このページでは、日々に感じた雑感を書いてます。
過去記事はことわりなく修正したり削除したりすることがあります。基本的に、このページは不特定多数の他人に読ませることを目しておりません。他のページもそうですが(^^;
なお、御意見を下さるのは歓迎しますが、その場合、「こういう意見をいただいた」という記述がこの日記に記されることもありますので、あらかじめご了承ください。


目次

05/07ディックとジョン・レノン 04/07 01/26 01/13近況など 11/04佐倉で過ごす休日 10/27ナマステ・インディア2002 10/13アジア大会サッカー 09/21ナンクル 09/14本当のことなんか、EMI! 09/01鉄塔武蔵野線 08/31プレミアのロイ・キーン 08/18もうひとつのワールドカップ 07/27雑誌『NUMBER』はもう買わない 07/25斎藤美奈子の本 06/26準決勝観戦 06/22韓国に失望 06/20韓国とイタリアの問題 06/18韓国ベスト8 06/14エクアドル対クロアチア、ポルトガルの敗退 06/12ワールドカップ観戦 05/30いよいよ開幕 05/28ものすごく不愉快な話 05/15サッカー・夢のような話 05/14サッカーも一段落 05/11「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕 05/05サッカー home表紙へ戻る

さらに古い雑感は下記を参照下さい。

01年04月1日より02年04月9日まではこちら

00年06月15日より01年03月26日まではこちら

99年09月04日より00年06月12日まではこちら

99年05月12日より99年09月04日まではこちら

98年12月某日より99年05月09日まではこちら

某年某月某日より98年12月某日まではこちら


03年05月7日・ディックとジョン・レノン

ディックの新作、というか新刊「ユービック:スクリーンプレイ」が出て、さっそく買って読んだ。この本の内容についてはノーコメントだが、久しぶりにディックが読みたくなり、「ティモシー・アーチャーの転生」を読み返している。

まだ途中なのだが、主人公のエンジェルが、自分の夫であり、ティムの息子であるジェフが自殺したあたりで、ちょっと考え事をした。ジェフは父親の新しい恋人であるカースティンに心引かれてしまい、それが自殺のひとつの原因にもなっていた。それをティムもカースティンも知っており、またエンジェルも知っていたから、三者がみんな悩む。生き残った者は、死んでしまったひとについて、その死因が何であれ、何か自分に過失があったのではないかと悩むものだから、これはよく分かる。で、ティムとカースティンは、ジェフの霊が自分たちの周りに現れて、何かメッセージを送っていると思い込むようになる。そういうのもよくある・・・いや、よくはないかも知れないが、時々はあることだ。

そういう二人をみて、エンジェルは心理的逃避を感じる。自分ではそういうことは全然信じられないでいるんだけど、ティムやカースティンとの友達づきあいを失いたくないがために、「あなたたちは間違っている」と言う言葉をかけられないでいる。
何か、すごくよく分かる気がする。エンジェルにとって、残された唯一の係累であり話し相手である大司教ティムやカースティン。彼らを失うぐらいなら、日頃の冷笑的な合理精神など、どうでもいいのだろう。と同時にエンジェルは、何もしないままで彼らが破滅するのを傍観する自分自身にやりきれない気持ちでいる。これもよく分かるなあ。

たとえば、自分の愛するひとが不治の病でターミナルケアの対象にある時、本人が、客観的に見てどうしようもない、迷信のような治療法に熱中していたとしたら、それを止めさせることができるだろうか。これほど極端でなくても、老齢の親が新興宗教にはしった時、それが親の唯一の生きる支えだったりしたら、そんないかがわしいのはやめろ、といってそれを止めるのはなかなか勇気がいる。人畜無害な教えだったら本人の好きにさせてやればいい、と思うけれど、それが社会的に問題のある宗教だったり、それを放置すれば確実に誰かが不幸になると分かっているものだったりしたら、やはり無理しても止めさせたいとは思うだろうけれど、その信仰を失った時、年老いた親は、立ち直るだけの時間があるだろうか。代わりに支えになる何かを見つけることができるだろうか。

そういう意味で、以前も書いたけれどジョン・レノンの「イマジン」はやはりすごい曲だと思う。みんな安易にこの歌を反戦の歌だの平和の歌だのといってもてはやし、ことあるごとに話題にするし、CMに使ったりもされているけれど、歌詞について、真剣に考えたうえでそうしているのだろうか。「天国はないって想像してごらん」と、最初の一節でわかるだろう。あなたや、あなたの最愛のひとが死んでも、用意されている快適で安らかな場所などないものと思え、と歌っているのだ。これを読んでいるあなたが私と同じぐらいの年のひとなら、ひとりやふたり、大好きなひとや大切なものを失う経験をしているだろう。そういうひとたちを弔っても、死んでいったものたちにとっては何の意味もない。そういうことを歌っているのだ、ジョンは。それで納得できるのか。生き残ったものたちは、それを受け入れられるのだろうか。

だから「想像するのは簡単だ」とか「いつかみんながそう考えてくれればなあ」とかいう部分は、決してそうはならないだろうという、ジョンの皮肉だと私は思っているんだけど、 世間ではどうもそういう風に捉えられてはいないようだ。それとも、みんな分かったうえで、ああいう歌をファッションにしているんだろうか。だとしたら、私はあまりにも覚悟が足りない臆病者だ。やっぱり自分が死んだらお葬式をしてもらいたいと思ってしまうしね。今はやりの散骨さえ、葬儀の儀式であるという点では立派な葬式であり弔いだ。そういうのも拒否する立派な決意でもって「イマジン」を流行らせているひとたちや、喜んで歌っているひとたちには頭が下がる思い。
「うたと現実は違うよ」とばかりに、実際の生活とこの歌のメッセージを切り離して受け取れるひともいるかもしれないが、そういうひとたちは、たぶんジョンが一番嫌いな偽善者だろうね。

いかんいかん、久しぶりに毒のある文章を書いてしまった。ちょっと反省。

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03年04月7日

都民ではないけれど、都知事選の立候補者の演説をテレビで見た。やはり、嫌いだけど石原が断然リードしているという感じがする。ドクター中松は、「自分はアメリカでとてもよく知られているから、イラク戦争をやめさせることができる」とか言っているが、だったら知事にならなくてもできるだろうが、と言いたくなってしまった。まあ本人も、本気で当選しようとは思ってるいないような気がするが。
それにしても、最近の都知事選は、おもしろい候補者が少なくなってしまって、つまらない。ずっとフランス語で話した内田裕也とか、UFO党とか、昔は色々いたんだけどなあ。
で、石原氏がたぶん当選するだろうけれど、この石原を破るのは、誰なら可能だろうか、などと考えてみた。思想的にこいつと対極か、少なくとも同じ右派ではない、という前提にたって言うと、たとえば田中康夫とか。現知事だし、仮に立候補しても僅差で敗れるのがいいところだろうとは思うけれど、万が一田中に負けたら、石原の悔しがりようは、きっとものすごいだろう。見もの。
実現性を度外視して、なおかつ負けたときの石原の悔しがり方を想像すると面白いのは、たとえば宇多田ヒカルとか。あ、年齢的に無理か。でももし可能だったら、意外といい勝負しそうな気がする。

あと、宮崎駿とか。石原氏が弟の石原軍団を使って選挙運動をしたように、トトロとかキキとかキャラクターと一緒に街宣すれば、かなりきくんじゃないかな。

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03年01月26日・メディアで悩む

ハイブリッドレコーダーは快適なのだが、メディアの入手に頭を悩ますことになった。
ハードディスクにはまだ空き容量が一杯あるけれど、120GBとはいえ上限があるのだから、いずれはディスクに移していかないとならない。それに、ビデオテープの中身を移し返るのにもメディアは必要。というわけで、DVD-RAMを探している。
だが、やはり、ビデオテープとは比べ物にならないくらい高価だ。そのうえ、場合によっては、安いメディアだと録画した内容が消えてしまったりすることもあるらしい。今のところ、15枚ぐらいメディアを買って試しているけれど、一番安心して使えるのはパナソニック製のもの。だが、高い。電気屋などで普通に買うと、両面殻付タイプで1800円とかする。
これでS-VHS相当画質の録画で4時間というのは高いかどうか分からないけれど、3倍速ビデオ相当で8時間と考えると、やはり高い。何しろ、普通のビデオテープの3倍速と同じように考えることができないのだから。
先日書いたように、サッカーやラグビーの録画は、3倍速、つまりXS40でいうところのLPモードには適さない。ブロックノイズが多すぎる。だからマニュアルで、LPよりほんのちょっといい画質に設定して録画しているのだが、それでもまだコストパフォーマンスがよくない。
だから色々と、他社製のDVD-RAMを買ってきて、使ってみているんだけど、三菱の殻付4.7GBとTDKの殻付4.7GBは、初期化すらできず。その一方で、低価格のラディウスの同じ4.7GBはまともに使えている。唖然とした。
両方とも、三菱もTDKも、価格はそれほどパナソニックと変わらないのになあ。
それで、各メーカーのメディアについて調査したところ、三菱もTDKも、自社製品ではなく、マクセルの製品らしい。マクセルのDVD-RAMも、殻なしをパックで買ってきていて、問題なく使えていたので、メーカーじゃなく、相性かな、と考えたりもしたんだけど、その後、マクセルの製品でも、自社でなく、パナソニックで作られたものがあることが分かった。それが殻なしの、今使えているタイプのDVD-RAM。
というわけで、パナソニックが一番無難。それも、価格からすると、9.4GBのものが一番いい。他社のものでも、パナソニックで製造されているフジや帝人、ビクターもたぶん大丈夫だろう。TDKは殻なし4.7GBのパナソニック製だけ、マクセルはできるだけ避けたほうがいい、という結論になった。

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03年01月13日・デジタル生活へ

RD-XS40を使って、以前撮りためていたテープをディスクに落としている。
最初に落としたのは、もう20年前のイベント「天国注射の昼」のライブテープ。
さすがにあちこちで画質の劣化が見られたが、まずまずうまく作れた。江戸アケミとか、山崎春美とかのなつかしい映像は、今みても、なかなか。
これでエアチェックのドラマも可能かと思い、竹中直人主演のカルトドラマ「演歌なあいつは夜ごと不条理な夢を見る」を複製しようとしたのだが、さすがに古すぎて、テープがひどい状態になってる。
画像は乱れるわ、ノイズはあるわで、せっかくのデジタルが全然生かせていない。まあ、でも筋がわからないほどではないし、見られるだけで幸せだな・・・ああ、やっぱりダーク五郎は最高!・・・などと思いつつ、ふと気になって「演歌なあいつ」で ググッてみたところ、ほとんど話題に上っていないのにびっくり。
すごいドラマだったんだけどなあ。ラストがマカヴィエフみたいで。まあいいか。(そういえば、マカヴィエフは最近、何してるんだろう・・・とまたググル。最近こればっか)


それから、実際に録画してみてわかったのだが、LPというビデオ三倍速相当のモードで録画すると、スポーツ番組なんかはブロックノイズがひどくて、再視聴には向かない、ということが分かった。早稲田と関東学院の大学ラグビー決勝を、このLPモードで録画しておいたのだが、見返してみてがっかり。これではお客さんがきた時など、一緒に見るには向かない。これでひとつ勉強したと思えばいいんだけど、ちょっと残念。

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03年01月13日・近況

いつのまにか2003年になっていて、最後に日記を更新してから色々なことがあったにもかかわらず、全然書けなかった。まあ、自分の備忘録の類として書き込んでいるから、意欲がない時に無理に書く必要はないんだけど、こういう消極性って、どうなんだろうな。まあいいけど。

年末には、エレクトロ・グライド2002というテクノのイベントを見るために、泊り込みで幕張メッセに行った。午後10時から朝までという時間設定だったから、幕張のホテルニューオータニを予約して、目当てのクラフトワークやスクエアプッシャーを楽しんだ。メッセはパソコンのイベントぐらいでしか行ったことはなかったけれど、こういうライブにはとても向いた会場だな、と思った。天井が高くて、とても気持ちいいのだ。夜通しのイベントだったから、あちこちで座り込んだり、仮眠を取ったり、思い思いでみんな楽しんでいた。客層も、現役でテクノを追いかけている若者から、会社帰りのサラリーマンなど、けっこう多岐にわたっていて、そういうひとたちが、好きな格好と身振りで踊っているのを見るのも楽しかった。

このイベントの目当てはクラフトワーク。とてもよかった。やっぱりこういう伝説的なバンドの音楽を生で楽しむという機会はそう多くはないから、無理して出かけてよかったと思う。
また、その関連で、某掲示板で色々な情報が集まっていて、それを読むのにイベントの前後数週間、楽しませてもらった。

それから年末ぎりぎりになって、ハイブリッドレコーダーを買った。東芝のRD-XS40で、ハードディスクとDVD-RAMのどちらでも録画できる機種。今まで持っていたビデオも活用するため、AVセレクターも買った。XS40は、機能が複雑なため、まだまだ使いこなせているとは言いがたいが、概してビデオより画質がいいし、使い勝手もいいのでエアチェックしまくっている。ビデオと違って、早送りが簡単なのが、特にうれしい。いずれは今まで撮りためてあったビデオテープも、みんなRAMに焼こうと思っているが、時間がやはり足りない。

で、先日は大学ラグビーの決勝で興奮。やっぱり「荒ぶる」13年ぶりに聞けたのはうれしいなあ。

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02年11月04日・「中世寺院の姿とくらし」展と「サム・フランシス」展

せっかくの三連休、どこにも行かないのは何なので、佐倉で川村記念美術館の「サム・フランシス」展と、国立民俗歴史博物館の「中世寺院の姿とくらし」展をはしごした。
サム・フランシスは、抽象絵画のひとなので、こういうのが好きなひとでないとなかなかお勧めできない。というか、川村美術館自体、抽象画で有名な美術館なので、そこですでに選択の幅が決まっているというか、何というか・・・。

でも私としては、佐倉市民として、こういう絵画がわりと身近で見られることに感謝している。
何しろ、常設展ではフランク・ステラの大作も見られるし、ロスコの絵で作った「ロスコ・ルーム」は、圧巻。こういう美術館があるところに住んでいて、本当に良かったと思っているわけだが、まあ、それはそれとして。

サム・フランシスも、この美術館の常設展示としてひとつ、「ワンオーシャン、ワンカップ」がある。この絵はわりと好きなので、彼の展覧会ということだから、こういうタッチの絵が多いのかな、なんて予想していたのだけれど、意外にもそうではなかった。

初期のサムは、もっと、何というか、草間弥生みたいな絵を描いていたようだ。
この手の絵は、・・・抽象絵画でも色々と好みはある中で、それほど好きじゃなかったので、こういう絵をずっと描いていたら、たぶん今回の展覧会にも足を運ばなかっただろう。
でも、後期の絵は、私の好きな色彩の鮮やかな絵がいっぱいあって、楽しかった。

それに、実物はかなりでかいものもあって、いったいどうやってこの館内に持ち込んだのか、不思議に思うほど大きいものもあった。これだけ大きいと、かなり迫力があって、おみやげにパンフレットやハガキを買っても、大きさが違いすぎるせいで、なかなかその時の印象を再現できない。やはり実物に触れるのは大切だなあ、などと思った次第。

館内は、それほど混んでいなかった。やはり場所が場所だけに、足を運ぶのはおっくうだったりするんだろうが、それにしても、意義のある展覧会だから、もっともっとたくさんのひとが訪れてくれればいいのになあ、なんて思った。抽象画は好き嫌いがあるからしょうがないんだけどね。

それから、昼食をはさんで歴史民俗博物館に行って、「中世寺院の姿とくらし」展を見た。 この博物館は、はっきり言って、かなり展示されているものの数が多い。
真剣に見たら、半日ぐらい、かかってしまう。
だから今回も、常設展は飛ばして、企画展だけ見て回ろうと思ったんだけど、その常設展も、昔来た時とはずいぶん変わっていたせいで、やっぱりあちこちで足がとまる。
どうしても、気になってしまうため、なかなか企画展まで進めない。
結局一時間以上はそっちに時間をとられてしまい、その後企画展を見て回ったのだが、企画展自体は、それほどたいしたことがなくて、30分いぐらいで全部見終えた。
見る人が見ればそれなりに意義深いものだったのかもしれないけれど、私の期待していたものとはちょっと違う感じだった。
面白かったけどね。
で、その埋め合わせに常設展の飛ばしてみたものを再度見て、それからミュージアムショップに行ったのだが、このショップもなかなか、侮りがたい品揃えになっている。

北海道から沖縄の、けっこう古い展覧会の資料を網羅しているのだ。

展覧会の資料は、絵画の場合と同様、市販の書物よりも、かなり安い価格で販売されることが多い。そういうのがいっぱい販売されていて、あちこちに目移りして、とても困った。ここでもやはり、小一時間は時間をつぶしてしまった。

うーん、やっぱり歴博はいいなあ。入場料もわりと安いし、暇な時の時間つぶしにはもってこいだ。

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02年10月27日・ナマステ・インディア2002

今日はインドフェアを見に本願寺にでかけた。

「ナマステ・インディア」というこの催しは、もう十年も続けられているらしい。会場に着いたのは午後二時ごろだったが、ひとがいっぱいで大盛況。外国のひとも多く来ていて、 にぎやかで楽しそうだった。 ステージをちらっと見ながら、まずは食事と思って屋台に並んだ。

食事のテントはどこも大賑わいで、列についてからかなり待たされた。食べたのはチキンカリーとナンとサフランライス、それにタンドリーチキンのセットで800円。これにマンゴーラッシー200円をつけた。なかなかおいしい。日本人向けに、あまり辛くない味にしているみたいで、よかった。

食べたあと、写真展を探して見つからず、本堂休憩所で一服。
本願寺本堂には、あちこちに動物の象がある。
面白そうだったので、ここで手すりの象の写真を撮っていたところ、奥から太った中年の女がやってきて、なぜ自分の写真を撮るのか、と言いがかりをつけてきた。は?
これが問題の象の写真。
大阪弁なので、近所に住んでいるやつではない様子。
最初はていねいに、いや、この象を撮っていたんですよ、と言ったのだが、納得しない。じゃ、見せましょうか、と言ったところ、ちょっとひるんで、見られるんですか、などと言う。デジカメの存在を知らなかったのかな。 デジカメだから、見られるよ、と再生してやった。それで自分が映っていないのを確認して、帰っていったので、やれやれと腰をおろすと、何ともう一度こっちにやってきた。 本当に撮っていないのか信じられない。もう一度、今度は全部の画像を見せろ、と言う。
あ然。
ちょっとしゃくにさわったので、
「じゃあ、この中に入っているのを全部見せますから、いいですね」と言って、前の日から撮っていた画像、計97枚を全部はじめから再生してやることにした。
ところが20枚くらい見せたところで、どうしてそういう関係ないのを見せるのか、とたわけたことを言う。
「あなたが全部見たいというから、こうやって見せてるんですよ」とさすがにあきれて言ってやったら、ちょっと口をつぐんだが、それから40枚ぐらいまで行くと、今度は再生を飛ばせないのか、と言う。 やはりデジカメを知らなかったのだろう。たぶんそんなに枚数があるとは知らなかったのだ。でもこっちもいい迷惑だ。再生するだけで、電池を食うのに、わざわざこうやって見せてやってるんだ。 飛ばせない、というと、じゃあ80枚ぐらいから見せてくれればいい、そこまで待ってる、と。

うーむ。これは電波だ。と思った。
普通、ここまで自分勝手を通していたら、少しぐらい恥ずかしい気持ちが湧いてくるだろう。すまないという気持ちが出てくるだろう。それが全然ない。自分がだまし討ちのように写真を撮られたと思い込んでいて、相手への理不尽な敵意を確信しきっている。 うすうす感づいてはいたが、これほど粘着でこられると、さすがに自分が今相手にしているやつは、いわゆる常識の通用しない類のひとだと悟らざるを得なかった。でもまだ腹立たしい思いは続いていたので、とにかく納得させるよう、最後まで再生を続けることにした。 で、97枚まできっちり見せてやると、ようやく納得、というより、あきらめたらしく、またどこかへ行ってしまった。
「間違いだったらあやまります」とか言っていたくせに、わびの一言も残さずに。
ムカついたなあ。スターバックスの熱湯かけ最低女の時以来だな、こんなに腹が立ったのは。
連れも、相手の変な様子にはびっくりしていたらしく、
「あれ以上何か言ってくるようだったら、お寺の関係者か警察を呼ぼうと思った」と言っていた。
それから
「持っていたのが、デジカメでよかったよね。もし普通のカメラだったら、フィルム抜け、とか言いがかりをつけてきたかも」とも。
そうだよなあ、デシカメでよかった。
「でも、それなら『じゃあ、そこのスピード現像で現像しますが、もしあなたが映ってなかったら、当然現像代を出してくださいね』と言ってやったよ」
「うん、それもそうだね」
「しかし、いったい何様だろうね。誰が手前みたいな××(自粛)の写真なんか撮るかよ。たぶん自分の脳内では有名人なのかね。迷惑なやつ」
「あ、それいいね。『脳内有名人』。最高」
などと、不快な気分を振り払うべく、笑い飛ばしてやってから、他の出し物を楽しむことにした。

次はサリーの試着コーナーで、連れ合いにサリーを着てもらった。けっこう混んでいたけれど、こういう機会もあまりないので。
なかなかよかった。


その後は、今回の目玉、アルナーチャル・プラデーシュ舞踊団の公演。これを見るのも、今日ここへ来た理由のひとつだった。インドのかなり北の方に住んでいるひとたちで、インドでもふだんなかなか知ることのできない民族らしい。 ステージを客席から見ている限り、日本人みたいな雰囲気があったけれど、近くで見ると、やはりちょっと違う感じだった。でもアジア系で、日本人としては親しみやすい感じではあった。 ステージは五部に別れていた。
最初は婚礼の踊り。民族衣装をまとった四、五人の女性が舞台に出てきた。マイクの前に 一人が立ち、そのまま歌うと、それに合わせて他の女たちが列を作って踊りながら歌う、という掛け合いがずっと続く。
婚礼の踊り

二つ目は火打石のデモ。何か口上をのべながら、火打石で火をおこし、パイプをふかす、というもの。一発芸みたい。何か客席に話し掛けていたが、意味がわからなかった。

ここで解説が登場して、この民族について、色々なお話をした。

次はシャーマンの歌。男あたりがかけあって歌うもの。声が気持ちいい。最後は歌いながらステージから降りていった。解説によると、時間の関係で止めた、という。止めないと延々と続くらしい。
シャーマンの歌

四番目は戦いの踊り。男八人が組になって、木で作った剣と楯とで打ち合う。戦いは好まない民族なので、戦いというよりは威嚇の意味合いが強いのだそうだ。この時の衣装も、古い日本の農家なんかで使っている服に雰囲気が似ていて、面白かった。
戦いの踊り


最後はみんなの踊り。婚礼の踊りと同じ女性たちが、衣装を代えて登場した。
みんなの踊り
今度の服は、なんだかコスプレの衣装みたいだった。その後に、さっきの戦いの踊りに出た男たちも、そのままの衣装で続く。歌の形式も、婚礼の踊りと同じで、一人が歌って、残りが踊りながら唱和する、といった感じ。 よく聴いていると、「ジャパニ」とか「インディア」とか「トウキョウ」とか聞き取れた。 多分、「みんなで踊りましょう、日本人もインド人もみんなで一緒に」とか、そういうことを歌っているんだと思う。
やがて一同はステージを降り、客席の周りをまわって踊る。飛び入り歓迎、と解説が言うのにつれて観客が十人ぐらい、後に続いた。客席も盛り上がって楽しい踊りだった。
飛び入りも入ってにぎやかに

まあそんなわけで、ちょっと不愉快な出来事はあったものの、楽しい半日を過ごすことができた。
あの脳内有名人も、こっちに話のネタを提供してくれたという点では面白かったし。(当分笑いものにできそうだしね) 本願寺にはよく来るけれど、こういう催しがあるのは知らなかったので、ぜひ来年も来たいものだと思った。

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02年10月13日・アジア大会サッカー決勝

日本対イランの決勝は、なかなか面白かった。日本が勝っていれば、もちろんもっと面白かったけれど。それに、点の取られ方は、ちょっといただけないミス。残念だった。
1点目もそうだけど、2点目は、ファウルで当然試合がとまるものと思っていたところで油断してしまったのだろう。たとえどんな悪質なファウルであっても、審判が笛を吹かない限り、ファウルにはならない。分かっていても、クリーンなジャッジに慣れていると、自然に体が止まってしまうのかな。
その点、海外でのジャッジがつねに安定しているとは限らないのだから、今後のためにも今回のU21代表はいい経験をしたと思う。実際、ほとんどの国より年下のメンバーでここまで戦ってきたのだから、銀メダルという成績は、十分誇りに思っていい。何しろ歴代のアジア大会では最高成績なんだから。快挙といえる。

だが、それはそれとして、今回も審判問題には後味の悪い思いをさせられたのは事実。この韓国人審判ときたら、シュートエリアに入ってシュートの邪魔をしたり、PKとらなかったり、足踏んだり蹴ったりの悪質なファウルを取らなかったり、ロスタイムを短縮したり。
この競技だけなら、審判が下手だったからと思いもするけれど、アジア大会の各競技にみられる韓国審判にたいする各国からの疑惑や不満の多さは、あのワールドカップの時とあわせて考えると、もう単なる誤審といえないだろう。毎日新聞の12日付け夕刊には、日本の新体操の審判に、贈り物を届にきたという韓国選手の家族の話が載っていた。こういう類の賄賂が選手の家族から提供される、というのはかなり深刻な問題だ。社会的に、こういう行為がまかり通っているということなのだから。これは、お世話になった先生に贈り物をするとか、これから手術してもらう医者に付け届けをする、といった風習とは切り離して考えるべきだ。韓国でスポーツの国際大会をするのは、もうやめたほうがいいかもね。

それに加えて、イラン対日本というサッカー決勝の試合で、試合終了後「テーハミング」コールをする、という失礼極まりない観客たち。この国のひとたちは、スポーツってどういうものなのか、全然分かってないんだと思う。少なくとも、ホスト国として国際大会を開くのは、もうやめてほしい。

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02年09月21日・「沖縄ナンクル読本」

「沖縄ナンクル読本」という講談社文庫から出ている本を読んだ。沖縄をこよなく愛する人たちが作った本で、読んでてその愛が行間に滲み出している。
ああ、いいなあ、沖縄に行きたい、と思った。
うまくて安い食べ物とか、きれいな自然とか、音楽・芸能とか、おもしいろ人たちとか、うらやましくなることがいっぱいある。同時に全国一の離婚率とか、基地問題とか、暗い面もあるわけだけど、そういうのも、大した問題じゃないと思わせてしまうような魅力がある。(大した問題ではない、と言っているわけではないので、注意)
とにかく、とてもおもしろい本だったのだが、この本に載っている沖縄風景の写真の中に、 変な名前の喫茶店があった。
「パーラースーサイド」。
自殺喫茶、・・・。
別の写真でも紛れ込んだのだろうか、それとも、文字を書き間違えたのか、などと思いつつ、ネットで検索してみたら、分かった。このパーラーは、戦争中、日本軍が民間人を巻き込んで壮絶な集団死を繰り広げたスーサイドピーチの近くにあったのだった。で、そこから名前を取っているらしい。それにしても、パーラー。食べるところにその名前をそのままつけるというのも、何だか妙な話ではある。

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02年09月14日・言論の自由について(硬いタイトル)

私は、どういう意見であっても、それがいえない雰囲気が作り出されるのがとても嫌いだ。
その意見がどんなものであれ、口にすることさえ許されない雰囲気なり暗黙の了解が醸成されるような状況は間違っているし、個人的にもすごくいやだ。
だから、たまたま書店で鹿砦社の「スキャンダル戦争2」という本を見かけたとき、早速購入した。

この本には、大江健三郎と深沢七郎の、まだ出版されていない、ある小説が掲載されていたのだった。
確か、どちらも雑誌に掲載された時、それがきっかけで右翼による殺人・傷害事件を引き起こす原因になった過激な話で、今では当時の雑誌を国会図書館で見るとか、古本屋を丹念に探すとかいった苦労なしでは読むことができない。(ただ、後者については奥崎謙三の本に収録されていたりして、わりと入手しやすいかも。奥崎謙三が分からない人は、検索でもして探して下さい)
特に前者。大江の小説は、作者自身も著作リストから抹消しており、けっこう読むのは難しいかもしれない。私は高校時代、とある教師からコピーで回ってきたものを読んで、この小説の存在を知ったのだけれど、それ以来は全然読む機会がなかった。(考えてみれば、すごい教師だったな、この人は)
だから、この本をすぐに買ったわけで、そのこと自体は別に問題でもなんでもない。

で、この本は、巻末にそれらの小説が転載してあるだけではなく、他の記事ではタイトル通り、色々なスキャンダルを取上げているのだが、その中に、飯島愛のいくつかの疑惑について取上げた記事があった。
この「それからの飯島愛」、巻頭にもってくるあたり、この本の中でも力を入れた記事だったのかもしれない。記事の内容についても、特に問題視するつもりは全然ない。
だが、
この記事の末尾近くにある一節は、思わず目を見張るような記述だった。

ところが、ワールドカップの折り、彼女の発言がスポーツ新聞の見出しを飾った。韓国の快進撃を助けた疑惑の審判判定について、
「韓国の試合は絶対アンフェア。もう私はキムチは食べない」
などと発言し、大ヒンシュクをかった。
「近くて遠い国」といわれるように、日韓両国の長い対立の関係を、関係者の想像を絶する努力で乗り越え、ようやく漕ぎ着けた日韓共同開催という歴史的意味を全く理解しないトンデモ発言だということは言うまでもないが、頭が良いといっても、所詮この程度の頭、この程度の"朝日文化人"なのである。
この記述だけで、この本の全内容が台無しになってるね。どう読んでも、韓国の審判疑惑に文句をいうのはトンデモ発言だ、という意味にしか解釈できない。
飯島愛を擁護するつもりはないが、この時の彼女の発言が、どういう文脈であったか、理解していたら、決してこんな文章は書けない。
飯島は、韓国の批判について、一切口に出来ないマスコミの雰囲気にたいしておかしいと思っていたからこういう発言をしたのだ。この発言が出た番組をちゃんと見ていたら、そのくらい分かったはずだ。
韓国の「躍進」について、大好きだったサッカーが踏みにじられるのを目の当たりにして涙まで流した者もいる。
「もうキムチは食べない」とまで憤慨しているサッカーファンだって大勢いる。
そういうことが分かってない、つまりその程度しか理解せずに、今回の事件について語っているのだろうか。
知らないで書いてるなら馬鹿だし、知ってて書いているなら確信犯だ。

何が歴史的意味だよ。笑わせる。疑惑について、口にするのさえだめだというのなら、そんなの全然親善でもないし友好でもない。そういう雰囲気を作り上げたマスコミの罪について糾弾するならともかく、韓国批判を一切許さないマスコミに加担するのか、この記事作者は。

そういうのを、言論統制というのだよ、分かってるんだろうか。
せっかく「風流無譚」や「政治少年死す」を取り上げたって、その一方でこれらの小説が世に出なくなった原因と同じような状況を進んで作り出しているようじゃ、説得力皆無だ。
韓国に対して、戦前の問題とか、慰安婦問題とか、色々と問題になっていることはあるだろう。だが、それとこれとは別の問題だ。 こういうのを偽善というのだ。鹿砦社には、もともと何か期待しているわけではなかったのだが、大いに失望した。

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02年09月01日・映画「鉄塔武蔵野線」は残念無念

「鉄塔武蔵野線」という映画をみた。数年前の映画だが、CSでたまたまやっていたのを録画したのだ。とてもよくできていて、いい作品だと思う。

自分の家の近くの鉄塔に番号が振ってあるのをみて、その始まりの1号鉄塔まで遡る旅を続ける少年の話。子供の頃、こういう無意味な冒険をしたことのある人にとっては 郷愁を誘う、胸にジーンとくる映画だ。

ただ、唯一にして最大の弱点といえば、この映画に原作がある、ということ。
この映画を見にくるひとは、多くが原作に感動して、それと同じものを求めて 映画館に足を運んだんだろうし、だとすれば、どれだけ原作に忠実であるか、が映画の成功・不成功を決定づける。

この映画「鉄塔武蔵野線」は、映画としてはよい作品だと思うけれど、映画単体としての完成度を追求したからか、非常に残念な脚色が二点加えられており、それが、原作購読者にとっては、とても悔しい、というか惜しい気持ちにさせられる。
ひとつは、結末が違う点。私は銀林みのるの原作を、単行本と文庫版と両方読んだ。
文庫版では、「甘い」と評された結末が変更されているのだが、映画版もまた、別のラストシーンになっていて、それがどうにも受け入れがたい。もうちょっと何とかならなかったのか、という気持ちがどうしてもしてきてしまう。

せっかくの冒険が、報われるようなラストが やはり見たかった。

単行本でも、文庫本のラストでもかまわなかったのに。

あとひとつ、冒険の動機に父親との関係を持ってきて、ストーリーを分かりやすくしようとした点。
こんな動機なんて、いらなかったのに。理由なんてない方がよかったし、その方がリアルだ。

映画単体としては、繰り返すがよく出来ていて、特に文句をつけるところはないのだけれど、それだけに惜しい。どうしても原作と比べてしまう。この映画の場合、原作を読んでから映画を見るのはあまりお勧めできない。もっとも原作は絶版だから、読みようがないけれど。

何かとても悔しい気分になった。

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02年08月31日・ロイ・キーンの楽しいプレミア

*今回は、文字数節約のために、省略している部分が多いです。なぜ節約しているかというと(以下略。
各自頭の中で補って読んでくださいね。

イングランドのプレミアリーグを最近よく見る。というのも、イタリアのセリエAが始まらないから、他に見るサッカーがないのだ。Jリーグは見たい試合がなかなか放映されないし、オランダリーグはスカパーの契約上、見られない。
そこでプレミア。
でも、仕方なく見ているわけではない。稲本もいるし、サッカーの質がセリエAとはまた違って、面白い。ワールドカップ中応援していた選手も多数所属しているし。
今日見ていたのはマンチェスター対サンダーランド。アイルランド代表の多いサンダーランドと、ロイ・キーン率いるマンチェスターが今シーズン初めての対戦だったのだか、期待通りに笑わせてくれた。

キーンは、最近出版された自伝の中で、大嫌いな選手に対して、意図的な報復のファウルをした、と書いてマスコミをにぎわせている。
状況としては、韓国のイチョンスがイタリア戦でマルディーニの後頭部を蹴ったことについて、「わざとやった」と、悪びれもせずインタビューで答えていたのとまったく同じだ。
こういうおろかさは、若いうちに何らかの偶然で実力以上の成績を出したやつのうぬぼれ・勘違いだけかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

ただ幸いなのは、さすがにフットボール発祥の国らしく、この自伝がマスコミでちゃんと取り上げられ、話題になっている点。ほぼ同時期のイチョンスの発言は、一部のサッカー専門サイトや掲示板ぐらいしか日本では報じられていないし、韓国では問題にさえなっていない様子。やはり韓国は(以下略。

試合の話に戻る。どうも調子のあがらないマンチェスター。ファーディナントとの連携もまだまだだし、ベッカムも本調子じゃない。それでも前半に一点を先行して、そのまま逃げ切りたいところだったが、結局追いつかれて引き分けになってしまった。
まあそういう試合の流れは別にして、目立ったのはやはりロイ・キーン。試合の中で、キーンとマカティアがいさかうシーンがあり、その際マカティアは「どうせまた本に書くんだろ」とばかりに書きものをするパフォーマンス。
で、大笑いだったのだが、これで終わりではなかった。
試合終了直前、マカティアの背後からぶつかっていったキーンは、マカティアの顔面に肘うちを見舞った。
それが審判の目の前だったため、すぐに退場。
やられたらやり返すというのは本当だったんだな、とちょっと感心。いやいや感心しちゃいけないな。 たぶん、試合終了直前に報復したのが、キーンなりの配慮だったのかもしれない。

こういう選手はワールドカップで韓国と当たってほしかったなあ。スペインに勝っていれば可能性はあったんだし。とても面白い見ものになっただろう。 もっともその場合、もはやサッカーとしての興味はなくなってしまうだろうが、そもそも韓国に普通のサッカーを期待するのが(以下略。

それにサッカーとしての興味がどうとか言うのは、試合が試合として成立している場合にいえることであって、スペイン対韓国を見た人間であれば、もはや(以下略。

とにかくロイ・キーンはサッカー以外の部分で物議をかもし出すことが多い。絶対無理だと思うが、もしJにきたら、エジムンドと対戦した時に何かやりそうで、興味深い。いやいや興味深いなんて言っちゃいけないよな。

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02年08月18日・もうひとつのワールドカップ

知的障害者のワールドカップが、8月8日から、日本で開催されている。

開催日がほとんど平日だったため、今まで観戦できなかったのだが、それを今日18日、日曜日だったので見に行くことができた。対戦カードは準々決勝 のイングランド対ポルトガル。好カードだ。

イングランドは、今大会でも屈指の好チームだったし、ポルトガルも日本を8対0で破ったチームということで、けっこう期待していた。予選リーグでは、 大差の試合もあったけれど、決勝トーナメントに出てくるチームともなれば、それほどひどいことはないだろうと思っていたのだけれど、期待通りで、すばらしい試合だった。
何度もチャンスをつかむポルトガル後半開始
前半は、イングランドの攻めが目立った。ポルトガルは試合のペースをつかめない様子だったが、そこにコーナーキックから、イングランドのヘッドが炸裂して、一点。イングランドの先制。
ポルトガルは、バスを主体に少しずつ陣地を確保していく戦法で、フル代表と似たような 戦術をとっていたけれど、いかんせん、そのパスがなかなかつながらない。というか、パスはいいんだけれど、そのトラップがうまくいかず、こぼれだまをイングランドに拾われてピンチになる、というパターンが多かったようだ。
されでも後半になるとポルトガルもずいぶんたてなおしてきて、何度もイングランドゴールをおびやかした。前半にも少しあった、ミドルシュートで得点を得ようとする試みが何回か見られたものの、正確性が足りず、みなゴールマウスをとらえられない。
一方のイングランドも、カウンター気味で何回かチャンスを作り出してはいたが、キーパーのファインセーブや連携のミスで、なかなかゴールまで持ち込めないまま。
そんな中、ポルトガルのミドルシュートをキーパーがファンブルしたのを、うまくつめていた選手が押し込んでゴール! 同点かと観客を沸かせたが、キーパーチャージをとられ、残念ながら得点できず。
この後、イングランドもセットプレイからゴールをとらえたが、こちらもファウルでノーゴール。結局このまま、一対0で試合終了。と同時にポルトガルの選手がふたり、地面に倒れこんで起き上がれなくなってしまった。性も根も尽き果てたというところだろうか。ポルトガルは途中で選手がひとり退場になったこともあって、かなり無理をしていた様子。試合終了と同時に力尽きたのも、当然だったのかもしれない。
でも、ポルトガルは本当によくやったと思う。この試合だけを見ている限り、Jのチームともいい試合ができるんじゃないかと思えるぐらい素晴らしい出来で、本当に白熱する好ゲームだった。見に来てよかったと思う。

この勝者のイングランドは、次にロシアと対戦する。これが準決勝。水曜日の21日ということで、なかなか観客は期待ではないけれど、ひまな方は是非見に行ってほしい。無料だし、本物のワールドカップに迫る好ゲームが堪能できることうけあい。観客は少ないけれど、内容は非常に濃い。

詳細はINASのウエブページに掲載されている。決勝は27日の日曜日、ワールドカップと同じ、横浜で開催される。たくさんの人が現地に足を運んで、盛り上げてくれたらいいなあと、そう思う。

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02年07月27日・雑誌『NUMBER』不買を決意

またサッカーの話題を書く。でもワールドカップネタについては、これで最後にしたいと思う。きりがないので。

私がサッカーの情報源として、よく買っていたのが文芸春秋社の『NUMBER』。
この雑誌はヨーロッパサッカーの記事が多くて、大きな大会があった時には、きれいな写真や臨場感のある記事でずいぶん楽しませてもらっていた。最近になって後追いの新雑誌が各社から次々創刊されていて、新鮮味は減ったものの、記事の量からいっても、『NUMBER』はヨーロッパサッカーに力を入れていたし、それが気に入った読者は他誌に目移りしながらも、いわゆる老舗としての『NUMBER』を、購入の際の最初の選択肢にしていたと思う。
少なくとも今回のワールドカップでかなり売上を伸ばしているのは、そういった何年も続いていたヨーロッパサッカーへの取り組みが評価され、一種のブランドとして定着していたおかげだと思う。

つまり、雑誌『NUMBER』は、ことサッカーにかんする限りはヨーロッパサッカーを多く取り上げていたし、そのレベルや試合としての面白さなどについて、否定的な見方はしていなかった、むしろ好意的に取上げることで自誌の売上へとつなげてきていた。
言ってみれば、『NUMBER』にとってヨーロッパサッカーは、いいネタを提供してくれる、とてもありがたい存在だったと思う。

だが、今回のワールドカップで、そういう構図が一変してしまった。

少なくとも、『NUMBER』寄稿者の杉山茂樹と金子達仁にとっては、もうそうではないみたいだ。
韓国の疑惑にたいする不満は、試合を目撃した多くのひとたちが未だに納得できない気持ちでいる。
そして、それを活字やニュースにしない、大手のメディアにたいする不信感も強い。
黙っていれば、いずれおさまるだろうと思っているのだろう。実際、私たちは忘れっぽいから、そういうことはそのうち忘れてしまうかもしれない。
でも下記のような記事(http://www.number.ne.jp/columns_part2/2002.07.25/soccer.html)を目の当たりにすると、これはとても忘れてはいられないな、という気分になってくるのだ。

 
今大会、何より感心出来なかったのは誤審報道だ。VTRで確認すれば、スペイン対韓国戦でのホアキンのドリブル突破をアウトオブプレーと見なした線審と、韓国対イタリア戦でトッティに2枚目の黄色紙を翳(かざ)した主審には、当然のことながら疑問を抱く。しかし、それをスペインやイタリアのマスコミが騒ぐのならともかく、日本のマスコミまで一緒になって、審判のレベルが下がったとか、買収はあったのかと論じあう必要は全くない。筋違いと言っていい。永遠に真似出来そうもない快挙を韓国が演じたことへのやっかみ。根底に潜むメンタリティがそこに垣間見える。
 それが意図的であったかどうかは知る由もないが、多少の意志が介在していたとしても、驚きには値しない。主審のホームびいきの判定は、この世界の慣例であるからだ。「審判が助けてくれるから大丈夫」とは、大会前、日本のベスト16入りを心配するこちらに、多くの外国人が苦笑混じりに返してきた言葉だが、実際、ベルギー戦、ロシア戦ではその通りのことが起きている。日本のベスト16入りは、主審のPK見逃しに助けられたラッキーな結果という見方さえ成り立つ。
 都合の悪いことは忘れ、サッカー文化の代名詞でもあるホーム&アウェーの文化には新鮮そうに驚く。そうしたバランスを欠く稚拙な姿を、外国人に見られてしまったという不幸も重なる。日本にやってきた当事国以外の外国人記者は、さぞ冷ややかな目でその報道を見ていたに違いない。判定について第三者は口出ししない方が良い。それを言うと世の中は丸く収まらない。ホームびいきの判定の恩恵に与った過去はどの国にもある。それで公平は保たれている。

杉山氏は、まず「日本のマスコミまでが一緒になって」という表現で、韓国の誤審問題が大きく取上げられているかのような書き方をしているが、ここがまず間違い。というか意図的な事実誤認をしている。
この話題が、日本のマスコミではほとんど話題になっていないから、みんな不満を募らせているのだ。
同じマスコミにいる彼が、そのことを知らないはずはない。分かっていて書いているとしか思えない。

さらに続く部分の「やっかみ」とか「根底に潜むメンタリティ」といった表現で、こういう不満は、韓国にたいする差別意識と通じるかのようなニュアンスをほのめかしているが、こんなことがなければ、韓国が嫌いではなかったひともたくさんいる。

それから、「筋違い」とか「判定について第三者は口出ししない方が良い。」という部分について。
これはこの人だけではなく、韓国の疑惑にかんする批判的意見で多く聞かれる。
こういう意見で、「よその国のことは口出しすべきでない」とばかりに、韓国にたいする一切の否定的意見を封殺する人がいるが、日韓「共催」ということについて、どう考えているんだろう。
共催ということは、二つの国が、一緒に海外の国々を招いて行事を催すことだ。共催国が、もう一方の国の不正疑惑について取上げるのは、決して「第三者」的なアプローチではない。韓国対スペインの試合について、直接対決の前にドイツのカーンがコメントを求められていたが、ああいう時の意見が「第三者」としての意見だ。
日本はそういう立場にない。
たとえば逆に日本での失敗が、韓国で大きく批判されたって仕方ないと思うし、それはむしろ。共催国の義務として、大いに行われるべきだ。

ついでに言うと「サッカー文化の代名詞でもあるホーム&アウェーの文化」というのは、ワールドカップに関しては当てはまらない。
同じ対戦を二回、それぞれの国で行うのが「ホーム&アウェー」だろう。ワールドカップにあるのは、ホスト国と招待国。この二種類だけだ。ホーム&アウェーの有利不利を、ホスト国のそれと同一視するのは間違っている。

それを千歩譲って受け入れるにしても、ホームびいきの判定で「公平」が保たれている、という意見には、あきれるとしか言いようがない。
たとえば今回の因縁の対決であるイングランド対アルゼンチン、この対決も過去のマラドーナ「神の手」ゴールやベッカムの退場があったからこそ、「因縁の対決」になっているわけだ。
その時点で、不公正になっていた両者の対戦が、次の対決で公正さを取り戻すには、いったいどういう試合をすればいいのか。
まさかイングランドに一点あげて試合をする、なんて方法はとれないから、その時点の不公正は不公正として認め、次の対戦では同じようなことがおこらないようにするしかない。
そのためには、対戦が「不公正だった」という声が、マスコミやメディアから広く世界に伝えられている、という事実が必要である。実際、そうだったわけで、そういう騒動があるからこそ、次の試合で審判が厳正に試合をさばいて、それで丸く収まるのだ。
そのことを本当に分かっていないのだとしたら、このひとはサッカーのライターとして、少なくとも私には信用のおけない人間だし、もし韓国に気を使うあまり、こういう文章を書いたのだとしたら、これは圧力に負けた(あえて何もいわないとか、そういう場合はこっちだろう)というよりは、権力におもねる、やはり信用のおけないライターだということになる。

(余談。ウィルモッツのインタビューが雑誌『Yeah!』046号に載っていたのだが、その中で彼は今大会の誤審について聞かれた時、韓国に過剰なほど偏った判定が下されたと思っている選手が多いだろう、といいながら、続けてこう語っている。「その点、日本はそういった疑惑を持たれることなしに決勝トーナメントに進出したんだから、本当に立派だと思うよ。日本が実力でベスト16に進出したことに異論を唱える者などいないと思う」と。まあリップサービスもあるだろうけど)
(余談2.今気づいたんだけど、「ホアキンのドリブル突破」って、何のことだろう、試合見てたのかな、本当に)

さらにこの人と並んで、最近では日本対ベルギーの試合を「低俗なポルノのようだった」と表現して、かなり多くのサッカーファンを敵にまわした金子達仁というひとも、雑誌『NUMBER』にはよく書いている。というか、連載を持っている。
金子氏については、それほど嫌いではなかったんだけど、上記の発言や日本対ロシアの試合後のコラムで「喜ぶな」と書いてみたりなど、最近はずいぶん個性的な書き方をするなあ、とは思っていた。
その金子氏が、スポニチのコラムでこんなことを書いていた。

韓国対スペインでは、確かに誤審があった。ただ、言われているように今大会が突出して誤審の多い大会だ、とは思わない。いくつかあったトラブルも、サッカーの歴史が許容してきた範囲の中にとどまっている。韓国戦を前にしたカーンが言っていたように「地元のチームがある程度有利な笛を吹いてもらえるのは当たり前」なのである。
 では、なぜ今回はそのことをよく分かっているはずのイタリア人やスペイン人がしつこく抗議を繰り返すのか。そうでもしないと、アジアに負けたという事実を受け入れがたいからではないだろうか。サッカーに関するかぎり、彼らのアジアに対する蔑視(べっし)は骨の髄までしみこんでいる。オレたちは韓国に負けたんじゃない、審判に負けたんだというのが、一番手っとり早い逃げ道だったのだろう。早い話が、負け犬の遠吠(ぼ)えである。

イタリアやスペインの抗議がアジア蔑視からきているという。ヨーロッパサッカーを題材にした記事を多く書き、実際に現地で彼らの試合を見てきたライターの書くセリフだろうか。
じゃ金子は、自分の同じアジア人として、現地取材のたびにそういう視線を向けられてきたのだろうか。

ゴールを4点取り消され、悪質なタックルで三ヶ月の重傷を負った選手がファウルすら取ってもらえなかったチーム。
ゴールを2点取り消され、PK戦でキーパーの反則が取られずPK負けしたチーム。
選手が二人退場させられ、とってもらえないファウルで苦しんで負けたあげく、試合後に「引き分けを持ちかけられた」などと根拠のない悪質な噂を流されたチーム。

これらのチームが、アンフェアな部分にたいして文句をいうのが、全部「負け犬の遠吠え」だというのか。そもそも、ストイコビッチやジーコが問題にしていることの意味を、金子は分かっていない。今回の誤審が問題になっているのは、「疑惑のゴール」があったからではなく、「正当なゴールが認められなかった」からだ。スペイン戦で目立ったこれらの疑惑の判定の連続は、ワールドカップの歴史の中でもはじめてのことだ。同じ誤審なり疑惑の判定であっても、不正なコールが認められたことと、正当なゴールが認められなかったことの間には大きな開きがあり、それが問題にされているのだということを、金子は果たして分かっているのだろうか。
それに、少なくとも記事を書く上で色々な題材を与えてくれて、いわばお世話になってきたイタリアサッカー、スペインサッカー、そしてポルトガルサッカーとその関係者に対して、こういうセリフを素面で言えるんだとしたら、・・・やはりネットで色々と披露されている金子の問題発言の数々は、本当だったんだと言うしかない。

いわく、印象批評だけで、言うことがコロコロ変わる、いわく、競馬の記事を書く時、減量中の騎手に高カロリーのものを食わせて、しかもその時のことを悪し様に記事にしたせいで競馬界を追放された、などなど・・・。

噂だけではなく、思えば金子には、サッカーライターとして、適性を疑われるような記事がいっぱいある。

実を言うと、僕はセネガルの実力をまったく評価していませんでした。アウェーでのモロッコ戦をビデオで見たのですが、攻撃面で見るべきところはまったくなし。とにかく、頑張って頑張って頑張り続けていたら、モロッコにゴールを許さないまま90分が終わってしまった……そんな感じだったからです。おそらく、アフリカからの出場国の中で一番弱いのがセネガルではないか。そう思っていましたし、その思いはいまもかわりません。
( http://www.pia.co.jp/hot_sports/green/clm_124.html これは日本対セネガルとのテストマッチが終わった後のコラム)
「韓国が日本よりも有利なジャッジに恵まれたのだとしたら、それは韓国人の方が、日本人よりも強く自国の勝利を望んだからだった」「Number PLUS - World Cup 永久保存版 -」

こういうライターの書く記事に対して何も言わず、ただ受け入れてしまうというのは、私には耐えがたい。
私はヨーロッパのサッカーが好きだし、今後も見続けていきたいと思っている。
である以上、そういうサッカーに後足で砂をかけるようなライターの記事にお金を払うのは、心苦しい。
ヨーロッパサッカーにたいする冒涜みたいなものだと思えてくる。
そんなわけで、今後雑誌『NUMBER』は買わないことにした。金子や杉山は別の雑誌でも書いているから、本当ならそういう雑誌を全部不買の対象にするべきなのだろうが、そうすることでまっとうなライターの記事にめぐり合うチャンスを棒に振ってしまうのもばかばかしい。
とにかく、金子の連載のある雑誌や新聞は、今後読まないようにしようと思う。

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02年07月25日・「文章読本さん江」

斎藤美奈子の「文章読本さん江」(筑摩書房)を書店で見かけた。世に出ている文章読本の類を批評している本らしい。どんな本を取り上げているのかな、と巻末の参考文献のリストを眺めていたら、塔島ひろみの「楽しいつづり方教室」(出版研)がその中にあった。
辛口の批評で知られる斎藤美奈子があの塔島さんの本をどう評価しているのか、とても気になったので、そのまま立ち読みで中身の確認に入った。
当然取り扱われ方によっては購入するつもりだった。

軽い気持ちで立ち読みしていたのだが、言及されている箇所を見つけるのにずいぶん時間がかかった。それもそのはずで、やっとみつけた該当部分は10行弱で、引用もごくわずか。そして、その内容はというと文章読本の文脈を逸脱した類の本として紹介されている様子。取り上げ方がありきたりかな、とも思ったけれど、まあ、そういう扱いは、塔島さんの本の内容からいって当然だろう。

ところで斎藤の文章では、塔島さんの文章の引用部分に続いて、

「壊れたテープレコーダーみたいなこの文章をおもしろがるべきか否か、解説まで読んでも、まだ悩む。」

という記述があった。
ここがちょっとひっかかって、その話を妻にした。
「斎藤美奈子さんも、塔島さんのあの本のおもしろさがわからないんだね」と。
彼女が斎藤美奈子のことを好意的に評価していたのは知っていたので、多少意地悪な気持ちになっていたかもしれない。
すると妻は、その一文だけではわからない、文脈を見て、全体から考えないと何とも言えない、との答え。
一般論としてはもっともだが、塔島ひろみの本について言及されているのはその部分だけだし、それは全体を見ようとどうしようと、関係ないような気もした。

それから数日して、妻がこの本を買ってきた。さらに数日して、本を読み終えたというので、再度この話を蒸し返してみたが、どうも納得いかない様子。

妻「斎藤さんは、けっして塔島さんの本のおかしさが理解できないわけではないと思う」
私「でも、あの部分だけ読んだら『分かってないなあ』って感じてしまう」
妻「だから、全体で判断しないといけないわけで」
私「じゃあ全部読んだ感想としてはどうなの。あの部分と全然違うことが書いてあるの?」
妻「そういうわけではないけど」
私「じゃあ、やっぱり分かってないんじゃないの」
妻「いや斎藤は、けっして・・・」

という感じで、話が堂堂巡りしてしてしまう。ふたりで議論になると、こういうしょうもないことがきっかけで、段々と険悪な雰囲気になっていくこともあるので、どこかで終わ りにしたかったのだけれど、どっちも意地を張っていて、収束しそうにない。

こまったなあ、と思っていたところ、ふと頭に浮かんだ。
もし斎藤が、あの本を実際はとても面白いと思っていて、そのことを正直に書いていたとしたら、読者の反応はどうだっただろう。

斎藤美奈子のファンはいっぱいいるはず。(いなかったら、これだけたくさん本が出たり、新聞で書評が掲載されたりするわけない) ファンがみんな、興味を引かれて、塔島さんの本を買ったり読んだりするかもしれない。

で、その内容を知ってどう思うだろうか。

私も個人的には彼女の本がたくさん売れてほしいと思っているが(99/4/20読書日記参照)、ごく普通の人たちが塔島さんの著作を読んだ時、当惑してしまうのは想像できる。

ましてや、ユーモラスな内容を予測して購入した場合、怒り出すひともいるかも知れない。
自分の理解できないものにたいして、ひとは往々にして感情的な反発をするものだから。

だとすれば、斎藤美奈子は「楽しいつづり方教室」のおもしろさを個人的には分かっているにもかかわらず、あえて「どこが面白いのか分からない」と書いたのかもしれない。

つまり、「おもしろくなかった」と書いた場合と、「おもしろかった」と書いた場合とで は、それにたいする反発が大きいのはどちらか、という判断が働いて、それでああいう文章になったのだとすれば、斎藤美奈子の本意は、まじめで無粋なひとたちから、「なんであんな本がおもしろいのか」と問いただされるのに、いちいち付き合いたくなかったということだろう。
実際、本全体の主張とは全然関係ないことでもあるし。(ならなぜわざわざ言及したのか、 という疑問は残るけども)

逆に「おもしろくなかった」と書いたとしても、それに反応するのは、私のように部分的なつまみ読みをする人間で、しかも「楽しいつづり方教室」を気に入っている一握りの人間だけだ。それも、
「そっか、斎藤さんも普通のひとだったのね」と思われてしまう程度のことで収まる。

失礼ながら塔島さんの本の売れ行きからして、塔島さんの本が大好きで、なおかつ斎藤美奈子の評論も気に入っている、なんていうひとは、そう数多くはないだろう。
そのあたりをはかりにかけたのかもしれない。(思えば前記の批評も、どことなく体から離れたような物の言い、というか、悩んでいるのが斎藤個人ではなく、この本を書いている批評家というペルソナで武装した斎藤美奈子だ、と宣言しているようなニュアンスがかすかに感じ取れる気がする。考えすぎかな?)

というわけで、確かに全体を読まないと、この部分の批評はできないことが分かり、その あたりのことを妻に話したところ、ようやく和解できた。確かに斎藤美奈子はすぐれた評論家であり、そのぐらいの計算はしているかもしれない。この記述だけで、彼女は塔島ひろみのおもしろさが分かっていない、と拙速に断ずるのはまずいだろう。

ただ、斎藤美奈子自身、もしそういう計算をしているのであれば、私のような塔島ファン に「斎藤美奈子って、ユーモア感覚が常識的だ」「塔島さんのおもしろさが分かんないなんて」とか無責任に評価されてしまったところで、目算のうちだろう。
だから私も公にはそういう理解でいてもいいかな、いや、こういうこと書くと、また妻に反論されるかな、などと悩んだりもしている。

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02年06月26日・準決勝@埼玉

韓国にからむもやもやで、内心色々と思うところはあったものの、それも昨日のドイツ戦で一段落した。おかげで、待ちに待った準決勝に、楽しい気分ででかけることができた。
埼玉スタジアムブラジルのサポーター(笑)トルコのサポーターなぜかアルゼンチンの旗を振るやつらが。
準決勝は、ブラジル対トルコという、事前には誰も想像し得なかったような組み合わせになった。だがセネガル戦にみるように、トルコは今大会屈指の実力をもつチームだ。日本とやった時は、それほど力に差がないのに、トルシエの采配ミスで勝ちを拾ったかのような印象があったけれど、実はトルコはもっともっとその実力を秘めていたのだった。
それを、件の対セネガル準々決勝で思い知らされていたから、今日の試合もけっこうおもしろくなるだろうなと期待していたのだが、果たして、すばらしい試合だった。
パスとこぼれ球の処理については、トルコは今大会でも一、二を争うすばらしいチームだ。そういう基本的な技術がしっかりしている上で、さらに相手が思ってもみなかったようなプレイで次々チャンスを作り出していく。セネガル戦で分かっていたはずだったけど、生で見ると想像以上だった。

もちろんそういったチャンスを得点にさせなかったセレソンの技術もまたすばらしいもので、巧みな守備でしのぎきるとすぐにカウンターぎみにトルコゴールへ殺到する。とにかく、次から次へと攻撃の応酬で、試合中全然息が抜けなかった。
私の席はカテゴリー2の一番後ろ。でも専用競技場だったこともあって、見やすかった。ブラジル側だから、周りはみんなブラジルサポーター。私の周りは日本人が多かったけれど、やはりみんなプラジルのレプリカユニフォームを着ている。私としてはどちらも特に肩入れするつもりはなかったのだけれど(ロベカルの海賊レプリカを買っちまったけどね、へへへ)、会場の大半が黄色い色だったこともあって、トルコをちょっとだけ応援していた。
試合はブラジルの1-0で終わった。これからまた韓国に行かなきゃならないトルコの選手は気の毒だが、ベスト4に残ったことは誇りに思っていい。日本対トルコでは、たいしたことなかったように言われていたトルコだけれど、実は日本なんかよりずっとずっと実力があったのだということが、少なくともセネガル戦や今日の準決勝を見たひとにははっきり分かっただろう。日本も、こういうチームを目標にして精進していくといいんじゃないのかな。
試合終了。歓喜のブラジル。
スカパーのサッカー番組で誰かが言っていたけれど、韓国のサッカーは以前からスタイルは変化していない。ああいう方法は、参考にするのはいいにしても、日本のチームの目指す方向とは違う、という。
私もそう思う。もっときちんとパスをつないでいくサッカーの方が、みていて楽しいし、日本にあったスタイルだと思う。その点でいえば、今大会のトルコは、日本の理想形に近いものを見せてくれたように思う。

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02年06月22日・韓国スペイン戦・韓国に失望

前回、前々回の試合が疑惑を巻き起こしていたから、今回ばかりはフェアにやるだろうと思っていたのが間違いだったのだろうか。今日行われたワールドカップサッカー、スペイン対韓国の試合も、見ていて恥ずかしくなるような、ひどい審判だった。
もちろん、韓国の選手は大方が一生懸命プレイしていて、彼らには非はないのだろうが、それにしても審判はひどすぎる。それはスペインの監督や選手の方がよく分かっているようで、例によって試合後にユニフォーム交換をしてくれたのはひとりだけ(ひとりいただけでもイタリア戦よりはましだったのかね)、カマーチョ監督の試合での怒り方などをみても、分かる。
前半部分は他にやることがあったせいでずっと見ていられなかったが、時々試合の経過を確認するような姿勢で見ている限り、審判のジャッジにそれほど問題は感じなかった。けれど、セットプレイからのヘッドのゴールがファウルとされたのは疑問だし、同様にゴールラインぎりぎりからのクロスがラインオーバーと判定されたのは、スローで見る限り、あきらかな誤審。
いや、「誤審」ではすまされないだろう。ここまでイタリアが判定に怒った試合の後なのだから、線審はもっと厳密に、正確に試合を見極め、判定を下すべきだったのに、それに真っ向から衝突するようなジャッジ。これで私の疑惑は疑惑ではなく確信に代わった。
韓国という国に対して、ワールドカップ以前はそれほど反感はなかった。彼らの日本にたいする反発にもある程度納得していたし、むしろ共感を覚える部分もあった。フランスワールドカップの最終予選で「一緒にフランスに行こう」という横断幕が試合中韓国のサポーターの手で掲げられた時には感動した。
だが、そういう思いが全部裏切られたような気分だ。
それでもマスコミは共催の友好的な雰囲気をこわさないため、とかいって、相変わらず韓国礼賛の報道を続けるのだろうか。でも、あの試合を見たサッカーファンはだまされない。
海外サッカーの愛好者は、テレビでイタリアやスペインリーグの試合を見てきている。フランスやポルトガルの選手のすばらしいプレイをテレビで堪能している。これらの国々が韓国と対戦して、ユニフォームも交換せずに帰っていったのは、決して負けたのが悔しいからだけではない。彼らを侮辱し、ワールドカップの素晴らしさを汚した国のことを、彼らは決して忘れないだろう。
たとえばムッソリーニ時代のイタリアワールドカップ、軍事政権下のアルゼンチン、1966年のイングランドなど、ワールドカップでホーム有利の判定が下されたことは多々ある。そして、そうした不正の上に立った栄冠も、確かに記録の上では残されている。だが同時に、私がこうして書いている通り、その時に不正や疑惑があったということは、ずっとずっと記憶されるのだ。覚悟しておくといい。そうした不正をアレンジした馬鹿たちは、ずっと世界の笑いものにされ続ける。せっかくの初の共催ワールドカップを汚した最低の人間として、後世に伝えられるのだ。
今はとにかく、こういう不正の片棒を担いだ国として日本が今後も世界のサッカーを愛するひとたちの間で記憶されていくということが恥ずかしくてならない。こんなことなら共催なんてするべきではなかった、心からそう思う。

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02年06月20日・韓国イタリア戦の問題

今回のワールドカップでの韓国の不正疑惑については、相手がイタリアという、サッカー界でも無視できない存在だったことから、余波が広がっていて、もう収拾がつかない。そして、日本では相変わらずイタリアがバカなことを言っている、というトーンでの報道が続いており、これは共催国である韓国への配慮だけではないような、何らかの意図を感じざるを得ないような論調になってきている。
とにかく、ここではっきり言っておきたいのは、韓国が日本の成績について、少なくとも自分たちより下位であることを熱望していた、ということだ。日本が試合で失点したり、負けたりした時に拍手で遇したという話は、大手のメディアではほとんど報道されなかったものの、朝日新聞、スカパーなども、また現地で見ていた人たちのウェブでの日記などからも数多く報告されていて、明白だ。
で、そういった事実が大きく報道されない(朝日新聞でも、件の記事を遅版で訂正していたし)のと同様、今回のイタリア対韓国戦の不正疑惑についても、「イタリアがいちゃもんつけている」といった雰囲気でしか報道されていないのには、どうも納得がいかない。
少なくとも、会場で「アズーリの墓へようこそ」等の大きな幕を広げたこととか、けが人が出てプレイを止めたのにたいして、試合再開後ボールを返したイタリアに拍手がなかったこととかについては「ファンの応援は大人気ない」とコメントがあってもいいと思うし(こういうのは韓国だけだ。クラブチームならともかく。)、アンジョンファンの解雇について、ペルージャのガウチ会長の発言を中途半端に伝えるのなら、なぜ彼がそういうことを言ったのか、そして彼が「アンがゴールを決めたのは問題ではない。解雇は、彼がイタリアサッカーを誹謗するような発言をしたからだ」と言った事実をきちんと報道するべきだと思う。
中田は、その実力があったからとはいえ、世界的に有名になったのは、イタリアサッカー界という舞台があったからのことで、日本としては、イタリアに恩がある。というのは言いすぎにしても、好意的な関係であったのは事実なのだから、この交流を断ち切ってしまうような「韓国礼賛」は控えるべきだ。少なくとも、イタリアの言い分を色眼鏡なしで正確に伝えるのは、必須だろう。それをしないでただイタリアがひがんでいるかのごとき報道を続けているマスコミには、かなり失望している。
前回書いたとおり、韓国のはしゃぎようについては、(子供のすることだと思って)特にコメントはしないけれど、共催国だからといって、韓国の国際的には疑わしい「快挙」を、何の検証もなしに一緒になって喜ぶ、という日本のマスコミの姿勢には、どうも愉快な気持ちがしない。一国しか勝ちあがれないワールドカップであり、参加国すべてに喜んでもらうことは不可能であるにしても、ホスト国の意味を、少なくとも日本だけでも、もっときちんと自らに問うべきではなかったのか。これがきっかけで韓国とイタリアが険悪になっても、それは二国間の問題だが、それに日本が巻き込まれるのはとてもいやだ。日本が自らの意志でそれを選んだのならまだしも。それとも、共催を選んだ段階で、すでにそういう道が敷かれていた、ということになるんだろうか。だとしたら、とても遺憾で嘆かわしい。

ここで、また次の韓国対スペイン戦がとても気になってきた。もし(というより、ほぼ・・・えへんえへん)韓国が本当に審判の買収などをしていたのだとしたら、次のスペイン戦が鍵になる。イタリアやスペインでは、今回の疑惑について、一部報道されているから、まともな神経であれば、もはやこれ以上の策謀はしないだろう。何といっても日本の成績を抜いたのだし、当初の目的は達成しているはずだ。
だが、ここでもまだ不正によって勝利を奪い取るような策謀をしかけていたとしたら、・・・勝利と引き換えにも韓国は大切なものを失いかねない。それは、諸外国からの信頼だ。ソルトレークでああいう仕打ちを受けた国が、今度は同様の策謀でもって勝利を騙し取ったとあれば、国際的なスキャンダルになるし、もはや同情の視線を向けてくれる国はなくなるだろう。チョンモンジュがそれほど愚かであろうとは思えないのだが・・・いずれにしても要注目だ。

参考サイト
Believe Your Folly6/19の日記で観戦記
韓国2-1イタリアイタリアのニュースサイトの翻訳と感想
韓国ワールドカップ観戦記#3イタリア戦と、その前の試合での韓国の反応について。
(今回、2ちゃんねるは外していますが、これ以外にも多くの個人サイトの観戦記で、韓国の応援マナーや審判疑惑について記されています。)

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02年06月18日・韓国おめでとう

ワールドカップのベスト16、韓国対イタリアを見た。(当然、その前に日本対トルコの試合を見てがっかりしてもいた。)
で、共催国なんだけど、イタリアを応援しながら見ていた。
そもそも今回の韓国の戦いぶりは、なんとなく気に入らない。その反則すれすれの体当たりとか、相手の選手生命を脅かすようなプレイの数々は好きになれない。微妙な判定で下したポルトガルにたいして、その中心選手であるフィーゴを貶めるような事実と違う発言を、試合が終わった後で、しかも自分たちが勝った後で公にするのもすごく不快だった。
だが、もっと気に入らなかったのは応援する韓国民のやり方だった。
たとえばアメリカ対ポーランドの試合に出かけていって、ただアメリカが嫌いだからという理由だけでポーランドの応援をしながら「大韓民国」コールをする、とか、イタリアの試合の際も、スタンドに「AGAIN1966」なんて文字(1966年はイタリアが北朝鮮に負けた年で、まだイタリア人には屈辱として心に刻まれている)を書いたり、「アズーリの墓にようこそ」なんて横断幕を掲げたり。
クラブチームならともかく、ナショナルチームで、しかもホスト国が対戦相手に不快感を抱かせるような応援の仕方は、やや過熱しすぎじゃないのか、なんて思っていた。 だが、今日の試合でイタリアを断固応援しようと決めたのは、日本の試合が終わったあとのテレビのニュースだった。
あいつらは、ソウル街頭で日本の試合を観戦していたらしいのだが、日本が負けたと知って、歓声を上げて喜んだのだ。
あいつらは共催国を何だと思っているのだ。
これには本当に腹が立って、今日はずっと韓国負けろ、と思いながら試合を見ていた。

だが、(今回も例によってトッティ退場の疑惑なんかもあったものの)韓国は見事な戦い振りを見せてくれた。しかもそのイタリアに勝ってしまったのだった。これにはびっくりするとともに、感心した。韓国は確かに強くなっているんだなあ。

振り返ってみると、韓国民はすごく子供っぽいところがある。だから、相手がどう思うかということを考えずに、その場その場で感じたことを口にしたり実行したりしてしまうのだろう。たぶん、そこには悪意はない。
もちろん悪意がなければいいっていうものではないし、今回のイタリアやポルトガル、ひいてはアメリカに対して見せた振る舞い、というか仕打ちは、今後の外交とか、わりと深刻な部分で後を引きそうな気がする。いずれ大きなコストを払って学んでいくことになるだろうけれど、いずれにしても、日本の敗戦で喜んだのも、日本に対するものすごい憎悪というよりは、子供じみた対抗意識のなせるわざだと考えた方が理解しやすいし、たぶん真実に近いんじゃないかな。そういう風にとらえると、私も韓国を憎らしく思う気持ちが少し薄らぐようだ。 韓国、次はスペイン戦。イタリアと延長まで戦って、かなり疲労がたまっているだろうし、次も今回のようにはいかないだろうけれど、それでも健闘を期待したい。ただ、スペインも私がもともと好きなチームだから、もろ手をあげて韓国を応援する、というわけにはいかなそうだけれど。とにかく楽しみだ。

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02年06月14日・エクアドル対クロアチア・ポルトガルの敗退

昨日、待ちに待ったワールドカップ、エクアドル対クロアチアの試合を見に、横浜国際競技場に行ってきた。
初めて来た横国
新横浜の駅から出ると、もう駅前の雰囲気からして、日常ではなくなっている。これからの試合に期待している私の気持ちがそう思わせているのではなく、とにかく駅の飾り付けとか警備員の配置、ロープで区切った通行規制とか、そういうのがみんな、ここでワールドカップが行われているのだということを実感させてくれる。
チケットに書いてあるとおりの道を進んでいくと、あちこちに派手な色彩のユニフォームや帽子、飾りを地面に並べた外国人たちが、声を掛けてくる。(中で売ってそうな気がして何も買わなかったけれど、後で後悔した。)
また、黄色い色のエクアドルサポーターや、赤白格子のクロアチアサポーターが次々と通ってくる。赤白格子の浴衣を着ている女性がいて、センスいいなあ、と感心した。でも派手すぎて、ふだんは着られないような気もするが・・・。
エクアドルサイドの旗クロアチアサイドの旗
横浜は、とても大きな競技場で、「芝は最高、視界は最低」などといわれていたから見え方は気にしていたものの、二階席ながらよく見えた。もちろん肉眼では選手の顔の確認どころか、背番号がやっと見えるぐらいの距離だったから迫力には欠けたかもしれないが、全体の動きがよく見えたし、テレビでは映らない、ボールのそばにいない時の各選手の動きがはっきりわかって、楽しめた。
国歌斉唱
試合は応援していたクロアチアが負けてしまったせいでちょっと残念だったけれど、ラパイッチのシュートやドリブルが堪能できたし、カビエデスが途中で入ってきたことで、期待していた元ペルージャ対決も見られたし、とても楽しかった。
クロアチアは、メキシコ戦での敗戦からフォワードを若いメンバーに入れ替えてイタリア戦に臨み、それで勝利したことで同様のメンバーでこの試合を戦った。その方針は間違っていなかったと思うのだが、どういうわけだか、一点取られた後も、惜しいチャンスが何度も続いていて、試合全体を押し気味に進めていたこともあって、あまり必死になって攻める様子が見られなかった。それがずるずると続いていって、いつの間にかほとんど時間がなくなっていた、という感じだった。もちろん最後にはかなり必死になってエクアドルゴールを襲っていたけれど、そういった、試合中盤でのなかだるみみたいな雰囲気が、この試合の敗因ではないかと思う。もちろん観客席から見てそう思えたというだけで、実際の選手たちは当然真剣で一生懸命プレイしていたんだろうけど。
この席は、国内の一次販売で購入したものだったので、周りにいるのはほとんど日本人で、それもけっこうサッカーに見慣れている感じの人が多かった。ただ、ウエーブで場内を一周させようと必死なやつらがいたのは、ややしらけた。試合中は邪魔なだけだと思うんだけど。
帰りはやはりエクアドルのサポーターが元気だった。

帰宅して翌日の今日、日本がベスト16進出を決めて、おお、これはいいなんて思っていたところ、夜の試合でポルトガルの敗退が決まってしまい、なんだかとってもがっかりしてしまった。

フランスやウルグアイやアルゼンチンが負けても、それほどショックはなかったけれど、このポルトガルの敗退は本当に残念だ。結局二枚のレッドカードで人数が減りすぎたのが敗因なのだが、最初のレッドは、カード自体はどうしようもないものの、フィーゴのドリブルへのファウルが四、五回流されていたのにたぶんジョアン・ピントが切れたからだと思う。この試合のレフェリーは、カードは多かったけれどそれが試合のコントロールにはつながらず、ますますポルトガルの選手に不信感を募らせる結果につながっていた。それが非常に残念。実力からいえば、こんなところで消えるチームじゃないんだけどなあ。
もっとも、二人退場が出た後も、何回か決定的なチャンスがあったから、それを決められなかったのはやはり弱かったんだ、というのも事実。コンディションが悪かったのかもしれないけれど、負けは負けだし。ユーロ2000の時といい、ポルトガルはどうも、こういうのが多いなあ。もっと審判とうまく付き合う方法を学んだほうがいいと思う。

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02年06月12日・ワールドカップ観戦前夜

いよいよ明日、ワールドカップの観戦に行ける。
エクアドル対クロアチアの対戦だが、クロアチアの初戦、メキシコに負けてしまった時には「ああ、これで予選リーグ敗退か、じゃエクアドル戦は消化試合になってしまう」と嘆いたものだが、その後イタリア戦でみごと勝利! 決勝トーナメントに可能性を残した状態で明日の対エクアドル戦を迎えることになった。
エクアドルにしても、メキシコの状況によってはまだ可能性がわずかなからある、という状態で、このGグループのどのチームも油断できない、最高の状態での最終戦となったので、運がよかったとつくづく思っている。

今回のワールドカップでは、ご存知の通りフランスやアルゼンチンといった優勝候補が脱落し、ポルトガルやイタリアも苦戦しているという、今までなかったような状況で予選リーグが進んでいる(まあフランスは好きでもないのでどうでもよかったけれど、アルゼンチンが消えたのは意外だったし、さびしい気がする)。
でも、だからといって興味がうせるわけではなく、それ以外のチームの好プレイにわくわくしたり、どきどきしたりしている今日この頃なのだ。

たとえばアイルランド。
このチームは、予選でオランダを負かせたから、本当は好きじゃなかった。オランダのいないワールドカップなんて、何か物足りない気がしたし、その元凶はこのアイルランドなのだから、はやく負けてしまえばいい、なんて思っていた。 でも、このチームの頑張りと、サポーターの素晴らしい応援には、感動した。
特にサポーター。勝っていようと負けていようと、同じように陽気な応援を繰り広げる彼らの姿には、とっても好感を覚えた。実際試合には行っていなかったけれど、アイルランドサポーターは私の会社のある築地にも出没していた。というのは、ユニホームを着ていたからすぐにそれと分かったのだが、とても好奇心旺盛に、せっかく来た異国をできるだけ楽しんでやろうという気構えがうかがえた。
会場での報告を聞いていても、とにかくビールをたらふく飲んで、陽気に歌を歌い続ける、ということばかりで、またけっして暴力的な行動に出ることがない、という話が報告されていて、それが何とも気に入ってしまった。
試合自体も、たとえばドイツ相手であっても決してあきらめず、ロスタイムに引き分けに持ち込んだりする粘り強さを見せていて、とっても感動した。
今回、かなりの試合をテレビ観戦しているが、その中でも最高に楽しかったのが、このドイツ対アイルランドとナイジェリア対スウェーデン、イタリア対クロアチアとパラグアイ対スロベニアだった。まあ、まだ決勝トーナメントが残っているから、とれが最高の試合だった、なんて言うことはできないけれど、ここに上げた四つの試合は、当分私の心に残る、すばらしい試合だったことは確か。
サポーターの素晴らしさについてはアイルランドに負けてしまうかもしれないけれど、クロアチアの試合運びの素晴らしさについても、賞賛に値すると思っているし、そのチームの試合が見られるのは、やはり幸せというほかはない。
知名度から考えるとたぶん満員にはならないだろうし、地上波のテレビ中継もないけれど、それでも貴重な体験には違いない。
明日は会社が終わったらすぐに横浜に行って、クロアチアとエクアドルの試合を堪能したい。できれば2対1くらいでクロアチアが勝ってくれるといいな。クロアチアはラパイッチとボクシッチで二点。エクアドルはアギナガのフリーキックで1点、とかね。 あと、クロアチアのサポーターと交流できればいいな、とも思う。
こんな機会でもなければ決して日本になんか来なかった彼らと親交を暖めあうチャンスがあれば、とても楽しい思い出をつくれるだろう。デジカメは持ち込めそうだから、試合の様子はできるだけ写真に撮って、ここでも紹介しようと思っている。

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02年05月30日・いよいよ開幕ワールドカップ

今日は江戸東京博物館に行ってきた。予約しておいたチケットホルダーを受け取りに行ったのだ。600円。これがネットオークションでは3000円の値段がついていたりするのが不思議。(最近、オークションは諸悪の根源になっているような気がするが、気のせいだろうか)
ともかく、これでまたひとつ、ワールドカップに向けて準備が進んだ。

私が行くのは6月13日で、まだまだ先の話だけれど、それでもいよいよ明日開幕となると、なんだかそわそわしてくる。
ここ数日の研究で、クロアチアもエクアドルもすばらしい選手がいることがわかったから、横浜では彼らのプレーに注目したいと思っている。クロアチアだとコバチ兄弟。特にロベルト・コバチの動きは素晴らしい。それからフリーキックはヤルニ。有名どころではプロシネツキは、人間的にもすばらしいひとらしい。
エクアドルはアギナガのスーパープレーがぜひみたいものだ。京都との練習試合はテレビで放映されなかったけれど、ジャンピングオーバーヘッドを決めたらしい。とても楽しみ。

そういえば、昨日日清から荷物が届いた。セブンイレブンのチケットプレゼントには外れたけれど、副賞の「世界のカップヌードル」が当たったのだ。まあ運が良かったというべきなんだろうな。

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02年05月28日・不愉快な女の話

注意! 下記は、かなり不愉快な話ですので、物好きな方以外はお勧めしません。暴力的な表現もありますし、電波な文章です。(自分でも分かってて、それでも書いているというたちの悪さ)
個人的なうっぷん晴らしの文章なので、大多数の方はご覧にならない方がいいかと思います。


(6月5日、少し手を加えました。先日罵倒部分を削除したのに続く修正です)


朝にあった不快な出来事のせいで、今まで気分が悪い。それもみな、今朝九時十五分頃某所のスターバックスに自転車で乗り付けて買い物をしていたあの三十女のせいだ。

いつものように、コーヒーをテイクアウトで買って、外に出ようとしたところ、左斜め後ろからその女がぶつかってきた。はずみでコーヒーがこぼれ、私の手に振りかかった。 「あちっ、あちちちち」と思わず声が出た。いや、本当に熱かったのだ。
「大丈夫ですか」と右後ろのカウンターごしにスターバックスの店員が心配そうに声をかけてくれた。(その声はちゃんと耳に入った、と書いておく。理由は後述)
だが、私に熱湯状態のコーヒーをかける原因になったその女、犯人は、構わず外に出て行く。すぐさま後を追って、そいつが自分の自転車に荷物を入れている背後から声をかけた。
「あんた、ぶつかっておいて、あやまりもしないのか」と。
すると、その女は振り返って、こうおっしゃった。

「ちゃんとあやまりましたよ。自分で「あちちちち」とかいって聞いてなかったんでしょ。まだ何か因縁つけるんですか?」

・・・。

「因縁」だと。ヤンキーややくざの使う言葉。唖然。
「じゃあ、いいですよっ!」と吐き捨てるように言ってしまった自分が、後になって悔しかった。そう、後になってから、だんだん、ふつふつと怒りが込み上げてきた。あんまりに、人間としては非常識な返答を受けて、私はしばし当惑してしまったのだ。そのせいで、まともな返答ができなかったのだが、会社に向かって歩いていくにつれて、この女の、訳のわからない答えが頭の中をぐるぐる回ってきて、それでも理解できず、むかむかした気持ちがどんどん募っていった。

スターバックスの熱いコーヒーが腕にかかったら、どのくらい熱いのか、蚤ほどの大きさの想像力があれば分かるはずだ。しかも、相手が「あちっ、あちちち」と言っている時に、本人に届かないような声で謝罪して、その場を通り過ぎるなんてこと、社会常識のあるまともな人間なら、決してしないはずだ。少なくとも、その相手から後で謝罪を求められた時、「もう謝った」なんて四次元的な角度の開き直りのセリフを吐くことはないだろう。これが「逆切れ」というやつなのか。いやいや、よほどのバカでも、ここまで次元の違うセリフは使えない。
とするとこの女、人間ではないのか? 運命のいたずらで生まれたとたんケニアかどこかのジャングルに置き去りにされ、サルやゴリラ、ライオンなんかに育てられたため、ヒトの常識とか道徳といった、人間として当然たしなんでいてしかるべき礼儀やルールを一切知らずに育ってきて、またもや偶然の奇跡で今ここにいるのか。

でも自転車に乗れるぐらいの技術はあるんだよな。
日本語を話せる程度の語学は身についているんだよな。
コーヒーを買えるだけの社会性は持っているんだよな。


うーん。しばらく考えた。あの加害者の身になって、考えてみた。
たぶんあいつは、ここで私が服の汚れた洗濯代や慰謝料を要求してくるんだと思ったのかもしれない。それで、そんなものとんと支払うつもりがなかったから、強気に出たのかもしれない。私が温厚というか気弱そうだったから、うまく言いくるめてやろうと思ったのかもしれない。

だけど、そういう振る舞いは「私はまともな社会生活が出来ない」と自ら宣言するような、人間として恥ずべき行為だ

そもそも私は、金品なんかを要求するつもりは全然なかった。混んだ電車の中で、足を思いっきり踏まれたことだってあるし、鳩尾に思い切り肘の一撃を入れられたこともある。でもそういう時、たいていの相手は「あ、すみません」との一言があったよ。聞こえないようなぶつぶつ声で相手が言うのに視線をぶつけたら、「どうもすみません」と、もっと大きな、少なくとも私には聞こえる程度の声で、同じ内容を繰り返してくれたよ。で、それで私はOKだった。いや、不愉快にはなったけど、誰しも同じような経験があるんだし、仮になくても、いずれ不可抗力とやらで自分が加害者になることもある。それを想像するだけの分別があるから、それ以上のことは何も求めなかった。それは私だけじゃなくて、たいていの社会人が身につけている、人間の常識というものだ。だからちゃんと私の耳に届く声で「ごめんなさい」といってもらいたかったし、もともと望んでいたのはそれだけだった

でも彼女は、それが分からないあわれな人だった。きっと他人は全部敵なのだろう。ふだん虐げられていて、同じような目にあっているのかもしれない。かわいそうなひとだ。でも被害者としては、そんな想像の中の彼女の境遇に同情することはできない。この女性の未来には、決していいことばかりは訪れないだろう。むしろ、そういう風に他人に接し続けている限りは、かなり不愉快で悲惨なできごとに次々で出くわすのは確実なところ。どうかこの女が不幸になりますように、なんて思ったりもしたけれど、私がそう望まなくても、自然とそうなるに違いない。だって、他人がみんな敵なのだったら、少なくともそう思われている相手からは、同情とか愛とか親切といったものを受け取ることはできないのだから。それはほんのちいさな出来事から、決定的に彼女を落ち込ませるようなことまで、多種多彩だ。

この女性は、私がここで書いたみたいに、あるいは私が会社の同僚や家族に話したみたいに今日の顛末を話して、自分がさも脅迫されたかのような脚色によって、話を聞いた家族なり友人たちから「それはあなたが正しいよ」「ひどいやつ(私のことだ)だね」とかいった同情を引き出そうとするかもしれない。でも、ふだんから彼女と接している知人たちは、きっとそんな彼女の言葉をきちんと受け止めることはないだろう。せいぜいが、その場限りの社交辞令。それで彼女が期待しているように溜飲を下げることは決してない(何しろ、まっとうな謝罪の要求さえ、「因縁つけてる」と解釈するぐらいゆがんだ人だ。ふだん彼女と接しているひとは「やれやれ、また始まった」とあきれているに違いない)。そうしてたまった鬱屈が、再度他人との軋轢を発生させ、悪循環が続いていく。

われながら、電波な書き込みになってしまった。でも、こういう書き込みを続けることで、多少気分が楽になってきた。もっとも彼女に言われた言葉は、たぶんずっと忘れないだろうけれど・・・ここまで読んで、私の「うんざり」に付き合っていただいた方たちには、お詫びします。

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02年05月15日・準決勝!

まだ信じられない。今日の午前中までの気分が嘘みたいだ。準決勝のチケットが、今手元にある。三次販売に当選したひとも、まだ誰も手元に持っていないというのに。

実は今日のお昼頃、ためしにウィルコールセールスのサイトを見ていた。2ちゃんねるの情報で、全部「売り切れ」表示になっており、前回と同じだとすると、これはキャンセル分が出てくる前触れだ、という書きこみがあったからだ。
そこで数回fifatickets.comのサイトを開いたり閉じたりしていると、突然埼玉の試合が緑色になった。準決勝。三次で申し込んだ試合。おそるおそる埼玉会場を選択。チケットが・・・ある!
そこからは、クレジットカード情報を入力し、名前や住所を入れて、プリント用確認ページを別窓で開いて印刷し、「submit」ボタンを押して、数十秒待つと、申し込み成功の画面になった。

実にあっけなく申し込みが終了。まだ半信半疑で、申し込みができたのか、確信が持てなかった。カードの使用状況を専用のサービスページで確認しても、まだ反映されていないし、こんなに易々と申し込めたのが、どうしても信じられなかった。
その頃2ちゃんねるでは、今日から開設されたチケッティングセンターで、さっそく今日申し込んだチケットの発券に出むいたところ成功した、という報告が出ていた。すると、私の申し込みも、すぐにも発券されるんだろうか、と思った。
そこで、たまたま有楽町に行く用があったので、三時ごろ東京国際フォーラムに行ってみた。
エスカレーターで地下に降り、だだっ広い魚のような形の廊下を歩いて行って、センターに到着。金髪の女性にクレジットカードを渡す。覆いがあって、向こう側で何をしているのかは見えないが、発券の機械にカードを通しているのだろう。読み取りはすぐに終わったようで、まずカードを返してくれた。一分ぐらいすると、「一枚?」といわれ、そうです、と答える。またちょっとして、機械操作でうつむき加減だった彼女がまた私を見て、チケットを渡してくれた。

まさしく、すでに手元にあるエクアドル対クロアチアと同じく、本物のワールドカップチケットだった。三次販売であんなに期待していながら、あっさり落選してしまった、そのチケットだ。
このうれしさをどう表現したらいいんだろう。

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02年05月14日・サッカーの話・まとめ

ワールドカップの三次販売で、本抽選の結果がウェブ上で発表になり、私の希望は見事打ち砕かれてしまった。予備抽選を通過した時はかなりうれしかったし、その頃はまだ脳天気にもJAWOCが「10万枚程度チケットを確保した」とか言っていたのを信じて安心していただけに、ショックは大きい。久しぶりに、かなり落ち込んだ。
(一次登録では、5通の電話で登録しておいた申し込みのうち、予備抽選を通過したのは1通。申し込んだのは第一希望が準決勝カテゴリー2、第二希望が決勝カテゴリー3、第三希望会場は茨城、という、すべて同じ組み合わせで、通過したのは5本の電話のうち、最初に登録したものだった。)
ネットで発表された当選番号は約42000件実質倍率は2倍強。もう一息ということか。

けれど、欲しくてしょうがないのに、まだ1枚もチケットを入手していないひともいるわけで、一次販売でエクアドル対クロアチアが当たっているだけ、まだましな方、いやいや幸せな方だろう。こうなったらこの試合をできるだけ楽しむよう、気持ちを切り替えていこう。

それにしても、ここまで来るのは長かった。一年半近く、チケット購入に振り回されてきたわけだから。まだセブンイレブンやコカコーラなど懸賞の結果が残っているが、それはまあ、「奇跡」に近いものだから、当てにするほうがどうかしてる。実質的に、これでチケット入手も一段落。
(一段落、というのは、決勝トーナメントに出場する国が決まった段階でコンディショナルチケットのキャンセルが発生するため、ネットで販売される分がありそうなので、その時にも挑戦するつもりではいる)
いよいよ迫ってきた本選をひかえ、今までのことを振り返ってみようと思う。

まずは一次販売。郵便局でひとり一通のはずの申込書をみんながあちこちで手に入れようとしたため、申し込み用紙が品切れして、最初は「インターネットでも受付できるから」という理由で何もしなかったJAWOCだが、その申し込み用紙がネットオークションで出品されるにいたり、結局増刷することになってしまった。(考えてみれば、このころからJAWOCは・・・以下略)
私は一次を二通申し込んだ。自分名義と妻名義で、中にはどういうわけが数十通も申し込んだひともいたみたいだから、当たるかどうか不安だったが、とりあえず第一希望ではないものの、当選。
この頃は日本と韓国、フランス以外の対戦カードは決まっていなかったから、当選通知にもG2vsG3と書いてあるだけだった。うれしいことはうれしかったけれど、まだ不安もあったなあ。
12月の組み合わせ抽選で、それが、エクアドルとクロアチアと分かって、それほど悪くはないな、と安心した。でも、やはりもう少し別のカードも見てみたい気がして、二次販売に挑戦した。

だがその二次販売では、優先申し込みの番号に当たらなかった。それでも一般販売日から数日間は、時間の許す限り電話をかけ続けた。初日は有給までとってずっと電話していたけれど、いっぺんもつながらないうちにめぼしいカードは売りきれ。(このころは、2ちゃんねるのサッカー掲示板でも、私と同じような人がたくさんいて、ずいぶん励まされたものだ)
FIFAの海外販売枠もネットから申し込んだものの、最初に選んだイングランドTST3は、申し込み時の空席状況が「黄色ボール」、つまり「残りわずか」だったせいか、結局「割り振られませんでした」、つまり落選。それを受けてまだ「空席あり」の緑ボールが回っているアルゼンチンTST3を申し込んだものの、それもだめ。企業向けのプレステージチケットは、高額でさすがに手が出なかったし、オークションは

1不正で
2高額で、そのうえ
3名義変更がほとんど不可能

なため本当に入場できるか分からない、という状態なので、選択の余地がなかった。名義確認については、開催直前の今ごろになって、全員にはできない、と実質ほとんどフリーパスになるようなことを言っているが、当時は「方法は決まっていないが、ちゃんと行う」という言い方だったんだけど。
というわけで、海外枠も失敗。で、三次販売に至ったわけだが、その予備抽選とほぼ同時に、海外枠でもウイルコールセールスという最終販売が行われることになった。こっちも開始からサーバがすごく重くなり、なかなかつながらない状態だったのだが、私は参加しなかった。日本の三次販売で予備を通過したのは、上にも書いたとおり準決勝で、これだけとれればもう満足、という気持ちだったし(もう当たったつもりでいたバカな私だった)、交通費や宿泊費を考えると、これ以上はちよっと無理そうだったから。でも外れた今となっては多少後悔もしているけれどね。

さあ、今日からはエクアドルとクロアチアの研究をして、より試合が楽しめるよう、準備することにしよう。それから、効率的にテレビ観戦するために、有給とれる日を計算しなくちゃ。

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02年05月11日・「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕問題

以前ここでにわたって取上げて感想を書いた「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕について、雑誌「サイゾー」に引き続き、週刊文春にも記事が掲載された。記事は短いものだが、文春を読んでいるひとはけっこう多いから、影響力があるだろう。これで「二つの塔」や「王の帰還」といった続編や、今後発売されるDVDでの字幕改善につながる動きが出てくるといいけれど。

それと関係あるのかどうか知らないが、この問題を扱っているウェブページにリンクしてくれ、との依頼のメールがきた。断る理由はまったくないので承知の返信をして、さっそく下記にリンク。前掲の雑誌よりは、具体的に誤訳・悪訳が例示されているので、この問題に興味がある向きには大変参考になると思う。

魅惑のFotR日本字幕版(http://members.tripod.co.jp/gollumone/)

また、他にもこの字幕問題を扱っているウェブページはいくつもある。

映画「the Lord of the Rings」脳内字幕構想の拠点(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/7213/)

戸田奈津子の字幕に物申す!(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/3587/)

個人的には、こうした動きがきっかけになって、かの字幕翻訳者がもっと丁寧に仕事をしてくれるようになるか、あるいは別の翻訳者がより活躍できるようになればいいと思う。


ところで「二つの塔」については、ちょっと気になる話を聞いた。タイトルが貿易センタービルを想起させるので変更せよ、と署名をしているやつらがいるらしいのだ。

「二つの塔」のタイトルを変更する嘆願始まる(http://www.zakzak.co.jp/midnight/hollywood/backnumber/L/020509-L.html)

この記事からその問題のサイトを探してみたが、ダウンしているのか、見つからない。でもこのZAKZAKの記事が本当だとすると、実にあきれた話だなあ。貿易センタービルの事件でたくさんのひとがなくなったのは悲しく残念なことだが、それとこれとは全然別の話だろうに。

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02年05月05日・サッカーの日々

最近、このページだけでなく、ウェブページ全体の更新が滞っているのは自分でも分かっていて残念だと思っている。理由はというと、ワールドカップサッカー。まだ試合は始まってもいないのだけれど、観客としては、それ以前にやらなくてはならないことがある。それは、チケットの入手だ。
現在持っているのは一次販売で入手したエクアドル対クロアチアの試合。これも素人受けはしないカードだけれど、クロアチアは前回大会三位の国だし、以前のWOWOWや今のスカパーでセリエAを見ていたものにとっては、ペルージャに以前いたカビエデスとラパイッチが対決する、という見所もある。まあラパイッチは出られるかどうか分からないけれど、他にもプロシネツキとかシュケルとか有名なベテラン選手が一杯。とても楽しみだ。

でも、それはまあそれとして、やはりまだ一試合でも多く試合が生で見たいのだ。それで、一年前からずっと色々な方法でチケットの入手を目指してきた。ここにきて、いよいよ最後の段階にきており、もうさすがに手のうちようもなくなってきた。あといくつか可能性が残っているものもあるけれど、何ともいえない。これで取れなかったら、もうあきらめるしかなさそうだ。
詳しくは書かないけれど、私もチケット入手に色々と頑張ってきた。が、世の中には私なぞはるかに及ばない苦労をしてチケットを手に入れようとしている人たちがいる。そういうひとたちの情報源はやはりインターネットなのだが、毎日のようにモニタにかじりついて、刻々と変化する情報をチェックし続けている。たとえば、今も続いている海外販売の最終受付分は5月1日に始まったのだが、開始当初は販売サイトがあまりのアクセスにほとんど止まってしまい、いくらアクセスしてもつながらない状態がずっと続いた。しかし、いったんつながれば、この時の販売は先着順で好きなチケットが入手できるとあって、みんな寝ないでアクセスを続けていた。48時間ずっと続けていたひともいる。一生に一度かもしれない自国開催のチケットとはいえ、ここまでその入手に情熱を注ぎ込めるひとがいるなんて、さすがに私でも信じられない気分だった。しかも、それでも取れないという人もいるのだ。
一方でオークションサイトでは、相変わらず40万円で日本戦のチケットを売りますだの、たまたま幸運で入手したチケットを金儲けの手段に活用しているひともいる。(何をしようと自由といえば自由だけど、こういうのはさすがに頭にくる。)
ともあれ、運や大金がない限り、ほしいチケットの入手がとても難しいということはわかってもらえるだろうか。どちらもそれほど持ち合わせていない私としては、時間をかけて情報を入手し、できるだけの手を打つ必要があったのだ。
開幕まであと一ヶ月を切り、もうほとんどやることは残されていない。だから今後は、もう少しページ更新に時間をかけられるかもしれない。とはいえ、開幕したらしたで、またまた観戦に夢中になって、ページ更新がおざなりになってしまいそうだけれど・・・。

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