信州

浅間山

wakwak山歩会は2001年11月初旬、浅間山(中央火口丘の釜山の最高地点は2,568m)登山をした。1972年の噴火以来の登山規制が2001年7月23日に第二外輪山の前掛山と中央火口丘前500mまでの登山が許可されたとのニュースに触発されての登山である。

浅間山は日本有数の活火山である。外輪山が2重に取り巻く三重火山である。噴火は前触れなく激しく蒸気爆発するタイプである。第一外輪山の最高地点 2,404mの黒班 山くろふやま)は1108年の噴火ででき、湯の平という大きな噴火底を形成した。このときの溶岩流は南側の沓掛方向に流れた。第一外輪山の直径から推算すると1,108年の噴火前は2,900mの高さがあったとされる。第二外輪山の前掛山(2,524m)は江戸時代の、1783年(天明3年)の大噴火で形成された。

浅間山荘から前掛山まで赤ルート

下の空撮写真は上の鳥瞰図と反対側から見ている。中央が中央墳丘。その左上が第二外輪山の前掛山。その向こう側の火口底は湯の平、そして第一外輪山の蛇骨岳と黒班山。

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浅間山の空撮写真

第1日

太平洋にあった低気圧がひがし海上にぬけ、高気圧が大陸から張り出してきた日、夜 来の雨も上がった小田原を車で出発。小田原からは地元の人しか分からない足柄幹線林道経由で宮城野に抜ける。山中湖では対岸から折からの強風でできたかさ 雲に覆われた富士山を観賞。山中湖にはクルーザーが数隻一点係留されて強風のなかに漂っていた。時間的余裕があるため、できるだけ普通道を選ぶ。佐久平は 新幹線の開通により全く新しい町が出来上がっている。浅間サンラインという広域農道から浅間山荘に立ち寄り、明日の登山口、駐車場を視察する。(Hotel Serial No.207)この浅間山荘はかって日本赤軍が日本警察を相手にして死闘を演じたあの浅間山荘ではない。

時間的余裕を利用し、チェリーパークライン経由 高峰高原と車坂峠(1,973m)を視察する。高峰高原では寒風が吹きすさび、雪が降っていた。当初の計画は車坂峠に駐車し、第一外輪山の黒班山を経由し て前掛山に登山る計画であったが、第一外輪山を登って第一火口底、湯の平に降り、帰路また第一外輪山を登るのは骨がおれるため、浅間山荘から一本調子で登 坂できる湯の平コースに変更したのである。時間があるので、さらに高峰温泉 (Hotel Serial No.208) を視察してから当日の宿泊所南軽井沢コンチネンタルホテルに落ち着き、前祝をした。(Hotel Serial No.206)

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チェリーパークラインの紅葉

9:00JR小田原駅 山側口集合、メンバーのリーダーの車で出発→足柄幹線林道→宮城野→乙女峠→篭坂峠→山中湖→富士五湖道路→河口湖→昼食→御坂峠→一宮御坂IC→中央道 →須玉IC→野辺山→佐久平→浅間サンライン→菱野筒井線→浅間山荘 →チェリーパークライン→高峰高原・車坂峠→高峰温泉→取って返し中仙道 →17:00コンチネンタルホテル着

第2日

前夜の前祝で不養生したため、寝不足と二日酔いの状態で起床。ホテルの用意してくれたおむすびを食べて出かける。 気温は零下1-2度Cで、車のフロントグラスは凍結している。予定通り浅間山荘に駐車。ゆっくりと登山開始。湯の平コースは第一外輪山が欠けてできた谷沿 いに登る道で傾斜は比較的ゆるく、登りやすい。谷間にいる間は日陰で気温は零下のままである。一の鳥居、二の鳥居をすぎ、谷を登りきると避難壕をそなえた 小諸市営の火山館がある。

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トーミの頭を背景に建つ火山館

しばらく直進すると湯の平口につく。トーミの頭へ登る「草スベリ」への分岐路を左に見てそのまま第一火口底を進むと賽の河原につく。北岳にも「草すべり」があったが、此処はより急斜面で登りたくない。

Jバンドへ登る分岐路を左に見ながらさらにしばらくゆくと、樹林帯も切れ、第二外輪山である前掛山が眼前に広が る。樹木の高さは50センチ位に矮小化している。完全な日本晴れで日光が厳しく照りつけるが、気温は零下である。風は幸い弱い。強風が吹くと小石が顔面に 当たるそうである。

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賽の河原から仰ぎ見る前掛山

あとはこの前掛山を時計回りに登るだけである。前夜降った雪が1センチ程積もっているが アイゼンを必要とするほどではない。半周するころ突然中央火口丘前500メートル地点に到達する。これ以上立ち入り禁止の看板が出ていてロープが張ってあ る。中央火口丘からは盛んに噴煙が吹き上がっている。禁を犯して決死の覚悟で火口近くまで行く人がいる。注意しても自己責任でゆくと無視される。

気温は零下とはいえ、ここまではシャツの上に直接防水加工蒸気透過膜をつけたというナイロン製のウインドブレーカーを羽織っていただけだが、ここでスウェーターを着る。この蒸気透過膜はゴアテックスより、蒸気透過性能が劣り、結露する欠陥が明らかになる。

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噴煙を上げる中央火口丘

順法精神の旺盛なwakwakのメンバーは第二外輪山の前掛山登頂をめざした。第二火口底には鉄製の避難壕が二基設置さ れているが、小石程度に対する程のものである。外輪山縁に出ると強風に遭遇。風の中、急遽ゴアテックス付きのフリースコート、ゴアテックス付きレインコー ト上下を身につける。この時、チャック装着のため手袋を外したため指が凍傷直前まで冷えてしまう。歩きながら体温を上げなんとか回復。強風で火口底に落ち ないように注意しながらようやく前掛山山頂に着く。

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第二外輪山の前掛山(左方が山頂)  鉄製の避難壕が見える

前掛山山頂からの見晴らしは360度さえぎるものなし。北アルプス、中央アルプス、木曽御岳、八ヶ岳、甲斐駒ケ岳、富士 山、そして東側には釜山が大きな火口を開けて近くに鎮座している。北の方角には苗場山などが見えるはずであるが、あいにく雲の中。四阿山が見える。しかし 何よりも絶景なのが今登ってきた湯の平コースがあるトーミの頭と天狗の露地を両側にもつ第一外輪山の西の切れ目である。西部劇にでてくるアリゾナのテーブ ルマウンテンのような風情がある。 噴火口上には無論行けないが、そこから見れるであろう風景は

噴火口上よりの360度パノラマ

で体験できる。

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第二外輪山、前掛山山頂から見た第一外輪山の西の切れ目

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前掛山山頂にて (マーさん撮影)

第一火口底の避難壕にて昼食をとる。ここから鬼押し出しが直下に見える。下山後、浅間山荘の天狗の湯にて疲れを癒す。天狗の湯は鉄分で濃い褐色である。時間節約のため上信越道・関越道経由で帰路につく。

今回のパーフォーマンスは登坂標高差1,116m、登坂時間6時間、登坂速度177m/h。下山時間4時間、下山速度 278m/hであった。ガイドブックの示す所要時間プラス1時間である。24回浅間山に登ったという、腰が曲がり始めた70歳台の土地の古老と同行した が、とてもその登坂スピードにはついてゆけない。

禁を犯してまでして噴火中の火口を覗く勇気はなかったのだが、そこがどうなっているか気になっていた。2002年4月鎌 倉駅の地下道に浅間山登山を誘う広告があった。この写真で初めてその火口を覗けたことになる。火口の上に少し出っぱって見えるのが我々が登った第二外輪山 の前掛け山。その向こうに賽の河原と我々が登ってきた第一外輪山の西の切れ目がみえる。

パーフォーマンス

5:00起床・朝食、6:00コンチネンタル発 → 7:00浅間山荘駐車・出発 (1,408m)   → 一の鳥居 → 二の鳥居 → 火山館(避難壕)→ 湯の平口 → 賽の河原 → 11:00中央火口丘前500メートル地点着 → 12:00前掛け山登頂・下山開始 (2,524m) → 12:30避難壕にて昼食完了→ 16:00浅間山荘着 → 天狗温泉温泉で疲れを癒す→ 小諸IC → 上信越道・関越道 → 高坂SA夕食 → 圏央道・青梅IC → 滝山街道 → 八王子バイパス → 20:00JR橋本駅着解散

装備・食糧

軽アイゼンは用意していったが、使わずに済んだ。寒風対策は必要充分であったが、これを着用する 時期を失し、尾根筋の強い寒風のなかでの手袋をはずしての着用となり、指を凍傷直前まで冷やしたのは反省点。ゴアテックス製品とこのコピー商品の蒸気透過 性能に歴然たる差を痛感した。ゴアテックス製品は結露をしないが、コピー商品は結露のため体温を奪う。コピー商品はタウンウエアとしてしか役に立たない。

その後

その後、浅間山の活動が活発化し、登山禁止となった。

2001/11/8

Rev.February 17, 2018


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