☆ 星くずの”たわごと” 11 ☆   更新日: 2020年03月29日

** 人間の体を作っている原子はずっと昔に爆発した古い星の内奥部で作られた。その意味で人間は星くずからできているといえる。 **
** 人間の体を作っている原子は原子核とその周りをまわる電子からできているが、その間はとても広く、何もない真空といえる。 ****

                                                  
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☆ 2020年03月29日 : コロナはどこ吹く風 春爛漫

サクラ(東村山全生園) サクラ(立川昭和記念公園) カタクリ(清瀬市) 新潟角田山カタクリ(2011)

 コロナウィルスの進出にもかかわらず、東京は春爛漫です。全生園のサクラを見物する人は、平日でもあるためかパラパラでした。昭和記念公園は、カルチャークラブのスケッチで行きました。こちらは、平日でも結構人が出ていましたが、敷地が広いので、混雑するような状況ではありませんでした。ソメイヨシノ、ヒガンザクラ(陽光)、レンギョウのコラボレーションがとてもきれいでした。カタクリは清瀬市の公園で咲いていたものですが、まだ少し早かったようです。カタクリは、2011年に新潟角田山で斜面一面に群生したのを観たことがあります(写真)。この群落の光景は今でも目に焼き付いており、それに比べると、他のカタクリの群落はみすぼらしく見えてしまい、感動することができなくなりました。それほど角田山のカタクリは素晴らしかったです。でも、もう体力がないので見に行けなくなりました。残念!
 
 新型コロナウィルス(SARS-COV-2)の勢いが止まりませんね。どうやらオーヴァーシュートが東京に近づいているのでしょうか?中央道や道志みちがシャットダウンされると山中湖から東京に戻れなくなる恐れがあるので、しばらく山中湖へ行くのは中止しようと思っています。それにしても、発表される日本の感染者数は世界と比べて異常に少ないですね。本当に感染者が少ないのか、それとも感染者の検査をしていないからなのかわかりませんね。以前の原発事故でも情報隠しをやっていたので、出てくる数字が信用できません(海外ジャーナリストも言ってました)。日本の今後の状況を世界が注目しているようです。
 安倍ちゃんは、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)になると、偉く立派なことを言っていますが、足元の御夫人の能天気な行動にもちゃんと注意をしてほしいものですね。ところで、財務省職員の赤木さん(自殺された)の奥さんが、財務省文書改ざん事件に関連して国と佐川を訴えました。コロナ感染に隠れて、なかなか表に出てきません。安倍、麻生ちゃんは喜んでるでしょうね。でも、この安部・麻生”疑獄”をは皆さん忘れてはいけません(後日取り上げる予定です)。

 上の2件に比べればどうでもよいことですが、メルマガ”富士の国やまなし”のプレゼントに応募し、久しぶりに当選しました。プレゼントがすごい!「山梨の酒 純米酒 飲み比べ7本+デザインお猪口2個セット」です。7本の日本酒(180ml)は、”谷櫻”、”男山”、”七賢”、”太冠”、”春鶯囀”、”笹一”そして”甲斐の開運”でした。早速一本ご賞味させていただきましたが、口当たりがよく、いっぺんに酔いがまわってしまいました。今年は良い年でありますように!
豪華な山梨の酒7本


☆ 2020年03月22日 : 暖かな日差しの下で庭仕事が進みます

春一番のフクジュソウ アセビ ヒノキの丸太 ヒノキの樹皮はぎ
 3連休初日の20日(金)朝早く山中湖へ向かいましたが、中央高速道は府中国立ICから大渋滞となっていました。やむを得ず、国道20号線を通って高尾まで行き、圏央道高尾IC、相模原ICを通って道志みちを登りました。ところが、道志みちも結構車とツーリングバイクが多く驚きました。安倍ちゃんの”不要不急の外出は控えるように!”というお告げは全然守られていませんでした。信用ないのかなー?

 3連休の山中湖は、風がやや強かったですが、とても3月とは思えない暖かさでした(ただし、21日(土)の朝はマイナス1度に下がり、車のガラスに氷が張りましたが)。フクジュソウが今年も咲いてくれました。アセビも満開です。うれしいですね。

 私のログキャビンを建ててくれたログビルダー松本さんが、大量のヒノキとスギの丸太を届けてくれました。針葉樹はストーブの薪にするのは如何なものかと考えていますが、とりあえず庭の工作物に使えそうなので、これからの庭仕事が楽しみです(本当は体力が衰えており、やや苦痛なのですが、いい機会なので頑張ってみようと思っています)。
水彩画203:街並みと係留船

 早速、家内が今の門柱が腐ってきてグラグラしているので、ヒノキの柱に取り換えたいと提案してきました(実際は作業命令ですが)。それで、まずは丸太の樹皮はぎをはじめました。ヒノキは樹皮をむくと、血のような赤色がでてきました。とてもきれいですね。はじめて知りました。何とか、南門と駐車場門にそれぞれ門柱(それぞれ2本)を建てました。赤銅色の門柱は結構素敵でした。これを見て、家内は板戸も付けたいと私に追加注文、とほほほ・・次回は板戸の材料購入と製作をしなければならない羽目となりました。4、5月と庭仕事が忙しくなりそうです。


☆ 2020年03月15日 : 暖かい山中湖は、一転して雪が降り始めました

 13日(金)の山中湖はとても暖かく、久しぶりに畑の土起こしや薪割りなどをやりました。陽もだいぶ伸びてきたので6時近くまで作業ができました。肉体作業は気持ちがよいですね。ところが翌日14日(日)は寒く、朝から雪が降り始め、庭は雪が積もり始め、真っ白になりました。庭作業が全然できないので、お昼には東京へ戻ってしまいました。帰りの道志みちは積雪が若干ありました。最近はスタッドレスタイヤで雪道を走ることはほとんどなくなりましたので、久しぶりの雪道のドライブは気分爽快でした。山伏峠付近の樹氷がとてもきれいでした。

、新コロナウィルスのお陰で、私は最近はストレスが積もり始めましたが、皆さんは如何ですか。3月末に予定していた関西桜見ツアーをキャンセルし、今日は5月に予定していた海外ツアーもキャンセルしました。旅行はどこも行けないし、スイミングもダメとなっては、あの世行き準備の終活読書をするくらいです。

 終活で読んでいる本「分子からみた生物進化」(宮田隆)に、男女の性差について面白い見解が記されていたので掲載します。分子進化学者がかんがえる人間の性差は、かなりいいかげんな話のように思えました。
14日(土)は朝から雪が降りました
 「女性は原始文化の保護者? <中略>

 さらに哺乳類で、母体から胎児に栄養を与え、ある程度成長した段階で出産する胎生が進化した。この出産方法は、より安全で生存力の高い子供へと成長することを可能にした。胎生では、胎児はある程度まで母親の胎内で成長して出産されるが、それでも十分成熟した状態とはいい難い.。そのため、出産後の保育がメスの重要な仕事になる。特に人類では、子供は未熟児として生まれ、大人に成長するまでに長い時間を要するので、育児は女の生涯の仕事になった。(私の注:メスが子供を産んで、育児をオスに任せる動物もいるようだが・・) <中略> 」

 「育児期間の長い人類では、特殊な形態が進化した。閉経の獲得は、リスクの高い高齢での出産を断念し、孫も含めて育児に専念させる上で、適応的であったと、ジャレド・ダイアモンドは主張している。さらに、女は、月経を隠蔽することで、男を常に自分の周りに引きつけておくことになり、それは、男に外敵からの保護と育児の手伝いをさせることにもつながった。一方オスでは、”量の戦略”を取り始めた当初から形態や行動の上で本質的な変化はみられない。できるだけ多くのメスとの交尾が哺乳類の時代になっても、いぜんオスの主要な行動になっている。この違いは、ここでは詳細を避けるが、恋愛心理の男女差に代表されるように、われわれ人間の性格や行動における性差に色濃く反映していると筆者は考えている。”永遠に変わらぬ愛”を望む女性心理と”愛を確信すると冷める”男性心理は、恋愛における男女間の本質的な差異であろうが、その差異の進化的期限を尋ねれば、十億年ほど前に始まった、”質の戦略”と”量の戦略”にさかのぼると筆者は考える。」
 *メスの”質の戦略”、オスの”量の戦略”は筆者の主要な理論のようですが、ここでは説明をしません。

 「人類の狩猟採取時代では、女は育児をしながら、果実、木の実、キノコなどの食料を採集し、一家の生活を支えてきた。男は主に狩猟に従事したが、彼の収穫は不十分で、生活のあてにできるほどのものではなかったに違いない。毎日猟に出かけることはあっても、家族を養うに十分な物を持ち帰る予定が立たないので、日々の必要な食料としてあてにするわけにはいかなかった。たまに、栄養価の高い獲物を持ち帰ることはあっても、手ぶらで帰る日の方が圧倒的に多かったと思われる。そのため、女が採集した食料で家族全員が生き延びていたと考えられる。人類にとって、女の生存がきわめて重要であった。 <以下も面白い内容が続くのですが、長くなるので省略します> 」

 論旨がよくわからない部分が多いのですが、分子進化学者は、勝手な想像をあたかも見てきたかのように言って話を進めるものだなと、呆れてしまいました。
 


☆ 2020年03月09日 : 東京は春満開です

コブシとヤブツバキ コヒガンザクラと菜の花 ミツマタ ジンチョウゲ
 新型コロナウィルスの感染拡大が収まりませんね。安部、菅両君の対応はいつもながらひどいものですね。こちらは正確な情報さえわからないので、まあ個々の批判は控えたいと思います。

 写真の花は、家の近くのハンセン病治療施設の全生園の花です(2月23日にも報告)。もう春満開ですね。きっと、サクラの開花ももうすぐですね。コロナウィルスの関係で、市のスイミングプールが閉鎖となり、糖尿病対策の週3回のスイミング通いがストップしています。時間を持て余し気味なので、代わりに近くでウォーキングをやっていますが、10,000歩歩くのはスイミングより大変ですね。

水彩画202:坂のある街並み 水彩画203:丘の上の街


☆ 2020年03月01日 : 山中湖も春のような暖かさです

 山中湖は春のような陽気でした。28日(金)には、ログビルダーの松本さんに来てもらい、庭の南西隅の高木(イタヤカエデとミズキ)の大枝をカットしてもらいました。大枝が隣地に大きく張り出していたので、ずっと気にしていたことです。だいぶすっきりしたのですが、一部カットできない大枝が残りました。切った枝は、薪材用に切って、薪を補充しました。

 畑の土が軟らかそうだったので、クワを入れてみたら、一部を除いてクワが入りました。今度山中湖へ行くときは、畑の土起こし作業が始まりそうです。楽しみですね。

 シカさんたちとは、毎日朝から顔を合わせます。朝窓を開けると、”おはよう”とあいさつするようです。もう慣れてきたという感じですね。ところで、終活で”動物たちの反乱 増えすぎるシカ、人里へ出るクマ”(河合雅雄、林良博)という本を読みましたが、幕末から明治にかけて欧米人が見た日本人の動物との付き合う様子が描かれていましたので、紹介します。

油彩画05:グラスとスプーン ハクチョウさん

 「不思議の国があった 野生動物の幸(さきわ)う国 

 幕末から明治初期に訪れた欧米人は、野生動物の豊かさと日本人の動物に対するやさしい態度に感嘆するとともに、不可思議さを表明している。例えば、明治6(1873)年北海道開拓使として招かれたエドウィン・ダン。彼は競馬育成に功があり、日本人を妻として、最後に駐日米国公使として活躍した人物である。最初に日本を訪れたときのこと、”芝、上野、東京中の草むらに雉がおり、英国大使館前の濠(皇居の濠)にはガンやカモなど水鳥が真っ黒になるほどいた。雄狐の鳴き声がしきりにし、狸もいる。朝、食堂のテーブルの上に雄狐がおり、バター皿の中身を食べていた”と記し、東京中で野生の鳥獣が人と共存している状況に感嘆している。当時東京は世界でも有数の大都市だったが、欧米の都市でこのように動物の幸(さきわ)う所はなかった。」

 「渡辺京二の力作”逝きし世の面影”には、”生類のコスモス”と題する章に、欧米人が見た日本人と動物との関係についての感想や記録が丹念に博捜(はくそう)されていて、興味深い。長崎の寺に宿っていたホジソン夫人は、ベッドや客間に侵入する蛇に悩まされ、殺すように頼んだが、”お寺の主”だと言ってどうしても殺してくれなかった。猫ほどの大きさの鼠(ねずみ)がのさばり、百足(むかで)に困り、”昆虫や危険な爬虫類の天国”と記している。駐日公使のハリスも”日本奥地紀行”のイザベラ・バードも、豚や鶏、使い物にならない馬などを殺すのを人々が拒否したといい、米国だったら馬肉業者がよろこんで馬を引き取るのにと、ハリスは不思議がっている。

 「江戸は野良犬がはびこっていた。モースは人力車夫が道路にいる犬、猫、鶏を注意深く避けることに感心している。江戸だけでなく、神奈川にも長崎にも、どこにもおびただしい数の犬がいた。”犬は共同体の下級のメンバーとして遇されていた”という。安政6(1859)年に来日したサミュエル・ブラウンは、熱心に伝道活動を行ったが、創世記に登場する”人間は神が創った最高の被造物”という言葉を説いたとき、聴衆は人間が動物その他あらゆるものよりすぐれたものとは信じられない、と叫んだという。」

 「当時の日本は、人と生類は差別されることなく、自由に交流する心的世界があった。欧米人の動物観からすれば、信じられないユートピアの存在に感心するとともに、むしろ不思議の世界を見るような感じを持ったようだ。」

 私は、この文章を評価する能力はありませんが、当時の欧米人と日本人の動物に対する意識の違いが面白いですね。ところで、我々は山中湖のシカさんとはどうやって付き合えばよいのでしょうか??シカさんはかわいいのですが、庭に入って片っ端から草花や木の皮を食べるのは困ります。


☆ 2020年02月23日 : 東京には春がやってきた

章に、この頃来訪した
ウメ ヤブツバキ アブラナ(菜の花) コスミレ?

 家の近くのハンセン病治療施設の全生園を散策しました。ウメ、ヤブツバキは1週間前はまだ花が咲いていなかったのですが、今回は7、8分咲きとなっていました。アブラナやコスミレの花も見つけました。今年は早い春を楽しみたいと思います。ところが、3月末の関西のサクラを鑑賞するツアーを申し込んでいたのですが、最近話題沸騰の新型コロナウィルスのためにキャンセルすることにしました。3日間大型バスで50人以上が同乗するツアーは、さすがにリスクが大きいのかなと思いました。ちょっと残念!!

 1月26日の”たわごと”で、畠山重篤の「森は海の恋人」に記載されている漁民による山の植樹の話を掲載しますと言ったのに、すっかり失念していました。以下に掲げます。

 「森は海の恋人植樹祭 開催のご案内
     とき/平成5年6月6日(日)、ところ/岩手県室根村矢越字山古沢地内(植樹会場) 上折壁小学校体育館(講演会場)

     夏木立に緑溢れしめ葉脈は 生命のやすみのような寂けさ  熊谷龍子」

 「森と海は、いにしえから生命を育むゆりかごです。 広葉樹の森にそっと分け入り、葉擦れに耳を傾けるとき、そして、海辺にたたずみ潮騒に浸るとき、あなたはやすらぎを覚えませんか。 森と海は清冽な水を湛えた川によって結ばれ、水が清ければ清いほど絆は深いのです。 ”森は海の恋人”を標榜しながら、気仙沼湾に注ぐ母なる川、大川よ永遠に清流であれと祈りつつ、室根山を中心にブナ(ぶな)、栃(とち)、水木(みずき)などの広葉樹約二千本を植林し、”牡蠣の森”と命名してきました。」

 「上流の山の子供達にを海に招き、海の生物とのふれあいの中から生態系について学んでもらいました。また、海の子供達には植林を通して森林の大切さを学ばせ、環境教育の手助けも行ってきました。 四年間の運動を通して教えられましたことは、海まで含めたこの地方の水環境の保全には、岩手県根室村の分水嶺の峰々から発する大川流域に生活する人々の、自然に対する思いやりの気持ちこそが、とても大切であるということでした。 最近になって、流域に生活する多くの方々から、上流にもっと大きな広葉樹の森をつくってみたい、との希望が相次いで寄せられ、その思いが実現することになりました。」

 「この度、室根村第十二区自治会に発足した”ひこばえの森分収林組合”の皆様との共催により、大川源流部に位置する矢越山古沢に三ヘクタール一万本の広葉樹の森をつくることになりました。今回は、欅(けやき)、山桜を中心に二千本を植林します。流域の絆の森、心ある人たちに開かれた森として、更に継続的に発展させていきたいと考えています。毎日、大川の水で生活されている気仙沼市民の皆さん、大川の水で稲作をされている農民の皆さん、養殖業を営む漁民の皆さん、そして未来の環境を担う、少年、少女の皆さん、一緒に植樹祭に参加しませんか。 午後からは、森の哲学者内山節先生をお迎えしての記念講演会も開催されます。」

 「皆様のご参加を心よりお待ち申し上げ開催のご案内とします。
           牡蠣の森を慕う会代表 畠山重篤
           ひこばえの森分収林組合代表 小岩邦彦」

 素敵ですね!うらやましいですね。私もこんな活動に参加してみたかったですね。ところで、気仙沼をはじめ東北地方太平洋沿岸部は先の大地震で壊滅的な被害をこうむりました。しかし、”牡蠣の森を慕う会”は、現在も”NPO法人森は海の恋人”として活動されているようです。何もお手伝いできませんが、頑張っていただきたいと思います。


☆ 2020年02月17日 : ”白神山地をゆく−ブナ原生林の四季”

 14日(金)、山中湖へ向かう途中、府中の郷土の森へ立ち寄り、梅を観てきました。梅はほぼ満開でした。平日にもかかわらず、年寄りの方が多く梅を楽しんでいました。もう春がやって来たようですね。

 ところが、山中湖へ着くと、我が家の庭は雪が残っていました。特に東側の軒下には屋根からの雪が積もっており、玄関へ行くのにそこの雪の尾根?を歩かざるを得ませんでした。雪の尾根は凍結しているの、除雪もままならないといったところです。雪は先月の28日に降った雪のようですね(東京でも雪が降った日です)。

 雪はありましたが、山中湖は暖かく、とても厳冬期とは思えません。15日(土)には、村のキャンドル雪まつりがあったようですが、とても雪まつりの雰囲気ではなかったでしょうね。
春が来た(府中郷土の森) まだまだ冬が居座り?

 終活の一環で、「白神山地をゆく−ブナ原生林の四季」(根深誠)を読みました。私は、2001年9月に、白神山地(二ッ森(1086m)と白神山(1232m)の登山と白神林道ドライブ)を訪れたことがあり(本ホームページに”わんだふる白神ブナの森”として掲載(ただし、現在は写真はカット))、また昨年は観光バスツアーでで十二湖散策と五能線乗車体験をしました。それで、懐かしくこの本を読みました。

 本では、登山家で弘前市在住の著者が、白神山地奥深くまで歩き回り、その魅力と保全を訴えています。特に地元のマタギとの交流が魅力的に描かれており、貴重なルポではないかと思います。また、青秋林道の建設反対運動において、地元弘前大学M教授が行政当局と一体となって、反対運動に対して執拗な妨害行為を繰り返したことに怒りを訴えているのが印象的でした。嘆かわしいことに、こういう御用学者は大学に多いのですよね。

 少し長くなりますが、著者が”熊撃ち長さん”(藤原長太郎氏)との山行(1985年11月14日)での会話の一部を紹介します。

 「私は長さんと会うのは二回目で、山へ同行するのはこれが初めてだ。長さんの指示にしたがって灰白色の作業ズボンを着用してきたのだが、”白っぽい”と注意された。長さんは、奥さんの光江さんに自分のズボンをタンスからださせて、”これにはき変えろ”という。カッターシャツとアノラックの色は合格。リュックザックは赤色なので不合格だったが、小屋掛けの場所までの往復に使うだけだから、”まあ、いいだろう”ということで許された。帽子は、ペンキで迷彩色に塗った長さんのヘルメットを借用することになった。長さんのいでたちはゲリラ戦さながらの完璧な迷彩服だ。長年の山での風雪にさらされて継ぎはぎだらけになっている。」

 「八時−−。渡渉にそなえて釣り用のウェイダー(胴つき長靴)をはき、荷物を積んで長さんのジープで出発する。先刻までの雪はやんでいたが、風は強く冷たい。 ”暑いと疲れるが、これくらいなら歩くには丁度よい” と長さんがいう。長さんは話好きだ。べらべらと私に語りかけてくる。 ”世の中はぜいたくになってよ。山へゆくのにマットだ、寝袋だ、格好だけは一人前よ” まるで私のことをいってるかのようだ。 ”先生が幼稚園の子供をみるようなもので、なにもいわなくてもそいつの中身はわかるんだ” さて、私は? ”東京からベンツ乗ってきてよ。札ビラ切った奴もいた” ”どうにもならないやつばかりがくる”」

 いろんなハンターがたずねてくるそうだ。 ”鉄砲持っているが歩けやしない。景色を眺めてその美しさで腹いっぱいになってよ、品物どころじゃないんだ” 長さんは山ではクマを”品物”と呼ぶ。そして打ち取ることを”仕事”という。”クマ、クマ”とさかんに口にする私を長さんは怒鳴った。 ”いい加減にせんか。品物といえ!”

 「やがて海岸沿いの国道101号をはなれて、追良瀬川の林道に車を走らせる。周囲の山々の上部は新雪で白くなっていた。その山々を眺めて、学生時代に山岳部に所属して過ごした冬山の思い出がなつかしく胸にこみあげてくる。その間にも長さんの話はとめどなく続き、その”語らい”は格言めいてきた。”人間、死ぬまで苦労、他人の何十倍も苦労しなきゃダメなんだ” ”物事は、なすもなさむも心次第よ” ”人生に完成はない。あるのは努力だけだ” ”迷い心があるうちは、まだはなたれ小僧の証拠よ” ”身を投じてこそ立つ瀬がある” ”他人のほめ言葉は、自分がうぬぼれるだけでプラスにならないから、それに耳を傾けてはならない” ”母親のオッパイにむしゃぶりつく赤子の無心さを、大人はみんな忘れてしまっている” ”モノじゃない。心なんだ” 長さんは、人間に大切なことは暖かい心であることを強調する。今の日本人はその心の温かさを失い、”ケダモノ”同然になっているというのだ」

 <中略>  「八時五五分−−。”濁沢堰堤”のある林道終点に着く。長さんは、ジープのボンネットにまで特製のカギをかけた。一部の地元のハンターたちに、いたずらされることがよくあるからだ。 ”ワシが品物を多く獲るから、妬んでいるんだ” 今日の目的地は、約四キロ上流で左岸に合流する”湯の沢”出会付近である。長さんは、漁師が使う網を改良してつくった手製のザックの中に、米袋に詰め込んだ食料を入れ、その上にバンドを首にかけた鉄砲を横に乗せて歩く。ザックのショルダーは車のシートベルトからできている。鉄砲は、アメリカ製の五連発銃で ”レミントンモデル742自動ライフル3006”だ。渡渉を繰り返し、追良瀬川を遡行する。 長さんによると、山腹に黒い物体が見え、もしそれが”丸くなったり長くなったり”して変形すれば間違いなく品物だ。品物は、いまの季節にはブナやナラの木から地面に落ちた身を拾って食べているのだ。」

 まだまだ熊撃ちの山行の話が続きますが、ここでストップとします。久しぶりに面白い本でした。
 


☆ 2020年02月10日 : 中国侵略戦争における毒ガス使用

 今週も、日本の中国侵略戦争の話題です。日本軍(関東軍)が中国東北部で、中国人の人体実験や毒ガス使用を行ったことをご存知ですか。前回も書きましたが、石井701部隊が中心となって実施しました。戦後、責任者の石井中将とその部隊は、アメリカとの闇取引で罪を免れました。多くの資料がアメリカに渡されたようですが、日本ではすべて破棄されたようです。そして、国内的にはかん口令が敷かれ、闇に葬られた状態になっています(安部・菅ちゃんのやり方と同じですね)。2月2日の「しんぶん赤旗」が、この日本軍によって遺棄された毒ガスについての問題を取り上げていました。簡単に紹介します。

 「日本軍遺棄毒ガス 敗戦時70万〜200万発 回収わずか6万発
アジア・太平洋戦争の終結から75年。中国には、日本軍が敗戦時に遺棄した毒ガス兵器がいまも残り、戦後数十年もたってから被害に遭った市民が多数います。彼らを継続的に(2006年から)診てきた日本の医師ら6人が昨年12月に訪中し、”被害者34人の検診を行いました。今回初めて精神科の医師が参加し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など心の症状についても診察しました。私たちはみなさんの体とあわせ、心の問題もみさせていただこうと思っています。吉中丈志医師(循環器科)が被害者らにあいさつしました。」
水彩画201:川と田園の風景

 以下に、遺棄毒ガス被害者の概要を記します(記事には詳細な話が掲載されていました)。

1)高名さん(23才):2003年8月、黒龍省チチハル市で、死傷者44人(1人死亡)を出した毒ガス兵器による事故に巻き込まれた。被害当時7才。
  *2003年のチチハル事件の発生源となったのは、毒ガス兵器を扱う日本軍516部隊の弾薬庫跡地で、地下駐車場を建設中に毒ガス液が
   入ったドラム缶が出土し、事故が起きた。
2)王成さん(39才):2004年7月、働いていた廃品回収所で、毒ガス液とは知らずにドラム缶を解体して被爆した。
3)劉浩さん(23才):吉林省敦化市で、郊外の川で友人と遊んでいたとき、日本軍の砲弾に触れて被害に遭った。被害当時8才。
4)男性Aさん(匿名希望、27才):劉さんと一緒に被害に遭った。
5)仲江さん(58才):1982年7月、黒竜江省牡丹江市で、同市の下水道施設工事で毒ガス液の入ったドラム缶が掘り出され、被害に遭った。当時20才。

 アフガニスタンでは中村哲医師が医療の傍ら農業・灌漑支援を行い、マスコミから賞賛を受けましたが、こちらの医師団については一般新聞などは取り上げたのでしょうか。どうも日本では生存中は正しく評価されず、殺されたりして事件になると取り上げられ、賞賛するといった傾向があるように思うのですが、間違っているでしょうか?日本政府は、中国人民に真摯に侵略戦争を詫びるとともに、被害者に対しては手厚い支援をやることが必要です。


☆ 2020年02月03日 : 中国人に対するビザ発給拒否訴訟の判決

 1月31日の朝日新聞で、「ビザ発給拒否訴訟 地裁判決」という小さな記事が載っていました。訴訟は、日本で開催された歴史問題のシンポジウムに参加する予定であった中国の12人に対して、日本が査証(ビザ)を発給しなかったことの適否を争ったものです。30日、東京地裁の前澤裁判長は、「ビザの発給は国の裁量に委ねれれており、違法ではない」として、原告の請求を破棄したそうです。何と頭の悪い裁判官でしょう。嘆かわしいですね。記事は、以下のように述べています。

 「シンポは市民団体主催で2015年11月に開催。旧日本軍による細菌戦の被害者遺族ら中国人12人が招かれ、2ヵ月前に成立した安全保障関連法に反対する人たちと交流する集いだった。だが、12人はビザの発給を拒まれて来日できず、このうちの3人と主催者側の日本人3人が”政権の考えに合わないシンポへの妨害が目的だ”などとして提訴していた。判決は、ビザ発給について”政治的・外交的な見地から特定の外国人の入国を好ましくないと判断して拒否できる”と判断した。」

水彩画113:ペットボトル 水彩画114:赤い花

 司法が行政に迎合して、隣国中国との間にある歴史問題を避けようとする態度は言語同断です。この訴訟はビザ発給の権限が国にあるかどうかの問題ではなく、日本が日中戦争でどんな悪辣な行為を行ったかを解明する努力をすべきであるという問題意識の有無が問われているのです。現在の日本人の多くは、中国侵略戦争で日本軍(石井701部隊)が細菌戦を実施したことを知らないと思います。野党も含め(除く日本共産党)、政府は歴史の真実に目をつむり、国民に歴史の真実を開示しようとしません。これでは、韓国、北朝鮮、中国との歴史問題はいつまでも解決に向かわないでしょう。

 これは、マスコミも同罪です。今回のような記事は、きちんと大きく報道すべきです。マスコミは、ドイツのナチスの戦争犯罪については、他人事のように大きく紙面を割いて報道しますが、日本の侵略戦争になると、トーンを落とし、日本政府におもんばかって訳の分からないことを述べるにすぎません。どうしようもありませんねん。


☆ 2020年01月26日 : 今週も何事もなく・・・と思いきや

 25日(土)は、久しぶりに朝霧高原までドライブをしてきました。朝霧高原の裏に位置するフードパークを食べ歩きしました。風もないので、比較的暖かく、お店をぶらりと見学したり、つまみ食い?をしたりして、結構楽しめました。もちろん、観光客は少なく、閑散としていました。

 26日(日)は、一転して雪となりました。深夜から降り始めたようで、朝には10cmくらい積もっていました。久しぶりの雪景色がきれいでした。帰りの道志みちも雪でしたが、里山の白く化粧した樹々と白い家の屋根がとってもきれいで、つい停車して写真を撮りました。


 
久しぶりの雪 道志の里山の雪景色

 終活の一環として、畠山重篤の「森は海の恋人」を読みました。記憶は薄れていますが、1990年代の自然保護運動が盛んな頃に、この”森は海の恋人”というフレーズを新鮮な感覚で受け止めたように思います。それで、きっとこの本を購入し読んだと思われますが、今では内容はすべて忘れていました。この本を再読して、このフレーズの生まれた背景がわかり、またまた感動した次第です。その背景を一部紹介します。

 以下の文章は、気仙沼の漁師でもある作者と、気仙沼にそそぐ大川の上流の山里に住む歌人熊谷龍子の間の感動的な話です(この文章の前を読まないと意味がよく分からないかもしれません)。

 「何度か訪問して話を聞いているうちに、洗練された言葉の世界の中に不思議な力が潜んでいることに気づかされた。そこで、海を守るために大川上流の室根山に広葉樹を植える運動を計画していることを説明した。そして簡潔で、わかりやすい、人の心を打つような標題をつくるのに力を貸して下さいとお願いしてみたのだった。海に来てもらい、生まれて初めて見るという、牡蠣、帆立貝、海鞘などの養殖筏に案内した。箱メガネで海中を覗いてもらい、海藻が生い茂り海胆が(ウニ)が岩に群れている海底の様子を観察したり、生きている海鞘を割って、海水で洗って食べてもらったりもした。いつもは、山から海の方を見ているのだが、船の上から見る室根山や手長山の姿に発想の転換を迫られて、考え込んだ日もあったという。」

 「手長山の雑木林に降った雨が大川を通して、ここまで届き、この豊かな海の幸をもたらすことを改めて説明すると、自然界の摂理の不思議さに感慨深げに頷くのだった。海辺の赤松林を渡ってくる快い朝風。照りつける真夏の太陽に光る海原。夕闇迫る加工の干潟に白く光る一面の葦原。見るもの全てが歌材であった。やがて、創作のプロセスの葛藤を潜り抜けて、一首の歌が生まれた。
 ”森は海を海は森を恋ながら悠久よりの愛紡ぎゆく” 」

 「そしてこの歌の中から、貝から真珠がこぼれるように、”森は海の恋人”というフレーズが誕生したのだった。それは、武雄、一六、龍子と、百年がかりではぐくまれた、柞(ははそ)の森のしずくのような言葉であった。」 *柞(ははそ):コナラ、クヌギなどの古称

 次回に、漁民による山の植樹の話を取り上げてみようかなと思っています。


☆ 2020年01月20日 : 何事もなく、のんびりと・・・

 今年は、何事もなく、のんびりと寒い季節を過ごしています。こうも刺激のない生活をしていると、これからどう過ごすか心配になってきます。とりあえず、水彩画の勉強と、糖尿病対策のためのスウィミングを頑張っています。後は、終活の一環として、生物学、生化学の勉強と蔵書の再読・破棄くらいのものでしょうか。

 そうですね。国内、海外のツアーも生き甲斐の一つで、歩けるうち、目の見えるうちにできるだけ旅行をするのを目標にしています。さて、今年は???




 
水彩画111:ボウル内の小鉢とビー玉 水彩画112:グラスとスプーン


☆ 2020年01月12日 : 山中湖は暖かいですね

 今年の冬も暖かいですね。昨年末の強風?で折れた木の枝を切り落として、薪用にカットしましたが、暖かいので作業がとても楽でした。

 大変お世話になっていた野口光男さんが、昨年9月にお亡くなりになったという知らせを受けました。山中湖で十数年のお付き合いでしたが、炭焼きや山野草、ホタル、ヤマブドウ、キノコなどなど、多くのことを教わりました。山中湖で充実した生活をおくることができたのも野口さんのおかげです。心からご冥福をお祈りします。

 12日(日)、山中湖村の出初式とやらを始めて見学しました(見学者は数人でした)。梯子に登っての演技でもあるかと思ったのですが、放水の実演だけでした。ちょっと残念! 
会場に駆けつける消防車 放水をする消防車


☆ 2020年01月06日 : 明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。つたないホームページですが、本年もよろしくお願いします。

 終活にいそしんでいるので、新年といってもどこも行くところがなく、かといってテレビもほとんど見なく、読書三昧でした。しかし、正月は天気が良くて、出たがり屋の家内にせっつかれ、4日(土)に重い腰を上げ、神代植物園と深大寺に行ってきました。植物園は冬なのでほとんど花はありませんでしたが、ロウバイだけが満開となっていました。深大寺は三が日が過ぎたにもかかわらず、善男善女?が大勢訪れており、蕎麦屋はどこも長蛇の列が出来ていました。やむをえず、草餅や植物園の売店のラーメンで腹を満たす羽目になりました。

 糖尿病対策のため、2日には初泳ぎをやりました。今年もお勤めに精進しようと思っています。
 
ロウバイ(神代植物園) 水彩画110:折り紙


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