも、初めてこの場所に来たように思います。
次男も初めてジョウビタキの鳴き声を聞いたと言っています。

 我が家の東側にかかる電線に毎日来ては止まり鳴き始めます。
よく見るとおなかがオレンジ色で頭は灰白色です。
鳴き声は甲高く私には「キィ、キィ」と聞こえます。
そして尻尾を前後に振り振り「クッ、クツ」と鳴きます。
 鳥の図鑑によると渡り鳥で、中国やシベリアから渡ってくるそうで、
縄張りを確保するため渡って来た当初のみ鳴くのだそうです。

 今朝、同じ電線に10羽ばかりのモズが止まっていました。
レースのカーテン越しに窓から覗いて見たところ1羽を残し全部逃げてしまいました。
その、感の良さにあきれ感心しました。
一方、ジョウビタキは同じようにガラス窓から見ても下から見上げても平気です。

 鳥にもいろいろあるんだなと感心しました。
それにしても、初めて飛んで来たのには理由があるのでしょうか?。
きっと、今年の気温があまりにも温暖なので間違ってここに滞在したのでしょうか?。
わかりません。

by S. T.


1998年11月02日(月) 「競走馬サイレンススズカに想う」

 私は競馬に興味があるほうではないのですが、
昨日行われた天皇杯でサイレンススズカのアクシデントに驚きました。
そして、負傷を負った競走馬の宿命を考えると、とても悲しくなりました。
気がつくと、私は昨日から何度も「可哀想」「可哀想」を連発していました。

 今日の朝日新聞に「希代の逃げ馬、府中に死す」には再び涙を禁じ得ませんでした。
かって、どんなに輝かしい足跡を残そうとも命を絶たれるのがとても不憫でならない、
私の旅友達に馬が大好きなNさんがいます。
北海道を旅しては
「馬に逢ってきたの、でも競走馬になると気が荒くなるのが悲しい」
と語っていたのを思い出しました。

by S. T.


1998年 8月30日(日)

この頃、東京の尚子さんと毎日といってよいほど「eメール交換」をしています。
社会一般、政治、文化、健康、旅行など多岐にわたる内容です。
おしゃべりを楽しんでいます。
毎日、そんなに書くことがあるかしら?と思われるでしょうが、
毎回書き始めるとあっと言う間に沢山書き込んでいます。

パソコンのいいところは、こちらの都合で読み書き出来ることでしょう。
いい道具が出来ました。
以前、アマチュア無線に熱中したこともあるのですが、
最高4時間、動くに動けず困ったことがありました。
先日、参考になる新聞を抜粋しようとしてノートに書き写していましたが、
手首がだるくなり、パソコンへ書き込む方が楽になっているのに気づきました。
手紙を例に取りますと、書いたり、消したりで書き損じて何枚もロスにしてしまうのです。
エコの面からでもパソコンはいい道具となりました。
それで「電気使用量は」と聞かれれば困りますね。

ちなみに、東京の尚子さんは「’98年ヨーロッパひとり旅」の途中、
スイスで出合った私より少しお若い女性の方です。
彼女もひとり旅をされていて海外に留学の経験もあり、
彼女は私とは対照的に英語もフランス語も出来、
ポルトガル行きを目指してポルトガル語も現在教室で勉強中です。
旅から帰って、彼女のお宅へ3日間泊まらせて頂きました。

by S. T.


1998年 8月23日(日)

 「第80回全国高校野球選手権記念大会の決勝が22日、阪神甲子園球場であり、
横浜が京都成章を3対0で破り、18年ぶり2度目の優勝を飾った。」(朝日新聞より)
今回はなぜか決勝戦まで熱心に観戦しました。
話題の松坂大輔投手のせいかもしれない。
 
しかし、よく戦った。
PL高校との準々決勝、明徳義塾との準決勝は見応えのある試合だった。

ところで、あなたはどこを応援したのですか?
「どちらも勝たせてやりたかった」と月並みな返事になりそうです。
試合中は負けている方の応援に傾いている自分を発見して可笑しくなるときもありました。
それにしても、明徳義塾が負けて寺本投手がマウンドに突っ伏し
泣き崩れる姿に共に涙しました。彼も勝たしてやりたかった。
これで暑い夏は終わりやがて新学期、みんな元気に学校へ戻って欲しいものである。

by S. T.


1998年 7月26日(日)

我が家のオーディオルームをご紹介。
玄関を入って左側の8畳の洋間がオーディオルームです。
部屋は東に小窓と南側に面して硝子の引き戸があります。
今日、いつものようにその部屋で、ミニトマトの絵を描きました。
何気なく眺めている時とは違って、葉っぱの複雑なつき方に私は翻弄されてしまい、
描くのをやめようかと思ったくらいです。
一見、大根の葉によく似ているようですがどうでしょう?。
それは、それは難しいのです。

とにかく腹をくくり、描くことに決めて取りかかりました。
しかし、根気が続きません勢い疲れがどっと出てきて小休憩となります。
そこで、音楽鑑賞となる訳です。
今日はバッハ:「無伴奏チェロ組曲第1番〜プレリュード」、
「主よ、人の望みよ」、「G線上のアリア」、ヘンデル:ラルゴ、
モーツアルト:ピアノ協奏曲第23番〜第2楽章アダージョ、
パッヘルベル:カノンなどを聞きながら至福のひとときを過ごすわけです。

そもそも、我が家にオーディオルームが出現したのは約18年前です。
長女が音大を出て少々経済的に楽になったので当時100万円余りかけて
スピーカー、アンプ、レコードプレイヤー、カセットデッキなどを買い揃えました。
その後、CDプレイーヤーも出現、更にダットなるものも追加しました。
ところが先日CDプレイヤーが壊れ、仕方なくデンオンのを12万円余りで購入しました。
もともと、耳のいい電気屋さんが推薦してくれたオーディでしたので
満足がいく音を聴いています。
狭い部屋ですが、縦型ピアノもあり、ちょっとした音楽室です。

by S. T.


1998年 7月11日(土)

広島は梅雨です。今日久しぶりに雨が降りました。
隣の山口県はとっくに梅雨明けしましたが広島はまだ梅雨でした。
あまりの晴天続きに、テレビ、ラジオで気象協会の方が梅雨明けしない理由を
必死になって「弁解?」していましたけれど、
この雨で面目が保たれたのではないでしょうか。
 
6月30日に運転免許証の更新に行って来ました。
優良運転者と言うことで5年間有効ゴールドライン入りのものです。
まもなく65歳になろうとしています。
1昨年北海道をツーリングして以来、バイクには殆ど乗っていませんでした。
従って交通事故も起こしません、それで優良運転者と言われても面映ゆいばかりです。
「危ないけん乗らん方がええよ」と長男の言に従って最近バイクから遠ざかっています。
でも、「乗るな」と言われてみると乗ってみたいし、複雑な気持ちです。

by S. T.


1998年 6月21日(日)/「初生りキュウリ」

1昨日キュウリの初生りを収穫しました。
今日見るともう4本くらい、かなりの大きさのが成っていました。
そして今、25センチのキュウリを収穫しました。
新鮮に超が付くほどの代物です。
色は緑濃く太さは3センチはありそうです。
そしてイガはまるで針のように尖りとても手に持って洗うことが出来ません。
仕方なく束子で洗うことにしました。
初生りのものも同じようでした。
実は引き締まり、少し塩をふりかけただけで美味しく頂きました。

我が家に隣接した畑はYさんの所有の土地です。
長年放置された農地でMさんが家庭菜園づくりを始めました。
私も刺激され慣れない野菜作りを始めました。
わからないことばかりで、いろいろ学びました。
今年は品質のよいキュウリとトマトの苗を求めて植えてみました。
3年前から毎日家庭から出た生ゴミでEMボカシを使って堆肥をつくり畑に埋め込んでいます。
こうしてキュウリは勢いもよく立派に育ちました。
ちなみにキュウリの葉は横35センチ縦30センチもあります。
近所のMさんが「まるでイチジクの葉みたいですね」とあきれくらいです。
これから毎日新鮮なキュウリが食べられるのが楽しみです。
太陽と大地の恵に感謝します。

by S. T.


1998年 6月 8日(月)

 昨日、「古川の川づくり」に参加してきました。
古川ってなんですか?と言われそうですが、古川は高瀬堰下流で分かれ
祇園地区で再び合流する太田川水系1級河川です。流長7.2キロあります。
「その古川を自然を生かした緑道つくり」が広島市で計画されています。

「古川に関心を持ってもらい、環境整備に意見を出してもらって 基本計画の案を取りまとめていきたい 」
と言うのが広島市の公園計画課のねらいのようでした。
古川一帯の清掃作業と自然観察が実施されました。
県内4つ自然生物環境学会が主催しました。

参加してみて、ゴミの散乱にひどく腹が立ちました。
車で乗り付けては弁当殻を投げ捨てていたのがゴミの大半でした。
川の汚染はひどく本流の5倍だと聞かされました。

収集したゴミは次の通りでした。
缶類・・・68袋。
ビン類・・・22袋。
燃えるゴミ・・・65袋。
燃えないゴミ・・・91袋。
大型プラスチック類・・・4箇。
大型金属類・・・14箇。
バイク・・・4台。
自転車・・・3台。
消火器・・・1箇。
おまる・・・1箇。

本当に憂えるゴミの山でした。
自然生物環境学会の方が次のように話しておられました。
「水の量は恐竜が飲んでいた時も今も地球全体としては、総量は変わっていないのです。
と言うことは我々の汚した水が循環して再び口に入ってくることですよ」と。

それにしても地区の人たちの関心が低いのにはガッカリでした。
もう少し、私たちは行政の計画などに関心をもって、
市民の声を計画に反映してもらえるよう努力すべきではないでしょうか?。
私はそのような感じをもちました。

by S. T.


1998年 5月28日(木)

昨日、広島県と島根県にまたがる「大万木山(1218m)」に登ってきました。
期待した通りの素晴らしい山でした。
中国山地深くにまたがる緑濃い、美しい山並みを眺め23名の参加者は大変満足していました。
渓谷沿いに登りました。
さわやかな新緑の木洩れ日の中を静かな滝の流れの音に耳をすませながら、
ゆっくりと登りました。
ボタニカル・アートのM先生に植物の名前を教わりながら2時間ばかりかかりました。

頂上では、顔なじみの人同士、新しく知り合った人たちが
思い思いに輪になってお弁当を広げ、おしゃべりをしながら楽しく過ごしました。
大万木山の頂上を中心にブナの原生林がひろがっていました。
大きなブナの木を見上げると新緑が目にまぶしく、
とてもさわやかな緑のシャワーを私たちに投げかけてくれました。
また渓谷沿いには豊富な山野草が茂りたくさんのクサと知り合えました。
ほんのりと明かりが差し込む渓谷、あたりは、新しい緑でいっぱいに満たされ、
湾曲した川の流れの風景はまさに日本庭園。
みんな、足を止め「美しい」と感嘆の声をあげていました。
車で高速道を走り、2時間半ばかり往復にかかりましたが楽しい一日でした。
最初、疲れを心配しましたけれど、帰宅後も疲れを全くなく感じなくて、
日頃体操教室でストレッチをやっているお陰だと思いました。

by S. T.


1998年 5月16日(土)

2〜3日前土手を自転車で走っていると見慣れない、
一見月見草かと思えるような黄色い草花が群生していました。
早速自宅に持ち帰りスケッチし始めました。
ボタニカル・アートの先生に見て頂こうと言う計算です。
先生はどんな花の名前でもよくご存知だから
気になる花はこのようにして絵に描いては教えを乞うていました。

どんな花でもそうですが、描き始めると仕組みが複雑で、
音をあげたくなるくらい表現が難しいのです。
何時間も根気も続かないので日にちがかかり、蕾だった花が咲き始めたり、
満開だった花がしぼんだりします。
そこで、新たに採取して描くわけですが同じ草花でも、
前のと全く葉のつき方花のつく位置が違ったりで悩まされてしまいします。
今日もそのことを発見してびっくりしました。
しかし次男にそのことを話すと
「違うのが当然、クローンじゃあるまいし、そんなことを知らんかった?」
と随分笑われてしまいました。
「まあ、そのことに気づいたことだけでもええじゃ」と付け加えてくれました。
本当にこの頃は、「負うた子に教えられ」の連続です。

by S. T.


1998年 5月15日(金)

とぎれとぎれになっていたウオーキングをまた毎日行うことにしました。
昨日「H市民講座の会」から「山に登りませんか」という案内をもらって
参加することにしたからです。私は最初、参加を迷っていました。
帰国後だらだらと過ごしていたので、体力があるかどうか心配でした。
でも、夢にまで見た“「我が祖国」(大げさでしょうか?)
の山々に映える美しい新緑を見なくてどうする?”、と勇気を出して参加することにしたのです。
そして「太極拳とストレッチ教室」のHさん(九州出身)とTさん(四国出身)が
近くのマンションに住んでいるので誘ってみました。

ウォーキングの途中なのに誘われるままにHさん宅で2時間もお邪魔してしまいました。
「鹿児島の山の土の中に生えていた土栗なのよ」と、Hさんは調理して食卓に出してくれました。
洗う前は里芋そっくりで大きさは1〜2センチ大、まん丸で洗うと表面は茶色っぽい、
手触りはキノコらしくぬるっとして半分に切ると中は真っ白という本当に珍しい代物でした。
歯ごたえがあってマッシュルームよりちょっとサッパリした味でした。
鹿児島で採れたサツマイモも蒸して頂きました。
さらにTさんからもらった「つわぶき」を湯がいてもらい、
Tさんからもさやいり空豆まで頂いて帰りました。

私は、新しく出来た友人から故郷の香りをいっぱい詰め込んだ山菜と野菜を両手に持ち、
幸せいっぱいな気持ちに浸りました。
そして、同じ日本でも本当に違った文化があるものだと感心しました。

by S. T.


1998年 5月 8日(金)

久しぶりにパソコンに向かいました。外は大雨です。
さっきから雨音が室内までも聞こえてきます。
私は雨降りはなんだか気が晴れません。誰でも同じでしょうか?
なんとなく気が滅入り活力が出てこないのです。
今日は絵を描くのに気持ちが入らないのでパソコンで気分転換を計ることにしました。

このところ、次々とボタニカル・アートに熱中して花を描いています。
ところで1年振りに再開した教室ですが
当初描きたいのに描けないというジレンマをたっぷり味わい悩んでいました。
息子から「教室が終わったら直ぐ次作に取りかかったらいいよ、余裕をもって描くと気分がいいから」
と言ってくれたのでそうしてみました。

本当にそうでした。
余裕があるのでゆっくり絵に向き合えるし、時間をかけて何回も絵筆を握り気持ちよく描くことができました。
そうすることで出来映えもまあまあと自画自賛ですけれど気に入ったものが出来上がります。
すると、また次ぎを描こうと毎日のように画用紙に向かっていました。
 
もうひとつ大切なものを発見しました。
絵を描くことは草花探しをすることです。
身近な我が家の庭や畑に咲いている草花。
散歩をしながらも思わず目が草花に止まります。
ほんの短期間なのに草たちは次々と入れ替わってきました。

私が今年発見した草花たちです。
トウバナ、コメツブツメグサ、ニワゼキショウ、キショウブ、ヒメフウロです。
私が住む太田川には上流から種が運ばれて、さまざまな花が岸辺に咲くようになりました。
3月には菜の花が川べりを黄色く埋め尽くしていました。
今では種がいっぱい詰まっています。
それから、カラスノエンドウやホソバカラスノエンドウが全盛を誇り、
次はギシギシやスイバが目立つようになりました。
野いばらが白い花をつけていい香りをあたりに漂わせているかと思うと、
同時にイネ科の植物が穂をつけて花盛りとなりました。

今、シロツメクサ、ムラサキツメクサ、コメツブツメクサ、ニワゼキショウの赤と白、
ムラサキサギゴゲで河川敷を彩っています。小さな花たちです、とても可愛いです。
今まで見えなかった花を、絵を描くことで発見出来たこと、
そして再び花たちの仕組みに驚嘆しています。
と長くなりましたけれど、ボタニカル・アートを再開してよかったと喜んでいます。

by S. T.


1998年 4月28日(火)

週末に3日間、県北の山村に滞在する機会があった。
初日、2日目と雨模様であったが、最終日は汗ばむほどの陽気に恵まれた。
広島市内よりも10日ほど遅い桜も散り、谷間から望む山々は新緑につつまれていた。
緑色がこんなにもたくさんあり、美しいものなのだと心底思った。
特に、芽吹き直後のコナラ?の新葉は白色が強く、印象的であった。
自然の造形は本当に美しい。

by Naoyuki.T


1998年 4月12日(月)

今日は大雨でした。
昨日、我が家の小さな庭と隣地の2坪余りの畑の草取りを1日がかりでやりました。
サッパリとしました。

 とこで、冬が樹木の選定によいというので、
玄関脇のライラックの木が大きくなり過ぎたのでバシバシと枝を切り払いました。
ところがタンクに灯油を注ぎに来る人が畑に植えた花を踏むので、
その切れ端の枝を花の側にさしておきました。

春になり、息子が「ライラックを挿し木にしたの」と聞くので
「どうして?」と怪訝そうに聞き返すと、
「芽が出ているよ」と息子が言いました。

すると、ライラック木の花芽が膨らんできました。
ふと、さした木にも目をやると、ふっくらとライラックの花の房がついていたのです。

「まあ、ひどいことをしたのに!健気にも花まで咲かせて」と、
ライラックに謝りたい気持ちになりました。
それにしても、自然の生命力の力強さをみせつけられて驚きました。

by S. T.


1998年 4月 7日(火) 「ボタニカル・アート」

今日、ボタニカル・アート長束教室へ行って来ました。丁度1年振りの復帰です。
懐かしい顔がほころぶ。「お久しぶりね、お元気?」とお互いにあいさつを交わしました。
じっと見つめる草花がなかなか思うように描けず劣等感の塊となって教室に出かけました。
先生に手直しして頂く、私の描いた花がだんだんそれらしく仕上がっていきました。
先生にあれこれご注意をしてもらって、なんとなく分かったような気がして続けてみようかな思いました。
いつも「陰影を表現しなさい」と言われつつも巧く表現できません。
そこで、ヨーロッパの美術館でどれほどの絵画を見てきたでしょう!
陰影の表現に優れた画家の絵を間近に見てきたというのに、なんら私の表現に「変化なし」でした。
今日も同じことを注意されました。
「感動を表現する」という気持ちが大切だ。
「人の絵と比較するのではないんです」と、たしなめられました。

うれしかったこと
ボタニカル・アート教室の壁にふと目を向けると私の写真が見えました。
一瞬「なんだろう?」と考えて、「そうだ、帰国挨拶状を教室あてに出したんだ」と気づきました。
そして外国から教室の皆さんに出した絵はがきが6枚くらいそのしたに張ってあり、
その上朝日新聞声欄に載った私の記事まで切り抜いて張ってあるのに驚きました。
私のことをこんなに大切に思っていてくれたんだと大変うれしくなりました。
こんな仲間がいてくれたことへの感謝の気持ちが私に幸せにしてくれました。

by S. T.


1998年 4月 5日(日)

昨日、島根県の木次町へ桜を見に行ってきました。
雲一つない素晴らしいお天気でした。
広島から高速バスで2時間40分で木次に到着。
前日お知らせしておいたKご夫妻が自家用車でバス停までお迎えして下さいました。

国造り神話の里、島根県ならではの名所旧跡を案内して頂きました。
お昼は大変なご馳走攻めにあい、一昨年北海道行き以来の四方山話に花が咲き
気がつくともう帰りのバスの時刻が迫っていました。
桜の花は駆け足で見て通り帰路につきました。
それでも、あんなに見事に咲いた桜の花を見たことがありません。
一枝毎にびっしりと密集して花がついているのです。
見事な咲きっぷりにただただ感嘆するばかりでした。

奥さんは気の毒がられて「桜は毎年咲きますから、
またいらして下さい」とおっしゃって下さいました。
Kさんのご自宅は立派なお庭があり、日本家屋の見本のようなお宅で
私が夢に描いた「美しい日本」をたっぷり味あうことが出来た1日でした。

by S. T.


1998年 3月26日(木)

早いもので、今年も桜の咲く季節になった。
冬の間も記録的な暖冬で、雪が舞ったのも例年に比べると極端に少ない。
おかげで河川敷に生えているヤナギの芽吹きもずいぶんと早く始まった。
桜の木も日増しに明るくなってきた。
ついでに街路樹のツツジも咲き始めていた。
これも異常気象と言えるのだろうか?

by Naoyuki.T


1998年 3月 7日(土)

今日は朝から風が強く吹いています。
お陰で10年来の花粉症で目もかゆくクシャミも止まりません。

私が花粉症と分かったのは昨年のことです。まさか私が?
比較的若い人に症状が出ているので違うと思っていました。
でも2月に入ると目頭が異様にかゆくなるのです。
でもクシャミもなく症状が軽いのでそう思わなかったのでした。
でも、思い起こせば10年前まだ仕事をしていた頃からそうだったことに気づきました。
私の花粉症は非常に軽いものです。これくらいなら我慢できます。

昨日、図書館に行って調べてきたことがあります。
先日、テレビで「皆既日食が南米で観測された」と報道されていたことで思い出すことあったからです。

私が小学2年生の時、父が小さなガラス片をローソクであぶり黒くして
日蝕を見せてくれたことを鮮明に思い出しました。
どうやら、夏のようでした。
太陽は上空のように記憶しているのに、どれくらい欠けたのか覚えていませんでした。
「日蝕は当分見られないんだ、よく見とけよ」と言ってくれたのも昨日のように思い出しました。

このことを息子に話したところ
「皆既日食?」
「もしかして、皆既日食だったかもしれんよ」とあやふやな私の回答に
「一番肝心なことを覚えていないとはね」と言われてしまいました。
そこで、図書館に行って調べたことは次の通りでした。

【1941年(昭和16年)9月21日の皆既日食】
この皆既日食は12h0m.2JSTに42°44′Nの黒海とカスピ海の中間から始まり、
カスピ海北部を横切り、シベリア大陸と中国大陸を東南東に進み、
13h17m.8JSTに113°52′E,30°18′Nで子午線中心食、
その後太平洋上に出て13h42m.8JSTに台湾の基隆、
13h49m.5JSTに日本の石垣島で継続時間が3分の皆既日食となり小笠原諸島付近を経て
15h7m.2に176°39′E,9°58′Nの太平洋上で終わった。
日本国内でも日本標準時間で12h30m から15h0mごろにかけて
食分が0.4から0.75ほどの部分食が全国各地で見られた。
・・・日本アマチュア天文史編纂 恒星社厚生閣発行より抜粋。

このように観測が記録されたのが明治からのようです。
私が生まれてから現在まで世界で何回か皆既日食はありました。
1936年(昭和11年)6月19日の皆既日食は北海道の稚内と網走と根室を通過した。
1943年(昭和18年)2月5日の皆既日食は中国大陸牡丹江から始まり
ソ連邦を経て日本海に出て北海道に上陸札幌、旭川、釧路、厚岸を経て太平洋上に出た。
昭和23年5月9日金環日食はインド洋に始まりバンコク、
上海朝鮮半島を横切り、日本海に出て北海道の北西端礼文島を通過した。
1955年(昭和30年)6月20日皆既日蝕は20世紀に3回おこる
皆既日食継続時間7分8秒で最大を記録した。

1回目は1937年6月8日南太平洋上で7分4秒
2回目は1973年6月30日アフリカで7分3秒
3回目は1991年7月11日メキシコで6分40秒を記録した。
1963年(昭和38年)7月21日皆既日食は北海道中央部大雪山付近から始まり、
網走、知床半島の北東端方面に抜けて通過して日本の領土千島列島に沿って北東に進み、
カムチャッカ半島の南島海上からベーリング海へ、20世紀最後日本国土に皆既日食がかかる最後の日食であった。

いずれにしても、私が記憶して初めて見た日食がどうやら皆既日食ではなかったことです。
しかし、昔父親と見た非日常の体験を思い出したことは自分が老境に入った印なのだろうか?。
この頃、やたらと昔の懐かしい想い出が蘇るようになってきました。
息子たちに「新しい記憶が入らなくなった替わりに古い記憶が蘇るんじゃね」と冷やかされました。
この記録からすると、北海道ではかなり皆既日食が観測されたようです。
しかし、その当時みんな貧しかった時代、皆既日食がどうのこうの言って観測に行くことは出来なかったでしょう。
せいぜい、自分のいる場所で見るにとどまったと思います。

父は、私に、こんなにいろんな現象をみるチャンスを与えてくれたのに一向に興味を発展させずに終わりました。
しかし、我が息子たちは何故か小さい頃から気象に興味を持ち専門に進んでもいいと思うくらいでした。
ですから、「今日は雨が降る?」「布団干してもいい?」などと聞いています。
お天気に詳しいです。本当です。

by S. T.


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