このページでは、当分の間、意味のない雑感でも書こうと思ってます。
書き込みの順番はいい加減です。頭と後ろ、どっちが更新部分でもないです。また、過去記事もことわりなく修正したり削除したりすることがあります。要するに、このページは他人に読ませることを目しておりません(^^;
なお、御意見を下さるのは歓迎しますが、その場合、「こういう意見をいただいた」という記述がこの日記にあるいは記されることもありますので、あらかじめご了承ください。

最新の更新は99/5です。



目次

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99年5月09日


河上イチロー氏のウェブページを読んでいたところ、 HTMLの文法にこだわる人々に対する揶揄めいた日記の紹介があった。その日記は、いわく

htmlだかhttpだか知らんが、そんなモノは、たかが自己表現の一手段に過ぎない。問題は、それ を使用した人間がどういう内容を書いたか。

という結論から始まっていて、まあそれはそれで納得できるんだけども、html原理主義者の言い分にずいぶん腹を立てているらしく、<P>や<blockquote>をどういう意図で、どんな場所に使おうが勝手だ、などとずいぶん乱暴な意見を開陳している。ただ、<p>で「一行空け改行」をしてはいけないと言っているのは、「一部のfjライクなUNIXオタク」ではなく・・・いや、言っているやつもいるのかも知れないけれど、HTMLを定義し、拡張している団体が言っているのであって、いわば文法の本に書いてあるのとおんなじだ。てにおはの使い方を学校で習って、それが許せん、と思うのは勝手だが、そういう、根拠の薄弱で一方的な意見を、さもネットの常識であるかのようにほのめかすのはよくないと思う。

あと、スタイルシートにネスケが対応していない、という断言は、どこからわいてきたのか、さっぱりわからないや。WINDOWSのPCだとそうなのかなあ、少なくとも、ここで例示されている文章、私のネスケでは4.04、4.5ともちゃんと読めているんだけども。いずれにしても、文法通りに作成したスタイルシートがうまく機能しないのであれば、それは機能しないブラウザが悪いのであって、スタイルシートが悪いのではない。ブラウザの不備を回避して、うまいことウェブページを作成する方法だって、ないわけじゃないし。

相変わらず後を絶たない馬鹿げた意見が、「lynxで読んでる奴の事を考えろ」ってやつ。ちょっと考えれば分かることとはいえ、安直な「linuxブーム」のために、今後増加するおそれがあるから注意が必要だ。

というのも、ちょっと考えても意味がよくわからない。lynxって、LINUX専用のプラウザ、じゃなかったよね、確か。それどころか、LINUXでもネスケはあるわけだし。「lynxで読んでる奴の事を考えろ」っていうのは、画像に頼った情報の提供は、さけるべきだ、という意味で、それは視覚障害者のことなども考慮にいれれば、しごく当然のことだと思うのだが。

河上イチロー氏も、

大体、スタイルシート使うと、Ver3以前のブラウザできちんと見られなくなるぞ。

と書いているのだが、あれえ、そんなはずはないのだけれど。レイアウトが全然なくなってしまう、のは事実だが、<style>タグで囲まれた部分が無視されるだけで、別にテキストデータの内容を読むのには不自由しないし、レイアウトが崩れたりするわけでもないはずなんだがなあ。

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99年5月07日


数カ月前から、国民生活センターの発行している雑誌「確かな目」を定期購読している。この雑誌は、問題のある商品を実名でバシバシ批判したりする、「暮らしの手帳」と並んで過激な雑誌で、書店店頭にあまり並ばないので、こうして定期購読しているのだが、その今月号で缶詰・缶飲料から溶出するビスフェノールAの比較記事が掲載された。

ごくわずかな、この「くわうのたくらみ」をずっとご覧になっている方なら御存知の通り、iMacの匡体にも使用されているこの素材の安全性にかんして、わたしは強い懸念を持っている。ビスフェノールAは環境ホルモンではないかと疑われている化学物質で、それが含まれているポリカーボネイトでもって作られたiMacは、そのデザインからして若い女性に好かれるパソコンだから、その女性に子供が産まれたりした場合、派手な原色に惹かれて、匡体をなめたりしやしないか、というのが気になっているのだ。

それは今回の話とはちょっとずれてしまっているが、問題なのは、そのビスフェノールAが、缶飲料に安易に使用されているという事実で、このことを知ってまずびっくりした。飲用アルミ缶の内面塗料には、ほぼ例外なくエポキシ系樹脂が使用されており、ここからビスフェノールAが溶出するのだそうだ。

自分にかかわりのある部分が一番気になるわけだから、ここで缶ビールの話をすると、今回試験されたビール8銘柄の中で、ビスフェノールAが検出されなかったのはヘニンガーというビールだけで、後は全滅。特に多いのがクアーズ(8.2ppb)で、これにハイネケン(3.9ppb)とスーパードライ(2.8ppb)が続いている。

クアーズなんか飲まないけれど、スーパードライはけっこう飲んでいるから、これにはちょっと驚き。実にサッポロ黒ラベル(0.7ppb)の4倍だ。もちろんエポキシ樹脂を使っている限り、ビスフェノールAが溶出するのは間違いないのだろうし、数値の差異には、誤差も含まれているだろう。だが、それにしてもこの数値を見ると、スーパードライを愛飲するのがためらわれてしまう。

その他、アルコールをあまり飲まない読者にとって貢献するかもしれない情報を追加して、コカコーラやカルピスソーダなどといった非アルコール飲料の数値についていうと、サントリーのウーロン茶が10.0と突出しており、これに0.4のポカリスエットが続いている以外は、すべて非検出、との結果が出ている。ネクターにしても三ツ矢サイダーにしても、同じエポキシ系樹脂を使っているというのにね。

これだけはっきりしていると、以前「センナ茎を使ったダイエット茶の一部に薬事法違反の製品がある」という記事を掲載して話題になり、新聞にまで取り上げられた時のように、しばらくして巷の話題になるかもしれないなあ。そんなことになったら、青酸入りウーロン茶の事件で大打撃を受けたサントリーは、これでまた売上を減らしてしまうかも。もっとも禍をもって福とするかのごとく、これをきっかけに内部塗料の改善などをしてくれるのなら、サントリーを支持してもいい。あ、でもまたよけいなことを思い出してしまった。サントリーといえば、「クマソ」発言をまだわたしは覚えているんだ。東北の某地方がサントリーを誘致した時、当時の社長が「あそこはクマソの国だからいやだ」とか何とかいったという話。クマソってのが、もともとも南の人の対する蔑称だったこともあり、その無知と偏見とが取りざたされた事件だった。わたしは東北の出身者ではないけれど、あの時の不快感はまだ鮮明だ。たしか社長が責任をとったわけでもなかったしね。

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99年5月04日


最近映画をビデオでよく見る。今日までに「CUBE」「CRUSH」「ムトゥ踊るマハラジャ」を見た。

「CUBE」は期待していた通り、面白かった。立方体がいくつもつながった部屋の中に閉じ込められた人間が、外に出様とする話で、登場人物のほとんどが悲劇的な死に方をするのも、いいと思う。ただ、最後の「外界」がどうなっているのかわからないまま、というのは、意図はわかるがちょっと残念だし、細かい伏線が、生かされていないのは残念。たとえば、冒頭で死んだ男も、脱出のために何かの能力を備えていたはずなのに、それがわからないこととか、「盗聴されているみたいだ」という台詞があったにも関わらず、それが生かされていないことなど(盗聴されていることを証明するようなシーンがあってもよかったと思う)。ビデオに一緒に入っていた短編映画はエレベーターに閉じ込められる話で、こっちも外界で本当に何がおこっているのかがわからないままだ。この映画の監督は、たぶんに閉所にたいするオブセッションがあるみたい。閉所恐怖症というのではない。このふたつの映画では、閉ざされた場所が恐怖の原因でもあり、避難所でもあるから。誰でも考え付きそうな、壁が迫ってきて押しつぶされる、というシーンがなかったことも考えると、なおさらそう思う。

「CRUSH」はポルノ映画になっているなあ。自動車事故にとりつかれた人々の話なのだが、原作の雰囲気をうまく伝えていたとは思えない。これはこれで面白いんだがね。でも、できれば自動車中心の社会で、その自動車の事故で死ぬことに性的興奮を覚えるひとたちがいる、という設定だけで、十分反社会的な題材なのだから、そのあたりをもっと強調してくれてもよかった気がする。

「ムトゥ踊るマハラジャ」は、インドのミュージカル映画。といってもインド映画はほとんどがミュージカルらしいけれど。その中でもこの「踊るマハラジャ」は、傑作らしい。いっぺんは見る価値があると思う。筋はどうでもいいけれど、女優ミーナの美しい歌声は、本当にすばらしいと思う。

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99年4月30日


HMVで試聴したCDを買った。ElectronicのTwistedTenderness。ラスプーチン(多分)の愛嬌のあるジャケットで、中身はエレポップだが、音づくりが派手で元気が出そう。くり返して聞くと飽きてきそうではあるが。

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99年4月22日


今日の早朝、というか昨日の深夜は、欧州チャンピオンリーグの準決勝と、ワールドユースの準決勝がぶつかり、サッカー漬けになっていた。ワールドユースの日本対ウルグアイの方が30分ぐらい早く始まったから、序盤は良かったのだけれど、途中からチャンネルのザッピングでわけがわかんなくなってしまった。

試合の内容は、どちらも意外な展開でびっくりした。日本が勝って決勝に進出なんて、予想だにしなかったし、世間でもそう思っていたらしく、朝日も毎日も夕刊一面で報じていた。また、UEFAのマンチェスター対ユベントスは、序盤で2点の得点差がついていたのがひっくり返されてしまった、という意味で、こちらも意外な展開だったわけだ。後半のユーベは、本当に全然攻めの形ができずにいて、いつもセリエAで見ている華麗なプレーは鳴りを潜めていたようだ。前半の2得点は、わざありのシュート、という感じで、マンチェスターのGKシュマイケルを完璧に破ったというわけではなかったから、結局守備の力差だったのかも知れない。一方の日本対ウルグアイは、審判がウルグアイのプレーをよくみていたのも勝因だったのではないかと思う。ウルグアイの反則はよくとっていたし、逆にペナルティエリアでの、戦略的な倒れ込み、つまり何ともないのにPKほしさに大袈裟に倒れるプレーは無視されていて、一度はイエローカードで警告さえしたし。ハイボールに強い、という評判のウルグアイだったけど、それほどうまく見えなかったのは、まだ選手が若くて、技術が追い付いていないのか、それとも日本の選手も同じぐらいうまいから目立たなかったのか、どちらかだろう。

もっとも、いくらうまいといっても、同時にチャンピオンリーグを見ていると、やはりきついものがあるなあ。カメラの視点の違いもあるんだけど、ほぼ同じ大きさのサッカーグラウンドが、同時に見ていたこの二つの試合では全然違ってみえた。ユベントスやマンチェスターの選手の方が、かなり大きく見えるのだ。対してナイジェリアのグラウンドは、ずいぶん大きく見えた。しょうがないことだと思うけれど。

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99年4月17日


「バトル・ロワイアル」という、とても面白い暴力小説を読んだ。日本ホラー大賞を、作品のおもしろさは認められながら、その内容の過激さから落選されられたといういわくつきの作品。こういう小説を落選させる選考委員ってのは、たぶん残酷な事件がおこった時に、ホラービデオのせいだ、などと言う評論家と同じ人種なんだろう。もの書きとして恥ずかしくないかね

もっとも、この小説が「ホラー」といえるかどうかについては、疑念を抱くけどね。その意味では、賞をとれなくても仕方ないのかな。

この小説については、読書のページにも少し書いたので、そっちも参照してほしい。

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99年4月12日


また一部ウェヴページをいじっているが、もうウインドウズPCとMacの両方で同じような表示をさせるのは、あきらめた。だって色のコンストラストからして全然違うもの。マックにあわせるとウインドウズはきつめになるし、ウインドウズにあわせるとマックでは文字がぼけてみえる。それでもシステムカラーなどを使って苦労してきたつもりだが、だんだん面倒になってきた。この部分の記述はともかく、マック日記なんかは、もうマックに最適化してしまうことに決めた。

もうひとつ、ブラウザの違いにかんして気付いたことがある。マック版のNetscapeだと、ソースに記述してあるスタイルシートがそのページと同じ領域にない場合、そのページそのものをよむことができないことが分かった。だからページのHTML文書だけをアップロードしても、CSSファィルをアップし忘れてたりすると、もう読めない。初期設定で「スタイルシートを使用しない」にしないとダメだ。IEだとスタイルシートを無視するようで、読めるんだけどね。

Windows版だとどうなのか、それも近いうちに試してみようと思う。いずれにしても、どちらの動きも間違っているというわけではないのだけれど、ソースにあるスタイルシートがなくても、臨機応変に判断して、それスタイル設定を無効にして読み出してくれるIEの方が、使っていて快適である、ということは言えると思う。

ついでに、もう少しブラウザの違いについて話すと、Windows版の場合、Fontの画面上での表示の大きさが、MS-IEとMozillaでは全然違うみたいだ。これはもう、どっちかを切り捨てるしかなくて、信条(not心情)的にはMozillaを支持したいところだが、エディタで見た文字の大きさと、同じ大きさで画面にテキストが表示されているのはどちらかといったら、それはIEの方なんだ。

うーん、悩んでしまう。

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99年4月11日


「政治家のレベルは有権者の質に比例する」とか、こんな言葉をどこかで聞いたことがあるが、今回の選挙はまさにそれを思い知らされた。

わたしは東京都民じゃないから、口を出す権利はないのかも知れない。でも同時に、この選択にたいする責任も負っていないということだから、彼が何をしたところで、自分の判断を後悔する必要はないわけだ。

ともあれ、わたしの想像しうる限り、最悪の選択だ、という思いは強い。東京都民は、「リーダーシップ」さえあれば、誰でもよかったのかね。そのリーダーシップだって、口だけかもしれないのに。

そもそも、何でもAかBかで割り切ろうという姿勢が気に入らない。その過程で切り捨てられてしまう社会的弱者に顧慮することがなければ、そりゃ誰だって大きなことが言えよう。

こういう政治的なことを書くと、読み手がますます減ってしまうかもしれないが、それでも書くのは、将来読み返す時のために。「ああ、やっぱり最低の知事だったなあ」と思うか、「いや、最低なのは、知事の才を見抜けなかったおれのほうだった」と反省することになるのか、それが少し楽しみなのだ。

そうでも考えなきゃ、やってられんよ。あーあ、タレントの応援だけで、何の理念もないやつが長にたつんだからなあ。前の候補は最低だと思っていたが、もしかしたら、さらに下があったのかも知れない、などと考えはじめている今日この頃。

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99年4月9日


一昨日に引き続き、昨日も東京ドームにて、西武対日本ハムの試合を見てきた。一昨日とうって変わって、試合時間も一時間も短く、観客の数も、いつもの日本ハム戦ぐらいに減っていた。その分、外野右翼の応援団の声が大きく場内に響いてはいたが。

三回ぐらいまでは、どちらも無得点。また西武はランナーをだしながら、チャンスを潰す、といった攻撃で、一昨日以前の、全然点のとれない西武にもどってしまったかと思った。それが動き始めたのが、四回からで、やはりランナーの足をつかった攻撃がようやく実を結び、それからはほとんど西武のペースで進んでいった。これでやっと調子に乗れた、のかな。それに引きかえ日本ハムは、松坂ショックを引きずっているみたいな感じ。この先どうなるのか、ちょっと不安が残る。

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99年4月8日


昨日、といってもつい数時間前のことだが、東京ドームにて、公式試合初登板の松坂を見た。西武対日本ハムの試合を見た、というより松坂をみた、そういった方がいいぐらいの雰囲気と盛り上がりだった。

先日、ここに書いたオープン戦の時とは比べ物にならないぐらい、風格というか、存在感があり、日本ハムのバッターは、みんなその威圧感にのまれているかのようだった。

それは、同じチームである西武の選手にも言えることで、開幕から三試合、全然いいところのなかった西武打線、特に一番から三番までが、やはり別のチームのようにいきいきとしていた。松坂が投げれば、負けない、そういうジンクスも、この先うまれてきそうな気がする。

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99年4月5日


4月4日が「おかまの日」に決まった、という記事が日刊スポーツに掲載され、それを受けて、本来「トランスジェンダーの日」という名目で制定されたものが、この記事で誤解と偏見を招きかねない、ということで、さっそく抗議している団体もあるようだ。

抗議するのはもっともだと思うし、その前提であえて言うけれど、そもそもなんで4月4日という日を「トランスジェンダーの日」だなんて決めたのだろう。昔から、3月3日が女の子の日で、5月5日が男の子の日なら、その間の4月4日は、そのどちらでもないひとのための日なのだ、となかば冗談めかして語られることも多かったし、実際日刊スポーツの記事の中では、「非常にうれしく、信じられない気持ち」と喜びを隠さない「ニューハーフ」のひとの談話も掲載されている。多分記事の書き手が、事実誤認したままこの当事者から談話を取ろうとして、その結果がこうした発言として掲載されているのだろうが、逆に正確に「トランスジェンダーの日」と決まった、これについてどう思うのか、と聞いた場合、もしかしたら、この「ニューハーフ」の方は、怒ったかも知れない。自分たちがお祝いをする日と決めていた日が、自分達とは似ているようでいて実は全然違うかもしれないひとたちの記念日になったのだ、とみなして。

それともいわゆる「おかま」とか「ニューハーフ」は、「トランスジェンダー」の中に含まれるのだろうか。もしそうだとしたら、納得もできるが、そもそもトランスジェンダーのひとたちだって、自分が「男性でも女性でもない」と思うどころか、身体は女性でもこころは男性だと確信していて、5月5日こそが自分の日だと考えているひとだっているだろう。かえってそういうひとたちは傷つくのではないかな。

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99年3月22日


昨日と一昨日、オープン戦を見に西武ドームと東京ドームに出かけた。一昨日は西武対読売で、松坂が登板した試合。

ホームランが一杯出て盛り上がったし、なんといっても松坂をなまで見られたのが一番よかったのだが、いかんせん、球場が寒すぎ。

実は去年も同じカードで西部球場に来たのだが、その時もものすごく寒くて、「まだ半分しか完成していないのだから、しょうがないか。ちゃんと屋根ができればまともになるだろう」と考えていたのだが、全然変わっていない。

一番がっかりしたのは、通路には屋根がまともについていないせいで、ずぶぬれになってしまうということ。それから、いくら風が入るようにしているとはいえ、ただの吹きっさらしにほったらかしておいたら、この日みたいに雨や風の強い日は、たまったものではない。フィールドは濡れないから、中止がなくなるということで、選手にはいいかも知れないが、客をもっと大切にしたらどうだろうね。

案の定、松坂が降板したら、客はどんどん帰っていった。その多くは松坂みたちのにわか野球ファンだろうが、そうでもなくても、この寒さでは、みんな帰ったとしても責められないね。今からでも何とかした方がいいと思う。

翌日、つまり昨日は同じ読売と日本ハムの試合。こっちはさすがに東京ドームだから、快適に過ごせたが、見どころと言う点では、昨日程ではなかった。二岡が打ったから、巨人ファンはよかっただろう。あと、日本ハムの下柳が見られたのはうれしかった。


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99年3月19日


「オースチン・パワーズ」を見た。劇場では見られなかったので、DVDにて。特典映像などもついていて、4700円なら安いのだろう。

内容については、いろいろなパロディがいっぱいあるらしく、まだまだ何回か見ないと分からない。


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99年3月15日


WOWOWでアニメ「PerfectBlue」をみた。女の子の顔がみんな同じで、脇役の顔が類型的なところを除けば、よくできていると思う。 風景やインテリアも、かなり細かく書き込まれているし。

ただ、そういったディティールのすべてが、取り上げている題材とあいまって、一種独特の「匂い」とでもいうべきものをつくり出していて、それがあんまり気持ちのいいものではなかった。

世界の描き方は、いかにも、といった感じのもので、ストーリー展開も何かありがち。結末の犯人像は、予測していなかったものの、分かってしまってからは、「なるほど」と納得する気持ちの方が大きくて、あんまり衝撃的ではない。


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99年3月14日


「StarshipTroopers」を見た。雑誌「映画秘宝」でベストワンに選ばれたので、それなりに変な映画ではないかと思っていたが、わりあいまともな映画だった。まあ「ロボコップ」や「トータル・リコール」のテイストがあちこちに見られたから、その延長で考えれば確かに妙な部分も多いのだろうね。

言い方を変えれば色々な見方で楽しめる、ということもできる。彼の監督する映画は、女性のパターンが典型的である、とかね(「氷の微笑」は見てないので分からないが、本命の女がひとりいるが、何かの理由で離れてしまっていて、別の女が次に現れて、それが本当の愛かと思ったら死んでしまう、というパターンは「ロボコップ」にも「トータルリコール」にも共通している)。


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99年3月9日


キューブリックが死んだそうだね。それほどショックではなかったが、カルトな監督だったから、びっくりしているひとも多いだろう。わたしも、決して多いとはいえない彼の作品をそんなに見てきたわけじゃないのだが、「時計仕掛け」「博士の異常な愛情」「2001」、「フルメタルジャケット」ぐらいは見た。

あと、忘れてはならないのが「バリー・リンドン」。これはキューブリックの作品の中じゃ、あんまり有名な方じゃないのかもしれないが、これも別の意味ですごいよ。必見。筋はどうでもいいんだが、その映像表現がすごい。印象派の絵画を、映像にしてしまっているんだ。

印象派はそんなにすきじゃないけど、このこだわりには脱帽、というより圧倒された。さすが、ワンシークエンスで五十回も取り直しをさせる監督だけのことはあるなあ、と思った。

絵画を映画の中に取り入れた例としてふと思い出したのが、キューブリックとは全然関係ないけれど、「太陽がいっぱい」なんかがあるね。あれもヴァニタス画を印象的に使っていて、思わず引き込まれた。

本筋よりも、ディティールにこだわる、というのはあんまりいい見方ではないのだけれど、考えてみると、そういう見方をしていることが多いな、私の場合。


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99年3月某日


先日から、会社のホームページを作っている、という話は、別の場所(Mac日記のこと)で何回か書いてきた。

で、今度私の会社の別のセクションが、やはりホームページを作成したのだった。こちらは専門の業者に依頼したものだから、私が個人で作ったものなどとは全然できが違っていて、みためはすばらしいものだ。

そう、見た目は、ね。

こんなこと書くとやばいかもしれないが、やはりネスケやIEの独自タグばっかりで、Another-HTMLlintで採点してみると、「-246点」というすごい評価になっている。

致命的なのは、アクセスビリティへの考慮がない点だな。表紙が画像ファイルになっていて、視覚障害者は情報を引き出すことができないようになっている。

目が見えないと、ウェブサーフィンなんてしないだろう、という先入観があるんだろうね。

ただ、これもいつかマック日記で書いたことなんだけど、雑誌「MdN」なんかで見る限り、ウェブデザイン会社の多くは、もしかしたらHTMLの文法だとか、弱者にやさしい環境づくりだとか、そういうことには全然興味がないのかもしれない。

いや、そもそもほとんどのウェブページ作成者がそうなんじゃないのかなあ。きれいなデザインのページ、充実した内容のページなど、色々探すたびに、最近はソースを読むのが癖になっている。で、そのたびに、DTDがなかったり、独自タグばかりだったり、ともかく汚いソースだったりと、失望ばかりさせられてきた。一部HTML原理主義者とか信者とか言われるひとたちがいるのも、こういう現状をみるにつけ、やるせない思いで一杯になるからだろう。その心情は大いに共感できる。

ただ、そういうことを声高に喚いたところで、みんなの共感を得るのは難しそうだ。もっとソフトに、「より多くのひとが情報を入手できるウェブページを作ろう」というメッセージをみんなに伝えることができないだろうかね。


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99年3月07日


先日オープンした駅前の映画館にいった。「ガメラ3」を見たのだ。

館内は新装ということで清潔で明るく、椅子も広くて気分が良かった。また、上映前に売り子がアイスクリームを売りに来たのだが、礼儀正しくてこれも気分が良かった。他の映画館も、こういう努力をすればいいのに、などと思った。

二時半の回だったのに、けっこう空いていて、ガメラシリーズがすきな自分としてはちょっと残念だった。その分ゆったりした気分で見られはしたけれど。

内容だが、やはりよくできていて、楽しかった。怪獣同士の戦いというよりは、それに巻き込まれる人間の描写を中心にしているような感じもあり、特に渋谷の破壊されるシーンは細密に作り混んでいるみたいだ。監督は、好きな町だからこそ毀せるのだ、などど言っていたみたいだけど、同時に、この町に来る若者たちが嫌いなのではないか、と思ってしまった。もしそうなら、私と意見があいそう(^^

だいたいは満足しているのだが、細かい部分でちょっと気になっていたのは、まず-これはみんながいうと思うけど-ギャオスが大量に日本に飛来するシーンがなかったのはとても残念。それを出さないで終わるのはそれでもいいけれど、だったらポスターやパンフレットのバックに、それを使うのは納得いかない。これ見て、期待してくる客もいるんじゃないのかなあ。

あと、イリスの造型が、・・・その、どうしてもあれに似ている気がするんだよね、エヴァンゲリオン初号機に。色も似ているしなあ。

イリスは、特撮もいまいちな部分がちらちらあった気がする。金属的なところもレギオンに似ていて、あまり斬新さを感じなかった。まあ新しい形を創造するのは難しいとは思うし、後から色々言うのは簡単だってことは分かっているけれどね。


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99年2月某日


先日テレビ東京と言う東京ローカルのテレビ局の番組で、LINUX特集をしたのだが、BGMでフランキー・ゴーズ・トウー・ハリウッドの「リラックス」がかかり、脱力した。その選曲センスのベタさかげんは、ここ数年も唯一テレビで愉しみにしている「タモリ倶楽部」の名物コーナー「空耳アワー」を思い出させる。

ただ「タモリ倶楽部」のベタなところは、この空耳アワーのコーナーだけじゃない。注意してみているとわかるのだが、オープニングから導入部分が終わりも最初のCMが流れる前にもスポンサー紹介の文字が画面に写し出される。どんな番組にでもあるひとこまだが、「タモリ倶楽部」では、この時のBGMに、番組のテーマに関連した曲が流れるのだ。そのほとんどがベタなしゃれだ。LINUXと「リラックス」をかけるのと同じくらい、力が抜ける。

しかし、なつかしいなあ、フランキー。「リラックス」のプロモーションビデオは確か、ソ連書記長とアメリカの大統領がレスリングするって話だったなあ。その話題性でもって一躍有名になったが、瞬く間に消えていってしまった。今、どうしてるんだか。

でも今の若い人たちには、FGTHなんて、わかんないのだろうね。


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99年2月某日


今度、わたしの住まいの近くに映画館ができる。シネマコンプレックスというやつで、同時に最大八つの映画が上映できるという。

これもたしかにびっくりなのだが、同時に本屋とCD屋ができる。本屋は蔵書15万冊というから、驚き、また実にうれしく思っている。

ここに引っ越してきてから、以前はあった本屋が、一軒はつぶれ、もう一軒はどうしようもない本屋になりはてていて、もよりにはキヨスクみたいな、本の全然ない本屋しかなくなっていた。

家の引っ越しと前後して、会社も引っ越したのだが、こちらも社屋のそばにマトモな本屋が全然ない、といった惨状だったから、ここ半年ぐらい、ストレスがたまっていた。だから、とてもうれしい。本当に、言葉にできないぐらい。

やはり出版不況とはいえ、本屋が全然ないっていうのも寂しいものだ。今度の本屋は大切にしたいなあ、と思う。


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99年2月某日


近いうちに、このウェブページで、以前考案したタロットのスプレッドにかんする文書を載せようと思っている。前回の占いで用いたものだが、手法そのものは、伝統にのっとりつつも、独自の解釈を導入している。もっとも、いろんな事情があって、今でもききめがあるのかどうか、分からない。

なぜ今になって紹介するかというと、うーん、マックの話題以外にも、様々な主題の読み物を提示できたらいいなあ、と思ったからだ。

そもそもこの「くわうのたくらみ」は、冒頭にも書いたとおり、他人に見せることを目的としていない。強いて言えば、一部の友人達に、わたしの現況を伝えるのが目的、かな? だから、これはこれでいいんだと思う。

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99年2月某日


先日、とても恐い夢を見た。今年の(八月)に核が落ちてきて、日本が滅びる、という内容で、「ついこの間(九州)で台風の被害があったばかりなのに」とか、「明日には横浜に死の灰が降ります」しか、絶望的な口調でラジオからニュースが聞こえてきた。

カッコの中は、状況から推測した部分だけど、それ以外はとてもリアルで、驚いて夜三時頃だというのに目がさめてしまった。

昔から、核の夢とゾンビの夢は、悪夢としてよく体験したものだけど、そういう時って、たいてい体調が悪かったからとか、寝る前にその手の本やビデオを見ていたから、といった理由があったものだけど、今回は、原因が思い当たらない。それだけにとても恐かったし、今でも恐い。

この恐怖は、やはりノストラダムスの予言があればこそだろう。具体的に「1999年7の月」と明示されているから、よけいに否定しきれないのだ。現実的に考えても、北朝鮮のミサイルのことを考えれば、絶対に起こり得ない、とは言えないし。

さらに、よせばいいのにひさしぶりにクロウリータロットを取り出して、今年の運勢を占ってみたら、最終結果のカードが何と「塔」のリバース。正位置よりはいい意味だったと記憶しているが、恐くて詳しく調べていない。

こういうオカルティックな話題をここで書くのは初めてかも知れないな。別に隠していたわけではないのだが、以前はこの手の分野を少しかじっていたこともあったのだ。今のところ、理性的に考えればまったく無根拠な恐怖なんだけど、これがこのまま、八月・九月には笑い話になってくれるといいなあ。

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99年1月某日


色々考えるところがあって、この部分の更新ができないでいた。私事で不幸もあったりしたし、不愉快なこともあったりして・・・まあ、それにしたって私事だ(^^;
そもそも自分の意見を書くだけのページであるのに、誰でもアクセスできるようにウェブに載せた段階で、いろんな反響をいただくのはあらかじめ承知しておくべきだったのだが、それでもあんまり身勝手だったり無神経だったりするメールとか、批判に名を借りたひどい中傷のメールとかを何通ももらうと、続けていく気が失せてしまうな。一時は本当にやめようかとも思ったよ。
まあ世の中にはいろんなひとがいるから、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、「他山の石」だと思うことにしようかな。あと、SPAM以外のメールにかんして、相手の善意をあたまから仮想するのも。
ただいちゃもんをつけるだけ、という輩もいるんだよね、残念ながら。

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98年12月某日

ジョンレノンの「イマジン」って有名な曲があるが、あれってかなりきつい歌だなあ、とふと思った。
「天国はない」というフレーズだけでも、けっこうこたえる。
大切なひとがなくなってしまった時、残された人たちは、どうしたって死後の世界を想像してしまう。天国で、あるいは極楽で安らかにしているのだ、とか、あるいは、特に病気や何かで苦しんでいったひとの死後は、そういう苦しみからも解放されて、いまは天国で幸せなんだ、と自分に言い聞かせることで、みんながこころの平静を保ったりする。

それが容認されてない、というのはすごいし、オノヨーコなんかは、いったいその悩みにどう対処しているんだろうか、と思う。「天国はない。上にあるのは空だけ」というのなら、オノヨーコはジョンの死後の生活を想像することすらできない。しかも「イマジン」なんかはスタンダードナンバーだから、忘れようったって、いつもどこかで耳に入ってくるだろうし。

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