わんだふる ネパールヒマラヤ (1)

はじめに

 2003年12月26日(金)から2004年1月5日(月)の11日間、ネパール・クーンブ・ヒマール(いわゆる”エヴェレスト街道”)をトレッキングしてきました。歩いたところは、ルクラからナムチェ・バザール、クムジュン、そして今回の最高地点ゴンゴ・リを登頂し、ナムチェ・バザールに戻り、ルクラへ帰る5泊6日のコースでした。トレッキングのハイライトは、もちろん世界の最高峰エヴェレスト(8,848m)を始め、クーンブ・ヒマールの高山を展望することでした。トレッキング中は、初日小雪に見舞われましたが、それ以外は好天に恵まれ、すばらしいトレッキング体験をすることができました。これらの体験をご報告します。
 今回の報告は、「わんだふるカナディアンロッキーズ」、「わんだふる台湾山脈」、それに昨年の「わんだふるニュージーランドアルプス」に続くものです。今後、章立てに従って日記風に述べていきますが、一部創作もありますのでご了承ください(高度や時間等は一部不正確です)。よろしかったら、最後までお付き合い願います。

                                                               2004年1月12日(月)

  
1.プロローグ 
  2.ネパールへ向けて出発 : 12月26日(金)、27日(土) 
  3.クーンブ・ヒマール入口 ルクラ、パクディンへ : 12月28日(日) 
  4.シェルパの里 ナムチェ・バザールへ : 12月29日(月) 
  5.クーンブ・ヒマール展望1 クムジュンへ : 12月30日(火) 
  6.クーンブ・ヒマール展望2 ゴンゴ・リ登頂と帰路1 : 12月31日(水) 
  7.帰路2(モンジョからルクラへ) : 01月01日(木) 
  8.ルクラからカトマンズへ(市内観光) : 01月02日(金)、03日(土) 
  9.さよならネパール・ヒマラヤ : 01月04日(日)、05日(月) 
     *トレッキング留意事項(感想)* 
 

                                             => わんだふる山中湖(戻り)

1.プロローグ

 ネパールのヒマラヤをトレッキングをするのは、私にとって夢でした。特に最近は、体力の衰えが激しく、とても4,000、5,000mの高地まで登ることは不可能であると考えていました。しかし、いろいろと本を読んだり、トレッキング専門会社の説明会を聞いたりしている内に、家内や私でも行けるのではないか、今が最後のチャンスではないかと思いはじめ、思いきって今回のヒマラヤトレッキング”に挑戦することにした次第です。

 トレッキング専門の旅行会社からパンフレットを送ってもらい、休暇との関連で年末・年始のヒマラヤトレッキングツアーをいろいろと検討しました。主なコースには、”アンナプルナ・ヒマール地域”、”ランタン・シュガール・ヒマール地域”それに”クーンブ・ヒマール地域”の3コースがありました。この中で、世界最高峰のエヴェレスト(8,848m)が見られる”クーンブ・ヒマール地域”へ行く「エヴェレスト・パノラマロッジ・トレッキング」を選択しました。
 このコースは3コースの中で一番高所まで行くコースで(最高標高到達地点:4,020m、最高宿泊地:3,800m)、高山病が心配でしたが、エヴェレストを見たいという気持ちと、年甲斐もなく何事もチャレンジとの思いで、エヴェレストのコースを選択しました。日程は、12月26日(金)から翌年2004年の1月5日(月)までの11日間です。往復ともタイ航空を使い、それぞれバンコックで1泊するツアーでした。参加者は、ツアーリーダーを除いて、8名でした。

 仕事はなんとか都合をつけることができたのですが、昨年の秋に行った鳳凰三山の下り(ドンドコ沢)で、左脚を少しひねってしまい(腰から膝までのすねの部分)、申込み時はあまり気にしていなかったのですが、11月頃から脚が痛み始めました。また、家内も年末近くに腰痛が出始める始末でした。キャンセルしようかとも考えたのですが、今回を逃したら一生行けないと思い、薬を塗ったり、湿布したりして、治療?に努めましたが、最後は”どうにでもなれ”といった気持ちで、歩けなくなったところでリタイアし、ロッジで皆の帰りを待てば、迷惑もかけないだろうといった気持ちでした。

 ネパールのヒマラヤは世界の屋根と呼ばれ、世界最高峰のエヴェレスト(Everest:8.848m)を始め7,000m、8,000mを越す高峰がたくさんあることは誰もが知っていると思います。また、ネパールの首都カトマンズのヒンズー教寺院が世界文化遺産として指定されています。

 ヒマラヤとは、一般的には,東西約2,400Km、南北200から300Kmにおよぶ壮大な山塊地域を言うそうです。このヒマラヤの中核をなすのがネパール・ヒマラヤです。ネパール・ヒマラヤはいくつかの山群に分かれていますが、今回目指したところは、ネパール・ヒマラヤの東に位置するクーンブ・ヒマール(Khumbu Himal)という地域です。

 クーンブ・ヒマールは、エヴェレスト(ネパールではサガルマータ:Sagarmata、中国ではチョモランマ:Chomolangmaと呼ぶ)を始め、ローツェ(Lhotse:8,516m)、マカルー(Makalu:8,463m)、チョー・オユー(Cho Oyu:8,201m)の8000mを越える高峰が4座があり、ヒマラヤを代表する山群といえます。

 今回のトレッキングは、ルクラ(Lukla:2,850m)から入って、いわゆる”エヴェレスト街道”を通り、ナムチェ・バザール(Namche Bazar:3,440m)、クムジュン(Khumjung:3,790m)を周遊し、エヴェレストを始め、ローツェ、ヌプツェ、アマ・ダブラム等の秀峰を展望します。クムジュンでは、今回の最高到達点である、村の裏山?のゴンゴ・リ山(4,020m)の登頂がふくまれています。帰りは同じ道をルクラまで帰ることになります。
 ナムチェ・バザールは、シェルパ族の中心村であり、U字形の山腹に、ロッジや土産物店などがたくさん密集しています。シェルパ族とは、言わずと知れた、ヒマラヤ登山におけるサポータ(シェルパと言う)を多く輩出している民族であり、今回のトレッキングも、10名近くのシェルパの人々に支援してもらっています(恥ずかしながら?ゾッキョ(ヤクと牛のかけ合いで生まれる)にもお世話になっています)。




 ここで、ネパールについて簡単に説明します。ネパールは国王を戴いた王国です。国は東西に長く、そのほぼ中央にカトマンズ盆地があり、そこに首都カトマンズが置かれています。現在国情がやや不安定で、内戦一歩手前?のようでもあります。
 緯度は日本の奄美大島と同じくらいですが、標高は1300mから1400mで、気候は雨期と乾期とに分かれているそうです。12月は乾期で、雨はほとんど降らないとのことでした。12月の気温は、最高20度、最低2度くらいとのことで、日中と朝晩の寒暖の差が大きいようです。乾期のカトマンズは雨が降らないため、とても埃っぽいとのことです(私の場合はあまり感じられませんでしたが)。
 日本との時差は、マイナス3時間15分です。すなわち、日本の午前10時は、午前6時45分となります。通貨単位はルピーで、1ルピーおよそ2円くらいでした。宗教はヒンズー教(カースト制度がある)が主であるようですが、チベット仏教なども混在しているようです(一般の日本人にはよくわかりません)。

 それでは、これから「わんだふるネパール・ヒマラヤ(エヴェレスト街道)トレッキング」の体験をご報告します。是非最後までお付き合いください。


2.ネパールヘ向けて出発 : 12月26日(金)、27日(土)
2.1 東京からタイ・バンコックへ(12月26日(金))

 26日(金)、日本全国快晴であった。今回のツアーは、当初成田からの出発予定であったが、ツアー会社の原価低減のためか、羽田から関西空港経由バンコック行きとなった。朝6時20分、羽田空港に集合。参加者はツアーリーダーを含め7人である(関西空港で2人が合流する)。7時のJAL便で出発し、8時20分に関西空港到着。ここで関西から出発する2人と合流し、計9名となった。
 関西空港で出国手続きを行ない、いよいよネーパル・ヒマラヤの旅の出発である。10時発のタイ航空TG621便に搭乗し、ほぼ定時に日本を飛び立った。およそ4時間半のフライとで、現地時刻13時30分にマニラに到着した。一度飛行機を降りるが、14時30分、再び同一機でバンコックに向けて出発し、現地時間16時30分(およそ3時間のフライと)にバンコックに到着した。

 東京に比べ(暖冬とはいえ冬である)、バンコックは、当たり前だがたいへん蒸し暑く、東京から着てきたフリースはしまいこんで、シャツだけになった。飛行場から出迎えのマイクロバスに乗り、自動車専用道路を通って、今晩泊まるホテル”RANA GARDEN Hotel”に到着した。着いたのは18時頃で、すでに暗くなり始める頃であった。夕食は、ホテル内のレストランでタイ料理(非常に辛い味のカレー料理、二人でドリンクを含めて約800バーツ(1バーツ約3円))を食べた。飛び上がるほど辛かったが、南国的で、とてもおいしかった。
 東京からタイまではそんなに遠くはないはずだが、今回は朝3時半に起きて、乗り継ぎの多い行程だったので、かなり疲れてしまった。明日も早朝からの行程なので、食後すぐに寝てしまった。


Rana Garden H


2.2 タイ・バンコックからネパール・カトマンズへ(12月27日(土))

 27日(土)は快晴であった。5時半に元気に起き、6時には朝食(バイキングスタイル)をとった。集合まで少し時間があったので、ホテルの庭を散歩し、南国の雰囲気をちょっぴり楽しむことができた。8時にロビーに集合し、直ちに出発し、バンコック空港に向かった。昨日の夕方もそうだったが、自動車専用道路は朝から多くの車がスピードと車線変更を繰り返しながら走っており、私からみると、とても”無謀な?”運転のように見えた(台湾でも同じような感じを持ったが、どうも東南アジアはすべて同じなのだろうか)。 
 バンコック空港で出国手続きを済ませ(空港使用料500バーツ)、タイ航空TG319便に搭乗、ほぼ予定通り10時45分、ネパール・カトマンズに向けて出発した。およそ3時間のフライとで、現地時間の12時45分にネパールのカトマンズ空港に着くことができた。
 空から見たカトマンズ盆地は、森林のようなものは見られず、やや茶色っぽかったが、緑の畑も見られた。また、カトマンズの市街地はやや霞んだように見えた。とにかく、不安に満ちた出発だったが、ようやくネパールに到着し、胸の高まりを覚えた。


霞むKathomandu AirPort Terminal

 入国手続きを済ませ、迎えのマイクロバスに乗り、今晩の宿泊ホテルに向かった。途中の道路脇の風景は、私にとっては”すさまじい”といった印象だった。道路はでこぼこ、歩道はあるような、ないような、多くの歩行者やたむろしている人々、道路の横断は好き勝手、車は圧倒的にポンコツ車(3輪車もある)、その車はクラクションを鳴らしながらの蛇行運転、その間をまたバイクが勝手に割り込み、乗合バス?にははみ出さんばかりの乗客、等々・・・・。人々の活気ある?生活に驚かされてしまった(台湾でもやや同じような感じをもったが、それどころではなかった)。

 到着したホテルは、街の中心街?(王宮や市場が近い)にある”ROYAL SINGI Hotel”という、やや古い10階建てくらいのホテルであった。付いたのが13時45分くらいだったので、部屋に荷物を置いて、とりあえず地図を見ながら、近くへ散歩に出た。
 最初に(現)王宮へ行ったが、警備が厳しく、中には入れなかった。その後、”アンナプルナ寺院”の周囲の市場へ行ってみたが、街はとても美しいとは言えず、土曜日ということもあってか人々で溢れかえっており、日本人が簡単に買物ができるような雰囲気はなかった。治安は安全といわれていたが、我々はなんとなくその場に似合わないようなので、足早でかけぬけてホテルに帰ってきてしまった。

現王宮正面 市場の通り

 ネパールの乾期は雨がほとんど降らないと聞いていたが、その雨が夕方から降り始めた。これは大変と思ったが、一時的な特異現象と思い、気にしなかった。
 夜は、ツアーリーダーに連れられて、ネパール料理を食べに行った(カサをさしながら歩いて行った)。ネパールの民族舞踏を見たり、これからの苦行?を皆と話したりしながら、ネパール料理を食べ、異国情緒たっぷりのネパールの夜を楽しむことができた。
 明日は、いよいよトレッキングの出発点”ルクラ(Lukla)”へ飛行機で出発する。カトマンズ空港には6時半までに行かなければならないので、朝の起床は4時半とのことであった。荷物は、トレッキングに必要のない荷物(カトマンズのホテルに預ける)と、トレッキング中自分が持つザック(中型ザックに入れる、主に衣類と水筒)、トレッキング中ゾッキョに運んでもらうパック(着替えの衣類や防寒具、小間物類)の3つに分けた。これで準備万端。雨が少し心配だったが、明日が早いので、幸運を祈りながら、早めに寝てしまった。


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