杉浦翠子 すぎうら・すいこ(1885—1960)


 

本名=杉浦 翠(すぎうら・みどり) 
明治18年5月17日—昭和35年2月16日  
享年74歳(藤浪院芳弌翠歌大姉) 
東京都港区白金2丁目3–5 松秀寺(時宗) 



歌人。埼玉県生。女子美術学校(現・女子美術大学)卒。杉浦非水と結婚。北原白秋、斎藤茂吉に師事。『アララギ』に属したが、大正10年脱退、『香蘭』に参加。昭和8年『短歌至上主義』を創刊、主宰した。歌集に『寒紅集』『藤浪』『生命の波動』などがある。 







あなさびしひとの肌に火をつけてわづらひの根を焼き断つところ      

遠き夫を呼びよせがたく病めばとて命死ぬることよもあるまじき     

みずからの命に深き盟もてり子のありなしを我にな問ひそ 

老はただ我が顔かたちに来りしのみ何か嘆かむ深まる知性を          

草に生れて草色なせる草かげろふ悲しめる我になぜ現はれし 

生きるとも死すとも我の心身は救はれ難きを虫聴いてゐる 

今生の争ひといふも死が解決するさはれ今井邦子よ悲しき 

木の葉が降る風が降らせる木の葉なり寂に入る前のせはしさを見よ 

雪の下にかくれながらも有る物はあり亡き者は無し人の命は            

我のゆく永遠の国にも月照るやこの病室に月のぞく窓              



 

 夫は図案美術の大家・杉浦翡翠、兄は財界の雄・福沢桃介、まさに上流夫人であったのだが、才気溢れ、自我を痛烈に主張するきかん気な性格の翠子は、当然のことながら毀誉褒貶の激しい人であった。
 アララギの師、斎藤茂吉や島木赤彦、古泉千樫などとの愛憎含んだ確執があり、女流才人として今井邦子や原阿佐緒らと激しく競い合った。『アララギ』を追われ、新しく歩んだ歌の道も多くの痛みを伴ったが、すべては過ぎ去った。
 〈老の身に朱の色なせる唇よわが死顔をいろどりてくれ〉、昭和35年2月16日夕刻、胃がんのため渋谷区伊達町の自宅で死去した〈激情の歌人〉、臨終間近、うろたえる愛弟子たちに「いつまでも何言っているの。馬鹿野郎!」と一喝したという逸話こそ、まさに翠子にふさわしいのではないか。



 

 港区白金にある時宗の寺・冬嶺山松秀寺、洗心台の背後にある涼やかな墓域、翠子が亡くなった5年後に逝った夫翡翠とともに眠る「杉浦家之墓」。
 歌集などの略歴には明治18年5月17日生まれと記されてあるのだが、碑の側面には5月28日生と刻まれてあるのは本当の誕生日と戸籍上の誕生日の違いなのか。
 西陽に照り映えた山門は、輪郭を厳かに光らせている。東の空にはおぼろな月も昇って、都心とは思えぬほどの清閑さを醸している。〈今生の争ひといふも死が解決するさはれ今井邦子よ悲しき〉と、ライバルであった邦子を悼んだ翠子も病床にあっては〈我のゆく永遠の国にも月照るやこの病室に月のぞく窓〉と詠んだ。
 月は冷たくもやさしい。永遠の国の翠子にも、やがて輝きを増す月光は届いていくのだ。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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