予後 ヒポクラテス著
Prognostic Hippocrates


英訳:W.H.S.Jones (1876-1963)
「HIPPOCRATES」 VOL. II 1923
Loeb Classical Library
邦訳:前田滋 (カイロプラクター:大阪・梅田)
( https://www.asahi-net.or.jp/~xf6s-med/jh-prognostic.html )

掲載日:2014.01.15

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邦訳者(前田滋)の序

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追記:
英訳文は(そしておそらくギリシャ語の原文も)、コンマ(、)やセミコロン(;)で延々と文章が続いていて、段落が全くない。しかしディスプレイ上で読む際には、画面に適度な空白がないと極めて読みづらいので、英文のピリオドを目安にして、訳者の独断で適宜改行をつけ加えたことをお断りしておく。


1.
医師が病気の予想を日頃行なっているのは素晴らしいことであると私は思っている。その医師が患者のそばにいて、その病気の現在、過去、未来を患者から聞かずとも探り出して言い当て、病気による欠陥を埋めてやるなら、その病気をよく理解していると彼は一層信用され、その結果、人々はその医師を心から信頼して治療に身を委ねるだろう。

さらに、現在の症状からその後に何が起きるか前もって分かると、その医師は最良の治療を施せるだろう。さて全ての患者を回復させて健康にすることは不可能である。実際そのようにできるなら、将来を予見することよりも良いことであるに違いないのだが。

しかし、実際には人は死ぬものであり、ある人は医師を呼ぶ前に病気のひどさによって死亡し、またある人は医師を呼んだ直後に ー 1日かそれよりもう少し後で、医師が自分の術を用いてそれぞれの病気と闘う前に ー 死亡することがある。それゆえ、そのような病気の性質を理解し、それらの病気がどれほど体力を上回っているか、またどのようにしてそれらの病気の経過を予測するかを学ぶ必要がある。このようにすれば、尊敬を勝ち取り、有能な医師になれるだろう。

それぞれの緊急事態に対処する用意を長期にわたって準備していれば、それに応じて回復する機会を持っている人々を救う力が増大することになる。そして誰が死亡するか、誰が回復するかを事前に知って告げておけば、非難されることはないだろう。

2.
急性病においては、医師は次の手順で検査を進めるべきである。最初に患者の顔を見て、健康な人の顔と同じようであるかどうか、また特にその人自身の普段の顔と同じようであるかを観察する。同じようであるなら最良の徴候で、大きく違っているのは非常に危険な徴候である。

後者の場合には次のような違いがある。鼻はとがり、眼はくぼみ、こめかみが落ち込む。耳は冷たく、耳たぶは外方に張り出す。顔のまわりの皮膚は堅く緊張してかさつき、顔色は全体に黄ばむか黒ずんでいる。

病気の初期に顔がこのようであって、ほかの徴候から予後を完璧に捉えられないなら、次には不眠に陥っているかどうか、ひどい下痢をしているかどうか、空腹かどうかを患者に問いただすべきである。そしてこのような症状が一つでもあるなら、危険性は低いと考えてよい。

これらの徴候によって顔が上記のような外観を呈しているなら、一昼夜で分利が始まる。しかし、患者がこのようなことを全く言わず、一昼夜以内に回復が始まらない時には、これは死に至る徴候であると知るべきである。

病気が3日以上続き、顔つきが上記のような特徴を呈しているなら、前の例と同じことを問いかけてみる。そして身体全体と眼の両方に現われるほかの徴候も調べること。眼が光を避けたり、涙が勝手に流れ出たり、眼が歪んでいたり、あるいは片方の眼がもう一方の眼より小さくなったり、白目が赤くなって充血したり、眼の中の血管が黒くなったり、眼球の周りに分泌物が溜まったり、眼球が落ち着きなく動いていたり、飛び出ていたり、ひどく落ち込んでいたり、あるいは顔つき全体が変わっていたりしている時、これら全てはよくない徴候で、致命的であると見なさねばならない。

また患者が寝ている時には、眼が一部見えている状態も検査するべきである。瞼が閉じているのに白目の一部が見える場合、下痢でもないし、浄化剤も用いていないし、寝る時にそのような癖があるわけでもないなら、これは好ましいことではなく、非常に致命的な徴候である。しかし、ほかの徴候のうちの一つと共に瞼、唇、鼻が歪んで青黒くなっているなら、死期が迫っていると知らねばならない。また口が半開きになって垂れ下がり、冷たく白くなっているのも致命的な徴候である。

3.
患者は右側か左側を下にして横臥し、両腕、頚、両脚を軽く曲げ、全身の緊張を解いて医師の診察を受けるべきである。それは、大多数の人たちは、健康な時にはそのような状態で横臥するが、横臥時の最良の姿勢も健康な人が寝る時の姿勢に最も近い状態であるゆえ。

しかし、仰臥位で両腕と両脚を伸ばしている状態はあまり良くない。また患者が前屈みになり、ベッド上で足の方に徐々にずれて行く場合も、先の状態よりも強い危惧が懸念される。

また暑過ぎもしないのに患者が両足をむき出しにし、両腕と両脚をあちこち放り投げているのは、苦痛にさいなまれている証しであるから、これは良くない徴候である。

常に口を開けて眠り、仰臥位で両脚を強く曲げ、一緒に折り曲げているのも致命的な徴候である。健康な時にはそのような習慣はないのに腹臥位で眠るのは良くない。それは意識混濁や腹部に痛みのある証しであるから。病気が極期の時に、患者が座りたがるのは、全ての急性病において良くない徴候である。肺炎の場合、これは最悪である。子供の頃からそのような習慣がないのに、発熱時に歯ぎしりをするのは、精神異常と死を示している。歯ぎしりに意識混濁が伴うと、これは非常に死期が迫っている徴候である。

患者が病気を発症する前に傷を持っていたり、病気を患っている最中に傷ができたなら、充分注意すること。病人が瀕死の状態であるなら、死の前にその傷は青黒くなって乾燥するか、あるいは青白くなって堅くなるからである(前田注;ここで言う「傷」は褥瘡のことを指しているようである。岸本良彦氏の訳注参照)。

4.
腕の動きに関して、私は次のような事実を観察している。急性の発熱、精神錯乱性の熱病、頭痛を患っている時に、腕を顔の前で振り回して虚空を掴んだり、ベッド・シーツの毛羽を引き抜いたり、糸くずをつまんだり、壁からわら屑を引き抜いたりするのは全て悪い徴候で、実は致命的である。

5.
喘ぐように呼吸するのは横隔膜から上の部位に痛みか炎症があることを示している。深くてゆっくりした呼吸は精神錯乱を示している。鼻孔や口から吐く息が冷たいのは非常に致命的な徴候である。発熱を伴い、40日で分利に達する全ての急性病においては、良好な呼吸が回復に非常に強く影響すると見なさねばならない。

6.
全ての急性病においては、分利の日に汗が出て完全に熱が引くような汗が最良である。そしてまた全身にくまなく出る汗もよい。これは、患者が病気によく耐えていることを示しているからである。これらの特徴を一つも伴わない汗は有益でない。頭と首の周りだけに出る冷たい汗は最悪である。というのも、急性の熱病と共にこの汗が出るのは死の徴候であり、軽めの熱病にこのような汗が出るのは病気が長引くことを示しているからである。

7.
季肋部については、左右共に均等に柔らかく、痛みがないのが最良である。しかし、ここに炎症や痛み、腫れがあったり、右側が左側に比べて不均等であったりする徴候は、全て要注意である。その上、季肋部に拍動があるなら、これは心の動揺か精神錯乱を示している。このような患者の場合には眼を検査するべきである。眼球がせわしなく動いているなら、その患者は精神狂乱になることが予想されるので。

季肋部の腫れが堅くて痛み、それが季肋部全体に拡がっているなら、これは最悪である。これが片側だけなら、左側に現われる場合の方が危険性は低い(Jones注;右側の腫れの方が危険性が高いという意味である。おそらく、これがギリシャの文献中で虫垂炎に言及した最初のものであろう)

病気の初期に現われる、このような腫れは、間もなく死の危険性がやって来ることを示している。しかし、腫れが引かずに熱が20日以上続くなら、これは化膿に移行する。このような患者は初期に鼻出血も起こすが、これは非常に有益である。しかし医師は患者に頭痛や目がかすむかどうかを確認するべきである。というのも、これらの症状が一つでもあるなら、その病気が頭部に向かっているかもしれないからである。鼻出血は35才未満の若年患者に起こりやすい。

腫れが柔らかくて痛まず、指で押すと凹むようなら、分利は遅れる。そして上で述べたような例よりも危険性は少ない。しかし熱が60日以上続き、しかも腫れが引かないなら、これは化膿の徴候である。そして腹腔のほかの部位の腫れもこれと同じ経過をたどるだろう。

さて、痛みがあって堅く大きい腫れは、近い将来に死の危険性を示している。柔らかくて痛みがなく、指で押すと凹む腫れは、より慢性化する。

腹部の腫れは、季肋部の腫れよりも膿瘍になる頻度は少ない。最も化膿しにくいのは臍の下部にできた腫れであるが、この場合、大抵はその上部からの出血が予想される。

しかし、これらの部位にできた腫れが長引いた時には常に、化膿していることを疑わねばならない。そこに膿が貯留している時には、次のように判断するべきである。外側に向かう腫れは、小さくて、できるだけ外に突出していて、先が尖っているのが最も良性である。最悪なものは、大きくて広く、尖り方が最も少ない腫れである。腫れが外方との通路を全く持たず、飛び出してもおらず、痛みがない場合、そして外側は全体が一色に見えるものは、内方に破裂するのが最も良性である。

膿は白くて滑らかで、均一で悪臭の最も少ないものが最も良性である。これと反対の特徴を有する膿は最悪である。

8.
急性病の後に生じる水腫は全て好ましいものではない。これは必ず発熱を伴い、非常に痛みが強くて致命的であるゆえ。これらのほとんどは脇腹と腰から始まるが、あるものは肝臓からも始まる。

脇腹と腰から始まる水腫は常に両足がむくみ、慢性の下痢が患者を苦しめるが、これによって脇腹や腰の痛みが解放されるわけでもなく、腹部も柔らかくならない。肝臓から始まる水腫の場合には常に、これと言って痰が出るわけでもないのに咳をしたくなり、両足が腫れるが、堅くて痛みを伴い、強制的に排出される便を除き、便が出なくなる。そして腹のあたりから腫れが起こるが、それは時には右側であり、また時には左側で、大きくなったりちいさくなったりする。

9.
腹部と脇腹が温かいのに頭部や両手両足が冷たいのは悪い徴候であり、全身が均等に温かくて柔らかいのは非常によい徴候である。

患者は簡単に寝返りを打ち、軽やかに身体を起こせるべきである。しかし身体全般が重そうである時、特に両手両足が重そうな時、これはかなり危険な徴候である。この重感に加えて爪と四指が共に青黒く変色している時には、すぐに死が迫っていることが予想される。しかし四指と両足が真っ黒になっている時は、青黒くなっている場合に比べればそれほど致命的ではない。またほかの徴候にも注意を払わねばならない。というのも、患者が病気に耐えられるのが判ったり、前記の徴候に加えて回復を示す何らかの徴候を示しているなら、その病気は膿瘍に移行することが予想される。そして黒ずんだ部位は失われるが、患者は回復するだろう。。

睾丸あるいは陰部が縮み上がっているのは痛みか死の徴候である。

10.
睡眠に関しては、日中は起きて夜は眠るという自然な習慣に患者は従うべきである。この睡眠が変わるのはかなり悪い徴候である。患者が早朝から眠りにつき、1日の3分の1を眠るのはほとんど無害であろう。この時間を越えて眠るのはかなりよくない。最悪な例は昼も夜も眠らないことである。というのも、痛みや心痛から不眠に陥ったり、あるいはこの症状の後に意識混濁が続くからである。

11.
便は、柔らかい固形状態で、健康時のように通常の時間に排出され、摂取した食物に応じた量であるのが最もよい。排便がこのような特徴を有する時、腹部は健康であるゆえ。腸が緩い時には、腹が鳴ることなく、回数多く少量の排便ではないのが好ましい徴候である。それは、患者が常に起きていると、疲労して睡眠不足に悩まされるからである。その一方で何度も多量の排便をすると失神する恐れがあるから(前田注;前の文と齟齬がある)。

患者は摂取した食物の量に応じて日中に2度から3度、そして夜間に一度排便するべきである。しかし、患者の習慣に従って早朝に最も多く排便するのがよい。病気が分利に近づくにつれて便は濃密になるはずである。この時、便は赤味を帯びた黄色で、ひどい悪臭もしないはずである。病気が分利に近づくと便と共に回虫が出るのは好ましい徴候である。全ての病気において腸は柔らかくて膨らんでいるべきである。便が非常に液状で、あるいは白く、あるいは極度に緑がかっていたり泡立っているのは、すべて悪い徴候である。少量で粘度が高い便、白い便、緑がかって滑らかな便もまた悪い徴候である。しかしこれらよりさらに致命的な徴候は、黒い便、青黒い便、油がかっている便、緑青色の便、悪臭を放つ便である。

次に挙げるさまざまな便は、この直前に述べた病気の例よりも長引き、しかもそれらと同じほど危険な病気であることを示している。すなわち、脂肪かすのような便、胆汁様の便、ニラネギ様の緑色便、黒色便である。時にはこれら全てが一度に排出されたり、時には代わる代わる排出される。

腸内のガスは音を伴わずに出るのが最もよい。しかし、たとえ音立てて放屁しても、ガスの排出が阻害されて体内に貯留することに比べればよいことである。音を伴って放屁するのは、患者が故意に放屁するのでなければ、これは患者が苦痛を感じているか意識混濁を起こしていることを示している。

しかし、季肋部の痛みと腫れは、それが最近始まったもので、炎症を伴っていないなら、季肋部の鼓腸が排出されることで治る。その鼓腸が出る時には便と尿を伴うのが最も好ましいが、単に鼓腸だけが出ても有益である。また鼓腸が下の方に降りるのも有益である。

12.
尿は、病気にかかっている間中、分利が始まるまで、おりものが白くて滑らかで均一なのが最もよい。これは病気が短期間で確実に治ることを示しているゆえ。しかし、おりものが中断したり、時には尿が透明になったり、時には白く滑らかで均一なおりものが混じったりする場合には、病気が長引き、回復が容易ではない。

尿が赤みがかっていて、おりものも赤みがかっていて滑らかな場合には、この前の例よりは病気が長引くだろうが、回復は確実である。

尿中のおりものが粗挽き粉のようなのはよくない。これより悪いのは薄片状のおりものである。薄くて白いおりものは非常に悪く、これよりも悪いのは籾殻のようなおりものである。尿中に浮遊している雲状のものは白ければよい徴候であるが、黒い時にはよくない。

尿が希薄で黄色がかった赤色である限り、それは病気が熟していない(*)証しである。病気が長引いていて、尿がこのような性状の時には、病気が熟す(*)まで患者が耐えきれない恐れがある。

*前田注;英文ではunconcocted、ギリシャ語の原文ではαπεπτον(αのアクセント記号は省略)。「απεπτονという用語は元来が『煮えていない』という意味であるが、ヒポクラテス学派では、ここから派生して腫瘍などが完全に膿みきっていないことを言うようになった」と、古代ギリシャ語からの訳者である岸本良彦氏は解説されている。詳しくは岸本良彦氏訳の注を参照されたい。ここでは「熟していない」という訳語を当てた。

これよりさらに致命的な種類の尿は、強い悪臭を放ち、水っぽく、黒くて濃厚なものである。男女ともに黒い尿は最悪で、子供の場合には 水っぽい尿が最悪である。

尿が長期にわたって希薄で未成熟な時は常に、ほかの徴候もまた回復を示すなら、横隔膜の下部に膿瘍を疑うべきである。

クモの巣のような脂肪物質が尿の表面に浮いているのは要注意である。これは患者が消耗している証しであるゆえ。

尿中の雲状のものは、底にあるのか、表面にあるのか、その色と共に確認しなければならない。そして私が良いといった色(前田注;白色)のものが底にある場合には良いと見なし、悪いと言った色(前田注;黒色)のものが表面にある場合には良くないと見なすべきである。

膀胱それ自身に病気があって尿が良くない性状を呈している時には、これに欺かれてはならない。それは全身の健康状態を表す徴候ではなく、膀胱それ自身の徴候であるゆえ。

13.
最も役立つ嘔吐は、粘液と胆汁が完全に混ざり合っていて、濃厚でもなく、あまりに大量でもないものである。

粘液と胆汁の混ざり具合が少ないのはよくない。またニラネギ色、青黒色、黒色、これら全ての色の嘔吐物はよくないと見なすべきである。

同じ患者がこれら全ての色を嘔吐するなら、その人は死に直面している。嘔吐物に関して、青黒色を呈していて悪臭を伴っているなら、最も死が近いことを示している。あらゆる嘔吐物の中で、腐ったような悪臭を放つものは悪いものである。

14.
肺と胸郭の痛みがある時はどんな場合でも、速やかかつ容易に痰が排出され、しかも痰が完全に黄色く見えていなければならない。痛み始めてから長期間経過した後では、黄色い痰や赤みがかった黄色い痰が咳と共に排出されたり、ひどい咳をしたり、黄色が完全に混じり合っていなかったりするのは、かなり状態が悪化している証しである。混じり物のない黄色の痰は危険であり、白くて粘性が高く、丸い痰もよくない証しである。

強いて言えば、薄緑色で泡立つような痰もまたよくない。痰に混じり気がなく、黒く見えるなら、これはほかの例以上に危険な徴候である。

何も吐き出されず、肺からも何も出てこず、喉一杯に泡が溜まっているのもよくない。

全ての肺疾患においては、病気の前や後に粘膜の炎症とくしゃみが出るのはよくないが、ほかの全ての危険な病気においては、くしゃみは有益である。

肺炎の初期において、黄色い痰に少し血液が混じるのは、非常に好ましい回復の徴候である。しかし、発病から7日目かそれ以後では、それほど好ましくない。痰によって痛みが解消されないのは全てよくない。これまでに述べたように最悪なのは黒い痰であるが、全ての例において、痰の排出によって痛みが消えるのは、ずいぶんよい徴候である。

15.
胸のあたりの痛みが、痰の排出、排便、瀉血、浄化剤や食餌療法によって消えない時には、膿胸に移行するものと見なすべきである。痰がまだ胆汁性である時に形成された膿胸は、胆汁と膿が順に排出されようと一緒に排出されようと、極めて致命的である。

特に病気が7日経過し、この性状の痰から膿胸が始まった場合、何か良好な徴候が起きない限りは、その患者は14日目には死亡することが予想される。

良好な徴候というのは次のようなものである。病気にたやすく耐えていること。呼吸が順調であること。痛みがないこと。咳によって簡単に痰が出ること。身体全体がおしなべて温かく柔らかいこと。喉の渇きがないこと。尿、便、睡眠、汗が、これまでに述べたいくつかの良好な状態を呈していること。

これら全ての徴候が現れるなら、その患者は死なないだろう。全てではなく幾つか現われる時には、患者は14日以上経過してから死亡するだろう。

悪性の徴候というのは、私が提示した徴候の反対のものである。すなわち、病気に耐えるのが苦しい。呼吸が深くて速い。痛みが消えない。咳をしても痰が出にくい。ひどく喉が渇く。発熱の影響が身体に均等に及ばないで、腹部と脇腹はひどく熱いのに、額、両手、両足は冷たい。尿、便、睡眠、汗が、すでに述べた幾つかの悪性状態を呈している。これらの徴候のどれかに加えて痰が上記のようなものである時には、その患者は14日を待たずに、9日目か11日目に死亡するだろう。この痰は極めて致命的なので、患者は14日生きられないという結論に達する。

良い徴候と悪い徴候を勘案して予測を立てるべきで、このようにすれば、正しい予測が立つだろう。ほかの膿胸はほとんどが破れるが、あるものは20日目に破れ、あるものは30日目に破れ、あるものは40日目に破れ、場合によっては破れるまで60日かかるものがある。

16.
膿胸の始まった日を決めるのは、患者が最初に発熱した日か悪寒の起きた日、あるいは以前傷んだ部位が痛みから重苦しさに代わったと患者が告げた日とするのがよい。というのも、これらの徴候は膿胸の初期に生じるゆえ。そして始まった日から上記の日数が経過した後に、集積したものが破れると予想される。

膿胸が片側だけにあるなら、この場合には患者を寝返りさせ、その側に痛みがあるかどうかを問いただす。そして片側が他方よりも幾分熱めなら、健側を下にしている時に上側に錘がぶら下がっているように感じるかどうかを患者に訊ねてみる(*)。もしそうであるなら、膿胸は片側にあり、それは錘があるように感じる側である。

*Jones注;この非常に奇妙な分節の意味を理解するのに、私は大いに手間取った。膿胸が片側にあることを医師が知っていて、しかも「健側」がどちら側か判っているなら、どうしてこのような試みをする必要があるだろうか。医師の疑念を解消するためであろうか。膿胸を起こしていることを患者に納得させるためであろうか。はたまた必要な処置に同意させるためであろうか。本文が広範に削除されているのではないかとか、いくつかの文が脱落しているのではないかと、私は長いあいだ疑問に思っていた。本文が修復されたとしたら、この著者は1つの症例ではなく2つまたは3つの症例を考えに入れていることが、おそらく判るだろう。

17.
膿胸にかかっている全ての人は次のような徴候によって見分けられる。まず最初に、熱が決して引かず、昼間は微熱であっても夜にはずっとひどくなる。大量に発汗する。患者は咳をしたがるが、痰はほとんど出ない。目は落ちくぼみ、頬は紅潮する。指の爪が変形し、四指は特に指先が火照る。両足が浮腫む。体中に水ぶくれができ、食欲がなくなる。

長引く膿胸は以上のような症状を呈するが、これは信頼に足るものである。つい最近に、同じ症状によって膿胸が示唆された場合、同時に幾分かの呼吸困難があるなら、それらの症状は病気の初期から現れるはずである。

膿胸の破れるのが早いか遅いかは、次の徴候から分かる。膿胸の始まった時から痛みがあるなら、また呼吸困難と咳と喀痰が続くなら、20日目かそれより早く破れることが予想される。しかし、痛みが軽く、それに応じて全ての症状が軽いなら、膿胸の破裂は遅れると予想される。膿胸が破れる前には痛みと呼吸困難、喀痰が必ず現われる。

膿胸が破裂した後で、同じ日に熱が下がり、食欲が速やかに戻り、喉の渇きがなく、便が固形で少なく、排出される膿が白くて滑らかで色が均一で、粘液が混じっておらず、しかも咳と痛みを伴わずに排出されるようであるなら、その人は大抵回復する。

これらの兆候があれば最も順調にかつ速やかに回復する。しかし、症状がこれに近ければ近いほど、一層順調である。破裂した同じ日に熱が下がらないか、下がったように見えても再び発熱し、喉が渇いているが食欲はなく、下痢をしていて、黄色くて青黒い膿を吐くか、粘液と泡が一杯混じっている膿を吐くような人は死亡する。

以上のような症状が全て出現するとその人は死亡する。上のいくつかだけの症状を呈する人は死亡するか、あるいは長く患った後で回復する。このような症例においては、ほかの全ての症例のように、出現する全ての症状から病気の程度を推し量らねばならない。

18.
肺炎から耳に膿瘍が発生したり、それより下の方に膿が溜まって瘻孔(ろうこう)が形成される時には常に患者は回復する。このような症例は次のようにして判定する。発熱が続いている時には、この種の膿瘍が発生することが予想され、痛みが引かず喀痰が正常でなく、便が胆汁性でなく、下痢でもなく、しかも充分に混じり合っていて、尿がそれほど濃厚でなく、おりものが多いということもない。しかし他の全ての好ましい徴候から順調に回復に向かうこともある。

季肋部に粘液が出現する時には常に膿瘍は下方部のどこかに発生し、一方で季肋部が柔らかいままで痛みがなく、しかも一過性の息切れがあり、これがはっきりした理由もなく解消するような時には、常に膿瘍は上方部に発生する。

重篤で危険な肺炎においては脚に生じる膿瘍は全て助けになる。最も良いのは痰が既に変化してから発生する膿瘍である。それは、痰が黄色から膿に変わって排出されるようになるのと同時に腫れと痛みが生じるなら、患者は確実に回復し、膿瘍も痛みを伴うことなく極めて速やかに終息に向かうからである。

しかし、痰が充分に排出されず、尿にも良好なおりものが見えない時には、脚が不具になるか、ほかのひどい障碍を起こす恐れがある。熱が続いているが痰を排出しなくとも膿瘍が消失するなら、予後は不良である。この場合には患者は意識混濁を起こして死亡する恐れがある。

肺炎に続いて膿胸が発生すると、老齢患者ほど死亡することが多いが、ほかの種類の膿胸では若い患者ほど死亡する場合が多い。

19.
発熱に伴って腰やそれより下方部に現われる痛みが、下方部から横隔膜に移動すると極めて致命的である。それゆえほかの諸症状にも注意を払うべきで、それは、別の不良徴候が併発すると、その症例は回復の見込みがないが、病巣が横隔膜に移動し、併発するほかの症状が悪性でなければ、この場合には膿胸になることが確実に予想されるからである。

膀胱の硬化と痛みは常に重篤で、持続性の発熱を伴う時には常に極めて致命的である。実際、膀胱だけから発する痛みでも充分死の原因となる。この場合には堅い便や、むりやり排便させる場合を除いて便は出ない。

この病気は、白く滑らかなおりものを伴う膿状の尿が排出されると治る。しかし、尿が良好な状態にならず、膀胱も柔らかくならず、発熱が続くなら、病気の初期に患者は死亡することが予想される。この種の病気は特に7才から15才の子供を襲う。

20.
熱が分利するのは、患者が回復するにしても死亡するにしても、同じ日数が経過してから始まる。最も良好な症状を伴う最も軽い発熱は4日目かそれより早く治まる。最も危険な症状を伴う最も悪性の発熱は、4日目かそれより早く致命的となって終わる。

発熱の最初の襲来は、この時に終焉を迎える。二度目の発熱は7日目まで続き、三度目は11日目まで続き、四度目は14日目まで、五度目は17日目まで、六度目は20日目まで続く。

従って最も急性の病気では4日ずつ加算して(Jones注;現在の数え方では3日ずつ)最大で20日まで続いて終わる。しかしこれらの日数はどれも正確に計算できるものではない。ちょうど一年と月の日数が測れないと同じように。

その後、同じように日数を加算してゆき、第一期を34日とし、第二期を40日、第三期を60日とする。
(Jones注;日数の計算は次のようになる。
 第一期:1、4、7、11、14、17、20、24、27、31、34
 第二期:37、40
 第三期:44、47、51、54、57、60)

これら病気の始まりにおいては、期間が長引いた後に分利に達する症例の予測を立てることは非常に困難である。というのも、初期にはどの病気も非常によく似ているからである。しかし、発病の最初の日から注意を払い、4日目ごとの最後には病状をよく観察するべきである。そうすれば病状の変化を見逃すことはないだろう。

4日熱(前田注;マラリアなどの間歇熱)の症状もまたこの順序に従う。最短の期間で分利に達する病気の予測を立てるのは簡単である。なぜなら、病気の始まりから、それらの症例は他の例と大いに違っているからである。回復する人は、楽に呼吸し、痛みがなく、夜間は眠り、全体に最も良好な徴候を呈する。死亡する人は、呼吸が苦しく、眠れないで意識混濁を起こし、全体に最悪の徴候を呈する。

前もって以上のことを知っておき、4日目毎に加算される最後の時点で病気が分利に向かうのに応じて、将来の予測を立てねばならない。女性の場合にも、出産後の分利は上と同じ規則に従う。

21.
強烈で持続性の頭痛においては、致命的な徴候が一つ加わると、これは非常に致命的な徴候となる。しかし、そのような徴候がなくて痛みが20日以上続き、熱も続く場合には、鼻からの出血または身体の下方部での膿瘍を予想するべきである。

最近に起きた痛みでは、特に痛みがこめかみと前額部にある場合には、鼻からの出血あるいは化膿が予想される。出血は、患者が35才より若い場合に予想され、化膿はそれより高齢の患者に予想される。

22.
持続性の高熱を伴う耳の急性痛は危険である。なぜなら、このような場合には患者は意識混濁を起こして死亡する傾向が強いからである。このような病気は先の見通しが立たないので、医師は発症の最初の日から他の全ての症状にも油断なく注意を払わねばならない

若い患者はこの病気によって7日目かそれより早く死亡する。老人はずっと遅れて死亡する。これは老人では熱と意識混濁が起こりにくいためである。またこのためにこの人たちの耳は急速に化膿する。しかしこの年令では、再発してほとんどが致命的となるが、若年者は化膿する前に死亡する。耳から白い膿が流出する時には、ほかに何か良好な徴候があるなら、若年者の場合には回復するだろう。

23.
発熱を伴う喉の潰瘍は重篤である。ほかの症状も併発していて、すでに悪性であるなら、患者は危険な状態にあると予想される。

喉頭痛は非常に重篤であり、喉や首に病変が認められず、さらに痛みが非常に強く、起坐呼吸(Jones注;呼吸困難)を起こしている場合には、急速に死に至る。これは発病の最初の日でさえ、または2日目、3日目、4日目にでも呼吸困難を引き起こす。喉に腫れと発赤がある場合、全般的には同じで、痛みがあって非常に致命的である。しかしこの場合は先の例よりも長引く傾向がある。

喉と首の両方に発赤があると病気がさらに長引くが、首と胸に発赤があって丹毒が身体の奥に戻らない(*)なら、回復は大いにあり得る。(Jones注;膿瘍、発疹などが「引っ込む」のではなく、それが組織中に戻って再発するか、別の病気を引き起こす場合、病的な体液の作用を示すためにこの用語を用いた)

丹毒が、分利の日でもなく身体の表面に膿瘍を形成もしないで消失するなら、そしてまた患者が痛みを伴わずに咳と共にたやすく膿を排出できない場合、これは死の徴候であるか、あるいは発赤が再発する徴候である。

最も有望な徴候は、発赤ができるだけ表面に現われることである。しかしこれが肺に出現すると意識混濁を引き起こし、この場合には一般に膿胸になる。

口蓋垂が赤く肥大している場合には、これを切除したり槍状の刃で切開するのは危険である。というのも、このような処置は炎症と出血を伴うからである。この場合には他の方法で腫れを引かすように努めるべきである。しかし膿が完全に集積し、いわゆる「ブドウ」状になっているなら、すなわち口蓋垂の先端が肥大して青黒くなっていて、上方部が細くなっているなら、処置を行なっても安全である。時間が許し、患者が呼吸困難を起こしていないのであれば、処置の前に穏やかな下剤を与えるほうが良い(Jones注;この段落はKuhleweinによって括弧に入れられている。またErmerinsは削除している。その理由は、この段落が予後というよりはむしろ治療を扱っていることにある)。

24,
全ての症例において、回復の兆しもないのに熱が引いたり、分利の日でもないのに熱が引いたりする場合には、その病気が再発することが予想される。患者が回復を示唆する状態にあって、炎症その他明らかな原因による痛みもないのに熱が長引いているなら、関節の一つに、特に下方の関節に腫れと痛みを伴う膿瘍があると予想される。このような膿瘍は、患者が30才未満の場合には、より多くまた早期に出現する。

熱が20日以上続く場合には膿瘍が発生すると、先ずは疑わねばならない。しかし老齢患者では熱が一層長引いていても、これは起きにくい。発熱が持続している場合、膿瘍は以上のような形態であると考えてよい。しかし熱が間歇的で不規則に襲ってくる場合や、このような状態が続きながら秋が近づいてくる場合には、その病気は四日熱に移行するだろう。

患者が30才未満の時に膿瘍が発生するように、患者が30才かそれ以上の時には四日熱がずっと頻繁に併発する。冬には膿瘍が一層発生しやすく、終息するにもずっと時間がかかるが、再発の危険性は低めであることを知っておくべきである。

致命的ではない発熱を起こしている患者が頭痛を訴え、目の前が暗くなると訴える時、胸焼けも感じているなら、その患者は間もなく胆汁性の嘔吐を起こすだろう。そのうえ悪寒も併発し、季肋部の下部が冷たくなっているなら、もっと早く嘔吐が起きるだろう。この時に患者が何か食べたり飲んだりすると、その直後に嘔吐するだろう。

このような症例で最初の日に痛みが始まると、その患者は4日目と5日目に最もひどく苦しみ、7日目に回復する。しかし彼らのほとんどは3日目から痛みを感じ始め、5日目に最悪の状態となり9日目か11日目に治る。患者が5日目から痛みを感じ始め、他の症状も私が述べた通りに現れる場合には、その病気は14日目に分利に達する。

三日熱では、男女共にほとんどが、このような経過をたどる。若年者もまた三日熱にかかると上記のような経過をたどる。しかしさらに長引く発熱や真性の三日熱(*)では、より多くの例でそのような経過をたどる。

*Jones注;間歇性の三日熱のこと。この場合、熱は隔日に(3日目に)完全に下がる。ところが、多くの三日熱は熱がすっかり下がるのではなく、幾分下がるだけである。

頭痛を伴うこの種の発熱で、目の前が暗くなることもないが、眼がかすんだり閃光が見えりたりし、胸焼けもない代わりに、右または左の季肋部に痛みや炎症を伴わない緊張がある場合には、全ての例で、嘔吐ではなく鼻から出血することが予想される。

この場合にも特に若年者において出血が予想される。患者が30才かそれ以上の場合には出血は起きにくく、この場合には嘔吐が予想される。

子供の場合には、急に発熱して便通がない時、怖がってうめき声を上げている時、顔色が黄色や青黒、赤に変わった時にひきつけを起こす。引きつけは7才以下のとても幼い子供に最も発生しやすい。それより年上の子供や成人では、精神錯乱性の熱病の時に生じるような最悪で非常に激しい症状が併発しない限り、発熱によって引きつけを起こすことはない。

数種の症例において、その幾つかを私が説明したように、子供であろうと成人であろうと、その生死は全ての症状の組み合わせの元に予想するべきである。

以上、私が述べたことは急性病に関することと、それらの結果全てに関することである。

25.
回復する人と死亡する人を正確に予想し、そしてその病気が一層長引くか、あるいはもっと少ない日数で済むかを正確に予想する者は、全ての徴候を完全に理解しているはずであるし、またそれらの症状の強さを、上述のように、特に尿と痰の症例で説明したように相互に比較することによって推し量りながら、それらを見分けることができるはずである。

また流行病の襲来も即座に見極めねばならないし、季節構成も見過ごしてはならない。そして確かな諸兆候と諸症状を全般的にしっかり理解しておかねばならない。これに加えて年ごとにまた地域ごとに、何か良くないことを示唆する悪い兆候と、何かしら良好なことを示唆するよい兆候をしっかり把握しておかねばならない。というのも、上で述べた諸症状はリビアでもデロスでもスキティアでも同じ意義を有することは明らかであるゆえ。

従って、数々の症例を充分に学び、それらを正しく推量し、また正しく評価する方法を知れば、同じ地域においては大多数の症例で、あることが正しいというのは不思議なことではないと、しっかり理解できるはずである。

最後に、私が取り上げた病名に遺漏があることを遺憾に思うにはあたらない(*)。私が指定した時期に分利に達する病気は、全ての症例の同じ症状によって分かるはずであるゆえ。
*Jones注;「急性病の養生法」第3章におけるクニドス派の医師たちへの批判を参照のこと。そして、診断と対照される「全般的な」病状に関する強固な言説に、もう一度注目してもらいたい。

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