最近行ったコンサート(1998年〜)

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ブラッド・メルドー ピアノ・ソロ・コンサート

私は普段ジャズピアノはおろか, クラシックピアノすらほとんど聴かない人間であり, ブラッド・メルドーも名前を聞いたことがあるだけである. 誘ってくれた連れが激賞する,その耳を信じて, つき合わせていただいた次第である.

スポットライトがピアノを照らすのみの漆黒のなか, 奏でられる音楽は非常にメロディアスで心地好いリズムが聴きやすく, 正直なところ,あまりの心地好さに途中何度か寝そうになってしまった. 連れが開演前に私に言った「第ゼロ近似で言えばキース・ジャレット」 というのも納得.

しかし休憩中に連れの話を聞くと, 彼の音楽は「予想を微妙に裏切る」ところが魅力なんだとか. そう言われると,確かにそんな気がしてきた. 「メロディアス」とか「心地好いリズム」とか思っていたのは, 何だったんだろう.

そう思いながら後半を聴いていると, 突然ピアソラっぽい旋律が聞こえてきて非常に驚いた. ピアソラっぽく思えた旋律は激しく解体されていたが, まさか本当にピアソラだとも思えないし, 一体あれは何だったんだという疑問は未だに消えない. それから,後半は単なるメロディアスな旋律のみならず, いかにもジャズっぽい(正確には,私がジャズっぽいと思う) 叩き付けるような激しさをも楽しめた.

ほぼ満員の聴衆の熱狂は激しいものがあり, アンコールは3曲も演奏された. 最後の時は客席にリクエストを求めていて, それに答えていたようであったが, 何の曲かは私にはわからなかった. 最後の曲が終わった時,私は強い疲れを感じていたが, コンサート自体が長かったこと, 知っている曲が当然ながら1つもなかったことだけじゃなく, それから演奏自体の放つ力に気圧されたこともあったのかもしれない.

ただ正直なところを言うと, コンサートで聴いた曲はただの1つも頭に残らなかった. そんな刹那的な聴き方自体が, ジャズの聴き方として悪いわけではないと思うのだが, それでも何か悔しいものがった. ジャズピアノの聴き方が全く分かっていないことが そもそもの敗因だろうと思う. ジャズの道は険しい.

(2005年2月22日執筆)


モサリーニ タンゴ 五重奏団
(2004年12月2日,東京オペラシティ コンサートホール)
演奏者
フアン・ホセ・モサリーニ(バンドネオン)
レオナルド・サンチェス(ギター)
パブロ・アグリ(ヴァイオリン)
ロベルト・トルモ(ベース)
クリスチャン・サラテ(ピアノ)
曲目(作曲者)
五重奏のためのコンチェルト(アストル・ピアソラ)
アプレトナードス(フアン・ホセ・モサリーニ)
ミロンガ・ロカ(アストル・ピアソラ)
心から(アントニオ・アグリ)
タンガータ(アストル・ピアソラ)
ナオミ(フアン・ホセ・モサリーニ)
革命家(アストル・ピアソラ)
2人のミロンガ(フアン・ホセ・モサリーニ)
フアン・タンゴの死(レオナルド・サンチェス)
AA印の悲しみ(アストル・ピアソラ)
アルフレド・ゴビの肖像(アストル・ピアソラ)
プロヴィンシアの思い出(レオナルド・サンチェス)
アディオス・ノニーノ(アストル・ピアソラ)
ミケランジェロ70(アストル・ピアソラ)
デカリシモ(アストル・ピアソラ)(アンコール)

正直ピアソラ以外の曲は全く知らずに行ったので, ピアソラ以外の曲についてはまともに論評ができないのだが, ともかく聴いていて非常に印象に残ったことの一つは, モサリーニをはじめとする奏者が非常に禁欲的で淡々としているように見え, 大見得を切るといったことが全くなかったことである. 小松亮太も似たようなことを書いているが, 「ミケランジェロ70」は,「タンゴ・ゼロ・アワー」のような 強烈な疾走感で押し切るものと思い込んでいたら, それは全く異質の,実に「スタティック」な演奏で, 「こんな解釈もありなのか」という驚きを禁じ得なかった.

あと,「アディオス・ノニーノ」のピアノソロは かなりアレンジが加わっていて, 「10月の小松亮太の時も凝ったことしてたし,最近はやりなのかな」 と思ったが, 他のよく知っているピアソラの曲については, そういった凝ったアレンジはほとんど見受けられず, ピアソラのオリジナルをむしろ尊重しているように感じられた. 上記のミケランジェロ70のように,やや疾走感という点で物足りない 感じを抱くこともあったが, 個々の奏者の技量,演奏の緊張感は実に素晴らしかった. 特に,「タンガータ」のバンドネオンソロの 静謐な悲しみをたたえた美しさが,極めて印象的であった.

細かいことで記憶に残っていることは, ギターのサンチェスが,曲によってエレキギターとクラシックギターを わざわざ使い分けていたことである. また,PAのセッティングが悪かったのか, 時々ハウリングのような音が聞こえてきたことは, 演奏の上質さを思うと極めて残念であった. ついでに書いておくと,今回の席(1階2列4番)は 左側の大きなスピーカーの真ん前で, 音響に違和感を覚えるとまではいかなかったが, もう少しバランスのよい席で聴きたかった.

(2004年12月5日執筆)


サイモン・ラトル指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 来日公演
新潟県中越地震被災者支援 チャリティー公開リハーサル
(2004年11月20日,サントリーホール)
曲目
ブラームス: 交響曲第2番

新潟の地震に対するチャリティーということで急遽企画された リハーサル公開. 「リハーサルっちゅうからには,みんなラフな格好で演奏するんやろう」 と思い込んでいたが, 楽団員は全員正装していてびっくり. しかもカメラクルーまでいるし. 普通のコンサートと違うことと言えば, 開演30分前から楽団員が何人か既に着席していて, 次第に人が増えていって開演時に全員が揃ったというところくらいであろうか.

サイモン・ラトルも当然正装して登場. 演奏が始まる前からブラボーの嵐だったことには, 「何言うても,しょせんはチャリティーの公開リハーサルやんか」 というすさまじい違和感があったが, 実際演奏が始まると,リハーサルなどとは名ばかりの 本気モード全開であった. 今回の席は2階P1列34番というオルガンの下の席で, 最前列でラトル様のご尊顔が排することのできる, ある意味では絶好のポジション. ホルンの朝顔がもろにこちらを向いていて, ホルンが異様に浮き上がって聞こえてくることもあったが, それは仕方がないだろう.

ベルリンフィルを聴くのは6年ぶりであるが, ラトルの代になってもメカニックのすさまじさは当然健在であった. 特に弦楽合奏の分厚さには改めて恐れ入った. 主に第1楽章ではビオラのパートが印象的に用いられているが, その美しさは絶品であった. もともとブラームスの2番にそれほど思い入れのない私としては, 第2楽章くらいまでは「確かにベルリンフィルうまいけど, サイモン・ラトルじゃなくて誰が指揮しても同じやないの」 などと思っていたが, 第3楽章の始まりのオーボエの前に出すぎない美しさと, ラトルのあまりに悠然とした様に驚かされた. ラトルは手首から先を少し動かすだけという場面が頻繁に見られたし, 腕をほとんど全く動かしていない場面すらあった. オーケストラの自主性の尊重か,オーケストラを完全に把握していることの 自身の現れなのかはよくわからないが, ラトルの泰然自若ぶりには「やっぱラトルはただもんちゃうわ」と感心させられた. 3楽章ではあと,休符の間の取り方が少し長いように感じられた. 第4楽章では,ラトル一流の神経質なまでに強弱をコントロールする 様が見られた. 強奏のところではもっと血走った演奏をするのかと思っていたが, そんなことはなく非常に自然に演奏していた.そんなところで 主張をする必要なぞないのだろう. 最初は「しょせん公開リハーサル」と少し斜に構えて臨んだ私であったが, 最後の全奏の見事さにはただただ圧倒された. 公開リハーサルなんて本当に名ばかりの, 実に素晴らしい演奏であった. 一応注意書きとして,リハーサルなので途中で演奏を休止することもあると チケットに書かれていたが,そんな雰囲気なぞ微塵もなかった. 終演後は(リハーサルにもかかわらず)ブラボーの嵐であったが,まあ当然だろう.

演奏が終わってからは, サイモン・ラトルの挨拶(「どうもありがとうございます」は 日本語であった)と, 引き続いて日本赤十字の偉いさんへの義援金の贈呈があった. 日本で5000円でベルリンフィルの本気モードの演奏が聴けた上に, 極めてささやかながら人の役に立てて,今日はよかったと思う. 「どうせならマーラー,そうじゃなくてもせめて ラベルの『ダフニスとクロエ』で, ベルリンフィルのメカとしてのすごさを聴きたかった」 ということを思っていたが, 今日のブラームスもすごかったことを思うと, それは完全に罰当たりというものだろう.

(2004年11月20日執筆,12月5日修正)


ヨーヨー・マ&ギドン・クレーメル with クレメラータ・バルティカ室内管弦楽団
(2004年10月25日,サントリーホール)
曲目
ペルト: フラトレス
ハイドン: チェロ協奏曲第2番
ソッリマ: 「チェロよ歌え!」
シューベルト: 弦楽四重奏曲第15番(弦楽オーケストラ版)
ピアソラ: リベルタンゴ(アンコール)

かなりマニアックな選曲の割にチケットが完売していたのは, やはりヨーヨー・マのネームヴァリューが大きいのだろう. 買い求めたプログラムも,主役は完全にヨーヨー・マであった. 私のようにクレーメルとクレメラータ・バルティカが目当てというのは, おそらく少数派なのだろう. そんなわけなので,ヨーヨー・マのせいでチケットの値段が倍以上に 跳ね上がったのは,正直なところ痛恨であった. あと,聴衆のおばちゃん率がかなり高いことも気になった. ヨーヨー・マはおばちゃんキラーなのだろうか.

最初は「フラトレス」.ペルトって,好きで良く聴いている割には (記憶が正しければ)ライブで聴いたことないし, ライブで演奏されることも案外ないよなあと思っていたので, 今回楽しみにしていた曲の1つである. どんな編成でやるのか気になっていたが, クレーメルのソロヴァイオリン,弦楽合奏,および打楽器の オーソドックスな編成であった. 今回は金をけちってA席(2階C10列16番)にしてしまい, ステージから遠かったからか, 前にクレメラータ・バルティカを聴いた時ほど, 弦楽合奏の分厚さを感じなかった. もうちょっと人数を増やしてマッシブな響きが欲しいところであったが, 1階で聴いていたら全く印象が違ったかもしれない. この曲で印象に残っているのは,やはりクレーメルのソロであった. 才気走ったとげとげしさは全く感じられず, 柔らかさと美しさに満ちた演奏であった. 自分が抱いていたクレーメルのイメージとは違ったが, それでも非常にいい演奏であったと思う.

次はヨーヨー・マによるハイドンのチェロ協奏曲. はっきり言ってハイドンは CD 買って聴くことなんぞ全くないのだが, こうやってたまに聴くと, 音楽が必要十分で無駄のないあたり, さすがに何だかんだ言っても 200年以上の歴史の試練に耐えてきただけの作曲家だなと思う. プログラムによると,何でもハイドンのチェロ協奏曲は 超絶技巧を要求する曲らしいが, ヨーヨー・マは実に軽々とさわやかに, クレーメルと同様非常に柔らかい響きの演奏をしていた. 「この曲のどこが超絶技巧なんや」と思わずにいられなかったが, 難しい曲とすら思わせずに平然と弾き切るヨーヨー・マが やっぱりすごいということなんだろうか.

ソッリマの「チェロよ歌え!」は, クレーメル&クレメラータ・バルティカの CD "Tracing Astor" に収録されていて,曲自体も演奏もかなり気に入っていたので, これも楽しみにしていた. 弦楽合奏と,ヨーヨー・マ+もう1人のチェロ奏者 (マルタ・スドラバ.クレメラータ・バルティカの一員. 上述のCDでこの曲を演奏している)による曲で, 正直チェロが2人要る曲だとは CD ではわからなかった. 2人のチェロのパートはほぼ対等であったが, ヨーヨー・マはどちらかというとサポートにまわる側のパートであった. ヨーヨー・マのチェロはどこまでも柔らかかったが, スドラバのチェロはやや硬い響きであり, タイプの違う奏者2人で演奏するのがこの曲にとって良いことなのか, 少し疑問であった. もちろんチェロ同士の対話もあるので,違うタイプの演奏だと 対比がより明確になるということもあるのかもしれないが, 私の印象としては同質な演奏で揃えた方が良かったように思う. あと,今回も席がステージから遠かったせいか, やや弦楽合奏の厚みが弱いように感じられた. 正直なところ,この曲は(少なくとも自分の席で聴く限りでは) ライブ向きの曲ではないようにも思えた.

休憩の後はシューベルト. 私は「弦楽五重奏曲の弦楽合奏版」をやると完全に勘違いしていて, CDが手元になかったので予習を諦めたのだが, ホールに来て実は「弦楽四重奏曲第15番」だったとわかって愕然とした. それなら家に CD があったのに.聴き込んでいなかったことは 完全に痛恨であった. もっとついでに言えば,どうせシューベルトなら 「死と乙女」の方が聴きたかったというのが最初の正直な印象である.

それはともかく,この曲では,クレーメルはコンサートマスターの席, ヨーヨー・マはチェロのトップ奏者の席に座り,配置は ソロのいない弦楽合奏団のものであった. 当然編曲なのだが,ヴァイオリンのソロとチェロのソロがうまく配置されていて, クレーメルとヨーヨー・マが引き立つようにうまく書かれた編曲だと思った. 弦楽合奏も完璧.聴き込んでいない曲で50分強はきついかと思ったが, そんなことは全然なかった.演奏がよかったのもあるが, シューベルトの曲自体も想像以上に良かったと思う.

しかし,今日の演奏会の白眉は, やはりアンコールのリベルタンゴということになってしまうのだろう. おもむろにマリンバがステージ中央に運び込まれ, クレーメル+ヨーヨー・マ+弦楽合奏+マリンバという編成で 始まった曲は,ピアソラだということはすぐにわかったが, あまりにアレンジが過ぎていて,何の曲かは最初わからなかった. しかし,リベルタンゴだということがわかってからは, ただ呆然と聴いていた. 弦楽合奏とマリンバが極めて効果的に使われた, 疾走感に溢れる実に素晴らしいアレンジで, しかもクレーメルは乗り乗りで弾いていた. 「クレーメルはリベルタンゴには興味がないのだろう」と したり顔で書いていた評論家(誰だったか忘れたが)は, もう形無しもいいところだろう. ヨーヨー・マも,CDのゆったりした演奏とは全く異なる 歯切れのいい演奏をしていてこちらも素晴らしかった. 客席の熱狂もすさまじいもので,このアレンジは (チェロがヨーヨー・マじゃなくてもいいから) 何としてでも CD 化して欲しいと思わずにいられなかった. それにしても,クレーメルとヨーヨー・マが同じ場で ピアソラを,しかもリベルタンゴを演奏するというのは, 私にとっては「大事件」にも等しいことであったし, そんな場に居合わせることができたことは本当によかった.

ただ,今日の演奏会をヨーヨー・マの演奏会だと思って 聴きに来た人は,本当に満足して帰ったのだろうかとも 思わずにはいられなかった. ソッリマの曲なんて知らない人の方が多いだろうし, そう思えば実質ヨーヨー・マがメインを張った曲といえば ハイドンだけということになるからである(リベルタンゴも, メインはクレーメルだったと言うべきだろう). 最初に書いた通り, プログラムは完全にヨーヨー・マがメインということだったが, やや看板に偽りありという印象もある. それでも,クレーメル&クレメラータ・バルティカが メインだった私にとっては,チケットがバカ高いという以外は 何の問題もない演奏会であった. ただ非常に後悔しているのは, 金をけちってS席にしなかったことである. 1階のいい席で聴いていたら,さらに楽しめたはずである.

(2004年10月25日執筆)


小松亮太プロデュース Tango Spirit III
(2004年10月11日昼の部、東京国際フォーラム ホールC)
演奏者
小松亮太(バンドネオン)、 オスバルド・ベリンジェリ(ピアノ)、 ミリアム&ウーゴ(ダンス)ほか
曲目
アディオス・ノニーノ、リベルタンゴ、鮫、 バンドネオン協奏曲(以上 ピアソラ)、 ラ・クンパルシータなど

東京国際フォーラムに音楽を聴きに行くのは 2000年に クロノス・クァルテットを聴いて以来、 小松亮太をライブで聴くのは 1998年の大阪以来ということはともかく、 当日券こそ手に入ったものの会場はほぼ満席であった。 あと、年齢層がやや高いように思えたことがちょっと気になった。

休憩前の第1部は、オスバルド・ベリンジェリではなく 日本人のピアニスト(熊田洋)による五重奏団によって、 まず熊田洋による曲と、 小松亮太による曲「スピカ・エスキス」が演奏された。 小松亮太による曲は、この文章を書いている今となっては あまり印象は残っていないが、 聴いている時は結構いい曲だったように思えた。 その後は「リベルタンゴ」に「鮫」。 リベルタンゴではミリアム&ウーゴによるダンスを見ることができた。 タンゴの女性ダンサーといえばぜい肉のかけらもないスレンダーな人という イメージがあったが、目の前に現れたのは、 太ってるとまではいえないが結構肉付きのいい女性で、ちょっと驚いた。 それでも、動きはきびきびしているし、 男性ダンサーが彼女を軽々と抱えて踊っていたことには 感心させられた。 「リベルタンゴ」は、小松亮太の CD では まるでサロン音楽のようなアレンジをされていてかなり不満があったが、 今回の演奏は疾走感にあふれた素晴らしいものであった。 「鮫」では、 PA によって増幅されたヴァイオリンのバランスがやや悪いようにも思えた。 日本人の女性ヴァイオリン奏者には、 ちょっと荷が重い曲だったかもしれないが、 もともと曲自体は非常に好きだったこともあり楽しめた。 第1部の最後は、ドラムと弦楽奏者7人が加わり「バンドネオン協奏曲」。 ピアソラ自身が演奏した映像を見て、 「バンドネオンとオーケストラって、バランスが悪すぎるんじゃないか」 と思ったが、今日くらいに絞った編成だったら、 そういうことを思わずに済む。 この曲自体についてはほとんど知識はなかったが、 特に第2楽章のピアソラ特有の叙情性が、 良かったように思う。

後半の第2部は、小松亮太+もう1人のバンドネオン奏者、 オスバルド・ベリンジェリ、ベース、あと弦楽四重奏という やや変則的な編成であった。 第2部はベリンジェリの曲が多く、 これも個々の曲についての印象はあまり残っていないが、 聴きやすく、弦楽を有効に使った叙情的な曲が多かったように思う。 小松亮太が叫んでいる曲もあった。 特別ゲストのベリンジェリのピアノは、 力強さよりは繊細さや柔らかさを感じさせるものであった。 ラス前の曲は「アディオス・ノニーノ」であったが、 かなりアレンジでいじっていた。バンドネオンが入る前は 普通は長いピアノソロであるが、 今回の演奏はピアノ+ヴァイオリンであった上に、 「この曲は本当にアディオス・ノニーノなのか?」と思わせるような 曲になっていた。 正直、ピアソラ自身のアディオス・ノニーノの演奏を CD で 聴いている身としては、今回の演奏はどうなのかなという印象があった。 ラストはド有名な「ラ・クンパルシータ」。 最初は演奏のみで、「ダンサーが出なければ嘘だろう」と思っていたが、 途中からダンサーも加わって、演奏とダンスを無心に楽しむことが出来た。

運営上不満なことを挙げておくと、 正確なプログラムが会場に行くまでわからなかったことである。 プログラム自体も、会場に掲示されていたのみであったのは 不親切だと思う (だから、上に正確なプログラムを書くことができなかった)。 それから、プログラムの冊子が1,500円というのは やや高いような気がした(普段はプログラムは買うのだが、 今回は結局買わなかった)。

(2004年10月11日執筆)


山下洋輔 ソロ・ピアノ・コンサート
(2004年9月4日、ノバホール)

ソロのジャズピアノのコンサートには行ったことがなかったが、 山下洋輔がせっかくつくばに来てくれるのなら行ってみようと思い、 行った次第。 知名度からしてチケットは手に入らないだろうと思っていたら、 実際はそんなことは全くなくて、6割くらいの入りだっただろうか。 同じくノバホールで行われる、 12月の上原彩子(チャイコフスキーコンクール優勝)の コンサートは完売だというのに。

私は(自分の懐を痛めて聴いた)ジャズのソロピアノと言えば CD でキース・ジャレットを聴いたことがあるくらいなので、 はっきり言って全くまともな論評なんかできないし、 曲目にしても、プログラムには全く載っておらず、 山下洋輔が曲の間に自分で紹介しただけだったので、 どんな曲があったかは全ては覚えていない。 そんな中でも印象に残っているのは、 前半最後の「ラプソディ・イン・ブルー」 と、締めの「ボレロ」である。 私の席(1階エ列11番)からは山下洋輔の指使いが明確にわかり、 クラシックピアノでは見ることができないであろう テクニック(急激な上昇、下降音階や、 ひじで鍵盤を打つ様など)を良く見ることができた。 私のイメージでは、 ジャズピアノと言えば もっとエッジの効いた音楽をするのかと思っていたが、 ペダルを多用していて、自分の想像よりは柔らかく、 聴きやすい音楽だったように思う。

山下洋輔の語りも親しみやすいものであった。 伊賀上野で何かの集まりに行った時、 「この時間 隣の津では 綾戸智絵」 という川柳が出たという話には爆笑させられた。

(2004年9月6日執筆)


サントリー音楽財団 サマーフェスティバル2004 Music Today 21 「20世紀の槌音」
(2004年8月28日、サントリーホール 小ホール)
曲目
ブーレーズ: 構造 I
ブーレーズ: 構造 II *
リゲティ: 記念碑・自画像・運動
ストラヴィンスキー: 春の祭典〜4手のための*
ピアノ
大宅裕、中川賢一、稲垣聡*、小坂圭太*

このコンサートに行ったのは、 ピアノ連弾版の「春の祭典」を聴くためである。 ピアノ連弾版の「春の祭典」といえば、 多重録音を用いて一人で完成させたファジル・サイの CD を持っているが、 やはり管弦楽版の方がはるかに馴染みは深いし、 ピアノ連弾版を生で聴く機会はそうないだろうと思ったからである。 あと、サントリーホールの小ホールは今回が初めてであったが、 ドマニアックなコンサートの割にはそれなりに人が入っていた。

ある程度予想されたことではあったが、 ブーレーズの2曲を聴いた時は、ただ呆然とするよりなかった。 「構造 II」の方は、 何かそれなりにドラマがあるように思えないこともなかったが、 「I」の方は、曲を形容するどんな言葉も思いつかず、 私の貧困な語彙力、表現力では全く手に負えなかった。 どちらの曲も綿密な構築に基づいた音の運動ということなのだろうが、 一度聴いただけではそんなことなど全然わからず、 ただ不規則に湧き出してくる音を漫然と受け止めるしかなかった。 それにしても、 こんな複雑怪奇な曲を2人でばっちり合わせて演奏するなんてのは、 神業としか思えん。 「I」を演奏した大宅と中川、「II」を演奏した稲垣と小坂では、 音の合わせ方が違っていたのが見ていて面白かった。 中川がまるで指揮をするかのように頭を振っていたのに対し、 稲垣と小坂のコンビはどうやって音を合わせているのかよくわからなかった。 時々小坂が指で数字を出しながら合図を出していたが、 どういう意味だったのかは全くわからずじまい。

休憩の後に、まずリゲティ。 プログラムにも書いてあった通り、 ミニマルミュージック的な音楽であったので、 ブーレーズに比べたらまだ聴きやすかった。 決然と打ち鳴らされる和音やペダルを多用した融けるような音楽、 そしてミニマルミュージックに特有の、位相が微妙に変化していく様、 時に聴かれる Jazzy な響きなど、 素直に楽しめた。

最後に、今日の目当てである「春の祭典」。 稲垣と小坂は「構造 II」の時とは違うシャツで出てきたのがちょっと驚き。 ブーレーズとリゲティの全く馴染みのない曲を聴いた後で、 非常に良く知っている曲が聴けることに最初は安堵していたが、 ピアノ連弾版という普段聴き慣れないバージョンで聴くと、 「春の祭典」がいかに複雑極まり無い曲かということを 改めて認識させられることとなった。 管弦楽版に比べて、一度に鳴る音が当然限られるので、 目まぐるしく変わる拍子などがより明らかになること、 ポリフォニーのバランスなどが 普段聴いている管弦楽版とは違って聴こえることなどが、 そのような認識に至った原因だろう。 そういう意味では、極めて新鮮な体験をすることができたと思う。 あと、聴いていてどうしても管弦楽版が頭に思い浮かんだが、 ピアノ連弾版は管弦楽版に劣らず色彩感も豊穣で、 極めてよく書けていると思えた。 稲垣と小坂のピアノは、起伏の激しさにおいても繊細さにおいても 見事だったと思う。

総じて言えば、滅多に聴けないブーレーズやリゲティも聴けたし、 「春の祭典」も純粋に楽しめたので、今日のコンサートは行ってよかったと思う。 「春の祭典」の魅力にも認識を新たにしたが、 実は管弦楽版を生で聴いたことがないことに思い至った。 いい演奏で、できればブーレーズが生きているうちに彼の生演奏を 聴いてみたいものである。

(2004年8月28日執筆)


東京フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会
(2004年8月19日、東京オペラシティ コンサートホール)
曲目
ラヴェル: バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第1、第2組曲
ショスタコービッチ: 交響曲第5番「革命」
指揮
チョン・ミョンフン

次の日に東京で用事があるので、 ちょうどいい機会と思い聴きに行った。 7月にシュトゥットガルトでオペラを聴いた のを除けば、オーケストラを生で聴くのは、 エッシェンバッハ +ハンブルク北ドイツ放送交響楽団の演奏を聴いて以来、 1年3ヶ月ぶりである。 東京オペラシティは何度か来たことがあり、 かなりいい印象を持っているホールであるが、 いわゆるS席(今回は1階7列15番、かなり前の方であった)で 聴くのは初めてかもしれない。

「ダフニスとクロエ」は実はあまり真剣に聴いたことがなく、 ブーレーズの CD (組曲版ではなく、合唱付きの全曲版だが)を 数日聴き込んでこのコンサートに臨んだ。 そんなわけなので細かい論評はできないが、 オーケストラがすごくうまいという印象があった。 特にうなるような弦楽合奏が見事だったように思う。 あと木管の独奏もすばらしく、 ラヴェルの豊穣なオーケストレーションを遺憾なく楽しめた。 第2組曲最後の全奏のドライヴ感、 終りのフォルティッシモからさらに音を絞り出そうとする感覚は、 チョン・ミョンフンの特質が存分に発揮されていたように思う。

ショスタコービッチの5番は、 昔はバーンスタインの名演の CD を聴き込んでいたが、 今回はつい最近手に入れたゲルギエフの CD を何度か聴いて臨んだ。 ここにおいても、特に印象に残ったのは弦楽合奏の見事さであった。 第1楽章冒頭、第2楽章冒頭の分厚い低弦、 第3楽章の繊細なヴァイオリン、 第4楽章最後の強奏が特に印象に残っている。 第3楽章はもう少し芯があってもよかったかなという感もあるが、 それは好みの問題だろう。 あと第4楽章最後の強奏を聴いていて、 他のパートに埋もれることなぞ全くなく強烈な音を出している様は、 昔ベルリンフィルでマーラーの3番 を聴いて、最終楽章の最後で抱いた印象を髣髴とさせるものがあった。 その他のパートもよく練り上げられていて、 オーケストラとして高いレベルでバランスが取れているように思えた (ホルンがちょっとミスっていたのは残念だったが、仕方がないだろう)。

この曲で最も印象に残ったのは最終楽章である。 この楽章は速いテンポで終始押し切ることも、 比較的ゆっくりしたテンポで演奏することも可能であり、 しかもテンポの選択でかなり印象が変わる。 チョン・ミョンフンの性格なら 速いテンポで一気に演奏するだろうという私の予想は完全にはずれ、 ゆっくりとティンパニが連打されて始まったことには非常に驚いた。 バーンスタインの CD もゲルギエフの CD も速いテンポで始めていたので、 かえって新鮮であった。 テレビなどで聴くこの曲のゆっくりしたテンポの演奏には 違和感を覚えたりもするのだが、 今回の演奏ではそういうことは一切無かった。 ゆっくりとしたテンポでの演奏では、 えてして生じがちな弛緩が全く感じられなかったからだと思う。 これはチョン・ミョンフンの指揮と、それにしっかり答えている オーケストラを讃えるべきだろう。

終演後の拍手はすさまじいものがあった。 あれだけすさまじくテンションの高い演奏をしたのだから、 当然だろう。 オーケストラのメンバーが全員引っ込んでも 拍手は鳴り止まず、 チョン・ミョンフンだけでなくオーケストラのメンバーが何十人も 舞台に呼び戻されるという、ちょっと普通ではない雰囲気であった。 チョン・ミョンフンは舞台近くにいる聴衆何人かと握手を交していた。 中学生か高校生くらいの制服を着た女の子が 握手されて歓声を上げているのを見ていると、非常に羨ましいものがあった。 私も彼と握手したかった。

(2004年8月19日執筆)


トリスタンとイゾルデ
(2004年7月18日、Staatsoper Stuttgart)

私はオペラを生で聴いたのは一度しかない (ウィーン国立歌劇場、ブリテン「ピーター・グライムス」) し、オペラの CD も非常に少なくしかも片寄ったものしか 持っていない(シェーンベルクの「モーゼとアロン」、 バルトークの「青髭公の城」)というように、 オペラについてはほとんど無知に等しいのだが、 ドイツ滞在中であるということと、 オペラに詳しい知人に誘われたということで、出かけることにした。

知人が予約してくれた席は、平土間の前から5列目、ほぼど真ん中という これ以上ないようないい席であった。 舞台は、 一辺5メートル程度の薄茶色の立方体が、 黒い床の上にやや斜めに置かれた以外には 何もないという極めて抽象度の高いもの。 オーケストラの音合わせとともに、 黒いスーツを着た男性合唱のメンバーが、 各々一定の距離を保ちながら、 ある者は立ったりあるものは座ったりして舞台を占める。 そしてやや唐突に思えるように、あの前奏曲が始まった。

大まかな筋すら頭に入っていなかった私には、 誰がトリスタンで誰がイゾルデなのかすら、しばらくはわからなかった。 黒を基調とした舞台の上で赤いワンピースを着て、 やたらに目立っているのがイゾルデで、 やはり白いスーツを着て目立っているのがトリスタンだと思っていたが、 どうやら違うらしいということが後でわかった。

音楽は極めて水準が高く、 何を心配することもなく音楽に身を浸すことができた。 弦楽合奏の重厚さ、 木管のうまさが特に見事であったように思える。 フランクフルトで既にオペラを見てきたという連れは、 シュトゥットガルトは、オーケストラも歌手も 水準がけた違いに上だと言っていた。 象徴的だったことの一つは、 第1幕の最後で舞台上で演奏される金管が完璧に合っていて、 舞台上のお飾りなどでは決してなかったことである。

演出で印象的だったことは、 薄茶色の立方体の壁面に歌詞(の一部)が、 白い文字で次々と投影されていたことである (一回あたり一行に数語程度)。 全ての歌詞が投影されたわけではなかったので、 聴衆の理解の助けではなく明らかに演出の一部である。 ドイツ語はあまりわからない私であるが、 それでも抽象度の高い(悪い言い方をすれば平坦な) 舞台上に変化を与えるという点で面白い試みに思え 退屈しなかった。 連れによればこの演出には賛否両論があるらしいが、 オペラの内容にもドイツ語にも極めて精通している鑑賞者には、 確かに冗長かつうざったく思えるかもしれない。

休憩時間には、平土間の鑑賞者は全員外に出て、 飲み物などを楽しんでいた。 連れが買い求めたプログラムを少し見せてもらうと、 写真が結構載っていたので、「どうせドイツ語わからんしなあ」 と思っていたのを思い直し、私も記念に購入。 ワーグナー自身の文章だけでなく、アドルノやウンベルト・エーコなどの 文章も載っていて、 非常に力の入ったプログラムになっていた。 「これでドイツ語を勉強しようか」と一瞬思ったが、 実行には至らないだろうなあ。

第2幕は第1幕と違い、指揮者に対する熱烈な拍手の後に始まった。 舞台上には、やはり高さ5メートル程度の黒を基調とした 2枚の板が、ついたてのように立っているのみの、 これまた抽象度の高いもの。 第2幕でも、第1幕と同様の歌詞の一部が投影されていたが、 全ての歌詞のうちの投影された割合は減っていて、 それが舞台の抽象度を高めているようであった。 第2幕はただのエロ芝居だという連れのアドバイスがあったが、 ここまで無駄を切り詰めた舞台で言葉もわからないとあっては、 これがエロ芝居なのかどうかすらわからなかった。 しかし、音楽の密度はすさまじく高く、 特にそれぞれの独唱(特に白いスーツを着たなんとか王)には ただただ引き込まれるのみ。 ワーグナーの音楽、そしてそれをリアライズしている歌手とオーケストラの 完成度の高さには、ただ感嘆するしかなかった。

第3幕では、 第2幕のついたてが上から吊されて角のみを床につけて浮いており、 そこには星空が投影されていた。 他には、床に2,3個の小道具が置いてあるのみである。 前奏曲のうねるような弦楽合奏が、 舞台の雰囲気に見事にマッチしていて印象に残った。 第2幕で刺されたトリスタンが息も絶え絶えという設定らしいが、 トリスタンともう1人の登場人物がひたすら歌うことには、 こちらの集中力がかなり失われたこともあり、 やや退屈に思えたのが少し残念。 あと残念だったことは、 第3幕でも行われていた投影された歌詞の一部が、 何度も歌手の影に隠れていたことである。 第3幕では投影される歌詞の数も限られ、 一部の歌詞には非常に大きな文字が用いられるなど、 象徴度をさらに上げた使い方をされていただけに、 演出上改善されるべき点のように思えた。

最後にイゾルデの印象的な独唱によって、休憩時間を含め 約5時間にわたるオペラは終了。 しかし、イゾルデの独唱が終わって、音楽が終わらないうちに ブラボーと叫んでいる聴衆が1人いたことには全くもって閉口した。 オペラを知らない私でも、ワーグナーのオペラは 技巧的な独唱「のみ」を楽しむものではないだろうということはわかるだけに、 こういう人もいるんだなあと思わずにはいられなかった。 本当に音楽が終わった後は、すさまじい拍手の嵐。 あれだけの高い水準の舞台を見せてくれたのだから、まあ当然だろう。

総括すれば、 ワーグナーの音楽、オーケストラ、歌手、演出 どれをとっても実に素晴らしかった。 特に、非常に切り詰めた抽象性の高い演出は、 私の好みにも合っていたし、 オペラに関する知識、先入観のない私にはかえって、 そのような演出の方が余計なことに目が行かなくて良かったように思う。 もちろん「トリスタンとイゾルデ」についてもっと下調べを して行くべきだったのだろうが、 それでも このような超一級のエンターテインメントを楽しめたことは 自分にとって非常にいい経験になった。 このオペラに誘ってくれた知人に感謝して、 この拙文の締めにしたい。

(2004年7月19日執筆)


ベリオの肖像
(2004年6月5日、水戸芸術館コンサートホール ATM)

プログラム(作曲者は全てベリオ)
プレ上演
顔[キャシー・バーベリアンの録音された声と 2トラック・テープのための](1961)
第1部
講演会「ベリオが影響を受けた作家たち -- ジョイス、ベケットが描く現代の人間像 --」
出演:柳瀬尚紀、白石美雪
第2部
差異[フルート、クラリネット、ハープ、ヴィオラ、チェロと テープのための](1959)
セクエンツァIII[女声のための](1966)
水の鍵盤 (1965)/土の鍵盤 (1969)/空気の鍵盤 (1985)/火の鍵盤(1989) [ピアノのための]
グロス[弦楽四重奏のための](1997)
オー・キング [メゾ・ソプラノとフルート、クラリネット、 ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための](1968)
セクエンツァXIV [チェロのための](2002)
夜想曲(四重奏III)-- 夜に黙して語られなかったことばを・・・ [弦楽四重奏のための](1993)

出演:畠中恵子(ソプラノ)、木ノ脇道元(フルート)、 菊地秀夫(クラリネット)、アルディッティ弦楽四重奏団 木村茉莉(ハープ)、中川賢一(指揮、ピアノ)、 白石美雪(解説)

プレ上演は、白石美雪氏の手短かつわかりやすい解説のあと 行われた。録音されたテープを再生するだけなので、 「日本初演」という言葉はやや違和感があった。 電気的なノイズに乗せて、 ベリオの最初の妻であるキャシー・バーベリアンが ほとんど意味のない言葉(数少ない例外は「パローレ(言葉)」) という言葉を発していくという20分程度の作品である。 もともとラジオ放送のために作られたにもかかわらず、 猥雑だということでお蔵入りになったものらしく、 事実わいせつな感じをさせる喘ぎ声に聞えないこともなかった。 途中からは半分寝ながら聴いていたが、 今の感覚からしたら非常に「ちゃちい」電子音に、 「前衛」「斬新」という感覚を抱きうるのは、 1970年代前半生まれの私くらいの世代がひょっとして 最後ぐらいなのかななどと思ったりもした。

第1部は柳瀬尚紀氏と白石氏の対談だと思っていたが、 白石氏が15分ほど喋り、その後残りの時間を柳瀬氏が喋るという 構成であった。どうして対談じゃなかったのか、やや疑問。 プレ上演と同じく、白石氏の話は平明な言葉による わかりやすいものであった。 柳瀬氏の話もジョイスの第一人者として面白いものであったが (「ジョイスについて私よりご存じの方もいらっしゃるとは思いますが」 と言った時には「ご冗談を」という言葉が口を突いて出てしまった。 やっぱり冗談だったようだ)、 ベリオに関する話はほとんど出ていなかった。 それでも、「ユリシーズ」や「フィネガンス・ウェイク」 を訳している時のエピソードや、 "by" という前置詞をどう訳すかに15年考え抜いて、 やっと確信の持てる訳ができるようになったという話とか、 興味深い話が聞けてよかった。

第2部はライブによる演奏会。 「差異」は指揮者(中川賢一)を立てて、 生演奏と録音(電気的に変調されている)を同期させるという形式であるが、 録音はテープじゃなく、 ノートパソコンのキーを叩くことで入れるというのは、 見ていて面白かった。 電気的に変調された録音は、ガラスが砕け散るような印象もあり、 「作曲された当時は、こういう試みは面白くてしかたがなかったんやろうな」 と思いながら聴いていた。 「セクエンツァIII」はソプラノの畠中恵子の独唱で、 スキャットのような発声や、 巻き舌、 口の前で指を震わせるなど、様々な技法を駆使していた。 しかし、アカペラ独唱という形態自体が非常になじみのないものであっただけに、 それだけで何とも言えない違和感を抱きつつ聴いていた。 ピアノのための4曲は、 それまでの音楽とはうって変わって、 調性感を残した非常に美しく叙情的なもので、 逆にそれが別種の違和感を与えもした。 あとで解説を読むと、「水の鍵盤」はブラームスやシューベルトの モチーフが引用されているとのことで、 調性感を抱くのは当然といえば当然なのである。 「グロス」はアルディッティ弦楽四重奏団による演奏。 これもかなり特殊なピチカートを用いたりしていて 面白い曲であった。 室内楽は、すさまじい緊張感をはらんだもの (特に現代音楽)しか受け付けなくなっている自分を再認識させられた。

休憩のあとの最初の曲は「オー・キング」。 「シンフォニア」の第2楽章のもとになっている曲ということもあり、 比較的聴きやすかったが、 ソプラノの声量は敢えて落しているのかどうか、ちょっと気になった。 あと、 ヴァイオリンのアーヴィン・アルディッティが 声を発していたのも意外であった。

舞台の配置替えの間に、 白石氏がアルディッティ四重奏団のうちの3人に、 「セクエンツァXIV」の作曲や初演の経緯、 ベリオとアルディッティ四重奏団との関係などに ついてインタビューしていた。 面白かったのは、 夜想曲がアルバン・ベルク四重奏団に献呈され、 アルディッティ四重奏団のためにベリオによって 弦楽四重奏曲が作曲されることが結局なかったことに 不満を表していたことであった。 あと、通訳の人が長い返答にかなり悪戦苦闘していて、 通訳を終えるたびに拍手が起こっていたことも何か微笑ましかった。

「セクエンツァXIV」はチェロ独奏のための曲。 チェロという楽器の峻厳さをひしひしと感じさせるいい曲、 いい演奏であったと思うが、大きい楽譜が前にあり、 どのように演奏されているのかが良く見えなかったのが、少し残念。 最後の「夜想曲」が演奏されている時は、 4時10分に始まったプレ上演から数えて約5時間が経過しており、 集中力がほとんど残っていなかった。この曲に関しては 冷静な評価はできないが、 集中力のある時に聴けばたぶんかなり楽しめたんじゃないかと思う。

総じての感想を書いておくと、 演奏自体が極めて充実していただけでなく、 白石美雪氏の解説が随所に挟まれていたり、 柳瀬尚紀氏の講演があったりと、 企画という点でも非常に良く練られた意欲的なものであったと思う。 水戸芸術館の企画力には改めて感心させられた。 ただ、プレ上演から第2部の終了まで5時間以上というのは、 鑑賞する側としてはさすがにかなりの疲れを感じずにはいられなかった。

(2004年6月6日執筆)


森山威男クァルテット
(2004年2月21日、PIT INN 新宿)

演奏者
ドラム: 森山威男
サックス:音川英二
ピアノ:田中信正
ベース:望月英明

ジャズのライブを聴きに行くのは、記憶が正しければ 今回で4回目、 初めて聴いたライブは、 3年前、やはりこの PIT INN での 森山威男クァルテットであった。 前に聴いた時は、ジャズのライブがどのように行われるのかもわからず、 ある程度の緊張は隠せなかったが、 今回はド素人ながらも勝手がある程度わかってきたので、 ただ虚心に耳を傾けようと思いながらライブに臨んだ。 前に聴いた時は「この迫力はライブでないとわからないよな」という思いを抱いたが、 今回も同じことを思いながら、 音の洪水に快感を覚えながらただひたすら身を浸していた。 曲の中にはムーディーでメロディアスなものもいくつかかあり、 そういう曲はそういう曲で楽しめたが、 やはり強烈な迫力と疾走感で圧倒する演奏が彼らの本領でもあるように思えたし、 そういう曲の方がより堪能することができた。 森山威男のドラムと田中信正のピアノの圧倒的な迫力に強い印象を受けたが、 音川英二のサックスを聴いていて、 「自分もサックスが吹けたらいいのになあ」という羨望を抱いてしまった。

演奏だけではなく、森山威男のちょっととぼけたトークも楽しむことができた。 張り替えたドラムの古い皮を聴衆にプレゼントするというファンサービスは 前回聴いた時にはなく、印象的であった。

(2004年2月22日執筆)


2003年

クロノス・クァルテット
(2003年12月20日、ノバホール)

ギドン・クレーメル ヴァイオリンリサイタル
(2003年10月12日、横浜みなとみらいホール)

The Synergy Live 2003
(2003年6月22日、紀尾井ホール)

アルバン・ベルク四重奏団
(2003年5月31日、彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール)

ハンブルク北ドイツ放送交響楽団
(2003年5月20日、サントリーホール)

グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
(2003年4月24日、東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル)

グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
(2003年4月21日、サントリーホール)

ハーゲン弦楽四重奏団
(2003年3月2日、フィリアホール)

東京都交響楽団 第565回 定期演奏会
(2003年2月8日、サントリーホール)

第122回つくばコンサート 東京フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会
(2003年1月13日、ノバホール)


2002年

キーロフ歌劇場管弦楽団
(2002年11月28,29日、サントリーホール)

ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団
(2002年11月7日、サントリーホール)

ロンドン交響楽団
(2002年10月29日、東京オペラシティコンサートホール: タケミツメモリアル)

ロンドン交響楽団
(2002年10月23日、Bunkamura オーチャードホール)

ロンドン交響楽団
(2002年10月21日、東京文化会館)

ミルバ 「ブエノスアイレスのマリア」
(2002年5月18日、Bunkamura オーチャードホール)


2001年

ベルリン交響楽団
(2001年11月6日、ノバホール)

ブランフォード・マルサリス
(2001年10月27日、ブルーノート東京)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2001年10月20日、サントリーホール)

クロノス・クァルテット
(2001年6月30日、トッパンホール)

東京フィルハーモニー交響楽団 第648回定期演奏会
(2001年6月16日、サントリーホール)

森山威男クァルテット
(2001年2月24日、PIT INN 新宿)


2000年

フランクフルト放送交響楽団
(2000年11月4日、大宮ソニックシティ)

福田進一ギターリサイタル〜超名曲セレクション〜
(2000年7月30日、東京文化会舘小ホール)

アルディッティ弦楽四重奏団の20世紀マラソン
(2000年5月27日、東京オペラシティコンサートホール)

クロノス・クァルテット
(2000年4月19日、東京国際フォーラム ホールC)

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
(2000年2月18日、サントリーホール)

キーロフ歌劇場管弦楽団&合唱団 特別コンサート
(2000年1月27日、東京芸術劇場大ホール)


1999年

イーヴォ・ポゴレリッチ(Ivo Pogorelich) ピアノリサイタル
(1999年11月20日、ノバホール)

ヨーヨー・マ 愛と幻想のタンゴ
(1999年11月18日、ザ・シンフォニーホール)

ベルリンフィルヴィルトゥオーゾ
(1999年11月10日、ノバホール)

サマープロジェクト
(1999年7月20日、ザ・シンフォニーホール)

名古屋フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
(1999年6月17日、名古屋市民会舘)

エマーソン弦楽四重奏団
(1999年5月27日、愛知県芸術劇場コンサートホール)

大府市楽友協会管弦楽団 第10回定期演奏会
(1999年5月16日、大府市勤労文化会舘)

ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ
(1999年2月15日、ザ・シンフォニーホール)


1998年

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団日本公演
(1998年10月16日、ザ・シンフォニーホール)

小松亮太「ブエノスアイレスの夏」
(1998年9月19日,大阪厚生年金会舘中ホール)

バーミンガム市交響楽団
(1998年5月28日,ザ・シンフォニーホール)

京響第402回定期演奏会
(1998年3月6日,京都コンサートホール)


姉妹編


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