"らくがき帖"へ 
”カイロプラクティック・アーカイブス”へ

ヒポクラテス集典:「箴言」

2013年11月


「aphorism=箴言・格言」というのは、「物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句」というほどの意味である。これに掲載されているのは、ヒポクラテスのさまざまな著作から抜粋されたエッセンスである。

ここでちょっと余談を。
底本とした英訳文は明治維新以前になされているので、現在では意味がすたれている単語が散見される。一例を挙げると「crude」という形容詞。通常の意味は「粗野な、粗雑な、未加工の」という意味であるが、これらの用語を用いると、どうにも意味不明となる文章がある。ネットの辞書(ランダムハウス)その他を調べてみても、めぼしい訳語に遭遇しない。

ふと思いついて本棚に長年眠っている研究社の「新日本英和大辞典」で調べてみると、「((廃))未消化の」という訳が掲載されていた。これでしたね。((廃))というのは、「現在では使用されていない」という意味。
さすがは研究社、これ以外にも似たような例が数件あった。しかしこの辞書、3Kgくらいの重さなので、頻繁に調べるには、年寄りにはこたえます。

余談その二
2500年前の古代ギリシャの時代から、欧米人の思考法の中には、数値にこだわるところと、比較級にこだわるところがあるようだ。
英語を習い始めの頃、「英語(欧米語)というのは、えらく単数・複数にこだわり、他と比べる言い方にうるさいな」という印象を持ったものだが、この傾向は古代ギリシャの時代から連綿としてヨーロッパ人に受け継がれてきているようだ。

しかし、これを正直に邦文に移し替えると、数を指定したり、比較する言い回しが眼(耳?)について、煩わしいこと、この上ない。さり気なくこれを邦文に紛れ込ませるのが、翻訳者の腕の見せ所のひとつといえるだろうか。


最後に、第一章第1節の口語訳を挙げておきます。英訳文は短いので、ついでに掲載しておきます。

Life is short, and Art long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants, and externals cooperate.(Francis Adams訳)

江戸落語調:
人生短けぇっていうのにさ、技の道ってのはぁ遠いもんだねえ。はるか彼方だね、こりぁ。「日暮れて道遠し」、「少年老い易く學成り難し」っていうやつだね。それにさ、せっかくいいチャンスだってぇのに、あっという間にどっか行っちまいやがるしさ、やることなすことしくじってばっかり。もうどうしたらいいのか、さっぱり分かんなくなっちまったい。

だいたい医者っていったってね、自分一人だけ腕がよくったって、なあんにもならないんでね、患者さんとかお手伝いさんとか、周りのみんなと協力しなくちゃ治るものも治りゃしねえぜ。

次に上方落語調(笑福亭鶴瓶、明石家さんまなどの口調を想像してお読み下さい):

人の命いうても短いもんやのに、技の道いうたら、なんとまあ遠いことだすなあ。いつになったらたどり着けるんやろか?こらえらいこっちゃ。せやのに、せっかくええチャンスやと思うても、あっという間にどっか行ってしまいよるし、何やってもしくじってばっかりや。もうわて、どないしたらええのか、さっぱり分からんようになってしまいましたがな。

だいたいお医者さんいうてもやね、自分一人だけ診立てがようても、なあんにもならしまへんで。患者さんとかお手伝いさんとか、周りのみんなと力合わせんと、治るもんも治らへんのと違いますやろか? 知らんけど・・・。

蛇足:
上記冒頭の文章は、Adams訳では、「Life is short, and Art long」、Jones訳では「Life is short, the Art long」となっているが、ラテン語訳では「ars longa, vita brevis」となっていて、ラテン語訳がなぜか語順が逆転している。

このフレーズはヒポクラテス集典の中でもけっこう有名であるらしく、「人の命は短いが、芸術作品は後々の世まで長く生きながらえて、鑑賞される」というような解釈がされていた時期もあったようだ。しかし、医術を話題にしている中で、「芸術作品」を持ち出すのは、いかにも唐突である。よって、「art」の訳語としては「技術」を用いる方が適切だろう。


ヒポクラテス集典:「訓戒・心得」

2013年11月

原題の「precepts」は「教訓、戒め、金言」という意味だが、内容は「医師の心得」の ようなことであるので、先訳の例にならって「心得」という題名も併記した。

この中で注目は第13節における他の学派に対する批判ないしは反論である。 2500年前の当時は、ヒポクラテスの一派以外にも、派手な衣装に身を包み、 これ見よがしのはったりや神頼み、加持祈祷などをこととする医療一派が まかり通っていたことが、文面から推察できる。

一方でヒポクラテスの一派(コス派)は、第1節の内容、 その他の著作からわかるように、徹頭徹尾、現実主義である。 加持祈祷や神頼み的な言辞は一切出てこない。あくまでも多くの病状を観察し、 その中から普遍的な法則を抽出しようとする、いわば帰納法的な手法である。 これは文化人類学におけるフィールド・ワークに近い態度であろう。

このような態度ないしは考え方が、「医学の父」として現在でも崇め られるゆえんであろう。


ヒポクラテス集典:「術:医術擁護論」

2013年12月

医術を否定する者たちに対する反論の書。原題だけでは内容が分かりにくいので、表記のような副題をつけてみた。

これはB.C.5世紀後半からB.C.4世紀初頭に成立したと見なされている。既訳書の解説によると、いわゆるソフィストたちからの詭弁による誹謗・中傷に対して医術を擁護するために書かれたらしい。

他の技術指導書的な論説と異なり、持って回った修辞には閉口した。高校生の頃の倫理学の教科書の文章を思い出す。

日本語は「膠着語」であるため、文章がだらだらと続くのが欠点、といわれているが、欧米語だって関係代名詞や現在分詞、過去分詞を使って結構だらだらと続いていますぜ。一つのセンテンスに何でもかんでも詰め込もうとするのは、やめてもらいたいものだ。頭の悪い人間には、一度読んだだけでは全く理解できませぬ。頭の中が欧米語のシステムに慣れていない者(小生のことです)に理解しやすいように、文章をぶつ切りにし、「ワン・センテンスに一つの内容」だけを盛り込むことを心がけて邦文に焼き直してみた。


ヒポクラテス集典:「健康時の養生法」

2013年12月

古代ギリシャの計量単位について。
時々長さや容量の話が出てくるので、自分ための備忘録としてここにまとめておく。
まず長さの単位。

*1スパン(span):手の指をいっぱいに広げたときの親指の先から小指までの長さ。約9インチ=約23cm

*1キュービット(cubit):中指先端から肘までの長さ=約45Cm~約52.4Cm。地域によって異同があるようだ。本サイトでは切りがよいので45Cmを採った。

*1ファゾム(fathom):主に海で用いる長さの単位で6フィート=約1.83m。この単位はAdams訳の「関節について」第72節において、ベンチの厚さとして用いられているが、なんとしても1.8mの厚みのベンチというのはおかしいので、Withingtonの用いている数値(1スパン)を採用した。

*1ステード(stade):約180m:ネット検索にて判明

次に容量単位。

*1コチレ(kotyle):約270ml。コチレとはカップのこと。英訳文には「cotyle」とあったので、探し出すのに少し手間取った。これもネット検索で判明

*1クース(chous):約3.24L=12コチレ。これもネット検索

こうしてみると、インターネットがなければ全くお手上げのことがある。これ以外にも、ネットがない時代のことと比較すると、調べ物に関しては天と地ほどの格差がある。


ヒポクラテス集典:「予後」

2014年1月

これぞヒポクラテスの真作と見なされている一編。さまざまな病態の観察記録が系統的かつ帰納的にまとめて記述されている。現代風にいえば、病態分野におけるフィールド・ワークといえるだろう。彼の全著作の内容は今でいう内科、外科、整形外科、婦人科など多岐にわたっている。祖父も父も医師であったらしいので、彼らの臨床経験も受け継がれ、反映されていると思われるが、それにしてもヒポクラテスは一体どれほどの症例を経験したのであろうか。感嘆の念を禁じ得ない

なお、類似の著作には他に「箴言」(既訳)、「予言1・2」、「コス学派の予後」などがある。興味のある方は、大きな図書館で「新訂ヒポクラテス全集」を借りてお読み下さい。

さて、これで十三編の邦訳が完成したが、これにて一旦邦訳作業は終えることにする。ざっと目を通したところ、著作権の切れている残りの英訳文の中には、訳してみたいものはあまりないので。以前にも書いたが、取りかかるとすれば、「養生法1~4」になるだろうが、何時になるか自分でも分かりませぬ。邦訳に取りかかってからおよそ2年が経過し、少し疲れました。翻訳作業を再開するとしても、今までよりもずっとペースを落とすことになるでしょう。

それにしても、「自然治癒力」に言及している部分はまだ発見できていない。こちらの方の探索作業は継続します(ただ読むだけなので)。ご存じの方がおられましたら、ご教示下さると有り難いことですが。


ヒポクラテス集典:「養生法 Ⅱ」

2014年6月

「風」を視点の中心においた季候、さまざまな動植物の食材の特徴、入浴や 運動に関して説明されています。

食材に関して、調べかたがまづいせいか、どうしても判明しなかったものが いくつかあります。それをここに書いておきますので、諸賢のお知恵を 拝借したいとお願いする次第です。 どなたかご存じでしたら、ご教示をお願いします。

*第48節:δρακων:dragon fish:Jonesの注では「greater weaver」ともいう。
プログレシブ英和中辞典(小学館)による「weaver」の解説:
ミシマオコゼに似たスズキ目の小形の海産魚(ヨーロッパ産)

*第48節:γλαυκοζ:grey fish:魚の名称

*第48節:κιχλη:thrush fish:魚の名称

*第48節:ελεφττζ:elephitis:魚の名称

*第48節:κεστρευζ:cestreus:魚の名称

*第48節:πiννη:pinna:貝の名称

*第55節:αχραζ:wild winter pears:アクラス?果実の名称

*第55節:κρανiα:cornel berry:クラニア?果実の名称


ヒポクラテス集典:「養生法 Ⅲ」

2014年8月

最初は各季節ごとの養生法が述べられているが、全体の3/4ほどは『食べ過ぎ』の徴候と対策に費やされている。

二千年前の古代ギリシャ時代からすでに人類は飽食傾向にあったようです。

『健康時の養生法』でも述べられているが、とにかく意図的に嘔吐することが繰り返し述べられている。

何はともあれ、自戒を込めて、食べ過ぎないように心がけることが肝心ということでしょうか。

"らくがき帖"へ 
"カイロプラクティック・アーカイブス"へ

著作権所有(C)1996-:前田滋(カイロプラクター:大阪・梅田)