わんだふる インド ガルワール・ヒマラヤ (1)

はじめに

 2011年7月20日(水)から7月30日(土)の11日間、インドのガルワール・ヒマラヤ・ツアーに参加してきました。ガルワール・ヒマラヤ地域は、インドの北西部(ニュー・デリーからみると北東部)のウッタラチャント州の山岳地域をいい、ネパールの西端に接しており、ヒンズー教の”聖なる川”ガンジス川の源流地域でもあります。今回の主要訪問地は、ガルワール・ヒマラヤ地域にある”花の谷国立公園(標高3,500m)”とシーク教徒の聖地の一つである”ヘムクンド湖(標高4,328m)”です。もう高い山を登るのは体力的にしんどいのでよそうと思っていたのですが、ブルーポピーやサウスレアのヒマラヤ地方の高山植物を観たいのと、標高は高いけど、多くの人が訪れる巡礼地なので何とか登れるのではないか(いざというときは馬に乗って登ることも可)という甘い気持ちもあって、ガルワール・ヒマラヤに行くことに決めました。

 なお、ヒマラヤで高山植物の花を観ることができるのは7月から8月の雨季(モンスーン)です。それで、雨に降られるのは覚悟していきましたが、雨は日本の梅雨時の豪雨のようではなく、降ったり止んだりのシトシト雨で、また一日中降っているわけではありませんでした。山中でも折りたたみ傘をさして歩くことができ、したがって雨の中でも多くの高山植物を観たり、写真を撮ることができました(ネパールへ行ったときは、厳冬期と早春期でしたので、天気はよかったですが、花はほとんど観ることができませんでした)。

 私は、インドはインダス文明が栄えた地であるとか、ムガール帝国の興亡、ガンジーによるイギリスからの独立運動、非同盟中立主義など、中高校の社会科教科書程度の知識しかもっていませんでしたが、インドへは一度は行ってみたいとずっと思っていました。しかし、なかなか行く機会もなかったので、これを機会に少しでもインド社会を垣間見たいという気持ちがありました。もちろん、1週間ほど訪れただけで、インドの社会や宗教、国民生活などを理解できるわけではありませんが、ヒンズー教の巡礼地や聖地なども2、3訪れたので、それらについても簡単に報告します。

 今回も驚くような体験や感動の連続で、とても楽しいトレッキング(ハイキング)でした。その一部をご紹介しますので、最後までお付き合いください。

                                                                            2011年9月30日(金)

  1.プロローグ 
  
2.デリーからリシケシ、ジョシマートへ(往路) : 07月20日(水)〜22日(金) 
   
2.1 東京からデリー : 7月20日(水)
   
2.2 デリーからリシケシ : 7月21日(木)
   
2.3 リシケシからジョシマート : 7月22日(金)
  
3.ジョシマートからゴビンダガート、ガンガリアへ、そして花の谷  : 07月23日(土)〜24日(日)
  
4.シーク教徒の聖地・ヘムクンド湖 : 07月25日(月)  
  
5.ガンガリアからヒンズー教巡礼地・バドリナート : 07月26日(火) 
  
6.バドリナートからデリーへ(帰路) : 07月27日(水)〜30日(土) 
  

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1.プロローグ

 「はじめに」でも述べましたように、今回はインド・ヒマラヤ(ガルワール・ヒマラヤ)の花の観察を目的としたトレッキングです。そのハイライトは、世界遺産にも登録されている国立公園”花の谷(The Valley of Flowers;3,500m)”での高山植物の観察、そしてシーク教の聖地のひとつでもあるヘムクンド湖(4,300m)の登山?と高山植物の観察です。その他に、ヒンズー教またはシーク教の聖地である、ハリドワール、リシケシ(Rishikesh)、ガンガリア(Ghangaria;3,040m)、バドリナート(Badrinath;3,122m)も訪れました。

最初に、インドの概略を説明しておきます。
 
 国の正式名称は”インド共和国(Republic of India)といい、インド洋に突き出した南アジアの半島上にあります。面積は日本の約8.7倍の329万u、人口は約12億人とのことで、それぞれ世界第7位、第2位です。インド社会は多様な民族、言語、宗教で構成されており、地域ごとに多様な生活を営んでいるとのことです。首都は、インド北部に位置するデリー(Delhi)となります。

 言語はおよそ20種ほどあるそうで、各地方で異なった言語が使われているそうです。ヒンディー語が連邦国家の公用語とされていますが、英語が準公用語として扱われているそうです。

 インドは”神と信仰の国”といわれるほど多様な宗教が混在しています。ヒンドゥー教、シーク教、イスラム教、キリスト教、ゾロアスター教、仏教など様々な宗教によって、それぞれ独特な世界観を醸し出しているといわれています。ヒンドゥー教は人口の80%を占めているといわれます。われわれがインド人というと、頭にターバンを巻いたひげもじゃの男をイメージしますが、彼らはシーク教徒で、人口の2%程度を占めるに過ぎないのだそうです。彼らはインド北西部のパンジャーブ地方に多く生活し、社会的に影響力のある人々が多いそうです。インドが発祥地である仏教は、現在は1%未満で、社会的な勢力はないようです。

 ヒンドゥー教にまつわる身分制度であるカースト制度は現在でも残っており、インド社会に複雑な影を与えているようです。しかし、われわれがちょっと旅行をしただけでは、その実態は何も分かりませんでした。


 インドは、ご存知のように長い間イギリスの植民地として、イギリスに搾取され、虐げられてきましたが、マハトマ・ガンジーによる非暴力独立運動の結果、第二次世界大戦後の1947年にイギリスから独立しました。初代のネール首相の名前は、私のような世代にはよく知られています(ネール首相が日本にプレゼントしたインドゾウの”花子”の名前も覚えています)。特に独立直後は、米ソの東西冷戦の中で、インドは中国とともに第三世界のリーダーといわれ、アジア・アフリカ会議(バンドン)での”平和五原則”など、非同盟・中立の平和運動を推進していた当時の輝かしいイメージは、私の学生時代の記憶として少しばかり残っています。
近年、インドは経済の発展が著しいといわれていますが、貧富の差が大きいようで、これからの益々の発展?が期待されています。

 インドの季節は夏季(4〜6月)、雨季(6月末〜9月)それに乾季(10月〜3月)の三つに分かれており、南端の赤道地帯から北部のヒマラヤ高山地帯まで多様な気候が拡がっているようです。今回のツアーは、インド北西部の高山地帯で、季節的にはモンスーンの雨季に相当します。したがって、トレッキング中の雨は覚悟の上でしたが、実際ほぼ毎日雨に降られました。気温は、もちろん季節、場所によって大きく違い、今回のツアーでも、デリーは亜熱帯の暑さである一方、ガルワール・ヒマラヤ地方は朝晩では10度以下まで下がり、寒く感じました。

 時差は、東京に比べて3.5時間の遅れとなります。
 
通貨の単位は、”ルピ−”といい、1ルピー=約2円(1USドル=約45ルピー)ですが、日本円はまったく使えませんでした。したがって、USドルを持って行き、現地で両替することになります。

 今回のツアーでの移動は、20数人乗りの中型バスでした。道路は国道ということで、基本的には舗装されていましたが、ガンジス川やその支流アラクナンダ川に沿って山肌を縫うように続く山道(原則片側1車線)を走りました。道路はところどころ土砂崩れや工事中などで片側通行となっていたりします。また土砂崩れで通行止めといったことも珍しくないようで、われわれもブルドーザーが土砂を除去する30分ほどの間待たされたこともありました。道路状況の悪さと、3,000m以上まで上がる山岳道路ということで、500kmを進むのに、2日掛かりといった状態でした。

 
 今回訪れた場所を順に簡単に説明しておきます(右上の地図はゴビンダガート以北の地図です)。

0.デリー(Delhi) : 7月20日(水)泊

1.ハリドワール : 7月21日(木)
 ガンジス川沿いのヒンドゥー教の聖地のひとつで、”シヴァ神に通じる門”という意味だそうです。予定では、ここに立ち寄って沐浴場などを見学する予定でしたが、ちょうどお祭りの日に当たっており、道路が大渋滞しており、結局車の中から遠く”見学”しただけでした。

2.リシケシ(Rishikesh) : 7月21日(木)泊 ・・・ デリーからおよそ240km
 ガンジス川沿いのヒンドゥー教の聖地のひとつで、夕方になると”プジャ”というガンジス川に捧げる礼拝儀式が行われます。リシケシはまた”ヨガの街”として知られており、世界中からヨガ修業者が修業に集まってくるのだそうです。

3.ジョシマート(1,890m) : 7月22日(金)泊 ・・・ リシケシからおよそ250km
 トレッキング出発地のゴビンダガートへ行く中継地点の宿場町?です。始めはガンジス川に沿って上り、途中からガンジス川の支流アラクナンダー川に沿って上っていきます。車は深い谷に沿って土砂崩れの起きやすい山腹を縫って走ります。

4.ゴビンダガート(Govind Ghat;1,828m) : 7月23日(土) ・・・ ジョシマートからおよそ20km
 花の谷およびヘムクンド湖のトレッキングの出発地点で、ここで車から降り、まずトレッキング宿泊地のガンガリアまで歩きます。手持ち荷物以外は馬で運んでもらいます。ここを馬に乗って上ることも可能です。花の谷およびヘムクンド湖トレッキングの後、ふたたびここへ戻ります。

5.ガンガリア(Ghangaria: 3,040m) : 7月23日(土)、24日(日)、25日(月)泊 ・・・ ゴビンダガートから約13km、標高差約1,200m
 花の谷およびヘムクンド湖トレッキングの宿泊地ですが、また中心部にはヒンドゥー教寺院があり、巡礼者の宿泊地でもあります。ヘムクンド湖の聖地を訪れる巡礼者はここに宿泊してから登ります。
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6.花の谷(The Valley of Flowers;3,500m)国立公園 : 7月24日(日)
 ガンガリアから3.5km、標高3,500mにある高山に囲まれた幅2km、長さ10kmほどの広い谷間で、たくさんの高山植物を観察することができます。2005年にはユネスコの世界自然遺産に登録されました。

6.ヘムクンド湖(Lake Hem Kund;4,328m) : 7月25日(月)
 ガンガリアから8km、標高4,328mの高地にある湖で、シーク教の聖地の一つであり、礼拝場と沐浴場があります。もちろん、途中の巡礼路(登山道?)や湖の周辺ではたくさんの高山植物を観察することができます。

7.バドリナート(Badrinath;3,122m) : 7月26日(火)泊 ・・・ガンガリアからおよそ25km
 26日(火)、ガンガリアよりゴビンダガートまで下り、ゴビンダガートから北に向かってバドリナートへ車で移動します。ここでも車は深い谷に沿って土砂崩れの起きやすい山腹を縫って走ります。バドリナートはヒンドゥー教の聖地の一つであり、ヴィシュヌ神の化身、バドリナートを祀る寺院があります。また天気がよければ、”ガルワールの女王”と呼ばれるニルカンタ峰(6,596m)が展望できます(当然?われわれは霧で見ることはできませんでした)。

8.ルドラプラヤグ(Rudraprayag) 7月27日(水)泊 ・・・バドリナートからおよそ160km
 デリーへ戻るための中継地点です。ホテルの周りには街といえるようなものは見当たりませんでした。

9.リシケシ(Rishikesh) : 7月28日(木)泊 ・・・ ルドラプラヤグからおよそ130km
 往きに宿泊した街です。29日(金)にデリーに戻り、成田に向かいます。


 参考のために、ガルワール・ヒマラヤ・ツアーでの留意事項を以下に掲げておきます。

1.ヴィザ(査証)の取得
 インド入国に当たってはヴィザが必用です。私は直接インドビザ申請センター東京(文京区大塚)で取得しました。

2.伝染病の予防注射
 今回は予防注射は不要でした。短期間の通常旅行ではマラリヤなどに罹るケースはほとんどないそうです。

3.高山病対策
 4,300mの高地を登るので、一般には高山病の症状は現れますが、宿泊地点は3,000mなので、特別な高山病対策は必要がないように思います。ただし、今回の同行者の一人(70歳以上)が体調を崩し、微熱が出て、ガンガリアで停滞することになりましたし、もう一人はバドリナートで気分が悪くなり、寺院の見学をやめました。また私自身は食欲がなくなり下痢に悩まされました(ほかの同行者も下痢に悩んでいたようです)。

4.ホテル
 ホテルはデリーから離れるにつれて設備が悪くなります。建物はコンクリートまたは石造りでしっかりしていますが、シャワーはなく、代わりにバケツのお湯の配給があります。トイレは水洗ではなく、トイレットペーパーも付いていません。特にガンガリアのホテル?は日本の山小屋より粗末で、ベッドの布団はすごく湿っており、布団にはいるといった気持ちにはなれないほどで、それでシュラフ(日本人用にツアー会社が用意)に入るということになります。食事はトレッキング中のランチ以外は、基本的に三食ともカレーとナン、場合によって中華料理(チャーハンと焼きそば)があるといったものです(少々のフルーツがつくときもあります)。カレーは最初のうちは美味しいと思うのですが、毎日三食カレーが続くと、高山病の影響もあってか、食欲が進みませんでした。電気は、ガンガリアでちょっとした停電がありましたが、ほとんど問題はありませんでした(ゴビンダガートとガンガリアでは夜間は電気が止まります)。チップは特別のサービス以外は基本的に不要とのことです。

5.その他
 飲料水はすべてペットボトルです。アルコールは原則ご法度です。車移動中のトイレ事情は、中国(大姑娘山トレッキング)のときと同様、とてもよくありません。もちろん山の中はさわやかな”青空”トイレです。道路も中国と似たり寄ったりですが、山岳道路なので通行止めなどはやむを得ないと考えなければなりません。服装は、夏の服装と晩秋の登山用服装が必用になります。

 それでは、これから「インド ガルワール・ヒマラヤ」の体験をご報告します。是非最後までお付き合いください。


2.デリーからリシケシ、ジョシマートへ(往路) : 7月20日(水)〜22日(金)
2.1 東京からデリー : 7月20日(水)

 7月20日(水)早朝、所沢から成田行きのバスに乗り、成田空港に向かいました。前日より台風が接近しており、四国、近畿、東海地方は大荒れで、成田行きのバスも心配でしたが、予定通り8時に成田に到着しました。ツアー会社の係員より搭乗チケットを受け取り、チェック・インをした後出国審査を受け、エア・インディアAI307便に搭乗しました。今回のツアー参加者は、成田出発組みと関空出発組みに分かれており、それぞれ9名、6名(女11名、男4名)で、ツアーリーダー(関空出発)を含めて総勢16名のグループでした。関空組みは前日の台風で大変だったようですが、全員予定通りに飛行機に乗れたとのことでした。

 AI307便は予定通り11時30分に成田を離陸し、当日の夕方(現地時間16時30分)にはデリーの新空港ターミナルに到着しました。実質フライト時間は8時間くらいでした。ちょっと前にあったボンベイでの爆破事件があったために、空港は軍がコントロールしており、厳重な警戒態勢が敷かれていました。入国手続きをして空港ロビーに出ると、現地のツアーガイドが迎えに来ておりました。デリーはむっとするような暑い気候でした。早速バスに乗って今夜宿泊するデリーのホテルに向かいました。どこをどう通っているのかよく分かりませんでしたが、とにかく道路は大変混んでおり、さらに滅茶苦茶な警笛と割り込みで、第一印象は”喧騒な街”でした(ネパール・カトマンズや台北、中国・大連の交通事情を思い出してしまいます)。夕方6時30分頃にホテルに到着することができました。なお、関空組は、関空出発が夕方であり、かつ香港経由となるため、デリーの空港着が21時過ぎとなります。

 デリーのホテルはとてもよいホテル(当たり前ですが、食事もよく、クーラーが効いて、バスがあり、お湯も出た)でした。実は、これが最初で最後の”よいホテル”でした。関空組の到着を待つことなく、成田組だけで食事をしました。その後ドルからルピーに両替(1ドル当り41.70ルピー)をし、明日の早朝出立に備えて早めに寝ました。
  

2.2 デリーからリシケシ : 7月21日(木)

 7月21日(木)、5時30分に眼を覚ましました。今日はいよいよガルワール・ヒマラヤツアーのスタートです。6時30分に、”通常の”朝食(ブレックファスト)をとりましたが、ここで初めてツアー・リーダーと関空組のツアー参加者と顔をあわせました。チェックアウト後にロビーに集合し、7時15分にこれから9日間お世話になるバスに乗り、ホテルを出発しました。

 今回のツアーの現地ガイド(プラビンさん)がバスに同乗しました。今日はリシケシまで、およそ240kmのドライブです。高速道路でもあれば3時間ほどの距離ですが、そこはインドの国道。約10時間のドライブが予定されていました。どうなっているのでしょうかね???しかし、そんなことはどうでもよいといわんばかりに、バスはリシケシに向けて平坦な国道をひたすら走ります。

立ち寄ったガソリンスタンドの前の通り 道中の道端のマンゴウ売り

 ところが、ハリドワールに向かう途中、オレンジ色の服を着てサンダルまたは素足で北に向かって歩いている多くの人々を見かけました(左下の写真はリシケシの街中のものですが、イメージ的には写真のとおりです)。ツアー・リーダーの話によると、いまハリドワールはお祭りの最中で、彼らは故郷からお祭りに参加するために歩いているヒンドゥー教の信者のグループとのことでした。ハリドワールに近づくにつれて、それらの人々はどんどん増えてきました。彼らは聖地ハリドワールを参拝?したり沐浴をした後、ガンジス川の水をカンヴァドという小さな容器に入れて、肩に担いで故郷に戻るのだそうです。私にとっては、何ともいえない”すさまじい”光景でした。

 車は、時々トイレ休憩を入れて、ひたすら走り、1時30分過ぎにようやくレストランに立ち寄り、ランチとなりました。もちろん、カレーとナンを中心とした”インド料理”です。

 食後、再度バスに乗って出発です。ハリドワールに近づくと、車と人(ヒンドゥー教徒たち)で道路が混み始め、大渋滞となりました。予定ではハリドワールの沐浴場などを見学することになっていたのですが、これではとても無理ということで、車窓からの”見学”となりました。街や道路はオレンジ色の服を着たヒンドゥー教信者であふれかえっていました。日本ではとても考えられないような光景でした。


オレンジ色の服を着たヒンドゥー教徒 車窓からのハリドワールの街と沐浴場 ハリドワールのヒンドゥー教徒 ハリドワールのシヴァ神立像

 5時にリシケシの町に到着しました。ここで明日の通行許可証を得るために、ドライバーは州政府?の”事務所”に行かなければならないとのことで、ツアー参加者は町の中で降りて、オート・りキシャという昔のダイハツの”ミゼット”(古い世代ですね)のような三輪自動車に分乗し、今日の宿泊ホテルに向かいました(実は、”事務所”到着が17時を過ぎていたので、通行許可証はもらえなかったとのことでした)。
 *このオート・リキシャあるいは人力のリキシャはデリーを含めどこの町でも
  見られ、インドの重要な交通手段となっています。

 ホテルには5時20分に着きました。ここのホテルは、もちろんデリーのホテルに比べればランクは低いですが(バスはなくシャワーです)、トレッカーにとっては上等なホテルでした。
 
リシケシのオート・リキシャ リシケシの街中
 リシケシでは、夕方からガンジス川のほとりでガンジス川に捧げる礼拝儀式”プジャ”が観られるということで、みんなで街中を通って、ガンジス川のほとりまで歩いていきました。やや雲の多い天気で、気温も30度を超え、とても蒸し暑いでした。暗くなり始めると、ヒンドゥー教信者のグループがプジャの担当者に依頼して(有料のようでした)、独特の儀式を執り行っていました。ちょっと幻想的な風景にも見えましたが、私自身はたいして感動することもありませんでした。すみません!!

ガンジス川(増水して、濁っていました) ガンジス川ほとりでのプジャの儀式1 ガンジス川ほとりでのプジャの儀式2

 8時にホテルに戻り、夕食をとりました。明日は、バスの通行許可証を得られるのが9時過ぎということで、出発が大幅に遅れることになりました。今日のホテルはお湯の出るシャワーがあったので、シャワーを浴びてから寝ました。


2.3 リシケシからジョシマート : 7月22日(金)

 6時に起床しましたが、今日は通行許可書を得るために9時前には出発できないので、やや時間の余裕がありました。それで、朝食前にホテルの付近を散歩しました。外では、朝から例のオレンジの服を着たたくさんのヒンドゥー教信者が出歩いていました。

 ようやく通行許可書が取れたようで、9時25分にリシケシを出発しました。ここで現地のツアー・ガイドが交替し、新しくカイラスさんとチミさん(女性)が同行することになりました。今日はジョシマートまで、およそ250kmのドライブです。午前中は晴れて、青空が広がり、気温は35度くらいまで上がったようです。バスはガンジス川に沿って徐々に高度を上げながらひたすら走りました。しばらく走ると、ガンジス川とは別れて、ガンジス川の支流であるアルカナンダ川を遡ります。だんだんと道路は険しくなり、あちこちに土砂崩れの後や工事中の道路に出くわしました。

 午後からは雨も降り始め、道路事情はますます悪くなり、バスが渓谷に転落するのではないかと不安になるほどでした。出発が遅れたこともあって、予定の6時になってもまだまだジョシマートは遠いようでした。だんだんと外は暗くなり、窓の景色も見えなくなりました。
休憩で立ち寄った町
 ツアー参加者も、疲れのせいかうとうとと寝る人もいましたが、ドライバーは必死になって運転していました。ようやく、夜の9時頃にジョシマートのホテルに到着しました。ここで、ドライバーのファイト・スピリットに対して拍手が起こりました。謝々!!。
 
 さあ、ここからが大変でした。すぐに「カレーの夕食」。その後、明日からのトレッキングのために、ホテルへ置いていく荷物、馬に運んでもらう荷物(3泊4日分の着替えなど)、それに自分で担ぐ荷物(小型ザック)に仕分けをしました。それから、配布されたバケツのお湯で体を洗って、ようやくベッドにもぐり込みました。12時間の悪路でのドライブでとても疲れていたので、すぐにぐっすりと寝込んでしまいました。

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