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吹屋

Fukiya
34 51 42.28,133 28 09.67

 中心からちょっと外れるといきなりこんな素朴な感じになります。しっかり保存していってください。

 町並みを訪ねるというのも私の旅の重要なテーマのひとつですが、日本各地を見るとやはり西日本の方がバリエーションがある気がします。前に行った愛媛の内子はろうそくの産地というユニークなものでしたが、ここ吹屋はベンガラの産地として発展したそうです。何だベンガラって、から整理しないと行けません。
 
 吹屋には銅の鉱山があって銅を産出していたのですが、それを加工して酸化第二鉄・・・ベンガラを生産していたそうです。殆ど日本で唯一だったそうな。磁器の絵付けや外壁塗装に使われた。なるほど。酸化鉄だからこういう色になるのか。
 
 これで財を成した人々が競って家を建て、こうした町並みが出来た訳です。古い片山家だと江戸後期の建物だし、他も明治初期には概ね出来ていた。それがいつしか寂れていき・・・と思いきや、ベンガラ館のページによれば昭和40年頃まで栄えていたとあります。そうかそんな時期まで栄えていたのですね。またウィキでは昭和47年に銅山閉山とあります。
 
 そこから保存へのシフトは比較的早かった模様です。49年には「吹屋ふるさと村」の指定、52年には重要伝統的建造物群保存地区に指定されたというのですから、ほぼ間髪入れずに保存再生へと向かった模様です。
 
 でも木曽の馬篭のようになかなかメジャーにはなりませんでした。それは首都圏から遠かったからか、馬篭の島崎藤村の存在のようなストーリーに訴求しきれてないからか、果てまた単に私が知らなかったのかよく分かりませんが、今回岡山の各地を探しているうちにそうかこういう場所があるのか、と訪ねた次第です。
 
 旧仲田邸からバスだといい便がないので(11:34発が最初)タクシーを頼み、極楽寺跡石塔群、広兼邸を回って吹屋着。雨が時々降るあいにくの天気でしたが、逆に暗い空がうらぶれた感を醸し出し、思い出深い訪問となりました。銅、そしてベンガラがもたらした富がいまだに形となって残されているのです。

 観光協会に荷物を置かしてもらい、出発の時間の15:42までのんびりと歩き回ります。早ければあっという間に終わってしまう街道筋の小さな集落ですが、吹屋小学校、片山家、郷土資料館などを回るとなかなか見応えがあり、ちょうどいい時間でした。そういえば観光協会に都市景観大賞の賞状が置いてあり、おやこの地区ももらったんだと妙な親近感が湧きました。昔某地区を担当している時にでこの賞をもらったのは平成10年ですからもう随分昔ですね。ここ吹屋は平成24年度の受賞でした。


極楽寺石塔群。タクシーの運転手さんも場所を知らず、あちこち探してようやくたどり着きました。散在していた五輪塔、菩薩、道祖粗神などが朽ち果てる前に集めたものです。 広兼邸。映画「八墓村」のロケ地と、どのガイドブックに書いてあります。山奥に突然現れる銅山で財を成したお城のような屋敷です。受付のおばあちゃんが写っている。
広兼邸の桜門から下界を見る。そう正に下界に見えます。銅山とベンガラ恐るべし。 廃校になってしまった吹屋小学校。シンメトリー、そして玄関のアーチがしゃれています。朝ドラ「ごちそうさん」でいきなり登場していました。
郷土館からの片山家住宅(右側)。上がってみないとベンガラ色の瓦の力が分かりません。町並みを見事に作っています。
旧片山家の2階から町並みを見る。妻入りと平入りとが混在しているのが面白い。雨はそろそろ止みそうです。
ちょっと視点を下げて撮ってみました。そうするといよいよ妻が目立ちますね。
こちらは郷土館2階から見た通り。オモテとの境界の作り方が正に日本だって思います。



ほぼ真ん中、郵便局を中心とした界隈です。郵便局は新築ですが、町並みに合わせ作られています。