このページでは、日々に感じた雑感を書いてます。
過去記事はことわりなく修正したり削除したりすることがあります。基本的に、このページは不特定多数の他人に読ませることを目しておりません。他のページもそうですが(^^;
なお、御意見を下さるのは歓迎しますが、その場合、「こういう意見をいただいた」という記述がこの日記に記されることもありますので、あらかじめご了承ください。

最新の更新は2000年5月です。



目次

06/1206/1006/0705/3105/2404/1603/2003/1701/1212/2212/1712/1211/0511/0310/2610/1110/0810/0710/0610/04home

さらに古い雑感は下記を参照下さい。

99年05月12日より99年09月04日まではこちら

98年12月某日より99年05月09日まではこちら

某年某月某日より98年12月某日まではこちら


2k年06月12日・サッカーの話


ユーロ2000の放送がWOWOWで始まった。フランス対デンマークの試合が、テニスのせいで生放送にならなかったことでYahooの掲示板などでさっそく悪口がいっぱい出てきているが、全試合やってくれるだけでいいのにな、と思ったりもする。まだまだ私がサッカーに熱狂的になっていないせいなのかもしれないが。
いずれにしても、見ているとそのレベルの高さに圧倒される。今、オランダ対チェコの試合(再放送)を見ているのだが、もうオランダが勝ったという結果を知っていても、目がはなせないすばらしい内容だ。特にチェコの猛攻と、オランダのラッキー(あのPKはないよなあ、という気もするし)が際立っていて、非常にわくわくする。

昨日の日曜日、日本ではキリンカップがおこなわれ、日本がスロバキアに善戦した。中村のフリーキックなど、確かにすばらしく、某越後のように、トルシエを悪し様に攻撃したりする気にはないが、それにしても、ユーロ2000と比較すると、やはり戦い方が全然違うのが明らかだ。
日本人もだいぶうまくなってきたのだろうが、それにしても、やはりプロとアマの試合を同時に見ているぐらい、差がある。とにかく、ユーロ2000での各選手の動きの方が俊敏で、フィールドが小さく見えるのだ。これは以前マンチェスターの試合を見ている時に感じた感慨と同じだ。あれから一年ぐらいたっているが、やはり印象は同じ。ということは、やはり日本代表は進歩していないということなのだろうか。
もっとも、この前のハッサン国王カップでの、対フランスの善戦は、じかに見ていなかったし、試合全体も見ていないから、中田や名波が参加した試合をきちんと見ていれば、また考え方も変わるのかも知れない。それにしてもハッサンカップでの城のゴールにはびっくりした。私は城は全然評価していないし、スペインにいった時も、自分の身の程を思い知るだろう、と多少意地悪な気持ちでいたのだが、ちゃんとバリャドリードでの経験を生かしていることには驚き、ちょっと見直した。

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2k年06月10日・「アルマゲドン」を誉めるには


遅ればせながらビデオで映画「アルマゲドン」を見た。同時期に公開された隕石パニックものに「ディープ・インパクト」があるが、これと比べるとまったく別もので、興味深い。
この「アルマゲドン」は、映像そのものやカットの取り方、人物描写と背景の説明、科学的考証、俳優の演技といった、ほとんどすべての面においてひどい出来で、よくここまでと、一種感心してしまうほどだ。映像はCMやミュージックビデオで見たような撮り方になっていて、どこかで見たような感じがいつも付きまとうし、爆発シーンなどのSFXも、もっと迫力のある撮り方ができるのになあ、などと思わせられる。人物設定や小惑星が落ちてくる背景の説明不足で今いちのめり込めなくなるし、非科学的な事件やら稚拙な演技でもって、さらに感情移入ができなくなる。くどいほど繰り返される、世界中が祈ったり歓喜したりする映像は、アメリカ人以外には不快感を煽るだけのような気がする。
これほどの映画から、よい点を見つけだすとすると、これきかなり困難だ。でもヒットしたからには、それなりの理由があるんじゃないだろうか、と考えたのだが・・・うーん、分からない。やはり、ただ宣伝の力なのかな、あのヒットは。

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2k年06月07日・中日ヤクルト戦


今日は神宮に。ヤクルト中日戦で、巨人が絡んでいないことと、場所が神宮ということもあって、だらだらとリラックスした雰囲気の中で観戦できて、楽しかった。試合は野口と高木の先発で、結果としては中日のワンサイドゲームになってしまったが、序盤は野口も大量点を取られ、先行きが不安な感じだった。この日は神宮の外野ぎりぎりの内野自由席(三塁側)で観戦したのだが、試合の展開が展開だけに、対岸のヤクルトの「東京音頭」(点を取ると、ビニル傘を振り回して合唱する)も見られたし、中日が得点する時に「燃えろドラゴンズ」を歌い、万歳三唱をするのを見られて面白かった。あと、七回にはちゃんとジェット風船を飛ばすのね、中日応援団は。このオリジナルは阪神だったと思うが、直に見たのは初めてだった。
ホームランが一杯見られたのは楽しく、また関川のホームランは特によかったけれど、中日はどうして巨人にだけは勝てないのだろうかね。ヤクルトを虐めているぐらいなら、巨人にもっといい試合をしてほしいなあ、と思う。一方のヤクルトは、巨人にたいしてかなりいい成績だったのするからね。まるでじゃんけんみたいな感じ。もっともそのおかげでセリーグは混戦状態になっているんだけどね。

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2k年05月31日・携帯電話は嫌いだ


ここ数カ月、ずっとがまんしてきたことがある。いずれは収まるかもしれないし、初めて手にした人が、好奇心でついやってしまうのだろう、と大目に見ようとも思ってた。でももう限界だ。社内放送があっても同じだということは、明らかに確信犯なのだし。
携帯電話を電車の中で使うのはやめてほしい。呼び出し音がするのが耳障りだ、という問題以前に、ペースメーカーに影響があるかも知れない、という報道がされており、JRを中心とした鉄道会社がその旨を車内で放送しているにも関わらず、iモードだか何だかしらないが、ずっと使い続けているやつら。あんまり一般人を徹底的にけなすことが好きではないけれど、こればかりは別だ。電車の中で携帯電話の電源を入れたままでいるやつは、大嫌いだ。
携帯電話の電磁波が、本当にペースメーカーに影響を及ぼすのか、疑わしい。そういう一部の報道やら主観的な意見を元にして、やつらは開き直って携帯を使い続けているのかもしれない。だが、もしほんの少しでも良心のかけらがあるのなら考えてみてほしい。

携帯が自分の心臓の動きを損なうかもしれない、という情報に不安がっているひとがすぐそばにいても不思議でない状況下で、それでもあえてそういう機器を使う正当な理由は何なのか。
そこまでして話したり通信したりしなければならない理由と覚悟が、本当にあるのか?

私が問題にしたいのは、携帯の電磁波が本当にペースメーカーの誤動作につながるのかどうか、という論議ではない。今の所、科学的な結論は出ていない。(もっとも、こんな情報もあるにはあるが) 朝日新聞に掲載された記事では、人体に関する影響についても、ようやく調査が開始されたという段階で、報告がまとまるのは数年先になるらしい。いずれその結論は出るかもしれない。出ないかも知れない。だが、「携帯電話の電磁波が、ペースメーカーに影響を与えるかもしれない」という意見があることはみんな知っていて、多くの心臓疾患の方も、当然そのことを耳にしている。そういうひとたちをあえて不安に陥れるような振る舞いの、いったい何が正当だというのか。そうまでして通信する必要性が、いったいどこにあるというのか。
「人の身になって考えろ」というのは、もはや常識だと思うが、本当に回りの迷惑を考えていたら、電車の中で、つまりたいていの場合本人が回避しようもない環境の中で、公然と携帯電話を使用するのは、殺人行為ではないにしても、ひとにみだりに不安感を抱かせる恐れのある、恥ずかしい行為だ。こういう輩が頻繁に表れる現状では、「圏外君」などの携帯電話妨害装置を購入し、使用するのも、もしかしたら自衛行為として認められるべきことなのかもしれない。
何ごとも、禁止されるのは、それを乱用するやつらがいるからだ。地下鉄が全駅禁煙になったのも、地下鉄の火災が原因だった。一時期鉄道備え付けのゴミ箱が使用停止になったのは、サリン事件が引き金だった。今たいていの鉄道で「携帯の使用を控えよ」云々の放送がなされているのも、彼らの傍若無人ぶりにへき易しているひとが多いからなのだ。携帯ジャンキーは、そのへんのことについて考えたことがあるんだろうか。ただでさえ電車の中では混雑などで過酷な状況にさらされがちだ。そういう場所で携帯を使うということがどんな印象を回りにもたらすか、考えておいた方がいい。車内には短気なひとが乗っている時もあるからね。いずれ、携帯での通話を原因にした殺人事件も起きるのではないかね。

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2k年05月24日・朝日美穂のライブ


強い風と曇り空の下、高円寺に出かけて朝日美穂のライブを見た。ネットでのみ告知された、限定35人という小規模なもので、これが午後と夕方の二回公演。そもそもこのライブ告知のメールがなぜ私に来たのか、いまだによく分からないのだが、幸運だったと思う。
会場はSALONという、本当に小さな会場で、演奏者と近い距離で音を楽しむことができた。客はほとんどがおとなしそうな若い男性ばかりで、彼女からすると、ノリが悪かったのかもしれない、ちょっと当惑しているような感じだった。それでも歌はすばらしくて、楽しい時間を過ごすことができた。
朝日美穂はいい声をしているし、音域が広い。それを生かした曲作りをしているから、よけいに魅力的に感じる。
それにしても、もっともっと有名になってしかるべきだな。去年出たシングルCDにしても、全然知らなかったから、レコード会社の宣伝にも問題あると思うんだがなあ。

高円寺には、色々と思い出もあるので、久しぶりに歩けてよかった。数年ぶりだが、全然変わってないような気がする。
帰りに中野で降りて、タコシェで本を買った。喫茶店の「クラシック」も健在のようで何より。

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2k年05月24日・映画数作・まとめて評


ここ一ヶ月ぐらいでみた映画をまとめて評する。
最初は「アメリカン・ビューティー」。この映画は、母が見たいと言うので家族で見に行った。秀作。家族のそれぞれが、みんな自分なりの理由でひどいことをしてしまう様子を描いている。あらゆる年齢層のひとが、この映画で嫌悪を抱くかもしれない。でもこの映画の場合、それは意図的なものだから、客がいやな気分になったら成功なのだろう。もっともあの結末は、一種ハッピーエンドだと言ってもいいのかもね。小ネタとしては、ソファの値段にかんして字幕がひどい誤訳をしているようで、それも注意して見ると面白いかも。

次は「アイアン・ジャイアント」。アメリカ製のSFアニメ。おたくが見ると、細かい部分の不整合(あのタイプの原潜にはあのタイプの核ミサイルは積んでない、など)が目立つようだが、そういうのを無視できるだけの力のある作品だと思う。アメリカのアニメはおおかた嫌いなのだが、「サウス・パーク」などと並んで、貴重な例外だ。これは楽しい。映画らしい映画だと思う。

あと、DVDで買った「シックス・センス」。このページを時々読んでくれている友人に「この映画はいいぞ」と話したら意外そうだったので、この日記を読み返してみたら、辛らつなことを書いているなあ(^^; まあ第一印象はよくなかった、ということだろうか。
実際、この映画は見れば見るたびに色々な発見があって、それが制作側のねらいだと分かっていても、けっこうはまってしまうようだ。ただ、あの子役は今後が大変だろうな、と思う。これだけ印象的な演技をすると、次回作ではそれが大きなハードルになるのは目に見えているからなあ。

最近政治家の暴言とか、残虐な殺人事件などが多く、なかなか明るい話題がないので、今回はこういう雑感にしてみた。あんまり気はまぎれないけどね。

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2k年04月16日・石原都知事の暴言


去年の4月11日の記述で、私はこんなことを書いた。

こういう政治的なことを書くと、読み手がますます減ってしまうかもしれないが、それでも書くのは、将来読み返す時のために。「ああ、やっぱり最低の知事だったなあ」と思うか、「いや、最低なのは、知事の才を見抜けなかったおれのほうだった」と反省することになるのか、それが少し楽しみなのだ。

というわけで、今回の発言で評価ははっきりした。やはり最低の知事だったね。確かに最近は都民の支持率を高めるような、受けのいい政策を続けているが、そういう成果(なのかどうか分からないが)を全部台なしにしてしまうぐらいのひどい発言だ。東京都の最高権力者がこういう発言をする、ということは、都の行政は、不法滞在の外国人をみな凶悪犯罪者扱いしている、と断言したも同じだ。失言の中の「不法入国している」の部分を省略して報道したことについてとやかく言う向きもあるが、そんなのは些細なことだと、どうして気づかないのかなあ。そもそも「不法入国している外国人」が、凶悪な犯罪をしばしば起こしている、というご高説の根拠はいったい何よ?
イギリスの雑誌のインタビューでは、「もし、英国で政治家がこんな発言をしたら大騒ぎになるが」と記者に言われたのにたいして「そう? どうして?」とけげんな表情だったというが、これもまた、自覚のないまま差別をしている人間に特有の尊大さだ。「遺憾」の意を発しながら、それでも後で「あれは謝罪ではない」と言うのは、たぶんやたらと謝罪する政治家たちと自分は違うんだぞ、と言いたいだけのポーズなのだろうが、・・・そう、このひとは自分をよくみせるためのポーズばっかりなのだね。
この調子だと、いずれ次々と差別発言を繰り返していくだろう。アジア人だけではなく、次は性的マイノリティや、身体障害者、高齢者などといった、社会的に弱者とされるひとたちの神経を逆なでするような発言が相次ぐだろう。たぶん、次はもっともっと露骨だよ。目に見えるようだ。件の雑誌のインタビュアーには「人種問題について、日本人の認識の浅さを示していると思った」と言わしめたこの問題だけに、次に起こる事件では、果たしてどんな論評がなされるのだろう。その時にも東京都民という立場にあることが恥ずかしいと思わずにいられる都民はどれだけいるのか。いや、彼を「日本の恥」と呼ばずにいられない日本人がどのくらい増えているだろうか。
あともうひとつ、自衛隊の出動要請にかんする部分も、極めて問題の多い発言だ。今外人にかんする件が話題になっているせいで、ほとんどメディアでも取り上げられていないが、外国人が凶悪犯罪で暴れたら、警察でなく自衛隊を呼ぶ、という発想が、どうしてもわからない。あきれて、失笑するしかない。あ、そうか、だからメディアも取り上げていないのかな。つまり、黙殺、というわけか。それならそれで納得。

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2k年03月20日・ドームでオープン戦


日本ハム対中日のオープン戦を見に、東京ドームに出かけた。
風がとても強い日で、昨年の西武ドームでこういう気候にはこりていたのだが、東京ドームは、同じドームでも密閉式で、風がひゅうひゅう観客席を吹き抜けていく名ばかりの西武ドームとは違うから、まあ寒いことはないだろう、と安心していたのだが、それが間違いだった。
間違いといっても、設備に問題があったわけではない。遺憾なのは、係の対応だった。入場券には11時受付開始と書いてあったが、実際に入場を開始したのが11時半。しかも会場時間がアナウンスされたのは、11時15分頃。会場前から列を作っていた我々50人程のファンは、30分以上この強風の中を待たされていた。
別にドーム側が嘘をついていたのではないが、この寒くて強い風の中、列を作って並んでいるお客のことを考えたら、開場時間を少し早めるか、開場時間のアナウンスを早めにしてほしかった。オープン戦に、わざわざ列を作って待っているファンなのだから、もっと大切にしてほしいと思った。
でも並んだかいがあって、普段では絶対に見られないような、バックネットの前列三番目、というとてもすばらしい席に座ることができた。ベンチの野次や主審の判定の声が、ちゃんと聞こえる。望遠鏡もいらないぐらいの距離だから、なかなか見応えがあった。
試合は日本ハムの一方的な展開。中日先発の野口が悪過ぎたのと、日本ハムの攻撃がよすぎたのが原因。一二番が猛打賞、盗塁が二つとヒットエンドランがひとつ。積極的な日本ハムの攻撃は、メンバーが同じなのに、がらっと変わっていた。今年の日本ハムはかなり強くなっている様子。先発のオーミーは最高の出来だったし、一回だけ投げた下柳も見ることができたので、よかった。
中日は、野口の出来が本当によくなかった。外人のキャッチャーに変わってからも、立ち直りかけたものの、やはり打たれていたから、先発捕手のせいではないだろう。後続のピッチャーも、岩瀬を除いてあまりいいところがなかった(しかし岩瀬はさすがだった。今年もやりそうな感じ)
今週の土曜日に、もう一度同じカードの対戦があって、それを見に行くことにしている。次は中日の巻き返しを見たいものだ。

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2k年03月17日・ローマ法王の画期的なミサ


少しだけ古い話になるが、数日前、ローマ法王が、キリスト教二千年の歴史の中で、初めてといえるミサを行った。それは、十字軍や魔女裁判、ユダヤ人差別といった歴史上の事件において、キリスト教徒や教会が罪を犯したことを認め、その赦しを神に乞う、という内容だった。日本ではあまり大きく報道されていないが、これは実に画期的なことで、私も高く評価するし、こういうミサをおこなうことに踏み切った法王や教会に大いに敬意を表する。
だが、これを快く思わないファンダメンタリズムの連中が、何かことを起こしやしないかと、それがかなり気になる。特にアメリカあたりでは、カトリックにたいする風当たりが強くなったりしやしないだろうかね。とても心配だ。

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2k年01月12日・サウスパークの映画


WOWOWで、アニメ「サウスパーク」をいつも楽しみに見ている。セリエAのサッカー放送が、放映権を失ったことで終了し、もうおもしろい番組もなくなりつつあったから、契約もやめようかと思いはじめていた時期だったが、このアニメで思い直した。 子供たちが主人公のアニメなのだが、いつもとんでもない事件が起こって、みんな子供のくせにとんでもない発言や行動をする。WOWOWで放映されているのは日本語吹き替えで、字幕版はビデオが出ているから、見る気になれば、わりと簡単に視聴できるだろう。
で、このアニメの映画版が六月ごろアメリカで封切られた。タイトルが「Bigger,Longer&Uncut」。カナダのコメディアンの映画の内容が余りに下劣で、子供に悪影響を与える、と憤激した母親たちが運動を起こし、ついにはアメリカとカナダの戦争に発展する、という筋。これがミュージカル仕立てになっていて、ものすごい歌詞の曲が次から次へと登場する。
たとえば映画に影響された子供達が、Fで始まる汚い言葉を頻繁に使うようになり、それを矯正しようとするカウンセラーの歌は「Fxxxは最悪の言葉、使っちゃいけない、代わりにM'kayを使おう」といった歌詞を何回も何回も歌ってしまう。
「UncleFak」は、そのコメディアンの映画の中の歌で、大笑いの曲。「オブラディオブラダ」にちょっとメロディーが似ているが、耳にこびり着くタイプの曲だ。
この映画「Bigger,Longer&Uncut」は2000年に日本でも公開されるそうだが、すでにサントラだけ出ている。このサントラは、歌詞カードがついていないので、本編の映画を見ていないと、その面白さが全然伝わらないと思う。それが非常に残念。
ただ、歌詞カードはつけなかったのではなく、つけられなかったのかも知れず、それなら仕方ないと思う。そのぐらい、歌詞は過激だ。というより、映画全体が非常に過激。たとえば、デモにいった母親たちのことを「きっとみんな生理か何かでしょう」と生徒達に言うギャリソン先生。生徒が「それは性的に問題のある発言です」と指摘すると「ああ、ごめんなさい。でもね、先生は正直いって、月に五日も六日も血を流しているのに死なない生き物がいるなんて、信じられないんですよ」とかいうような台詞をはく。これは実に、映画の中では比較的おとなしい発言なのだからね。
だから、日本で公開されるといっても、いったいどう言う言葉を吹き替えで当てるのか、また字幕はどうなるのか、といったことがとても気になる。輸入版のDVDでは、ちゃんと英語の字幕がついていて、それはわりあいと話している台詞に忠実だったが、これをこのまま訳しても、日本で上映できるとはとても思えない。どういう形にするのか、とても興味がある。本当に日本で公開されたら、ぜひ見に行きたいと思っている。

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99年12月22日・外国のようになればいいのか?


雑誌「ミュージックマガジン」の一月号を買った。はっきり言って、ここ数年、この雑誌はほとんどおもしろい記事がなく、時々気に入ったミュージシャンが登場した時に買うぐらいだったが、それでも年末恒例のベストアルバムが掲載されるこの一月号だけは、ずっと買って読んでいる。今年も、そのために買ったものだから、内容には全く期待していなかったのだが、原雅明というひとの書いたコラム「J1昇格を果たしたFC東京に日本サッカーの未来を期待する」は、とてもおもしろく読めた。ことに、下記の箇所は、最近私が感じているサッカー報道にたいする違和感と、見事に一致する。

セルジオ越後や村上龍などは、メディアにおいてこれまで盛んに日本のサッカーの、あまりに日本的な在り方を批判する発言を繰り返してきた。浦和レッズのJ2降格に際しても、レッズサポーターは甘すぎる、海外ではもっと厳しく接するという発言があった。しかし、こういった批判も、数年前なら同意できたかもしれないが、いまとなっては違和感を禁じ得ないのである。
それは、誰かに諭されるよりも前に、サポーターたちの方が予めユニヴァーサルな志向を抱き、成熟し、生活と密接に結びつき始めたことが見えていない意見にしか聞こえないからだ。

何でも流行に飛びついて消費しようとする某太っちょ作家は問題外としても、自らのスポーツ体験をもってスポーツジャーナリズムに席を得たひとたちは、往々にして己の狭い価値観を通して現状を批判する。そんな彼らの基準は海外にあって、結局海外のやり方が進んでいて、日本は遅れている、というのが論理の前提としてあるみたいだ。確かにサッカーに対する企業や社会の理解度とか、設備やサッカーそのものの技術については、海外にまったく太刀打ちできない程遅れている部分もあるだろう。
だが彼らは、「あと二、三年したら、ぜひJリーグでやりたい」と公言してはばからない海外の一流プロ選手が何人もいることについては、いったいどう考えているのだろう。年老いて、もう一流でなくなった選手が安楽に金を稼げる国だと軽視されている、と憤慨するのだろうか。だが私はそれだけではないと思う。バブル崩壊後、日本でもそう簡単に海外選手に大枚をはたくチームは少なくなった。それでも日本でプレーしたいという選手達にとっては、日本には海外にはない、日本なりのよさがあるのだと思うのだ。
そのひとつは安全にプレーができる、ということだろう。たとえ負けても、応援しているチームにたいして、日本のサポーターは、たとえばセリエAのように罵声を浴びせたり、ものを投げ付けたりは(たいていは)しない。ここで海外のスタンダードを適用するとすると、「甘過ぎるサポーター」ということになってしまうのだろうが、たとえば、負けてうなだれる選手にもっと辛くあたれ、という意見は、フーリガンを生み出す土壌に通底しないだろうか? 違う、というのなら、その線引きはいったいどこでされるべきものなのだろう。応援しているチームが負けたら、そりゃカッとなることもあるだろうが、そこで気持ちを抑えて、次の試合なり来年なりへと期待を繋ぎ、精一杯戦った選手達にエールを送る。このは自制心のある大人の観戦態度であると思うし、これを外部の人間がどうこういうことはないだろう。
それに、もしサポーターが「12番目の選手」なのだとしたら、選手に罵声をあびせるということは、すなわち仲間割れを起こす、ということでもある。一緒に戦った、という一体感が強いが故に、負けた試合でも、単純に怒りの声をぶつけたり、物を投げ付けたりはできないのかも知れない。
そういう風に考えてみると、「日本のサッカーは厳しさが足りない」という意見は、たとえば浦和レッズの降格問題などにかんしては、全然あてはまらないような気がする。

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99年12月17日


メールマガジンのradicaに、栗本慎一郎が脳硬塞で倒れている、という情報と、その彼が作ったウェブページのアドレスが掲載されていたので、興味を抱いてアクセスしてみた。
まあ、ページそのものは、それなりの内容だったのだが、念のためにとソースを見て、笑った。

検索エンジンなんかで参照されるキーワードが

栗本, 栗本慎一郎, 経済, 政治, 人類学, 経済人類学, 衆議院議員, ホモサピエンス, 自民党, 国会, 国政, 小渕内閣, 連立, 自自公, 大学, 博士, 学者, 明治大学, ワトソン, ライアルワトソン, ライアル・ワトソン, コラム, 国際, 国際問題, 世界動向, オピニオン, 思想, 分裂, 社会状況, 危機, 過剰マネー, 銀行破綻, 高齢化社会, 政権, 21世紀, 提言, イラク, 大学評価, 身体論, リハビリテーション, 生命論

で、内容説明(description)が

君たちの21世紀は真っ暗。世界経済はパニックに向かい、日本の政治はアホばかり。君たち自身以外に頼るものはない─経済人類学者・衆議院議員栗本慎一郎のメッセージサイト

となっている。うーん。これらの単語を見て、どう考えるかは読者にお任せするけれど、このソースは手書きか、それに近い手法で、しかもHTML4.0strictという、もっとも厳格な文法で書かれている。その志は素晴らしいが、そもそもdoctypeが「html」のヘッダの中に入っていて、しょっぱなから笑われてくれる。まあ大切なのは内容だから、文法なんかたいした問題じゃないけれど、だったらHTML4.0strictなんてかっこうのよいDocType宣言などしなければよかったのに、などと思ってしまう。
もちろん、このページを全部栗本氏が作成しているんじゃないだろうから、悪いのは実際に作っているやつなんだろうけどさ。
でも、こういう細かい部分で詰めを欠いていると、何か全体が信用できないような印象を抱かせるから、何とかした方がいいと思うな。

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99年12月12日


ソウル・フラワー・ユニオンの新譜を買って聞いた。ライブ盤で、何でも最高傑作だ、などと音楽雑誌の記事にはあった。当然それを期待して聞いたのだが、残念ながら期待が裏切られた。
もちろんすばらしい内容だし、「満月の夕」などは、やはりいつ聞いても泣きそうになるほどいい。けれど、このライブ盤と同じ曲をスタジオ録音など、他のアルバムから選びだして、同じ順番に並べてみたとしたら、たぶんスタジオ録音の方が感動するんじゃないかと思えるのだ。
それはたとえば、内海洋子の迫力のボーカルで「FoggyMountainDew」が聞けないこととか、スタジオではたくさんあった楽器の数が減り、またそうした楽器を扱うテクニックをもった人間が欠けていることなど、そういった音づくりにかける人的な手間が圧倒的に今回の盤では欠けているからじゃないかと思う。
手間をかけさえすればいいとは思わないし、ライブ盤が最高傑作にはなりえない、と主張するつもりもないのだが、傑作になるライブ盤にはにじみ出ている雰囲気というかオーラのようなものも、今回の作品には欠けているように思う。
こんなに文句ばかり書くつもりはなかったのだが、多分私がSFUに多くを期待しているから、ということと、営業的なねらいがあったのだろう、やたら傑作、傑作と騒ぎ立てる音楽ライター周辺がうっとおしかったのだった(断言するが、こいつらは絶対にSFUのアルバムを全部聞いてはいない。)。だから、こんなに辛らつなことまで書いてしまったらしい。

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99年11月05日


工藤問題は、また大きく動きがあったようだが、とにかく決裂、みたいな感じにならなくてよかったと思う。とりあえずは。

もうひとつ、「シックス・センス」について。まだ見ていないひとのために、アドバイスするが、この映画の謎にかんする公式BBSが公式サイトの中にあるのだが、すでに見た人のためのBBSは、パスワードがないと見られないようになっていて、そのパスワードは映画の一番最後にあらわれる。ふだんスタッフロールが出る前に映画館を出てしまうひとたちは、これを見るたけだけでも、しばらく席を立つのを我慢した方がいいと思う。

それから、一昨日書いた疑問のうち、いくつかは前記公式BBSやYahooの掲示板で書き込まれていたものもあり、参考になった。5.の疑問などは、だいたい納得できる理由もみつかった。ただ、具体的にここで書いてしまうと、やはり差し障りがあって、できない。

あと、インド人カップルの登場するシーンの意味については、監督自身が出ているから、という以外に、何か理由があるのだろうか、という意見がBBSで見られていて、私もこのシーンには少し疑問を持っている。全体の流れの中からすると、ここだけ妙に浮いている感じがするのだ。後になって振り返ると、それ以外のシーンはみな、きちんと意味があって納得できるのだが、ここだけがどうも気にかかる。何なのだろう。

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99年11月03日


話題はふたつ。ダイエーの工藤問題と、映画「シックス・センス」について。

工藤のFA宣言問題にかんして、ダイエーが反論の文書をネットで公開しているが、これについては、やはりがっかり、というしかない。ここには工藤の言い分にたいして、球団側が「真相はこうだ」と反論が書かれているのだが、もし一億歩ぐらい譲って、工藤の言っていたのが「嘘」だったとしても、たとえそうだからといって、公開していいことと悪いことがあるはずだと思う。特に、一部新聞でも批判されていたことだが、

願わくば、今回の騒ぎが工藤さんのFA宣言の為の駆け引きでないことを願っております。

というのは、今まで一緒にやってきた仲間にたいして、絶対言ってはいけない捨て台詞ではないのか。FA宣言をされて、裏切られたと思ったのかもしれないが、たとえそう感じたとしても、そういう感情は表に出さないのが大人の態度だろうし、MVPまで獲得した選手に対する、最低限の礼儀と言うものではないだろうか。
そもそも、球団側の言い分が信用できないのは、

1億円アップの2億5.000万円の提示は金額の上でも終始一貫した考えであり、言われているように小刻みに駆け引きしたとは思っておりません。

という微妙なニュアンスの言い回しだ。「当初から1億円アップの2億5.000万円を提示しており、小刻みに駆け引きはしていない」と、もっとはっきりした言い方がなぜできないのか、不信感を抱いてしまう(特に「考えであり」と「思っておりません」の部分が、とっても気になる)。こういう球団では、工藤も辞めて正解かもしれない、とも思う。


話題は変わって、映画「シックス・センス」を今日見てきた。結末の「秘密」とやらには、がっかりさせられた。あれとおんなじだよ、あれってのは、ほら、・・・あれだ。などと例にあげることのできる映画は数知れず、ここでばらしてしまうのはやめておくが、映画をよく見ているひとほど、失望は大きい、かもしれない。後から見返して、つじつまがあうように出来ている、という点では、まあよくできているのかもしれないが、拙い記憶力で回想してみた限りでは、いくつか疑問点が残った。

1.母親が見る写真の中の少年の右側には、いつも何か光のようなものが映っているが、あれは結局何だったのか? お祖母さんのサイン?

2.結局、あのラテン語は何か?

3.少年はなぜ、人形に語りかけているのか

4.教会で、神に頼っても幽霊に会うのを避けられないと知ったはずなのに、なぜあんな風に宗教的なテントの中に逃げ隠ったのか

5.(これは記憶違いかもしれないが)ブルース・ウィルスが、赤いノブの地下倉庫に入ろうとするとカギが掛かっていて、懐からカギを取り出してあけるシーンがある。二回目に開けようとした時、カギがなくて開けられないのだが、なら、なぜ最初はカギがすぐに見つかったのか

6.食事中の妻に、遅刻を詫びるブルース。でも、どうしてそこで食事していると分かったのか。もし分かったのなら、なぜ遅刻するのか?(この時のブルースの言い訳は、ちょっと苦しいと思う。店を間違えたって、すぐに来ることはできるはずだ。なぜかを詳しく書くと、ねたばれになるので書けないが)

7.縛り首の三人の幽霊は、お互いの存在を知っているのか?

別に、画面に映るすべてのシーンにかんする謎ときを用意せよ、というつもりはないけれど、客が注目するような長回しやアップを使って強調するのなら、後でなるほど、と納得できるような理由を提示してほしいと思う。ことにこの手の映画は、緻密に構成を練ってあればそれだけ感動につながるのだから。実際多くのシーンはよくできているから、それで感動しているひとも多いのだと思う。私などは、細かいところを言い過ぎるだけなのかな。あるいは逆に、謎ときのシーンを見落としているだけだとかね。
この映画にかんする観客の意見は、Yahooなど各種の掲示板などで盛んに交換されていて、参考になる。原作本も出ているそうなので、買ってみようとは思う。でも、もう一回は、見ないだろうな、多分。

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99年10月26日


PolysicsというバンドのCDを買ってきて聞いているが、楽しくて、よい。テクノポップを思い出させるような楽器の選定と曲の調子だが、もっとグループ感があって、独特なものもある。最近には珍しいバンドかもしれない。

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99年10月11日


今日、Jリーグの国内選手と外人選手と別チームに別れて戦うJOMOカップをテレビで見ていた。目当てはやはり招待選手のレオナルドとバッジオ。予想通り、バッジオの大活躍で外国人チームが勝ったのだが、その勝利インタヴューで、バッジオがパンツェッタ・ジローラモに「今日のゴールを先生に捧げる」というようなことを言っていた(正確には違うが、ジローラモ氏の台詞から、だいたいこんな内容だったと推測される)。

これってやっぱり、あの「先生」だろうなあ。バッジオがティナ・ターナーなんかと同じ、この宗教の信者であることは、昔から知っていたが、こういうシーンで言われると、なんか、奇妙な感じがする。
どんな宗教を信じていたって、個人個人の才能とか業績には関係ない、と私は思っているし、事実大嫌いな宗教を信じているひとだって、その業績から深く尊敬しているひともいる。でも、こういうテレビ画面でそういうことを言われると、その宗徒はそりゃうれしいだろうが、関係ないひとにとっては、何だかなあ、という気分にされられてしまうね。

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99年10月8日


IAEAの調査団が日本にやってくるそうだ。さすがに拒否し続けることはできなくなったのかな。理由はともあれ、いいことだと思う。昨日も書いた屋根の件にしたって、もし本当に壊れていないのなら、外国のメディアにある誤解をとく必要があるから。

それから、昨日書いた自己のレベルの話だが、これってやはり、施設の管理がいい加減であることもランクの判定に加えられてしまうそうだ。よって、当初4だったのを、杜撰な管理が判明した時点で5に変えたのは、間違いではないらしい。

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99年10月7日


共同通信によると、科学技術庁が、IAEAから問い合わせのあった屋根の損壊の有無にかんして「ないものと思われる」と、事故後の写真を添えて回答したという。その写真を見ていないので何とも言えないが、これが本当なら、やっと政府が海外の懸念に対して応える姿勢をみせた、ということで評価できる。

だが、今日になるまでまでそういう問い合わせがあったという事実も公表せず、またその写真なるものについても第三者の眼による検証を許していない、という点については、納得がいかない。

また、ここにきて事故の程度をレベル4から5に変更した、という報道が一部新聞を通じて流れているが、これもJOCの事務管理がずさんだったからランクを下げた、というような、理解に苦しむ言い訳だ。そもそもこのランクは事故規模を示しているもののはずで、管理がどうこうというのは、それとはまた別の問題のはずではないのか。屋根の話にしても「破損していないように見える」などと、あらかじめ逃げられるような言い方をしているのが、非常に不愉快だ。写真を撮ることができるのなら、なぜもっと断言できないのか。本当に外部への放射能もれが終息しているのなら、上空から飛行機で接近し、望遠撮影でもなんでもすればいいのだ。住民や国民の不安を、いったい何だと思っているのだろうか。

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99年10月6日


引き続き、臨界事故の話。昨日Yahooの掲示板を見ていたら、屋根の件について、BBCにメールを出したひとがいて、その返事がきた、と書き込んでいた。

要点からいうと、BBCは、事故で屋根が飛んだ、という見解を訂正するつもりはない、とのこと。写真で比べる限り、別の建物だと個人的には思えるのだが、BBCはそうは思っていないようだ。

だが、これにしたって日本政府がちゃんと理由を挙げて抗議していればよかったことだ。未だに何にも言わないということについては、憤りを感じる。

同じBBCのサイトで、読者からのメッセージを紹介しているページがあって、特に目についたのは、在日外国人の不安や不満の書き込みだ。事故当初から、日本語の分からないひとにたいするアナウンスや、テレビ放送等がまったくなかった、というのだ。これはひどいと思う。特にNHKは、比較すれば早いうちからニュースで報道していたというのに、そのニュースが二カ国語で放送されていなかったのだそうだ。いいかげんなものだ。もし事故がもっと深刻なものになっていたら、外国人はみんな逃げ遅れていたかもしれないではないか。この話が本当なら、報道機関は、政府やJOCの対応の遅れを批判する資格はないと思う。

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99年10月4日


一ヶ月ぶりの更新。先月末に起こった東海村の臨界事故について、ここ数日、ネットに釘付け状態だった。というのは、マスコミで報道される情報が、発表された情報をそのまま掲示するだけの、一面的で不十分なものだったからだ。

事故直後は報道規制もあったのだろう、具体的な内容が(たとえば数値等)がほとんど報道されていなかったが、ここにきて、実際に東海村に報道陣も入り込んだりしていて、だいぶ独自のデータが出てきているように思う。

だが、依然として(推定でも何でもいいから出してほしい)外部に放出された放射性物質ないし放射線等の量については出てきていないし、当初BBCで放映された屋根が吹き飛んでいる施設の衝撃的な映像に関しては、いまだにどこも沈黙している。

今回の事件については、海外の報道と国内での報道とで、大きな温度差があって、IAEAの委員長が「レベル5の事故だ」といったそうだ、と噂が流れたり、半径10kmの市民に外出しないよう勧告が出たことについて、某ニュースウェブサイトの掲示板に「狂気の沙汰だ」などという意見が出たりしていたのに、国内ではその手の意見はマスコミには全然出てこないどころか、そういう海外の報道そのものを無視しているみたいだった。

そもそも、そういった海外の報道の多くは、上に挙げたBBCの映像を元にしていたものと考えられるが、政府もこの写真を否定するわけでもなく、抗議するわけでもなく、また、日本の市民を安心させるため、コメントを出すことすら、しなかった。そのせいで、ネットの掲示板等では論争が巻き起こり、政府でも報道関係者でもない善意の市民が、写真を分析したりして、「どうも建物を間違えているらしい」という推論を立て、それで最近、ようやくみんなが落ち着きを取り戻している感じだ。

施設の屋根が吹き飛んだのかそうでないのかは、この事故をどう考えるかという点において、極めて重要な要因になる。もし屋根が飛んでいたのだったら、ある程度まとまった量の放射性物質が外部に出るのは確実で、半径10kmの市民は当然非難するべきだったし、場合によっては東京だって、あぶなかったかも知れない。なぜほんのひとことでもいいから、発表してくれなかったのか、またマスコミもなぜ報道しなかったのか、非常に疑問が残る。今からでもいいから、このあたりのコメントなり、建物写真を、どこかが発表してくれないものか。

また、もうひとつの疑問は、IAEAはじめ、諸外国の援助や調査の申し出を、すべて日本政府はことわっている、という点。最近になってようやく米国の協力をあおぐ、という報道もでているけれど、はじめのうちは、まるで見られてはまずいものがあるのではないかと疑いたくなるぐらい、執拗に拒否し続けていた。特にIAEAの調査を拒否する、というのは実に不思議だ。北朝鮮に、IAEA核査察受け入れを、アメリカらと一緒になってあんなにも強く要求していたくせに、どうにも不自然。万一事故が深刻なものだったら、旅行者も困るし、チェルノブイリの時のように、自国へ影響があっては大変だ、と不安がっている各国を安心させてあげるという意味でも、合同調査を受け入れるべきではなかったのか?

このふたつをあわせて考えると、まだ政府なりJOCは、何か隠しているんじゃないかという気がしてならない。

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