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備中松山城
Bittyu Matuyamajou Castle
34 48 33.32,133 37 19.79

 すっかり奇麗になっている備中松山城天守閣。忘れ去られててよかった。二層二階の小さな天守です。

 旅先に城がある所はしっかりとその都度訪ねているのですが、段々分かってきたことがあります。それは城が残された偶然の面白さというもの。姫路城が落札した社が撤去費の実行ををケチっているうちに何故かそのままになってしまったとか、あちこちの存続について触れたのは松江城のときでした。でも過半は地元からの存続運動の末、残ったものだと思います。彦根城の大隈重信のように。

 でもここは違いました。分かりやすくいうと単にほったらかしにされていた、というものだったのです。城内の説明に、「廃城令により各地で取り壊されていく中で、ここは400mを超える山中にあったため、そそまま残されていました。」とあったのです。命令は出たけれどわざわざ山の上まで行って取り壊すような苦労はしたくない。そうしているうちにいつの間にか忘れ去られていった。何というおおらかさと言ってしまいましょう。別に無理して命令通りやらなくてもいいんだ。みんな忘れてしまえばそれでいいじゃないか。いやそんな積極的なものはひとつも無く、単に人々の記憶から取り除かれてしまったのでしょう。
 
 それが昭和になって、赴任してきた中学教諭が、ここにこういう城が残されているというのを研究し発表したのを契機に一気に保存活動へとつながっていったそうです。確かに保存運動は起こったのですが、それが昭和になってからとは。それまで人々の記憶から消えていたというのも何とも面白い。それだけ江戸から明治への転換が劇的だったのでしょうか。
 
 その後、何度かの解体修理によりすっかり奇麗になったこの城は、重要文化財8城のひとつとなっています。(因みに国宝は4城です。)印象は宇和島城に近いものがありました。山の上まで上っていった先の小振りな天守。構成はかなり違うけれど、天守だけの規模で比べれば近いのではないでしょうか。
 
 でも山の高さは全く違います。宇和島城は標高70mがいい所。周囲が10mとして差は60m。一方備中松山城は標高430m。高梁市内が70mとして、360mもあるではないですか。まあよくもこんな山頂に、立派な城を築いたものです。そして日本で唯一の天守閣のある山城だそうです。
 
 往きは乗り合いタクシーで途中の駐車場まで昇り、そこからは山道を進みます。観光地のそれではなく、普通の山道を登らなくてはいけません。普通の観光客には少々きつい道を行くと、程なくして石垣が見え、そこからまた山道を登り、ようやく本丸南御門に到着。いや予想以上の高さまで来た。
 
 天守閣だけでなく、二重櫓と三の平櫓東土塀の3カ所が重文に指定されています。結構広がりがありますね。江戸の太平の世の中になってから建てられた城は仰ぎ見る権威の象徴だったのでしょう。

 帰りは乗り合いタクシーは利用せず、山道をゆっくりと降りて市街まで戻ってきました。改めて山の高さを実感です。

展示されていた解体修理前の天守の写真。廃屋寸前の姿でした。よくぞ倒れずに残っていました。 山城だからこそ石垣のそびえ方が凄いことになっています。これでは簡単に攻略出来そうもない。
櫓と天守閣。とにかく一番高いところに天守閣を造っています。 天守閣の奥にある二重櫓。しっかり天守閣を取り囲んで防御態勢を取っています。
天守内部。解体修理でかなりの部材はそのまま使われたのでしょう。やはり木の偉大さを感じます。 天守閣から南御門や櫓を見ています。遠くに高梁市内が霞んで見えている。