北アルプス

奥穂高岳登山

wakwak山歩会は2002年8月5日から3泊4日の予定で第三位の高峰、北アルプス奥穂高岳登山(海抜3,190m)に挑戦した。ルートは最もやさしい涸沢経由である。ハゼノキによるカブレにより、ドクターストップになっていたグリーンウッド氏にとっては4月の雲取山以来の登山である。グリーンウッド氏は既に1位の富士山、2位の北岳、4位の槍ヶ岳に登頂しているので、奥穂高岳に登れば、上位4座のうち3座を征服したことになるはずであった。3位の間の岳は雨で断念した のでもうチャンスはない。

上高地→明神→徳沢→横尾→涸沢→奥穂高へのルートは赤色

7月は小笠原高気圧が発達せず、連続の台風の上陸でwakwak山歩会が企画していた空木岳登山は流れたが、今回の奥穂 高岳登山は好天に恵まれた。8月5日には上高地で雷雨があったそうであるが、我々の登山期間中は雷雨は全く無かった。ただ8月7日の登頂時は山頂は霧に包 まれていた。一般に午後2時前には雷雲は発生しないので、リーダーはできるだけその前に当日の行動を完了するように工程を組んだ。

第1日

沢渡で自家用車を降りた一行はタクシーで上高地に入る。釜トンネルは一方通行のため入口でしばらく待つ。安房トンネル方面は自由通行である。安房トンネルが完成したため、乗鞍越えの自動車道路は2003年から閉鎖されるそうである。安房峠越えの旧道は通行自由だがメンテナンスしないのですぐ通行不能になるだろうとのことだ。釜トンネル出口数100メートルは1999年の土砂崩れ地点を迂回するためにトンネルが延長されていた。

大正池の有名な枯れ木はもう数本しかなく、新しい林で覆われていた。タクシーの運転手によれば、7月の連続台風に伴う豪 雨で焼岳の土砂崩れで大正池はまたまた埋まったとのこと。朝日新聞によれば、東電は発電に適する水量を確保するために大正池から毎年22,000立方メー トルの土砂を浚渫しなければならないという。大正池は1915年(大正4年)の焼岳の噴火で梓川がせき止められてできたわけだから、自然の営みは早いと感ずる。ただその向こうに見える穂高連峰は変わることがないように見えた。

帝国ホテルのトタン屋根は塗り替えられて赤く輝いていた。大正池や帝国ホテルまわりは閑散としている。

上高地バスターミナルに到着。河童橋で大勢の観光客の雑踏を掻き分けて記念撮影。グリーンウッド氏とwakwak山歩会のもう一人のメンバー「くりちゃん」こと栗林暉行氏にとってはこの地を訪れるのは38年ぶりのことである。今回は釜トンネルを通過して入ったが、前回は槍ヶ岳から下ってきたのだ。

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河童橋で穂高山塊を背に (マーさん撮影)

上高地の河童橋周辺のホテルではホテル白樺荘五千尺ロッジが岳沢を望むいいところに立地している。

河童橋を出発し、小梨平のキャンプ場を抜け、約1時間林間のコースを歩いてウエストンにゆかりのある明神館に着く。(Hotel Serial No.226) 海抜1,500mの上高地の気温は真夏でも涼しく心地よい。梓川を渡って嘉門次小屋と明神池を訪れ、静かな池の風情をビデオカメラに収める。梓川と明神池 の水の透明度には感銘を受ける。明神池の正面に見える明神岳がご神体だ。明神岳は東穂高岳に連なる峰の一つだ。昔は明神岳も穂高岳も一緒で明神岳と呼ばれ ていたそうだ。明神館の二階のテラスからは明神岳が正面に見える。

第2日

7:30に明神館を出発し、約1時間かけて徳沢園に着く。ここにもキャンプ地がある。38年前「くりちゃん」と雲ノ平か ら一日でこの近くまで歩きながら日没でついに断念して梓川の河原に野宿したいわくつきの場所である。更に約1時間歩いて横尾山荘に着く。横尾山荘には「氷 壁の宿」という看板がでている。井上靖の小説で有名になった前穂高岳東壁登山中ナイロンザイル切断による事故死の登場人物が実際に宿泊したのだろう。

散策路は梓川の砂利だらけの河床の上を覆う明るい自然林の中を通じている。時々山の斜面から流れ出した土石流の押し出し た土砂を取り除いたあとが見える。途中新村橋がある。ここから涸沢に至るパノラマ新道があるが、上級者向きという。涸沢に至るまで目障りな砂防ダムは見当 たらなかったが、朝日新聞によればパノラマ新道のある奥又白谷には砂防ダムがあり、このダムは完全に土砂で埋まってしまったという。この砂防ダムのそばに は氷壁のモデルの慰霊碑があるという。前穂高東壁の岩登りの拠点、奥又の池に至る中畑新道に入る人も居ないそうで、道は消えかかっているそうだ。

小泉武栄著の「山の自然学」 によればケショウヤナギ、ハルニレ、サワグルミ、ドロノキなどの明るい林は、頻繁に起きる洪水と流路の変更によって維持されているという。梓川には幸いな ことに目障りなコンクリート護岸がない。さりげなく金網に入れた石で流れを制御しようとしている。しかし金網に入れた石の堤でも流路を固定すれば、洪水は 止まり、林はより暗いシラビソやウラジロモミの隠樹林になってしまうという。梓川は上流から運ばれる砂利で天井川化しているのだ。人工的に制御しようとす ればするほど部分的天井川化は促進される。むしろ洪水は認め、観光施設は現在地より高い地点に移転したほうが良いとする学者の意見にしたがうべきなのだろ う。

wkwak山歩会のリーダーは「上高地の河童橋より上流に舗装自動車道路を誘致せず、山にロープウェイを建設させない、自然保護の姿勢はさすがさすがだ」とさかんに安曇村の英知を絶賛する。西穂高にロープウェイを設置した岐阜県にくらべさすが長野県だと。

11:30には横尾大橋を渡って、槍沢の南側の横尾谷に入る。対岸にある前穂高岳の北尾根の末端の屏風岩が圧倒的な迫力 で谷に迫っている。谷を遡り右岸の横尾尾根に崖が現れる地点で吊り橋、本谷橋を渡る。ここで昼食。屏風岩を廻り込み、横尾谷から別れて涸沢に入る。薮の中 で、オコジョと目と目を合わせてしまった。横尾本谷も誰に省みられるわけもなく、カールと美しい渓流を見せている。しばらく登りSガレに到着すると涸沢 カールとその向こうの穂高全山が視界に現れる。さすが日本アルプス本場の迫力だ。ここで記念撮影。

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北穂高を背にした崖の直下に造られた涸沢小屋、左手は涸沢岳

涸沢カールに到着すると63個のテントがあった。最盛時は180個のテントがあったという。登山者が中高年にシフトしたためであろう。涸沢ヒュッテは氷河が作った小山(モレーン、丸山)に隠れるようにしつらえてある。我々の泊まる涸沢小屋は北穂高を背にした崖の直下に造られている。(Hotel Serial No.227) テラスで雄大な景色を堪能しつつ、ヘリが運び込んだ生ビールを堪能する。ちょうどヘリが補給の生ビールを運び込み、ホバリングしながら空のドラム缶を吊り 上げ、生ビールを楽しんでいる我々にサ−ビスのつもりかアクロバット飛行を披露してくれる。北穂高近くのキレットで滑落事故があり、亡くなったとのニュー スが涸沢小屋の従業員から聞こえてくる。どうりで長野県警察のヘリが頻繁に涸沢カール底のヘリパッドに着陸している。

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テラスで生ビールを堪能 (クリさん撮影)

夜は満員の室内が暑く、息苦しく、窓を開けてようやく眠ることができた。換気口の無い密閉性の高い建物は欠陥であると思 う。山小屋経営者や建築業者の無知は困ったものだ。バイオ浄化施設の負荷を低減するために、トイレの用済みトイレットペーパーは別途ゴミ箱に回収する仕組 みとなっている。

第3日目

5:00朝食前に旭日が涸沢小屋と穂高を茜に染める。

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旭日が涸沢小屋と穂高を茜に染める

6:00には涸沢小屋を出発し、ナナカマドの群生地の中をしばらくのぼる。ナナカマドはバラ科だと仲間は言うが、ウルシ科のハゼノキに似ているのでグリーンウッド氏は用心して葉に触れないように身をよじって登る。花が少ないと花好きのメンバーがこぼす。崖錘(がいすい)の斜面をトラバースした後、涸沢岳から伸びる小高い峰であるザイテングラードを登る。

10:00には海抜2,996mの穂高岳山荘に到着。(Hotel Serial No.228) 奥穂高山頂と涸沢岳山頂に挟まれた白出のコル一杯に山荘はある。東側の直下のカールの底にはテントの花畑が見え、その向こう手前に屏風の頭、その向こうに 東天井岳、常念岳、蝶ヶ岳が一列に並び、東側遠方には浅間山が噴煙を上げている。活動が活発化したため、また登山禁止になったという。昨年11月にここに登ったのは正解であったと皆で喜ぶ。浅間の南には八ヶ岳が全貌を見せている。

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常念岳と蝶ヶ岳、手前に屏風の頭、眼下に涸沢カール

西側の白出沢の向こうには笠ガ岳が見える。白出沢から強い風が霧を奥穂高山頂と涸沢岳山頂に吹き上げて山頂は時々顔を覗 かせるだけである。このような強風の中を奥穂高山頂へのとっつきにある岩壁をよじ登ることを嫌ったグリーンウッド氏を除き、Wakwak山歩会の面々は登 山者と下山者で渋滞する岩壁に取り付く。かくして上位3座の征服は夢と消える。

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奥穂高山頂へのとっつきにある岩壁 (午後4:00)

グリーンウッド氏山小屋のロビーにしつらえられた書庫から深田久弥著、朝日新聞社刊、「山の文学全集」全12巻を見つけて読んで過ごす。 高村光太郎の絶唱「樹下の二人」が引用されていていたく気に入る。

        あれが阿多多羅山、
        あの光るのが阿武隈川。
        ここはあなたの生まれたふるさと、
        あの白壁の点点があなたのうちの酒庫

         ・・・・・・
 

安宅夏夫著「日本百名山の背景」によるとこの全集は深田久弥が茅ヶ岳で死亡したのち、志げ子夫人が完成させたものだそうだ。13:30には全員無事帰着。カンビールで乾杯。頂上は強風で寒く、視界ゼロであったそうである。帰ってから クリサンから崖の上で撮影した写真下をいただいたが、登らなくて良かったとおもう。

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岸壁の上から穂高岳山荘と涸沢岳 (クリさん撮影)

幻の奥穂高岳山頂の360度パノラマ

山頂にアッタックする人波も途絶える午後4:00頃になると、山頂を覆っていた霧も晴れあがる。夜半の空は満天に星が輝いていたそうであるが、熟睡。

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白出沢と笠ガ岳

用済みトイレットペーパーの処理は涸沢小屋と同じ。auの携帯は電波圏外でついに使えないことが判明。

第4日目

5:00の御来光を堪能後、朝食。山荘は岐阜県にあるので岐阜特産のホオ・ミソが特別サービスだ。乾燥したホウノキの葉の上に味味噌とみじん切りした野菜をのせ火であぶるのである。

6:00には穂高山荘を出発、ザイテングラードを下る。崖錘の斜面をトラバースし、パノラマコースへの分岐点であまりに天気が良いので奥穂高岳と前穂高岳を背にして記念撮影。 ザイテングラード語源はドイツ語のseitengrat(支稜線・支尾根)からきているという。シルクロードの語源であるザイデンシュトラーセンに似ているがちがうようだ。

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奥穂高岳、ザイテングラード、崖錘斜面のトラバース路を背にして (マーさん撮影)

雪渓を渡り、パノラマコースを池の平に下る。途中、ついにお花畑を発見、カメラに収める。崖錘の上部には粒子の細かい砂が多く堆積するので、高山植物が根付くことができるのだそうだ。

涸沢ヒュッテて休憩後、横尾小屋にむけ下山開始。30分毎に5分の休憩を取る。12:00丁度横尾小屋着。後は梓川にそって約1時間毎に到着する徳沢園、明神館で休憩をとりながら3時間早足で歩き通した。雲取山登山の時、三条の湯から後山林道を3時間歩き通したことを思いだす。

15:00に河童橋に到着。ホテル白樺荘横で岳沢側からみた穂高山塊の全貌を背景に記念撮影。

タクシーで沢渡駐車場に帰着。新しく開通したトンネルの開通日は8月8日正午とのことで開通後3時間目の記念すべき通過 となった。新規開通部は2車線であるが、旧トンネル部は1車線であるため、トンネル内で待機となっている。上高地に乗り入れる観光バスはアイドリングでエ ンジンストップしないため、トンネル内は排気ガスが充満して大変危険である。トンネル内待機は止めたほうがよいのではないかと思う。旧トンネルに並行して もう1本掘るプロジェクトが進行中であるとのこと。

アルプスの山小屋へのヘリの補給基地は田代池にあるという。長野県警のヘリも基地も一緒とのこと。涸沢ヒュッテのトイレの糞尿をヘリで運び出すプロジェクトも進行中である。

梓川温泉で汗を流したのち、御坂、河口湖経由で帰る。折からの快晴で富士山の山小屋の明かりが輝いていた。21:00小田原帰着。

後日談

2006年10月の朝日新聞に信州大学の原山智教授が日本アルプスの槍・穂高連峰はスーパーボルケーノだったと発表したという。

旅程

第1日目 (8月5日)

7:50JR小田原駅→山中湖→中央高速→松本IC→昼食→沢渡(サワンド)駐車場→13:30タクシーで上高地バスターミナル着(海抜1,510m)→14:30明神館着(海抜1,530m)→梓川・明神池散策→18:00夕食・泊

第2日目 (8月6日)

7:00朝食→8:00 明神館発→11:30横尾小屋発(海抜1,610m) → 14:30涸沢小屋着(海抜2309m)→17:00夕食・泊

第3日目 (8月7日)

5:00朝食→6:00涸沢小屋発→ザイテングラード登坂→10:00穂高岳山荘着(海抜2983m)→13:30グリーンウッド氏を除き全員奥穂高岳往復帰着(海抜3190m日本第3位)

第4日目 (8月8日)

5:00朝食→6:00穂高岳山荘発→ザイテングラード下山→12:00横尾小屋着 → 15:00上高地着(穂高岳山荘より30,000歩)→タクシーで沢渡駐車場

→梓川温泉→ 21:00小田原駅着

August 9, 2002

Rev.February 21, 2018


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