☆ 星くずの”たわごと” 12 ☆   更新日: 2020年12月20日

** 人間の体を作っている原子はずっと昔に爆発した古い星の内奥部で作られた。その意味で人間は星くずからできているといえる。 **
** 人間の体を作っている原子は原子核とその周りをまわる電子からできているが、その間はとても広く、何もない真空といえる。 ****

                                        
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☆ 2020年12月27日 : もう春が?そんなわけないですよね

 先週は、微熱のため自重していましたが、今週は体温も落ち着いてきたので(36.0℃〜36.5℃が続いた)、スイミングを開始しました。一応医者にも見てもらったのですが、37度未満なら何ら問題はないとお墨付きをもらいました。微熱の理由がわからないので釈然としませんが、おそらく体内で免疫システムが風邪?のウィルスと戦闘しているのでしょう。

 近所の全生園(ハンセン病療養施設)を散策したところ、紅梅とロウバイの花を見つけました。まだ年を越していないのに、勇み足ではないですか?それでもコロナッチ一過の春が待ち遠しいですね。年末・年始は山中湖で過ごそうかと思っています。
紅梅(東村山全生園) ロウバイ(東村山全生園)

 終活の一環として、中東関連の次の書籍3冊を読みました。「物語中東の歴史 牟田口義郎」、「オスマン帝国 鈴木薫」および「エジプト革命 鈴木恵美」です。学生の頃から、パレスチナ・イスラエルの問題の複雑さが気になっていましたが、私には中近東の地理、人種、言語、宗教、歴史などがさっぱり理解できず、したがって少し本を読んだだけでパレスチナ問題の原因をよく理解できないでいます。今回読み直しをやってみましたが、”ああそうか”といった程度の理解のレベルで、その複雑さをよく理解することはできませんでした。

 中近東は、エジプトとトルコを観光旅行したので(=> 「わんだふる トルコ遺産巡り」、 「わんだふる エジプト古代文明を歩く」 )、少しはイメージアップすることができます。どちらの旅行も、すばらしい文明を持った国であると感嘆しました。その中で鮮明に残っている印象がひとつあります。エジプトのモスクを訪問したときのこと、現地のガイドさんがモスクの大広間の真ん中に日本人観光者を車座に座らせて、パレスチナの問題の歴史的複雑さとイスラエル”建国”前のパレスチナの地における平和的な生活(ユダヤ人も含む)に言及してくれました。ガイドさんが何を思ってそのようなことを語ってくれたのかはわかりませんが、日本人観光客に少しでもパレスチナ問題を考えてほしいというメッセージであったのかなと思います。

 それにしても、ヨーロッパキリスト教集団はあくどいですね。まあローマ帝国による支配は別にしても、キリスト教十字軍の侵略・征服から始まって、第2次世界大戦後のイギリス・フランス・アメリカによるエジプト支配、イスラエル”建国”、イラン・イラク侵略などなどの植民地主義的侵略は本当に許しがたいものです。もちろん、現在も続いていますが・・・

 読者の皆様、この一年「わんだふる山中湖」をご購読いただきありがとうございました。内容は、私の偏見にあふれた繰りごと、たわごとでしたが、来年もまだ少し生きながらえることができるようですので、継続していきたいと思っています。それでは、コロナッチと共に来年も良い年でありますように祈念します。


☆ 2020年12月20日 : 今週は山中湖1泊でリターン

 先週は、微熱が続いたため山中湖は日帰りとしましたが、今週末は体温が36.2℃と少し安定してきたので、通常通り2泊3日の予定で山中湖に向かいました。天気は快晴で比較的暖かく(日が当たると7℃くらい)、気分も良いので庭のシカ防護ネットなどの取り外し、後片付けをやりました。ところが夜に体温を測ったところ、36.7℃まで上がってしまいました。さらに翌日は、昼に37.0℃となり、今回も昼過ぎに東京へ戻ることにしました。

 コロナッチ感染ではないと思うのですが、微熱が続く(微熱以外は症状が出ません)のでストレスが溜まってしまいます。ちなみに、今日いなあ!!
水彩画318:小金井東京建物館 水彩画319:立川根川緑道の桜

 私は、朝日新聞も含めて日本のメディア報道の偏りに憤りを感じています。日本と直接関係ない中国、香港、北朝鮮等の非資本主義国の”人権問題”に対しては、資本主義国の親分アメリカと一緒になって厳しく批判をしますが、日本の戦前、戦後の人民に対する弾圧などは、政府自民党に忖度して、なるべく取り上げないようにしています。また、ナチスのユダヤ人大虐殺はよく取り上げますが、日本の中国、朝鮮半島における虐殺行為は取り上げようとはしません。

 12月20日付け”しんぶん赤旗”に、ニューヨーク・タイムズ元東京支局長マーティン・ファクラーさんのインタビュー記事「驚き 官邸の報道支配 ”政権批判しない”求められた”誓約”」が掲載されていました。一部を紹介します(ファクラーさんは、最近著書”吠えない犬 安倍政権7年8カ月とメディア・コントロール”を出版しました)。

 「−米国出身のファクラーさんは、日本での大学院留学などを経て2009年から、ニューヨーク・タイムズ東京支局長を務めました。就任早々驚くべきことに直面したそうですね。 => 首相官邸(麻生太郎政権)に支局長就任のあいさつに行ったとき、官邸の国際報道官(外務省からの出向)から、”前任者の(”慰安婦”などの)記事が政権に批判的に過ぎる”、”官邸からの取材協力が欲しければ、前任者の記事を批判し、”自分は違う報道をする旨を文書で提出するように” と言われました。 驚きました。以前中国で取材中、天安門広場前で警官につかまり、”自己批判”を迫られたことを思い出しました。それで”日本の官邸は中国と同じことを私に頼んでいるのですか”と聞いたら、報道官は”違います、違います”と慌てました。そんな”誓約書”を私は提出しませんでした。すると、私が支局長の間、首相にインタビューする機会は一度もありませんでした。」

 「−それはひどい話です。支局長としては大変だったのではありませんか。 => 他の海外メディアの支局は、何度も当時の安倍(晋三)首相の単独インタビューをしていました。私は本社から”安倍首相の単独インタビューをとってこい”と言われたことは一度もありません。在ニューヨーク日本領事館が本社に、”東京のファクラー記者が日本政府に批判的な記事を書いた”と抗議したことがあります。私は本社から非難されるどころか、”プレッシャーに負けずによくやった”と言われました。」 ・・中略・・

 「政権側の問題と同時に、メディア側の問題もきびしく指摘していますね。 => 日本はアクセスジャーナリズム(取材対象に気に入られて内部情報をもらうこと)に偏っています。たしかに、政府や権力内部から情報を得て、それを分析して伝えていくことも必要です。しかし、バランスが大事です。もっと政府のウソを暴くような調査報道に力を入れるべきでしょう。しかし、日本のメディアは、政府や権力が伝えたい情報、ストーリーをうのみにしていることが多い。アクセス権を奪われる、締め出されることに恐怖を感じています。 ジャーナリズムというのは本来、権力者にほえる”Watch Dog”(番犬)のはずです。しかし日本では権力者を守る”ポチ”になってしまっている。ここが一番不思議ですね。」

 「−日本でもかなり昔の話ですが、佐藤栄作元首相が退陣会見で”新聞は嫌い、話したくない”と言って、新聞記者全員がボイコットしたことがありました。 => 日本のメディアは太平洋戦争で戦争に協力する(注:朝鮮、中国侵略戦争もありますよ)という大失敗をしたので、それを覚えている世代が元気なうちはまともだったと思います。その歴史を知らない世代が中心になると、”楽な”方向に行く。福島第1原発事故という”安全神話”の崩壊という大失敗から学ぶべきでしたが、そうなっていません。 アメリカのメディアには、ベトナム戦争、イラク戦争での失敗がまだ生々しく記憶されています。”イラクは大量破壊兵器を持っている”などの政府のウソを見抜けず、協力したことへの反省も強いです(注:ウソとかという問題ではなく、アメリカ帝国主義による海外侵略の問題です)。 インターネットのSNS上では、真実とフェイク(ウソ)が隣り合わせです。日本やアメリカでは政府が平気でフェイクを流している。だからこそ、“番犬”の役割を果たす健全なメディアが必要です。デマゴーグが横行する社会になってはいけない。そうしたことへ抵抗する役割を”しんぶん赤旗”にはお願いしたいです。」

 アメリカの新聞記者にこんなことを言われるメディアは情けないですね。”ポチ”朝日新聞は戦前の軍部協力を反省するとは表明していますが、私の目から見ると、戦前とポーズが違っているだけで、本質的に同じではないかと思っています。NHKはまあどうしようもないですが、メディアはもう少し考え直してほしいと思います。無理な話だろうな!


☆ 2020年12月13日 : 老人の脳の活性化活動(2)

 先週に続いて、家内の油彩画と私の水彩画を掲載します。皆様にとっては鑑賞?するのは苦痛かもしれませんが、私どもの脳の活性化と老化防止にご理解いただくとともに、秋の芸術??を鑑賞してください。


油彩画11:ビンとティッシュ箱 油彩画12:ティッシュ箱 水彩画317:イチゴと花

 今週末の金曜日11日、2週間ぶりに山中湖へ向かいました。ところが、道志の道の途中で熱っぽく感じたので、体温を測定したところ36.8℃でした(朝は36℃です)。とうとう私にもコロナッチが襲ってきたのかと考えました。富士吉田で買い物をし、キャビンに少し立ち寄っただけで、東京へ慌てて引き返しました。実は、昨日も昼間に体温が36.8℃まで上がり、念のため”水彩画の会”を欠席したところです。朝には体温は36℃に下がりますし、体温以外はせきも出ないし、のどの痛みもなく、変わった症状はありません。昨日、今日とも在宅で、読書とお絵描きをやっているところです。日中に体温が上がるのでちょっと心配です。時々、遺産相続(といっても大したお金はありませんが)がふっと思い浮かんだりしてしまいますね。社会に役立つことはしていないので、コロナッチに寄り添ってもらうのは構わないのですが、呼吸で苦しむのだけは勘弁してほしいと思うこの頃です。皆様も体にお気を付けください。


☆ 2020年12月07日 : 老人の脳の活性化活動

 水彩画を習い始めて5、6年経ちましたが、なかなか上達しません。それでも絵を描くことが好きなのか、夫婦で一緒に絵を描いています(家内は最近水彩画から油彩画に転身)。上達はしなくても、脳の活性化と老化防止には役立っているような気がします。指導者からは厳しい指導を受けているわけではなく、かなり自由に画いています。お絵描きしていると結構夢中になって、没頭してしまいます。下手でもよいから、まだしばらく絵を描き続けようと思っています。

 東京の家の窓ふきをしました。半日では終わりませんでした。週末は、暖かければ山中湖の窓ふきもやろうかなと思っています。もうすぐコロナッチの年も暮れますね。

油彩画09:雪の村 油彩画10:ヨーロッパの街 水彩画316:花カーラ


☆ 2020年11月29日 : 山中湖はすっかり冬の様子

 山中湖はすっかり冬の様子ですが、今週末は比較的暖かく、日中は薪ストーブが無くても大丈夫なくらいでした。庭仕事もすることがなく、読書とお絵描きで過ごしました。

 今回の終活の本は、前回に続いてヴェトナム関連の本で、”ヴェトナム「豊かさ」への夜明け”(坪井善明、岩波新書、1994年)です。本のカバー裏には次のようなことが記されています。

 「ドイモイ(刷新)政策の採用で、急速に変容しているヴェトナム。現地で暮らした体験や人びととの交流をふまえて、”変わりにくい部分”としての中国やカンボジア等との関係、共産党・国家・社会の特徴、戦争の傷跡を、そして”変わりつつある部分”としての対外開放、経済発展を多面的に描く。ヴェトナム理解のための待望の書。」
落葉樹の葉が落ちてしまった庭 夕焼けのカラマツ

  確かに、当時のヴェトナムの状況が満遍なくよく書かれていると思いますが、私には資本主義社会にどっぷりつかった著者の目から社会主義国家ヴェトナムを見ての紀行想文のように思えてなりませんでした。当時は、ソ連、東欧諸国や中国、それにヴェトナムをはじめとする第三世界の社会主義諸国が、経済的に発展している西側資本主義諸国に包囲され(すなわち”冷戦”の時代)、政治的かつ経済的圧力を受け、大変な困難に直面していた時期です。そのような状況にあるにもかかわらず、著者は、客観的な態度を装いつつ、ヴェトナムは、資本主義社会と比べ、”自由”がないとか、”官僚主義”がはびこっているとかいって、社会主義体制を批判していますが、私には一方的な主張のように思えてしまいます(もちろん、一部には真実が含まれていますが)。したがって、前回取り上げた小田実の著書”「ベトナム以後」を歩く”と比べると、何となくインパクトが伝わってきませんでした。要するにあまり面白くない本でした。

 私は、9年前の2011年にヴェトナムのハノイと北部の山岳民族の村を訪れたことがありますが最近はもっと変わっているのでしょうね。今でも、山岳民族のおばさんたち、お土産を打っていた二人の少女、あるいは米軍の枯葉作戦等の被害を受けた子供たちのための授産?施設を思い出します(ヴェトナム訪問の記録です==> 「わんだふるヴェトナム山岳地帯」)。懐かしい思い出がいっぱいです。


☆ 2020年11月22日 : 芸術の秋、日展

 11月に入って素晴らしい秋晴れが続いていますね。左の絵画は、一昨年の秋のスケッチです。この時も紅葉がとてもきれいでした。東京もそろそろ紅葉真っ盛りとなったようです。でも、コロナッチの第三波が襲ってきたので、東京での紅葉見学は控えているところです。

 週末は、芸術の秋ということで、乃木坂にある国立新美術館で開催されていた「第7回日本美術展覧会(日展)」に行ってきました。日展を観にいったのは初めてでした。日本中の優秀な芸術家の多くの作品が展示されており、圧巻でした。さっと観るだけでおよそ2時間もかかり、観るだけで疲れ切ってしまいました。絵画の能力の低い私にとって、日展の油絵は直接役立つことはありませんが、優れた絵画には圧倒されました。ちなみに、会場は広くかつ鑑賞者も少なかったので、コロナ感染のリスクはなかったと思います(土曜日の電車も座席に座れるほどで、空いていました)。



水彩画314:昭和記念公園 水彩画315:建物博物館


☆ 2020年11月15日 : ”ベトナム”は遠い昔の話になりました

 絵画でも鑑賞しようと思って、初めて富士急の”ふじやまミュージアム”に行ったのですが、あいにく今週は休館とのこと。やむを得ず、これも初めてですが、富士急の”ガスパールとリサ”というパークを散策しました。若者や修学旅行生が結構多く歩いていましたが、何でこんなところの見学が”修学”なのかよく分かりませんね。先週、清里の清泉寮で修学旅行生と会いましたが、こちらの方がまだ良いですね。

 今週末は好天が続いたので、紅葉鑑賞のために御殿場の富士霊園へ行ってみました。人出は春先に比べて少なかったですが、紅葉をゆったりと鑑賞できました。山中湖の紅葉は今週で終わりといった状態です。朝はマイナスの温度に下がり、霜が降りるようになったので、水道の水抜きを始めました。
水彩画312:昭和記念公園 水彩画313:ブドウとワイングラス

  今回の終活で読んだは本は、”「ベトナム以後」を歩く”(小田実、岩波新書、1984年)です。著者が、ベトナム戦争が終わって約10年、ベトナムとカンボジアを旅して体験したこと、考えたことを綴り、”非同盟”の原理に基づく第三世界との連帯を訴えています。私と同世代の人は、どう思ったかは別として、”ベトナム戦争”や”南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)”のことを知っているはずです。私自身は、大学に入学して、アメリカ帝国主義によるベトナム侵略戦争に憤りを感じ、それがその後の私の社会に対する考えの原点になったと思っています。著者の思想をここで記す余裕も能力もありませんので、著者の”あとがき”のみを記したいと思います。 (ヴェトナム訪問の記録です==> 「わんだふるヴェトナム山岳地帯」

 「私は”ベトナム”にこだわり続けている。カッコつきで”ベトナム”と書くのは、ベトナムの人々のたたかい、戦争、反戦運動、私自身にかかわっていえば、私自身のそこへの参加・・・そのほかもろもろをふくめて言うからだが、私が”ベトナム”にこだわるのには、私がかつてベトナム反戦運動に参加して、自分なりに努力したことがかかわってはいる。しかし、それのみではない。それのみでないことを、私はこの本に書いた。そのそれのみでないことことには、”ベトナム以後”の現在のことが大いにかかわりあっている。”ベトナム”だけの”以後”ではない。”第三世界”にかかわって、日本をふくめて世界全体にかかわっての”以後”だ。いや、そうした”以後”がむしろこの本の主題だ。”以後”の現在から過去を見、また、未来をとらえようとした。大きく言えば、そこから世界を考えようとした。」

 「そして、私は歩いて、いや、歩きながらものを考えるたちだ。”ベトナム以後”という主題は、そういう思考のやり方にぴったりする。少し傲慢なことを言えば、そういうやり方でないと問題はつかまえられないのではないかと思う。.”ベトナム”が私になかったら、と思うときがある。正直に言って、私はもう少し気楽に生きていられたであろう。”ベトナム”のおかげで、いろんなことが見えてしまった。”ベトナム以後”までも視界に入れて、いや、それがぶつかって来て、そのなかで私なりに懸命にものを考えるようになってしまった。それは往々にして辛いことだ。しかし、あくまでその辛さにむきあって考えたい。」

 私は、レベルが違いますが、著者と同様な思いをもって生きてきたつもりです(当然私には社会的影響を及ぼすような力量は全くありませんが)。著者の第三世界や非同盟、非武装の考えは、現代では見向きもされなくなったような感がしますが、多くの社会主義国家が崩壊してしまった現在でも、”非武装”の理念を捨ててはいけないと考えています。だから、日本の憲法第9条を堅守することが大切です。それにしても、ベトナム戦争(枯葉剤作戦、ソンミ村虐殺事件等々)、日韓条約、60年及び70年安保条約、カンボジアにおけるポル・ポト大虐殺など、もう誰も見ようともしなくなりました。”マルクス経済学”は見捨てられ、”資本主義”(=”拝金主義”)があたり前の世の中になり、私は”たわごと”を言うくらいがやっとです。


☆ 2020年11月09日 : 山梨の紅葉を堪能してきました

大きな傘雲に覆われた富士山 紅葉のみずがき湖 青空をバックにした瑞牆山 東沢大橋と八ヶ岳(赤岳)

 先週末から、山梨県内をドライブして、紅葉を楽しみました。5日(木)は快晴に恵まれ、増富温泉・瑞牆山周辺、南清里(甲斐大泉)などをドライブしました。瑞牆山の岸壁と紅葉のコントラストがとてもきれいでした。翌6日(金)はやや曇り空でしたが、清里(サンメドウ清里、清泉寮)を散策し、八ヶ岳の広々とした高原のさわやかな空気をたっぷりとすうことができました。秋はちょっと寂しいのですが、紅葉の美しさは格別ですね。

 7日(土)は、山中湖は一日中雨に降られてしまいました。翌8日(日)は東京へ戻ったのですが、御坂みちを通って、牧丘、広瀬ダム(西沢渓谷入口)、、雁坂トンネル、大滝、秩父と、紅葉とドライブを楽しみました。この日は日曜日だったので、車やバイクが結構出ていましたが、秩父や反応の市街地を覗いては大渋滞はありませんでした。

 10月25日の”たわごと”で、堀田善衛の著書「スペイン断章」を取り上げ、スペインによる中南米インディオの大虐殺とインカ帝国征服の話を記しました。今回読んだ終活の本は、そのスペインによって崩壊させれたアンデス・インカ文明の歴史が書かれた「インカ帝国」(泉靖一著、1959年)です。ご存知かと思いますが、インカ帝国とは、南アメリカの太平洋岸(主にペルー、ボリビア、チリ北部)に沿ってインディオが築いた壮大な一大帝国です。巨大な神殿、雄渾な土器、石の彫刻ならびに黄金細工を伴ったこの文明は、旧大陸のメソポタミア、ナイル、黄河の古代文明に匹敵するとも言われています(ただし、インカ帝国では文字がありませんでした)。この本は、インカの発掘調査を経験した著者がアンデス文明の夜明けからインカ帝国の滅亡までを記述したものです。

 今回は、”血ぬられた山脈”という章の冒頭に述べられているスペインの残虐、征服行為のプロローグについて、以下に記します。

 「バスコ・ダ・ガマの喜望峰発見と、コロンブスのバハマ諸島到達によって、幕を切り落とされた大発見時代の立役者は、何といってもスペインとポルトガルであった。彼らの地理学的発見の動機をなしたものは、金銀、香料および染料などの略奪と交易である。探検船は征服軍であり、海賊であり、キリスト教の布教者であった。十字架の旗を風になびかせて、回教徒によって占領されていた、失地(注:スペイン本国のこと)を回復した直後の、イベリヤ諸国は、新興の意気に燃えていた。痩せた国土と封建社会における身分制に愛想つかした一旗組は、新しく発見された世界になだれこみ、そこを足場として幸運をつかもうとした。」

 「マルコ・ポーロの東方紀行以来、金銀に満ちた”黄金郷(エル・ドラード)”の夢は、つねに彼らの眼前に行ききしていた。このような一旗組の共通な性格は、文字もかけないような無学者で、残虐性にとみ、しかも狂信的なカトリック教徒で、しばしば雄弁であった。カリブ海沿岸には、1500年のはじめから、スペインの根拠地が点々とできていったが、それは一旗組の基地となった。一旗組のなかからあらわれた指揮官は、スペインの正規軍ではない、私兵を率いて、インディオと闘い、財宝を略奪した。彼らを征服者(コンキスタドーレス)とよんだ。征服者とスペイン王室および総督とのあいだの関係は、微妙なものがあり、手のこんだかけひきがおこなわれた。しかし最後には、征服者はその成果を、スペイン王室からうばわれ、処刑されたり、追放されるのがつねであった。」

 「フランシスコ・ピサロのインカ帝国征服は、このような背景のもとにおこなわれた。彼はまさに謀略をもって、インカ帝国を征服した。そしてヨーロッパ人の行った最大の罪悪を代表する彼の行為は、死後スペインの王室によって引き継がれ、数千年にわたって南アメリカに築きあげられた文明を、数十年のあいだに打ち壊してしまった。しかし文明は破壊されたが、文化は死ななかった・・・。」

 この後、スペイン征服の”立役者”あるいは”一旗組”の三人、フランシスコ・ピサロ、ディエゴ・アルマグロおよびフェルナンド・デ・ルッケ、による、悪逆、狂暴、狡猾なインカ帝国征服の詳細な話が綴られています。紹介できないのが残念ですが、こんなことが堂々と行われたことに非常な憤りを感じるとともに、ヒト種属の残忍さに改めて愕然としてしまいます。


☆ 2020年11月02日 : 山中湖の紅葉が見頃になってきました

夕日の渚と冠雪した富士山 ログキャビンと紅葉 立派な雄ジカ(家の前で) 氷点下まで下がりました

 山中湖の紅葉も進み、今週末から”夕日の渚紅葉まつり”が始まりました。旭日丘の駐車場もほぼ満杯で、多くの人が紅葉の湖畔を散策していました。ただし、三密状態ではないですね。朝方、家の前で立派な雄シカを見つけました。ウシのように大きな体をしていました。一頭だけなので”あぶれオス”なのでしょうか?朝方の気温が0度まで下がるようになったので、薪ストーブを使い始めました。私の人生と同じように、薪が少なくなってきたので、大事に使うようにしています。

 31日(土)、”クールベと海”展示を鑑賞するために、甲府の山梨県立美術館へ行こうと出かけました。ところが、御坂みちに通じる新倉河口湖トンネルの手前で大渋滞に巻き込まれ、車がほとんどストップ状態となってしまいました。結局甲府へ行くのをあきらめ、戻る羽目になりました。こんな経験は初めてです。連休に出かけるのは本当に要注意ですね。2日(月)に再度県立美術館に向かいましたが、今度はスムーズに行くことができました。すばらしい絵画を堪能してきました。以前にも鑑賞したミレーの”落ち穂拾い 夏”も観ることができましたが、とても小さな絵画で、少しがっかりしました。

 今週の終活で読んだ本は、「民族という名の宗教」(なだ いなだ著、1992)です。対話形式によって、世界を激しく引き裂き対立させる民族主義を”国家の宗教”として捉え、その克服の道として、”創造的・批判的精神としての社会主義の復権”の道を探ろうとしているようです。著者の名前は知らない人が多いのではないかと思いますが、私は学生時代に思想家としてのなだいなだの名前を知りました。でも当時の私には(現在もですが)、彼の思想はさっぱりわからなかったように思います。以下に、柳田国男の民俗学に関する話に興味を覚えたので、一部を紹介してみます。

 「民族学は旅行者の目を持つ学問だった。旅行者が、違った顔型の人間、違った習慣を持った人間に興味を抱き、それを記述し調査する形で学問に育った。民俗学は自民族の地方の文化や習慣や言語や伝承を蒐集し調査をする形で育った。なぜそのような研究をするのかという問いに、彼はこう答えているんだ。”近代化する社会が捨てていくものを、今のうちに急いで拾い集めていかねばならぬ。さもないと完全に失われてしまうから”だとさ。彼は近代化とは、民族の神話を創造するための、民俗的なものの容赦ない切り捨てだ、と見抜いていたのだね。方言を捨てさせ、民族のしゃべる言葉、国語、つまり標準語を押し付ける。国語なんてフィクションだよ。どこにもなかった言葉だ。これが近代化だ。民俗的な伝統行事は古い迷信に基づいたものとして、これを排斥する。」

 「そして、新しい統一した儀式を国民に押し付ける。ここで天皇制が宗教儀礼をまとって登場する。宮城遥拝だとか、御真影に拝礼だとか、教育勅語の奉読だとかだ。これが日本の近代化だ。日本の近代化は日本民族というフィクションをそのように造っていったのだね。そのときにうまく利用されたのが天皇家だった。宮城遥拝はナチのハイル・ヒットラーにも匹敵する発明だったね。ナチもファシストも例の特有なあいさつの形式を作った。」

 「あんなものは彼らの登場する前、民俗的にはどこでも行われていなかったものだ。こうして国民国家が民俗の切り捨てを急いでいたことを、柳田国男は見抜いていたのだね。だかr、民族など遠からず消え去るという認識をしていた。しかし政治的で人間でない彼は、近代化に反対しようとはしない。沖縄の方言の抑圧には抗議をしたけれど、近代化は世界の流れであると諦めていた。いたずらに反対ばかりできない。だからせめて今のうちに、民俗学を興して、捨てられたものをせっせと拾い集めようと行動したというわけ。」

 思想にはいろんな見方があるものですね。しかし、現在のところ、彼の”社会主義の復権”は遠い昔のお話になってしまいました。残念です!!


☆ 2020年10月25日 : 山中湖に初霜がおりました

 今週末の山中湖、23日(金)は一日中雨でしたが、24日(土)は曇り空で何とか雨は降らず、午後になってようやく晴れ間が出てきました。25日(日)は、朝から青空で、放射冷却のためか朝の温度は0度まで下がり、窓は結露でびっしょりと濡れていました。庭の整地した畑には今年初めての霜が降りました。シカさん数頭が山はエサ不足なのか、早朝に庭に遊びに来ていました。喜んでよいのやら、困ってしまいますね。庭の畑は、一部を残してネットを外し、土起こしをやりました(左写真)。

 山中湖も秋の気配が濃厚になってきました。山中湖では来週末から”夕日の渚紅葉まつり”が始まるようですが、見ごろを迎えるかもしれませんね。25日(日)の道志の道の下り道(山中湖方面)は、多くの車、バイク、自転車で結構混んでおり、道の駅はパーキング入場の待ち行列ができていました。他方、湖畔の周りはそんなに混んでいません(湖畔の駐車場は余裕があるようです)。


秋の気配が濃厚になってきた

 今週の終活の本は「スペイン断章」(堀田善衛、岩波新書)です。スペインは2016年に一度訪れており(==> わんだふるスペイン 物見遊山)、その関係で興味をもって読んでみました。本の内容は、著者がスペインに滞在したときの随筆のようなもので、あまり面白くありませんでしたが、本のなかに書かれていたスペイン人による中南米のインディオの大虐殺の生々しい内容に大変興味を覚えました。別にスペイン人だけでなく、欧米の植民地主義の下における白人どもの傍若無人の振る舞いにはいつも嫌悪感を感じてしまいます(日本人も中国、朝鮮で悪逆行為を働いたことを忘れてはなりませんが)。全てを掲載するのは難しいですが、その一部を以下に掲げてみます。

 「彼らが何をどんな風にやったかは、1542年末にドミニコ会士バルトロメー・デ・ラス・カサス師によって書かれた”インディアスの破壊についての簡潔な報告”(染田秀藤訳、岩波文庫)に簡潔かつ詳細に報じられているのであまり長々しい引用はしないつもりであるが、でも、我が国ではあまり読まれることのない、人間性の徹底的な下劣さ、と獣性と、しかもその貪欲と暴虐に対して抗議をし戦いを挑むことにおいての高貴性との、その両極をこれほどに生々しく描き切った古典は他に見られないから、ここにいくばくかの頁を引用しておきたい。」

 「その計画を実行するために、まずスペイン人たちは、チョルーラでもっとも権力のある領主(セニョール)をはじめとして、その町や町に従属しているすべての村に住む領主や貴族全員に出頭を命じた。彼らはスペイン人たちの司令官(カピタン)(エルナン・コルステ)のところへやって来て、話し合いを始めた。すると、スペイン人たちは即座に誰にも悟られず、また、知られることなく彼らを捕らえ、荷担ぎ人足として5000人か6000人のインディオを要求した。やがて、命令どおり、インディオたちがやって来ると、スペイン人たちは全員を邸の中庭に閉じ込めた。インディオたちがスペイン人たちの重い荷物を運ぶ準備をしている光景を目にすれば、人は誰でもインディオたちに深く同情し、燐憫の情を抱くであろう。なぜなら、インディオたちは革で恥部を覆い隠しているだけで、ほとんど裸同然であり、しかも、わずかな食料を入れた小さな網袋を肩にかけてやって来て、非常におとなしい子羊のようにじっと屈んでいるからである。その場に居合わせたインディオたちは全員集められ、中庭に閉じ込められた。監視役のスペイン人たちが武装して庭の戸口に立ち、一方、残りのスペイン人たちはみな各自手に剣を構えて子羊たちに襲いかかり、剣や槍で彼らを突き殺した。この虐殺から逃げのびた者はひとりもいなかった。」

 「それから2、3日たつと、山のような死骸の下に隠れてかろうじて生き延びた多くのインディオたちが満身に血を浴びて、そこから這い出てきた。彼らはスペイン人たちのもとへ行き、殺さないでほしいと涙ながらに慈悲を乞うた。しかし、スペイン人たちは、彼らに対し一片の慈悲心も同情の念も持ち合わせていなかったので、インディオたちがやって来るとすぐ、彼らをずたずたに切り刻み、さらに、100人以上の領主を縛り上げた。司令官は部下たちに彼らを火あぶりにし、そののち、生きたまま火中から引き出し、地中に打ち付けた棒に吊るすよう命令した。・・・・」

 この後もまだまだスペイン人のインディオに対する残虐な略奪や虐殺が記されていますが、長くなりすぎるので止めておきます。このようなことは、ドイツ人(ユダヤ人虐殺)、イギリス人(インドにおける住民虐殺)、アメリカ人(ヴェトナムにおけるソンミ村虐殺)、あるいは日本人(中国東北地方における虐殺)などなど、いくらでもあるわけです。人間の魔性はすごいものですね。人間は、これからもこんなことをいつまでも繰り返していくのでしょうか?読後は人間のおぞましさに暗澹たる気持ちになるばかりでした。


☆ 2020年10月19日 : 超生物的生物クマムシ

 今週末も雨ということで山中湖行きはやめようかと思ったのですが、先週も行ってないので、1泊の予定で山中湖へ行ってきました。ところが、16日(金)は雨または曇りを予想していたのですが、午後からはきれいに晴れ渡りました。このチャンスを逃してはと、2、3時間でしたが、畑の草取りと土起こしをやりました。ほっとしました。翌17日(土)は朝から雨となったので、早々と東京へ戻りました。

 今週の終活の読書は、「入門!進化生物学」 小原嘉明 です。以前に読んだ「大学生物学の教科書第4
巻」で進化生物学を学んだので、内容はおおむね理解できました(身に付いたかは別ですが)。この本の中で”クマムシ”という生物の話が出ていて、大変驚きました。皆さんにも紹介したいと思います。

 「クマムシは緩歩(かんぽ)動物というグループに属する体長0.1〜1.0ミリメートルの微小動物で、全世界に1000種以上生息している。形はカブトムシの幼虫に似ているが、長い爪のある4対の脚を有し、それでもそもそ歩く。その姿がどこかクマに似ていることからこの名がつけられたのだろう。コケや藻などを食べる植食生のものから、ワムシやセンチュウを餌とする肉食性、さらには雑食性のものもいる。」 
黄葉してきたノリウツギ

 「クマムシは極度の乾燥下におかれると、脚を縮め、酒樽の形に変形して仮死状態に陥る。このとき、体の水分は0〜3パーセントにまで減少する。驚くべきことは、この状態のクマムシはけた外れに過酷な環境にも耐え、生き延びる強靭な生命力を持っていることである。マイナス272度という超低温におかれても、あるいはプラス100度の高温下でも耐えしのぶ。人の致死量のおよそ1000倍の線量のX線照射やアルコールなどの有機溶媒にも、また水深1万メートルの75倍に相当する圧力など超過酷な環境にも耐えられる。そして降雨などで水に触れると数分ほどで元のクマムシの形に復元し、活動を開始する。」 本当なの??すごいですね!!

 「最近の新聞報道によると30年以上前に南極で採取し、その後マイナス20度で保存されていた南極のコケを解凍したところ、そこに体長0.3ミリメートルほどのクマムシが2匹含まれていたという。2匹は30年に及ぶ冷凍にもかかわらず、コケを解凍すると動き出した。2匹のうち1匹は解凍20日後に死んだが、残りの1匹は解凍23日後から断続的に19個の卵を産み、そのうち14匹は孵化したという。クマムシは雌だけで繁殖する動物なのでこのような離れ業もできるのだろう。調査の結果、このクマムシは南極固有の種であることが判明した。どうしてこのような超生物的な動物が進化したのか、はなはだ不思議である。」 本当なの??驚きですね!!

 「最近ドウジャルダンクマムシという小さなクマムシで、遺伝子の水平伝搬について驚くべき事実が明らかにされた。このクマムシのゲノムを解析したところ、実に遺伝子の6分の1が他のいろいろな生物からの水平伝搬によってもたらされたことが判明したのだ。この高い水平伝搬遺伝子の割合は従来知られていたものの2倍もある。また水平伝搬遺伝子の源泉となった生物が多様であることも注目に値する。すなわちゲノムの16パーセントは細菌、0.1パーセントは菌類、0.5パーセントは植物、0.1パーセントは古細菌、さらに0.1パーセントはウイルスからそれぞれ水平伝搬によってもたらされたことが明らかになったのだ。ドウジャルダンタマムシが、いかにしてこのような多様な生物から水平伝搬によって遺伝子を得たかは不明であるが、遺伝子の供給元の生物に高温などに耐える古細菌などが含まれているのは興味深い。クマムシのの過酷環境に対する強靭な耐性も、これらの生物の特性を受け継いだのかもしれない。」

 いかがですか?クマムシ君の驚くべき生態。驚くべき超生物的生き物ですね。人類をはじめとする高等生物?が絶滅しても、地球上にはクマムシ君のような生物が生き延びて繁栄するのでしょうね。これで安心、安心。


☆ 2020年10月11日 : ローマ文明の内実もなかなかのものですね

 台風14号が関東に上陸しなかったのでほっとしましたが、ずーっとうっとうしい日々が続いており、憂鬱です。

 今週の終活の読書は、「ローマはなぜ滅んだか」弓削達(ユゲトオル)、1989年 です。西洋文明を理解するには、やはり最低限ギリシア・ローマの歴史とキリスト教の2本柱を勉強しなければなりません。ローマ史については、塩野七生の大作「ローマ人の物語」(文庫本47巻)を読み、イメージはつかんだつもりでいます。気rスト教関連の本も少しは読みました。

 本書は、もちろん偉大な”ローマ帝国(奴隷国家)”の経済的基礎や人々の生活などを述べているのですが、上流階級であるローマ市民とりわけ上層部の元老院議員の社会的、私的生活の乱れについても詳しく記述しています。これだけがローマ帝国の崩壊の原因ではありませんが、上流支配層の堕落はやはり大きな原因の一つだったのでしょうね。本書の第6章「悪徳・不整・浪費・自宅・美食」の本の一部(当時のローマの風刺詩人による告発内容)を紹介します。

水彩画310:立川根川緑道 水彩画311:山本有三記念館

 「じっさい、いったい誰が首都の不正に耐えられるのか。法廷弁論を高額で引き受けてしこたま儲けた男が、”新品の臥輿(ふごし)を一人占めにして現れると、その後から、有名な知人を密告し、あらかた貴族の生き残りまで食い物にしようと虎視眈々たるあの男が続き、この密告者に誰も彼もおびえ切り、妻をさえひそかに差し向ける男が出てくるこの御時世。 夜の営みで遺産を手に入れた者たちが君を押しのける御時世。

 「かかる輩を成功へ押し上げる最も確実な道が、美しき老婦人の陰門であるという御時世。 つまり、ある男は遺産の12分の1を、他の男は12分の11を、という風に、皆が股の付け根に応じて遺産の分け前にあずかるこの御時世。、いったい誰がこれを我慢できようか。」

 「あちらでは娘に淫売させて金を儲ける輩が、こちらでは断罪の判決を無効たらしめる男が、子分の行列でもって、ひとびとを押しのけるとき、乾き切った私の肝臓は、どれ程の怒りで燃えさかることか、言葉では言い現わせない。」

 「庭園も邸宅も食卓も、銀製の骨董も、酒杯の外側に浮彫した山羊も、みんな悪事の贈物だ。嫁が金欲しさに誘惑され、許婚者(女)がすでに犯され、情夫がまだほんの子供であるというとき、誰が枕を高くして眠れるだろう。・・・憤怒が詩を書かせるのだ。」

 「人間の行っていることは一切合切、願望、恐怖、立腹、情欲、歓喜、陰謀、それらのごったまぜが、私の詩の内容だ。人間の営みは今や悪の絶頂に達した。悪徳がこんな豊かに、実った時があったか。食欲がこれ程大きくその懐を開いたことが、博打が、これほど人間の心を掴んだ時があったか。すべての悪徳がその極みに達している。悪徳が栄え、不正によって築いた富がすべてのものの上に君臨する。お世辞とお追従のうまい人間が金持にとり入ってうまい汁を吸い、大きな顔をして、お追従を言うことをいさぎよしとしない貧乏人を見下す。もし、すり切れてうす汚れた外套やトガを着ていたり、革が口を開けている靴をはいていたりすると、この貧乏人はすべての人に対して、なんという物笑いの種ときっかけを提供することになるであろうか。・・・」

 ローマ文明の内実も、現代文明に優るとも劣らないほどすごかったのですね。現代の資本主義の世の中も少し似ているところがあります。また、安倍・菅・麻生やアメリカのトランプなどを見ていると、政治家の堕落に憤りを感じてしまいます。


☆ 2020年10月06日 : スマホを持たない者は人にあらず?

油彩画08:サンタ&ボックス 中秋の名月? ヤマガラが多く遊びに来ます 絶滅危惧種?ヤマトリカブト

 10月1日、山中湖では雲の合間から満月を観ることができました。月見団子とお茶で名月を愛でました。今秋は、常連?のシジュウカラとカワラヒワが庭にやってきませんが、多くのヤマガラがエサ(ヒマワリの種)を食べにやってきます。かわいいですね。ログハウスを建てたころは、庭にはトリカブトが雑草のようにたくさん花を咲かせていたのですが、最近は絶滅危惧種になったようで、2、3株しか花が見られません。花がとても美しく、とても貴重です。昔に戻ってほしいですね。

 最近は、スマホ携帯を持っていないと(私はガラ携を愛用しています)、いろいろなサービスが受けられないようで、憤慨しています。新聞の読者の声欄でも、老人がスマホあるいはPCを持っていなくて、困っているといった投稿がよく見られます。行政はホームページやSNSで情報やサービスを提供するだけで、スマホやPCのない人のことは無視しているようで、不愉快な思いにさせられます。私の最近の例を2つ掲げます。

1)山中湖のガス(プロパン)は”ニチガス”(最近東京電力の配下に入ったようです)を利用しています。数年前までは地元のプロパンガス会社を利用していたのですが、ニチガスの勧誘員が来て、”料金が安くなる”と勧められてニチガスに切り替えました。ところが今年になって、毎月来ていた”使用量と請求額の通知”はがきを廃止する。ついては、スマホから見るように。”との通知がありました。私はスマホがないので、コールセンターに電話し、”使用量と請求額”はどうしたらわかるのか”と問い合わせたところ、”インターネットのHPから検索できるし、プリントすることもできる”との回答がありました(当初の通知には記載されていませんでした)。早速インターネットで手続きしようとしたところ、”使用しているブラウザーは使えないので別のブラウザーを導入するように”ということで(私は世の中で広く使われているMSのインターネット・エクスプローラーを使用しています)、HP上で手続きすることができませんでした。頭にきて再度担当者に連絡したところ、”HPはそのような仕様になっています。手続きしないと、今まで通りのはがきの”通知”が行きますが、毎月100円の手数料を頂きます。”と回答されました。担当者に文句を言っても解決するわけではないので、当方は毎月100円を払ってはがきの”通知”を得ることにしました。企業の合理化の意味は分からないではありませんが、ユーザの状況を全く無視し、勝手に?100円の事務処理料を取るというのは、ちょっとひどいと思いませんか?それとも私の生き方が間違いなのでしょうか?

2)10月に近場の観光地へ一泊の旅行をしようとしたところ、偶然ありがたいことに”GOTOトラベルの給付”がつくということが分かって、早速インターネットで申し込もうとしました。ホテルの予約は簡単にできたのですが、GOTOトラベルのクーポンを得るには、”STAY NAVI”というHPから”会員登録”と”クーポン券発行”を行わなければならないということが分かりました。よくわからないなりに、”会員登録”を済ませ、”クーポン券発行”のための情報入力を終え、”クーポン券発行”を依頼したところエラーとなってしまいました。ところが、どの項目がエラーなのかの指摘がありません。詳しいQAサービスがあるのですが、探すことができません。コールセンターに電話をしても、予想通り回線混雑?のため繋がりません。どうもこのエラーもブラウザーが関係しているように思われたのですが(ガスと同様ブラウザーの指定がありました)、よくわかりません。結局クーポン券発行をあきらめて、ホテルに電話で状況を説明して相談したところ、何のことはない、ホテル側で代行でクーポン券発行をやってもらうことになりました。全く馬鹿にした話ですね。

 このほかにも、au携帯電話やauWallet、auポイントなどなど、わからないことが多くて、しょっちゅうイライラさせられています。私は情報サービス会社で働いてきたSEですが、そんな技術者でさえも本当に住みにくい世の中になったもんですね。息苦しくて窒息しそうです。


☆ 2020年09月27日 : うっとうしい日々が続きますね

 うっとうしい日々が続いていますね。そのためか、終活の読書が進んでいます。今回は、宗教系の3冊をご紹介します。
 1.ヒンドゥー教とイスラム教 荒松雄著、岩波新書
 2.イスラーム 蒲生礼一著、岩波新書
 3.ヒンドゥー教 クシティ・モ−ハーン・セーン著、中川正生訳、
            講談社現代新書
 もちろん私は無神論者なので、宗教を学ぶためにこのような本を買ったわけではありません。9月6日の記事では、イスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(アラブ)のことを記しましたが、私としては、西洋の歴史を学ぶにあたって、キリスト教を理解する必要があり、その関連でユダヤ教とイスラム教(ついでにヒンドゥー教)も少しかじってみたということです。
水彩画308:井之頭公園 水彩画309:府中郷土の森

 以前にこれらの本を読んだときは当然よく理解できなかったのですが、今回読んでみると、宗教の教義はまったく理解できませんが(というより私にとっては教義の内容はばかばかしくて理解しようとも思いません)、いくらかの長い人生の中で少しばかりの知識を蓄積してきたので、イメージは理解できるようになりました。イスラエルは訪れたことはないのですが、パキスタン(北部)と、インド(北部)それにネパールを訪れ、少しばかりイスラム教、ヒンドゥー教のイメージを得ることができたので、今回の読書には少し役立ったような気がします。

 訪れたのは、トレッキングが目的でしたが、以下のような宗教体験?をしました。

1.パキスタン北部(2013年): ==> 「わんだふるパキスタン 桃源郷フンザ」
 ・アボッタバード ・・・メイン通りでは女性は見かけない、アルカイーダ司令官ウサマ・ビン・ラディン暗殺地
 ・フンザ      ・・・イスラム教イスマイール派の土地、開明的女学生を見かける(写真もOK)、
              ハセガワ・メモリアール・スクール見学(英語の授業)

2.インド北部(2011年): ==> 「わんだふるインド ガルワール・ヒマラヤ」
 ・ハリドワール ・・・ヒンドゥー教聖地で、多くの信者が遠路から集まってきており、盛大な祭りが行われていた、ガンジス川の沐浴場を遠望
 ・リシケシ    ・・・ガンジス川でのプジャの儀式を見学、花束を買ってガンジス川に流す、近くにヨガの聖地があり
 ・ガンガリア   ・・・巡礼地への登山途中の宿泊所、ヒンドゥー教寺院の内部を見学
 ・ヘムクンド湖(標高4,300m) ・・・シーク教聖地で、かつヒンドゥー教も聖地としている、冷たい湖で沐浴する人あり
 ・バドリナート  ・・・ヒンドゥー教聖地で多くの信者が参拝に訪れている、ヒンドゥー教寺院内を見学

3.ネパール(2004、2008年): ==> 「わんだふる ネパールヒマラヤ」
 ・エヴェレスト街道  ・・・道中にたくさんの仏塔(チョルテン)、旗(タルチョ)、マニ石、マニ車が見られる(これらはチベット仏教)
 ・タンポチェ      ・・・ゴンバ寺院見学、イエティの人頭?見学(写真も撮った)(これらはチベット仏教)
 ・パシュパティナート ・・・ヒンドゥー教火葬場、川岸での火葬と散骨の現場を見学

4.その他 ・・・ トルコ、エジプトではイスラム教モスクを見学

 それにしても、”宗教”は私にとっていかがわしいものでしかありませんね。本当に”宗教”は麻薬のようなものといえましょう。でも貧しく生活が苦しい人々が”宗教”を信じることによって一時的に救われたような気になるというのも事実でしょうから、この世から”宗教”が無くなることはないと思います。


☆ 2020年09月21日 : 今週末は息子家族一家の来訪で疲れました

久しぶりのバーベキュー 湖畔でスワンとコイ群を観る 何年振りか?花火遊び 収穫?できた自然薯

 今週末は、息子家族一家4人が山中湖に滞在し、一家に付き合う羽目となりなりました。日々平々凡々、悠々自適?の生活に浸りきっている身にとって、多くの人、特に訳の分からない孫たちと付き合うのは、精神的にも肉体的にも大変疲れることですね。天気はほぼ曇りで助かりましたが、バーベキュー、湖畔散策、花火遊び、花の都公園、忍野の森の水続館見学、シカさん探しなどなど、身を挺して奉仕しました。まあ、息子家族は喜んでくれたと思われるので、たまには止むを得ませんかね。ただちょっと心配事が・・森の水族館が大混雑で、”三密”状態でした。駐車場は満車状態で、入館では密な待ち行列ができました。また館内では、水槽の小さな魚を観るために密集状態でした。入館しないで変えることを考えればよかったのですが、ついつい息子家族一家のことを考え、ついつい老人も入館してしまいました。時間は30、40分ほどで短かったので大丈夫とは思いますが、一週間は要注意しないといけませんね。
 
 今年の春、ログビルダー松本さんから頂いた自然薯(じねんじょ)の種芋を植えたのですが、葉の生育が悪く、恐らく収穫は絶望的と思っていました。それで、様子見でちょっと掘ってみたところ、案の定5株中4株のイモはまったく成長しておらず、1株のみ直径10cmほどのイモができていました。がっかりでしたが、大きくなったイモをトロロイモにして食したところ、結構おいしかったです。

 連休中は山中湖もバイクや車が多く出ていましたが、それでも混雑は以前に比べて少なかったように思います。道志の道は、山中湖方面に向かう道が大変混んでおり、例によってどうしの道の駅はバイク、車で大混雑でした。東京へ戻るときは、圏央道相模原から八王子ジャンクションまで大渋滞に巻き込まれました。これは中央道が下り方面の国立・府中〜上野原が大渋滞になっていて、八王子JCで中央道下り方面に合流できくなることによって生じるトラブルのようなもので、時々発生します。中央道の上り方面はガラガラなのですが、八王子JCでの渋滞のため、1時間近く時間ロスとなってしまいました。連休風の自動車移動はいやですね。


☆ 2020年09月13日 : 山中湖は秋の気配が近づいて???

 山中湖は日が差すとまだまだ暑いのですが、朝晩はめっきり涼しくなってきました。朝は17度まで下がりました。雨が多いので、雑草だけでなくコケも元気よく生えています。草取りに苦労します。

 シカさんと思いますが、ネットと支柱2か所を暴力的の押し倒し、アジサイなどを食い荒らされました。昔はアジサイは食べられなかったのですが、よほど好物となったらしく、新葉が出てくるときれいに食べてしまいます(5月頃にも食べられました)。

 先週は、イスラエルとパレスチナの問題について少し言及しましたが、最近アラブ首長国連邦とバーレーンがイスラエルと国交正常化を行ったことが報じられています。
荒らされたネットとアジサイ ガマズミ

 これはアメリカトランプ政権の策謀と思われますが、パレスチナの人々にとっては八方ふさがりで、怒り爆発といった心境ではないかと思います。トランプにとっては弱小国に圧力を加え、大統領選挙に向けた支持基盤へのアピールにしようとしたものです。イスラエルにとっては、笑いが止まらないといったところでしょう。そもそもパレスチナ問題は、イギリス、フランスそれにアメリカがシオニズムを支援し、パレスチナの地を勝手に分捕ったことに由来しています。それにしても世の中不条理ですね。


☆ 2020年09月06日 : 人種差別は人間の本性?

 山中湖では、午後から夜にかけて天気が不安定となり、時々雷が鳴ったり強い雨が降りました。また、日差しがあると結構暑く、夕方以降も蒸し暑く、むしむししています。6日(火)は明け方から雨が降っていて、大雨が予想されたので、早々と退散して東京に戻りました。

 終活の一環として、ユダヤ人関連の3冊の著書、「ユダヤ人」(J.P.サルトル、岩波新書、1956)、「ヒトラーとユダヤ人」(大澤武男、講談社現代新書、1995)および「アラブとイスラエル」(高橋和夫、講談社現代新書、1992)を読みました。発刊が少し古いので、現在は少し状況が変わっている部分もあるかと思われますが、改めてユダヤ人とユダヤ教それにパレスチナ人の問題を考えさせられました。そもそもの原因が、紀元前の旧約聖書にまで遡り、モーセのパレスチナの地への侵入、ローマによるユダヤ国家の消滅とユダヤ人の流出、キリスト教の派生、ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害、イギリス、フランスによるイスラエルの建国(シオニズム)などなど複雑怪奇で、パレスチナの地からは遠い我々日本人にはその地勢や人種、歴史、宗教を理解するのはとても難しいですね。ヒトラー(ドイツ)によるユダヤ人絶滅などということがどうして生まれ、ヨーロッパはそれを許してしまったのかも私にはよくわかりません。サルトルによれば、フランスでも反ユダヤ主義が根深くあるそうで、決してドイツばかりではないようですね。

 他方、日本でも、多くの一般の人々が潜在的に反中国、反朝鮮の考えもっており、人種差別が潜在化しています。最近では、朝鮮学校の生徒はコロナ対策の給付金等が受けられないとのことです(そもそも、朝鮮人学生には教育費の無償化も対象外とされています)。小池は関東大震災における朝鮮人虐殺に追悼文を出すことを拒否しています。なげかわしいですね。


☆ 2020年08月30日 : ようやくほっとしました

 8月28日、ようやく安倍ちゃんが辞任を表明してくれました。待ちに待った日で、長かったですね。心からほっとした感じです。安倍ちゃんの功罪はマスコミでいろいろと取り沙汰されていますが、私にとっては顔を見るのもいやな人物でした。彼の信条と私とではベクトル方向が180度反対向きでしたが、それはやむを得ないとしても、数々の不正とそれに対する言葉だけでの逃げに、まったく人間性を感じ取ることができませんでした。そのため、ストレスが高まってしまいました。

 今まで”たわごと”でも何度も取り上げてきましたが、”森友疑惑”、”加計疑惑”、”桜を見る会疑惑”、そして”近畿財務局による公文書改ざん疑獄と職員赤木さんの自殺、奥さんの告発に対する無神経さなどなど、安倍政権の権力私物化は目に余るものでした。更に、憲法9条改正はできませんでしたが、法律的にも疑問のある憲法解釈変更によって、集団自衛権を可能とし、安全保障関連法を制定し、自衛隊(軍)による海外進出に道を開きました。さらに、戦前の治安維持法のような特定秘密保護法や”共謀罪”法などを強行採決し、戦争の出来る”普通”の国に大きく舵をきりました。

 まあ、最後の安倍ちゃんのコロナ対策における無能さ(学校閉鎖、アベノマスク、GoToキャンペーン・・・)だけがご愛嬌といったところでしょうか。次の政権に期待することは考えられないのですが、あの詭弁をあやつる?嘘つきが退陣しただけでも、私はほっとした次第です。

水彩画307:谷保天満宮

  終活で、書籍「トムキンスの冒険」(ジョージ・ガモフ著、伏見康治、市井三郎、鎮目恭夫、林一訳、白揚社)を読みました。A5版で456ページもある読みごたえのある本でした。タイトルには”冒険”とありますが、内容は一般人向けに現代科学を物語風に解説したものです。物語の主人公は銀行員のトムキンス氏で、夢の中で常識では考えられないような奇妙な科学の世界に入り込み、物理学の教授等により物理的、生物的世界の奇妙な出来事を教えてもらっていきます。対象となる科学は、相対性理論、宇宙、統計熱力学、量子力学、原子物理学、分子生物学、分子遺伝学、進化論、脳と電子計算機などなど、広範にわたっています。

 私は会社を辞めてから、物理学や生物学を少し勉強したので、概ね内容は理解できましたが、とても楽しく読み進むようにはいかなく、わからないことがたくさんありました。とても一般の人が理解できる内容ではありませんでした。でも、このような本を超一流の物理学者が著すのはすごいことですね。日本の物理学者にはいないような気がします。


☆ 2020年08月23日 : 弱肉強食型の資本主義を変えなければ・・・

 ようやく猛暑の夏が転換点に来たようですね。22日(土)、23日(日)の山中湖は、曇り空、雷鳴、それに一時的に雨といった天気で、朝晩は結構気温が下がりました。昼の時間も短くなってきたので、あっという間に夏が終わりそうですね。

 コロナ騒動も、Withコロナとやらで、具体的対策もなく、コロナッチの自然衰退を待つだけのようです。先日のBS_TVのTBS(6ch)番組”19:30”で、「何故日本ではPCR検査が進まないのか」について掘り下げて分析していました。ここには、コメンテイターとして武見自民党議員と上(かみ)昌広医学博士(医療ガバナンス研究所理事長)が参加していました。
水彩画305:清里牧場風景 水彩画306:殿ヶ谷戸公園

 そこで、上さんが、日本でPCR検査が進まない真の理由は、厚労省のなかに”感染症村”のようなものがあり、厚労省が今回のコロナ感染について行政をコントロールしていないからであると指摘しているのが印象的でした。最近よく聞く感染症対策を統括する国立感染症研究所が厚労省の管轄下にあるそうで、厚労省内の健康保険医療グループとで、法律的あるいは人的対立のようなものがあるということでした。私はようやく問題の根深さに納得できました。ついでですが、国立感染症研究所の前身は、明治の初めに作られ、軍隊の感染症対策が主な役割であり、中国東北部で細菌戦や人体実験を行ったのもこの組織のようです(上氏は731部隊についても少し言及していました)。これじゃあ、日本でコロナ対策が混乱するのはあたり前といってもよいですね。

 ところで、ジャーナリストの青木理(おさむ)さんがしんぶん赤旗(2020年8月23日)で「政権の”無能”が露呈した ”やっている感”だけの安倍首相が本当の”危機”に直面 弱肉強食の資本主義を変えなければせかいはもたない」と、安倍ちゃんを痛烈に批判していました。一部を紹介します。

 「なのに、政権はトンチンカン。アベノマスクや全国一斉休校要請、一向に増えない感染検査にせよ、政権の新型コロナ対応で評価できるものは皆無です。なぜかーー。結局のところ、志のなさと能力の決定的な欠如に帰結するのでしょう。人事権を放埓(ほうらつ)に行使して官僚を脅し、霞が関に忖度(そんたく)を蔓延させたけれど、官僚機構をきちんとグリップ(把握)して動かすことはできていなかった。首相の生い立ちを徹底取材した経験から言えば、彼自身にもともとそんな能力がなかったのです。」

 「祖父の岸信介(元首相)、安倍寛(元衆院議員)や父安倍晋太郎(元外相)とは違い、彼はもともと何かの志があって政治を目ざしたわけではありません。世襲政治一家に生まれた、平々凡々なおぼっちゃまにすぎず、政界入りしたのも”兄よりは資質がありそう”という、いわば消去法的な選択でした。”右”の政治スタンスも、後づけのものです。だから地べたをはってでも国民のために働こうとはしない。彼の政治的モチベーション(動機付け)はせいぜい、”すごい政治家だったと評価されたい”、”レガシー(遺産)を残したい”といった程度。お友達や応援団に露骨な利益誘導を謀るのも、公共の利益のために尽くす公共心が極度に薄いことの証左です。安倍首相は聞こえのいいスローガンと”やっている感”で7年間ごまかしてきましたが、新型コロナという本当の”危機”に直面し、実は”無能”だという本質が浮き彫りになったのです。」

 皆さん如何ですか。今回のコロナ騒ぎは、コロナ対策プロジェクトのリーダーが無能で、真のリーダーが不在であったことが一番大きな原因であるということですね。なんともつまらない結末でしたが、私も同感です。ついでに、小池や吉村も同レベルでしたね。


☆ 2020年08月17日 : 山中湖も猛暑続きです

収穫した野菜 下向きのレンゲショウマ レンゲショウマ(拡大) 1株残ったフジアザミが咲いた

 山中湖では今週末も猛暑が続いています。猛暑といっても、いつもの夏は日影に入れば高原の涼しさが感じられるのですが、今年の夏は以上です。木陰の下で草取りをやっていると、地面から熱気が沸き上がってくるような暑さで、汗をかいてしまいます。家の中で休んでいても、風がほとんどないため圧ぐるしく感じてしまいます。本当にすごい異常な夏ですね。お盆にもかかわらず、道志みちがやや混雑したくらいで、大渋滞はなかったようですが、バイクの数の多さには圧倒されますね。

 シカや小動物による被害にもかかわらず、野菜が少し採れています。でも例年に比べてとても少ないです。レンゲショウマが白い清楚な花を咲かせました。ネットを掛けていたので食べられずに済みました。先週も報告した、被害を逃れたフジアザミ1株が大きな花をたくさん咲かせてくれました。うれしいですね。被害に遭ったその他の株も花芽をつけ始めているので、1か月もすれば花を咲かせてくれるのではないかと期待しています。その他に、ムクゲやヤエザキオオハンゴンソウ、ヒマワリ、ヒオウギなどが咲いています。

 終活で、書籍「地球進化46億年の物語」(ロバート・ヘイゼン著、円城寺守監訳、渡会圭子訳、BLUE BACKS)を読みました。新書版ながら377ページもあり、なかなか読みごたえがありました。内容は、地球の誕生(45億6700万年前)から現代(顕生代)、そしt未来にまでわたる地球の地質・岩石、生物の広大なストーリーです。著者のテーマは、40憶年を超えて、鉱物(岩石)と生物(生命)が共進して、現代の地球が形成されたということを示すことです。今まで地質学と生物学は何ら関係がなかったが、最近になってようやく地質学と生物学が絡み合ってきているとのことです。共進化の説明を以下に記してみます。

 「錆は数多い鉱物学的な変化のうち、最も目に付きやすい現象にすぎない。私たちの最近の化学モデルでは、大酸化イベントによって3000種もの新しい鉱物が出現したことが示唆されている。そのすべてが、それ以前の太陽系では未知のものだった。何百という新しいウラン、ニッケル、銅、マンガン、水銀の化合物が生まれたのは、生物が酸素を生産するようになってからのことだ。博物館で展示されているとくに美しい水晶の標本−−青緑の銅鉱物、紫のコバルト種、イエローオレンジのウラン鉱−−は、生き生きとした生物の世界を語っている。新たにつくられたそれらの鉱物が、酸素の無い環境で形成されたとは考えにくいので、地上で現在知られている4500種の鉱物の誕生に、直接的であれ間接的であれ、関わっていると思われる。これらの新しい鉱物のなかには、進化する生物に新しい環境的ニッチと新しい化学エネルギー源を提供するものもある。そのおかげで生物と岩石や鉱物の共進化が続いていくのだ。」

 本の内容は、図表や写真がほとんどなくて、地質学の素人にはちょっと難しかったですが、地球の約46億年の歴史を概観するには良い書物だったと思います。


☆ 2020年08月09日 : いよいよ熱い夏のシーズンが始まったようです

水彩画303:田園調布駅舎 水彩画304:津京江戸たてもの舘 イワタバコ チョウセンアサガオ

 今週末は3連休ということで、8日(土)、9日(日)の中央高速の下りが混雑しました。また、道志の道の駅が、8日(土)、9日(日)とも大混雑で、パーキングに入ることもできませんでした。山中湖は、8日(土)はそう混雑していませんでしたが、9日(日)は朝に東京へ戻ったのでわかりません(少し混雑したと思われます)。小池による東京からの他県への移動の自粛お願いなど、どこ吹く風といった感じですね。政府が自らの判断を放棄して、地方行政や国民の判断に任せると言っているのですから、抑制は効くはずがないですね。

 我が家の庭では、夏の花が咲いています。先週報告した残った1株のフジアザミは何とか花を咲かせ始めました。また、何者かに食いちぎられた他のフジアザミも、頑張って新しく花芽を付け始めました。すごい生命力ですね。花が咲くのが待ち遠しいです。今年もイワタバコがちっちゃな花を咲かせてくれました。今年初めてチョウセンアサガオを植えたところ、大輪の花を咲かせ始めました。きれいですね。その他に、ヒオウギ、センニンソウ、ヒマワリ、ムクゲ、ノリウツギ、キキョウなどが咲いています。野菜ではキュウリが少し取れた程度で、今年はさっぱりです。

 山中湖は東京の熱暑に比べて別世界のような涼しさです。外で庭仕事をしても、特に暑さは苦になりません。日影に入ればとても涼しいです。本当は山中湖にずっと滞在したいのですが、いろいろと私事があり、残念ながら今回も1泊2日の滞在でした。


☆ 2020年08月03日 : 長ーい梅雨でした

 ようやく梅雨が明けましたね。今年の梅雨の長いのにはうんざりでした。でも、コロナッチも頑張って第2波が押し寄せてきており、これにもうんざりです。週末は山中湖におりましたが、夏空は広がらず、曇り空でした。夜には強い雨も降りました。それでも、日中は庭仕事に励むことができました。山中湖は、観光客の人出も今のところ抑え気味といったところのようです。
超満開のノリウツギ 山中湖村の花ヒオウギ 収穫したジャガイモ

 今年のジャガイモが収穫できました。ジャガイモの葉や花が小動物に食い荒らされていたので、ひょっとすると芋は小さいかなと思っていたのですが、結構立派な芋が出来ました。早速食べてみたのですが、結構おいしかったです。近所の方におすそ分けしました。

 先々週にフジアザミの花芽が何者かによって食べられてしまったことをお伝えしましたが、今では1株を残して全滅となりました。今回は花芽だけではなく、葉っぱもほとんど食いちぎられる始末です(鋭いトゲのある葉っぱをよく食べるものですね)。こんな経験は今年が初めてです。以前に1回だけ、イノシシに根こそぎ掘り返されて、すべて食われたことがありますが、今回は根は食われていません。それからもうひとつ、これはシカさんの仕業と思いますが、畑のコーナーのネットが竿ごと押しつぶされてしまいました。もともと華奢な作りですが、ここまで荒らすこともないと思うのですが。シカさん御一考を!

 終活の一環で、「アインシュタイン 相対性理論の誕生」 (我孫子誠也、講談社現代新書)を読みました。科学の新書では、いわゆる”アインシュタイン本”が多く出ており、私も数冊持っているのですが、何を読んでも”相対性理論”は難しく、ほとんど理解できません。どうも脳が固いようです。その中で、相対性理論とは関係のない、アインシュタインの”日本感想記”(1922年日本を訪問し、講演、観光をしたときの感想)の断片が記されており、それに興味を覚えました。彼が日本人の国民性をどう感じ取ったのか、たいへん面白い内容でした。断片的ですが、以下に掲載してみます。

 「”改造社社長”山本氏から日本への招待状が届いたとき、私はすぐに、数ヵ月もかかるはずのその大きな旅行に出かけようと決心した。それに対する私の言い訳は、もし私が日本を自分の眼で目の当たりにできるこの機会を逃してしまったなら、決して自分を許すことができなくなるだろう、という以外ではなかった。 なぜなら、この国ほど私たちにとって神秘のベールに包まれている国は他にないからだ。わが国でも多くの日本人が、孤独に生活し、熱心に学び、親しげに微笑むのを見る。誰もこの防御的な微笑みの陰に隠されている感情を見分けることはできない。けれども、その背後には我々とは異なった心が潜んでいることが分かるのだ。それは、あの日本風な、我々の周囲にもある多くの小さい日用品にも表れ、また日本の影響を受けて時々の流行になっている文学にも見られるものである。

 私の好奇心が頂点に達したのは、私の乗った北野丸が瀬戸内海をとおり、無数の小さい島々が朝日に輝くのを見たときであった。けれども、最も輝いていたのは、すべての日本人乗客と船員たちの顔だったのだ。・・・どんなに強い感情が彼らを突き動かしているのかを観たとき、私は感動を覚えた。日本人は他のどの国の民よりも自国と自国民を愛している。彼らは外国にいるとき、その語学力と外国のあらゆる事物への好奇心にもかかわらず、他国民よりもずっと強い隔絶感を感じているのだ。それはどこから来るのだろうか?」

 この後、日本における個人主義の希薄さと家族のきずなの強さを強調した後、日本人の環状の細やかさと優しさについて次のように述べています。

 「このような伝統の発達は、この国民に特徴的な感情の細やかさと、ヨーロッパ人よりも強い共感する心によって、確かに容易にされたものである。荒々しい言葉はヨーロッパ人と同じく日本人をも傷つける。前者は怒り狂い、目には目をと、すぐに反撃に取り掛かる。ところが、日本人は傷ついて引き下がりーーーそして泣くのだ。どれほどしばしば、日本人が荒々しい言葉を発し得ないことが、不正直屋不誠実との誤解を招いたことであろうか。」

 「このこと”7日本の美術”に関して、私は驚きと称賛から逃れられない。自然と人とは、他所にない様式の統一性がそこから作り出されるほどに、強く一つに結ばれているように私には思われる。実際に、この国に由来する全ての物は愛らしく朗らかであり、形而上学的に抽象的なものではなく、いつも自然を通じて与えられたものと密接に結びついている。小さい島々や給料をもつ風景の愛らしさ、木々の愛らしさ、注意深く耕され、注意深く細分されている田畑の愛らしさ、しかしとりわけ愛らしいのは、その上に立つかp九、そして最後に人々自身であり、彼らのその話し方、その動作、その衣服、彼らが用いる家具においてなのだ。」

 「日本人は、互いの交際において、我々よりも朗らかで屈託がないーーー未来にではなく現在に生きているのだ。彼らの朗らかさはいつも繊細な形に表現され、騒がしくなることはない。日本人のウイットは、我々にも即座に理解できる。滑稽な物ユーモラスなものにも、彼らは充分な感覚をもっている。心理学的に深い起源をもつこのような感覚において、日本人とヨーロッパ人の間に大きい違いが存在しないことに、私は驚きをもって気が付きました。」

 ヨーロッパ人はこんな風に日本人を観るのでしょうかね。勘違いがいっぱいなのでは?持ち上げすぎです!


☆ 2020年07月26日 : 科学者は戦争で何をしたか

 なかなか梅雨が明けず、気が滅入ってまいそうです。今週末は、山中湖へは行かず、東京で読書と絵描きに専念しました。左の絵は、月1回のカルチャー教室で描いた絵ですが、基本的には戸外の風景スケッチ画(ペン画)です(水彩画301は写真を基にしています)。しばらくは風景スケッチ画を掲載していきます。

 最近、終活で益川敏英の「科学者は戦争で何をしたか」(2015年)を読みました。益川はご存知の方は少ないかもしれませんが、2008年に素粒子物理理論への貢献で小林誠とともにノーベル物理学賞を受賞した物理学者です。本書は、その彼が自身の戦争体験とその後の反戦活動をふりかえり、科学者が過去の戦争で果たした役割を考えながら、安保法制、解釈改憲など、”戦争する国”へと突き進む安倍政権を痛烈に批判しています。科学そのものは”中性”であり、使う人間によって良くも悪くもなると主張していますが、資本主義の矛盾等の分析が不足しているように思いました。特に日本の侵略戦争に言及がないのには疑問も感じました。しかし、最近ではこのような科学者の真摯な政治的発言は珍しいですね。久しぶりに痛快な思いで読み直した次第です。
水彩画301:青鬼部落 水彩画302:一橋大学

 本書は、前回述べた朝永振一郎の「プロメテウスの火」で取り上げた内容にも一部重なるものがあります。”あとがきー科学者ではなく、人間としての目線をー”の冒頭の部分を掲載します。

 「本書では、ノーベル物理学賞にまつわる話、科学者が戦争に動員された話、現代における軍学共同、デュアルユースの問題など、大きな流れを追ってお話してきましたが、とどのつまり、坂田晶一先生(注:益川が恩師として慕っている元名古屋大学教授の素粒子物理学者)の”科学者である前に人間たれ”という言葉に戻りそうです。私の研究室に飾ってあるこの書を見るたびに、坂田先生というのは未来を見据える目があったのだと、今さらのように思います。その洞察のセンスたるや、私などは足元にも及びません。」

 「二十世紀を振り返っただけでも、科学者たちは翻弄され続けてきました。戦争への加担を余儀なくされましたし、原水爆の開発にも手を貸しました。今も知らないうちに軍事に手を貸している側面は否定できません。しかし、私は”科学者の戦争責任”という言葉が大嫌いです。その言い方には、なんだか上から目線のような、あるいは自分は関係ないといったニュアンスが感じられるからです。科学者はそういう責任を取る義務や能力があるだろうという責任転嫁にも感じられます。」

 そうではなく、科学者も一般の人と同じ生活者なのです。何ら変わりない。ところが、困ったことに彼等にはその生活者としての目線が決定的に欠けている。科学者という人種は、何度も言うように閉鎖的な空間で自分の研究をやっている時が一番楽しいという生き物なのです。まあ、行ってみれば”生活者音痴”というか、世の中の流れをあまり知らない。新聞で東京大学の軍事研究のことがスクープされようが、それを自分たちの問題として議論したり、声を挙げたりということはあまりやりません。自分の研究第一で、社会問題に極めて疎い人が多いのです。 以下省略」

 まあ、益川の科学者感は別に科学者に限ったことではありませんよね。現在の日本人のほとんどが、政治、社会に対して傍観者ではないでしょうか。ただし、コロナッチや大災害のように、直接自身にかかわる問題になると、傍観者ではいられなくなり、大騒ぎをしてしまいます。これが人間の本性なのかな???


☆ 2020年07月20日 : 科学者による反原爆、反戦争活動はどうなったの?

 雨を覚悟して、18日(金)午後に山中湖に入りました。山中湖は朝から曇りだったようです。翌19日(日)は、雨の予定がくるって、朝からすばらしい夏空が広がりました。絵でも描こうと思っていたのですが、やむを得ず庭の雑草取りに励むことになってしまいました。お陰で作業はだいぶ進みました。

 久しぶりに薪割りもやってみました。ログハウスの松本さんから頂いたヒノキを初めて割ってみたのですが、ナラやクヌギに比べて縦にきれいに裂けるようです。ただ、針葉樹は燃やすと油分が出ると言われているので、ストーブで燃やすかどうか迷っています。

 念願のキビタキの写真を撮ることができました。黄色の胸が美しいですね。フジアザミが10株ほど花芽を食べられてしまいました。イノシシが掘って根を食べたことはあるのですが、今回の犯人は不明です。
美しいキビタキ 花芽を食べられたフジアザミ

 終活の一環で、朝永振一郎の”プロメテウスの火”を読みました。戦後から70年代ころまでの、科学者(物理学者)による原子力や戦争に反対する様子が述べられています。朝永が湯川秀樹と”核抑止を超えて”といった宣言を出し、核兵器の使用と核兵器による威嚇を永久かつ無条件に各国政府に要求していたのは初めて知りました。でも、所詮は科学者が政治を動かすことができるなどと考えるのは夢にしかすぎませんね。確かに当時はいろいろと科学者が政治的発言をして、少しでも戦争の悲劇を繰り返さないように訴え、また一歩一歩前進していくのではないかと考えられたこともありましたが、はっきり言って幻想にすぎませんでした。ラッセル、アインシュタイン宣言やそれに基づくパグウォッシュ会議など、今の人はほとんど知らないのではないでしょうか。マスコミも取り上げないですね。

 1958年の第3回パグウォッシュ会議の後で行われた科学者、”知識人”約3万人に対するアンケート結果が”つけたし”として掲載されていました。戦後の科学者の運動がいかに幻想であるかがよくわかるような気がしました。結果の概略を掲載します。
 アンケートの問いは次の4つです。
 (1)科学の進歩と社会・政治との関係について科学者は何らかの責任をもつと考えるか。
 (2)国際緊張をゆるめ、国際的共同作業をやることについて、科学者が有益な寄与をなしえると思うか。
 (3)ウィーン宣言(第3回会議)に賛成であるか。
 (4)ウィーン宣言を科学者の将来の活動の基礎と考えることは適当であるか。

 アンケートの結果はさておいて、興味のあるのはアンケートに対する反応でした。ソ連の科学者が83%の返事を寄せたのに対し、西側の科学者の返事が15ないし20%しかなかったそうです。しかし、返事の来たものについていえば、東西どちらも圧倒的に賛成が多かったということです。西側ではあまり返事が少なかったので、その意味を探るため、何故返事がもらえなかったかという理由を再び質問したところ(イギリス内だけの調査)、その答えは以下の通りだったとのことです。
  7.5%: パグウォッシュの考えに反対だから。
 17.5%: 政治的な事にはなんであろうとまき込まれたくないから。
  1.5%: パグウォッシュという名前を好まないから。
  2.0%: パグウォッシュ委員会のメンバーの見解を好まないから。
  1.5%: パグウォッシュ活動は効果なく時間の浪費だから。
 15.0%: アンケートには原則的に答えないことにしているから。

 この結果を皆さんはどのように感じますか。私は大学時代の70年闘争の経験から考えて、ありうる結果と思いました。その時、社会には関心がなく、いかに自分の仕事に専念し業績を上げるかに集中しているあわれな”科学者”とか”知識人”(最近は”専門家”というようですが)の姿を多くみてきました。社会に発言するのは、名誉を得るための御用学者か、社会からの冷たい視線をあびても勇気をもって発言する少数の知識人であったようです。今は”少数者”も更に少なくなってしまいましたね。


☆ 2020年07月13日 : ”コロナッチ”が再び活躍しそうですが・・・

 梅雨の真っ最中ということで、庭仕事のほうはなかなかはかどりません。でも、今のところ豪雨や強風の被害がないので助かっています。

 7月初旬に、政府から”コロナ給付金”が振り込まれてきました。でも、私としては当面の生活(恐らく死を迎えるまで)には困っていないので、全然うれしくありません。このようなお金は、本当に生活に困っている人に渡すべきです。年俸が1000万円とか1億円の高収入の人にどうして10万円給付するのかまったく理解できません。公明党はもちろん、立憲民主党や共産党までがすべての人に給付すべきと叫んでいましたが、ただの人気取りにすぎないと思います。ということで、私は早速給付金を”UNICEF”に募金してしまいました(格好つけて後で後悔しませんように・・・)。更に言えば、トランプに言われるがままに高額な戦闘機などの戦争用具の購入をやめて、真の社会福祉に回してほしいですね。日本は、本当に中国やろしあ、北朝鮮人民共和国等々と戦争するつもりなのでしょうか??
水彩画218:波止場 水彩画219:建物と小川

 最近またまた”コロナッチ”が脚光を浴びてきて、マスコミが騒いでいるようですね。7月11日付けの朝日新聞で、国立病院機構仙台医療センターの西村秀一ウイルスセンター長のインタビュー記事”専門家は確率を語れ”が掲載されていました。そこで、新型コロナウイルスの対応について、”リスク評価が不十分で、実態と合わない対策が行われた結果、過剰な恐怖が広げられてしまった”と述べています。私にとって感染症対策などは専門外のことなのではっきりとわからないのですが、記事の内容にはおおむね納得できました。インタビュー冒頭の一部を少し取り上げてみたいと思います(文章は記事の文章の一部を書き直しています)。

 「日本の新型コロナ対応は、実態と合っておらず危惧している。亡くなった方を遺族にも会わせずに火葬したり、学校で毎日机やボールを消毒したり、おかしなことだらけである。このようなことはもうやめるべきだと提案する。」
 「強調したいのは、病院と一般社会は分けて考えるべきである。今ではスーパーでも病院で使っているフェースシールドを着けているが、ウイルスが現に存在して厳しい感染管理が必要な病院とそうではない一般社会では、ウイルスに遭遇する確率が全然違う。街中そこかしこでウイルスに遭うようなことはない。」
 「東京全域を一律に考えるべきではない。今感染者が出ている多くは、限られた地域の特定の場の関連である。市中感染があっても人口1千数百万人に比べればそれでもまだ数は少なく、ウイルスが街に蔓延しているわけではない。社会での感染対策として、リスクの高いところからつぶしていくことでよい。」

 「実態と合わない対策が続いているのは、専門家の責任が大きい。例えば接触感染のリスクが強調され”手で触れる”ことへの恐怖が広まっているが、ウイルスと細菌の違いが軽視されている。ウイルスは感染者の体外に出て寄生する細胞が無くなると、少し時間が経てば活性を失う。本当はウイルスは細菌より接触感染のリスクがずっと低い。なんでもアルコール消毒する必要はない。」
 「こんな不安を世間の人が抱くのは、専門家がきちんとリスクを評価して、社会にそれを伝えていないことに原因がある。根幹は、具体的な確率を検討することである。例えば、感染者のせきでウイルス1万個が飛んだと仮定しても、多くは空気の流れに乗って散らばり、机などに落下するのは1cm四方あたり数個。では、それが手に付く数は?花に入る確率は?時間経過でもウイルスは減る。こう突き詰めるのがリスク評価である。」
 「”可能性がある”と語って人々に対策を求める専門家がメディアで散見されるが、キャスターや記者は”それなら感染する確率はどれくらい?”と問わなきゃいけない。専門家に課されているのはリスク評価である。リスクがあるかないかという定性的な話をするのではなく、どれくらいあるか定量的に評価しなければならない。」

 まだまだ重要なことがたくさん語られていますが、ここでストップします。私は、専門家会議の尾見さんや政府の西村、殿小池などの話を聞いていても、正しい数字がないのでさっぱり理解できません(まあ権力者は一般庶民にすべてを明らかにすると、庶民が恐怖を感じてしまうので、適当に説明するわけですが)。尾見?さんや医師会等の大先生はどう考えているのでしょうか?政権べったりの御用学者でないことを願うばかりですが・・・


☆ 2020年07月05日 : 強い風雨の合間を結構楽しんでいます

 今週の山中湖は、断続的に」強い風雨がありました。富士吉田や鳴沢では、大雨警報が何度か出たようです。その雨の合間を見つけて、八ヶ岳南麓をドライブしました。訪れたところは、甲斐大泉の三方一湧水、網笠岳登山口の観音平、それに原村のたてしな自由市場・808レストランです。甲斐大泉は平山郁夫美術館があります(過去に訪れたことがあります)。観音平は10数年前に家内と愛犬カールとで編笠山登山をしたときに訪れました。以前グリーンロッジがあったはずでしたが、今は更地になっていました。がっかりしました。原村は何度も訪れており、八ヶ岳を望みながらの食事は開放的で気に入っています。でも、平日にもかかわらず結構人が出ており、レストランは待ち行列ができるほどでした。好天に恵まれ、久しぶりのドライブを堪能しました。

 また、晴れ間を待ってアジサイの花を観に御殿場にも行きました。行ったところは、東山地区の秩父宮記念公園ととらや工房(岸信介旧邸宅)です。どちらもアジサイがきれいに咲いていました。梅雨時の花はアジサイですね。とらや工房では、そうめんと和菓子がとてもおいしかったです。ここでも、平日にもかかわらず暇な方々が多いようで、オーダーに行列を作っていました。”Withコロナッチ”の”新生活”スタイルなのでしょうか。

 雨の合間には、庭に珍しい動物が訪れてくれ、私たちを喜ばせてくれました(シカさんは珍しくもなく、うれしくもありません)。アカゲラが庭に降りてきて、地面をあちこち歩きまわっていました。樹幹でドラミングをする姿は時々見るのですが、地面を歩くアカゲラを見たのは初めてでした。また、ニホンリスが庭に降りてきて、デッキの上をちょこちょこと歩き回りました。樹幹を上り下りするリスは時々見ますが、デッキまでやってきたのは初めてです。ほんのひと時でしたが、うれしくて、うれしけて、感動でした。
アジサイ(御殿場東山) 庭に訪れたアカゲラ デッキの上のニホンリス 修復したBBQコーナー

 雨の合間には、時間を見つけて庭仕事もやっています。伸びた木の伐採や、バーベキューコーナーのブロックの組み直しやレンガの敷き直しなどをやりました。雨が降って庭での労働ができないときは、読書と水彩画制作(、時々居眠り)に励んでいます。絵は少し難度の高いものに挑戦しており、自分でもそれなりに少し納得できるものが出来上がりつつあると思っています???


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