☆ 星くずの”たわごと” 11 ☆   更新日: 2020年06月28日

** 人間の体を作っている原子はずっと昔に爆発した古い星の内奥部で作られた。その意味で人間は星くずからできているといえる。 **
** 人間の体を作っている原子は原子核とその周りをまわる電子からできているが、その間はとても広く、何もない真空といえる。 ****

                                                  
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☆ 2020年06月28日 : 退屈な日々を過ごしています(2)

 今週は山中湖で退屈な日々を過ごしています。天気予報は芳しくないのですが、実際は雨も降らず、曇り空ながら時々日が差しました。雨の日は絵でも描こうかと思っていたのですが、ところが毎日庭仕事に忙殺されました。

 まず垣根のレンギョウのトリミングを行いました。垣根といっても東側と北側合わせて約80mの長さで、更に東側は雨水溝のコケ落とし(約60m)もやったので、ほぼ数日かかりました。その他には、雑草取り、バラアーチの修繕と塗装、庭の土留め工事などなどです。ということで、”退屈”とはいっても、不要不急の肉体労働をやっていたということです。



油彩画07:ペットボトル 水彩画217:川向こうの宮殿


☆ 2020年06月21日 : 退屈な日々を過ごしています

 今週末は水彩画のレッスン等のため東京に滞在しています。外出を自粛しているので、ウォーキングと読書、水彩画の自習くらいしかやることがありません。人生の目的がないというのは退屈ですね。

 山中湖は、駐車場封鎖が全面的に解除されたため、少し車とバイクが戻ってきました。お土産店も少しずつオープンしているようです。富士急のオーナーサロンもオープンし、WiFiが使えるようになり、ほっとしています(コーヒーサービスがなくなったので、ちょっと寂しいですが)。庭には、ヒメシャラの花が咲き始めました。昨年までは花付きが良くなかったのですが、今年は結構咲いています。5月10日にも報告しましたが、ヒノキの根株を利用したテーブルが、ようやく完成しました。なかなか造形美が素敵で、満足しています。
油彩画215:堰と水車 水彩画216:堰と街並み ヒメシャラの可憐な花 ヒノキ根株のテーブル


☆ 2020年06月14日 : 仮面をかぶった小池の本性・・許せない

 先週末から梅雨に入り、13日(日)は一日中大雨が降りました。寒いということはありませんが、湿気でうっとうしいですね。それでも庭にはきれいな花が咲いています。先週も写真掲載したサンショウバラですが、更にたくさんの花を咲かせており、驚いています。今までで最高の花付きです。ベニバナヤマシャクヤクも3つもかわいいはなを咲かせました。これも初めてのようです。昨年植えた日本シャクヤクが大輪の花を咲かせました。ヤマボウシが白い十字花をたくさん咲かせています。写真を掲載しませんが、ヒメシャラが涼しげな白い花を咲かせ、またヤマブキソウは一輪ですが、黄色の花が鮮やかです。コロナッチの恐怖を忘れさせるようですね。うれしいですね。
満開のサンショウバラ 咲いたベニバナヤマシャクヤク 深紅のシャクヤク 白い十字花のヤマボウシ
油彩画06:コーヒーカップと花 水彩画213:雪山1 水彩画214:雪山2

 最近マスコミで脚光をあび、都知事選に立候補した小池都知事。新型コロナウィルスの制圧に成功したようにふるまっていますが、オリンピック延期判断の遅れで初動対策に失敗したのは明らかです。そして、昨年も気にはなっていたのですが、今年も9月1日の関東大震災で”自警団”や警察によって殺された朝鮮人や中国人の犠牲者を追悼する追悼式典をめぐり、小池都政は不当にも新たな条件をつけて弾圧をやろうとしています。このようなことは、日本の恥です。断じて許すことはできません。朝日新聞(2020年6月12日)に掲載された、ノンフィクション作家の加藤直樹さんのインタビュー記事を参考に、小池都政のあくどさを簡単に述べてみます。

 1923年の関東大震災発生直後に、”朝鮮人が井戸に毒を入れた”、”暴動を起こした”などのデマが流され、”自警団”などの日本人によって多くの朝鮮人、中国人が虐殺されました。1973年から、墨田区の都立横綱町公園で犠牲者の追悼式が行われてきました。当初は、歴代都知事(含むあの石原慎太郎)は式典に追悼文を出していましたが、1917年小池は式典への追悼文送付を屁理屈をつけて取りやめました。式典の実行委員会は追悼文の取りやめに抗議しましたが、今年はさらに、都は使用許可に当たって条件を守る”誓約書”を書くよう求め、守れない場合は式典の中止や不許可にするということです。

 どうも、背景には、右翼団体が2017年から同じ公園内で、同日同時刻に”犠牲者慰霊祭”を開いており、この団体が両方の”慰霊祭”を開催できないようにすることを狙っているからのようだということです。昨年の”慰霊祭”では、追悼式典の方向に向けて拡声器で”朝鮮人が震災に乗じて略奪、暴行を行い、日本人が虐殺された”などといったデマが大音声で流されたそうです。

 こんな恥ずかしい事態を招いておいて、オリンピックだ、都民の命と健康を守るだなどと言っている小池を許すことはできません。こんなことだから、日本人は中国や朝鮮の人々と真の友好関係が築けないのです。怒り心頭です。


☆ 2020年06月07日 : 山中湖は初夏の花でいっぱいです

 4日(木)、山中湖に入りましたが、途中道志の道の駅で久しぶりに食事をしました。食べるところは”三密”を避けるための工夫がされていましたが、平日のせいか昼時でもお客は少なめで、コロナ感染を心配するほどのこともありませんでした。

 山中湖は雨も降らず、比較的過ごしやすい天気が続いています。庭には初夏の花がたくさん咲いています。今年のサンショウバラは今までで最高です。木も大きくなりましたが、薄いピンク色の花をたくさん咲かせています。ヤブデマリも白い花をこれでもかと言わんばかりに豪華に花をつけています。前回も紹介したヤブウツギが紅色の花をたくさんつけ、滝のように枝を枝垂れさせています。キスゲが黄色の花を咲かせています(シカに食べられないようにネットが覆っているのでかわいそう)。オオヤマレンゲは今年は一輪しか咲きませんでした。どうしたのかな?元気がないようです。
満開のサンショウバラ1 サンショウバラ(拡大) 満開のヤブデマリ1 ヤブデマリ(拡大)
超満開のヤブウツギ キスゲ オオヤマレンゲ

 終活の一環で大江健三郎の”あいまいな日本の私”(岩波新書)を読みました。私は大江の文学は読んだ記憶があまりありません。リベラルな作家で、ノーベル文学賞を受賞したといったことぐらいしか知りません。本書では、文学論や日本文化論(&思想)などが書かれているのですが、私にはとても難しくて、ほとんど理解できませんでした。こんな難しい文章は、文学界では通じるのでしょうが、一般の人は理解できないと思うのですが、いかがでしょうか?物理や数学も難しくて、当然一般の人が理解することは難しく、世間とは離れた独自の世界です。他方、文学や思想は多くの人々に語り掛けることが大切なのではないでしょうか。難解な思想を難解な言葉で語られても、珍ぷんかんぷんですね。

 ただし、日本の天皇制や海外侵略などに関する考えは少し理解できましたが、インテリゲンチャーの解説のようでもあり、今ひとつすっきりしませんでした。その中で、彼の考えが表れていた文章の一部を紹介します。

 「太平洋戦争の敗北を契機に、政治的、社会的権力を失ったとみなされていた天皇制は、次第に戦前のそれと見合う力をとり戻しつつあります。違いは戦前の天皇制=絶対神という政治学、神学が今日の日本人の受け容れるところではないということです。しかし天皇の即位の儀式的側面、大嘗祭では、明らかに天皇は神に直接つらなる家系の存在としてあつかわれ、政治も民衆もそれを認めているのです。さらには戦後の憲法では軍備を持たぬことになっている日本の、軍隊の最高権力者が天皇ではないということです。この場合も現実に日本には大きい軍事力があり、決して揺らぐことのない保守党政権は、この軍事力を支配しているとともに、天皇を後光のように背負っている仕組みが確立されているのです。」

 「天皇を日本文化の中心にすえなおすことを、その思想の中核に置いていた三島由紀夫が、軍備を持たぬはずの日本の隠れた軍隊、自衛隊に向けてクーデターを呼びかけ、割腹自殺をした。」あの名高い事件の背後には、こうした戦後社会の進み行きがあったのです。三嶋の天皇観は、彼独自の伝統文化論にもとづく特殊なものですが、それでも様ざまな天皇観の差異を超えて、日本の民衆のなかに天皇制が新しい力を勝ちとり始めていることは認めなければならないと思います。」

 さすがに文学者らしい文章ですね。これは、1993年のニューヨーク、パブリック・ライブラリーにおける講演の内容の一部です。


☆ 2020年05月31日 : 待望?の”アベノマスク”、扱いに困っちゃった

 31日(日)に東京へ戻ったら、待望?の”アベノマスク”が郵便ボックスに入っていました。今ではマスクはドラッグストアで買うことができます。安倍&菅の無策、税金の無駄使いの象徴のような布マスク2枚、どうしようかと困っています。皆さんはどうしているのかな???

 ”緊急事態宣言”解除後の最初の日曜日(31日)、道志の道を登ってくる沢山の車とバイクに出合いました。以前の5、6割くらいが山中湖に向かっていたような感じがしました。道志の道の駅もオープンしていましたが、だいぶ混雑している様子でした。週末も山中湖村の駐車場はまだ半分くらいは閉鎖していますが、少し人出が戻ってきているようです。富士五湖エリアで感染がおこらないとよいのですが(多分、富士五湖エリアのコロナ発症者は、鳴沢村の男性一人(ツイッターで有名になった東京の女性から感染した)だけなはずですが。

 今回の山中湖村滞在は1週間ほどでした。天気は2、3度雨に降られましたが、暑くもなく寒くもないまあまあの良い天気でした。自粛で出歩くのを控えていたので、ほとんど庭の草取りと草の焼却作業をやっていました。だいぶ庭はかたずきましたが、腰が痛くて困っています。庭には、西洋シャクナゲが大輪の花を咲かせており、それは見事な咲きっぷりです。ヤブウツギ(フジサンシキウツギ゙)も枝がたわわになるほどたくさん花を咲かせています。ヤブデマリは清楚な白い花を咲かせています。初夏の山中湖は最高ですね。旭日丘でハクチョウが子供を産んだと報道されたので、さっそく旭日丘の湖畔を探しに行ったところ、抱卵している?ハクチョウを見つけました。子供が無事に育ってくれるとよいですね。
満開の西洋シャクナゲ ヤブウツギ(フジサンシキウツギ) 初夏の富士山の山肌 抱卵中?のハクチョウ(湖畔)


☆ 2020年05月24日 : 霧雨が続く山中湖

 山梨県では”緊急事態宣言”が解除されましたが、山中湖では車や観光客はまだ少ないようです。それでも、湖畔の駐車場は一部だけ解除されました。しかし、図書館や富士急オーナーズサロン、お土産屋などはまだ閉鎖です。道志村の道の駅もようやく閉鎖が解除されたようです。週末は混雑しなかったのか心配です。

 今週は、山中湖は曇りまたは小雨(霧雨)の悪天候が続きました。したがって、草取り作業がはかどりませんでした。庭はもちろんすっかり緑ですが、ウワミズザクラとズミが白い花を豪勢に咲かせています。合間を見て、御殿場へ出かけ、富士霊園のツツジを鑑賞してきました。ちょっと終わりに近かったのですが、多くのツツジが咲いており、とてもきれいでした。ついでに、御殿場の”魚がし”でおいしい寿司を食べてきました。でも、最近はレストラン等に入っても、何か”ばい菌”扱いをされているようで、不愉快な気持ちになってしまいます。皆さんはいかがですか。
満開のウワミズザクラ(2Fから) 富士霊園のツツジの階段 水彩画211:水車のある川 水彩画212:商店街


☆ 2020年05月17日 : 好天が続く山中湖

 今回も、富士急事務所のオーナーズサロン(WiFi接続が可能)が閉鎖されていために、”たわごと”のアップロードが遅れてしまいました。

 今週も山中湖は好天が続き(16日土曜日は久しぶりの雨が降りましたが)、過ごしやすく、かつ庭仕事日和となっています。庭には初夏の花が咲いています。深紅のヤマツツジが咲き誇っています。ミツバツツジが終わってトウゴクミツバツツジ゙が咲き始めました。白くて清楚なヤマシャクヤクも咲いています。クマガイソウは5株に増え、そのうち3株がふっくらした白い花を咲かせています。今年はマムシグサが庭のあちこちに出てきて驚いています。その他に、カッコソウ、サクラソウ、ニリンソウ、ヘビイチゴ、ムラサキケマン、タチツボスミレ、ジュウニヒトエ、カラシナなどなどが咲いています。樹々の緑もとてもきれいで、コロナウィルスの感染などは忘れてしまいそうです。

 先週は道志村のトイレ閉鎖について話しましたが、今回は東京のENEOSガソリンスタンド(府中)のトイレ封鎖の話です。過活動膀胱のため、山中湖へ向かうときは必ず府中のENIOSに立ち寄ってガソリンを補給するとともにトイレを使わしてもらっていました(10年ほどの慣習みたいなものです)。ところが、今回立ち寄ったところ、トイレの前に”バリケード”を置いて、コロナ感染防止のためトイレ使用禁止の張り紙が貼ってありました。私は病気の(一種のパヴロフの条件反射)のためにトイレの近くに行くと我慢が出来なくなってしまいます。それで強引に”バリケード”を移動し、トイレに入ろうとしたところ、店主から”お客さん、トイレは使わないでください”と言われました。こちらは生理現象のため我慢できず、店員の声を無視して強引にトイレを使用しました。終わってから店主に謝りましたが。ガソリンスタンドは営業しているのに、トイレだけは感染防止のため使用禁止というのは納得がいきません。コンビニやスーパーが営業しておいて、トイレは感染防止のため使用禁止などということは聞いたことがありません。店主が言うには、府中市は多摩地区でもころな感染者が多いため、このような措置をとったということでしたが、不特定多数の人のトイレ使用がコロナ感染につながるというのなら、ライブハウスやナイトクラブのようにガソリン販売営業も中止すべきだと思います。トイレだけを使用禁止にしたのは理不尽な対応でとても納得がいきませんでした。自衛策として、今後はENEOS(府中)は利用しないことにしました。
深紅のヤマツツジ ヤマシャクヤク クマガイソウ すくすく伸びたマムシグサ


☆ 2020年05月10日 : 皆さん、コロナとどうお過ごしですか?!

 最近になって富士急事務所のオーナーサロン(WiFi接続が可能)が閉鎖され、そのために、先週末は山中湖での”たわごと”のアップロードができず、掲載が遅れてしまいました。コロナに対する過剰反応ですよね。過剰反応といえば、道志村が道の駅を封鎖して、トイレも使用できないようにしています。確かに、週末の道志の道の駅のパーキングはごった返すことが多いのですが、トイレの立ち寄りまで禁止するのは行き過ぎではないでしょうか(ちなみに、鳴沢の道の駅はパーキングとトイレはオープンしていました)。私は前立腺の影響による”過活動膀胱”のためトイレが近く、大変困ってしまいます。東京・山梨間を移動するのが悪いとお叱りを受けるかもしれませんね。

 ゴールデンウィークは好天に恵まれ、庭仕事が進みました。恒例のログ外壁(今年は東壁)とデッキの塗装をやりました。庭の畑や花壇はすっかり緑色のシカ避けネットで囲ってしまいました。草取りも半分ほどできました。さらにログビルダーの松本さんから頂いたヒノキの根株を用いて、テーブル制作に挑みました。ほぼ出来上がったので、軽い塗装をすれば完成となりそうです。山中湖では充実した?日々を送っています。

シカ避けネットが張り巡らされた庭 ヒノキの根株に挑戦 水彩画209:サクラと五重塔 水彩画210:庭木

  終活の一環で”水とはなにか”(上平恒著)という本を読みました。内容は水の化学なのですが、何を思ったのか、著者は石井731部隊が行った”人体実験”について記述していました。内容は”水の化学”とはあまり関係ないようですが、内容が内容なので、皆様にも知ってほしいと思い、ここに掲載します。

 「1952年の日本生理学雑誌(第2巻177ページ英文)に、当時京都府立医大の教授であった吉村寿人がある論文を発表している。この論文の内容は、左手中指を零度Cの氷水に30分間浸けて、その指の温度を測定したものである。実験は15歳以上の中国人労働者100名、7〜14歳の中国人学童20名、生後1ヵ月および6ヵ月の赤ん坊、それから生後わずか3日目の新生児について行った。この赤ん坊たちの指の温度の低下と時間の関係のグラフものっている。このグラフをみていると、赤ん坊の泣きさけぶ声が耳に聞こえるようである。」

 「読者の中には旧満州(中国東北部)にあった日本軍の731部隊のことをご存知の方もいると思う。吉村はこの実験を731部隊にいた当時行った。発表が朝鮮戦争中の1952年になされたことも意味深長である。」

 「この実験は凍傷の予防治療の目的でなされたものらしい。凍傷またはそれに近い状態の患部を普通の体温にまでもってくると、身体中が粉々にひきちぎられるような実にひどい痛みをおぼえ、この痛みは数時間にわたってとぎれることなく続くのである。寒い地方に育った人ならば、たぶん経験しているだろう。さらに大人に比べて子供の手がしもやけにかかりやすいことは、雪国の人間ならばだれでも知っている事である。 低温生物学の研究は私達の生活に希望を与える明るい面もあるが、一方このようなおそるべき非人間的な暗黒面もあるのである。時々の新聞の報道から察することができるように、現在でも適当な名目の下にいろいろな形で人体実験が行われている。」

 続いて、731部隊とは関係ありませんが、島崎藤村についての平野健の評論?(昭和文学私論)が転載せられていたので、掲載します(これも、どうして”水とはなにか”に記載したのかよくわかりませんが)。

 「むかしから気にかかっている近代日本文学史上の問題のひとつとして、ひとりの文学者が世にたつために身近なものに強いた犠牲のふかさということがある。”破壊”の完成のために、妻を夜盲症にし、3人の子供をつぎつぎと死なせた島崎藤村の場合なぞ典型的だが・・・おのが芸術を成り立たせるために、身辺のものに強いた犠牲のふかさを、私は忘れることができない。果たして芸術の名において、骨肉に犠牲を強いることは許されるか、芸術・文学はそれほど大したものか・・・」

 ドイツでは、第2次世界大戦で降伏した5月9日を、”解放記念日”として祝日にしようという動きがあると報じられています(もちろん根強い反対もあるようです)。他方、日本人は8月15日を”終戦記念日”とよび、過去の侵略戦争を反省することがありません。日本はアメリカから”与えられた”憲法によって”解放”されたわけですが(与えられた憲法でも良いものはもちろん守る必要があります)、安倍自民党をはじめ、それを改悪しようとするものが大変多いですね。ドイツと何がどう違うのでしょうか。困った!困った!


☆ 2020年05月02日 : 申し訳ありませんが、山中湖の春を満喫!

 世の中は新型コロナウィルス感染騒ぎで大混乱ですが、皆様はいかがお過ごしですか?申し訳ありませんが、私はずっと山中湖に滞在しているので、とりあえず感染の恐怖から逃れ、ログキャビン生活をしています。今、山中湖は湖畔の駐車場が全面閉鎖され、土産物店やボート店は休業しており、とても静かです。一方、フジザクラ、ヤマザクラをはじめ、コブシ、レンギョウ、ユキヤナギ、ミツバツツジなどがこれでもかと咲き誇っています。自然の春は素晴らしいですね。春を満喫しています。

 そうそう、最近山中湖や忍野のドラッグストアでマスク(アベノマスクではありません)が販売されています。在庫も比較的あるようで、行列も作らず、普通に買うことができました(ただし、一人1袋(10枚入り)です)。
満開のフジザクラ 艶やかなミツバツツジ

 天気は、やや寒いですが、日中は暖かい日が続いています。おかげで?、毎日朝から晩まで、畑や庭の仕事で追われ続けており、休む暇もありません。3月の末に、ログビルダーの松本さんからたくさんのヒノキ丸太を頂いたことを報告しましたが、その丸太を利用していろんな庭の整備作業をやっています。4月6日に、ヒノキの丸太で門柱を建てたことを報告しましたが、今週は正門の両脇に杭を立てたり、中門に板戸を取り付けたりして整備しました。板戸は出来栄えは見事だと満足しています。また、庭の花壇の囲いにも輪切りしたヒノキを並べたりもしています。

 さらに、好天が続いたので、ログキャビンの東壁と南面のデッキの塗装もやりました。夕方になると、疲れ切ってぐったりしてしまいます。
正門の両脇に杭を立てる 中門に板戸を取り付ける コーナーに杭を立てる ヒノキで花壇を囲う

  明日3日は憲法記念日ですね。朝日新聞5月2日号で、「脱法厭わぬ権力中枢 従う”配下”も共犯 法秩序ほとんど破壊」という寄稿文が掲載されていました。寄稿者は憲法学者の蟻川恒正さんです。憲法学者のご高説はどうでもよいのですが、安倍ちゃんやその下僕政治家、官僚に是非読んでもらいたいような有意義なおとぎ話があったので紹介します。

 「さる国のお伽話である。 詐欺師Aが、その国の政治を取り仕切る最高責任者を名乗るXに不埒な知恵を吹き込んだ。”この国の法ではできないことになっていることも、法を変更することなく、できるようにしてみせます” 

 それを聞いて、Xは喜んだ。それが本当なら、この国の政治は自分の思いのままになると考えたからである。だが、そんな夢のようなことが本当に可能なのか、自分では判断がつかなかったXは、側近のBに、そんなことが本当にできるのかと尋ねてみた。Bは、そんな夢のようなことができるのか、本当はわからなかったが、できないといえばXの機嫌を損ねると思い、よく考えもせず、”できますとも”と答えた。それを聞いて、Xは喜んだ。だが、実は小心なXは、もっと確かな保証が欲しいと考えた。そこで今度は、Xの”配下”の者ではあるが、この国の法をつかさどる機関の責任者であるCに、保証はできるかと尋ねてみた。Cはそんなことはできるはずはないと考えたが、保証をしなければXの期限を損ねると思い、Bと全く同じように答えた。

 こうしてXは、法が妨げとなって自分の思い通りにならないことがあると、Aの甘言に従い、また、Bに背中を押されて、理の通らない法解釈をひねり出しては、その法解釈にCのお墨付きを得て、難局をしのいできた。Xのしていることはおかしいのではないかといぶかる者がいなかったわけではない。けれども、それらの人々の多くは、繰り返される同種の事態に感覚を鈍麻させられ、口をつぐんでいた。そうした時代が長く続いたある時、”空気”を読まない一人の馬鹿者が人々の前に進み出て、満場に轟く声で言い放った。”法ができないと言ってることを、法を変えもしないでできることにするなんて、いかさまじゃないか”」

 おとぎ話は以上ですが、XやA,、B、Cが誰かは容易に想像がつきますね。そして、感覚を麻痺させれ、口をつぐんでいる”人々の多く”というのは、我々一般の日本人です。国民の先頭に立って新型コロナウィルスと戦っているようなふりをして、格好つけている安倍ちゃんに騙されてはいけません(新型コロナウィルス対策も滅茶苦茶ですが)。内閣法制局人事と集団的自衛権の憲法解釈変更、加計学園、森友学園、赤木さんの自殺、検察官定年延長、サクラを観る会等々、コロナ惨禍の中でも決して忘れてはならないと思います。


☆ 2020年04月24日 : 安倍政権の無策でオーバーシュートは目前ですね

 最近の”感染者数”、”死者数”等の趨勢からみると、オーバーシュートは目前のように思えます。そもそも”感染者数”の数字が、PCR検査の制限によって過少な数字になっており、現実には数十倍といったところではないかと思います。それに対する医療体制の構築も遅々と進みません。病床はもうすぐ満杯となるでしょう。そもそも今になってもなぜ医療マスクや防護服がないのかあきれてしまいます。安倍部を始め、菅、西村、加藤、麻生、岸田等々の行動力の無さは絶望的です。それでも日本人はお上を信頼するのですかね?

 私は、今日24日から山中湖に入り、しばらく滞在する予定です。多摩地区は比較的安全ですが、こちらは森と湖に囲まれて、ヒトを避けることができます。皆さんも、政府の言うことを信用せず、気を付けてください。
水彩画207:モンサンミッシェル 水彩画208:西欧の街角

   久しぶりに、終活で読んでいる本の話です。本は、野坂昭如の「科学文明に未来はあるか」です。発刊が1983年(昭和58年)ととても古いのですが、当時の私はまだ若気が残っており、現代科学技術の”発展”に何か疑問を感じていた頃です。この問題はどんなに考えても解決策というものは見つからないのではないかと、今は科学技術の問題を考えることはあきらめ、そのような類の本を新たに買って読むことさえもなくなっていました。

 本書の内容は、小説家の野坂が、科学者(大学教授)と科学技術の問題、課題を対談するといった形になっています。テーマは、現在でも全く重要なものですが、最近は金儲けの話が中心で、科学技術のありようや付き合い方などはあまり見向きもされていないように思っています。また、討論内容も、状況の確認や問題の提起だけで、当然ですが一般的な方向性を語るだけで、現実的な解決策を提示しているようにも思いません。

 本書の目次(タイトル)は次の7つです。 T.科学はどこへ−科学と文学の対話、U.核兵器とコンピュータの現在、V.ゴミを出す人間と廃棄物を出す産業、W.消える自然にはびこる人間、X.生と死の老人問題、Y.生存機械としての人間とヒューマニズム、Z.科学文明に未来はあるか 以上です。すばらしいタイトルで圧倒されそうですが、見方を変えれば知識人たちのたわいのない話し合いといったところです。それでも、野坂がこれの問題にまじめに取り組んだ姿勢はとても賞賛すべきことかと思います。そのさわり”はしがき”を紹介してみます。

 「仰々しい、恥ずかしくなるほどの表題を掲げ、素人が臆面もない身の程知らずと批判はあろう。科学は言うまでもなく特別な知識を持たねば理解できず、技術も今日の大規模なシステム、微小な装置など、よほどの技術者に聞かねばわからない。それぞれに狭い専門領域というのもある。ぼくがたまに多少まともなことをしゃべったところで、大学教授とは雲泥の差、てんで相手にもされず、だから素人の発言はとかく先鋭的になりがち。

 専門家の言うことはそれはそれで重視しなければならない。しかし、ぼくだって領域をうんと限れば何かの専門家にはなる。この年になるまで自分の人生についてはぼくがただ一人の専門家だ。科学や技術は僕らの生活を変えてきたし、これからも変えてゆく、それは間違いない。世捨て人にたとえなろうと決意したところで、現代文明に深く組み込まれた科学や技術と無関係にすごすことはとてもできない相談。市民が市民の”専門家”として自分たちの現在の姿をふりかえり未来を見通そうとすると。悪魔的な魅力をふりまく科学技術がいかんともしがたくつきまとってくる。

 どうすればいいか。人文科学系、少なくともその分野を生業ととしているぼくも、社会科学系の政治・経済から離れて生きて行けやしないし、ものもかけない。そう思えば、自然科学だけが特別で、避けて通ってそれですむものではない。せめて、目まぐるしく発展する科学技術を情緒のみでなく、いくらかでも、理性で理解することから始めたい、と思うのだ。 以下省略」

 次は、野坂の科学技術に対する愚痴?あるいは提言?である (「Z科学文明に未来はあるか」の抜粋)。

 「そこで、われわれに何ができるのかをよく吟味したいと思う。」科学技術の限界は、先に述べた、人間性の回復に果たして科学技術がその手段、になりえるかどうかにあると思う。科学技術は、食料を含め生活物資や娯楽物資を大量生産するに大なる貢献をしているのは事実である。そして、僕らの生活が楽になったのもその恩恵といっていい。忙しい折、子供にTVかゲームウォッチをあてがっておけば、面倒からまぬかれるし、工場生産ともいえる学校給食があれば、女房も大いにカルチャアを身につけ得る。

 中略

 一体どうしたらよいのか。科学技術の発展のおかげで、食料・医療がある程度保障され、少なくとも、そのために人口が増加している。人間の数の上での繁栄を求める限り、ますます科学技術の進歩を期待する。また、一度生活の利便を得ると、ヒトはもうそれを手離せず、しかも自らの力で手に入れたものでないから、その確保をお上に任せる。そして、お上のてっとり早い最終手段は、いつも侵略戦争なのだ。

 だから、個々人が際限のない利便追及を、適当なところで中止しなければならないと、ぼくは思うようになった。 以下省略」

 長くなってしまいましたが、野坂が”東北大震災と原子力爆発”、あるいは現在の新型コロナウィルスの世界的蔓延を体験したら、どんな発言をしたのだろうと思ってしまいました。私は、恐らく、科学技術の諸課題に対する解決策などはないと思っています。ヒトの考え方や行動が今の資本主義的なものから全く違った新たなものに変革されない限り、未来の希望はないのではと思っています。思うのは自由ですよね。でもこんなことを考えても、”時”はすぐそばにまで来ています。私には、力もありませんが、”時”ももうすぐなくなります。 


☆ 2020年04月19日 : ”アベノウィルス”に負けずがんばっています

 4月10日(土)から17日(金)まで、山中湖に滞在しました。都外へはむやみに出かけるなという要請が出ていますが、山中湖は観光客がめっちゃ少なく、閑散としており、いわゆる”3密”状態はありませんでした。ほとんど庭で仕事をしていましたが、天気がよくなく、13日(月)は昼過ぎから雪となり、2cmほど積もりました。普通タイヤに取り換えたばかりだったのでちょっと慌てましたが、翌朝には道路の雪はなくなり、ほっとしました。

 道路情報ですが、不通になっていた道志みち(国道413号線)の青根付近の道路が開通し、大型車以外は通行がOKとなりました。もう交通遮断はやめてほしいですね。

前日(13日)の雪とトサミズキ 子ジカ君(家の前の道路)

 今回も、森友自殺財務省職員赤木さんの件です。週刊文春4月23日号で、赤木さんの奥さんに対し近畿財務省内部の人からと思われる匿名の手紙が届いたそうです。その一部を紹介します。

 「赤木さんの自殺の件は、佐川元長官が首謀者のようになっていますが、本当は、赤木さんを助けなかった近畿財務局の直属上司たちが一番罪深いと思います。にもかかわらず、当時の近畿財務局管財部の上司たちは、全員、異例の出世をしています。まさに赤木さんを食い物にしたのは、この5人だと思います。良識のある近畿財務局の職員は、きっとそう思っています。」 続けて、5人の職員の実名が、@からDまで番号を付けて掲げられ、説明があります。

 「@楠 管財部長ー>2018年7月 総務部長(高卒プロパー初)−>2019年7月 定年後、神戸(財務)事務所にて再任用(初の個室付き)−>2020年2月 神戸事務所退職ー>2020年3月 神戸信用金庫に即、天下り(公務員の再就職等規制違反にならないのか?)」 A以降も、当時俊夫さんの上司だった管財部次長や管財総括課長が、軒並み出世した様が詳細に記されているそうです。”森友疑獄”はこれからも解明する必要があります。国民はこのことを忘れてはいけないと思います。

 今回の新型コロナウィルスに対する安倍、菅の対策はまったくひどいものです。小池もオリンピックが終わったら、突然元気を出してはしゃいでいます。ご立派なことです。私には、”アベノウィルス”対策の失敗でウィルス感染が拡大し(諮問委員会も安倍に忖度しているように思われます)、ロックダウンに向けて粛々と進んでいるように思えてしまいますが、いかがなものでしょうか。 


☆ 2020年04月11日 : 赤木さんの悲痛な叫びを無視して、何が国民の命なものか

 週刊文春3月26日号で、「森友自殺財務省職員 遺書全文公開 ”すべて佐川局長の指示です”」というタイトルで、自殺した財務省職員の赤木さんの手記と遺書(メモ)が公開されました。赤木さんの奥さんが、18日に、学校法人森友学園への国有地売却と財務省の公文書改ざん問題で、ご主人の同省近畿財務局の赤木俊夫さんが自殺したのは、公文書の改ざんに加担させられたからだなどとして、国と佐川宣寿・元財務省理財局長に計約1億1200万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしました。

 本件については、大阪地検特捜部は弁護士から告発された佐川ら38人を不当にも不起訴処分として、捜査を終了してしまい、詳しい捜査内容は隠蔽したままです。
水彩画205:樹々と川(1) 水彩画206:樹々と川(2)

 赤木さんの””手記”は、次のような告発を行っています。 「刑事罰、懲戒処分を受けるべき者 佐川理財局長、当時の理財局次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部 担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやることができる役人失格の職員) この事実を知り、抵抗したとはいえ関わったものとしての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)」

 「家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何? 兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。さようなら」

 もともと森友学園の”真実”はわかっていました。ただ、安部、麻生をはじめ、佐川、太田(佐川の後を継いだ理財局長)などが詭弁を使いながら虚偽の答弁を行っていたにすぎません。赤木さんの文書は、真実を赤裸々に報告しており、ダメ押しのようなものです。これに対し、我が国のトップ安倍と麻生は、問題は解決済みといって、赤木さんの訴えにはまともに対応しようとしません。佐川や他の財務官僚は、モグラのように地下に潜って、じっと黙り込んで、時が過ぎるのを待っています。安倍に忖度したのか、検察も口を閉じたままです。これは、まさに”森友疑獄”ともいうべき事態です。この国はいつからこんなになってしまったのでしょうか(明治以来ずっとそうだったのかな?)。

 こんな安倍が、今般の新型コロナウィルス感染拡大の事態に対し、”緊急事態宣言”とやらを発し、”国民の命を守るために外出を自粛してください”などと偉そうなことを言っているのを見ると、私は腹が立ってきます。自分の行為、発言のために、一人の誠意をもった官僚が死に追い込まれた事実を直視することもしないで、どんな立派なことを言っても、人間として許すことはできません。あまり期待もできないのですが、森友・加計疑惑、自衛隊の中東派遣の法解釈疑惑、サクラを観る会疑惑、さらには黒川の定年延長疑惑などなど、国政の私物化は言語同断です。あの詭弁、言い逃れ、誤魔化しは、聞くに堪えません。情けないですね!!


☆ 2020年04月06日 : コロナはどこ吹く風 春爛漫(2)

サクラ並木(石和温泉) ハナモモ(石和市郊外) モモの花(笛吹市) サクラ(御殿場市富士霊園)

 コロナウィルスで不要不急の外出自粛要請が出ている中、甲府盆地の石和と笛吹のサクラ、モモの花の開花状況を確認してきました。石和の温泉通りのサクラは満開でしたが、木が小さいため、やや貧弱でした。それにしても、人出はほとんどなく、閑散としていました。マルスワイン酒造所や和菓子屋さんで買い物をしたのですが、店内は買い物客はゼロ。店員さんは観光客が来ないとぼやいていました。石和市郊外に花桃園があるという情報を得たので、そちらも立ち寄ってみました。名前に違わず濃ピンクや白のハナモモが畑一面に咲いており、圧巻でした。山中湖へ向かう途中、笛吹市のモモの花も見てきました。こちらも満開となっており、あたり一面がピンク色となって、とてもきれいでした。甲府盆地は春爛漫でした。

 日曜日には、御殿場の富士霊園のサクラを見に行ってきました。こちらは、外出自粛要請にもかかわらず、結構お花見客が繰り出していました。人が多いといっても、広大な敷地なので、上野や目黒のような混雑はありませんでした。以前から一度サクラの時期に来たいと思っていたのですが、長い満開のサクラ並木路がとてもきれいで、感激しました。

 ログビルダー松本さんからもらったヒノキの丸太で門柱を作りました。南門、中門そして北門(駐車場1)の3か所です。なかなか良い雰囲気で、満足しています。
ヒノキの門柱(中門)


☆ 2020年03月29日 : コロナはどこ吹く風 春爛漫

サクラ(東村山全生園) サクラ(立川昭和記念公園) カタクリ(清瀬市) 新潟角田山カタクリ(2011)

 コロナウィルスの進出にもかかわらず、東京は春爛漫です。全生園のサクラを見物する人は、平日でもあるためかパラパラでした。昭和記念公園は、カルチャークラブのスケッチで行きました。こちらは、平日でも結構人が出ていましたが、敷地が広いので、混雑するような状況ではありませんでした。ソメイヨシノ、ヒガンザクラ(陽光)、レンギョウのコラボレーションがとてもきれいでした。カタクリは清瀬市の公園で咲いていたものですが、まだ少し早かったようです。カタクリは、2011年に新潟角田山で斜面一面に群生したのを観たことがあります(写真)。この群落の光景は今でも目に焼き付いており、それに比べると、他のカタクリの群落はみすぼらしく見えてしまい、感動することができなくなりました。それほど角田山のカタクリは素晴らしかったです。でも、もう体力がないので見に行けなくなりました。残念!
 
 新型コロナウィルス(SARS-COV-2)の勢いが止まりませんね。どうやらオーヴァーシュートが東京に近づいているのでしょうか?中央道や道志みちがシャットダウンされると山中湖から東京に戻れなくなる恐れがあるので、しばらく山中湖へ行くのは中止しようと思っています。それにしても、発表される日本の感染者数は世界と比べて異常に少ないですね。本当に感染者が少ないのか、それとも感染者の検査をしていないからなのかわかりませんね。以前の原発事故でも情報隠しをやっていたので、出てくる数字が信用できません(海外ジャーナリストも言ってました)。日本の今後の状況を世界が注目しているようです。
 安倍ちゃんは、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)になると、偉く立派なことを言っていますが、足元の御夫人の能天気な行動にもちゃんと注意をしてほしいものですね。ところで、財務省職員の赤木さん(自殺された)の奥さんが、財務省文書改ざん事件に関連して国と佐川を訴えました。コロナ感染に隠れて、なかなか表に出てきません。安倍、麻生ちゃんは喜んでるでしょうね。でも、この安部・麻生”疑獄”をは皆さん忘れてはいけません(後日取り上げる予定です)。

 上の2件に比べればどうでもよいことですが、メルマガ”富士の国やまなし”のプレゼントに応募し、久しぶりに当選しました。プレゼントがすごい!「山梨の酒 純米酒 飲み比べ7本+デザインお猪口2個セット」です。7本の日本酒(180ml)は、”谷櫻”、”男山”、”七賢”、”太冠”、”春鶯囀”、”笹一”そして”甲斐の開運”でした。早速一本ご賞味させていただきましたが、口当たりがよく、いっぺんに酔いがまわってしまいました。今年は良い年でありますように!
豪華な山梨の酒7本


☆ 2020年03月22日 : 暖かな日差しの下で庭仕事が進みます

春一番のフクジュソウ アセビ ヒノキの丸太 ヒノキの樹皮はぎ
 3連休初日の20日(金)朝早く山中湖へ向かいましたが、中央高速道は府中国立ICから大渋滞となっていました。やむを得ず、国道20号線を通って高尾まで行き、圏央道高尾IC、相模原ICを通って道志みちを登りました。ところが、道志みちも結構車とツーリングバイクが多く驚きました。安倍ちゃんの”不要不急の外出は控えるように!”というお告げは全然守られていませんでした。信用ないのかなー?

 3連休の山中湖は、風がやや強かったですが、とても3月とは思えない暖かさでした(ただし、21日(土)の朝はマイナス1度に下がり、車のガラスに氷が張りましたが)。フクジュソウが今年も咲いてくれました。アセビも満開です。うれしいですね。

 私のログキャビンを建ててくれたログビルダー松本さんが、大量のヒノキとスギの丸太を届けてくれました。針葉樹はストーブの薪にするのは如何なものかと考えていますが、とりあえず庭の工作物に使えそうなので、これからの庭仕事が楽しみです(本当は体力が衰えており、やや苦痛なのですが、いい機会なので頑張ってみようと思っています)。
水彩画204:街並みと係留船

 早速、家内が今の門柱が腐ってきてグラグラしているので、ヒノキの柱に取り換えたいと提案してきました(実際は作業命令ですが)。それで、まずは丸太の樹皮はぎをはじめました。ヒノキは樹皮をむくと、血のような赤色がでてきました。とてもきれいですね。はじめて知りました。何とか、南門と駐車場門にそれぞれ門柱(それぞれ2本)を建てました。赤銅色の門柱は結構素敵でした。これを見て、家内は板戸も付けたいと私に追加注文、とほほほ・・次回は板戸の材料購入と製作をしなければならない羽目となりました。4、5月と庭仕事が忙しくなりそうです。


☆ 2020年03月15日 : 暖かい山中湖は、一転して雪が降り始めました

 13日(金)の山中湖はとても暖かく、久しぶりに畑の土起こしや薪割りなどをやりました。陽もだいぶ伸びてきたので6時近くまで作業ができました。肉体作業は気持ちがよいですね。ところが翌日14日(日)は寒く、朝から雪が降り始め、庭は雪が積もり始め、真っ白になりました。庭作業が全然できないので、お昼には東京へ戻ってしまいました。帰りの道志みちは積雪が若干ありました。最近はスタッドレスタイヤで雪道を走ることはほとんどなくなりましたので、久しぶりの雪道のドライブは気分爽快でした。山伏峠付近の樹氷がとてもきれいでした。

、新コロナウィルスのお陰で、私は最近はストレスが積もり始めましたが、皆さんは如何ですか。3月末に予定していた関西桜見ツアーをキャンセルし、今日は5月に予定していた海外ツアーもキャンセルしました。旅行はどこも行けないし、スイミングもダメとなっては、あの世行き準備の終活読書をするくらいです。

 終活で読んでいる本「分子からみた生物進化」(宮田隆)に、男女の性差について面白い見解が記されていたので掲載します。分子進化学者が考える人間の性差は、かなりいいかげんな話のように思えました。
14日(土)は朝から雪が降りました
 「女性は原始文化の保護者? <中略>

 さらに哺乳類で、母体から胎児に栄養を与え、ある程度成長した段階で出産する胎生が進化した。この出産方法は、より安全で生存力の高い子供へと成長することを可能にした。胎生では、胎児はある程度まで母親の胎内で成長して出産されるが、それでも十分成熟した状態とはいい難い.。そのため、出産後の保育がメスの重要な仕事になる。特に人類では、子供は未熟児として生まれ、大人に成長するまでに長い時間を要するので、育児は女の生涯の仕事になった。(私の注:メスが子供を産んで、育児をオスに任せる動物もいるようだが・・) <中略> 」

 「育児期間の長い人類では、特殊な形態が進化した。閉経の獲得は、リスクの高い高齢での出産を断念し、孫も含めて育児に専念させる上で、適応的であったと、ジャレド・ダイアモンドは主張している。さらに、女は、月経を隠蔽することで、男を常に自分の周りに引きつけておくことになり、それは、男に外敵からの保護と育児の手伝いをさせることにもつながった。一方オスでは、”量の戦略”を取り始めた当初から形態や行動の上で本質的な変化はみられない。できるだけ多くのメスとの交尾が哺乳類の時代になっても、いぜんオスの主要な行動になっている。この違いは、ここでは詳細を避けるが、恋愛心理の男女差に代表されるように、われわれ人間の性格や行動における性差に色濃く反映していると筆者は考えている。”永遠に変わらぬ愛”を望む女性心理と”愛を確信すると冷める”男性心理は、恋愛における男女間の本質的な差異であろうが、その差異の進化的期限を尋ねれば、十億年ほど前に始まった、”質の戦略”と”量の戦略”にさかのぼると筆者は考える。」
 *メスの”質の戦略”、オスの”量の戦略”は筆者の主要な理論のようですが、ここでは説明をしません。

 「人類の狩猟採取時代では、女は育児をしながら、果実、木の実、キノコなどの食料を採集し、一家の生活を支えてきた。男は主に狩猟に従事したが、彼の収穫は不十分で、生活のあてにできるほどのものではなかったに違いない。毎日猟に出かけることはあっても、家族を養うに十分な物を持ち帰る予定が立たないので、日々の必要な食料としてあてにするわけにはいかなかった。たまに、栄養価の高い獲物を持ち帰ることはあっても、手ぶらで帰る日の方が圧倒的に多かったと思われる。そのため、女が採集した食料で家族全員が生き延びていたと考えられる。人類にとって、女の生存がきわめて重要であった。 <以下も面白い内容が続くのですが、長くなるので省略します> 」

 論旨がよくわからない部分が多いのですが、分子進化学者は、勝手な想像をあたかも見てきたかのように言って話を進めるものだなと、呆れてしまいました。
 


☆ 2020年03月09日 : 東京は春満開です

コブシとヤブツバキ コヒガンザクラと菜の花 ミツマタ ジンチョウゲ
 新型コロナウィルスの感染拡大が収まりませんね。安部、菅両君の対応はいつもながらひどいものですね。こちらは正確な情報さえわからないので、まあ個々の批判は控えたいと思います。

 写真の花は、家の近くのハンセン病治療施設の全生園の花です(2月23日にも報告)。もう春満開ですね。きっと、サクラの開花ももうすぐですね。コロナウィルスの関係で、市のスイミングプールが閉鎖となり、糖尿病対策の週3回のスイミング通いがストップしています。時間を持て余し気味なので、代わりに近くでウォーキングをやっていますが、10,000歩歩くのはスイミングより大変ですね。

水彩画202:坂のある街並み 水彩画203:丘の上の街


☆ 2020年03月01日 : 山中湖も春のような暖かさです

 山中湖は春のような陽気でした。28日(金)には、ログビルダーの松本さんに来てもらい、庭の南西隅の高木(イタヤカエデとミズキ)の大枝をカットしてもらいました。大枝が隣地に大きく張り出していたので、ずっと気にしていたことです。だいぶすっきりしたのですが、一部カットできない大枝が残りました。切った枝は、薪材用に切って、薪を補充しました。

 畑の土が軟らかそうだったので、クワを入れてみたら、一部を除いてクワが入りました。今度山中湖へ行くときは、畑の土起こし作業が始まりそうです。楽しみですね。

 シカさんたちとは、毎日朝から顔を合わせます。朝窓を開けると、”おはよう”とあいさつするようです。もう慣れてきたという感じですね。ところで、終活で”動物たちの反乱 増えすぎるシカ、人里へ出るクマ”(河合雅雄、林良博)という本を読みましたが、幕末から明治にかけて欧米人が見た日本人の動物との付き合う様子が描かれていましたので、紹介します。

油彩画05:グラスとスプーン ハクチョウさん

 「不思議の国があった 野生動物の幸(さきわ)う国 

 幕末から明治初期に訪れた欧米人は、野生動物の豊かさと日本人の動物に対するやさしい態度に感嘆するとともに、不可思議さを表明している。例えば、明治6(1873)年北海道開拓使として招かれたエドウィン・ダン。彼は競馬育成に功があり、日本人を妻として、最後に駐日米国公使として活躍した人物である。最初に日本を訪れたときのこと、”芝、上野、東京中の草むらに雉がおり、英国大使館前の濠(皇居の濠)にはガンやカモなど水鳥が真っ黒になるほどいた。雄狐の鳴き声がしきりにし、狸もいる。朝、食堂のテーブルの上に雄狐がおり、バター皿の中身を食べていた”と記し、東京中で野生の鳥獣が人と共存している状況に感嘆している。当時東京は世界でも有数の大都市だったが、欧米の都市でこのように動物の幸(さきわ)う所はなかった。」

 「渡辺京二の力作”逝きし世の面影”には、”生類のコスモス”と題する章に、欧米人が見た日本人と動物との関係についての感想や記録が丹念に博捜(はくそう)されていて、興味深い。長崎の寺に宿っていたホジソン夫人は、ベッドや客間に侵入する蛇に悩まされ、殺すように頼んだが、”お寺の主”だと言ってどうしても殺してくれなかった。猫ほどの大きさの鼠(ねずみ)がのさばり、百足(むかで)に困り、”昆虫や危険な爬虫類の天国”と記している。駐日公使のハリスも”日本奥地紀行”のイザベラ・バードも、豚や鶏、使い物にならない馬などを殺すのを人々が拒否したといい、米国だったら馬肉業者がよろこんで馬を引き取るのにと、ハリスは不思議がっている。」

 「江戸は野良犬がはびこっていた。モースは人力車夫が道路にいる犬、猫、鶏を注意深く避けることに感心している。江戸だけでなく、神奈川にも長崎にも、どこにもおびただしい数の犬がいた。”犬は共同体の下級のメンバーとして遇されていた”という。安政6(1859)年に来日したサミュエル・ブラウンは、熱心に伝道活動を行ったが、創世記に登場する”人間は神が創った最高の被造物”という言葉を説いたとき、聴衆は人間が動物その他あらゆるものよりすぐれたものとは信じられない、と叫んだという。」

 「当時の日本は、人と生類は差別されることなく、自由に交流する心的世界があった。欧米人の動物観からすれば、信じられないユートピアの存在に感心するとともに、むしろ不思議の世界を見るような感じを持ったようだ。」

 私は、この文章を評価する能力はありませんが、当時の欧米人と日本人の動物に対する意識の違いが面白いですね。ところで、我々は山中湖のシカさんとはどうやって付き合えばよいのでしょうか??シカさんはかわいいのですが、庭に入って片っ端から草花や木の皮を食べるのは困ります。


☆ 2020年02月23日 : 東京には春がやってきた

ウメ ヤブツバキ アブラナ(菜の花) コスミレ?

 家の近くのハンセン病治療施設の全生園を散策しました。ウメ、ヤブツバキは1週間前はまだ花が咲いていなかったのですが、今回は7、8分咲きとなっていました。アブラナやコスミレの花も見つけました。今年は早い春を楽しみたいと思います。ところが、3月末の関西のサクラを鑑賞するツアーを申し込んでいたのですが、最近話題沸騰の新型コロナウィルスのためにキャンセルすることにしました。3日間大型バスで50人以上が同乗するツアーは、さすがにリスクが大きいのかなと思いました。ちょっと残念!!

 1月26日の”たわごと”で、畠山重篤の「森は海の恋人」に記載されている漁民による山の植樹の話を掲載しますと言ったのに、すっかり失念していました。以下に掲げます。

 「森は海の恋人植樹祭 開催のご案内
     とき/平成5年6月6日(日)、ところ/岩手県室根村矢越字山古沢地内(植樹会場) 上折壁小学校体育館(講演会場)

     夏木立に緑溢れしめ葉脈は 生命のやすみのような寂けさ  熊谷龍子」

 「森と海は、いにしえから生命を育むゆりかごです。 広葉樹の森にそっと分け入り、葉擦れに耳を傾けるとき、そして、海辺にたたずみ潮騒に浸るとき、あなたはやすらぎを覚えませんか。 森と海は清冽な水を湛えた川によって結ばれ、水が清ければ清いほど絆は深いのです。 ”森は海の恋人”を標榜しながら、気仙沼湾に注ぐ母なる川、大川よ永遠に清流であれと祈りつつ、室根山を中心にブナ(ぶな)、栃(とち)、水木(みずき)などの広葉樹約二千本を植林し、”牡蠣の森”と命名してきました。」

 「上流の山の子供達にを海に招き、海の生物とのふれあいの中から生態系について学んでもらいました。また、海の子供達には植林を通して森林の大切さを学ばせ、環境教育の手助けも行ってきました。 四年間の運動を通して教えられましたことは、海まで含めたこの地方の水環境の保全には、岩手県根室村の分水嶺の峰々から発する大川流域に生活する人々の、自然に対する思いやりの気持ちこそが、とても大切であるということでした。 最近になって、流域に生活する多くの方々から、上流にもっと大きな広葉樹の森をつくってみたい、との希望が相次いで寄せられ、その思いが実現することになりました。」

 「この度、室根村第十二区自治会に発足した”ひこばえの森分収林組合”の皆様との共催により、大川源流部に位置する矢越山古沢に三ヘクタール一万本の広葉樹の森をつくることになりました。今回は、欅(けやき)、山桜を中心に二千本を植林します。流域の絆の森、心ある人たちに開かれた森として、更に継続的に発展させていきたいと考えています。毎日、大川の水で生活されている気仙沼市民の皆さん、大川の水で稲作をされている農民の皆さん、養殖業を営む漁民の皆さん、そして未来の環境を担う、少年、少女の皆さん、一緒に植樹祭に参加しませんか。 午後からは、森の哲学者内山節先生をお迎えしての記念講演会も開催されます。」

 「皆様のご参加を心よりお待ち申し上げ開催のご案内とします。
           牡蠣の森を慕う会代表 畠山重篤
           ひこばえの森分収林組合代表 小岩邦彦」

 素敵ですね!うらやましいですね。私もこんな活動に参加してみたかったですね。ところで、気仙沼をはじめ東北地方太平洋沿岸部は先の大地震で壊滅的な被害をこうむりました。しかし、”牡蠣の森を慕う会”は、現在も”NPO法人森は海の恋人”として活動されているようです。何もお手伝いできませんが、頑張っていただきたいと思います。


☆ 2020年02月17日 : ”白神山地をゆく−ブナ原生林の四季”

 14日(金)、山中湖へ向かう途中、府中の郷土の森へ立ち寄り、梅を観てきました。梅はほぼ満開でした。平日にもかかわらず、年寄りの方が多く梅を楽しんでいました。もう春がやって来たようですね。

 ところが、山中湖へ着くと、我が家の庭は雪が残っていました。特に東側の軒下には屋根からの雪が積もっており、玄関へ行くのにそこの雪の尾根?を歩かざるを得ませんでした。雪の尾根は凍結しているの、除雪もままならないといったところです。雪は先月の28日に降った雪のようですね(東京でも雪が降った日です)。

 雪はありましたが、山中湖は暖かく、とても厳冬期とは思えません。15日(土)には、村のキャンドル雪まつりがあったようですが、とても雪まつりの雰囲気ではなかったでしょうね。
春が来た(府中郷土の森) まだまだ冬が居座り?

 終活の一環で、「白神山地をゆく−ブナ原生林の四季」(根深誠)を読みました。私は、2001年9月に、白神山地(二ッ森(1086m)と白神山(1232m)の登山と白神林道ドライブ)を訪れたことがあり(本ホームページに”わんだふる白神ブナの森”として掲載(ただし、現在は写真はカット))、また昨年は観光バスツアーでで十二湖散策と五能線乗車体験をしました。それで、懐かしくこの本を読みました。

 本では、登山家で弘前市在住の著者が、白神山地奥深くまで歩き回り、その魅力と保全を訴えています。特に地元のマタギとの交流が魅力的に描かれており、貴重なルポではないかと思います。また、青秋林道の建設反対運動において、地元弘前大学M教授が行政当局と一体となって、反対運動に対して執拗な妨害行為を繰り返したことに怒りを訴えているのが印象的でした。嘆かわしいことに、こういう御用学者は大学に多いのですよね。

 少し長くなりますが、著者が”熊撃ち長さん”(藤原長太郎氏)との山行(1985年11月14日)での会話の一部を紹介します。

 「私は長さんと会うのは二回目で、山へ同行するのはこれが初めてだ。長さんの指示にしたがって灰白色の作業ズボンを着用してきたのだが、”白っぽい”と注意された。長さんは、奥さんの光江さんに自分のズボンをタンスからださせて、”これにはき変えろ”という。カッターシャツとアノラックの色は合格。リュックザックは赤色なので不合格だったが、小屋掛けの場所までの往復に使うだけだから、”まあ、いいだろう”ということで許された。帽子は、ペンキで迷彩色に塗った長さんのヘルメットを借用することになった。長さんのいでたちはゲリラ戦さながらの完璧な迷彩服だ。長年の山での風雪にさらされて継ぎはぎだらけになっている。」

 「八時−−。渡渉にそなえて釣り用のウェイダー(胴つき長靴)をはき、荷物を積んで長さんのジープで出発する。先刻までの雪はやんでいたが、風は強く冷たい。 ”暑いと疲れるが、これくらいなら歩くには丁度よい” と長さんがいう。長さんは話好きだ。べらべらと私に語りかけてくる。 ”世の中はぜいたくになってよ。山へゆくのにマットだ、寝袋だ、格好だけは一人前よ” まるで私のことをいってるかのようだ。 ”先生が幼稚園の子供をみるようなもので、なにもいわなくてもそいつの中身はわかるんだ” さて、私は? ”東京からベンツ乗ってきてよ。札ビラ切った奴もいた” ”どうにもならないやつばかりがくる”」

 いろんなハンターがたずねてくるそうだ。 ”鉄砲持っているが歩けやしない。景色を眺めてその美しさで腹いっぱいになってよ、品物どころじゃないんだ” 長さんは山ではクマを”品物”と呼ぶ。そして打ち取ることを”仕事”という。”クマ、クマ”とさかんに口にする私を長さんは怒鳴った。 ”いい加減にせんか。品物といえ!”

 「やがて海岸沿いの国道101号をはなれて、追良瀬川の林道に車を走らせる。周囲の山々の上部は新雪で白くなっていた。その山々を眺めて、学生時代に山岳部に所属して過ごした冬山の思い出がなつかしく胸にこみあげてくる。その間にも長さんの話はとめどなく続き、その”語らい”は格言めいてきた。”人間、死ぬまで苦労、他人の何十倍も苦労しなきゃダメなんだ” ”物事は、なすもなさむも心次第よ” ”人生に完成はない。あるのは努力だけだ” ”迷い心があるうちは、まだはなたれ小僧の証拠よ” ”身を投じてこそ立つ瀬がある” ”他人のほめ言葉は、自分がうぬぼれるだけでプラスにならないから、それに耳を傾けてはならない” ”母親のオッパイにむしゃぶりつく赤子の無心さを、大人はみんな忘れてしまっている” ”モノじゃない。心なんだ” 長さんは、人間に大切なことは暖かい心であることを強調する。今の日本人はその心の温かさを失い、”ケダモノ”同然になっているというのだ」

 <中略>  「八時五五分−−。”濁沢堰堤”のある林道終点に着く。長さんは、ジープのボンネットにまで特製のカギをかけた。一部の地元のハンターたちに、いたずらされることがよくあるからだ。 ”ワシが品物を多く獲るから、妬んでいるんだ” 今日の目的地は、約四キロ上流で左岸に合流する”湯の沢”出会付近である。長さんは、漁師が使う網を改良してつくった手製のザックの中に、米袋に詰め込んだ食料を入れ、その上にバンドを首にかけた鉄砲を横に乗せて歩く。ザックのショルダーは車のシートベルトからできている。鉄砲は、アメリカ製の五連発銃で ”レミントンモデル742自動ライフル3006”だ。渡渉を繰り返し、追良瀬川を遡行する。 長さんによると、山腹に黒い物体が見え、もしそれが”丸くなったり長くなったり”して変形すれば間違いなく品物だ。品物は、いまの季節にはブナやナラの木から地面に落ちた身を拾って食べているのだ。」

 まだまだ熊撃ちの山行の話が続きますが、ここでストップとします。久しぶりに面白い本でした。
 


☆ 2020年02月10日 : 中国侵略戦争における毒ガス使用

 今週も、日本の中国侵略戦争の話題です。日本軍(関東軍)が中国東北部で、中国人の人体実験や毒ガス使用を行ったことをご存知ですか。前回も書きましたが、石井701部隊が中心となって実施しました。戦後、責任者の石井中将とその部隊は、アメリカとの闇取引で罪を免れました。多くの資料がアメリカに渡されたようですが、日本ではすべて破棄されたようです。そして、国内的にはかん口令が敷かれ、闇に葬られた状態になっています(安部・菅ちゃんのやり方と同じですね)。2月2日の「しんぶん赤旗」が、この日本軍によって遺棄された毒ガスについての問題を取り上げていました。簡単に紹介します。

 「日本軍遺棄毒ガス 敗戦時70万〜200万発 回収わずか6万発
アジア・太平洋戦争の終結から75年。中国には、日本軍が敗戦時に遺棄した毒ガス兵器がいまも残り、戦後数十年もたってから被害に遭った市民が多数います。彼らを継続的に(2006年から)診てきた日本の医師ら6人が昨年12月に訪中し、”被害者34人の検診を行いました。今回初めて精神科の医師が参加し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など心の症状についても診察しました。私たちはみなさんの体とあわせ、心の問題もみさせていただこうと思っています。吉中丈志医師(循環器科)が被害者らにあいさつしました。」
水彩画201:川と田園の風景

 以下に、遺棄毒ガス被害者の概要を記します(記事には詳細な話が掲載されていました)。

1)高名さん(23才):2003年8月、黒龍省チチハル市で、死傷者44人(1人死亡)を出した毒ガス兵器による事故に巻き込まれた。被害当時7才。
  *2003年のチチハル事件の発生源となったのは、毒ガス兵器を扱う日本軍516部隊の弾薬庫跡地で、地下駐車場を建設中に毒ガス液が
   入ったドラム缶が出土し、事故が起きた。
2)王成さん(39才):2004年7月、働いていた廃品回収所で、毒ガス液とは知らずにドラム缶を解体して被爆した。
3)劉浩さん(23才):吉林省敦化市で、郊外の川で友人と遊んでいたとき、日本軍の砲弾に触れて被害に遭った。被害当時8才。
4)男性Aさん(匿名希望、27才):劉さんと一緒に被害に遭った。
5)仲江さん(58才):1982年7月、黒竜江省牡丹江市で、同市の下水道施設工事で毒ガス液の入ったドラム缶が掘り出され、被害に遭った。当時20才。

 アフガニスタンでは中村哲医師が医療の傍ら農業・灌漑支援を行い、マスコミから賞賛を受けましたが、こちらの医師団については一般新聞などは取り上げたのでしょうか。どうも日本では生存中は正しく評価されず、殺されたりして事件になると取り上げられ、賞賛するといった傾向があるように思うのですが、間違っているでしょうか?日本政府は、中国人民に真摯に侵略戦争を詫びるとともに、被害者に対しては手厚い支援をやることが必要です。


☆ 2020年02月03日 : 中国人に対するビザ発給拒否訴訟の判決

 1月31日の朝日新聞で、「ビザ発給拒否訴訟 地裁判決」という小さな記事が載っていました。訴訟は、日本で開催された歴史問題のシンポジウムに参加する予定であった中国の12人に対して、日本が査証(ビザ)を発給しなかったことの適否を争ったものです。30日、東京地裁の前澤裁判長は、「ビザの発給は国の裁量に委ねれれており、違法ではない」として、原告の請求を破棄したそうです。何と頭の悪い裁判官でしょう。嘆かわしいですね。記事は、以下のように述べています。

 「シンポは市民団体主催で2015年11月に開催。旧日本軍による細菌戦の被害者遺族ら中国人12人が招かれ、2ヵ月前に成立した安全保障関連法に反対する人たちと交流する集いだった。だが、12人はビザの発給を拒まれて来日できず、このうちの3人と主催者側の日本人3人が”政権の考えに合わないシンポへの妨害が目的だ”などとして提訴していた。判決は、ビザ発給について”政治的・外交的な見地から特定の外国人の入国を好ましくないと判断して拒否できる”と判断した。」

水彩画113:ペットボトル 水彩画114:赤い花

 司法が行政に迎合して、隣国中国との間にある歴史問題を避けようとする態度は言語同断です。この訴訟はビザ発給の権限が国にあるかどうかの問題ではなく、日本が日中戦争でどんな悪辣な行為を行ったかを解明する努力をすべきであるという問題意識の有無が問われているのです。現在の日本人の多くは、中国侵略戦争で日本軍(石井701部隊)が細菌戦を実施したことを知らないと思います。野党も含め(除く日本共産党)、政府は歴史の真実に目をつむり、国民に歴史の真実を開示しようとしません。これでは、韓国、北朝鮮、中国との歴史問題はいつまでも解決に向かわないでしょう。

 これは、マスコミも同罪です。今回のような記事は、きちんと大きく報道すべきです。マスコミは、ドイツのナチスの戦争犯罪については、他人事のように大きく紙面を割いて報道しますが、日本の侵略戦争になると、トーンを落とし、日本政府におもんばかって訳の分からないことを述べるにすぎません。どうしようもありませんねん。


☆ 2020年01月26日 : 今週も何事もなく・・・と思いきや

 25日(土)は、久しぶりに朝霧高原までドライブをしてきました。朝霧高原の裏に位置するフードパークを食べ歩きしました。風もないので、比較的暖かく、お店をぶらりと見学したり、つまみ食い?をしたりして、結構楽しめました。もちろん、観光客は少なく、閑散としていました。

 26日(日)は、一転して雪となりました。深夜から降り始めたようで、朝には10cmくらい積もっていました。久しぶりの雪景色がきれいでした。帰りの道志みちも雪でしたが、里山の白く化粧した樹々と白い家の屋根がとってもきれいで、つい停車して写真を撮りました。


 
久しぶりの雪 道志の里山の雪景色

 終活の一環として、畠山重篤の「森は海の恋人」を読みました。記憶は薄れていますが、1990年代の自然保護運動が盛んな頃に、この”森は海の恋人”というフレーズを新鮮な感覚で受け止めたように思います。それで、きっとこの本を購入し読んだと思われますが、今では内容はすべて忘れていました。この本を再読して、このフレーズの生まれた背景がわかり、またまた感動した次第です。その背景を一部紹介します。

 以下の文章は、気仙沼の漁師でもある作者と、気仙沼にそそぐ大川の上流の山里に住む歌人熊谷龍子の間の感動的な話です(この文章の前を読まないと意味がよく分からないかもしれません)。

 「何度か訪問して話を聞いているうちに、洗練された言葉の世界の中に不思議な力が潜んでいることに気づかされた。そこで、海を守るために大川上流の室根山に広葉樹を植える運動を計画していることを説明した。そして簡潔で、わかりやすい、人の心を打つような標題をつくるのに力を貸して下さいとお願いしてみたのだった。海に来てもらい、生まれて初めて見るという、牡蠣、帆立貝、海鞘などの養殖筏に案内した。箱メガネで海中を覗いてもらい、海藻が生い茂り海胆が(ウニ)が岩に群れている海底の様子を観察したり、生きている海鞘を割って、海水で洗って食べてもらったりもした。いつもは、山から海の方を見ているのだが、船の上から見る室根山や手長山の姿に発想の転換を迫られて、考え込んだ日もあったという。」

 「手長山の雑木林に降った雨が大川を通して、ここまで届き、この豊かな海の幸をもたらすことを改めて説明すると、自然界の摂理の不思議さに感慨深げに頷くのだった。海辺の赤松林を渡ってくる快い朝風。照りつける真夏の太陽に光る海原。夕闇迫る加工の干潟に白く光る一面の葦原。見るもの全てが歌材であった。やがて、創作のプロセスの葛藤を潜り抜けて、一首の歌が生まれた。
 ”森は海を海は森を恋ながら悠久よりの愛紡ぎゆく” 」

 「そしてこの歌の中から、貝から真珠がこぼれるように、”森は海の恋人”というフレーズが誕生したのだった。それは、武雄、一六、龍子と、百年がかりではぐくまれた、柞(ははそ)の森のしずくのような言葉であった。」 *柞(ははそ):コナラ、クヌギなどの古称

 次回に、漁民による山の植樹の話を取り上げてみようかなと思っています。


☆ 2020年01月20日 : 何事もなく、のんびりと・・・

 今年は、何事もなく、のんびりと寒い季節を過ごしています。こうも刺激のない生活をしていると、これからどう過ごすか心配になってきます。とりあえず、水彩画の勉強と、糖尿病対策のためのスウィミングを頑張っています。後は、終活の一環として、生物学、生化学の勉強と蔵書の再読・破棄くらいのものでしょうか。

 そうですね。国内、海外のツアーも生き甲斐の一つで、歩けるうち、目の見えるうちにできるだけ旅行をするのを目標にしています。さて、今年は???




 
水彩画111:ボウル内の小鉢とビー玉 水彩画112:グラスとスプーン


☆ 2020年01月12日 : 山中湖は暖かいですね

 今年の冬も暖かいですね。昨年末の強風?で折れた木の枝を切り落として、薪用にカットしましたが、暖かいので作業がとても楽でした。

 大変お世話になっていた野口光男さんが、昨年9月にお亡くなりになったという知らせを受けました。山中湖で十数年のお付き合いでしたが、炭焼きや山野草、ホタル、ヤマブドウ、キノコなどなど、多くのことを教わりました。山中湖で充実した生活をおくることができたのも野口さんのおかげです。心からご冥福をお祈りします。

 12日(日)、山中湖村の出初式とやらを始めて見学しました(見学者は数人でした)。梯子に登っての演技でもあるかと思ったのですが、放水の実演だけでした。ちょっと残念! 
会場に駆けつける消防車 放水をする消防車


☆ 2020年01月06日 : 明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。つたないホームページですが、本年もよろしくお願いします。

 終活にいそしんでいるので、新年といってもどこも行くところがなく、かといってテレビもほとんど見なく、読書三昧でした。しかし、正月は天気が良くて、出たがり屋の家内にせっつかれ、4日(土)に重い腰を上げ、神代植物園と深大寺に行ってきました。植物園は冬なのでほとんど花はありませんでしたが、ロウバイだけが満開となっていました。深大寺は三が日が過ぎたにもかかわらず、善男善女?が大勢訪れており、蕎麦屋はどこも長蛇の列が出来ていました。やむをえず、草餅や植物園の売店のラーメンで腹を満たす羽目になりました。

 糖尿病対策のため、2日には初泳ぎをやりました。今年もお勤めに精進しようと思っています。
 
ロウバイ(神代植物園) 水彩画110:折り紙


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