諏訪 優 すわ・ゆう(1929—1992)


 

本名=諏訪 優(すわ・まさる)
昭和4年4月29日—平成4年12月26日 
享年63歳(頌詩院遊行日優居士)
東京都世田谷区北烏山5丁目10–1 宗福寺(浄土宗)



詩人。東京府生。明治大学卒。昭和24年に吉本隆明らと『聖家族』を創刊。28年に北園克衛の「VOU」に所属。35年アレン・キンズバーグをはじめとするアメリカのビート文学の紹介者として活躍。『ビート・ジェネレーション』『精霊の森』『谷中草紙』『田端事情』『田端日記』などがある。







小雨ふる 風吹きすさぶ
朝の海の色は
白なのだろうか
黒なのだろうか
 
かすむ外房
冬の太海海岸 岩頭に立つ
このつめたくて泡立つ水の底に
魚介たちがひそんでいるというのか
 
地上も風 雨に濡れて
早咲きの菜の花が散っている
額に頬に みどりの水が滴っている
だが はたしてわたしは生きているのだろうか
 
海鳴りを枕にして さびしい夢を見た
夢とわびしさを消し去るために
風の間に間に絶叫するウミネコのように
わたしは夢との狭間で声をふりしぼっただろうか
 
朝の女よ いまは香りたかい一椀の茶がほしい
あなたはそのためにいまここにいる
あなたは一輪の花であり
わたしらが生きていることの ただひとつの証しでもあるはずだから 

(朝の女よ)



 

 アメリカのビート文学を日本に紹介したことで知られている詩人・諏訪優。彼の訳したギンズバークの『吠える』は絶叫する。〈狂気によって破壊された僕の世代の精神たち〉から〈人間性を失うまいと生きた人びと〉が近代文明社会の中の地獄を彷徨う〈子羊たちの悲歌であり慟哭であった〉と。
 平成4年12月26日、食道がんで逝った彼の背後にまだ記るされていなかった「未知」は羽ばたいてあるはずだ。今にも雨が降り出しそうな冬の夕刻、田端崖下の裏小路、寒風に運ばれた木の葉が舞っている。
 竹林、幽霊坂、与楽寺、石段、銭湯、古アパート、詩人諏訪優の歌が聞こえてくるような。そんな町のどこかしこを詩人は歩き、歌い、死んだ。



 

 一陣の風が吹いて、真新しい卒塔婆がカランと音をたてた。
 野の花が供えられた線彫りの観音像、黒い碑面には「夢供養」、墓誌に曰く〈坂と墓多き 町を愛し 一生を夢みた男 此処に眠る〉とある。寺町小路を巡り山門をくぐり抜けてきた重々しい冷気は、本堂裏の日だまりにうずくまる白猫を横目に、一気に広がった聖域の宙に清々しく吹き上がっていく。
 やがて春が来て、桜の下を、墓地の細道を、かすかに富士の見える坂を、夜明けのプラットホームを、夕暮れの石段を。呼吸の音を聞きながら、恋と旅にあけくれて、寒椿の咲く門前の茶店で熱いお茶でも一杯。でも、雪の降る町だけはよそう。詩人は今どこを歩いているのだろう。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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