「四国遍路覚」は、先祖の一圓(過去帳では「半右門父」)の四国八十八か所の遍路日記で、元禄四年(1691年)2月25日から4月21日までの57日が書かれている。
豊後国東郡伊美浦から舟で八島を経由して伊予に渡り、第44番札所の菅生山大宝寺から伊予、讃岐、土佐を巡り、伊予43番札所の源光山明石寺で結願した。伊方の中ノ浦から舟で木付(杵築)に帰着した。同行は伊美半左衛門、同四郎左衛門、野田又右衛門との四人。
一圓はこの旅行から32年後の享保八年(1723年)に没した。享年は不明。
この旅行の4年前の貞享四年(1687年)に高野聖の宥辨(ゆうべん)真念が「四国遍路指南(しこくへんろみちしるべ)」を刊行した。さらに八十八ヶ所の札所・番号を確定し、宿の提供者を募り、巡礼者に宿を貸す人を募り、標石を設置するなど、今日に至る庶民の四国遍路のシステムを作った。一圓も「四国遍路指南」をガイドブックとして携行していたのではないかと思う。
この原本は国会図書館などにあり、早稲田大学図書館はWebで公開している。講談社からは学術文庫として出版されている。
一圓の「遍路遍路覚」では、阿波の13番札所「大栗山花蔵院大日寺」の記述がなく、札所ではない讃岐の「小松尾山金興寺」に立ち寄っている。この1ケ寺以外は現在の札所と一致している。
平成5年(1993年)発刊の「国見町史」資料編の冒頭に原本の読み下しが掲載されている。町史編集専門委員の故三重野悌次郎氏の精緻な解読によるものだ。
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