このページでは、日々に感じた雑感を書いてます。
過去記事はことわりなく修正したり削除したりすることがあります。基本的に、このページは不特定多数の他人に読ませることを目しておりません(^^;
なお、御意見を下さるのは歓迎しますが、その場合、「こういう意見をいただいた」という記述がこの日記にあるいは記されることもありますので、あらかじめご了承ください。



目次

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さらに古い雑感は下記を参照下さい。

98年12月某日より99年05月09日まではこちら

某年某月某日より98年12月某日まではこちら


99年9月4日


映画「MATRIX」を先行上映で見た。とてもカッコよかった。見たことのないものやあり得ないものを、いかにリアルに見せるかが特撮だとしたら、この映画のそれは絶品だ。しかも、とてもみせ方がうまい。たぶんヒットするだろう。で、それをまねて妙なことをするやつらも出てくるかも知れない。そのたびに思うのだが、映画なんかと自分の現実を混同してしまう精神の動きって、いったいどういうものなんだろう。映画や漫画がひとつの仮想現実であるとしたら、自分の生きていることは、それとはまったく異なる現実だ。少なくとも、他人が作っているものと、自分がそこに参加し、所属しているものとの間に、あってしかるべき区別というものが、自覚できなくなっているんだろうか。これは、いわゆる自我の崩壊なのか。うーん。

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99年8月11日


どんとのCDを三枚買った。
どんとは、ボ・ガンボスというバンドでボーカルをしていた男性で、ある日突然バンドを解散して沖縄に引っ越してしまったひとだった。以来、自主制作でCDを出している、とは聞いていたのだが、ライブの会場で販売しているだけで、一般のレコード店には出回っていないので、入手を半ば諦めていたのだった。それがたまたま新宿の模索舎という自主流通出版を厚かっている店に何年ぶりかで行った時、今まででたCD三枚がみんな置いてあるのに感激して、その場で買ってしまった、というわけ。もっとも(後で知ったのだが)どんとのCDはHMVやタワーレコードには置いてあったそうなので、そんなにあせって買うこともなかったのだが。

で、実際に聞いた感想だが、やはり久しぶりに聞くどんとの歌声はとてもいいなあ、と思った。曲も、ボ・ガンボスにいたころよりのびのび歌っている感じがして、こころがほのぼのしてくる。それに、三枚目のライブ盤以外の二枚は、自宅録音だというのにとても音が良い。ひとりだけで、これほどレベルの高いCDが作れるとは驚きだ。
ある雑誌のインタビューでは、メジャーで出さなくても、ライブ会場などで売ればちゃんと売れるし、むしろその方が高収入になる、というようなことを言っていたが、なるほど、こういう内容なら、自主制作でも売れるだろうなあ、と思った。
なんとホームページもあるらしい。のぞいてみたら、ライブの情報なども掲載されていて、便利だ。何しろどんとのライブは、メジャーな音楽誌でも、めったに掲載されないし、載っていても、それこそ目を皿のようにしていないと見つけられないことが多いので。

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99年8月6日


最近、電車の中で非常識な人間、というか、すぐにきれて喧嘩になってしまうやつが増えているらしい、という記事が週刊文春に載っていた。理不尽なことで他人に暴言を吐いたり、ちょっと体が触れただけで怒鳴ったり、とか、これは男女を問わないようだ。自分でも、以前一人暮らしをしていた頃、他人の些細な言葉や無配慮がひどく気に触ることがあったから、こういう人達の動機はとてもよく分かる。

憎悪を通じてでも、他人とかかわり合いたい、という意識していない感情の発露だと思う。赤の他人にまで、自分を理解してほしい、思い遣ってほしい、と願っているんだね(これは電車の中だけじゃなくて、たとえばやたら攻撃的な文章や漫画を書いているひとたちにもあてはまると思うな)。こういうのは、無視されると一番本人に堪えるのだが、かといってそんな赤の他人にわざわざかまってやるようなお人好しはあんまりいない。だからますます攻撃的になって、時には傷害沙汰になってしまったりするんだろう。
こういうやつらを、ただ「おかしい」と決めつけて病院に入れ、それで何もなかったことにする、というのはあんまりうまい方法ではないと思う。もてあましている憎悪が、いったいどういう性質のものなのか、本人に自覚させてあげるのが大切なのではないかな。具体的にはカウンセリングなどすればいいのだろうか、ちょっと分からないが。
さて、電車の中で礼を失した振る舞いをするやつらの動因が憎悪である、と私が主張するのは、少なくとも自分はかつて、そうだったんだと、過去を振り返って感じているからだ。いや、今でもそういう部分は残っていて、通勤の電車の中で、自分の前に座っているやつが全然降りないのに腹をたてるだとか、自分が転げている新聞や雑誌を隣のやつがちらちら見ていると気になるとか、未だにそういう気分になることがある。まあ私も寂しいんだろう、・・・などと言っていてはしょうがないので、何とかしなくちゃいけないのだが、これがまた、なかなかうまくいかない。

今日なども、私が座っていると、ドアの脇に、こちらに背中を向けて立つ男がいて、手すりの部分に大きい尻を押し付けて、私の肩をしきりに圧迫した。こっちが正常にまっすぐ座っていられない程、圧迫されていたので、何度も仕種やせき払いで不快感を表明したのだが、そいつは全然意に介さない。といって、多少電車が揺れても、不自然なまでにしっかり尻を手すりにもたれさせたままだから、いったん離れたら、私が肩を正して、これ以上もたれかかれなくなる、ということは知っているようだ。つまり、私が不快感を感じてることは知っているのだ、この男は。
ますます腹が立ってきた(ことわっておくが、このあたりのいきさつは、あくまで私の立場で書いている。先にも述べたとおり、こういう場合、私は未だに些細なことで頭にくる性が残っているから、客観的に見ると多少状況が違うかもしれないことをあらかじめ補足しておく)。肩を押し付け返したり、腕を組んで、二の腕全体が男の尻を押し返すような姿勢を組んでみたりもした。だが、この厚顔無恥な男はまったく反応しない。
こっちがいい加減頭に来て、口に出して言ってやろうかと思ったところで男は電車を降りていった。
私は自分の怒りとともに取り残されてような思いで、次の駅(目的地)で電車を降りた。
それからもしばらくの間、怒りが私の頭の中を渦巻いているみたいだった。そのせいか、足取りもせかせかと早く、いつもより5分ぐらい早く会社についてしまった。それからふだん通りに仕事にとりかかった。
お昼頃になって、ふと気付いた。
なぜか仕事の進み具合がかなり早いのだった。いつもは手を抜いているというわけではけっしてないのだが、頭の中に渦巻く怒りが、そのはけ口を仕事の方に向けてしまったらしい。思えば頭もすっきりしている。

こういうことがあってから、さっきの男には、かえって感謝したくなった。いや、まだ怒りもあるんだけど、何と言うか、ストレートな憤まんではなく、もっと複雑な感情になった。ただ、こういう風に方向付けられると、怒りも有用なものだなあ、ということは分かった。その意味では有意義なできごとだったと思っている。

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99年7月24日


西武ドームでのオールスター野球第一戦を見に行ってきた。オールスターを生で見るのは初めてで、色々なセレモニーが見たかったので、かなり早くに球場に到着した。守備練習や野球殿堂入り表彰などがあった後、ホームラン競争。パ・リーグが勝っていた。

当然パ・リーグひいきの私にとって、試合の結果はあんまり嬉しいものではなかったが、松坂がセ・リーグの主力をきちんと抑えたのはうれしかったし、大友のランニングホームランやイチローの猛打賞のバッティングは見ごたえがあった。ただ守備の乱れでワンサイドゲームになってしまったのは残念だったなあ。

上原対松坂の投げ合いは、公式戦さながらに両者の特徴が出ていたと思う。つまり、迫力の松坂と、着実に結果を出す上原。この対照も興味深い。

西武ドーム、今日は暑い一日だったが、わりと涼しい風が入ってきて、しのぎやすかった。ただ、これは施設とは関係ない不満だけど、パ・リーグの攻撃の度にスピーカーから変な音楽や拍子を流して、せっかくの応援団のリズムをだいなしにしていたのはいただけない。

パ・リーグは全球団の選手が出ていたのにたいして、セ・リーグは広島と阪神の選手がスタメンから外れ、阪神にいたっては打席に立てなかった。これは気の毒だったが、まあこれだけおおぜいの豪華な選手が出ているのだから、しょうがないのかな。この後甲子園でもやるから、そこでいっぱい出すのかもしれない。

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99年7月14日


今話題の「東芝のアフターサービスについて」のページ、昨日の「週刊朝日」に掲載されてから、 また動きが出てきたようだ。

新聞各紙に掲載された時点でもけっこう話題になったのだが、週刊誌にのったせいで「わたしもこんなひどい目にあった」と訴えるメールが作者の元に集まり始めたらしいのだ。それもビデオではなく、掃除機やパソコンといった、別の商品だ。つまりことはビデオだけではなく、東芝の家庭向け全商品にかかわってくる、ということになる。本当にこの渉外担当は、どうしようもない所だなあ、と思う。

ただ、これらのメールの掲載は、一時的なものだったらしく、偶然載っているのを見たあと、一時間ほどした再び見たら、もう掲載されていなかった。あんまりことを大きく広げたくない、と思ったのかな。いずれにしても、しばらくこのページから目が離せない。何といっても電話でのやりとりが聞けるのは大きい。動かぬ証拠といったやつだ。どんなに東芝が言い訳をしようと、このテープがある限り、あんまり説得力を持てない。

朝日新聞の記事等は、はっきりいって東芝の言い分ばかり載っていて、ここだけ読んでもそのひどさが伝わらないだろうから、まだ聞いていないひとは、ぜひ聞いてみた方がいいと思う。友人で、新聞を読んだだけの状態で、多少東芝に同情的だったやつだって、この音声を聞いてからは、「これはひどいな」と主張が正反対に変わったものね。結局10人ぐらいに聞いてもらったけれど、みんな「ひどい対応だ」という意見の一致を見た。

200万アクセスということは、このテープを聞いたのは10万人や20万人ではないだろう。ちょっと前に、その関連会社が発売寸前までいっていたレコードを、原発批判があったというだけで「すばらしくて出せない」と発表したことがあって、そのころから、この会社はあんまり好きじゃないのだが、そういう私の個人的な偏見を抜きにしても、東芝は本当にまずいことをしたなあ、と思う。

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99年7月12日


ボトルキャップのトレードをした。見ず知らずのひとと会って、キャップの交換をするのは不安だったが、相手もC3-POがとてもほしかったようで、お互い満足のいくトレードになった。

これで、ノーマルが全部そろった。よってこのページでの7/10付けの募集は締め切り。今になってここに気づいたひとには、残念でした。もっともダブリはまだあるので、どうしてもほしいひとがいたら話は聞きます。(もしスペシャルと交換してくれるひとがいるなら、こっちからお願いしたいくらいだが、まず無理だろう)

ただしC3-POやアナキンの頭は売れてしまって、もうない。このまま余ってしまうのだったら、もうちょっと時間がたってから、どこかに売りに行こうかな。今日現在、東京・神奈川・千葉では、すでにキャップなし500mlしか置いていない店がほとんどになっているようだ。

穴場としてはスターウォーズ封切り映画館の一部でキャップ付きがまだあるが、値段が168円。通常140円のこの価格差を高いとみるかどうかは、そのひと次第だろうね。もっともその映画館にあるものにしても、そう長くはもたず、じきに売り切れそうではある。

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99年7月11日・「スターウォーズ」感想


「スターウォーズ・エピソード1」を見た。家のそばの劇場は、日曜午後三時からの回は満員で入れなかったので、六時からの回で見た。一部有名劇場で問題になっているような、暴徒の混乱はなく、静かに、ゆったりと見られた。日劇など、やかましい歓声だけではなく(もちろんこれだけでも問題だが)、フラッシュをたいている馬鹿がいたそうだ。こういう話は聞いているだけで腹が立つ。

この雑感の下の方に、以前slashdotにあった感想を紹介したが、まったくその通りだなあ、と思った。映像技術はすばらしく、迫力のあるシーンもいっぱいなのだが、最初のスターウォーズにあったカタルシスが足りない。ラスト近くの戦闘シーンが数カ所に渡っていて、それが同時進行されているため、せっかくの迫力がとぎれとぎれになり、散漫な印象をぬぐえないのだ。これはシーンのつなぎ方が安易なせいだと思う。せっかく特殊効果に凝っているんだから、このあたりも気配りがほしいところ。

また、これもslashdotにあった感想だが、ジャージャービンクスがうざい、という意見も、実にその通りだった。話の腰を折る役としては最適。こいつの存在も、話の流れを断ち切っているような気がする。

それから、買ってきたパンフレットをみると、レーサーのひとりひとりにまで詳細なプロフィールが あってびっくりした。そんなシーンは画面には全然登場しないようなことが、細かく設定されている。うーん、凝り性なのは認めざるを得ないが・・・。

概して、面白い映画だと思う。料金分の価値は多分あるんだろう。ヒットするのも当然かも。

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99年7月10日


スターウォーズのボトルキャップは、とうとうあと四個までこぎつけた。だが、このあたりから大変なのだろうな。もう個人で買うのは限界だろうと考え、ネットの掲示板でトレードの申し込みを書き込んだ。一挙にそろえたかったので複数(三つ以上の)トレード希望と書いた。しかも手渡し希望という地区限定で。ちょっと条件きついかな、と思っていたが、返事は6通来た。だがそのうち5通はひとつないしふたつのキャップのトレード申し込みで、条件があわない。残り一通は、まさに四個のトレードができる、とのことだったので、喜んで返事を出した。掲示板に書き込んでから、四時間ぐらいたっていたのだが、その間にほしいものの内容が変わってしまったのでトレードできない、と返事がきた。なんじゃそりゃ。がっかり。

たぶん、「もう生産が終了している」との情報を受けて、あせって集めているんだろうね。そのせいで、時々刻々と希望が変化しているんだろう。それにしても四時間で変わってしまうなんてなあ。

「生産終了」の噂は、あくまで噂で、もちろん公式にアナウンスされているわけではない。自分でもこの噂にあおられたきらいがないでもないから大きなことは言えないのだが、この噂を信じ込んで熱くなっているひともけっこう多いみたい。

まあ生産終了したらしたで、トレード用のダブりがもうかなりあるから、さほど心配はしていない。トレードしてくれる店も二軒程みつけたし、販売しているところもあるし。

もっとも早く集まればそれにこしたことはないので、残り四個の名前をいちおうここに書いておく。このページを検索などで御覧になった奇特な方となら、掲示板に書いたのより緩い条件で、つまり手渡しでなく郵送も可・二体二ぐらいの交換トレードをしてもいいなあ。

ほしいのはKI ADI MUNDIとNUTE GUNRAY(HEAD)、WATT0(HEAD)、それにCAPTAIN TARPALS(HEAD)。交換可能なのはアナキン頭やレイア姫、それにC3-POといったレアなところを初め26種類ある。希望の方がいたら、このページを見た、と書いてメールでも下さい。リスト送ります。気長に待ちますが、こっちも買うのを止めるわけではないので、一日置きぐらいに希望が変化する可能性もあります、と一応ことわっておこうかな。

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99年7月6日


PEPSIのスターウォーズボトルキャップを集めている。当たらないと手に入らないものを除き、29種集まったが、ここまでくると、ダブりの生じる確率がとても高くなってきている。同じものが二つも三つもあってもしょうがないのだけどね。それに、飲まない、というより飲めないPEPSIが大量に残っていて、これをどう処理するかも問題。料理とかに使えればいいんだけどなあ。全部飲んだら確実に糖尿だろうしね。

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99年6月28日


今日は本当に雑感。地下鉄に乗りながら、ニューエストモデルとフィッシュボーン、マーク・リボーとエクトル・ラボー、ボブ・ディラン、ビリー・ブラッグの入ったテープを聞いていた。初期のビリー・ブラッグは、地下鉄で聞くのが実にふさわしい。ライブやったら盛り上がりそうだな。ニューエスト・モデルの「行動範囲がきみの思考を決める」という台詞が耳にこびりついて、しばらく消えなかった。

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99年6月24日・「エイリアン9」感想


漫画「エイリアン9」を読んだ。本来読書日記に書くべきかも知れないが、前回も漫画だったので、ここに書くことにした。

この漫画は、先日二巻が発売されたばかりで、それもたまたま発売日の翌日に平積みになっている書店で運良く買えたから読むことが出来たのだが、翌日その書店に行くと、もうすでになくなっていた。人気があるのかどうなのかは知らないが、ヤングチャンピオン連載という、あんまり目立たない雑誌に掲載されているせいか、単行本をみかけたことが、今まで全然なかった。実は二巻が発売される前から、しばらくこのコミックを探し歩いていたのだった。それがどこに行っても置いてなくて、二巻に続いて今日、たまたま入った書店に一巻が一冊だけあったのをすぐに買い、そうしてようやくこの作品の現在までの全貌をしることができたというわけ。いやー、本当になかなか見つからなかった。

そこまでして探していたのは、ニュースグループで、この漫画を絶賛している投稿があったのを読んで、ずっと気にしていたからだった。先日二巻を入手して、納得した。想像していたのとは全然違っていたが、面白かった。

学校に、エイリアンが降ってくるため、それを回収する役割を与えられた3人の女の子が主人公。3人とも、共生型エイリアン・ボーグを帽子のようにかぶっていて、その能力を駆使してエイリアンと戦ったり、回収したりする。ただ、その役目を彼女たちに与えている女の先生も、どうもボーグと同じような能力をもったエイリアンらしい。だから、だれが何のために彼女たちにこんなことをさせているのか、それからなぜエイリアンが学校に降ってくるのか、といった背景部分は謎のままだ。

設定としては、「エヴァンゲリオン」に似ていると思う。ただ、絵の感じや全体の雰囲気は全然違うし、なんといってもエイリアンの造型がとても気味悪くて面白い。実を言うと「エヴァ」に出てくる使徒、個人的にはあんまり形がすきではない。というか、いかにも得体の知れない無機質なものを想像したらこうなりました、という感じがして、私にはどうもピンとこないのだ。それにたいして、この「エイリアン9」に登場するエイリアンは、いかにもいきものらしくしていながら、あり得ない造型で、気持ち悪くて、リアルな感じがする。まあこのあたりは趣味の問題だから、みんなが別の感じ方をするんだろう。

残念なのは、最初にのべたように、なかなか店頭で入手できないから、この漫画の面白さが話題になることもまた、少ない、ということだ。ヤング・チャンピオン・コミックスは、そもそも置いている書店が少ないから、しかたないのだけれど、もっと評価されてしかるべき漫画だと思うな。

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99年6月20日・邦画「鉄道員」感想


映画「鉄道員」を見た。お涙ちょうだい。これから見る広末涼子ファンのために教えてあげるが、125分の全編中、彼女が登場するのは最後の30分だけ、という、その演技力に見合った出演時間になっているので、多少遅れて入場しても大丈夫。

志村けんの演技が一番よかった。まるで「八時だよ全員集合」を彷佛とさせる演技。赤ん坊のうちに死んだ娘が「幸せだよ」というシーンは、確かに泣かせるが、生き残ったものの勝手な思い込みが不愉快だった。まあ、ずっと不幸だったから、そういう夢をみてもいいんじゃないか、という風に考えるひとも中にはいるんだろう。でも自分の職務を遂行する余り、妻子を見殺しにする男、というのは、やはり最低ではないだろうか。そういうひともいるんだろうが、それを主人公にして、いったい何がいいたいのだ。

身近の大切なひとを失ったひとたちは、この映画をみて、みんな涙するかもしれない。しかし、そういうひとたちひとりひとりに、こう言いたい気分だ。あなた方は、こんな映画の主人公より、ずっとずっと辛い思いをしてきているはずだし、ずっとずっと勇敢だ。なぜなら、あいするひとの死に流す涙を仕事のせいでおざなりにしていなかったから。自分の思い込みで、勝手に作り出した愛するものにたいして、都合のいい懺悔をくり出したりしていないから。

実に非建設的な映画であると思う。まあ娯楽なんだからといってしまえばそれまでだがね。

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99年5月29日・中古ゲームソフト裁判


昨日、ゲームソフトの中古販売に関する裁判の判決が出て、ソフト会社側が敗訴、中古販売が認められることになった。まだ最高裁までいくかもしれず、予断を許さない状況だが、わたしは中古ソフト販売にかんしては、賛成の立場をとる。

だいたい、ソフト会社って、もうけすぎてないかね。先日の長者番付のランキングにも、確かゲームソフトの会社がのっていて、べらぼうな金額を納税していた。つまり、それだけ儲けているってことだ。この不況時に。

ゲームソフト会社の言い分は、中古ソフトを認めると、クリエイターに正当な利益の還元ができない、ということだが、もしそうなるのなら、会社の利益を取り過ぎているんだから、その分作者に回してやればいい。だいたい本やCDなど、中古市場がない著作物って、本当にわずかだ。ゲームソフトだけ特別扱いしなくちゃならない理由が分からない。

弱小ソフトは、現在のところ、新品を店頭で購入するのは困難になっている。定価で売れないのに、価格を下げられないから、店頭に並べられないのだろう。もしそういうソフトばかりを作っている零細ソフト会社を救済するのなら、中古市場を容認するか、ソフトの価格を完全なオープンプライスにでもしてくれない限り、無理だと思う。

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99年5月28日


今日のテレビ番組「タモリ倶楽部」では、「おかま」と「おなべ」のカップルの話だった。性同一性障害の異性同士が恋愛関係にあって一緒に暮らしている、というパターンで、こういう番組の中では、まれにみるほどこのカップルに対する愛情と配慮をこめた内容になっていて好感がもてた。たとえば体が男性でありながら、こころは女性だという彼女をやはりタモリは性的な笑いものにしていたけれど、それは彼女がそういうmtfだから笑う、というのではなく、ひとりの人間としてギャグの対象にしているのだ、ということがうかがえた。タモリは同じ方法で、普通の女性なり男性を性的に笑いものにすることができるし、実際そうしている。そんな、ふだんと変わらないギャグの取り方が、何かよかった。

タモリをよくしらないひとがこの番組をみたら、腹をたてるかもしれないけれど、それは誤解だと思うし、そこまで目くじらを立てていたら、結局性同一性障害のひとたちとそうでないひとたちとの間に、相互理解の橋をかけることもできなくなってしまうだろう(もしかしたら、こういう言い方も不穏当なのかもしれないが、もしそうなら、どうか教えていただきたい)。とにかく、わたしはよく出来た番組になっていたと思っている。

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99年5月25日


今日、会社のホームページで扱っている商品に関する広告を某新聞に掲載したのだが、それだけでメールが12通もきたのにはびっくりした。しかも、それ以外にも電話やFAXで30件近い問い合わせがあった。ちっぽけな広告だったのに、実に新聞の効果というのはすごいなあ。ウェブページを作ってからもうずいぶんたつが、新聞に載っているというだけで、十日分ぐらいのアクセスが今日一日で達成されている。まあ、あんまりネット上でも宣伝をしてなかったのは確かだが・・・。

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99年5月23日


最近ときどきいくウェブページslashdotでは、昨日公開のスターウォーズの第一作にかんする感想が載っていた。結論。完璧ではないが、まあいい映画だよ、だって。

驚異的な映像。色とりどりで、細部が描きこまれている。特殊効果はほんとうにすばらしいし、最低のJar Jarでさえ、おおかたのシーンで滑らかに動いている。シナリオはとても印象的。(...)モールと二人のジェダイの戦いは、旧作のオビワン対ダース・ベイダー、ルーク対ダース・ベイダーの格闘シーンなど比べ物にならないほどのすばらしいできだ。じゃルーカスは傑作を作ったということか? 残念ながらそうではない。良い作品ではあるけれど。

テレビなどを通じて流れる情報だと、見た人はみんな絶賛しているような印象があるけれど、どうも必ずしもそうではないみたい。

ところでこの感想を書いたひとは、Jar Jarというキャラクターがとても気に入らないらしく、旧作でのマーク・ハミルほどではないが、とてもうざい、だとか、次回作では、登場させないでほしい、とか言っているが、これってあのクリーチャーかなあ。

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99年5月15日・映画「8mm」感想


映画「8mm」を見た。失望。必殺仕事人のような勧善懲悪もので、せっかく「モンスター」が、復讐で主人公に殺される直前、自分の事をごく普通の人間なのだ、と口にしたのに、その主人公が「フォーリング・ダウン」のように狂ったりしない。「セブン」と同じ脚本とは思えないほど、迫力もないし。

あと、主人公がふたりもの人間を残酷に殺したことにたいして、その刑罰はどうなったのかが描かれていないのも、リアリティがない。ひとりなど、拷問した挙げ句刺し殺して遺体に油をかけて焼いたんだから、正当防衛どころか、実刑くらって当然だろう。もし殺人ビデオなど撮るやつらは残酷に殺されても当然だ、という考えから出ているのなら、心情的には理解出来るが、だからって「目には目を」とばかりに私刑を行使した主人公の刑罰を表現する必要がない、ということにはならないだろう。一般市民に被害が出ても、民族虐殺をしているのだからコソボ空爆は当然、といわんばかりのアメリカ軍(notNATO)の最近の姿勢とダブって写り、気分が悪い。それにこれを言っちゃおしまいなのだが、赤の他人が殺されたことにたいして、これほどまでに義憤を感じられるものなのかな。そうせざるを得ない主人公の心の動きがもっともっと描き込まれていないと説得力がないような気もする。もっともこのあたりも、ユーゴの惨状とダブって見えるなあ。ああ、気分が悪い。

唯一よかったのは音楽。エイフェックス・ツインの「come to Daddy」と、あとカッワーリーのような音楽が使われていて、これは雰囲気がよかったと思う。

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99年5月14日


今日は本当にいい一日だった。というのは、思わぬ拾い物をしただけでなく、「ねこぢるうどん3」を買うことができたからだ。

彼女の死後、遺作というか、未刊行の作品が夫であった山野一の手によって、次々と出版されている。確かにうれしいし、全部買ってはいるのだが、言い方は悪いが妻の死でお金を稼いでいる、という感がちょっと否めない、そんな複雑な感情もあった。

だが、「ねこぢるうどん3」所収の「いいさかな」を読んで、そんな思いは吹き飛んだ。これは傑作。もしかしたら、最高傑作じゃないかとも思う。絵柄はねこぢる初期の、やや拙いタッチだが、それが本当にねこぢるの味だったのだなあ、と改めて痛感した。こんなマンガを描ける彼女と山野一は、やはりすばらしいと思う。ここを読んだ人が、先入観なしに作品に入っていけるように、あえてここでは筋を書かないことにする。もっとも傑作だ、というわたしの意見を耳にしただけで、立派な先入観になってしまうわけだが・・・。

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99年5月12日


話が後先になってしまうが、9日の日曜日、友人の結婚式に出席した。妻ともども親しくさせていただいていて、というより、妻のほうがずっと親密な友だちなので、わたしは付き添いのような感じでついていったのだった。

式は横浜の高台にあるイタリアンレストランを借り切って行われ、人前式という、神でも仏でも無く、出席したひとたちにたいしてふたりが互いの愛を誓う形式で進められた。このタイプの式には初めて出た。新鮮だった。

推測するに、この友人の生活は、私的な面でも仕事関係でも今までさぞ苦労が多かっただろうと思う。でもそういう面を他人におおげさにアピールするのを潔しとしない性格の彼女は、波乱万丈の中でも持ち前の明るさとバイタリティとで、いつも決して苦しんでいるそぶりなど見せない。すごいと思う。敬服する。

そんな彼女の晴れの舞台が、この暗いニュースばかりの1999年に行われたのは、何かとてもうれしいし、いいことの前触れになるような気分がしてくる。本当に幸せになってほしいと思う。

ああ、でも今まで本当にずいぶん彼女にはお世話になってきたから、私がこんな僭越なこと言える立場じゃないんだよな。本人がこれを読んだら怒るかも知れないなあ。もしそうだったら、ごめんね。「おめでとう」と「本当によかった」と言いたかっただけなのですよ。

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99年5月11日


5/9の記述でとりあげたウェブページ。スタイルシートの不備を証す例示として、ネスケだと再現できないとされる構文が紹介されていた。これがマックのNetscapeだとちゃんと表示されているから、これはWindows版だけの問題なのかもしれない、とそう書いた。

だが、やっぱりWindows95上で動くNetscapeNavigatorでもちゃんと表示されている。あるいはこの人のいう「ネスケ」は、NetscapeNavigatorないしCommunicatorでなく、まったく私の知らないブラウザなのかも知れない。最初は「読めますよ」とメールを書こうかと思っていたのだが、更新された記述を読んで、書くのはやめにした。

この人は言っていることがいちいち意味不明で、HTMLの文法にこだわるひとにたいする敵対意識がとても強く、いささか感情的でもあるからだ。多分何かいっても理解し合うことなんてできないと思った。

たとえ間違った文法であっても、現状の主要なブラウザは表示してくれるのだから、このままでいいじゃないか、という考え方には賛成出来ないが、文法よりも内容の方がずっと大切なのは大前提として自明のことだから、文法違反があるという、そのことだけでウェブページを批判するのは馬鹿馬鹿しいとは思う。だが、だからといってアクセシビリティに配慮する努力そのものを無効とみなし敵対するような姿勢は、どう好意的に解釈しても容認できない。しかもその根拠が意味不明とあってはね・・・。

他にも問題発言が見られるし、そもそも自分と違う価値観を認めないタイプの人なのだろう。ここで取り上げるだけ時間の浪費だったなと思っている。

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