このページでは、日々に感じた雑感を書いてます。
過去記事はことわりなく修正したり削除したりすることがあります。基本的に、このページは不特定多数の他人に読ませることを目しておりません。他のページもそうですが(^^;
なお、御意見を下さるのは歓迎しますが、その場合、「こういう意見をいただいた」という記述がこの日記に記されることもありますので、あらかじめご了承ください。


目次

01/24毎日新聞の投書 01/20自戒のために怠惰な上司を描写 01/07唐突なプレイリスト 12/30ロイ・キーンのプレミアその2 11/29多分最後の金町ダービー 11/25ちょっとした驚きと期待 10/18特になし 10/17のーこめんと 10/06怒りっぽい人々に 10/03アジア記録だと 09/28ドーム最終戦 09/19音楽など
08/25フレイルティー・感想 08/20他人の身になって考えること 08/16年取るって辛い07/27 07/17ホドロフスキーBOX 07/08情けないマスコミ 06/30 06/22コンフェデコロンビア戦 06/21コンフェデ日仏戦 06/13 06/04 06/02 06/01サッカー 05/25マトリックス再起動 home表紙へ戻る

さらに古い雑感は下記を参照下さい。

02/04/9-03/5/07

01/04/1-02/4/9

00/6/15-01/03/26

99/9/04-00/6/12

99/5/12-99/9/4

98年12月某日-99年05月09日

某年某月某日-98年12月某日


04年01月24日・毎日新聞の素敵な投書

先日、たまたま毎日新聞を読んでいたら、すてきな投書に出くわした。
投稿者は38歳にして会社経営者。ここまで上り詰めるのには、それなりに、大変な苦労があったのだろう。その苦労の半生がうかがえる、実に素晴らしい投稿だった。1/21付の朝刊だ。

「やる気と向上心だけは誰にも負けません!」と好印象の30代男性を採用。有能だった。が、ある日の夕方、満員電車での姿を見て社長室に呼んだ。「漫画本を終業後に読んで悪いんですか」と、彼は最後まで言った。試用社員のうちに辞めてもらった。
この延々と続く不況時、雇用は買い手市場なのは間違いない。たぶん、この有能な男性以上の社員は、はいて捨てるほどいる。のかもしれない。だが、『帰宅時に電車の中で漫画を読んでいた』という、ただそれだけの理由で採用を打ち切るとは。実に男気のあふれる経営者だ。
こういう投稿を大手の新聞に発表することで、自分の会社の社員が、自分のことをどう思うのか、まるで気にしていない、その唯我独尊の姿勢。

いいなあ。

私は、もはや中年にさしかかっているさえない男性だが、電車の中では好んで漫画雑誌を読んでいる。

漫画が好きなのだ。

ほとんどはクズみたいではあるけれど、時には−たとえば『ベルセルク』のように−今までの固定観念を大きく揺さぶられるような作品に出会うこともあるし、どんな分野にしても、その9割はクズであると、シオドア・スタージョンも言っているではないか(あ、違ったっけ?)。

『ベルセルク』が連載されている雑誌「アニマル」は、エロや暴力に満ち溢れた漫画雑誌だ。
『寄生獣』が連載されていた「アフタヌーン」は、オタクっぽい漫画であふれていた(今はもっとすごいらしいが)。
『バクネヤング』が連載されていた「ヤングサンデー」だって同じようなもんだし、古くは『アキラ』から『ドラゴンヘッド』、『ヒミズ』みたいな作品を輩出した「ヤングマガジン」だって、エロや暴力に満ち溢れている。
私はあんまり漫画として評価していないし、面白いとも思っていないけれど、『部長島耕作』は、最近のアジア市場について、なかなか示唆に富む提言をしているらしい。ビジネスマンも、参考にしているひとは少なくないと聞く。
『ブラックジャック』にあこがれて医者を目指したひとも、数え切れないほどいる。このタイトルをモチーフにした、最近の漫画については、徹底的に否定したいのだが、それはまた、別の話だ。
こういうのも全部、はしからはしまで、ただ『漫画だから』という理由で、この投稿者は侮蔑の目を向けるわけだ。
すごい。

その傲慢さには、ただただ呆然とするしかない。

この社長がどういう仕事についているのかは知らない。だが、顧客として、多少なりとも自分の世代や自分より若い世代を対象に考えているのだとするなら、ずいぶん苦労もされてきたのだろうから、もう引退されてはどうか、と思う。

だって、漫画をすべてこういう形で切り捨ててしまう以上、『自分はもう、若い世代の意見や考え方は理解できない』と宣告したに等しい。

実名で投稿した以上、今後の会社経営にも差しさわりがあろう。

そりゃそうだ。最近の若者は、プライベートについて、以前の人たちよりずっとこだわっている。
それほど待遇のよくない私の会社でも、この投稿を若いひとたちに読ませてみた。
その結果、
『こんな会社なら、すぐに辞める』とか
『それじゃあ、そのうち、携帯を使っているだけでクビになりそう。とても勤まらない』
といった意見が多数集まった。若い者の支持は、あんまり得られそうにない意見だ。だったら、もう会社をたたむか、引退した方がいいんじゃないのかね。

確かに会社が生き残っていくのには、色々と大変な時代になっている。
だが、だからといって、会社のため、社員に理不尽な忠誠を強いるやり方が通用したのは過去の話。個々の社員を大切にしない会社は滅んでいくのは間違いない。こういう社長と、それに従う社員の行く末は、とても暗い。
社員はこの投稿をきっかけにどんどん辞めていくか、少なくともモチベーションを失っていくだろうし、新たな社員は、よほどの幸運にめぐり合わない限り、まず、やってこない。
いくら不況だからといって、退社後に、自分の貴重な時間の使い方についてとやかく言うやつが社長だとしたら、そんな会社で長く勤まるわけがない。退散するに限る。そう考えるやつは、決して少なくないだろう。
この社長は、この投稿で最近の若者の不真面目さにたいして警鐘を鳴らしたつもりだろう。
それで、いい気になっているんだろう。
だが、はっきり言わせてもらおう。
あんたのような考え方は、社会的にももはや少数派なのだ、と。
他人の価値観を全然受け入れない、そういう考え方が、今の若者を辟易させているんだ、と。
たとえ一時的に支持が集まったとしても、それはほんの一瞬のことで、そこから先、あんたの未来はないのだ、と。
漫画文化が分からないからといって、すべてを一緒くたにして否定するのは、貴重な、あんたの会社を破産から救う唯一の道だったかもしれない、その可能性を自ら閉ざす、自殺行為なのだ、と。

紙面では示されていたこの社長の名前を、私はできるだけ覚えていようと思う。で、倒産情報などに、この会社の名前が載ったときは、『ああ、やっぱりね』と言うつもり。逆に、この会社が発展して、有名企業として名を馳せるような運命のいたずらが、万が一あったとしたら、あちこちで、この投稿のことを話題にしようと思っている。

正直いって、私はかなり怒っている。
私が漫画を好きなのは私の自由だ。
それを、無価値でくだらないことのように決め付けられるのは、まったくもって我慢ならない。
そう思っているひとは私以外にも数多くいるだろうし、漫画に限らず、多くのひとには支持されない趣味を持っているひとたちも、やはりこぞって、こういう姿勢の社長がいる会社を敵視するだろう。
当然だと思う。
分からないものを分からないと公言するだけならともかく、自分には分からないから社会的にも無価値だと決めつけて、他人にもその価値観を強いる、そういうやり口は、この世の中でも最低の類だと思う。
もし神がいるのなら、こういうバカのいる会社は、できるだけすみやかに改善するか消滅させてほしいものだ、とそう思う。

本当に、しみじみ、そう思う。

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04年01月20日・将来の自分に自戒

一年ほど前に、うちの会社の部署に、別の部署から異動になってきた社員がいる。
私のいる部署は、当社で唯一(多分)利益をあげているところで、そのせいかどうか、 時々、採算のあがらない部署から、定年待ちの社員が送り込まれてくることがある。
彼はその典型で、・・・まあ、それでもちゃんとこの部署の仕事をしてくれればいいのだけれど、それがさっぱりで、みんなストレスがたまりまくりになっている。

まず、電話の出方からして、テンポが違うのだ。
われわれの部署では、ひっきりなしに電話がかかってくるものだから、とにかく用向きを聞いて、ひとりひとりができるだけ多くの電話に出なくてはならないのだけれど、この人は、一本電話に出ると、できるだけ会話を長引かせて(と傍目には映る)、電話の回数を減らそうとしている。
当然、他の人間にその負担は覆い被さる。
しかも、電話メモを、わざわざ清書して、それから仕事の割り振りにかかる、といった次第だ。
通常の社員より、時間が三倍ぐらいかかってしまう。
それに、自分より上の役職の人間が近くにいる時は、わざとらしいほど大きな声で電話に応対し、いかにも自分は仕事をしているのだ、というアピールをする。
たぶん彼は、とにかくミスをしないように、上司にあらを追及されないように、とこころに決めているのだろう。
だからこれだけのろのろした仕事の配分になる。
新しい職場で、大過なく勤め上げて定年を迎えたい、という心条なのだろうが、そのせいで他の社員にかかる負担など、どうでもいいらしい。

この手の社員が来るのは、今に始まったことではなく、これまでにも色々なタイプのひとを見てきたけれど、これほど自分勝手なやつを見たことがない。一年もたっているというのに、言われたこと以外のことは全然しないし、他の人が忙しそうにしていても、手助けすらしない。未だにちょっと込み入った仕事だとベテランに教えを乞う。その間、相手の仕事が滞ることなど、お構いなしだ。
あきれて、アドバイスもしたりしたのだが、全然意に介さない。何しろ自分より役職は上の人間なので、命令口調で話をするわけにはいかない。

そんなわけで、彼のおかげで確実に業務の効率は下がっている。
上司は何もしてくれないし、ほとほと困り果てているのだが、ここでふと、彼の身になって考えてみた。

今までやっていたひとと全然違うことをいきなりやらされることの辛さ、などについて。
最近、不況が続いているせいで、たぶん彼のような人は社会的にも多くなっているだろう。私にしても、今全然違う仕事をやらされたとしたらどうだろう。自分の今までの知識や経験が全く通用しない、別の職務を会社から強いられたとしたら、やはり彼のようにとまどうかもしれない。
ましてや、定年が近づいていて、ここを凌げばめでたく定年を迎える予定なのだとしたら、・・・やはり彼のように、できるだけ間違いを減らすような勤務態度になってしまうのかも・・・。
いやな仕事を強いる会社をきっぱり辞めたとしても、新たな就職先を探すのは至難の業だ。だったら、多少みんなに反感を買っても、できるだけのことをして、数年を凌いでいく、という態度に出たとしても、不思議ではないのかな・・・。
うーむ。
でもやはり、まだ自分が彼ほどは年老いていないからかもしれないが、あんな風にはなりたくないと思うし、ああいう生き方に対しては、軽蔑を禁じえない。
だって、確実に他の社員の負担を増していて、そのことについて、まるで省みることがない、というのは、どう考えても最低で、仕事をこなそうという姿勢が見られない。
定年までの腰掛だというならそれでもいいけれど、それならそれなりに、少なくとも他の社員の負担にだけはならないようにしてほしいと思う。

うん、自分が将来、こういうダメ社員にならないためにも、このことをウェブページに記しておこうと思った。
将来自分が、今の彼と同じ立場にたったとき、多少なりとも自尊心や羞恥心があれば、こういうことはしないと思うけれど、・・・ひとのこころなんて分からないからなあ、その時に、振り返るための、自省の材料があれば有用だろうと思う。

だから、ここに書いておくことにした。たとえば、受注時間が4時ごろまでなので、それ以降にかかってきた電話がクレームの元にならないよう、彼は電話の時間までメモしているらしい。
立派だなあ。
でも、その時間をメモから清書している間に、もう一本電話を受けていれば、他の社員がどれだけ助かるか、全然分かってない。
自分さえよければいいのだね。

えーと、個人攻撃が目的ではないのだった。とにかく、このことをもって、将来の自分への自戒としたい。こういう人間にはなりたくない。というか、ならない。ここで決意を表明しておこう。

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04年01月07日・いきなりプレイリスト

最近MP3にして聞いている曲のリストを記す。覚え書きのために。

赤坂ドリーミン byピーズ
泥舟 byピーズ
君はLoveMeTenderを聞いたか(オリジナルバージョン) by RCサクセション
ヘリコプター by タイマーズ
20世紀の終わりに by ヒカシュー
味覚の歌 by村井さん
不死身のタイマーズ(早稲田祭ライブ版) byタイマーズ

邦楽ばかりだ。うーん。

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03年12月30日・ロイ・キーンの楽しいプレミアその2

ロイ・キーンの自伝『ロイ・キーン 魂のフットボールライブ』(KANZAN)を読んだ。(ロイ・キーンは、プレミア、マンチェスター・ユナイテッドの選手にして、アイルランド代表経験もあるサッカーの選手だ。)
面白かった。
わざとタックルをした、という出版当時問題になった記述も載っていたが、その後の話も、単行本化するにあたって付け加えられている様子。
問題になっていたのは、出版当時ではなく、新聞で連載していた時のことだったらしい。
キーン自身、この『この記述のどこが問題になるのだ』と開き直るかのような強弁をしていた。
確かに、この本で見る限り、それほど問題にはならないような気もするが、連載時から書きかえるよう要請された、という記述が別の箇所にあり、それに従っていたとしたら、連載時の原文を読まない限り判断しようがない。
それから、以前ここでも書いたマカティアとのやり取りも描かれていた。

ジェイソン(マカティア)の二度目のファウルに、つい彼の胸ぐらをつかんでしまった。運良くレフェリーが分け入った。ジェイソンはあざ笑うような身振りを始めた。「あんたの次の本にでも書くんだな」。彼は茶化した。
カチンときた。キレるほどではなくとも、私の集中力を殺ぐには十分だった。終了寸前、私たちはルースボールを競り合った。ボールが逸れて彼の脇をすり抜けたとき、私の腕が彼の即頭部をとらえた。行為そのものに悪意はなく、生意気な子供をたしなめるとき小突く程度にすぎなかった。 ところがジェイソンはさも大事のように大騒ぎ。レフェリーは躊躇しなかった。退場。
うーん、でもこのキーンの意見は、試合をテレビで見ていた私としては、あまり納得できない。キーンは、かなり強い力で、思いっきりいってる感じで、とても『小突く程度』ではなかったけどなあ。

後になって、自分のしでかしたことを、自分の頭の中で再生しているうちに、たくまずのうちに、少しずつ自分に都合のいいように改変してしまうことがある。
たぶんキーンもそういう人なんじゃないかと思った。
でもそれでキーンが嫌いになったかというと、まったくそんなことはない。こういうキャラクターは、サッカー界でも最近貴重だ。
日本でいうと、大久保が近いけど、まだまだそんな域には達していない。
他人に有無を言わせない存在感と技術。
それが大久保には全然欠けている。精進して欲しいものだ。

以前ここで書いた時には、イチョンスを引き合いに出したりした。
イチョンスも、一見、ロイ・キーンと似た部分がある。
でもやはり、次元が違う感じがする。いや、イチョンスも、ロイ・キーン同様、一種バカみたいな発言や行動があって、同じようなバカなんだと決め付けてしまいたくなるところがあるが、やはり、違う。ロイ・キーンは、長い経験と、実績があるからかな。
たとえば、キーンも若い頃は、自分より先輩のカントナとかロブソンには敬意を払っていたけれど、イチョンスには、そういうところが皆無だし。まあ、それだけの実力があってそうしているなら、ともかく・・・えへんえへん。

えーっと、この話はロイ・キーンについて、だった。だから話を元に戻すけれど、ロイ・キーンの人柄は、この自伝を読むとよりよく理解できる(お勧めの本)。が、だからといって、それでキーンが嫌いになるということは全くなかった。
自分なりの信念とか行動原理でもって、一種自分を厳しく律している。酒びたりだったりとか、すぐ暴力をふるったりとか、そういう部分だけみると、とてもそうは思えないかもしれないけれど、彼は彼なりに、自分に忠実だ。
それが、とてもよくわかる、いい本だと思う。

最近プレミアのサッカーには縁遠いのだが、こういう本を読んだりすると、またマンチェスターの試合が見たくなってくる。サッカーへの熱中は果てしがない。それがまた面白いんだけどね。
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03年11月29日・最初で最後の金町ダービー

大雨の中、Jリーグの柏レイソル対FC東京を観に、柏に出かけた。
小雨のサッカー観戦は何度かあるけれど、はじめから終わりまでずっと大雨だったのは初めて。おかげで写真も一枚も撮れなかった。
それにとても寒かった。帰りのバスを待ってもなかなかこなかったため、結局駅まで歩いてかえる羽目になったのも、余計寒さをました感じ。応援していた柏が大敗したこともあったし。
ただ、柏は、本当にピッチが近い。とても見やすくて、臨場感がある。
バックスタンドのホームよりで観戦していたのだが、すべてのゴールが近い側のゴールで決まったので、うれしかった。
前半は柏が二得点、後半にFC東京が4点を取る、という逆転劇。前半は柏サポーターも元気があったのだが、後半になると、私の席の柏サイドでも、大声を出す数人のFCサポがチャンスのたびに少しずつ元気になっていって、アマラオの最初のゴールのあたりでは大騒ぎ。柏のゴール裏は静まり返ってしまうし。
でもアマラオがFC東京にとって大切な選手だというのは理解できるから、まあ仕方ないかな、と思ったりしていた。

金町ダービーということで、試合そのものと同時に両方のサポーターの応援も楽しみにしていたのだが、それも裏切られなかった。

柏のチャンス、フリーキックやコーナーキックの時、FC東京サイドからの「遠い、遠い」コール とか、FCチャンスの時、柏のキーパーがミスると、今日出ていないGKの「南、南」コール。
それに、今日の後半はアマラオの独壇場だったせいもあり、アマラオコールを各種聞けた。
ただ、同じメロディを延々と繰り返すのは、聞いてて飽きると思う。いつもああなのかな。

それから、柏側としては、FC東京の土肥がゴールキックを蹴るたびに、どこにボールが飛ぼうと「あーあ」と、さもミスしたかのようなコールをしていて、面白くてにやにや笑ってしまった。
行きのバスが遅れたせいで、試合開始ギリギリに会場入りしたため、試合の前のコールなどは聞けなかったのだが、「ネバーランドにようこそ」というフラッグがあったりとか、やはり面白かったみたい。観られなかったのは残念。次回こそ、・・・と思ったけれど、もう次回はないかも知れない。
というか、どこでやっても、もうこういう雰囲気での柏FC東京戦はなくなってしまうだろう。
なぜかというと、試合終了後、FC東京のサポーターが100人ぐらいフィールドに乱入したからだ。
これで最後になるアマラオの姿に、がまんできなくなって飛び出してしまった、ということらしい。
それを見かねた柏のサポーターも飛び出していって、FCサポーターと乱闘。
まるでイタリアのよう。
思えば生で乱闘を見たことはなかった。 その時は、面白がってみてしまったけど、後から調べてみると、これはホームのサポーターからすると、とても屈辱的なことらしい。 加えて、この競技場については特別な事情もある。
日立柏サッカー場は、Jでも珍しいほどフィールドと客席が近く、そのためかなりの迫力で試合が見られる。裏を返せば、それだけフィールドに乱入しやすい作りになっている。
だからレイソルとしても、すでに別にある柏の葉競技場にホームゲームを全部持っていきたいと思っているらしいのだが、トラックがあるため、フィールドが随分客席から遠くなってしまうことから、サポーターが中心になって移転反対運動を続けている。だからこそ、どんなにふがいない試合を見せられても、柏サイドからフィールドに乱入することは決してしなかったし、それを言い訳に、移転へと動かされてしまうような、スキを作るまいと努力していた。
で、そういう柏の努力を、一番理解している他チームのサポーターが、FC東京のサポーターだった。
と、少なくとも柏のサポーターは思っていたらしい。
だからこそ「金町ダービー」という、冗談みたいなダービーが続いていたのだろう。
だが、これも今回限りだ、そう公言する柏サポーターは多い。
FC東京のサポーターも、多くは今回の事件を重く受け止めていて、彼らのウェブページの掲示板を見ていると、どこも一様に、反省と謝罪、関係者の処罰を求めるメールを送った、といった書き込みが。
一方で、乱入したやつが『テレビに映っていた』と得意げに話していた、という複数の目撃情報もあるし、『乱入して何が悪い』と開き直ったかのように発言しているやつらもいる。(まあたぶんただの荒らしだろうし、そう思いたい)

にわかのサッカーファンである私がどうこういうことではないが、FC東京のサポは、FC東京のサポである以前にサッカーファンなんだろうから、本当にサッカーが好きなら、相手チームがあって初めて試合ができることを 考えるべき。

相手チームが大切にしているものを台無しにするような仕打ちをしたり、それを正当化するような一部のサポーターには大変失望している。 いくらアマラオが引退だからって、もう先週自分たちのホームでお別れしただろうに。

FC東京のサポーターは嫌いではなかったけど、この件で随分幻滅した。もともとサッカーの試合に、そういう冗談の応酬みたいな和やかなものを期待するのがバカなのかもしれないが。今まではそれが奇跡的に成立してたというだけのことなのかな。

悲しい金町ダービーの写真集(http://forza-reysol.hp.infoseek.co.jp/)

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03年11月25日・驚きと期待

給料が出たので、CD屋に行った。CCCDの最悪なビートルズの新譜を買うのではなく、『ナウシカ』とか、その他の新製品を物色に出かけたのだった。
で、予算の関係で、結局『ナウシカ』は買わず、『まぼろしの市街戦』と『未来世紀ブラジル』を買ったのだが、同時に予期せぬうれしいことがあった。
RCサクセションのDVDが新価格で出ていたのがそのひとつ。新価格はどれも3000円以下で、手ごろ。
これはいい、と買いそうになったところ、また別のDVDに気づいた。
じゃがたらの『ナンのこっちゃい』の1から3が、それぞれ2800円で再発されている。
となれば、もう、すんなりと、その『1』を購入した。
もともとビデオでこの3を持っているのだが(ビデオでは4800円もした)、最近調べたら、カビがいっぱいで、仕方なくDVDに録画して、バックアップを取ろうと思っていた。でも画質も悪くなってるし、残念、と思っていたのだが、DVDが出るのであれば、その心配はいらない。とてもうれしい。
じゃがたらは、もう忘れ去られつつあるような気がするが、80年代から90年代にかけて、上質のロックバンドであり、最高にリアルなファンクバンドだった。じゃがたらを知らないでロックやファンクを語るのは、おこがましい・・・とまでは言えないにしても、その音楽に触れたことがあるひとに比べて、不幸なのは確実だ。それだけの存在感のあるバンドだった。残念ながら、ボーカルの江戸アケミが永遠の旅に出てしまって以来、じゃがたらは『永久保存』されてしまい、もう一般にはあまり目に触れることがなくなってしまったが・・・。
生身の江戸アケミは、日比谷屋音でのイベント『天国注射の昼』で見たのが唯一の体験だ。その時のビデオはよく見るのだけど、ビデオに収録されていない部分の演奏が、今日買った『ナンのこっちゃい』1に収録されていた。見るまで、こんな風だったなんてすっかり忘れていた。で、ちょっと記憶が蘇ったりした。

私の会社の後輩が、バンドをやっていて、RCなんかが好きらしいので、じゃがたらは知っているかと聞いたら、やはり知らなかった。そこで、このDVDと『南蛮渡来』を貸してみようと思っている。それでどういう風に思うか、それが楽しみ。

できれば『それから』とか、もっとわかりやすいCDを貸したい所なのだが、あいにく手元にないもので。でも本当にロックが分かっているなら『南蛮渡来』のグループ感は肌で感じられると思うんだけど。

まあ、いずれにしても、明日貸してみて、それで試してみようと思う。

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03年10月18日・言論の自由と不自由

このウェブページでは、色々といいたいことを書いてきたつもりだが、それでも実は、全然いいたいことを言っていない自分もあるんだということに気づいた。というか、以前から承知していた。
ここに文章を記している「くわう」という人格は、実はただのペルソナであり、かなり、・・・本当にかなり言いたいことを抑制しているのは、自覚していたし、意識していた。

まあ、それはそれでいいと思っていたのだけれど、・・・たとえば自分の本当にいいたいことを言う場というものが、自分にはほとんどない、ということも最近実感するようになってきていて、まあひとはだれでも本当の自分を隠すものだし、それをパブリックに表現する場所なんて、ない場合の方が多いんだけど、でもここでフィルタを通して意見を発しているのにも、ストレスをちょっと感じたりすることもあって・・・うーん、意見がうまくまとまらないけど、要するに、「くわう」とは別の、もっと匿名性の強い場所を作って、そこで思い切り言いたいことを言うのもいいかなあ、と思ったりしている。

もっとも、そういう場があったところで、やはり言いたいことの全部は、いえないままで終わってしまうんだろうけどね。

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03年10月17日・ここまで書くことはないのだが、全然


*恥ずかしいので、削除・・・。

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03年10月06日・最近、キレやすい人が多いことについて

最近、ちょっとしたことですぐに腹を立てる人が多くなっているような気がする。
私の考えるところ、その理由はふたつ。

ひとつ。自分だけが損をしていると思い込む。

ふたつ。自分はもっと敬意を払われるべきだと思い込んでいる。

不景気ではあるものの、景気の良い個人の話も時々出回ってくる。そういうのを聞いて、それが耳にこびりついたひとたちは、『じぶんだって、あの幸運を手にすることができたはずだ。それができないのは、いったいなぜなんだろう』と思いつめて、ささいなことでカッとなって、痴漢や傷害や通り魔や殺人や心中や放火や自動車事故を起こすのではないかな。

それから、最近のひとたちは、親からうんと可愛がられて育ってきた。『あなたは特別なのよ』と、言い聞かされて育った。だから、自分が他の凡百同様、ただの社会に埋没する個人であることに耐えられない。 あるいは、うんと苦労して、ここまできたのに、最近の若いやつらは、そういう苦労に全然耳を傾けようとしない、といった不満にさいなまされている中年もいる。 だから肩が当たったとか、携帯で大声で話をしていたとか、足を踏んだのに謝罪がないとか、自分のほうを見て笑ったとか、ささいだったり、誤解だったりの理由を根拠に、大暴れするのだ。

この話については、ここ数年ずっと考えてきていた。でもなかなか言葉と思考がまとまらず、今日までのびのびにしてきていたけれど、自分を含め、最近本当にみんな怒りやすくなっているのは明白で、こういう状況について、何かいわなくちゃな、とはずっと思っていた。

いずれ書き直すかもしれないけれど、実感として上に書いたのは本当だ。みんな、ささいなことで怒りすぎだと思う。で、その理由は、たったひとりの人間にすぎないやつらが、それぞれ『自分だけは特別だ』と思い込んで、社会に特別扱いを望んだ結果なのではないかと思う。

数十年長生きしているからって、尊敬されるべき何ものも持っていないのに。

親に甘やかされて育ったからって、社会も自分を厚遇してくれる訳はないのに。

自分の生死や動向なんて、社会全体には何の影響も及ぼさないのに。

私自身も含めて、あえてこう言いたい。人間ひとりひとりなんて、社会全体にとっては、全然どうでもいいものなのだ、と。

だから、みんなもう少し分をわきまえて、落ち着こうよ。
冷遇されているのは、あなただけじゃなくて、みんな同じだ。
一時的に誰かが得をしているように見えても、長期的にはみんな同じ。
そういう風に社会はできているし、そういう風にわれわれは作られてきている。
だから、短期的な損得に一喜一憂することはない。
よほどの幸運に恵まれている一握りのひと以外は、みんな同じ道をたどるのだ。

そういう風に納得できれば、こころに明記することが本当にできれば、みんなもっと、他人に対してやさしく・・・というか、クールな視線で接することができるはず。

そして、そこから初めて、何か新しいアプローチが生じてくるはずだと思うのだ。

違うかな?

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03年10月03日・ホームランのアジア記録56号

韓国の野球選手が、韓国リーグの試合で1シーズンに56本ホームランを打ったそうだ。
それはいいんだけど、それを『アジア記録』だと報道している日本の新聞やテレビは何なんだろうか。

球場や観客数、野球の質からして、他国と比べても全然意味のない両国のリーグをいっしょくたにして、『アジア新記録』だの『王を抜いた』だの、騒ぎすぎだと思う。

うーん、でも王がハンク・アーロンのホームラン数を抜いた時は、日本でもおおはしゃぎだったからなあ。日本のプロ野球とメジャーリーグの力量の差なぞ、まるで関係ないとでも言うがごとくに。

だから、ひとのことは言えない・・・うんうん、確かにそうなんだが、でも、韓国が騒ぐのは分かるけど、なんで日本で『王を抜いた』などと、騒いでやる必要があるんだろう? そこが、よく分からない。

もっとも、王以来、55号を抜きそうになる打者が現れるたび、不可解な四球合戦で記録の更新を阻止しようとするばかなやつらが輩出していたから、この韓国の『快挙』で、そういうとてもくだらないしきたりがなくなるのなら、いいことだ。
そういう意味では、私も素直にこの56号にエールを送りたいと思う。

ただ、あまり報道されていないけれど、この56号の出る前には、やはり韓国でも汚い四球の仕打ちがあり、その試合は観客席で大乱闘になり、救急車まで出動する騒ぎになったという。やはりとの国でもこういう時は同じなのかもしれない。

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03年09月28日・日本ハムの東京ドーム最終戦

来年から札幌にフランチャイズを移す日本ハムファイターズのホーム最終戦を見に、東京ドームに行ってきた。
今までみたこともないほどたくさんのひとが入っていた。
ダイエーのマジックが1になっている関係上、対戦相手の西武も簡単に負けるわけにはいかず、終盤まで緊張した、いい試合だった。リードされながら、途中で追いつき、日本ハムも最後の試合を勝利で飾るべく頑張っていた。
結果としては、残念ながら勝てなかった日本ハムだが、ダイエーの優勝が決まらなかったことから、翌日のスポーツ紙に多少は大きく取り上げられるだろうか。

試合終了後、ドームとお別れのセレモニーが催された。
ピアノ演奏とともに登場したチームの80人がダイヤモンドに整列して、ヒルマン監督と選手会長の岩本のあいさつ。
球団旗を降ろして(降納、というらしい)、それから場内を全員で一周しながらファイティーのぬいぐるみを観客席に投げ込んでいった。
マウンドで記念撮影後、場内が暗くなり、モニターにエンドロールのように選手スタッフの名前が流れ、セレモニー終了。

ライトスタンドの応援団は、それでもしばらく残っていて、ファイターズの歌やら、選手のテーマを演奏。
引っ込んでいた選手の中から小笠原らがもう一度ライトスタンドに飛んできて、サインボールを投げ込んだ。
選手のテーマ演奏は続く。
現役選手だけでなく、 広瀬、片岡、大島も。
西武応援団から「アンコール」のコール。
西武応援団からは「ありがとう東京ドーム」の横断幕や「ファイターズ」コールも。
それに答えて日本ハム応援団から「伊東」コール。
何か、いい感じだった。

東京ドームの試合には、色々と想い出がある。純粋に日本ハムだけを応援にいったことはあまりないけれど、それでもいつ行っても投げている長髪の下柳とか、片岡、西崎、広瀬など、この球場に通っているうちに親しんでいった選手も一杯いる。小笠原も、松坂の初登板の試合(いきなり155キロが出て、びっくりした)でホームランを打ったんじゃなかったっけ、確か。思い出というわりに、あんまりはっきり覚えていないので、後で調べて書き直そう。(99年4月8日のことだった)
まあ、それにしても、これからドームにはあんまりいけなくなるのが残念だ。

球場で配布された選手のサインカード。

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03年09月19日・音楽について

浜崎あゆみは好きではない。歌も顔もとりたててどうということもないのに、なぜあれだけ多くの人に支持されているのか分からない。顔はともかく、歌がたいしたことがない、というのは、いちおう歌手である以上致命的なんではないか、と思う。

それに、その歌の歌詞については、私の好きなcoccoから剽窃している、という疑惑がある。もう歌をやめてしまったcoccoにたいして、浜崎は現役の歌い手であり、知名度も全然違う。こういう場合、あまりポピュラーでない側の人間が不利になることが多い。
coccoを知らないひとが「月が遠くで泣いている」というフレーズを聞いたら、「ああ、浜崎のパクリだ」とか、いかにも思ってしまいそうだ。想像すると腹が立つ。

だが、浜崎の場合、剽窃疑惑はもっともっとたくさんあるようで、下記ページを見ると、膨大な類似した詩が掲載されていて、あきれる。
http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop/0301/27_01/ http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop/0306/26_01/index2.html

ともあれ、そんなわけで浜崎あゆみが嫌いなのだが、雑誌『サイゾー』の9月号で、その浜崎にかんする興味深い記事があった。ターザン山本の「音楽独断」というコーナーで、山本が浜崎の歌(「&」中の「ourselves」)について語っている。

たとえば、彼女が書いたという歌詞を見ると、正直なとこ俺に言わせりゃ、その大部分がどうでもいい内容なんだよな。(中略)しかし、当の本人が、それをわかってやっているんじゃないのか?という節があるわけ。(中略)
それが感じられるのが、冒頭と最後にある「ぎゅっとしてみたり」というサビの部分なんだ。(中略)このサビだけで見事に突出している。(中略)
内容のある歌詞なんていくら並べても、誰にも届かないってことを知ってるわけですよ。 今、ほんとうに届くものは、そこではなく、「ぎゅっとしてみたり」的な空気感である、ということを巧妙に理解している。

山本の解釈からすると、自分のものじゃないから、軽視しているっていうことになるんだろうか。『彼女が書いたという歌詞』という言い方も、そのあたりの疑惑への意識をうかがわせるから、この記事そのものが、意識的に浜崎の剽窃を援護しているのかもしれない。それに、「その大部分がどうでもいい内容」という記述は許しがたいものがある。大部分って、・・・他の人から盗んできた歌詞だろう。それを「どうでもいい内容」と切って捨ててしまうなんて。

枝葉を切ってすげ替えたところで、同時に詩の本質的な部分も切り捨てられ、断片の中に、元の作者が本当に言いたかったことは見失われる。これは当たり前のことだ。そういう意味じゃ、浜崎はディティールを拝借しただけで、エッセンスは盗めないでいるわけだ。ちょっといい気味・・・いや、そういう問題じゃないか。

山本の言いたいことは、もちろんそういうことではないだろう。
浜崎が大衆に支持される理由として、「空気感」をうまく伝えているから、といいたいのだ。
だから、歌詞の内容はどうでもいいし、伝わらない、と。
だが、coccoのうたに、確かに何かを感じた私としては、引用部分の「内容のある歌詞なんていくら並べても、誰にも届かない」という箇所には同意しかねる。

大多数には届かなくても、ある程度の数の人たちには、確実に何かを伝えられる詩や歌はある。

coccoのみにとどまらず、山本の発言は、私の今までの音楽に親しんできた生活そのものへの否定になる。

だから、断じて受け入れられない。
当たり前だ。

山本個人にたいして、特に含むところがあるわけではない。彼の連載はなかなか面白く、この翌月の号でも押尾学やsayakaについて、なかなか面白い感想を書いていて、楽しめた。浜崎の記事も、今まであまり目にしたことのない視点だったので、楽しませてもらったし、こうやって取り上げるつもりもなかった浜崎の音楽について、書いてみようという気にさせてもらえたのは、よかったと思っている。

消費され、使い捨てられるものとして音楽をとらえる限り、山本の指摘は正しいし、たぶん今の大衆音楽のほとんどはそういうものだし、多くの人がそれでいいと思っているのだろう。そして、作り手の方も、悲しいかなそういう音楽を主流とみなし、そういうものばかり発売している。

・・・いや、正直に言うと、別に悲しくはない。売れる音楽が、自分の好きな音楽と等しくなくなってから、もうずいぶん長い時間が経っている(一部の例外を除く)。だから、メジャーでは、どんどん、クズみたいな音楽を作ってくれ、ただし、その稼ぎで、本物も少しは流通させてくれ、と思っていた。そして、つい最近まで、そういう私のわがままは、けっこう叶えられていたように思う。

だが、そういうクズ音楽が、本物の音楽の歌詞やメロディを恥も外聞もなくパクって、切り刻み、しかも「空気感」とやらを伝えるためにの「どうでもいい内容」と一緒くたにされて、消費され、捨てられていくのはとても残念だ。
いくら売れるためとはいえ、そこまで卑劣なことをしなくてもいいのではないか、という気がしてくる。

もっとも、「それでよし」としている聞き手が大多数だから、浜崎は売れているのだろうし、それほど歌詞の内容やメッセージにこだわらないのが、今の主流の聞き方なのだろう。
傍流の私としては、ひたすらそういうやつらを無視しつつ、自分に本当に届いてくる音楽を探していくしかない。

器としてはCCCD、形としては、乱暴なパクリか。

ただ、好きな音楽を聞いていたいだけなのに、色々な面から横槍が入る。音楽を聴くのが、ますまず難しい時代になってきたものだ。

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03年08月25日・映画『フレイルティー』感想

『フレイルティー -妄執-』という映画を見た。
DVDで。
ネットでは、一部で絶賛されているのが気になっていたのだった。
神の啓示を受けたという父親が『悪魔』を次々と殺していく。ふたりの息子のうちの長男は、それがただの人間にしか思えず、父の狂気を確信し、苦しむ。
逆に次男は、父親の殺人を、悪魔を殺しているものだと信じきっていて、父親が死んだ後もその教えに従って・・・という内容。

『衝撃のラストシーン』は、期待していたほどではなかったけれど、劇場で見ると、また感想は違ったのかも知れない。 ただ、買うほどの内容ではなかったかも、と思ったのも事実。

ネットでの評判でよく怖い映画をDVDで買うのだが、今のところ、一勝一分け一敗といったところ。
内訳は、一勝が『レクイエム・フォー・ドリーム』。これは本当に怖い。前にここでも書いたけど、見てからの後味の悪さは絶品。
引き分けは『イベント・ホライズン』。このSFホラーもなかなかだったが、夢に出るほど怖い、というわけではないので引き分け。
で、今日見た『フレイルティー』が負け、といったところかな。
でも、『フレイルティー』も、決して悪い作品ではない。たぶん低予算だろうが、そのなかでもうまく演出されているし、親子愛とその破綻、という悲しい情景をうまく描き出していると思う。オチは、私にとっては『ゼイリブ』みたいだったけど。


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03年08月20日・他人の痛みは分からないのかね

たいそうなタイトルだけど、まあ、勘弁。

先日、広島に飾られている千羽鶴が焼かれた事件があった。就職が決まらないでむしゃくしゃしていたから、というしょうもない理由の犯行だったらしい。
これにたいして、その焼けてしまった14万羽の折り鶴を新たに折って届けよう、という運動が沸き起こった。犯人と同じ関西学院大学の学生が中心になったその運動については、かなり早くから新聞やテレビで報道されていたから、知っているひとも多いだろう。
これと同じように、自分たちで鶴を折って届けよう、という運動をおこしたサイトがあった。
世に悪名高き2ちゃんねるだ。
小学生殺害予告だとか、バスジャックの予告だとか、ばかなやつらに利用されることが多く、また名誉毀損などでいくつも訴訟を抱えていることもあり、たいていのひとは、この2ちゃんねるにたいして、あまりいい印象をもっていないと思う。
けれど、個人的には、ワールドカップのチケット情報でとてもお世話になったこともあり、一般には流れない貴重な情報を入手できるいい情報源だと思っている(というか、チケット入手で恩があるんで、私は2ちゃんねるの味方だ)。

ともあれ、そんな2ちゃんねるで、この折り鶴を自分たちで折ろう、という呼びかけがあって、政治信条を抜きにして、とにかく折れ、との号令のもと、多くのひとがこの運動に参加して、みごと38万羽もの折り鶴が集まった。
集まった鶴は、15日の慰霊祭に向けて有志がまとめて、広島に届けるという手はずになっていた。
そして実際、折鶴は届けられ、すべてうまくいった、よかったよかった・・・となるはずが、その後の有志の行動が問題になり、かなり大きな騒ぎになってしまった。

彼らは、式典が終わった後、原爆ドームが見えるところで胴上げを行ったのだった。しかも、その写真がネットに出回ってしまった。

たぶん、2ちゃんねるのオフと同じノリでしてしまったんだと思うが、いくら「政治信条は抜きにして」という趣旨であったにせよ、広島の慰霊に使う折り鶴を届けた後、胴上げをするなんて、かなり不謹慎な振る舞いだ、と多くのひとが憤ったり不快感を表明した。
まあ私も、あまり行儀のいい振る舞いだとは思わないが、参加者が掲示板で謝罪すれば、それで納まるのではないか、と軽く考えていた。

だが、謝罪はあったものの、今にいたるまで問題は大きく広がっていて、参加者の手によって、謝罪と報告用のウエブページまで作られることになってしまった。
気持ちはわかるけど、一種つるし上げのような状態になっていて、しかも広島の主催者は高校生だというし、そこまで追及しなくてもいいのではないか、と正直思った。だが、『被爆者のことを思って真剣に折ったのに』とか、『知り合いの被爆者に手伝ってもらったのに、こんなことになって、いったいどう申し開きすればいいんだ』とか、そういう意見が掲示板に書かれたりしており、そういう場合、いいかげんなレスやコメントは付けづらい状況になっている。

被爆者の気持ちは被爆者にしか分からないのは確かだろう。だが、被爆しなかったひとたちも含めて、国民みんなが亡くなった被爆者にたいする慰霊の気持ちを表現する手段として千羽鶴を折るわけだ。それぞれの気持ちの軽重など、確かめようもないし、知りようもない。あえていえば、自分を基準にして推し量るしかないわけで、仮に鶴を続けたオフ主催者自身がいつもの2ちゃんねると同じノリだったという推測が正しければ、鶴を折ったひとりひとりも、自分と同じように一種の『お祭り』で鶴を折ってくれたんだ、と考えたとしても不思議ではない。繰り返しになるが、それ自体が確かに不謹慎ではある。だが、もしそういう動機のうえでの『胴上げ』だとすれば、そういうことをわかってもらい、反省して今後の活動に役立ててもらうだけですむ。ここまで徹底的に叩く必要はないのではないだろうか。

確かに後味の悪い結末だったけれど、このせいで、今後も2ちゃんねるにたいする悪い印象が変わらなかったり、善意のオフがこの事件のせいでやりづらくなってしまったり、といった結果につながってしまうのを危惧する。


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03年08月16日・What A Drag It Is Getting Old

先日、さる4月22日に催された、「コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサート」がCSで放映されていたので録画して、それを見たのだが、かなりショックを受けた。
目当ては忌野清志郎だったんだけど(この時予定と違って演奏した曲は、やはりオンエアされなかった。がっかり)、一緒に出ていた佐野元春の老けように、びっくりしてしまったのだ。
佐野元春は、一時かなりの人気者になっていたけれど、私はファーストアルバムで大好きになって、アルバム『Someday』でヒットする前までは、好んで彼の曲を聞いていた。特に『アンジェリーナ』のかっこよさは、それまで自分が知っていた音楽とは全然別物で、言葉どおりの意味ですっかり魅了されて、何度も何度も聞いたものだった。

それが、このコンサートでは、まったく別人のような彼の姿に愕然としてしまった。太った。年をとった。声が出ない。清志郎が、年をとっても往年期と遜色のない声を出しているのに比べ、まったく対照的だ。その清志郎と一緒に佐野が『悲しきRADIO』を歌うのを聞いた時は、涙が出そうになった。自分のかつての持ち歌さえ、ちゃんと歌えないなんて・・・。

だが、それが年をとるっていうことなんだろう。「なつかしのメロディ」とかいう類のテレビ番組では、大昔のアイドルや演歌歌手などが、当時のヒット曲を歌わされたりすることがある。この前NHKで放映されたその手の番組でも、子どもの頃にヒットした曲を、もはやお年寄りになった当人が歌わされている場面があって、これもかなり悲惨だった。高音が出ないし、そもそも音程が合わない。伴奏の方が合わせるのに苦労していたぐらい。

タイトルはローリングストーンズの「マザーズ・リトル・ヘルパー」から。当時買ったレコードでは、訳詩に「年をとるって辛い」とあった。こういうことがあると、なせが脳裏に思い浮かべる曲だ。

追記 
先日テレビでフジロックの模様を見た。シーナ・アンド・ロケッツのシーナは、佐野同様、声が全然出なくなっていて、痛々しかった。ますます上で書いたような感慨を抱いたのだが、そのちょっと後に見たエルビス・コステロのライブで意見が変わった。
コステロは、全然声が衰えていない。
最盛期の、けっこう歌いにくい曲『Pump It Up』だって、以前と変わらずに歌えていた。
してみると、声の衰えは、もしかしたら年齢のせいだけではないのかもしれない。清志郎だって、随分声には気を使っていると聞くし、それなりに努力して、声を維持するために配慮してきたひとの場合、年をとることがすなわち惨めなピエロに落ちぶれる、ということではなさそうだ。


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03年07月27日・国と個人は別

ここ数日、ワールドカップのビデオをDVDにダビングしている。以前録りためておいたのが、そのままになっていて、使い勝手がよくて保存にも優れているDVD-RAMにダビングするのは、DVDレコーダーを買った時、すでに目的のひとつと考えていたのだけれど、ずっと放置していた。長い試合だと4時間近くになってしまうので、ディスクにおさまるレートをいちいち計算しないとならないのが面倒だったのだ。でも、一年以上たってると、テープも少し痛んでいるみたいで、たとえばドイツ対パラグアイ戦なんかは、一部がうまく再生できなくなってる。いいテープ買ったんだけどな。まあ仕方ない。

で、昨日あたりに韓国がらみの試合をダビングしながら見ていて、またあの時の怒りが蘇ってきたのだが、一緒に録画してあったスカパーのワールドカップ中の特別番組「ワールドカップジャーナル」を見ていて、ちょっと気分が楽になった。
後藤建生さんの皮肉とか、青島アナの「はっきりいって(略」発言とか、『そうそう、あの時はみんな腹が立ったり、嫉妬したりしていたんだった。それなのに、地上波や新聞では韓国礼賛の嵐だったっけ』なんて、思い出した。

で、その中で韓国の尹台祚さんが電話での話の中で、イタリアに勝ったことで韓国は一丸となっている、それはいいことなんだけど、別の面から見ると、他の見方を許さないところがあるとか、冷静に見ていると非国民と言われそうな雰囲気がある、というような話をしていた。それに、アメリカ戦でのスケートパフォーマンスを後藤さんが批判した時、尹さんもそれに賛同して、あれは残念、やんない方がカッコよかった、恨500年という感じです、という話をしていたのが新鮮だった。

トルシエの通訳ダバディは自著『黄金時代』の中で、『あの瞬間、ここ10年間の私の韓国に対する愛情はいっぺんに消えた。なんて馬鹿らしい、下品なことをするのか』と述べた後、

それでパリにいる韓国人の友達、映画監督とか、どちらかといえば韓国のインテリの人ですけれども、彼らにその不満をぶつけたんですね。すると返ってきたのは、期待していた冷静なディベートではなくて「いや、それはないよ。あの瞬間は、私の人生の中で最も美しい時だった」という答えだった。20年間フランスで暮らし、いつも自国の独裁的な政治を批判していた彼らの口から、そんな言葉を聴くなんて。

と書いていた。実際、身近にいるひとがどう思っているかというのは重要なことで、どんな国だって、その国籍の人が知り合いにいるかどうかで印象はずいぶん違ってくる。

ダバディの場合、ああいう醜態を見せられて、しかも同じ国の友人がそれを賞賛したりしているから、がっかりしたのだろう。それは分かる。でも、尹さんのような人がいることも、ちゃんとこころのどこかにとめておかないといけない。もちろん、だからといって批判すべき点はちゃんと言葉にして伝えなくちゃいけない。難しいことかもしれないけど、大切なことだと思う。

つまり、韓国は反日教育をしたり、竹島不法占拠や日本海という呼称に言いがかりをつけるなど、外交的に問題の多い国であり、スポーツではソウルオリンピック、ワールドカップ、釜山アジア大会等、自国開催のスポーツ国際大会でことごとく自国偏重の判定・八百長疑惑を取りざたされるように問題もあり、企業は菓子や音楽等、流通していないのをいいことにパクりを繰り返しているしょうもない国だが、尹さんのように健全なジャーナリストもいるし、アニメ漫画『ワンピース』をパクった韓国の企業について、嘆かわしく思っているひともいる。そういう個人の良識に期待したいし、そういう人がいる以上、国民全部がひどいやつだ、と決め付けてしまうのはよそうと思う。つい全部まとめて批判してしまいがちになるが、そうはならないよう、自分を戒めたい。


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03年07月17日・ホドロフスキーのDVDボックス

ホドロフスキーのDVDボックスを買った。付録のタロットは、『ホーリー・マウンテン』に出てくるタロットかと思い込んでいたのだが、そこらで売っているタロットだったのでがっかりした。
でも色々と調べてみると、このタロットは98年にホドロフスキーが復刻した本来の「マルセイユタロット」であることが分かった。うーん、じゃあしょうがないか。 (そういえばタロットのスプレッドを以前考案したんだが、それについてネットで紹介しようと思っていたのに、全然何もしなかったなあ。もうネットワークが途絶してしまってるかな。)

でもホドロフスキーの作品のほとんどがそろったのは、やはりうれしい。たぶんテレビでもほとんどやらないだろうから、この限定版DVDは貴重だ。難解で神秘の世界を、これからじっくり楽しもうと思う。

ホドロフスキーについて、知らない人がいるかも知れないので、ちょっと書く。
映画監督。ジョン・レノンが一見して狂喜し、映画の権利を買い取ろうとしたのが彼の『エル・トポ』という作品。これを見て、人生が変わったというひとも多い。血とセックスと神秘の映画。カルトという言葉がふさわしすぎる映画だ。
『エル・トポ』は、西部劇に題材を借りたものの、含意が多くて難解。『サンタ・サングレ』は、もう少しストーリーが分かりやすいような気がする。暴力のイメージは強烈になり、夢に出てきそうなシーンが続々出てくる。『ホーリーマウンテン』は、最後のシーンが衝撃的。マカヴィエフ的、とでもいえばいいのかな。初めて見た時は、私もびっくりした。
『エル・トポ』にも『ホーリー・マウンテン』にも、スーフィーやグルジェフの影響がかなり垣間見られる。だから、そういう神秘思想が好きなひとにもお勧めできるかもしれない。
ただ、ホドロフスキーの映画は、どれも受け付けないひとには徹底的に拒絶される映画なので、安直にひとに勧められないタイプの作品ではある。

・夢日記をつけたことのある人
・パラジャーノフの映画がすきなひと
・サルムング教団に惹かれているひと

なんかにはお勧めできるかもしれない。あと、ディックが好きなひとにも、意外と高評価、かもしれない。根拠はないけどね。


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03年07月08日・日本の報道は何かおかしい

トップページにもバナーを貼ったけれど、やはりどうにも我慢ができなくて、ここにも書くことにした。

7月2日に漁船と貨物船の衝突事故があって、漁船が沈没した。乗組員のうちひとりが死亡、6人が行方不明になっている。この漁船は日本の船で、第18光洋丸という。

ぶつかってきたのはパナマ船籍の某国の運輸会社の船。船長や乗組員の多くは、やはり某国の人だ。

その某国では、この事件にかんする報道がほとんどない。実際この事件では、貨物船の方が全然よけようともせず突っ込んできたとか、乗組員が「相手がよけると思った」といったり、当の貨物船の持ち主の会社は「逃げも隠れもしない。落ち着いたら話し合おう」などと、謝意どころか弔意すら表していない・・・などなど、ひとつひとつに不愉快な事実があるのだが、それは、いい。
いや、よくないけれど、それはとりあえずおくとしても、 許せないのは、こういった事実をほとんどちゃんと報道していない、日本のマスコミだ。

日本人が7名も犠牲になっているという、この痛ましい事故を、普通だったら大々的に取上げているはずの彼らは、今回に限って全く取上げていない。断固として無視している。いったいなぜ? それは、この某国が韓国だからなのだろうか?

だとしたら、あまりにも、あまりにもひどい。ひどすぎる。まるで、北朝鮮の拉致事件を『根も葉もないデタラメ』と無視してきた、かつての報道そのままではないか。いや、あの時は、確かに証拠が何もなかったから仕方ない部分はあったとしても、今回の事件は、実際に、誰が何といっても起こった事実であり、しかも死者が出ている。こういう事件をちゃんと報道できずに、何がマスコミだ。 たとえ報道することで圧力団体から抗議の電話が殺到しようと、日本人の死者が出ている事実を厳粛に受け止めていたら、断固として報道を続けるはずだし、そうでなかったら、どの国のための報道なのだろう。

ワールドカップの時にもずいぶん腹立たしい思いをしたけれど、これは次元が違う。今年最大の海難事故だ。死亡者が出ているのだ。

ここまでひどい状況では、個人個人が何かしら動いていくしか方法がない。その一環として、こうやってウェブページに書いているという次第。訪問者の少ないページではあるけれど、何もしないよりはマシだ。これからも色々な機会を見つけて、この話を広めていければと思っている。

いっておくが、私は右翼ではないし、韓国朝鮮に日本が過去にひどいことをして、その償いが済んでいないのなら、やはりきちんと謝罪や賠償はするべきだと思っている。だが、それとこれとは別だろう
日韓が本当に友好関係を築くつもりなら、相手にとって不愉快な話であっても、あえて口にして、話題して、公にしていかなくちゃならない。少なくとも、日本人に危害が加えられたり、死者が出た場合、それを報道するのに遠慮することなど全然ない。
韓国にとってもその方がいいし、韓国のこころあるひとたちも、そう望んでいるはずだ。
それができないのなら、いっそ国交を断絶してしまった方がずっとましだ。
右翼っぽくて、こんな言い方はすごくいやなのだが、日本に住んでて、こんな情けない思いをするとは思わなかったよ。

参考サイト

・玄界灘漁船「第18光洋丸」沈没事件と水産庁取締船「からしま」衝突事件

・相次ぐ玄海灘海難事故と日本のマスコミ 

・大手小町 発言小町「韓国…もう許せない。」


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03年06月30日・ネット経由の宅配再送

仕事から帰ってくると、ポストに二通の不在通知が入っていた。再配送を頼もうと思って通知票を見たところ、両方ともインターネットから指定できる、と書いてあった。便利になったなあと、さっそくためしてみることにした。

ひとつは郵便局のもので、もうひとつはヤマト運輸のもの。指定のページにアクセスした ところ、どちらも目的のページまで行き着けなかった。
ちょっと悩んだ後、IEの「セキュリティ」で、そのアドレスを「信頼済みサイト」に指定してやると、郵便局の方は再配送依頼ページまで進むことができた。

郵便局は、時間指定が午前・午後・夕方・夜間・いつでも・の五つしかなく、ちょっと大雑把だなとは思ったけれど、それでも以前は土曜には届けてくれなかったりなど不便だったので、それに比べればだいぶましになったと思う。

ヤマトの方は、ヤマト急便のウェブページを「信頼済みサイト」にしても、やはりアクセスできない。
再配達指定の際には別ウインドウが開くため、どうもこのウインドウのアドレスを設定してやらないといけない様子。
だが、じゃ場スクリプトで開くとおぼしき新しいウインドウには、メニューバーからアドレスが消えている。仕方ないので左クリックでソースを確認して、そのアドレスを「信頼済みサイト」に指定、これでようやく時間指定のページに進むことができた。
たいていのプラウザのセキュリティは甘く設定してあるから、標準で使っている分には私のような問題は生じないんだろうが、それにしても『クッキーを受け入れないと時間指定ができない』とか、どこかに注意書きをしておいてほしい。
この点については郵便局もヤマトも不親切だと思う。まあ通販サイトはそういうところが多いから、さすがに最近は慣れちゃったけれど。

でもヤマトは問題だな。昨今では大手企業のウエブサイトから個人情報が流失する事件が多いから、個人レベルで自己防衛するひとも増えていると思うんだが、そういうひとに不便ばっかり増やすのは、どうかと思う。一言、ことわりがあるだけでいいんだけどね。

それから、肝心の配送についても、ヤマトには文句がある。せっかく時間指定をしたのに、それよりはるか早い、ニ時間前に配達してくれた。そりゃ遅れるよりはいいけれど、これじゃ時間指定の意味がない。ウェブでの指定が現場に流れてないのかな、と思った。まあ、まだ始まったばかりのサービスだろうから、今後に期待。

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03年06月22日・コンフェデコロンビア戦

コンフェデレーションズカップの日本対コロンビアを見た。4時に起きて生で見守ったのだが、残念ながら1対0の敗戦となってしまった。これで予選敗退。 自分でも不思議なくらいがっかりしてしまって、一日仕事が手につかなかった。

試合の内容はというと、終始押されていたというわけではなく、何度も決定的なチャンスがありながら、得点できず、逆に不注意な一瞬のミスをつかれて得点される、というありさまだった。

その前々日のフランス戦が、負けたとはいえとてもいい試合だったので、この試合でも勝てると思っていたひとが多かったらしく、ネットでも批判轟々の様子だ。無理もない。私も、そう思っていたし。

でも考えてみると、そのフランス戦も同じ負け試合だったのに、なぜあんなに感動したのだろうか。中村の個人技など決定的で派手なチャンスはコロンビア戦よりたくさんあったとはいえ、試合運びではそれほど違いがないような気もするのだ。とすると、相手のブランドイメージが違うからだろうか。あのフランス相手に、あんなに善戦したのに、たかがコロンビアに勝てなかったから、腹立たしいのだろうか。

ただ、ネットでも批判の意見ばかりではなく、このコロンビア戦を評価しているひとも、まれだが、いる。湯浅氏がそのひとり。

とにかく日本代表が、フランス戦につづいて実に立派なゲームを展開したことだけは確かな事実。このゲーム内容だったら、確実に、「世界」でのアピアランス(存在感)を大きく高揚させられたに違いない・・・。
彼の意見が正しいのかどうかわからないけれど、あんなに感動したフランス戦と、コロンビア戦でのすっきりしない気分との矛盾に、なんだか変な気分になっている私としては、氏の意見にちょっと耳を傾けてみたい気分になった。「負けた」という事実が悔しいあまり、もしかしたら、ゲームの内容そのものを客観的に評価できなくなっているんでは、なんて思ったり。

だが、よくよく考えてみれば、本当に湯浅氏の言うとおりかもしれない。こんなに悔しいのも、実力で劣っていたというより、フランス戦同様、試合を互角にやっていたのに勝てなかったからだ。それに、そう考えていく方が、ミスをした選手を糾弾したり、監督の無能さを主張したりするよりは、ずっと建設的でもある。なぜって、コンフェデはアジアカップでもワールドカップでもないんだから、確かに大切な大会かもしれないが、そこでクリアミスしたからといって、それまでの功績や今後の可能性を全部否定してしまうのは、選手層の薄い日本ではあまりにもったいない。それに、今ジーコが辞任したら、誰が次の監督になるっていうのか? 現実的な候補者はほとんどいない。

ネットやCSの番組で見聞きするところ、中田の話だと、自由な分、選手たちに自分で考えることが求められているのがジーコのサッカーだとか。 つまり、ああしろこうしろという規律によって集団の機能を働かせようとするトルシエのサッカーと、ジーコの方法は正反対なのだそうだ。

決まりごとがないぶん、選手はとまどうのかもしれない。実際、アルゼンチン戦なんか、一方的にしたいようにされている感があったが、フランスやコロンビア相手の試合では、そうではなかった。むしろ決定的なチャンスを何回もつくり、時には相手を圧倒していた。
つまり、最初はとまどっていた選手たちも、少しずつジーコのやり方に慣れてきているのではないか。

とすれば、ジーコのサッカーは、まだまだ発展途上にあって、まだまだこれからどんどん良くなっていくのかもしれない。もしそうだとすれば、ここで性急にジーコ解任、と叫ぶのは間違っている。もっと私たちはじっくり待つ必要がある。

考えてみれば、トルシエの時だって、何回も解任騒ぎがあったではないか。まだ一年足らず。たったそれだけの期間で監督の才能を云々するのは、おこがましいのではないか。

ただ、フォワードがチャンスにあれだけはずすのは、やはりどうかと思う。高原は自信がないのだろうか。大久保もとかく賞賛されているし、私もいい選手だとは思うけれど、まだ代表で1ゴールも決めていないのは事実。得点あげないと勝てないわけだから、そのあたりのシュートの精度だとか、ディフェンスやキーパーにたいしてプレッシャーを与えてミスを誘うとか、こぼれ球にいいポジショニングですばやく詰めていくとか、そういう部分が改善されればいいと思う。(というより、久保をなぜ使わないんだよ・・・これは個人的な意見)

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03年06月21日・コンフェデフランス戦

サッカーのコンフェデレーションズカップがフランスで開催されていて、スカパーを中心に、日本でもその試合の様子が生放送されている。
先日のニュージーランド戦に続いて、今朝早くフランス対日本の試合が放送されていた。結果をいうと、日本が2対1で負けたのだけれど、負けた試合でこんなに楽しかったのは初めてだった。
日本の選手は、ひとりひとりがとても集中していて、試合時間の大半を優勢に進めていた。スポーツは結果がすべてだとはよく言われるけれど、運さえあれば勝てた試合だった。引き分けではなく、勝てた。そう思っている人は、かなり多いと思う。
日本嫌いの韓国のひとたちが集まる掲示板でも、ものすごいプレイの連続に感心したり、うらやましがったりといった書き込みが試合中かなり見られたことや、MOMに負けた日本の中村が選ばれたことや、試合後のフランスの公式サイトの採点表で日本の先週がフランスの選手を上回っていたことも考えると、日本人だから、贔屓目に見ているだけではないと思う。
ジーコのサッカーは、最近批判にさらされていたけれど、個人個人がちゃんと仕事をすれば、これほど感動的な試合運びができるんだなあ、と思った。負けたのはくやしいけど、何かうれしい。楽しいサッカーを見るのは、やはり気分がいい。できれば次のコロンビア戦にも頑張ってもらって、決勝トーナメントまで楽しませてほしいと思う。

*中村は、フランスの新聞「レキップ」で7.0をもらっていたらしい。すげえ。あの(マルセイユ)ルーレットとものすごいフリーキックは、確かにフランス人にも感動を与えたんだろう。
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03年06月13日・日本の試合を初めて生観戦

ワールドカップをはじめ、去年から色々と試合をみてきているんだが、実はまだ日本代表の試合を一度も見ていなかった。いっぺんぐらいは見てもいいかな、と軽い気持ちで申し込んだのが先日の東アジア選手権。で、当選したものの、みごとに中止になってしまい、果たせず。
こうなると、何か意地になってきて、その代替の日本対韓国も買いに行ったのだが、列の直前で売り切れ。仕方なく、日本対パラグアイの試合に、今度は日韓戦より一時間速く並んで、そのかいあってなんとか手に入れた。
だが、直前のアルゼンチン戦での敗北のせいか、券の売れ行きは思わしくなく、客が入るのだろうか、と危惧されてもいて、実際行くまでは、私もちょっとおっかなびっくりだった。せっかく、ホームの雰囲気を一番味わえるゴール裏の券を買ったのに、客が全然いなかったら、面白くない。

だが、それは杞憂だったみたい。
一年ぶりの浦和美園あじさいも一年前とおんなじ
公式発表では、59000人。けっこう入っている。私の席の周り、カテゴリー4のホームゴール裏も、青いレプリカユニフォームの人ばかりで、かなり盛り上がっていた。試合中、ずっと歌を歌い続けていたけれど、みんなタフだなあ、と思った。若いからかな。
整列と国歌握手青のサポーターのかざすタオルマフラー
とにかく、ずっとうるさかったので、試合開始のホイッスルも聞こえなかった。何回かサッカー観戦しているが、こんなのは初めて。やはり代表戦、それもゴール裏になると違うのだろうか。
パラグアイの国歌は長いTMレボリューションのファンの人には悪いが・・・やはり
両国国歌独唱ではパラグアイはともかく、日本の国歌を歌うひとは、もっと選んだほうがいいのに、と思った。西川氏は、ちょっと気負いすぎという感じ。
中田と中村握手
デジカメでの撮影はあんまりうまくいかず、スクリーンの写真ばかりきれいに撮れていた。
サントスのフリーキックフラッシュでまぶしい中村のコーナーキックおしいシュート
まあゴール裏といっても、35列だから仕方ないかな。それにしても、中村のコーナーの時は、すごいフラッシュで、とてもまぶしかった。フラッシュたいたら、まともに映らないのに、なぜ分からないのかな、といつも思う。使い捨てカメラでも、フラッシュ切ることはできるだろうになあ。あ、あと携帯で写真撮ってるひともいたなあ。でもあの距離からでは、やはりまともな画像はとれてないだろうね。

大久保のゴールの瞬間、ものすごい歓声に包まれた。すぐにオフサイドと判定されて、ノーゴールになったのたのが、生で見ていると、どうして得点にならないのか全然分からず、みんな唖然としていた。それでも暴れたり、発煙筒を焚いたり、グラウンドになだれ込んだりという輩はいなかったから、やはり日本のサポーターは大人しいんだな、と思った。
サポーターは、若いやつも年寄りも、赤ん坊連れまでいて、バラエティに富んでてよかった。雰囲気も、それほど殺伐としていなかったが、私は嫌いではない。ただ、若い女の金切り声はちょっと勘弁という感じ。アイドルじゃないんだから、お目当ての中田浩二が出てきたからといって、そんなに叫ばなくてもいいだろうに、なあ、私の後ろの席のお嬢さんよ、などと思った。

やっぱり一点とってほしかったなあ、とは思った。引き分けでもいいから、せめて一点。でもパラグアイは、今回とほぼ同じメンバーでポルトガルと引き分けたというし、守備のしっかりしたチームのようだから、仕方ないのかもしれない。とにかく、ホーム三連敗だけは避けられたのだから、ジーコにとってもひと安心かな。これでコンフェデレーションカップにもつながっていくといいんだけどな。

そんなわけで、埼玉くんだりまで出かけていったけど、なかなか面白かった。横浜より見やすいし、いいスタジアムだと思う。遠くてとても疲れたけど、行っただけの価値はあったと思う。

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03年06月4日・サッカーのすごい試合続々

今日はなぜか、セレッソ大阪対パルマ、フェイエノールト対浦和レッズ、キエーボ対ベガルタ仙台という、考えられないような試合が三つも行われていた。しかも、全部ほとんど同時刻に開始だったので、テレビで見るにしても、どれを見ればいいのかとても迷った。
あげく、セレッソパルマを中心に見ていたのだが、やはりプレイのひとつひとつがすばらしくて、堪能した。
大久保が点をとってくれたのはうれしい。それに、仙台はキエーボに勝ってしまって、これもびっくり。フェイエもパルマも結局引き分けだったから、なかなかいい成績だったみたい。もちろん主力はいなかったんだろうけどね、海外のチームは。
それから、キエーボは、ビアホフの引退試合だったそうだ。最後に挨拶があって、初めて知った。残念だが、こんなイタリアからは遠い国で引退試合をしてくれるなんて、なんだか光栄だ。

今後も、8月にはもっとすごいチームが大挙して日本にやってくるらしい。何しろユベントスとミラン、それにレアル・マドリー。すごいなあ。国立で試合をするみたいなので、ぜひともチケットを手に入れたい。

今日は、日本対ベルギーの試合からちょうど一年。あんなに熱狂したのがまるで夢のようだ。すごかったなあ、ワールドカップ。終わったあとも、こうして海外のチームがきてくれるのはとても光栄でうれしい。

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03年06月2日・色々な意見の話

何か、色々なことに不寛容な人がふえたって感じがする。
で、そういう不寛容さに基づいて制度とか規則、決まりが作られていってるというか。 実社会でもそう感じることが多いけど、実例をあげるのは、ちょっと差しさわりが あるのでやめておく。

ネットで言うと、天邪鬼みたいに、何かで盛り上がってるところに細かいことで水をさす、みたいな人が、最近目に付く。大勢の人が集まるウエブページだと、どんなに自分が訪問者の数にこだわっていない姿勢を見せていても、やはりどこかで(たぶんは無意識のうちに)「見られている」ことを意識しているんだろう。だから、独自色を出すことにこだわる。「自分の頭で考える」って言葉を錦の御旗みたいにして。

でも自分の頭で考えるということは、みんなと違う意見を言うこととイコールではない。もちろん、批判的な姿勢は大切だろうが、それ以上に大事でしかも難しいことは、自分が本当にいいたいことを突き止めることだと思う。いや、本当に、自分がいいたいことを探し当てるっていうのは手間がかかる。

何かの現象があって、それにたいして意見を言う時、最初に選んだ自分の意見が、実はその時たまたま思いついただけのもので、実際はそれに相反する意見を支持したって全然問題ないのだ、ということもあったりする。

たいていは、世論を眺めて自分の意見を作り出す、ということが多いようだけどね。 ネットの天邪鬼たちは、たぶんそれを警戒しすぎていて、それで多数意見にいつも反対したりするんじゃないかな。時々は多数決に従って「いつも反対ばかりしてるわけじゃないぞ」とアリバイを作ったりして。
ただ、そういう構造が見え透いているとしらける。本人は自覚していないだけに。
毎日更新しているサイトでは、訪問者も即時性を期待しているから、ネットや現実社会で何かあると、つい、そういうサイトのコメントを期待してしまう。作っているひとも、そうした期待を感じるから、つい性急に「自分の意見」をできるだけ早くしつらえようとする。

時には「ノーコメント」とか「しばらく考えてから意見を書きます」でもいいと思うんだけど、やはり、ついあせってしまうのだろうか。
でも、いったん意見を言ってしまうと、それを軌道修正するのはなかなか大変だから、多少読者に不便になっても、ちゃんと自分の頭で考えてから意見を表明した方がいいんじゃないかな。まあ、よけいなお世話かもしれないけど。

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03年06月01日・サッカー

やっと日本代表の試合が見られそう。先日の東アジア選手権は中止になってしまったから、韓国戦を取ろうとチケットぴあに並んだのだが(駅前にあって便利)、ちょうど並んだ前のところで売切れてしまった。まあ、試合内容からいって、行かなくて正解だったが(どっちも最低の内容。日本は前半よかったけどね。あと、大久保最高。審判は相変わらず下手だし・・・きりがないのでこのへんで)、取ろうとと思って取れないと、何だか意地になってきて、対パラグアイの親善試合は、発売の二時間前に並んでしまった。
そのかいあって、チケットは取れた。カテゴリー4。一番安い席だけど、それでも4000円。値段からいって、これ以上の席を取るつもりになれなかった。カテゴリー1は9000円だっけな、とにかく日韓戦や東アジア選手権より高価というのは、なんだかあきれる。
カテゴリー4とはいえ、埼玉スタジアムの見やすさはワールドカップで知っているから、十分楽しめるはず。コンフェデ前の最後の試合だから、フルメンバーでやってくれるとうれしいな。あと、久保が見たい。今一番注目しているJの選手が久保。選ばれてくれるといいんだけどなあ。

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03年05月25日・マトリックスリローデッドを見た

先行上映の映画「マトリックス・リローデッド」を見た。面白かった。
ただ、一回見ただけではよく分からない部分も多いので、やはり11月の「マトリックス・レボリューション」を見てからでないと、判断できない部分もある。
今回のは、前作よりSFXは進化している。それを楽しみにしていたひとなら、きっと満足できるだろう。ただ、ストーリー展開とはあんまり関係ないので、そうでない部分を期待してきたひとにもたぶん楽しめるようになっている。
今回は、マトリックスの世界観が、前作よりかなり詳細に描かれている。人間たちの住んでいるザイオンも、かなり長い時間出てくるし。そういう部分も含め、次回に謎を残した展開になっている。

ネタバレにならない程度にポイントを書くと、「アーキテクト」が正しいとは限らない、というのが次回作への謎をとく鍵だと思っている。アーキテクトもプログラムである以上、自己保身のために嘘をつくことはあり得ると思う。その彼がネオに与えた選択肢は、それ自体がうそじゃないかと思っているのだが・・・的外れかもしれないし、そうでないかもしれない。まあ、次回まで分からないわけだけど。

ザイオンでの踊りのシーンは冗長だった。意図はわかるが、ややしつこい。

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