Travelling Music
 曲が増えてきて、何となくインドをテーマにする方向性が見えてきたところで、考えたタイトルが『Calcutta I Care』。コルカタではなくて、カルカッタです。私が故郷を感じられる街だし、いつか街全体がコルカタになったとしても、記憶の中のカルカッタにこだわりたいと思っていますし……。仮のジャケットデザインも決まっていました。

かなり気に入っていた幻のジャケット 

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 しかし、カルカッタのバスはオンボロであっても、所詮市内バス。デカンバスとは違います。ガンジス・ムーンは絶対に外せないし、フグリー・ムーンとウソを言い張るだけのメリットもないし、それ以上に語感が悪いし。同じく川辺の少女じゃミもフタもないし。というわけで、この素敵なタイトルは断腸の思いで却下!

 さて、それからが七転八倒。出ない、どうしてもタイトルが浮かばないのであります。

 デンスケ担いでナマロクやっていると(ほとんど死語)マリー・シェーファーのSound Scapeを意識します。と言うか、立体サラウンドで楽しんでいるのはSound Scapeそのものです。音楽によってインドを描くのだから「これはMusic Scapeだな」と思ったのですが、残念ながら既に使われている言葉でした。(いい造語だと思ったんだけど)
 でも、「言葉の概念としてはオラの使い方が圧倒的に正しいのだ!」というわけでサブタイトルに残しました。

 どういう経緯で決まったのか忘れてしまうほど、最後はスポンと決まりました。タイトルの『Travelling Music』は我ながらぴったり。実にすんなりと収まったという感じです。
 なお、TravellingはTravelingのスペル間違いではありません。「スペルマ違い」(ドヒャ!)と誤変換するIMは赤いアンダーラインでミスを指摘していますけど……。インドで使われているのは(かなり独自性が強いとはいえ)かつて植民地支配した英国の影響が強い英語です。

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【BGS----Back Ground Sound】
*各楽曲に納められた「生音」はすべて現地で録音したものです。
 インドは音の宝庫です。それぞれが自分のスタイルを持つ物売り、町中に響く動物の声、静謐と熱狂の両端に広がる寺院の音、歌うような雑踏、放浪の楽士、祈りの声、闇の中からのちょっとアブナイ誘い……。旅をしながら集めた「生きた音」を全曲に入れました。

 最初の旅で、インドの感覚刺激すべてに圧倒されました。色彩は言うに及ばず、正にインドらしさである匂い、手づかみで食する触感、地方ごとに色分けされたかのような味覚、そして音。
 五感の愉悦をコレクションしたいと思い、帰国後にカセットの録音機を購入しました。
 初代のWM−D6は登場の翌年に購入し、国外に出ることなくトラックに踏まれて成仏。北インドで活躍した2代目は一度ヘッド交換をしたものの完全に減価償却してジャンク。南インドで活躍した現在の3代目ですが、購入した年に生産完了してしまいました。
 奇しくもWM−D6という製品の誕生から終焉まで、四半世紀に渡って使い込んだということになります。

 使用したマイクは3種類。一般的なステレオマイクと、隠し録り用の超小型マイクです。マイクを仕込んだ自称「スパイベスト」はオリジナル・アイデアの自作品で、これがなければ生々しいサダルストリートの録音は無理だったでしょう。
 厳密には録音機材と呼べませんが、一部はビデオカメラの音声を使っています。

*東京の騒音、インドの騒音
 インドを小馬鹿にする人は「汚い・うるさい・臭い」と言いますが……、本当です。
 しかし、不快ではありません。少なくとも私にとっては。
 いや、異常な国・日本と比較すれば「表面上はそうでしょう」と答えておきますか。抗菌だ何だと異常潔癖性(潔癖症のほうが正しいかも?)になるのは、目に見えない部分が汚いとわかっているからではありませんか。ハウス栽培のせいか、日本では果物も野菜も香りに乏しいですね。
 ついでに言えば、長旅から帰ると(しばらくの間)日本は醤油の匂いに満ちているとわかります。
 これが「臭い」の正体。小馬鹿にする人は慣れる前に帰国しちゃっているんです。多分。
 旅を続けていれば、インドだって匂いがマスキングされ……ないなぁ。そのぐらい強烈だから好きなんだけど、ま、嫌いな人には「お気の毒に」と言っておきましょう。

 さて、本題。音に関してもマスキング作用が働いているようです。
 録音機材を揃えたら、まず練習。夏の雷、山梨のセミの音、小鳥の声、雪道を歩く音、その他いろいろ録音しまくりました。前述のスパイベストも新宿の街でテストしたのですが……。

 スピーカから再生された音は実際と違っていました。おそらく音を聞くという行為の中で、私たちは無意識に視覚情報によって不快な音にフィルターをかけているようです。その意味ではスピーカから再生される音こそ「生音」と呼べるかもしれません。
 むき出しにされた東京の騒音は、動悸が速くなるほどの「危険な音」に満ちていました。快不快のレベルをはるかに超えて、身体の生理機能に影響を与えるほどの刺激です。特に目の前をクルマが横切る時の音の表情は凶悪とも呼べるもので、聞き続けることが不可能でした。

 音量という点では、確かにインドの方がうるさいでしょう。クルマのクラクションも、いかにも「鳴らすためについているから、鳴らすんだい」という感じで酷使されています。ただ、東京とは比較にならない騒音に満ちた大通りも「うるさい」だけなのです。極端に言えば、身体すれすれで走り抜けて行くスクーターの音すら、新宿のタクシーほどの危険を感じさせないのです。それが単純に音の「質」によるものなのか、たとえばアクセルの踏み込みに運転手の意識が投影されているからなのか、理由はまだわかりません。
 大雑把にインドの騒音は人々の素直な感情とダイレクトにつながっていると考えたくなります。それは隠された狂気よりも健康じゃないかと。

 ただ、騒音すら人間臭いのがインドらしさと思う反面、膨張する近代の音に隠されないかと一抹の危惧も抱いています。

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【曲の構成】
 聖俗、貧富、緩急、新旧、およそ考えられる対立概念がダイナミックに共存している。
 インドはどんな国、と問われた時の私の答えです。喜怒哀楽、感情の幅を思い切り広げてくれる世界とも言えるでしょう。その時、私の口元にはいささかの苦笑が含まれているはずですが……。

 インドの旅は、なかなか一つの感情に落ち着かせてくれません。喜怒哀楽。うまく言ったもので、世界が祝福してくれていると勘違いするほどの喜びの後にドタマにくるアホが現れたり、激しい落ち込みの最中にささやかな、しかし涙が出そうになる優しさに触れたり。それらは不意打ちとも言える発現で、否応無しにスイッチを切り替えざるをえません。インドと言うより、それが私のインドの旅だったのかもしれません。

 曲の構成もインドらしくしました。お祭り騒ぎの後にガンジスの静かな輝きがあり、翌朝には余韻に浸る間もなくオンボロバスで体力勝負。海辺で少女と感情の触れ合いをした後には、猥雑さの十字砲火。ほんま、タフでないとインドは旅できまへん。

 インドの旅についてこんな文章を書いたことがあります。
「思い入れもなく、白紙の状態で飛び込んだ旅人の目に、インドはカメレオンのように姿を変えていく。最初の3日はわけがわからないうちに、3週間は喜怒哀楽に満ちた驚きのうちに、3ヶ月は絶え間ない出会いの喜びのうちにすぎていく。ところが、そんな旅の途上で、何かのきっかけでひとつの価値観が逆転してしまうことがある。価値・常識の逆転はドミノ現象を起こし、自分が鏡の中にいるのか、外にいるのかわからなくなってしまう。そして、いつか小石を投げ入れた波紋が静まるように混乱が収まると、自分だけのインドが見えてくる。」
 曲の構成、曲順などを考えているうちに、無意識に最初の旅をなぞっていたようです。

 一方で、全体の大きな流れとしてカルカッタの祭り、ドゥルガ・プージャにバラナシから列車でやってくるというストーリーもあります。と言うか、その構成の名残があります。『プージャ・エクスプレス』の前に『ガンジス・ムーン』を持ってくるとインパクトが弱く、座りも悪くなり、さらにデカンバスの行き場がなくなるので、現在の構成に落ち着きましたが……
 とは言うものの、好きな順番で聴いてください。

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【例によって音楽の作り方】
 今回もBand in a Boxの自動作曲機能で音楽の素材を生成し、最初の骨組みを作りました。
 MIDIデータで吐き出した後にDAW(digital audio workstation)ソフト上で切ったり貼ったり。手法としてはコラージュです。Photoshop上で写真などの素材を合成する作業に似ています。
 素材の色や大きさを変えたり、重ね合わせを調整したり、ノイズを減らしたり増やしたり。CGの場合、1ドット単位でノイズの修正をすることがありますが、音も全く同じ。1サンプリング単位での作業もありました。
 なおDAWソフトをCubaseからLogicに変更した理由は別項を参照ください。

 オリジナリティを否定する方が「エルンストは嫌いだ」と言われるのなら、反論しません。一応、作曲という言葉は口にしていません。本人は編曲の延長線上の『デザイン』と称しています。

 基本はあくまでも「自分のための音楽」。今の音楽が好きならわざわざ作る必要はありません。
 これは一貫したスタンスですが、最近お気に入りの音楽には多少の影響を受けたことは否めません。アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、ガトー・バルビエリ、サンタナ……それぞれジャンルは違っても共通しているのはラテン。

 音楽のアイデアだけは自分でも感心するほど出てきます。今回も試したかったけれど割愛したものがたくさんあります。ただし、BGSを入れるアイデアは半数以上の曲が完成してからで、元々は『夜の子供たち』だけで使用するつもりでした。全体の中で異色の作品にするつもりだったのですが、「自分のアイデア、自分でいただき」という感じで背景音を積極的に使うことにしました。後半になると曲を作っては、その感じから背景音を決めと完全平行作業になり、最終的には全曲に入れました。

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【アートワーク】
・インドの最南端、カニャクマリ行きのバスです。フロントに書かれているように「急行」バスですから、窓ガラスもスピードメーターもちゃんとあります。これをデカンバスと思わないように。途中のドライブインでの撮影です。

・オリッサ州を走る列車で、そろそろプーリーに到着する頃です。

・別に犯罪現場でも、行き倒れの人がいるわけでもありません。(と誤解した人がいたもので……)
カルカッタのハウラー駅です。時刻は21時12分。そろそろプーリーへ向かう列車が出る頃です。日本でもそうでしょうが、席に座って走り出せば落ち着けるのですが、この駅で一人待っている時間は「孤独」と同義語の「旅」を強く感じます。

・インド各地のチケットを集めてみました。小さな縦長のものはバスのチケットで、基本的なデザインは同じでも地方によって微妙に異なります。アラビア数字ならいいんですけど、ムンバイを走るバスは外の数字表記もマラティ文字(左下)。停車時間が短いので、確認しているうちに乗れなかったことがあります。

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【リファレンス】
 今回痛感したのは、再生機器によって聞こえ方がまるで違うということです。
 それぞれで聞こえ方が違うと、何を基準にしてサウンドバランスなどを調整すべきかわからなくなってきます。たとえばiPodに付属しているイヤフォンを使うとギターの音がかなり前に出てきます。CDプレーヤもレガートリニアコンバージョン回路の入ったPD-T06と一般的なソニーのDVDプレーヤによるCD再生では聞こえ方が全然違います。
(さらにアンプに使う真空管も組み合わせによって音が変わります)
 趣味のオーディオならこれらは一喜に値しますが、音決めでは一憂でしかありません。本当に驚くほど聴こえ方が違うのです。

 制作中は自分なりにベストと思われる機材を使っています。しかし、最終的なサウンド調整ではどのような再生機器を使ってもそれなりに聴こえるように配慮しました。試聴には大小2種類のオーディオスピーカ、パソコンモニターの貧弱スピーカ、さらにパイオニア製のお風呂スピーカを用いました。またヘッドフォンも数種類用意して、アンプダイレクトとiPodでチェックしています。

 とにかく踏ん切りをつけなければいけないので、最終的にはPD-T06で再生した音をヤマハのDSP-A3090のプリ部を通し、真空管パワーアンプTU-870改でビクターのSX-3IIIをドライブした音をリファレンスとしました。と言っても、改造した自作キットと遥か昔に生産を完了したオーディオ機器ばかりですから、参考にならないと思いますが……。市販の(普及品ではない)音の柔らかいミニコンポに相当する……かなぁ。

 リファレンスという点ではヘッドフォンを挙げた方が良いかもしれません。制作中のチェックはオーディオテクニカATH-AD1000ですが、最も多く聴いたのはiPod+フィリップスSHE-9501/9500の組み合わせです。カナル型はイヤープラグが自分の耳にどれだけフィットするかで音が変わってしまいますが、適合した時のこの普及機の音はリファレンスに使えるレベルにあります。最近では2000円以下で手に入るそうですから、無理な選択でもないでしょう。
 ただし、これはCDダイレクトの場合です。高圧縮のMP3ファイルを携帯音楽機器で聴いても、細部の再現は保証できません。と言うか、無理。MDに録音しても無理。転送の場合はあくまでも無圧縮で。