このページでは、日々に感じた雑感を書いてます。
過去記事はことわりなく修正したり削除したりすることがあります。基本的に、このページは不特定多数の他人に読ませることを目しておりません。他のページもそうですが(^^;
なお、御意見を下さるのは歓迎しますが、その場合、「こういう意見をいただいた」という記述がこの日記に記されることもありますので、あらかじめご了承ください。

6/20から、期間限定で、通常の日記と関係のない記述を末尾に入れてましたが、すべて別ページに移しました。内容は、現在の内閣総理大臣にたいする不満の羅列です。
ご存知の通り、2004年7月11日の参議院選挙では、自民党が目標を割り込んだものの、「過半数は維持しているから」という理由で首脳部の責任は問われないことになりました。年金も自衛隊問題も影響されないそうです。
要するに、選挙による民意は反映する必要はない、というご判断のようです。じゃああの選挙は、いったい何のためにやったんでしょうね。
選挙の結果がどうであれ、上記の記述は7/12をもって削除しようと思っていたのですが、現首相の、身内に対するあまりに寛容な判断力に敬服し、私などまだまだだなあ、いや、ああいうひとこそ自らを省みる貴重な材料とすべきだ、と思ったのです。トップからもたどれますが、お急ぎの方はこちらからどうぞ。



目次

05/05柏暴動 04/21近況 01/06野球小説 12/20Dylanなど 12/12サッカー入れ替え戦 09/27テレビ購入 08/27ブックレビュー 07/31中国のサッカーファン 07/07ウルトラQ 07/05EURO決勝 07/01休日 06/30無能の人 06/28EURO2004 06/25EURO2004 06/23EURO2004 06/22EURO2004 06/20EURO2004 06/04小泉政権打倒 06/026月2日は、音楽が死んだ日 06/01輸入CDが変えなくなる話 05/27いまさらハイポジ 05/07まだまだ自己責任論について 04/20人質が無事でよかったけど 04/12人質の無事を祈る 04/01三月の色々 02/28klaftwerk 02/23ホームレス問題 02/20沢木耕太郎は引退した方がいい 02/15王の帰還 02/15王の帰還 02/05マタンゴ 02/04ポイ捨て 02/03TMBGの新譜 home表紙へ戻る

さらに古い雑感は下記を参照下さい。

03/05/24-04/01/24

02/04/09-03/05/07

01/04/01-02/04/09

00/06/15-01/03/26

99/09/04-00/06/12

99/05/12-99/09/04

98年12月某日-99年05月09日

某年某月某日-98年12月某日


05年05月05日柏レイソルの試合での暴行事件について

先日の名古屋戦で、柏のサポーターが名古屋のアウェイ席に乱入し、けが人十数人を出すという、Jリーグ始まって以来の大事件に発展した。この結果、柏の有力サポーターグループ、太陽工務店とレイソル研究会が一年間の活動禁止となり、これを受けて、両グループは独自の動きとして、解散を正式に表明した。

太陽工務店が解散してしまったのはとても残念だ。私がレイソルの試合を見に行くようになったのは、彼らの面白い応援のおかげだからだ。負傷者の出た今回の件については、残念だけど、2ちゃんねるで誰かが書き込んでいたように、これが前例になって、暴行事件はサポーターグループの解散につながる、という意識が各チームのサポーターの間に浸透すればいいと思う。実際、もっと暴力的で有名なサポーターグループもあるようだし。この前例が抑止力になればいい。
・・・なんて書いていたのだけど、ネットでは『とにかく、暴力はいけない』といった、第三者然とした意見が主要になっていたり、また負傷者にはレイソルサポもいたにも関わらず、名古屋サポからは、一切外部にたいする公式の謝罪なり遺憾が発表されていない、という現状を考え、こうして意見を書くことに決めた。

色々な凶悪犯罪事件が起きる時にも思うことだ。どうしてみんな、もしかしたら自分もこういうことをしてしまったかもしれない、という想像力を働かせることができないのだろうか
サッカーで、どこぞのチームに思い入れがあって、そのチームを真剣に応援していたら、誰だって不愉快な思いのひとつやふたつはしていたに違いないし、審判とか、不運のせいで、本来自分たちが勝ち取るべきだった栄冠を不当に奪われたような気がして、どうしようもない苛立ちを覚えたことがあるだろう。さらに、とどめのように相手サポから挑発されたり、侮蔑の言葉を浴びせかけられたりしたらどうだろう。
その時、暴力をふるうかそうでないかという判断は、決定的ではあるけれど、実は本当に小さな違いしかない。その立場にたった自分を思い出してみれば、誰だってわかることだ。それを、踏みとどまった自分がいかにも偉いといわんばかりに、実力行使に出た人々を批判し、非難する。
いや、もちろん暴力はいけないし、そういう人たちにたいする処罰はあって当然だ。だが、そういう人たちがどうしようもなくてそういう行動に出たのだ、ということを、かつて同じ選択肢に立たされたこともあるサポーターとしては、理解して、そのうえで罰なり何なりを提言するのが本当だろう。
そうではなくて、逆にかつての自分の衝動を否定するがごとく、ひたすら『いや、暴力はいけない』という錦の御旗にすがりついたうえでの判断、そういう排他的なレッテル貼りは、決して建設的なものにはならない。全否定された相手がどういう気持ちになるのか、ちょっと想像してみればわかる。あるいは、より目立たない、陰湿な形で暴力が繰り返されるかも知れない。
結局は、また同様のことが繰り返されるのは目に見えている。

もともとサッカーは、ひどく暴力的な感情を煽るスポーツだ。暴動が起きない国の方が少ない、というのも事実としてある。そんな中、数少ない例外としてJリーグを築いていきたい、という関係者の姿勢なり努力も尊いものだと理解している。
だが同じサポーターが、別のチームのサポーターを排除したり、なかったものとして存在を否定したりするのはおかしい。今までの太陽工務店の地道な活動は、たとえ暴力事件を起こしたメンバーが中にいたからといっても、それとは別に評価されるべきだし、そのことで全否定されるものではない。だから今回の柏レイソルの球団としての判断(一年間活動禁止)にも、ちょっと疑問が残るし、一切の言い訳をせずに解散してしまった工務店の連中にも、引き際がいいのかもしれないけれど、せめてきちんとした事件の総括を残して欲しかったな、と思う。

まあそれはそれとして、私が一番嫌いなJのチームは、最後の金町ダービー以来FC東京だったんだけど、今後は名古屋に変わった。少なくともあのウルトラが何らかの謝罪コメントを出さない限り、この気持ちは変わらないだろう。個人の感情なんだから、誰かにとやかく言われる筋合いもないしね。
そうそう、あの事件の次の試合では、柏の対戦相手のFC東京は「また楽しい金町ダービーをいつか」というような弾幕を出した。その次の試合の磐田戦でも、柏コールがあった。さらに名古屋とやった浦和は、試合後「レッツゴー柏」のコールをした。

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05年04月21日近況

仕事がきつくて大変なので、憂さ晴らしに携帯電話とノートパソコンを買って、沖縄に旅行した。携帯もパソコンもまだ使いこなしていないので、いずれもっと詳しく書く。
それよりも、沖縄旅行だ。
この時期、沖縄旅行はかなり安くなっていて、二泊三日で3万円という価格。食事や宿にオプションをつけても、安く楽しめた。まあ、観光地とは名ばかりのみやげ物屋巡りにつき合わされたのは仕方なかったけどね。
とはいえ、目当てのピッピ隊音楽部のCDと、まだ売っているcoccoの沖縄限定シングル+ビデオを購入できたのは、うれしかった。
ピッピ隊音楽部は、アコーディオンとかピアニカやリコーダーを使っている、ほのぼのしたメロディの女性ボーカルのバンド。沖縄に行くことになって、現地のイベント情報を知りたいと思い、「×月の沖縄」というミニコミの4月号を行きつけの飯屋で入手したのだが、その中で、ちょうど出かける時期にライブをやるバンドの名前として、ピッピ隊を知った。で、アマゾンで最初のアルバム「ニュース」を買った。うまい具合に沖縄に出発する前に品物が届いたので、聞いてみて、その音楽が新鮮で気に入ったので、もし時間があればライブにも行きたいなあ、と思っていた。 あいにくライブにはいけなかったけれど、新作のアルバム「キコエナイ唄」を買うことができた。
これも良かった。多少パワーダウンしている感じもあるけれど、数年経過しているわりには、基調は同じだ。東京でもライブをやるらしいので、ちょっと興味がある。何か、自分たちはメディアに露出するのを極端に嫌っているらしいので、ライブに行かない限り、本人たちに会うことはできないんだろうな。
COCCOは、以前から気にしていたものの、沖縄に行く都合もなかったし、出てから4年たった2005年、さすがに入手は困難だろうと思っていたから、ちょっとうれしかった。
まだ見ていないけど(というか、映像そのものは以前見たんだけど)、楽しみにしている。 そのCOCCOが嫌ったモノレールにも乗れた。沖縄旅行は、前回(1月末)とは違った意味の拘束があり、すべて自由に過ごすというわけには行かなかったけれど、入門者向けのツアーに参加できたのは、結果としてよかったと思っている。何しろ、首里城も美ら海水族館も、これで二回目だもんね。オオゴマダラ(蝶)とマングローブの北限も確認できたし。それから、そう、沖縄限定のファーストフード「エンダー」(A&W)でルートビアーも飲めたし。本土でも飲める缶のものとは、また別の味わいで、興味深かった。あれなら、好きになるひとがいるのもちょっと分かる。私が好きになった、というと、・・・まあそれはそれとして。
あと、沖縄では、新聞もバスガイドも、政治意識が全然本州とは違っていて、これは驚きだった。親戚に戦争でひどい目にあったひとがいたり、そういう話をちゃんと聞かされているからだろうか。
最近のよく分からない右翼的な風潮が、個人主義の想像の中からわいてでてきたのとは対照的に、リアルでびっくりもした。実際、米軍基地がすぐ近くにあって、事故などで色々とひどい目にあったりもしているから、意識も違うんだろうな。反日デモで騒がしいあのひどい国に行くことになっても、「日本人です」じゃなくて、「沖縄の県民です」と答えたら、それほどひどい目に合わされないかもしれないな。
駆け足で帰ってきたけれど、まだ沖縄への郷愁が残っている。もう仕事辞めて、あの暖かい国へ移住してしまいたいなあ。かみ締めるように、つくづく今、そう感じている。

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05年01月06日野球小説について

最近一部で支持されている、野球小説の最終巻が今日発売だったので買ってきて、帰りの電車の中で熱中して読んで、それでも読みきれず帰宅して食事してから続きを読んで、ふうとため息をついて、つらつらと物思いにふけった。

この作者のインタビューも、ウェブに掲載されている。
「すごく中途半端な終わり方」とご自分で述べているように、いかようにも取れる終わり方。(でも、 「バットが回った」という言い回しは、実質的には、振って、ボールが当たらなかった、ということを意味している。つまり、投手の勝ち。
その後の試合の行方を描かなかったことで「中途半端」と自称しているのならいいんだけど、どうもそうじゃないような、・・・というか、もしそう思っているのなら、ちょっ と問題だな、と思った。)

このシリーズは、都合六巻で完結だ。六巻というと、子供向けだから字が大きいのを考慮に入れても、それなりの長さでまとまった小説だ。その中で、この作者は野球の試合を まともに1ゲーム描いたことがない。端折ったり、途中で終わらせたりして、試合そのものをちゃんと描写していないのだった。このことが、一番不満といえば不満だ。もっとも、 ここまで読もうという気にさせたのは、作者の筆力のおかげだろうし、力があるのは認める。
上記のインタビューでも、かなり自負心というかプライドの高さがうかがえた。
自分の書くものにたいして、かなり大きなプライドを持っていらっしゃるご様子。で、実際、 ここまで多くの読者を引き付けた、その力量には、感服するし、すごいと素直に首肯できる。

だが、純粋に読者としての立場で言うと、2巻あたりでやめておけばよかった、と感じたりもする。

なぜかというと、時間の流れがあまりにもまだるっこしいのだ。
上記のように試合の描かれ方が中途半端だという問題もあるし、登場人物の心理描写にこだわるあまり、続きを知りたいという、読者の本当の欲求に答えていない気がするのだ。
一方で主人公の弟にかんするわけありな設定の数々も生かされていないし、キャッチャーとの心理的問題も、解決されていない。というか、 深刻な問題だったはずのものが、いつの間にか、脇に追いやられている感じがある。これにはちょっと、疑問を抱いた。
せっかく時間の流れを無視してまで心理描写にこだわったのに、それが 残念ながら十分に生かされていない気がしたのだった。

そして最終巻は、急いでいたのかどうかしらないけれど、心理描写に枚数を費やしたわりに、個々人の心理の掘り下げが浅くなっている。
先輩の言葉や監督の言葉に考え込むシーンとか、謎かけはここぞと いう時に、一回だけするのが効果的なんだけど、繰り返してやられると、読者は突き放された気分になる。
いちいち、そのたびごとに自分を振り返って余韻を味わえ、とでもいうのだろうか。

もっとも、こういう一部の意見とは関わりなく、たぶんこの本は売れるだろうし、『感動した』とかいう安売りの意見が巷にあふれるんだろうね。
で、映画化されたりするかも。
いやいや、その可能性は 少なくないと思う。ネタが少なくなっているのは確かだし、一巻あたりは、確かにとても面白く読ませてもらったから、映像化するのもいいと思う。
要するに、私が個人的に思い入れを膨らませて、それと相容れない方向に走っていったから不満を述べているだけで、実は多くのひとが絶賛しているのかもしれないなあ。そういう意味で、今回の批判 にはあんまり自信がない。

ただ、自信があるのも考えもので、他人にエゴイスティックと受け取られるほどの自信をあふれさせている人というのは、その実かなりコンプレックスを抱えていることが多い。この本の主人公の天才投手も、 たぶんそういうひとのはず。でも、そういう部分はあんまり大きく取上げられていなかった。そして、作者のインタビューを読む限り、彼女もかなり大きな自信を持っているみたい。でも、その実・・・まあ、いいや。

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04年12月20日ディランなど

ボブ・ディランの「血の轍」を聞いている。知り合いにプレゼントするんで、聞き返しているのだ。
やっぱり名盤だなあ、とつくづく思う。

大学時代、狭いアパートで何回も何回も聞いたのが思い出される。
あの頃は、歌詞なんてほとんど気にしていなかった。ただ、時間をつぶしてくれる音がほしいだけで、マーラーの第九の4楽章とか、アプサラスとか、イーノとハロルドバッドのパールとか、そういう曲と並んで、この「血の轍」を流しっぱなしにしていた。
でもそのうち、このアルバムの素晴らしさに気がついた。何もせずに、エンドレスに設定したCDプレイヤーから流れる、このメロディに聞き入っていた。
「ブルーにこんがらがって」「君は大きな存在」「嵐からの隠れ場所」、そして「白痴風」。
全部名曲なんてアルバムはまれだ。
たぶんこのアルバムに出会わなかったら、ディランにこれほど思い入れを持つこともなかっただろう。
ヒット曲はまったく含まれていないけれど、やはりこのアルバムは私にとってディランのベストだ。
歌われている内容はとても痛切だけど、それ以上に曲が、メロディが美しくて、超然としていながら、心に響く。

でも、これあげる相手は、たぶん私ほど気合い入れて聞かないだろうなあ。
というか、昨今、 そういう風に真剣に音楽に向き合うってのは、あんまりかっこいいことじゃないみたいだし。
別に誰がどういう風に思ってようが関係ないのだが、ちょっと残念。
勝手にそう決め付けている、前もって自己防衛する自分にも、残念。

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04年12月12日レイソル対アビスパ

サッカーJ1とJ2の入れ替え戦を見に、柏に行った。とても面白かった。とても寒かったし、たぶん風邪引いてるかもしれないけど、でも見に行った甲斐があった。

サポーターも選手も、今シーズン一番気合の入ったゲームになったと思う。こういう時だけしかそうならないのは大いに問題だけど。

私はサポーターってほど年季が入っていないし、たぶん多くのレイソルファンに比べれば、全然へなちょこだ。現地観戦はほとんどしていないし。でも、この入れ替え戦だけは会社休んでまでチケット取ったし、会場入りも、かなり早い時間だった。

その一番の理由は、日立柏サッカー場のすばらしい環境だ。こんなに臨場感のあるサッカー場は、たぶん日本でも珍しい。実際、今回努力のかいあってメインスタンドの最前列というすばらしい席で観戦できたのだが、そういういい席での臨場感といったら、もう。
他のチームのサポーターも、ここでやるのを楽しみにしている人が多いらしく、それもよく分かる。柏の葉よりずっといい。できればずっとここでやってほしいと思う。(だからこそ、FC東京は許せないのだが、まあそれはまた別の話)
来年もまた、J1の試合をここで見ることが出来るというのは、やはりうれしいし幸せだ。福岡には気の毒だが、柏が勝ててよかったと思う。
福岡のサポーターは、試合の一時間前から、ずっと歌い続けていた。すごく気合が入っていて、サッカー場の八割以上がレイソルの応援だったにも関わらず、ずっと声では互角に戦っていた。敬服した。

試合前の円陣サポーターも気合が入る  

望遠なしで、こんな迫力あるシーンが撮れた

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04年09月27日28ZP58購入

東芝のテレビ28ZP58を買ったのだが、その請求書が今日届いた。
買ったのは再調整品。
いったん市場に出たものの、外装や単純な故障があったせいで、工場に戻して再度修正を加えたものだ。
こうした再調整品は、一般のルートにはのらないため、詳しいことは書かないが、安売りの店よりも安くあがった、ということだけは書いておこう。
本体価格に配送・据付料・古いテレビのリサイクル料金に税金を含めても、kakaku.comの最安値より安かった。本体価格にして×万円ぐらい。諸経費を加えると、多分数万円の差が発生する。
まあ、まったくの新品ではないのだから、kakaku.comなんかと比べてもしょうがないんだけどね。
でも一年保証はついているし、画質や性能には、今のところ満足している。

そもそも、10年ぐらい使っていたシャープの25型が壊れてしまわなければ、ここでブラウン管のテレビを買うつもりなどなかった。まだプラズマも液晶も、画質の面で従来のテレビに劣っているし、価格も高くてとても手が出ないから、大画面テレビを買うにしても、地上波デジタルが普及して、大画面テレビの性能がもっと向上し、なおかつ価格がこなれてきてからだ、と思っていた。
だから、急にテレビを買うことになった時、最初っから「つなぎ」のつもりだった。今あるテレビと同等の機能があれば、それで十分だと思ってた。
でも、色々な事情でD4端子のある、このワイドテレビを買うことになったのだが、ワイドの画面とか、入力端子の多さとか、ダブルウインドウとか、あって便利な機能や仕様がたくさんあって、その便利さに感心している。

私の家にはCATVのチューナー、スカパーのチューナー、CC、5.1システムスピーカー、ビデオデッキ、ハイブリッドレコーダー、それにリージョンフリーのDVDブレイヤーがある。こういうののほとんどがつなげるのは、やはり便利だ。

ただ、今までセレクタを通して接続してきた機器を、そのままじかにテレビに接続すると、色々と大きな声では言えないさしさわりがある・・・要するに、ダビング関連で使い勝手が悪くなってしまうのだ。
だから、どういうつなぎ方が一番ハッピーなのか、今は色々と試行錯誤している状態。

それにしても、新しいブラウン管は、やっぱりきれいだ。
色が全然違う。
ソースのアラが目立ってしまうぐらい。
そうなると、もう低レートでは録画できなくなるし、・・・うーん、こうやって善良な市民は、次々と金を巻き上げられてしまうんだなあ、とつくづく思った。

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04年08月27日ブックレビュー

「喜劇新思想体系完全版」(山上たつひこ・フリースタイル)の下巻と「アイデン&ティティ32」(みうらじゅん・青林工藝舎)と、「ディランを聴け!!」(中山康樹・講談社文庫)を買った。
久しぶりにレビュー。

「喜劇新思想体系」は、30年目にしてようやく出た完全版。「がきデカ」以前の、本当にすごかった頃の山上たつひこの傑作ギャグマンガだ。
初めて読んだ時ほどの感動はないが、それでも今まで読めなかったエピソードに出会えたのはうれしい。
上巻は近所の本屋にあったんだけど、たぶんあんまり売れなかったんだろうな、下巻は今日、たまたま神保町に出かけて、漫画専門店でようやく手にすることができた。各3500円という価格も、売れ行きのネックになっていると思われる。

みうらじゅんは、池田貴族をモチーフにしていて、前作や前々作ではあきらかに体制に迎合する敵役として出していたその人物が難病で死にいたる中、和解に至る道筋を描く。正直、陳腐。最新号の「モーニング」の連載漫画「Hey!!ブルースマン 」(山本おさむ)でも、やはりブルースシンガーと、かつて自分たちを冷遇したプロデューサーとの再開が描かれていたが、こっちの方がずっと深みがある。まあ仕方ないけども。

「ディランを聴け!!」は、かなり独断的に意見を述べていて、それが少々鼻につくけれど、「インフィデル」を絶賛しているのは気に入った。それに、ディランの曲をこれほどちゃんと聴いているひとが、読める文章で一曲一曲を批評しているのは、稀有な例だし、その努力には頭が下がる。
惜しむらくは「血の轍」にかんする評価が矛盾していることと、一部の曲が無視されていること。書店で手に取った時は、全曲解説してるんじゃないかと期待したんだが。「ジョージ・ジャクソン」とか「リタ・メイ」とか、シングルでしか出ていない曲も取り上げられていないなあ。まあ、いいけど。

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04年07月31日重慶のサッカーファンは最低

あんまり気が進まなかったけど、やはり将来の北京オリンピックの時のために、 自分で覚えておく意味で書いておこうと思う。
今サッカーのアジアカップが開かれている中国の、少なくとも重慶のスタジアムに集まった中国人はほとんどのやつが最低だ、と。

現地の中継映像をみる限り、どのサッカーファンにも一目瞭然だと思う。
だいたい、自分のチームでもない国同士の対戦にわざわざ出かけていって、その一方をブーイングしたり、対戦国を大げさに応援してプレッシャーをかけたり、ということをする国はほとんどない。
加えて、怪我などでプレイが止まって、ボールを外に出してくれた時、相手にボールを返すのが通例だが、それにたいして拍手を送らない国、というのもほとんどない(たぶんイングランドと韓国ぐらい。韓国は、そもそも相手にボールを返さなかったりすることもあるが)。
さらに、相手国の国歌斉唱の時にブーイングする国も、まずない。
さらにさらに、会場の入り口で一方の国の国旗を配り、もう一方の国の国旗を持っていると没収したりする国、というのは、今まで聞いたことがない(まあこれは、自分で見たわけではないけれど)。
とどめに、こういうことを全部やっている国というのは、たぶん全銀河系でも存在しない。中国を除いて。

こういう実態や風評が示している事実、それは、中国は国際スポーツ大会を開催するほど成熟した国家ではない、ということだ。
別に自分の国でスポーツ大会を開催しなくてもいいじゃない。それだけが国歌のすべてというわけじゃないんだからね。中国は中国で、独自の分野で世界に自分の存在をアピールしていればいいのだ。止めないし、否定もしない。

ただ、スポーツの国際大会は、もうやめてほしい。たぶんオリンピックでも、同じようなことを繰り返すんじゃないか、とそれが不安でならない。
ソウルオリンピックのように、やはりアジアで国際大会を開くのは問題が多い、と世界に恥をさらすことになりそうな気がしてならない。
日本の中継映像では、解説もアナウンサーも配慮してはっきり言っていないけれど、ああいう状況を容認している中国の態度は、絶対に許せない。
いやしくもホスト国なわけだろうが。
相手が日本なら、言いたいことを言っても全然大丈夫だとたかをくくってでもいるんだろうか。
最低だ。
あれだけが中国人のすべてではないと思うけれど、あの場で、オーマン戦やタイ戦やイラン戦で、日本の相手国ばかりを応援していたやつら。
中村が怪我した時拍手したやつら。
国歌斉唱でブーイングしてたやつら。
最低だと思う。

今日はベスト4をかけてヨルダンとの対戦があるが、この調子でブーイングされ、妨害され続けているぐらいなら、いっそボイコットしてしまってもいいんじゃないか、と思えたりもする。一方、そういうのをあざ笑うように優勝するのも、一番の皮肉になっていいんだけど。ともあれ、できれば怪我のないように頑張ってほしいと思う。

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04年07月07日ウルトラQ

テレビ東京で放映されている新シリーズのウルトラQを見ている。今回は『李里依とリリー』というタイトルで、オリジナルの「ウルトラQ」の「悪魔っ子」をモチーフにした、人格分裂の話だった。
まあそれはいいんだけど、前作で催眠術に論拠を求めた人格の分裂を、今回はジョン・C・リリーのアイソレーションタンクで代用していたのには、はっきり言ってあきれた。
リリーの本、全部台無しじゃないの、こういう描かれ方、されると。
リリーの業績をちゃんと紹介しようとしているひとたちにとって、こういうプロットはどうなんだろうなあ。

要するに、テレビ東京って、バカ? 
そう言い切ってしまっていいのかなあ。

そもそも、それ抜きにしても、謎が全然解決されてないし、原因もよく分からない。
父親が現れたのはなぜだか分からないし、「自殺」に失敗した後、霊体(というか)のリリーは、なぜ形がなくなってしまったのか、本体のリリーはなぜ目覚めないのか、とか、細かい部分がないがしろになってる。
ひどいなあ。
このシリーズの「ウルトラQ」は、作品によって力の入れ方が全然違う。
駄作と、まあまあの作品とが、互い違いに登場するもんだから、他人に勧めるのも難しい。
何というか、よく分からない。予算の問題なのかな。いずれにしても、リリーをあんまり馬鹿にするような脚本は書かないでほしいなあ、と思った。

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04年07月05日ユーロの決勝はギリシア

ギリシアの優勝おめでとう。
でもやっぱり、こういうサッカーは嫌いだ。
当たり負けしないディフェンスというよりは、細かい反則の積み重ねだし、肘打ちや引っ張り等審判の見ていないところでの見苦しいファウルとか、特に怒りっぽそうな選手を狙い撃ちした大げさな倒れこみとか。
ゲーム序盤で、相手の主力選手を削るってのも、もし意図してやってるんだったらとんでもないことだ。
こういうサッカーが主流になったら、サッカーそのものがつまらなくなってしまう。
で、サッカーでは無名のこういう国が勝つと、すぐに「さわやか」って言葉でまとめようとするCSや民放のアナウンサーには、ちょっと幻滅。

ただ、ギリシアもこれであと4年はヨーロッパチャンピオンなのだから、チャンピオンにふさわしいサッカーを今後は期待したい。マンツーマンは地味だけど、ちゃんと通用する戦術だったことが証明されたのだし、いい選手もそろっているんだから、汚いプレーなしに、フェアな試合をするようになってほしいと思う。

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04年07月01日お休み

今日はお休みだったので、朝の三時に早起きしてユーロの準決勝ポルトガル対オランダを見て(ポルトガルが勝ててよかった)、その後仮眠して昼頃起きた。

で、近所にできたインド料理屋で昼ごはんを食べて、山上たつひこの「喜劇新思想大系・完全版上」(3500円・高い)を買ってきて、うだうだしながら家で読んだりした。

この漫画は名作だが、たぶん今の読者にはあまりその良さが分からないんじゃないかな、と思った。でも価格が価格だから、知っているひと以外は買わないだろうから、まあいいかな。

最近ずっと、お昼は会社の元よりの「アジアン・ランチ」のバンで弁当を買っているせいか、どうも辛いものにたいする耐性ができてしまったようで、今日行ったインド料理屋も、やや辛めのものを選んだのに、全然というかそれほど辛くなかった。おいしかったからいいんだけど、これでは他人に勧める時、どういう風に説明すればいいのか、などと考えたりした。

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04年06月30日サラリーマンの憂鬱

今月から、私の部署に三人の新人が加わった。
新人、といっても、年齢は私より上の人たちばかり。給料も上。最近はかばかしくない別の部署から回されてきた人たちだ。
会社からすると、はっきり言って余剰人員、もっときつい言い方だと、リストラ対象の人たちだ。現在、残務整理で前の部署に残っているひとりを除いて、その二人が私と同じ職場で働いている。
私の部署は、最近調子の悪いこの会社の中で、唯一収益をあげているところなので、それなら多少人員を増やしても構わないだろう、と会社の上層部が考えたのかもしれない。 とはいえ、仕事の量自体は変わらないわけだから、今までの仕事を何とかして彼らに回さないといけない。

元の部署で余剰人員だったからといっても、どんな能力があるのか分からないので、偏見をなるべく持たないようにして、伝票の入力作業をお願いしたが、そのうちのひとり、Aさんは、作業にやたら時間がかかるうえ、間違いが多い。 しかも、仕事の合間に、いかにもつらそうなため息や大きな背伸びをしたりと、 「いかに自分に向いていないか」を言外にアピールする。
こんな仕事は自分にはふさわしくない、とでも言うがごとく。
もちろん、口では絶対にそんな言葉を出さない。どんな仕事でも嫌がらないが、それだけによけいにやりにくい。

確かにつまらない伝票処理かもしれないが、そういう仕事の積み重ねがこの会社を支えてきたのだ。ひいては、もうずっと赤字だった、かつてのあなたたちの部署を裏で支えていたのも、こういう地道な仕事なのだ。 と、そう言ってやれればいいのだが、さすがに言えない。
年齢が上だということもあって、そういった不満について、なかなか口に出して指摘するのが難しい。
「まあ、まだ初めての仕事だから」とか
「まあ、こっちで直せばいいや」とその場しのぎで対処してしまう。

でも、こういうのが積もり積もると、いずれ爆発してしまうんだろうな、と思う。何かあって、上司が「Aくんの調子はどうかな?」なんて聞いてきた時に、
「最低です。集中力がないし、ミスが多いし、仕事が遅い。何より、仕事をなめてます」
などと答えてしまうんじゃないだろうか。

だから逆にいうと、配置転換で入ってきた人も、それなりに新しい職場の雰囲気を察知する努力は必要そうだ。
特に、新規入社ではなく、別の部署からの配属代えなどの場合、前職で培ったプライドなんぞ、役に立つどころか逆効果にしかならないこともある。それにこの会社の場合、私の部署以外は赤字だった、という背景がある。赤を出して、ずっとわれわれの給料や収入を不当に吸い上げてきたやつらの仲間だと、そういう風に見なされていても不思議ではないんだから、多少は溶け込む努力が必要だし、どれほどくだらない仕事だと感じたとしても、それが結果に結びついている以上、尊重すべきだ。
これは彼だけに言っているわけではない。自分も、今の仕事を何らかの理由で辞めたとして、新しい職場に就くようなことがあった場合、同じようにこころして対処しなくちゃならない、と思う。
しかし、配置転換や再就職で辛い目にあうひとの話は世間にあふれているけれど、そういう人たちを受け入れる側の立場について、あまり言及されてはいないのはなぜなんだろう。受け入れる側にしたって、それなりの葛藤や不満がある場合も多いのだ。新天地で不遇をかこってわが身を嘆く前に、なぜ自分が受け入れられないのか、溶け込むにはどうすればいいのか、ということについて、一度は自分を振り返ったほうがいい。

ところで、同時に入ってきた別の人は、ほぼ同じ状況ながら、電話応対や伝票入力をきちんとこなしている。入ってくるまでは性格的に問題があるのでは、などといわれていたものの、今のところそういう面でのトラブルは発生していない。これだけ対照的だと、当然他の社員たちの見る目も違ってくる。ふたりをしっかり、区別して見るようになり始めている。
やはり、指示されたことをそのままこなしているだけではだめなのだ。全くの新人に比べれば 年齢の問題で人件費が高くついていることもあるし、ちょっとしたミスでも、すぐにそういうマイナス要因と直結して考えられてしまうだろう。最初、仕事の全くできないAさんを、気の毒に思っていたけれど、自覚がないのなら、もうどうしようもないのかも知れない。

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04年06月28日EURO2004デンマーク対チェコ

ユーロの準々決勝最後の試合はチェコが3-0でデンマークを下した。
前半はどちらも固く守っていて、無得点だったが、後半20分までに、あっという間にチェコが3点取った。
体力的に有利なデンマークが、後半勝負にかけていたのは前半途中あたりからみえみえだったが、解説者は「チェコの調子が悪い」なんて的外れなことを言ってた。
今までのチェコの試合を見ていたら、こういう流れはチェコのプラン通りだと分かるはずだけどな。

それにしてもバロシュはすごい。リードして、余裕ができてからの2ゴールとはいえ、決められるところを確実に決めるのは、やはり一流のFWなんだろう。
これで準決勝はポルトガル対オランダ、ギリシア対チェコになった。どっちも楽しみ。
地上波のTBSは、視聴率的にはとっても運が悪かったみたいで、選んだ放映試合には、ポルトガルのイングランド戦もなければ、このオランダ戦も含まれていない。放映する方のギリシアチェコ戦も、いい試合になりそうだけど、視聴率を取れるかどうかかは、また別だから。

ところで、これでようやく深夜の放送が二日間休みだ。やっと普通に寝られる生活に戻せる。ちょっとさびしいような気もするが。

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04年06月25日EURO2004イングランド対ポルトガル・フェルメール

イングランドは残念だった。でも、とてもいい試合だった。オーエンの先制点はものすごかったし、ルイ・コスタのシュートも最高だった。ポルトガルも、このまま調子を上げていって欲しいなあ。

ところで昨日、「画家のアトリエ」を見るために、上野に行った。
フェルメールは2000年に大阪に行った時以来。久しぶりだ。
大阪の教訓で、平日の早い時間に出かけたんだけど、おかげでわりあいと空いた環境でフェルメールを堪能できた。「画家のアトリエ」は、フェルメールにしては大きな作品で、本人も大切にしていた作品らしい。
フェルメールの絵のどこがいいのか、という質問には、なかなかうまく答えられないことが多い。
やはり光の配置とか、人物の、いかにも無防備なところがいいのではないかと思ったりもするんだけど、どうしても、ずっと昔に読んだハクスレーの「知覚の扉」に影響されているみたいなんだよな。そのうち、もっと詳しく書けるようになったら書こうと思うが。

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04年06月23日EURO2004イタリア対ブルガリア

イタリアは勝ったものの、上へは進めなかった。

結局トッティの出場停止が最後まで影響した気がする。それは彼の実力もそうだけど、それ以上に、イタリアの試合運びにたいするネガティヴなイメージを審判に植え付けてしまった、ということ。イタリア監督のトラパットーニは、審判問題にも時々文句を言っていたみたいだけど、トッティのやったことが事実だとすれば、そりゃいいイメージは持たれないだろうね。そういう悪条件も打破できるだけの決定力があればよかったんだろうけど。

ただ、このブルガリア戦のカッサーノのゴールはとてもよかった。カッサーノって、あんまりいいイメージないんだけど、さすがに今日だけは気の毒で同情した。でもたぶんこれでオリンピックにも出やすくなっただろうな。日本と同組なので要注意。

イタリアの敗因は、点が取れなかったことに尽きるけれど、そこにいたる筋道で、以前のようなカテナチオと呼ばれた固い守備が通用しなくなってた点も大きいだろう。いずれにしても、力不足。チームとしては、ワールドカップの時ほど同情できないし、監督の責任も問われてしかるべき、なんだろうね。

同時に別会場で行われていたデンマークとスウェーデン。ちょうど両チームが決勝トーナメントにいけるようなスコアで引き分けたことで、談合めいた疑惑を感じて、ずるいと怒っているひともいるみたいだけど、ワールドカップの対メキシコ戦で、後半に露骨な引き分け狙いをして大分の観客をしらけさせたのも、他ならぬイタリアだったんだから、同じ事をされても文句をいう資格はないね。それに、デンマークとスウェーデンがそういう露骨な試合運びをしていたとはとうてい思えない。

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04年06月22日EURO2004クロアチア対イングランド

多少楽になったとはいえ、サッカーを生で見るために毎日3時半起きはけっこうつらい。で、ここしばらくはそういうスケジュールになるので、たまには休みを作ろうかと思っていて、その最初の候補が、このクロアチア対イングランド戦だった。
でもせっかくだからと、やはり早起きしてみたんだけど、なかなか起きられず、起きてテレビのスイッチを入れたとたん、ルーニーの同点ゴールが見られた。鮮やか。イングランドは、どこか精彩を書いている感じがするんだけど、このルーニーだけは、この大会でブレイクしそうな感じがする。もう4得点だもんね。ただ、次の相手はポルトガルなんだよなあ。ポルトガルは、この前のスペイン戦で、ちょっと復調しつつあるので、この両者の対戦がどうなるのか、非常に興味がある。それも、もうニ、三日で見られるんだよなあ。ああ、やっぱりユーロはいいなあ。
クロアチアは残念な結果に終わってしまったが、まあビッグネームが大挙して退いた後だから。過渡期ということで仕方ないのかも。今後はラパイッチらが引っ張っていくんだろうか。
今夜はイタリア対ブルガリア。これもまた、どんな展開になるのか、非常に楽しみだ。

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04年06月20日EURO2004オランダ対チェコ

ユーロのオランダ対チェコはおもしろかった。
オランダを応援していたので、期待とは逆の結果になったが、最後まで目の離せない試合だった。
ただオランダのファンからすると、監督の采配に不満を感じる向きが多いようす。
ワールドカップの予選の頃も、どこかチームがちぐはぐで、でも個人個人のレベルはとても高いから、ここに決定力が加わればなあなんて考えていたんだけど、ファン・ニステルローイがものすごくよくなったから、その弱点も解消されたと思っていた。
今日の試合も前半まではそう思って、安心してみていられたんだけど、数多くのチャンスをあと少しで決められないでいるうちに、何だかおかしくなってきた。
監督の守備的な選手交代を「びびってる」と批判するひとは多く、実際そのせいで負けたんだろうから、何言われても仕方ないけれど、あれだけチャンスを作りながら追加点が取れないと、臆病になりもするだろう。まあ選手を信頼しきれていなかった、あるいはそういう信頼関係を作りきれなかった、という点は致命的だったんだろうけど。

明日からは、一次リーグの最終戦になるので、一晩2試合が同時に開催される。これからは、とりあえず4時前に起きればいいんだな。いやー、昨日までは本当にきつかった。仕事をしている限り、平日に両方の試合を生で見るのはまったく無理。で、1時からの試合を見る時は後の試合の前に寝て、翌朝結果だけチェックして後日録画放送を見ることにしていたし、4時からの放送を見る場合は、会社から帰ったらすぐに寝て、4時ごろ起きて放送を見る、というパターン。これが、どっちの試合を生で見たいかによって毎日変わったものだから、すっかり体調がおかしくなった。これからは、早起きはやはり辛いけれど、とりあえずリズムを崩さないようにはできる。よかったよかった。

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04年06月04日今の政治はやはりおかしいと思う・あるいは、小泉政権打倒

馳星周は好きではない。小説は読んだことないけれど、サッカーに関するコラムを読んでいると、どうしてこれほど的外れな発言ができるんだろう、と思うことしばしばで、しかも言葉が汚くて、その悪意が幼稚に感じられて、とてもうんざりする。
だから、彼のコラムを読んで、共感することなんて絶対ないだろうと思っていたんだけど、5月29日付けの記述には、いちいち頷けるところが多く・・・というか、サッカーに関する部分以外は、ほぼ同意できる内容だったので、何というか、とても意外に思ってる。

もうほんとにうんざりだ。以前から自民党政権とそれを支える人々にはうんざりさせられていたが、小泉が首相になってわたしはもう限界に達してしまった。あの厚顔無恥な嘘つきを、どうしておまえら、支持できるのだ?
やはり疲れているだけなんだろうか、とにかく総理大臣が代われば、何もかもうまくいくような気がして仕方がない
あのひとは、とにかく幸運というか、悪運が強いというか、以前の総理なら失脚して当然のような状況に立ち至った時ですら、別の事件が起こったり、もっと深刻なスキャンダルが別の議員に起こったりして、そのつど危機を回避してきた。
で、実際支持率も高い。
でも、みんなじっくり考えてみるといい。
あいつが首相になってから、何か日本にいいことはあっただろうか、ということを。
「時代の流れ」とか「外圧」とか、都合のいい言い訳はいつでも用意されているし、「他にろくな候補がいない」というお題目も、何度も何度も繰り返されてきた。
でも考えてみてほしい。
あいつが首相になってから、日本の景気は全然よくなっていないということ。
個人のプライバシーがまったく省みられないような状態になっていること。
「構造改革」の名のもとに、さまざまな今までうまくいっていた方法がなし崩しに否定されていったこと。

年金法案にかんする開き直りと言い逃れ、北朝鮮問題にかんする自己正当化と詭弁、それから、直接この総理とは関係ないかもしれないけれど、輸入CDを規制する悪法を成立させた自民党と公明党の議員たち。

こういうことを考えていくと、今の政権は全くもって支持できないし、できるだけ速やかに消滅してほしいと思えてならない。
このページで政治的な主張をするのはまれだけど、もうそういうことは言ってられない。上記三つの問題については、それなりに不満を持っているひとも多いと思われる。ならば、チャンスは今だ。
マスコミは、今も「今日の小泉」みたいなくだらない記事で、日々のゴシップについて、首相のコメントをいちいち取って記事にしたりしている。相撲で誰が勝ったとか、悲惨な事件があったとか、首相の職務と直接は関係ない話題まで、わざわざ首相のご託宣をうかがいに来る。
以前の総理大臣には、決してしなかったことだ。
くだらない人気取りに加担しているのだ。

それから、2ちゃんねるを中心としたネットでの書き込みでも、なぜか自民党や首相に都合のいい書き込みがしばしば見られる。 たとえば雑誌「Meets Regional」の連載で、例の人質事件について町山広美が書いているように。
町山
私は、操作があったとすら思っている。いくつか家族たちを批判するサイト見たけどさ、早いうちから資料が充実すぎ。それ以上に言葉ね。例の『自己責任』ってやつ。批判がバラバラに湧いてきたにしては、言葉が統一されたのがいくら何でも早すぎた。
現政権に都合のいい情報ばかりが流布している現状。たまに批判があっても、うまく丸め込まれたり、なかったことにされてしまう。とても気持ちが悪い。これは、あの人が首相の座についてからのことだ。
いっさいの批評や批判が、うまく丸め込まれてなかったことにされてしまっている現状。どう考えてもおかしい。

わたしのこういう意見が言いすぎだとか、過激だと思うひともいるだろうけれど、わたしは何も、民主党に政権を取らせろとか、体制を転換しろとか言っているわけじゃない。
もちろん本心では自民公明の連立政権そのものに懐疑的だけど、それ以前に、とにかくあの首相を交代させてほしい、と言っているだけだ。
他に適当な候補がいないから、という言い訳は、もう聞き飽きた。
この際、別に誰でもいい。
あの嘘つきの、言い逃れとその場しのぎの、メディア対策だけ巧妙な、政治家としては無能で非誠実で他人の気持を思いやらない男に任せておくよりは、どんなやつでも絶対ましだ。
私のふだんの考え方からすると非常に不本意だけど、仮に石原慎太郎が首相になったとしても、あの男よりは全然いいと思う。
以前の日記を読んだ方ならわかってくれるだろう、それほど切実に、わたしはあの首相の交代を望んでやまないのだ。

とにかく、小泉純一郎が首相でいる限り、日本の未来は暗い

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04年06月02日When the music is over

昨日の危惧どおり、法案は委員会を通過して、明日にも可決され、青年からは、輸入CDが規制されることとなった。
この点について、万来堂日記の記述がとても興味深いので、リンク。

私たちの声を聞いてくれたのは誰だったか。
私たちの声を踏みにじったのは誰だったか。
私たちに説明をしてくれたのは誰だったか。
私たちを騙そうとしたのは誰だったか。
それを覚えておくことにしよう。
さあ、どうしたら彼らに私たちの声が届くだろうか。
準備はいいかい?

まあ、そういうことになるんだろうなあと思う。私なんかよりもっともっと若い人たちが、この問題について、政治的な意識に目覚めてくれればいいんだけどね。
とりあえず、「輸入禁止期間は50年がいいと思っていた」とのご発言をされた日本レコード協会の会長、依田(yoda)巽氏が、同じく会長をしているavexのCDは絶対買うまい、と思った。
あ、ここはCCCDを最初に導入したレコード会社でもあったね、じゃCD出していないんだから、買おうにも買えないか(笑)

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04年06月01日CD禁輸断固反対

著作権法の改正で、輸入CDが普通に国内で購入できなくなってしまうという
本来の趣旨は、アジアで作られた正規の日本のアーティストのCDが逆輸入で国内に入ってきた時、非常に低価格で販売されており、それによって本来の国内盤の売れ行きが妨害されるから、ということだったのだが、その法案が、ふつうに読む限りでは、英米の輸入CDも同様に規制の対象にされてしまってもおかしくないような内容になっていることから、音楽ファンが疑問の声をあげたのがきっかけだった。
付帯事項で、英米の音楽は対象外だ、と明記せよ、という要望にも、この法案の推進者たちは聞く耳を持たない。そういう差別的な例外を法案で明記することはできない、というのだな。で、アメリカの五大メジャーも、そういう規制があっても、今までどおり輸入できるようにする、という声明を出した。だから大丈夫、というのが意見の根拠らしい。
でも、別のルートで、実はこの法案を強く推進しているのが、ほかならぬ五大メジャーだったということが明らかになった。もしかしたら、法案が成立した時点で「状況が変わった」とか訳のわからない言い分でもって、この声明を反故にしてしまう危惧だってあるんだということが分かってきた。
そこでこころある音楽家や評論家たちが集まって反対の声明を出した。
それでもまだ、推進派はこの法案を通そうとしゃかりきになっている。

ことここにいたって、JASRACを始めとした音楽産業の担い手たちは、音楽を文化としては、全然愛していないし敬意も払っていないということが明確になったように思う。要するに、単なる金儲けの一手段としてしか、音楽を考えていないのだ。
しかも嘆かわしいことに、そういう動きにたいして、若いリスナーは全然危機感を抱いていない。CCCDだってそうだ。要するに、一時的に楽しくなる音楽が聞ければ、それでいいと思っているんだな、みんな。・・・嘆かわしいことだ。

色んなところで絶望的な気分にさせられている。こうなると、とるべき手段は限られている。
とりあえず、この法案が施行される来年一月までに、今まで好きでも買えずにいたCDを買い捲る。
で、来年からは、JASRACや日本の音楽産業に金が入るような形での音楽購入を一切控える
これしかもう、抗議の意思を示す方法はないかと思われる。運良く、今まで随分たくさんのCDやレコードを購入してきているから、しばらくは、新しい音がきけなくなってもかまわない。とにかく、今ある日本の音楽産業が滅びてしまうまで、ささやかながら抵抗を続けていこうと思っている。友人知人にこの話を伝え、ネットでも宣伝して、できるだけ悪のヨーダをはじめとした、諸悪の根源たる拝金主義者たちを苦しい立場に追い込んでいけるよう、努力したいと思っている。
でもたぶん、こういうことを考えているのは私たち少数ではない。
音楽に金を払うのが無知な若者だけで、そういうガキをだませばいくらでも金がもうけられると思っていたら、大間違いだ。きっと後悔させてやるからね。

この話についてはくわしくはこちらで。この辺から色々探していくと、「悪のヨーダ」が誰なのかも、きっとわかる。CCCD導入と、同じなんだな、と理解できると思う。

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04年05月27日今さらハイポジにはまる・電車男

ハイポジというバンドの音楽。どっかのサイトで「身体と歌だけの関係」の歌詞があって、気にしていたのだが、最近、近所の図書館に別のアルバムがあるのを知って借りて聞いてみたのは、「悲しいことなんかじゃない」というアルバム。
とってもよかった。
もう廃盤なので普通に入手できないのが残念だ。
1曲目と11-15曲目がとてもいい。
歌詞はやらしいし、歌い方にもくせがあるけれど、メロディの作り方がとてもうまいように思う。こういうひとを発売当時(96年かな)に知らなかったのは、まさに痛恨のきわみだ。
「前戯」という曲の「指一本触れずに〜」のフレーズは、歌詞はやらしいけれど、とてもいいメロディだと思うし、14曲目の「幸せ」も、しみじみとこころに響く名曲。 もりばやしみほって、天才じゃないのかな。 歌い手としてはともかく、歌の作り手としては、かなり高いレベルにあるんではないか、と思った。

14曲目の話にもかかわるけれど、自分が幸せだって感じるのは大切だ。最近多くの人は、「自分だけ損している」と思いすぎている。そう思ったところで、たいていの場合、何も建設的な方向には進まない。ねたみや嫉みでいったい何ができるっていうのかな。

自分にも言い聞かせたいのだが、現代人はすべからく映画「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」を見るべきだ。たいていの自称「不幸」人は、ライカ犬よりは絶対幸せなんだよ。

とか、こういうことを考えるようになったのも、ネットで電車男の話を読んだからかもしれない。アニメオタクが初めての恋をいかに成就させたかという、感動の記録だ。
こういう奇跡的なラブロマンスの経緯をたどっていくと、何だかとても、人間にたいする肯定的な気持が募ってくるような・・・それは幻想かもしれないけれど、どうせ幻想なら、楽しい幻想がいいに決まっているのだから、 やはりみんなこの記録を読んでくれればいいなあ、と思ったり。

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04年05月07日今日買った雑誌ふたつについて、その他

今日買った雑誌ふたつについて、ちょっと引用。
はじめは雑誌『創』六月号の記事「イラク取材「自己責任論」批判」

原田「最初の3人の家族が、マスコミと政府に袋だたきにあいましたからね。記者会見や集会などを仕切っていたある種の人たちに利用されているように見えました。ワラをもすがる思いですがったワラの質が悪かった。そういう意味では、あの家族は被害者とも言えますよね。
CNNなど外国のテレビを見ると、拘束された米兵の家族も、イタリア兵の家族も、人質の無事を願って大騒ぎしています。身内を助けるために、何でも言ってしまうのは当たり前の行為ですよ。それなのに、叩きまくっているのは日本だけですよね。」
(・・・)
原田「安田さんが『イラクに残って取材したい』と解放時に言ったとかいう報道も流れましたね。それは本当ですか 」
安田「全くそんな発言はしてないのに、あれは作られましたね、外務省に」
原田「意図的に操作している勢力があるのでしょう。今日もまた、川口順子外相がひどいことを言い出した。「イラクに入ることは控えて欲しい」と。そこまではギリギリ分かるけど「海外に渡航する邦人は自らの安全は自ら責任を持つという自覚を持ってほしい」とまで話を広げ始めた。邦人保護という政府の責任を放棄する発言です。
この後、日本の大使館がいかに自国ばかり向いた活動をしていて、在留邦人につめたいか、についても書かれていた。こういう、大きく報道されるとまずいことを隠蔽する意味で、政府筋の情報操作があったのではないかという見方もあるけれど、情けないのはそれにまんまと載せられてしまった一般の人たちだろう。
悲惨な境遇にあっている人たちにたいする、ほんの少しの同情心もなく、ただセクトがバックについているらしい、などといった憶測でもって被害者やその家族を攻撃したり、なじったり。マスコミも、そういう流れを後押ししているかのごとき論調だった。まあここにきて、ようやく冷静な記事がいくつか見られているのは救いだけれど、ここ数ヶ月の、一種魔女狩りにも似たおぞましい雰囲気については、決して忘れないでおこうと思っている。

それからもうひとつ、 雑誌『週刊現代』5/22号 今村紀明 怒りの単独インタビュー

「自己責任」という論調に対して、はっきり言いたいことがあります。NGOの活動をもともと奨励していたのは、政府です。NGOの情報がなければ、現地で何が起こっているか報告なんてできない。マスコミも同じです。フリージャーナリストがいなかったら、日本の新聞やテレビは、戦争報道なんてできやしない。なのに、そうした活動をしにイラクに行って拘束された僕たちに、これほど「自己責任」があると責められる筋合いがあるんでしょうか。単純な理屈です。なのに、みんなこの問題を棚上げにして自己矛盾に陥っている。

まあ今村氏がNGOだったのかどうか、よく分からない部分もあるけれど、彼のこの話は正論だと思う。仮に、どんな目的でイラクに入ったのだとしても、不法に自由を拘束された邦人を、日本が国として解放のために力を尽くすのは至極当たり前のことだし、そのために使われる費用は、決して税金の無駄遣いではない。今村氏も、イラクに行くにあたって何ら法律を犯してはいない以上、日本人として当然のサービスを受けたに過ぎない。
極端な話をすると、たとえばハネムーンでモルジブに行ったら、突然テロリストに拘束されたとする。その時に、解放のために努力する日本政府なり大使館の努力や費用は、今回の事件とまったく同じ性質のものだ。それもまた、税金の無駄遣いだと批判できるんだろうか。 要するに、自分の身になって考える、という、最低の想像力すら失ってしまったやつらが、今回の騒ぎを起こしているのだ。少しは恥ずかしいと思わないのだろうか。自分の品性について、何ら省みるところはないのだろうか。

あと、やはり『創』の連載で香山リカの連載「こころの時代解体新書」で、面白い記述があった。

どうやら一般の人たちの心の中には、まず「私ばかりが損をしている」という被害者意識にも似た思いがあり、だからこそ少しでも身勝手に見える振る舞いをする人に対して、それを許すことができなくなっているのだろう。
「おまえだけ、いい目にあってずるい」 「私だけが、なぜガマンしなければならないのか」 恨み怒りが「自己責任の原則」という知的な用語にカモフラージュされながら、特定の個人に向かう。あるいは、だれかを激しくののしりながら、「私は弱者や敗者側、つまり自己責任を負う側にはまだ回っていないぞ」と自らの立場の安全性を無理やり確認しようとしているのかもしれない。そうすることで、いつ自分が「はい、あなたは負け組です。でもその責任は自分でどうぞ」と言われる側に回るのではないか、という恐怖から一時的にでも逃れることができるからだ。今回の人質事件への国民の拒絶的な反応には、そういう心理的背景があったように思われる。
「自分だけが損をしている」というひとたち。自分もそういうところがある。確かにこれは、最近よく感じていることだったりする。こういう人たちにたいして、できることは何だろうと、色々と考えた。
日本には、西洋やイスラムのような、確固とした宗教がない。道徳の規範となる礎がない以上、社会規範に逸脱する行動や意識が恥ずかしいと思えるような、そういうライフスタイルを見せつけることぐらいしかないのではないかと思う。
自分も含めて、そういう人にたいして何かたしなめるようなことを言ったところで「あんたなんかに、私の気持ちはわかんないわよ」と逆切れされるのが関の山だ。
とすれば、雑踏で落ちたゴミを拾うとか、使いっぱなしで放置されているスーパーのカートを元に戻すとか、信号を守るとか、そういうあまりにも小さくて目立たないことを少しずつ積み上げていくしかないのではないかと思ったりしている。

ただ、そういう「善行」は、している本人も恥ずかしい。かっこつけている、と他人に思われやしないかと、常に自意識からの突っ込みを受け続ける。けっこうウザイかもしれない。だから気まぐれでもいいと思っている。常にゆるぎない自我なんて、よほどの高僧ぐらいしか持ち合わせていないのだから、思い立ったその時だけ、そういう行動ができればいい。無理は続かないし、体にもよくないしね。

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04年04月20日人質が無事でよかったけど

人質が無事でよかったけど、
状況の検証以前に、感情的に「自業自得」だの「税金かえせ」だの言う向きには、無性に腹が立つしあきれる

命の危機から逃れ、ようやく帰ってきた同胞に対して、最初にかける言葉がそれかよ
税金がどうって、国が国民を守るために金を出すのが、そんなに不思議なことなのか

先日の日記でも書いたように、もし万が一、この事件が彼らの自作自演だったら話はまったく別だ。確かに私も腹立たしいし、『税金返せ』と言いたくもなる。
でもね、「疑わしきは罰せず」と言うでしょ? まだそうだと決まったわけでもないし、この先そうなりそうだという確実な予測もない。そういう状況で、噂や全然裏づけのない疑惑だけでもって、彼らの行動が取りざたされているのは、まったくもっておかしいし、否定されるべきだと思う。(どうかひとつ、自分の身になって考えてみてほしい。ボランティアして、帰国したとたん、白眼視されたら、いったいどういう気分になるか、ということを)
実際、ボランティアで海外で活躍しているひとは他にもたくさんいるけれど、そういうひとたちの今後の活動に、不当な制約が押し付けられてしまう。それはまわりまわって、日本という国の不利益にもつながる、とっても重大なことだ。
それを警告しているのばパウエルだったり、フランスのル・モンドだったりしているのに、それすらも無視して、同じ言葉をがなりたてる、バカな蒙昧の群れ。

全くもって、あきれ果てる。

もうこういうやつらはどうしようもないから、せめて帰国した三人のひとたちには、『そういうバカばっかりじゃないんだよ』ということを伝えてあげたい。情報の操作にすっかりだまされて、いいように操られているバカのことは気にせずに、誇りを持ってふるまってほしい、といいたい。

あなたたちは、日本の誇りだと思う。命がけで、イラクのために尽くしたんだから、誰にも恥じることはない。メディアもここにきて多少冷静になってきたから、そういう、人間として真っ当な意見がもっともっと出てきて、あなたたちがうつむいた顔を上げることのできる日が、一日でも早く訪れて欲しいと思う。

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04年04月12日人質の無事を祈る

2ちゃんねるには、ワールドカップの時に有益な情報をもらったんで感謝している。 その気持ちは今も変わらないから、何かと批判の的になるたびに、微力でも『いや、そういう部分ばかりじゃないんだよ』と言ってきたりしたんだけど、今回ばかりは同意できない。
何の話かというと、もちろん、イラクで人質になっている三人についての話だ。

右翼だとか左翼だとかいう以前に、自作自演だとか共謀だとか言う以前に、同じ日本人が誘拐されているという事実にたいして、何ら遺憾や憤り、悲しみの感情を抱けないやつらは、同じ日本人だとは思えない。
何しろ、まだ解放されていないのだから、この時点で曖昧な情報をもとに、彼らの背後関係やら主義主張について云々することはないだろう。
なぜ言えないんだろう、「生きて帰ってきてほしい」という一言が。

面白ければそれでいいのかもしれないが、ひとの命がかかっているのに、よくもまあ、税金の無駄使いだなどと、非人間的な書き込みができるもんだ。
しかも嘆かわしいことに、こういう風潮は2ちゃんねるだけではない。
私の会社でも、同じような言葉を口にしたやつがいた。
妻子持ちで、子供は中学生。
そういうやつが、たとえば自分の子供が誘拐されたら、どういう気持ちになるか、とか、そういうほんのちょっとした、人間的な想像力を働かせることもできないというのが、びっくりだ。
「勝手にイラクに行って、勝手に捕まった。自業自得だ」って? 信じられない。
いつから、日本はこんな風になってしまったんだろう。

自衛隊の撤退問題については、まさに国論が二分されている感がある。そのあたりについて、踏み込んだ意見を言うのは差し控えるが、それにしても、おかしい。

海外で事故があるたび、ニュースでは常に日本人がいるかどうかについて、すぐに報道していて、それもばかげたことだと思ってはいるけれど、そういう次元の問題ではないだろう。
万が一自作自演だったとしたら、彼らが帰国してから、うんとなじったり糾弾すればいいのだ。その暁には、私もそうするつもりでいる。
でもまだ、今はそうと決まっているわけではないのだ。 そのあたりのことを、今騒いでいる愚かな人たちには理解してほしいし、自重して欲しいと思う。

とにかく、無事で帰ってきて欲しい。そして、こころある多くの日本人は、私と同じ気持であることを願う。

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04年04月01日三月の雑感

三月は、オリンピック予選のサッカー最終戦(対UAE)を見に国立に行ったり、映画「イノセンス」を見たり、DVDで「28日後」と「フリークス」を買ったりとか、色々と書くべきことが一杯あったんだけど、ついつい、更新をさぼってしまった。
そこで、ここで早足でコメントする。

国立の歓声はものすごかった
サッカーは、トップページで写真も載せていたけれど、とてもよかった。大久保の代表の試合を見るのはこれで二回目だが、前回パラグアイ戦では幻のゴールだったのが、今回本当のゴールを見られたのはとてもびっくりしたしうれしかった。
それも二回も。
これで調子を取り戻してくれるといいんたけどな。
考えてみると、私が代表などの試合で実地観戦した試合は、すべて応援した方が勝てない試合ばかりだった。そのジンクスを打ち破れたのはうれしいし、何より、オリンピック出場が決まるという、節目の重要な試合を生で見られたのはとてもよかった。オリンピックもぜひ健闘してほしいものだ。

映画「イノセンス」は、最近日テレで放映している「攻殻機動隊SAC」も見ているし、原作の本も読んでいたし、CFのイメージも寂寥感があってけっこう期待していたのだが、正直言ってがっかりした。
素子が最後に現れないでほしいなあ、とも思ったし、原作にあった話がそのままアレンジして使われていたのも残念だったし、何よりCFでの「Follow Me」から受けるイメージと、映画が全然一致していなかった。
派手なCGは、たぶんアメリカ受けを狙ったんだろうな、と醒めた目で思ったりして、上映中は、ずっとクールな態度になっていた。いや、クールでもいいんだけど、期待していたのと違いすぎたのが、とても残念。
引用からなるセリフも、設定としては頷けるんだが、いまいちこころに響かないでただウザイだけだったし、見事なCGは、それ以外の場面のアニメと比べて、とても浮いていた。
それも監督の意図なのかもしれないけど、セリフの件と同じく、感心するよりどんどん醒めていく感じ。色んな意味でがっかりした映画だった。

「28日後」は、上映されている時もちょっと気になっていたので、ついつい購入してしまった。
面白い映画だと思う。細かいツメが甘いけれど、それなりに楽しめた。お金出した分は楽しめたと思っている。
実はゾンビ映画は、昔から私のトラウマだ。
今まで見知っていた知人が、ある日突然敵になり、自分を襲ってくる、という設定の悪夢は、昔からいやというほど見てきている。だから、ゾンビの出てくる映画は、強く引かれると同時に、とても見ていられない、私の弱点なのだ。
そういう意味では、この映画はちょっと物足りない部分もあった。まあ、でもいい映画だ。
誰も居ないロンドンとか、強く引かれる。
みんないない。そういう風景は好きだ。
映画としては駄作だろう「ターン」も、無人の都会を描いたという、ただその点において支持できるぐらい。
ただ、人間関係の濃度が、端緒と後半で矛盾するのは、まあ仕方ないとはいえ、こういう映画の欠点だろう。今まで行動をともにしていた男が感染した時、ためらわず男を殺した女性が、後半では別の女性みたいになってしまうところとかね。
主人公を設定している映画である限り、仕方ないんだろうけど。

それ以外の個人的な話題については、時間がたって色あせる話というわけでもないので、今回は省略。落ち着いて考えられるようになってから、また書こうと思う。

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04年02月28日クラフトワーク

クラフトワークの東京公演初日に行った。去年のエレグラ以来。前回は翌日仕事だったので睡眠3時間のハードなスケジュールだったが、今回は仕事を早退して、会場に向かった。ゆりかもめに乗るのは初めてで、これまた初めてのハコZeppTokyoに出向いた。遠いなあ。会社から近いようで、ちょっと遠い。でも、
とてもよかった

音は、最初の方で一部音のずれなどがあったけれど、後半になるにつれて、そういうのはどうでもよくなってくるぐらい迫力があった。
会場に着いたのが開演のちょっと前のギリギリの時間だったため、あまりいい場所はとれず、メンバーの全体の様子をみるのはなかなか難しかったけれど、右スピーカーの前あたりにいたおかげか、音はとてもすばらしかった。

特に、「放射能」から「TEE」あたりは身震いするほどすごかった
「放射能」の低音は、身体にぶつかるほどだったし、「TEE」は、「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」の「トランス」は本当に「トランス」なんだなあ、と後でつくづく思った。
音にあわせて身体を動かしているうちに、ずっとこのまま踊っていたい、と感じたぐらい。

ただ、混雑しすぎていたのは確かで、そのせいか、私の周りのほとんどの人たちは、直立したままステージを眺めていた。で、曲が終わった時の拍手や嬌声だけが、やたら派手。
クラフトワークは、こんなに踊りやすい曲なのに、どうして全然身体を動かさないでいられるんだろう。
私はステージが前の客の頭で見にくいせいもあって、ステージ後方のビデオ映像と、音そのものに集中して、狭いながらも腕と足を多少動かすスペースを作って、ずっと踊っていた。

音にあわせて身体を揺らしていると、リズムに身体が乗っていくのが自覚される。
音のコンピネーションに、どんどん敏感に反応していって、狭いスペースでも、手や足を色々と動かしてあわせる。
それが楽しくて、ずっとずっと続いていけばいいのに、と感じていた。
曲が終わっても、拍手する暇も惜しかった。はやく次のリズムをくれ、という具合に。

この音で、エレグラの時ぐらいスペースがあって、みんな気ままに踊れたら、それはもう最高なんだけどなあ。
まあ、いいや、両方体験できたのは幸運だろう。

クラフトワークをあんまり見たことのない人たちは、次回の機会があったら、是非踊ってみてほしいな。
とっても気持ちいいよ、きっと。
別にしゃかりきになって手足を振り回さなくてもいいんだ。身体をちょっと左右に揺するだけでも、それは確かにそのひとなりの踊りになるんだから。

ただ突っ立ったまま聞くのには、クラフトワークはあまりにダンサブルでもったいない。そう思う。
というか、身体はそう言っているみたい。「思う」というより「感じる」のが音楽だし、踊りだろうしね。

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04年02月23日ライク・ア・ローリングストーン

BIG ISSUEを買ったよ。銀座の三越前で売られていたので。(どういう雑誌かは、リンク先http://www/bigissuejapan.comを参照してね)
で、会社に持ち帰って、「これはホームレスが売ってるんだよ、この売上がホームレスの資金になるんだ」と後輩に見せたら、触るのもいやがった。
多少潔癖症なやつだったから仕方ないのかも知れないが、ちょっとショックだった。なぜそんなに?
で、ちょっと考えて、『ホームレス』という言葉から、髪がボサボサで、ぼろをまとった、いかにも汚い様子のひとを想像していたのかもしれないな、と思った。
私が買った相手は、それほどひどい格好ではなかったんだけど、それをちゃんと伝えていたらよかったのかな。
とはいうものの、この後輩だけではなく、『ホームレス』と聞いたとたん、多くの人はあまり格好いいイメージを思い浮かべないのは確か。ホームレスといってもピンキリで、たいていの都市生活者は、その極端なやつらの発する悪臭や不潔感に辟易した経験があるだろうからね。
私にしても、ホームレスにたいするイメージは、可愛そうだという同情と同時に、やはり極端なタイプのやつらの悪臭への不快感とか、公園や川原を不法に占拠しているのはズルイとか、そういう悪い感情も沸き起こることがある。
どっちか一方に決め付けられないでいるし、そのどちらも一面的で正しくないと思いつつも、適切な印象を思い浮かべないでいる。
だから、BIG ISSUEを買ったのも、そんな私の、偽善的な部分が出てきただけで、この雑誌を触るのもいやがった後輩に対しては、そういう偽善が無視されたことで、ちっぽけなプライドが傷つき、それで失望しただけかもしれない。

というのはふまえたうえで、それでもやはり、ホームレス問題をあんまり自分と切り離して、無縁の問題として考えるのは間違いだと思う。というか、いずれ後悔することになるだろう。

はっきりいって、このままだと、今後ホームレスは減らない。増える一方だろう。
誰もが自分の生活圏で体験するだけでなく、近い将来、親戚や知人のうち、一人ぐらいはこういう境遇に陥るようになる。
あるいは、それが自分自身かもしれない。
そういう状況にいたった時、それまでの、居ない振りをして無視するとか、できるだけ近づかないようにするといった、今ほとんどの人たちがしている『対策』は、全く無意味になる。それどころか、極端な拒否反応が出てきて、過激な行動に出てしまうかも知れない。
そういう風にならないように、今のうちに、自分の問題として考えておいた方がいいような気がするのだが・・・まあ、こういうのも、私の中の偽善的な部分なのだろうね。

勤め先のビルの軒下には、毎朝掃除をするホームレスがいる。夜の間、そこで寝かせてもらう代わりに辺りのゴミをひとつひとつ、拾っているのだ。彼女の食事は、近くのパン屋でもらうパンの耳だ。会社の同僚が、こう言われたそうだ。「あなたたちはいいよね、暖かいビルの中に入れるんだから」。
帰りに、家の近くのコンビニに寄ったら、ホームレスの老婆がコンビニのゴミ箱をあさっている。 あまりにしょっちゅうなので、店長もあきらめているらしい。
妻の勤める図書館では、ビテオブースに一日中、たむろしているホームレスがいる。時には昼寝などして。あたりに悪臭を放つため、どうにかしろ、という一般客の苦情も多いという。
毎日、いやおうなしに目の当りにするこうした光景。
でも彼らと自分を隔てている境界線は、それほど強いものではないよ。自分だって、いつこういう立場になってしまうか、分からない。それはおそらく、ほとんどのひとが同じだろう。

この国の人たちが、自分の将来に不安をもたずにいられたのは、かなり昔の話だ。
そんな不安定な自分につぶやく言葉は「どんな気がする?(How Does It Feel?)」。
すべてが曖昧で、実に不確かだ。

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04年02月20日・沢木耕太郎『杯』

沢木耕太郎『杯』(朝日新聞社)を読んだ。日韓ワールドカップのルポで、面白い話や、意外な事実もあったりで、 楽しく読ませてもらった。
ただ一点の記述を除いて。
その記述というのは、韓国にかんする話ではない。
今回のワールドカップでは、韓国の「躍進」について、どの大手メディアも腫れ物に触るような立場を崩さなかった。唯一、ジーコやストイコビッチといった、外国人の言葉を使って、婉曲的に疑惑を感じているひとの意見を掲載するだけで、正面切ってこの問題を取り上げたひとはいなかった。
沢木もまた、彼なりに踏み込んではいるものの、やはり無難なラインからはみ出すことはなかった。
ちょっと失望したけれど、これはまあ、彼だけの問題ではないし、そもそもこの本にそういう発言を期待してはいなかった。(もっとも、日本がトルコに負けたとき喝采した韓国の人々に対する不快感については、けっこう深く掘り下げていたと思う。なぜそんなことになったのかについて、韓国の女子大生の言葉を引いて、その微妙な思いは分かる、としながらもなお『応援をしてくれなくてもいい。内心で負けろと思ってくれてもいい。しかし、負けた瞬間に手を打って喜ばれるのは、少々つらいような気がする』と、正直な気持ちを記しているのには感心した。いや、この程度のことさえ、一般マスメディアでは取上げられなかったのだからね)
だが、とても気になったのは、日本対トルコの試合の後の、日本選手の姿に触れた箇所だ。

負けた日本の選手たちの表情は静かなものだった。泣いている選手もいたが、ピッチに崩れ落ちたまま立ち上がれないというような選手はひとりもいなかった。 たとえば、セネガルにゴールデンゴールで敗れたスウェーデンの選手は、試合が終わり、セネガルの選手たちがダンスを踊っているさなかにも、ピッチに倒れ込み、あるいはうずくまったまま立ち上がれない選手が何人もいたものだ。スペインにペナルティーキック戦の末に敗れたアイルランドの選手もそうだった。 それにくらべたとき、日本の選手たちのクールさは際立っている。
突っ込みどころ満載。いちいち解説しないけれど、本当に試合を自分だけの目で見ていて、こういう感想を抱いたのだとしたら、彼のルポは信用できない。そう思った。(たぶん、脇に居た誰かが、色々とあることないことつぶやいて、彼の印象を誘導したんだろうと思うけどね)

たった一箇所の不備でもって、全体を否定してしまうのはいやなのだけれど、ワールドカップでのいやな思いは、未だにくすぶっているし、沢木のこの本も、たぶんに印象批評で成り立っているのだから、そういう読み方をされても、あまり文句は言えないだろう。などと言い訳したりして。

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04年02月15日・映画『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』その2

でもこの映画がジーンとくるのは、見るひとそれぞれに合った、感動のシーンが用意されているところだろう。ラブロマンスならアルウェンとアラゴルンの抱擁シーン、友情なら、フロドとサムのモルドールでのシークエンス。それに、私が泣きそうになったのは、王となったアラゴルンにホビットたちが頭を下げるところでのアラゴルンのセリフだ。
「誰にも頭を下げなくてよい。君たちは友人だ」といって、逆にひざまずき、それに応じてあたりの人間たちが、みんなひざまずくシーン。これは、感動した。勇ましい戦闘もあったが、本当に大切な仕事をしたのは、地道に指輪を運んでいったホビットたちなのだ、というメッセージがこめられていて、とてもよかった。

三時間半以上の映画で、お尻が全然痛くならなかったのは、この『王の帰還』が初めてだった(姿勢を変えずに見続けられたのは『バトル・ロワイヤル』以来だが、あれも二時間強の長さしかないし)。
それほど長さを感じなかった傑作であり、こういう映画に出会えたことを本当にうれしく思っている。
ラストも、きちんとホビット庄にサムが戻ってくるところまで描いてくれたのは、うれしい。
普通の大作映画なら、たぶん王の戴冠あたりでエンドマークが出るだろう。劇的な部分はそこで終わってしまうからだ。でも、この映画では、きちんと日常に帰ってくるところまで描かれている。そこがまたいいのだ。端折られていたサルマンの占拠とか、一作目でトムが出てこないとか、色々原作どおりになっていない部分もあるけれど、よほどの原作原理主義者でもない限り、この終わり方は誰でも納得できると思う。(まあクリストファー・リーは気に入らなかったみたいだけど)

この映画で、一番気になるのはゴクリ=ゴラム=スメアゴルだ。欲望に取り付かれて、かつての自分の仲間や住みか、姿や名前まで失ってしまい、人格さえも分裂してしまう彼の姿。それは、色々と示唆に富む。誰だって、ああいう風になりたくてなるわけではないんだろうけど・・・モルドールの火の中で、消え去る瞬間まで彼は微笑んでいた。それは指輪をついに自分のものにした喜びでもあっただろうけれど、自分の欲望でついには自分自身を滅ぼしてしまったことにたいする、一種満足の笑みだったのではないかと思ったりもする。
マニアの中には、趣味が高じて生活が破綻したり、人間関係がおかしくなってしまったりすることを、何かマニアの誇り、勲章のように見なすひとたちが少なからずいる。いや、マニアだけではなくて、本当の幸いをないがしろにしたり犠牲にして、社会的地位だの、権力だのと、本当はどうでもいいことのために邁進するやつらが大勢いる。そういう輩は、多分救いようがない。モルドールの火で焼かれる以外、もうどうしようもないのだ、と。
原作者は、社会的な現象をこの小説に当てはめられるのを拒否したという。けれど、私が個人的に、自分の解釈をする分には全然構わないだろう。『王の帰還』をはじめ、指輪三部作は、ゴクリの姿を通して、炎で焼かれるまで欲望を追求する、実に愚かしい姿を私たちに見せつけているのだという気がした。

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04年02月15日・映画『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』その1

オリファントだかじゅうだか知らないけど、あれは明らかに象。象を虐待するのはいけない。
悲しい。
『王の帰還』、名作であることに異論はないし、感動したし、いいシーンもいっぱいあった。でも、象の虐待だけは、胸が詰まる思いだった。あれは、ないだろう。
レゴラスがじゅうの一頭にまたがって、上に乗ってる蛮族をしとめたシーン、あの後、じゅうを落ち着かせてなだめる、という流れを期待していたのだが、矢を打って、じゅうを仕留めてしまった。うーーー。レゴラスは、このシーンだけでちょっぴり嫌いになったぞ。
とにかく、象好きのひとが、じゅうの虐待だけでこの映画をクソだと言ったとしても、私は反論できない。
いくらSFXで、実際の動物は虐待されていないとしたって、あれはあんまりだ。だいたい、象の仲間を戦争に使うこと自体どうかしてるのに、それを即座に「敵」と認識して、屠るなんて・・・。原作にこんなシーンあったっけなあ。

そう思ってこの映画をみると、『敵との和解』のシーンが一切描かれていないことに改めて気づく。
オークはどうか知らんが、蛮族だって、いちおう人間なんだし、もしかしたら、悔い改めることだってあったかもしれないぞ。最初から味方だったやつだって、指輪の魔力とやらで敵対行為をとったりするぐらいなのだから、敵味方を峻別しないで、もっと曖昧な部分を残しても良かったのではないか・・・でもそれをしないで、絶対悪を定義したところにこの映画の痛快さの一端がある、ともいえるわけで・・・困った困った。

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04年02月05日・マタンゴ

年甲斐もなく、食玩の「ゴジラ特撮大百科」を買っていた。
この中のマタンゴが欲しかったもので。
それで、いくらか散在したあげく、希望のマタンゴとマタンゴ怪人がやっと出た。

350円の食玩にしては、とてもよくできていると思う。ほれぼれして、ついDVDに落としてあった映画「マタンゴ」を見返してみた。うーん、やっぱりいい映画だ。筋はホラー仕立て。ヨットで遊んでいた若者たちが難破してたどりついた無人島で、何も食べるものがないまま過ごしていって、そのうちエゴがぶつかり合う。唯一食べられるのが、自生しているキノコだけだったのだが、それを食べるとやばいらしい、と知って、最初はみんな我慢する。でも、そのうち・・・という内容。
そのマタンゴキノコがどうやばいのかというと、食べるととてもおいしいのだが、幻覚が見えてくる。で、やがて自分もマタンゴになってしまうのだ。
でもその設定が、何だかとても気に入っている。いいなあ。
人の目には醜悪に見えるとしても、みんながそうなってしまえば、何も気にすることはない。差別も飢えもないし、争いもなくなるだろう。
みんなマタンゴを食べてマタンゴになってしまえばいいのになあ。

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04年02月04日・禁煙地帯の弊害

秋葉原に端を発した禁煙地域の指定が、東京とはほど遠い、わが町の駅前にも影響してきた。
ペンキで駅前のあちこちに、「禁煙」を示すマーキングがほどこされるようになった。それはそれで、ちょっと風景の統一感を損なうなあ、なんて思っていたのだけど、そのせいで自分の家の周りが被害をこうむるなんて、思っても見なかった。

その禁煙指定地帯から離れた場所では、吸殻のポイ捨てがとても目立つようになったのだった。 私の家のあたりもそれに該当する。健康増進法という法律のせいで、都心への通勤で、帰宅する際、従来は駅で吸えた煙草が、JR以外は全面的に規制されるようになっている。要するに、駅構内に灰皿がないのだ。
それだけではなく、駅の近辺まで、禁煙と指定されるようになると、もう一時間とか二時間とか、喫煙者は禁煙を強制されるわけだ。 そのせいで、禁煙地帯を離れたところで、つい一服、という気持ちになってしまうらしい。中には自宅でも吸えないひともいるから、帰宅の途上でせめて一本、と思ってしまうのかも。
以前には見られなかったほど、多くの吸殻が道に残されている。

こういう状況をみて、健康増進法を制定したひとたちや、いわゆる嫌煙のひとたちは、『やはり喫煙者のマナーが悪いからだ』と主張するのだろうか。
でも、以前ならそれほど問題にならなかった吸殻の問題が、ここにきて大きく駅周辺部に迷惑をかけているのは、直接的には、明らかにこういう条例や法律のせいだし、場当たり的な規制のせいだ。
駅近くを禁煙にするのなら、その代わりに駅の近くに喫煙所を設けるべきだ。その代わりに行政は、声の大きいひとたちの感情を静めようとして、一方的に規制地域を設定している。そういった喫煙者の立場を全然考えないようなやり方が、反面でこういう周辺住民への被害を作り出している。
そのことについて、嫌煙のひとたちはどう考えているんだろうか。
やはり場当たり的に、その場しのぎで対処していくとしたら、この駅近くの禁煙地帯をさらに広げて、どんどん喫煙できる場所を狭めていくしかない。
この方法でいったら、いずれは全世界が喫煙できない場所になってしまうだろう。
それでいいんだろうか。
・・・いや、嫌煙のひとたちは、たぶんそれで大満足なんだろうなあ。
でもそうやって、嫌煙者の不満が満たされたとして、彼らは次に、どういうたくらみを企てるんだろう。
『みんなの健康のために』という、誰にも逆らえない大義名分で、かつての慣習とか伝統を踏みにじって、自分たちの思いを遂げた後、次はいったい、どういうわがままを通そうとするんだろう。

私は喫煙者で、人ごみの歩き煙草とか、レストランなどでの喫煙には辟易する人間だから、そういう部分の規制は当然だろうと思うのだが、でも、嫌煙のひとたちは、あまりにも寛容さが欠けているような気がする。
彼らはやたらアメリカがどうとか口にするけど、イタリアやイギリスとか、ヨーロッパの事情や、インドをはじめとしたアジアの状況については、都合のいいこと以外は口にしないという、奇妙な習性をもっている。
だいたい、日本と海外を比較の引き合いに出すのもおかしな話だけどね。

昨今、色々な規制がどんどん増えていて、それはまあしょうがないと思えるものも多いことは確かだけど、必要以上に規制が増えているのも本当だ。
たとえば駅前でモクモクと煙を出している喫煙スペース。それが醜悪なのはなるほど頷けるが、だから撤去してしまえ、というのは短絡だし、それで近辺にポイ捨てが増えた時、じゃあ駅近辺を禁煙にしてしまえ、というのも、短絡だ。
こういう短絡的な思考がどんどん実現していって、私たちの社会がどんどん住みにくくなっていくのは、非常に不本意だし、不愉快だ。
嫌煙が多くの人に嫌われる理由も、たぶんそういうところにあるんだと思う。
自分と意見が違うやつを、ただ排除していって、そいつらの許容される余地について、顧慮すらしない。
モクモク煙が出る喫煙スペースが問題なら、そうじゃなくなるように、働きかけていけばいいのに。『そういうのは行政や喫煙者が自分で考えればいいことだ』というのが言い分なんだろうなあ。
ああ、いやだいやだ。こういう人間には、なりたくないものだ

もっとも、歩行喫煙者も、できれば携帯灰皿を持っててほしいなあ、とは思う。せめて溝に捨ててほしいな、吸殻は。往来のど真ん中ではなくて。

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04年02月03日・TMBGの新譜

久しぶりにゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツの新譜を買った。『NO』というタイトルで、日本版は出ていないものの、2002年のCDらしいので、もうずいぶん昔のレコードらしい。
でも、ここでわざわざ取上げる理由というと、このCDがエンハンストCDになっていて、収録曲にあわせて、フラッシュがいっぱい入っていて、曲にあわせてインタラクティブな遊びが楽しめる、という点が気に入ったからだ。
こういうCDなら、たぶんコピーして曲のデータだけもっていても何にもならないから、本当に好きなひとなら、CDを買うだろうと思う。

こういう努力というか工夫が、CCCDのような発想には全くもって欠けている。
日本の音楽業界は、真っ当に金を出してCDを買うリスナーを盗人扱いするようなCCCDの導入に四苦八苦するよりは、こういう、より建設的にCDを買ってもらえるようなアプローチを目指すべきではないか。
・・・まあ、言っても無駄なのかもしれないけどね。
CCCDをみている限り、日本の音楽業界なぞ、いっそ滅んでしまえばいいのだ、と思うことがよくある。その理由について、いちいち列挙しないけれど、もし良心がいくばくかでもあれば、私の言いたいことは、ちゃんと分かってるはずだ。・・・いや、たぶん音楽業界のひとたちには、良心のかけらもないんだろうな。この先、絶望しかないような、こういう業界をみていると、とても残念でならない。もう洋楽は輸入CDでしか、たぶん買わないだろうし、邦楽もムニャムニャで、お望みどおりにはいかないだろう。かくして、どんどん音楽の売り上げは低下していって、それを業界はずっとコピーのせいにしようとするけれど、・・・そういう欺瞞というかイカサマが、いつまで続くのか、一種見ものではある。
一番割りを食うのはリスナーであり、良識のあるアーティストなんだけどね。でも、どうせ業界の彼らは聞く耳を持たないのだ。やはり、いっぺん滅んでしまったほうがいいのかも。

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