住宅顕信 すみたく・けんしん(1961—1987)


 

本名=住宅春美(すみたく・はるみ)
昭和36年3月21日—昭和62年2月7日 
享年25歳(泉祥院釈顕信法師)
岡山市北区関西町 番神墓地
 



俳人。岡山県生。岡山市立石井中学校卒。岡山市役所環境事業部に勤める傍ら仏教に関心を寄せる。昭和58年京都西本願寺で出家得度する。59年急性骨髄性白血病のため岡山市民病院に入院。この年から没年までの3年間に句作を行った。没後出版された句集『未完成』がある。







水滴のひとつひとつが笑っている顔だ

ずぶぬれて犬ころ

月明かり、青い咳する

夜が淋しくて誰かが笑いはじめた

何もないポケットに手がある

あけっぱなした窓が青空だ

重い雲しょって行く所がない

お茶をついでもらう私がいっぱいになる

気のぬけたサイダーが僕の人生



 

 16歳の時、5歳年上の女性との同棲も経験した。22歳で出家得度して浄土真宗の僧侶・釈顕信となった。23歳で骨髄性白血病を発症し、岡山市民病院に入院。7か月の身重だった妻とは離婚した。生まれた男の子は引き取り、病室で養育するという厳しい闘病生活であった。
 春分の日に生まれ、「春」の名を授けられた顕信の虚しく見送ったなつかしくも哀しい春の数々。
 若さとはこんな淋しい春なのか
 窓に映る顔が春になれない
 春風の重い扉だ
 絶望の中で始めた俳句だった。わずか2年8か月の句作期間、総句数281句。昭和62年2月7日深夜、一時も離すことなく握りしめ、手あかで薄汚れた『未完成』の句稿を遺して、後ろ髪を引かれながら顕信は逝った。



 

 緩やかな坂道をのぼった左手、小さな溜池のほとりに顕信の生家がある。
 玄関先に〈黒衣一枚凡夫である私が歩いている〉の句碑。〈両手に星をつかみたい子のバンザイ〉と詠んだ遺児春樹の名もある表札が掛けられていたが、呼び鈴を押しても返事がない。清爽な陽が差し込んでくる初秋の朝、家の前には墓山に導く細道がつづいている。小さな公園があった。
 〈淋しさきしませて雨あがりのブランコ〉。赤いスカートの女の子がひとり立ち漕ぎをしている。
 背後には幾重にも林立した墓々、詣り道に落ちた椿花、朱い実の揺れる小枝、風の流れに沿って歩いていると、山道の樹影から逃れるように顕信の墓が現れた。碑は眩しく、空は青い。絶望感もなく、〈見上げればこんなに広い空がある〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


墓所一覧表


文学散歩 :住まいの軌跡


記載事項の訂正・追加


 

 

 

 

 

ご感想をお聞かせ下さい


作家INDEX

   
 
 
   
 
   
       
   
           

 

   


   須賀敦子

   菅原克己

   杉浦翠子

   杉浦明平

   杉田久女

   杉本鉞子

   杉本苑子

   鈴木大拙

   薄田泣菫

   鈴木真砂女

   鈴木三重吉

   住井すゑ

   住宅顕信

   諏訪 優