やっとどうにか書斎の片付けを終え、取り寄せたままになっていたネスト・テーブルを組み立てる。L字の補強金具があって、がっちりした構造なのはありがたいが、平行する面が邪魔をしてネジを締めるのに苦戦。親テーブルで8本、子テーブルでも8本、最後の数本の締め込みをするころには握力は限界、手のひらが痛くなってしまった。こういう組み立て家具を買うのも、ここ数年以内、いずれできなくなってしまいそうだ。

 トップのガラス板は重量があり、ちょっといい感じ。これを机の脇に置いた。読み止しの本や調べ物をするときの資料を置くときなどは便利に使えるはず。

 久しぶりに机の上や椅子のまわりに積み上げた本がもとの棚に帰って、にわかに広く感ずるこの部屋にぽつんと座って、ぐるり視線を巡らせつつ・・・、思い出した一句。

かへりみる この一年の ながれかな

(12/31/2010)

 相変わらず読売の販売店からの連絡はない。連絡を待っているうちにこちらが忘れてくれれば儲けものと思っているのかもしれない。勧誘もルール無視だったが、問合せ対応も誠意無しだ。

 読売の販売店に電話をしてみた。すると「勧誘を担当した者から電話を入れることになっていますが、まだ連絡ありませんか」という回答。来ていないと言うと、「契約時のことについては、担当本人が説明するということだったので、直接連絡を取ってください」、「電話番号は090-****-****、****です」と言う。「ちょっと待ってよ、いったんお宅の方で調べると言ったのだから、そちらから連絡させるのが筋じゃありませんか?」と指摘すると、「そうですか、じゃ、電話するように言います」。おいおい、「そうですか」はないだろうと、いささか腹を立てていると、ほどなく****なる勧誘員から電話が入った。

 「きのうかけたんですが、お留守のようだったので・・・」、ウソをつけ、と思いながら「何時ころ?」、「1時半くらいだった」と言う。確実に家にいた時間帯だが、そんなことであれこれ言っても始まらないので、「ふたつあるんだけど、朝日の販売店の方には1月から停めるって連絡してくれた?」、「ハイ、しました」。

 「じゃ、ふたつめ。ビール1ケースの話だけど・・・」、もう分かっていたような感じで、「まだ、お届けしてないんですか?」。「契約のその日には1ケース来たよ。で、きのうから配達が始まったからさ、購読開始のときの分を1ケースをお願いしますってことだよ」。すると、待ってましたというようなレスポンスの速さ、じつに狎々しい声音で、「旦那さん」と来た、「考えてみて下さいよ。3カ月の契約で新聞代が1万2千円ですよ。ビールを2ケース、サービスしたら・・・」、「分かってるよ、だから、あの日、そんなにして大丈夫なのって訊いたじゃない」、「えっ、どういうことですか?」、「持ち出しじゃないのって言ったら、あなた、契約書を書きながら、法律がうるさいから1ケースって書いておきますけどなんて言ったよ」、「そんなこと言ってませんよ」。「おいおい、水掛け論に逃げ込むのかい?」と言うと、悠然たる口調で「旦那さんの勘違いですよ」。

 やはりそういう手口だったのだ。適当においしいことを並べ立てる、そして、のちに話が違うと言い始めたら「言った」・「言わない」の水掛け論で逃げ切る、最初からそういう算段なのだ。ちょっと後悔したのは、彼が「法律がうるさいから」と言ったあのとき、勝手に例の独占禁止法か景品表示法の関係だなと思い込んでしまい、彼に「2ケースと書くとどういう問題があるのか」と突っ込んでおかなかったことだ。そうすれば、彼の傷口を拡げておくことができたのだが・・・。

 あるていどは想定していたことだったので、このトリッキーな勧誘員と不毛な論議をすることはヤメにすることにして、「分かった、じゃ、あなたの所属セクションと連絡先を教えてくれないか?」と尋ねると、「どういうことですか?」と言う。「うん、あなたの勧誘は巧妙だけど、ちょっと狡いなと思ったんだよ。だから、いずれ読売さんにはクレームを入れようと思ってたんだ。だいたい、あなた、最初に身分を明かさなかったでしょ、読売新聞の勧誘員ですって」、「いいんですよ」、「えっ?!」、「別に名乗らなくても」、「あれ、いま、あなた、新聞勧誘のとき、何新聞から勧誘に来たって言わなくてもいいんだって言ったね」、「・・・」、「問題だねぇ・・・」。

 ややしばらく沈黙があってから、「教えられません」、「なに言ってんの。読売新聞の営業の人なんだろ?」、「わたし、個人事業主なんです」、「委託されたっていうんだろ。いいんだよ。個人事業主として読売新聞の営業かなんかと契約してるんでしょ。その契約窓口を教えて下さいってことだよ」。「・・・教えられません」。

 この押し問答は、こちらの予定どおり、数回繰り返された。「わかった。まあ、読売新聞のお客様相談室なり、苦情受付窓口などから手繰るからいいよ」。ちょっとした間をおいてから、奴は言った、「じゃ、購読開始になりますので、よろしくお願いします」。シレっとこう言ったのだ。まことにみごとな会話術だった。たぶんこれは彼のパーソナリティではない。読売新聞の勧誘セクション全体の教育の成果なのだ。そうでなければ、本社のうるさいセクションからお調べがあるかもしれないと思うだけでも、もう少しはあれこれと取り繕おうとするはずだ。それが押し問答中も一切ないというのは「向こう傷は問わない」(こういうことを言った頭取がいたっけ)というのが読売の売り込み教育の中心にあるポリシーだからに違いない。

 彼とのやり取りを終えてから、販売店に電話をした。「さっき問合せをした者です。****さんからは連絡いただきました。ありがとうございました。****さんって、どういう字を書かれるんですか。はい、木の○に、△ですね。・・・それで、もし、○△さんの所属部署と連絡を取るときは何番にかければいいですか?」、「ちょっと待って下さい・・・エーと、045-***-****です」、「セクション名は?」、「セクション名って、営業部かなんかだと思いますけど」、「ありがとう、○△さんの所属するとこの責任者のお名前は?」、「***です、☆に◎**で☆◎、☆◎班長です」、「ありがとうございました、アッ、来月からはよろしくね」。「ハイ、よろしくお願いいたします」。

 読売本社は年末・年始のお休みに入っているだろう。明けてから、問合せをすることにしよう。どのような見解を示すかが楽しみだ。

 もうふたつほど記録しておく。朝日の販売店に確かめた。1月からの購読中止の連絡は入っていないということだった。朝日の販売店が正直に答えたかどうかは分からないが・・・。電話の着信履歴を確かめた。こちらの方はたしかに29日13時29分に090-****-****からの着信があった。では電話が鳴っていたのに誰も出なかったのか。そんなことはない。おそらくトリッキーな彼はこうしたのだ。発信して最初の呼び出し音が鳴ったところですぐに切るのだ。すると電話は鳴らないが着信履歴だけは残せる。スネにキズを持つ身としては、できるならば、こちらと話をしたくなかったのだろう。(12/30/2010)

 朝刊の海外欄にこんな記事が載っている。

見出し:扇動罪の適用相次ぐ/インド、批判的言論人に

 【ニューデリー=武石英史郎】インドで、政府に批判的な著名言論人に対し、扇動罪が適用される例が相次いでいる。この罪は最高刑が終身刑の重罪で、「国家による言論弾圧だ」との批判が起きている。
 医師で人権活動家のビナヤク・セン氏が先週末、扇動罪で終身刑の判決を受けた。インド中部チャティスガル州の奥地で少数部族民の保健医療に長年携わり、国際的に表彰されたことがある人物だ。その一方で、同州などを基盤とする反政府勢力「インド共産党毛沢東主義派(毛派)」への治安部隊による掃討作戦に対しては、批判していた。
 セン氏は人権団体幹部として接見した収監中の毛派活動家から手紙を託され、別の関係者に取り次いだ疑いで2007年に逮捕された。今月24日、同州の地裁が終身刑の判決を下した。毛派など非合法団体の支持者に対して、一般的に適用される最高刑は10年。このため法律専門家の間から「終身刑は重すぎる」と批判が起きた。
 一方、首都ニューデリーの警察当局は11月、英ブッカー賞を受賞した女性作家アルンダティ・ロイ氏に対し、扇動容疑で捜査を始めた。
 ロイ氏はパキスタンとの係争地カシミールをたびたび訪れ、治安部隊の弾圧に抵抗し、分離独立を求める地元民に共鳴。10月に行われた集会で「歴史的にみて、カシミールはインドの一部ではなかった」と発言し、問題視されていた。
 一連の扇動罪の適用に対し、世論は割れている。インターネットの書き込みでは「反国家分子はどんどん投獄せよ」「カネを渡して米国に亡命させればよい」などとバッシングが横行している。
 一方、首都中心部で今月27日、開かれた抗議集会では「政府に異議を唱えただけで扇動罪なのか」「魔女狩りはやめろ」と学生らが気勢を上げた。

 なにやら劉暁波に対する中国政府の「処置」を連想させる記事だが、「扇動罪」・「インド」というキーワードでGoogleニュース検索をしても、この朝日の記事しか引っ掛からない。これがインドの話ではなく中国の話であれば報じない新聞は一紙もないだろうに。

 ビナヤク・センは「冠状動脈障害があり緊急に治療する必要があ」り、「その診断について確認するよう裁判所から命令が出ているのに、刑務所当局はこれを無視している」というレポートが人権団体からは出ているのだが、そういう報道もほとんどなされていない。

 「我が国はアジアにおいて民主主義という共通の価値観を持つインドと連携を強めてゆかなければならない」という考えがマスコミ関係者やいわゆる「コメンテーター」さんたちの共通意見だ。大筋ではそうだとしても、その「民主主義」国のこのような「処置」についてはご存じないのか、ご存じでも眼をつむっているようだ。つまり、問題の中心は「民主主義」でも「人権」でもないということだ。我がマスコミのアベレージがこのていどものだということは心得ておいた方がよかろう。

§

 そのいい加減マスコミの代表格たる読売新聞の配達が始まった。さっそく販売店に約束の「購読開始時のビール1ケース」を所望。電話口に出た店員はこちらが「勧誘に来た人は契約直後に1ケース、購読開始時に1ケースって言ってたよ」と言うと、なんだかひどくあわてたようで、「ちょっと確認させていただいてから、こちらからご連絡差し上げます」などという応答。電話をしたのはお昼ごろだったが、いまに至るも連絡はない。あした、こちらから再度問い合わせてみよう。(12/29/2010)

 我が家にとっても定例行事になった加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」がきのうだった。ことしからは**夫妻が一緒。

 満期償還になった利付国債とあわせて**(家内)の農林中金口座を解約するために朝のうちに家を出た。農林中金本店はなつかしの新有楽町ビルと向かい合わせになっている。手続きを終えてから有楽町ビルとの間の道を通ると休日には出入り口となる南側入り口あたりのディスプレイが変わっていた。かつてはここに中嶋弘子のブティックがあった。つい最近まではあったはずなのだが・・・。

 そちらに気をとられて、リプトンのティールームの営業を確認するのを忘れてしまった。有楽町駅の東側は再開発で大きく変わった。フランク永井が「あなたを待てば雨が降る・・・ビルの谷間のティールーム」と歌うのはそのティールームだし、松本清張の「点と線」で奇跡のような「4分間の空白」を利用した目撃者作りをするために犯人が女たちを誘うのは「レバンテ」での食事だった。カネを生ませなければならない一等地、想い出だけではソロバンがあわない。だからちょっと行かないとすっかり変わる界隈でもある。

 交通会館の地下でお昼を食べて、三越を覗き、木村屋の二階でケーキセット、ソニービルで通販カタログを仕入れ、ビックカメラでデジカメを物色し、やっと2時を迎えた。7階のよみうりホールへ。ほどなく**夫妻と合流して3時の開演を待った。

 きのうはアンコール・フェーズにはいってからがすごかった。森繁久弥の息子はステージに上がるし、不案内なティーンエイジャーグループも客席から呼び出されるし、最後は観客は総立ち。

 はねてから4人で「響」に向かったが、月曜の6時というのに既に予約で満席(?)とかで断られ、泰明小学校近くの**さんのなじみの店へ。長崎出身で中学校の先生もしていたというハンサムなマスターがやっている店。9時すぎまで飲んで食べて楽しく過ごした。いろいろあって、帰宅は11時近くだった。(12/28/2010)

 22日の朝刊に「常時戦争省みる米国-過ち指摘する論著相次ぐ-」という見出し。

 記事に掲載されたグラフを見ると、クリントン政権2期目で財政収支が赤字から黒字に転じるとともにパパ・ブッシュ政権末期からクリトン政権が終わるまでほぼ3000億ドル前後で推移していた国防費が、2001年を節目にして以後一貫して増加の一途を辿り、08年には6000億ドルを超え、いまや7000億ドルを超える勢いであることが分かる。

 記事は「米国はなぜ、戦争に明け暮れるのか。なぜ同じ過ちを繰り返すのか。・・・(略)・・・そんな自省を試みる論著が相次いで出版されている。背景にあるのは、史上最悪に膨らんだ財政赤字だ」という書き出しで3冊の本を紹介している。

Andrew Bacevich "Washington Rules: America's Path to Permanent War" Metropolitan Books 2010
John Dower "Cultures of War: Pearl Harbor / Hiroshima / 9-11 / Iraq" W W Norton & Co Inc 2010
Gideon Rose "How Wars End: Why We Always Fight the Last Battle" Simon & Schuster 2010

 三冊目のギデオン・ローズの本はAmazonの「なか見!検索」で少しだけ「立読み」ができる。まあ英語が丸出だめ夫くんとしては、邦訳が出るのを待つしかないというのがいささか情けない。(そういえば、ケネス・ロゴフの"This Time Is Different:Eight Centuries of Financial Folly"の邦訳はどうなったのだろう。夏頃には出るという話だったが・・・)

 記事にはこんなくだりがある。「・・・このまま大規模戦争と地球規模の駐留を続ければ、財政は破綻するという危機感は、与野党の間で少しずつ広まってはいる。だが、勢いを増すかは不透明だ。・・・」

 なるほど赤字国債を濫発しても「思いやり経費」を気前よく出してくれる日本政府はアメリカさんの上得意、「日米同盟」のアピールに努め、こちらから「どうぞいてください」とお願いするように仕向けるための工作をするわけだ。沖縄駐留の意味をミーちゃん・ハーちゃんに印象づけるために、親米売国屋さん(岡本某だとか前原某などに代表される連中)が暗躍するもの無理はない。(12/26/2010)

 赤beの「うたの旅人」。今週は「ペチカ」。

雪のふる夜はたのしいペチカ
ペチカ燃えろよ お話ししましょ

 札幌の社宅にはペチカがあった。焚き口は台所側。煙道は平面図で見ればL字型に居間の壁をなしていた。居間と隣り合う部屋との境には煤掃除をするための口に金属製のフタが三つ、四つついていた。高さは1メートル半くらい。焚き口に近い台所側の壁のレンガはかなり熱くなることもあってレンガの色が落ちかかっていた。

 北海道の寒さでも、朝に一度大量に石炭を入れて燃やすと、後は夜まで時々継ぎ足すていどで十分に一階の二部屋の暖房は足りていた。石炭は秋になると物置小屋の半分を占める石炭庫がいっぱいになるように業者が入れていた。はっきりした記憶はないのだが、業者の手配は社宅一括で「寒冷地手当」の現物支給の形でなされていたような気がする。62年から67年当時、札幌でもまだほとんどの家は石炭を使っていた。

 一階はペチカだが二階は東京から持っていった石油ストーブ。ファンヒータ式などというのは最近のことで、当時は灯油を吸い上げる芯を調節用のダイアルで上下させるタイプのもの。ストーブに対面している体の正面は暖かいが背中は寒い。室温を上げるほどにするとストーブに対面する方は暑すぎる。それに比べればペチカの部屋全体がほんわりと暖かさにくるまれる感じだった。

むかしむかしよ
燃えろよ ペチカ

 記事は作詞した北原白秋は本当のペチカを知っていたのかという疑問を中心に書かれている。おそらく作曲者の山田耕筰からペチカについて聞き、そのイメージを詩にまとめたのだろう。

 外は厳冬の寒さ、自分は暖かな室内という対比はある種の幸福感を招く。似たような対比のある文部省唱歌に「冬の夜」がある。きりりとした文体の詩もメロディーも「ペチカ」にひけはとらない。

ともしび近く衣縫う母は/春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ/日数数えて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ/外は吹雪

 「ペチカ」歌詞は5番まである。この記事ではじめて5番まで知り歌ってみた。晩年、国家主義色を強めたという白秋だが、この歌はどこまで歌っても童謡。

 一方、「冬の夜」は2番に止まるが、さすがに官製教育曲はその使命を忘れず

いろりの端に縄なう父は/過ぎし戦の手柄を語る
居並ぶ子どもは眠さを忘れて/耳を傾け拳を握る
囲炉裏火はとろとろ/外は吹雪

と、楽しさの強調だけでは終わらせない。すばらしい曲調の中の「春の遊びの楽しさ」と「過ぎし戦の武勇談」という取り合わせは、どこか「いかにも」という「臭さ」を漂わせているような気がする。(12/25/2010)

 朝刊の「池上彰の新聞ななめ読み」。このコラムがきょう取り上げたのは先日OECDが発表した09年実施のPISA(学習到達度調査Program for International Student Assessment)の結果。

 これを朝・毎・読三紙の記者がどのように読み解き、どのように報じたかということ。皮肉なオチが効いていて面白い。

 「『読解力』では、日本は前回06年の15位から、最も順位が高かった00年と同じ8位に回復した」(朝日新聞)
 「日本は前々回03年、前回06年と順位を下げ学力低下が問題になったが、今回『読解力』が前回15位から8位になり、初回00年の水準に回復」(読売新聞)
 「日本の調査結果の変遷は、読解力が00年8位、03年14位、06年15位で、今回調査で00年レベルに改善」(毎日新聞)
 要するに00年から順位を落としてきたが、今回は00年と同じ8位になった、という話です。でも、何かを比較するときは、置かれた条件を同じにしなければいけません。00年に参加したのは32カ国。09年の参加は65の国と地域です。倍に増えているのです。しかも、今回日本より上位に来た上海、香港、シンガポールは、00年には参加していません。つまり、00年の日本の順位は、高校野球にたとえれば、強豪校が参加しない中での高位だったのです。
 強豪が新たに参加するようになって日本の順位が下がったのを、「学力低下」と言えるのでしょうか。
 09年の日本の順位は、00年の参加国と比較することで、下がった、上がったと言えるのではないでしょうか。そこで00年にも参加した国々と比較してみますと、実は日本は8位から5位に上昇しているのです。こうなると、「初回00年の水準に回復」(読売)ではなく、「00年レベルに改善」(毎日)でもありませんね。朝日の「同じ8位に回復した」という表現が、ギリギリでしょう。
 では、アジアの中での日本の位置はどうか。毎日新聞は、こう解説しています。
 「参加国全体ではトップクラスと言える日本の学力も、アジア内での地位は相対的に低下している」
 この記事がおかしいのは、もうおわかりですよね。アジアで新たに参加した国や地域が上位に来て、日本の順位が下がったのを「低下」と言えるのでしょうか。こうなると、こうした分析記事を書く新聞記者の「読解力」が心配になります。
 今回の結果で、上海がトップに来たのを見て、「中国に抜かれた」という印象を受けた人もいると思いますが、PISAは本来、国同士を比較するもの。中国は、国としての参加を断り、上海市だけが特例を利用して参加しました。飛び抜けて受験競争が激しい都市と、国全体が参加している他国とを順位で比較しても意味がないのです。
 このおかしさについて、朝日は翌9日の「もっと知りたい」という欄で取り上げ、「PISA本来の目的は国の政策評価だったのに、中国国内で最も成績が高いとみられる上海の単独参加が認められたことで、国家の威信をかけた競争の性格が強まった」という学者の談話を紹介しています。新聞記者のみなさん、数字を読み解く力をつけましょう。

 フィンランドがこの調査の上位を独占したとき、日本からの視察団が大挙して押し寄せたという。例によって「フィンランドに学ぼう」というわけだ。

 今回、首位は上海が独占したわけだが、この結果を素直に受け止めて「上海に学ぼう」という声が澎湃として起こる・・・ということはなかった。たまたまこの百年強の間、風上に立った意識が邪魔をして「中国に学ぼう」という気持ちには死んでもなれない。これがこの国の大方のマインドなのだ。読解のインフラとなっている「漢字」を中国からもらい受けていながらの「この根性」。

 読解力も低ければ、精神性もそれ相応。じつに安っぽい国に成り果てたものだ・・・ああ、我が祖国よ。(12/24/2010)

 今上はきょう77歳の誕生日を迎えられた。喜寿である。

 誕生日を前にして、きのう行った記者会見の全容が毎日のサイトに掲載されている。その中にこんなくだりがあった。

 この生物多様性年も終わりに近い頃、日本の淡水魚が1種増えました。それは、最近新聞などでも報じられたクニマスのことです。クニマスは田沢湖にだけ生息していましたが、昭和の10年代、田沢湖の水を発電に利用するとき、水量を多くするため、酸性の強い川の水を田沢湖に流入させたため、絶滅してしまいました。ところがこのクニマスの卵がそれ以前に山梨県の西湖に移植されており、そこで繁殖して、今日まで生き延びていたことが今年に入り確認されたのです。本当に奇跡の魚と言ってもよいように思います。クニマスについては、私には12歳の時の思い出があります。この年に、私は、大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に、田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により、やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから65年、クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され、近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともに、この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクンはじめ多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。クニマスの今後については、これまで西湖漁業協同組合が西湖を管理して、クニマスが今日まで守られてきたことを考えると、現在の状況のままクニマスを見守り続けていくことが望ましいように思われます。その一方、クニマスが今後絶滅することがないよう危険分散を図ることはぜひ必要です。

 魚の形態学の研究者らしい言葉で、その興味が少年のころからいささかも衰えることなく続いていることがうかがえる。今上は、ハゼに関する28編の研究論文を発表しているが、そのほとんどは皇太子時代のもので即位した89年以降はたった3編しかない。98年にチャールズ二世メダル(国家元首相当の地位にありながら科学者として顕著な業績を上げた人物に与えられる賞である由)を受賞したときのスピーチではこんなことを語っている。(「天皇陛下 科学を語る」から)

 私が皇太子のとき、リンネ協会の外国会員に選ばれました。会員五十人の中の一人というこの栄誉は私の研究には過ぎるものとは思いつつも研究者としてふさわしくありたいと研究に励んだことが懐かしく思い起こされます。
 即位後のいそがしい日々は私をすっかり研究から遠ざけてしまいました。論文も十年前皇太子時代にほとんど書き上げた論文を出版したのが、唯一の即位後の論文です。しかし、研究のともしびはけっして消したくありません。チャールズ二世メダルをいただきましたことを念頭に置き、研究を進めていきたいと思っております。

 この言葉どおり地道な研究は即位後も継続しているようで、この講演の翌々年と03年に2編の研究論文を発表している。いずれも英文で書かれ"Ichthyological Research"(日本魚類学会が4半期ごとに発行している英文論文誌)に発表された。当て推量に過ぎないが、あえて英文で書いているのは「天皇がものした論文」ではなく、「ひとりの研究者の論文」として読んでもらいたいという気持ちの現れではないかと思う。そう思うと目頭が熱くなる。

 喜寿といえば世間並みには本業を退き自由に残された時間を楽しんでいて不思議はない歳だ。

 天皇の公務はかなりの激務といわれているが「退位」もしくは「譲位」の制度はない。旧皇室典範の規定を現在の皇室典範もそのままに引き継いでいるからだ。旧皇室典範には「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ」とあるのみで、それ以外の皇位継承方法に関する規定はない。「天皇・皇室辞典」(「事典」ではなく「辞典」となっていることには手に取るたびに違和感を覚える)には「伊藤、井上、柳原、伊東巳代治が議論した87年3月20日のいわゆる高輪会議で決着が図られ、譲位は削除と決まり、・・・」とある。

 さらに皇位継承について現在の皇室典範が旧規定をそのまま踏襲することになった経緯について、「当初退位規定を入れるべしと主張していたGHQも、天皇が退位して衆議院に立候補し内閣総理大臣に就任して政治の実権を握るような事態を恐れて、退位規定を置かないことを容認したのである」と説明している。退位したとしても皇籍を離脱することがなければ、選挙への立候補など認められないではないかと思わぬでもないが、それは当時の状況を知らないからかもしれない。時代の流れとはこういうものかという感を深くする。

 しかし時代は変わっている。もともと歴史的には「退位」や「譲位」は珍しいことではなかった。伊藤博文らが「譲位」を退けたのは過去において太上天皇(上皇)や太上法皇(法皇)の存在が政治を複雑にした例があったこと、なにより自分たちの地位の正当性が乱される状況が発生することを恐れたからであろうが、象徴天皇にそのような「影響力」の行使が可能とは思えない。とすれば「譲位」はともかく「退位」はあってもいいし、「天皇の公務」からの定年退職と考えれば、十分に検討に値する話だ。もちろん、園部逸夫が主張するように「天皇の人権との関係の問題については、退位制度により解決するのではなく、皇位に伴うさまざまな制約について個々に考えていくことで対応」(「皇室制度を考える」から)してもよいことではあるが。

 なんとか好きな研究に残された時間の多くを費やすことができるように、「退位」が難しければ、それに相当するような公務の務め方について、何らかの規定を用意してさしあげられないものかと思う。自分のお勤めが安穏であることを第一に考えるような宮内庁の役人に、それを期待するのは無理というものかもしれないけれども。(12/23/2010)

 尖閣諸島沖での中国漁船衝突映像をYouTubeにアップした神戸海上保安部所属の海上保安官・一色正春が停職1年の懲戒処分になった。上司・関係職員の処分は24人、鈴木久泰長官は1か月間10分の1減給、馬淵国交相も1カ月分の大臣給与の10分の1を自主返納することにした由。

 取調べにあたった警視庁は国家公務員法の守秘義務違反容疑で書類送検。検察は年明けにも起訴猶予処分にする見通しとマスコミは報じている。「マスコミ辞令」というのがあるように最近は「マスコミ求刑」・「マスコミ判決」もあるようだから検察庁もこれには素直に従うだろうし、法務官僚の恣意的判断でどうにでもなる検察審査会が「真実を求める」などと騒ぐこともあるまい。

 一色海上保安官にアドバイスをひとこと。あしたからの生計をどのように立てるか、悩むことはない。少なくとも世の中の半分はその日の気分に流される「頭の不自由な」人々で占められている。そういうおバカさんたちをいいようにコントロールして甘い汁を吸っている連中にすり寄ることだ。

 きょう、君はマスコミインタビューに「後悔していない」といったそうだが、それは非常に良いことだった。これからは自分に貼られた「正義の海上保安官」というレッテルを十二分に活かしてマスコミに露出することを心がけることだ。

 もっとも君は上司である船長に「告白」する前に読売テレビの記者とコンタクトをしたくらいだから「その腹づもり」はとっくにできていたのかもしれない。ならば、最初が肝心だよ。賞味期限はそれほど長くないから急いで「我が正論」をぶちあげることだ。いまのこの国では、非現実的なくらい極端に強硬的な言説が評価される。いままでの君の職務上の知識・知見から考えたら、「バカじゃないか」と思えるような、いい加減で非現実的なことの方が「ウケル」のだ。ひたすら強気で勇ましいことを照れずに(現実を知っているほど、照れくさいだろうが)、そうだはやり言葉で言えば「毅然と」だよ、怒鳴りまくることだ。あの田母神某などのように、ね。バカバカしいほど、現実離れした強硬論がいい。

 世の中がそういう強硬論で満たされた結果、現場の海上保安官が迷惑したっていいじゃないか。そういう場面で辛い思いをするのは君を馘首にした海上保安庁の連中だ。もう君はそういう現場に出ることは金輪際ないのだから、安全な場所からどんどん「危険なこと」を大声で強硬に主張すればいいんだよ。

 そうだね、まず「敵」を決めることだね。世の中何もかも悪いのはその「敵」のせいだと、単純に主張するんだ。いまはやりの「敵」は何といっても「中国」だから、君は絶対に「スター」になれる。「講演会」、「テレビ出演」、「新聞や雑誌の原稿」、「体験本の執筆依頼」、・・・、ありとあらゆる道が開け、海上保安官時代の何倍もの収入が得られる可能性が開かれることだろう、きっと(保証はできないけど、ね)。

 いいかい、何度も繰り返すけれど、世の中の半分はイライラする現実を単純明快なワンフレーズでぶっ飛ばしてくれるスカッとした「スター」をひたすら待ち望んでいる、パープリンのおバカさんたちなんだから、ね。「さぁー、来い、ヒトラー」ってなノリでゆこうよ。呵々。(12/22/2010)

 きのう、システムの電源を落としてから、いったいこの国はどこまで愚かしい国になってゆくのだろうと思った。けさの朝日の社説を読んでよりいっそうその感を深くした。「何だ、結局、朝日はまたいつか来た道を歩もうとしているのだな」と思った。たしかに対象となることがらは月とスッポンほども違うが、国民的空気のようなものに迎合して、根拠も論理性もないことを書きたてるさまは自滅戦争に向けてレミングの行進をはじめた時そのままだ。

 タイトルは「小沢氏拒否:執行部は強い姿勢で臨め」。小沢一郎が政倫審に出席するのは当然であり、これを拒否するというなら法的拘束力のある証人喚問を実現しなければならないというのだ。なぜ、政倫審に出席し説明しなければならないのかというと、政治とカネの問題について「自ら疑惑を招いてしまった」からだという。政治とカネの問題について疑惑のある政治家が小沢一郎一人なのかどうか、「自ら疑惑を招いたら」必ず政倫審で説明しなければならないのかどうかについては、そもそも政倫審がいかなる経緯で設けられどのように運用されてきたか、仮に社説子が主張するような厳格運用を行ったらどのようなことになるか、バカバカしくて話にならないから書かない。

 ここまで書く以上は小沢一郎にどのような「問題」があるのか、ひとことくらいは書いてあってもいいはずだが、この社説にはたったひとつ「小沢氏は昨年の総選挙の立候補予定者91人に約4億5千万円を配ったが、その原資に旧新生党の資金を充てていたことが明らかになっている。税金も受ける政党の資金を個人の政治資金として配ってよいのか、小沢氏の説明を聞いてみたい」というのがあげてあるきりだ。「個人の政治資金」というのが「立候補者の政治資金」という意味なのか、「小沢一郎個人が子分に配った政治資金」という意味なのかはっきりしないが、後者の意味として立候補者が受取ったことを問題にしたいとしても、渡す方も渡される方も「政治資金として集めたカネ」を「選挙資金として授受した」といわれればそれまでのことだ。安倍晋三のように政治団体を隠れ蓑にすることで父・晋太郎の財産を相続税を逃れて受取った例のように「政治資金ではないカネ」を「政治資金と偽って授受した」行為とは本質的に異なる。

 小沢が招いたという「政治とカネ」疑惑とはこんなことではなかろう。しかし毎日の社説にも読売の社説にも具体的な疑惑案件の指摘はない。わずかに日経の社説にのみ「小沢氏の強制起訴により裁判で争われるのは、資金管理団体の土地購入に充てられた4億円の資金に関する虚偽記入の経緯が中心となる」と奥歯にものの挟まったような指摘がある。匂わせているだけなのだ。なぜか?

 小沢一郎が好きなわけではないし、小沢一郎を支持しているわけでもないが、これほど薄弱な根拠しかあげられないのに、主張だけは「政倫審拒否なら証人喚問しかない」と決めつける異常さを見ると、小沢一郎を弁護したくなる。

 西松建設がダミーとして作った政治団体からカネを受け取ったことは小沢も認める事実である。同じルートで自民党の二階俊博もカネを受け取っている。現に二階の秘書は略式起訴されるや、あっさりと検察に頭を下げた。小沢が頭を下げなかったことは「罪」なのか?

 小沢が水谷建設から裏金を受け取ったという容疑があった。しかし残念ながら検察はこれを立証できなかった。そもそも5千万円×2、計1億円の裏金を渡したとする水谷功が脱税で服役している津市の三重刑務所に出張尋問して「小沢への贈賄」調書を作ったのが、いまや証拠改竄検事として並ぶもののない「名声」を獲得した前田恒彦だというから、その信憑性は推して知るべし。

 さらに付け加えれば水谷はその調書作成後に刑期を残した形でめでたく仮釈放されている。虚偽であれ何であれ検察が求める証言をすれば刑期などはいくらでも短縮されるのかと疑うのはあながち「邪推」とは言い切れまい。水谷には他にも福島県知事だった佐藤栄佐久の事件でも同様の「贈賄」証言があるが、昨年秋の東京高裁判決では佐藤への賄賂金額は「ゼロ」と認定されてしまった。なおこの事件の取調べにも前田恒彦が関わっているから恐ろしい。

 結局、小沢のカネを追求した東京地検特捜部は大久保隆規の公判維持に行き詰まり「政治とカネ」路線を放棄し、メンツ確保のためだけに「政治資金収支報告書虚偽記載」という「政治とウソ」路線へと転換することを余儀なくされた。その件ですら逮捕からもう少しで一年になるというのに東京地検はいまだに公判請求をしていない。昼寝でもしているのか?

 新聞各紙が「政治とカネ」疑惑の実際例をけさの社説に書くことができなかったのは、火付け役の東京地検特捜部が大山鳴動ネズミ一匹で終わってしまったからなのだ。

 バカなマスコミの最後の逃げ場が検察審査会だった。最近の捜査当局は最後っ屁が大好きなようだ。國松孝次長官狙撃事件の時効に際しての警視庁公安部の発表もそうだったが、法務官僚首脳にとっては自らの指示で作り上げた民主党を標的にしたでっち上げ事件が西(大阪地検特捜部による郵便料金割引制度悪用事件で石井一)も東(東京地検特捜部による小沢一郎)も不首尾に終わったのがいかにも悔しかったのだろう。その最後っ屁に使われたのか検察審査会のおにいちゃん・おねえちゃんたち(はっきり書いておく、彼らはドアホウだ)だったというわけだ。彼らは農地に関する土地取引の実情も政治資金規正法が求める資金の収支報告要件についの理解もなしに「ともかく小沢はアヤしい」という理屈抜きの感情論により、わけの分からない「判断」を下した。

 彼らにとって幸いだったのは、マスコミもバカさ加減においてチョボチョボだったため、満座の前で恥を晒したと知らずにすんだこと、そして、なにより匿名性に隠れることができたことだ。しかし、彼らは甲山事件の際の検察審査会の連中同様、浄玻璃の鏡の前では自らの愚かさを思い知ることになるだろう。彼らのために「あの世」や「地獄」や「閻魔さま」などいないことを祈ってあげよう。

 もっともそんな「おバカなおにいちゃん・おねえちゃん」が実在したかどうかを疑わせるデータもある。こちらの方が小沢の「政治とウソ」よりもずっと怪しく思える。(12/21/2010)

 菅首相と小沢一郎の会談が行われた。会談とは言い条、小沢を政治倫理審査会に出席させるための最後通告だったようで小沢は当然の如くこれを拒否、一時間半といわれる会談は物別れに終わった由。

 東京地検特捜部が最後の悪あがきに元秘書・石川知裕を逮捕した時、小沢はあえて国会の参考人招致に応じたらいいのにと書いた。全マスコミ注視の中で「オレにかけられている容疑は何だ?」、「その容疑の根拠は何だ?」と正面突破をはかれば、質問者側は散会した後に負け犬の遠吠えよろしく「やっぱり、怪しいですよ」とつぶやくていどで収まり、愚かなマスコミも矛を収めざるを得なかっただろう。

 しかし小沢はこれを回避した。その後に起きたことはマスコミによる「小沢は自らの政治とカネとについて説明責任がある」という執拗な繰返しだった。それはまるで「カルタゴ滅ぶべし」のリピートでスピーチを締めくくることを常套化したローマの政治家を思い出させたが、そう主張している誰も小沢の「罪状」について明確に暴き立てることはできないというのが不思議と言えば不思議な現象であった。

 嗤うべきは、小沢の所属する民主党首脳までが、この「カルタゴ滅ぶべし」という「呪文」にかかってしまっているということだ。カルタゴを滅ぼしてローマの覇権は定まったが、小沢が粛正されても何も定まりはしまい。しかしマスコミは「政治とカネ」の問題はまるで小沢に始まり小沢に終わるかのように報じ、国民は小沢が収賄政治家であるという漠然とした「空気」の中にいる。

 いまや烏合の衆に堕ちた自民党は自らが如何にして力を失ったかについて顧みることなく「敵失」による勢力の挽回を夢見て、チマチマした重箱の隅突きを繰り返し、およそ野党としての責任を果たそうとしていない。「柳腰外交という言葉を撤回しろ」、「北朝鮮の砲撃があった時に官邸が空っぽだったことは問題だ」、「小沢を国会招致できないのはリーダーシップの欠如だ」、・・・バカバカしくて泣きたくなる。

 「柳腰」を「毅然」に言い換えればそれでいいのか、「官邸」にさえいれば鼻くそをほじっていてもいいのか、特捜部さえ追い詰めることができなかった小沢のカネが「証人喚問」さえすればたちどころに白日の下に晒されるのか、バカも休み休みに言え。

 もっと情けないのは、自民党のバカバカしさに額面通りつきあおうとしている「政府首脳」だ。まさに自民党と同じ発想法で大局を見失っているから、小沢が「政倫審への出席が議決されても出席はしない」と言うだけで、「それなら証人喚問を検討しよう」というところにジャンプしてしまう。自民党の主張を逆手にとるなら分かるが、自民党と同じ側に立ってどうするのだ。

 夜のニュースには面白可笑しく報ずるためだろう、小沢が与謝野と囲碁対決をした映像がオンエアされていた。囲碁などの勝負事で勝つために絶対に必要なものは「大局観」だ。どうも菅直人には肝心要の「大局」を見通す眼がないのではないか。

 小沢よ、バカといっしょにやってゆくのにいちばんいい方法は「バカにあわせること」だよ。(12/20/2010)

 ショパンのピアノ協奏曲第1番・第2番のCDが届いたのは暗くなってからだった。通常Amazonプライムは翌日配達なのだが、発送元が堺市となると丸2日というのはやむを得ないのだろう。

 このところ珍しく出歩く日が多くてホームページの更新が手につかなかった。これを聴いてるいると、またまた、ホームページの記事の更新が滞る。夜中にガンガン鳴らすわけにも行かないし、聴くのはあしたの昼間でいい。どうせ「毎日が日曜日」なのだから。

 ホームページの更新といっても、日記からカット&ペーストし、適度に改行、個人名を伏せ、適当な箇所の書体をボールドするていどのこと。勤めていたころは名前が出た本から関係部分を紹介していたのに、「毎日が日曜日」になってからはかえって手間をかけなくなった。

 こんなことだからアクセス数が減るのは当たり前。アクセス数が減るから力が入らない。一種のデフレ・スパイラル。もともと単なる自己満足ていどのものだから、すっぱり足を洗う選択もある。

 今月になってからジャストシステムの「かんたんアクセス解析」を利用しはじめた。地域別の訪問者数でいつも石川県からのものが数件、コンスタントにあるのが気になる。勝手な想像であの**くんだとしたらと思うと、まだしばらくは続けようかなどという気になる。

 ・・・ならば、少し店構えに手を入れる時期かもしれない。(12/19/2010)

 きょうも**(家内)のお伴で立教大学の新座キャンパスへ。聖パウロ礼拝堂で市民コンサート「クリスマスを想うセレナーデ」。岩村隆二のフルート、前田真弓のピアノで「美しき水車小屋の娘」から2曲の演奏を聴く。その後、キャンパス・チャプレンによるキリストの生誕に関する部分のルカ伝とヨハネ伝の「朗読」と「説教」をはさんで、バッハのパルティータ・ハ短調(BWV997ということはリュートのための曲として分類されている曲)からプレリュード・サラバンド・ジーグを聴いた。

 最初に演奏されたのはシューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘」からのものではなかった。あの「ローレライ」の作曲者で知られるジルヒャーが(ここからがややこしい)パイジェッロの作になるオペラ「美しき水車小屋の娘(La bella molinara)」の中の「もはや私の心に感じられない(Nel cor piu non mi sento:通常は「我が心空ろになりけり」と訳されているようだ)」を主題として作曲した変奏曲だった。(ベートーベンもこのアリアを主題にピアノ向けの変奏曲を作っている由)。

 もちろん、きょうまで、シューベルト以外に「美しき水車小屋の娘」と題する音楽のあることも、パイジェッロなる音楽家についても知らなかった。岩村の説明があって初めて知ったこと。

 パイジェッロは18世紀後半から19世紀初めにかけてのイタリアのオペラ作家。彼が1789年(フランス革命の年ではないか)に作ったオペラはウィーンでの上演が好評でドイツ国内でも大当たりをとった。水車小屋の娘が数人の男たちに思いを寄せられる、娘はいったんなびいた男を捨てて別の男へ。恋が適わなかった男は悲嘆にくれて・・・という物語にいたく感激したミューラーという男がこれを詩に詠んだ。この詩にシューベルトが感動し、有名な歌曲集「美しき水車小屋の娘」を作り、やがて「美しき水車小屋の娘」といえばシューベルトの名前だけがあがるようになり、パイジェッロは忘れられた。こんな成り行き。

 このパイジェッロ、よくよく「忘れ去られる運命」にあったようだ。

 「セビリアの理髪師」といえばロッシーニによる名作中の名作オペラとなっているが、それに先行して同じ台本で「セビリアの理髪師」を作り、かなりの成功を収めていたのがパイジェッロだったのだ。ロッシーニは「セビリアの理髪師」の初演に際して、この先輩に敬意を表してか、あるいは同名では客が呼べないと考えて「アルマヴィーヴァ、または無益な用心」という冴えない題名を掲げた。しかし「この配慮はまさに『無益な用心』となりはててしまった」。すぐにもロッシーニの名作の評価がパイジェッロの作品を凌駕してしまったからだ。もっとも、てもとの名曲解説全集の記述を見る限り、それは因果応報の結果だったような気もしてくる。

 ・・・この配慮はまさに「無益な用心」となりはててしまった。それはパイジェルロ一派の露骨な妨害行為(大勢の口笛吹きを動員して歌声をかきけしてしまったり、舞台に猫を追いやって進行を妨げたりするなど、ひどい妨害をくわだてた)のため、舞台はまったく収拾がつかなくなり、聴衆の大半は途中で席を立ってしまうしまつとなったからである。しかし、初演こそパイジェルロ一派の思惑どおり大失敗に帰したが、その陰謀もこの作品のすぐれた芸術性を消去することはできず、その後急速に人気をとりもどして、世界各国のあらゆるオペラ劇場で、最も重要なレパートリーの一つとして、ゆるぎない地位をかちえたのであった。

名曲解説全集:第13巻「歌劇(上)」

 興味にまかせて調べたことは以上。それにしても「歴史の審判」とはこういうことをいうのだろうか。でも、当人にとっては生きている間こそがすべてだからなぁ。(12/18/2010)

 一週間に二度、予期せぬ偶然に出会うというのはそうそうあることではない。出不精なのだから、特に。

 うれしい偶然もあれば、うれしいばかりではない偶然もある。おとといは前者、きのうは後者だった。紀伊國屋で避けようもなく「正面衝突」した時には「ついてないぞ、きょうは」と思った。もとはといえば「池袋で買い物するから、いっしょに出ない」と言う**(家内)に従ったばかりに時間調整するはめになったわけで、「クソッ」、舌打ちしたい気分だった。おかげで「いや、すぐそこで、ばったり」などと、しなくともいいいいわけをすることになってしまった。そんな口調になること自体が忌々しい。この気分は曰く言い難い。

 しかし、人生、万事塞翁が馬。凶事は吉事の因。今週は、万事、星の巡り合わせが格別によかったのかもしれない。子細は書かない。心地よく酔った。最後の忘年会が最良。外歩きはちょっとばかり寒かったけれど、心地よさには余韻があった。

 ショパンの第2番は「ケチケチしないで両方」というご託宣。だが「協奏曲らしさを重視するならツィマーマン」と宇野功芳がどこかで書いていた由。これで決まりだ。

 ここまで書いたところで、忘れぬうちにAmazonで注文。そうそう、新たな宿題。「ミツバチのささやき」を観ておくこと。世界が拡がることは・・・いいことか?(12/17/2010)

 日経のコラム「NY特急便」、けさの見出しは「株高で広がる先延ばし経済」。日本時間のけさはねた市場は久々に19ドル7セント下げた。記事はこんなことを書いている。

 株式市場には重要な関心事のはずなのに、市場参加者が話題にしない。そんな出来事がこの日、2つあった。まず米上院が所得や配当の大型減税(ブッシュ減税)や失業保険給付の延長を盛った法案を賛成多数で可決。下院も週内に採決の方向で、年内成立が濃厚になった。そして米長期金利。米国債の売りが続き、10年物国債の利回りが約7カ月ぶりに3.5%台に乗せた。
 2つの出来事はむろん密接に関係する。上院を通過した法案の財政負担は8580億ドル(約72兆円)に膨らんだ。オバマ政権と共和党、そして民主党内の妥協過程で多くの対策が上乗せされた結果だ。止まらない金利上昇は財政をめぐる債券市場の懸念の表れだ。その債券市場に比べ、株式市場は財政の問題にやや無頓着にも映る。財政の問題がただちに損失につながらないためだろうが、将来の課題から目をそらす姿勢は議会や国民全般にも通じる。
 manana economics(マニャーナ・エコノミクス)。そんな言葉が最近よく聞かれるようになった。マニャーナは、スペイン語で「明日」。だから「あすやろ経済」とでも訳せるだろうか。ばらまき政策を続け、課題を先送りした結果、財政が火の車になってしまった、かつての南米経済をやゆした言葉だ。その状況が米国にも当てはまってきたというわけだ。
 「金融政策には、景気刺激策が不要になれば、米連邦準備理事会(FRB)がそれをやめる意志も道具も有している。だが財政政策は違う。米政府にも議会にも、もはや歯止めがなくなってしまった」。バンク・オブ・アメリカ・メリルリンチ北米エコノミストのイーサン・ハリス氏は、そう警鐘を鳴らす。
 株高が経済のマインドを明るくし、消費の底上げなどを通じて景気浮揚に貢献している面は否めない。だが、それで将来払うべきツケの存在がうやむやにされてしまえば、米国経済には、それこそ"明日"がなくなる。

 中間選挙の敗北によりオバマ大統領はすっかり共和党に迎合する姿勢に転換した。アフガンでは「名誉ある撤退」にこだわっていまだに軍事支出を垂れ流しながらブッシュ減税を延長するというのだから狂気の沙汰というほかはない。どうもアメリカという国は、「大砲もバターも」というジョンソンの失敗あたりから、インチキ経済学として名高い「レーガノミックス」のレーガンを経て、その嫡子のようなエイプ・ブッシュ(その父のパパ・ブッシュはサプライサイダーによる経済政策をブードゥー・エコノミーと揶揄していたのだから大嗤い)まで、いっこうに失敗に懲りないようだ。いや、サルが大統領を務めたころからは、「戦争も減税も」という「悪いとこ取り」をしているわけだから「最悪」だ。

 面白いのは、こういう愚かな経済運営を批判するのが、「経済専門紙」のちょっと「眼の悪い」記者さんや「エコノミスト」屋さんたちであるために、「減税」と対比するものが常に社会保障政策(彼らは好んで「バラマキ」という言葉を使う)になってしまうことだ。

 この人たちは「小さな政府」が大好きなようだ。「小さな政府」という以上は「大きな無駄遣い」は絶対に避けなければならない。ところがこの「ものを見る眼」が悪い(というよりは「無い」)人々の視野には、国家が行う最大の無駄遣い事業である「戦争」、最大の無駄遣い支出である「軍事費」が入ってこないらしい。

 多くのバナナ共和国(Banana Republic)の経済政策が「あすやろ経済(Manana Economics)」だったというのは指摘の通りだったのだろう。しかし、それらの国々の「軍事支出」が国家予算に占めた割合とアメリカ合衆国における「軍事支出」が国家予算に占める割合を考えるならば、経済の専門おバカさんたちの批判がいかに明後日の方角を見ているかが分かろうというものだ。何に対する「バラマキ」が見直されるべきか、「兄弟の目より塵を取り除」こうとするなら、「まづ己が目より梁木を取り除け」ることだよ。(12/16/2010)

 **(家内)におつきあいして調布まで。調布市・アフラック共催の「チャリティー・コンサート」。チャリティーのテーマは「小児がんの子どもたちに夢と未来を!」

 出演は早見優、タイムファイブ、より子。タイムファイブもより子も知らなかったが、タイムファイブは結成後40年以上になるジャズ・ボーカル・グループ、より子はシンガーソングライターとしてかなり広範に活動している由。また、より子自身、2歳から6歳までの間、小児がん(卵巣がん)で手術、闘病生活を送っていた経験を持つとか。

 アフラック主催で無料招待というコンサートながら、思ったより楽しめる内容だった。**(家内)と二人でそれぞれ千円の募金、早見優と握手、「マネキ猫ダック」をもらってきた。

 終演後、調布の駅へ上るエスカレーターで、**(かつての隣家の姉妹)ちゃんに会った。残業をいつもより早じまいして帰るところと言う。アフラックにお勤めなので**(家内)は「会えるかも」といっていたのだが、まさか本当に会えるとは思っていなかった。ビックリ。京王線から武蔵野線と乗り継ぐ間ずっと**(家内)とおしゃべりをしていた。

 **(かつての隣家の姉妹)ちゃんが結婚、妊娠中に卵巣がんが分かり、出産前後に手術を繰り返した由。赤ちゃんに異常はなく、今のところ、**(かつての隣家の姉妹)ちゃんも元気とのこと。携帯の待ち受け画面になっている「甥御」くんを見せてもらう。可愛い。(12/15/2010)

 けさも雨。予報では午後にはあがって気温も5度以上あがるはずだったがすっきりとしない。ちょっと内股に張りのような感じがあるが、きょうもステップボードを使う。お相手は「コロンボ」。90分の単純作業を飽きさせないという点ではベスト。

 朝8時からのBSハイビジョン再放送枠、きょうの名曲探偵アマデウスはショパンの「ピアノ協奏曲2番」だった。なるほど**くんが薦める気持ちがよく分かる。一枚、手もとに置くとして、誰にしようか。

 いわゆる推薦盤は、アルゲリッチ-デュトワか、ツィマーマンの弾き振りということになるらしい。あのとき、**くんにお薦め盤を訊いておくのだった。あさって、**に会える。ピアノをやっていたはずだから、訊いてみよう。アルゲリッチを薦めそうだな、訊くだけムダか。(12/14/2010)

 予報では降り出すのは早くてお昼頃だったが、8時すぎにはウォーキングに出るにはためらわれるほどの降りになった。以前ならば、解放された気分ですぐPCの前に座り込むところだが、ノルマ達成率が97%ともなると簡単にはあきらめられない。一日でも休むのがいかにも悔しくなるのだ。

 録画してあったコロンボを見ながら、ステップボードで昇降運動。おおむね10分で1000歩なので、「コロンボ」の一話分、90分でノルマにちょっと足りないくらいは稼げる。20分したところで上着を脱ぎ、宅急便など来ないことを祈りつつ40分でズボンを脱ぐ。70分で風呂のあたためボタンを押しておけば、終了と同時に汗を流すことができる。ウォーキングよりは少し歩数効率が悪いが、消費カロリーはこちらの方が多い。

 ノルマさえクリアできれば、後はいつものように折々株価と為替の動きを追いながら、読書タイムを楽しむことができる。きのうAmazonに注文した石崎建治の「猪山直之日記」が届いた。さっそくパラパラ読み。磯田道史の「武士の家計簿」を補完するような内容。

 映画では(磯田の本が出てこないので確認できないが、記憶によれば「原作本」でも)直之の子供は二人、後を継いだかたちの成之はお熊の兄、二人兄妹となっていた(老いた直之が「家計再建のために家財を処分した日に生まれた」と語るのを、成之が「その日に生まれたのはお熊、わたしは小さかったけれど憶えております」と訂正するシーンがあった)が、実際には生まれて一月足らずで亡くなった順太郎という兄がおり、成之はお熊の弟だったことなどが分かる。(直之自身もまた長男ではない)

 「武士の家計簿」でははっきり説明されていないが、お駒の父・西永予三八(西村雅彦が演じていた)も、成之の妻となるお政の父も、ともに猪山家から養子として出た人物であることなど、いかにも「お家」中心の武家の事情が丁寧に説明してあって興味深い。石崎はこれらのことを「由緒書」により調べている。

 ***の家と**の家も、このように互いに養子をとったりとられたりした間柄の家だったのかもしれぬと思いつく。結納に際して取り交わす「由緒書」以外に藩命により経歴・親族関係などを報告させたものも「由緒書」と呼ぶ(本来はこちらが先か)らしい。**(父)さんの系図調べ、ちょっと謎の部分があったが、こんなものがあったのかもしれない。どこかにしまってあるのだろうか。(12/13/2010)

 週末のニュース番組を見ながら、ふと思った。もし中国政府が劉暁波を「国家転覆扇動罪」などというおどろおどろしい罪名ではなく、彼の国では何というのか知らないが「婦女暴行」ないしは「強姦」などの罪名で拘束していたとしたら、この国や欧米のメディアはどのように報道しただろうか・・・と。

 共同通信のニュースサイトはこんな記事をけさのトップに掲げた。

 【パリ共同】スペインからの報道によると、内部告発ウェブサイト「ウィキリークス」創設者で、英ロンドン警視庁に逮捕されたジュリアン・アサンジ容疑者(39)の釈放を求める集会が11日、首都マドリードなどスペイン各地で行われた。
 逮捕に反発するウィキリークス支持者は、関係機関や企業にサイバー攻撃を行ってきたが、英BBC放送(電子版)によると、組織的な街頭行動は初めてとみられる。
 マドリードの英大使館前で行われた集会には、100人以上が参加。「アサンジ氏を釈放せよ」などと書いたプラカードを掲げた。同様の集会はバルセロナやバレンシア、セビリアなどでも行われたという。
 AP通信などによると、オランダやブラジルでも、容疑者釈放を求めるデモが英公館周辺で行われた。

 が、Googleニュースの検索ではわずかにNHKとTBSのテレビニュースが引っ掛かるのみで、朝毎読などの主要紙をはじめとして我がマスコミはみごとにこのニュースを「秘密」扱いにしているのが可笑しい。

 犯罪人とされた劉暁波、そしてジュリアン・アサンジ。一方、外交文書漏洩の衝撃の大きさをとらえて「情報テロ」とか「外交における911」などという称されているようだから、テロリストとしてのビン・ラディン、そしてジュリアン・アサンジという対比もありそうだ。

 ビン・ラディンがじつは戦争依存症患者アメリカに「テロとの戦い」という新しい「生き甲斐」をもたらした最良の友であったように、アサンジも、案外、アメリカの新たなネガティブ・サポーターになるのかもしれない。または、いま我々の多くが信じたいと思っているように、体制の保全に汲々とするあまり平衡感覚を欠いたモンスター国家への挑戦者として、いつの日か、劉暁波のようにノーベル平和賞を受けるような、そういう存在になるのかもしれない。いったい、どちらへと現実が転がるのか、楽しみといえば楽しみ。(12/12/2010)

 ノーベル平和賞の授与式が日本時間できのう夜9時からノルウェースのオスロで行われた。受賞者の劉暁波本人も代理人も出席しないという異例の式になった。本人が出席できなくても代理が出席するのが通例で、それすら適わなかった例は、過去、ナチスドイツ時代のオシエツキーの例があるのみとのこと。朝のニュースでは誰も座らぬ椅子にそっとおかれた証書とメダルが入っているのであろう青い小さな箱の映像が流された。

 劉暁波は北京師範大学で博士号を取得した後、オスロ大学へ招かれ中国現代文学を教えていた。ノルウェー、就中、オスロに人脈を持っていることが想像されるから、今回の選考を一方的に政治的なものと決めつけることはできない。その後、彼は客員研究員としてコロンビア大学へ転じ、1989年民主化運動のために帰国、天安門事件を経て公職らしい公職のすべてを失った。このキャリアがあれば、中国に帰国せずとも安穏に暮らすことはできたであろう。しかし、彼はあえて帰国し、結果的に今日の状況に陥った。朝刊一面にはこんな記事が載っていた。

 1989月の天安門事件を機に、多くの活動家が中国を離れるなか、劉氏は国内で弾圧を受けながら民主化を求める道をあえて選んだ。
 中国を離れないというその信念は、この日、授賞式に駆けつけた旧友へのかつての手紙にも記されていた。米国在住の活動家で、中国民主化を求める雑誌編集長の胡平さん(63)。招待され、壇上の空席を見守った。
 胡氏は93年4月、オーストラリア滞在中の劉氏から手紙を受け取った。黄ばんだ再生紙の便箋3枚。荒い筆跡でびっしり書かれていた。
 86年に米国に渡った胡氏の家に劉氏は度々泊まり、恩師のように慕っていた。だが、手紙の視線は厳しかった。
 「渡米してからあなたの文章には鋭さが失われた。中国で政治的圧力と身の危険を感じていれば、どんな不明瞭な文章も迫力あるものになる。自由な暮らしが、あなたの目標を虚構にしてしまった」
 そしてこう結んだ。「私はもう揺るがない。あなたも中国に戻ってきたらどうか」
 胡氏は劉氏が拘束前、こう話したのも覚えている。「中国は私たちの家だ。国外に逃れるより、国内の監獄の方が良心が穏やかでいられる」
 だが、胡民ら海外の民主活動家の多くの入国を中国は認めていない。式典に出た活動家のウアルカイシ氏も「我々、国外に逃れた民主活動家たちは、どんどん孤独になっていく」と吐露した。

 誰もが勇気を必要とする戦いに従事できるわけではない。ただ、劉暁波と彼が頼みとするメンバーの戦いの様相を知る気もないくせに、中国政府「口撃」の機会とのみとらえて面白がっている我がマスコミほど軽薄にならぬように自戒しなくてはなるまい。

 それにしてもノーベル賞は、本来、重い賞だ。自然科学分野の各賞は相応の成果が絶対条件であり、文学賞にしても構築した世界の完成度に対する要求は相当にハイレベルだ。各賞の中で、いちばん見劣りする経済学賞でさえ、人工的な解釈とはいえ、ある種の「戦果」を上げていることが条件となっていることは認められる。ところが、平和賞に限っていえば、近年は実績がなくとも崇高な理念を掲げるだけでも受賞できるように見えてしまっているのは、いささか残念な気がしないでもない。理念を応援することの意味は理解するとしても、平和賞のみが「達成度を問わない」という状態が続くことにより「空洞化」することを危惧する。(12/11/2010)

 **(家内)につきあって「武士の家計簿」を観る。主人公は微笑み役者の堺雅人が演ずる猪山直之。その妻、駒は仲間由紀恵。

 映画は海軍主計少監となった直之の息子の語りで始まる。舞台は幕末。加賀藩の猪山家は「ソロバンと筆」でご奉公する家柄。いわゆる「刀筆の吏」。どれほど数字に明るくソロバンが達者でも、陽のあたるご奉公ではないから、武士としての身分・家格はそれほど高いわけではない。

 さりながら中村雅俊が演ずる直之の父は江戸詰の折の算段で加増され、それが婿養子(松坂慶子演ずる直之の母のセリフ)としての面目だったようだ。官吏としての手堅さはあるものの算用者としては平凡であったのではないかということが、彼のいつもの自慢話が始まるや、「おばばさま」(草笛光子)が「塵劫記」に載る問題を話題にして遮るシーンなどからうかがえる。このあたりの描き方はなかなか面白い。

 メインストーリーからは外れるが、直之の子、成之が海軍主計の道を得るのは大村益次郎の引きを得たからなのだが、大村が成之に「これからの戦はタクティクスじゃ。兵隊がこれだけいれば、握り飯をどれほど用意し、草鞋はいつごろどれだけいるかを考え、準備できるお前のような才能が是非必要なのだ」と語ってリクルートするシーンなどは印象的。その後の我が帝国陸軍がロジスティックに徹底的に冷淡(兵站に冷淡、とは、悪い冗談だ)だったことを想起すると、創始者と言われる男を暗殺で失ってしまったことが祟ったのかなどと思わせる。(いま、こうして書きながら、猪山成之は海軍主計方というのが「ン?」と思った)

 映画は終盤、登場人物が順に亡くなり、一瀉千里に終わる。

 最近はどうも涙腺が緩くなったようで、ちょっとした場面で簡単に涙が出てくる。なぜ、これほど涙が出るのか。それは世間がどのように評価しようが、表舞台を地道に支え、日々の生活を着実に送りながら最期の日を迎えるというごく平凡な努力の姿が、終末に向かう自分に重なるものとして徐々に徐々に実感の度合いを高めているからだろう。(12/10/2010)

 寝付きはよい。眠れないという悩みはない。だが、どうも眠りが浅い。そして短いのが悩みといえば悩みだ。決まって5時間眠ったところで眼が覚める。11時に床に就けば4時、12時ならば5時。判で押したように5時間。暑いころはもうそれで起きていたが、このごろは起き出しても部屋が暖まっていない(タイマーは6時半にセットしてある)し、5時でもまだ暗いのでそのままにしているとまた眠れる。

 そのくせ、一歩きしてきて果物(最近はリンゴとカキ)を食べ、しばらくして昼食をとると、こんどはむやみに眠くなる。会社にいるころはこの睡魔に往生した。いまは携帯を目覚まし代わりにして30分だけ寝る。暑いころはそれですっきりしたが、寒くなってからはすぐには起きられない。

 きのう、ラジオに出演していた若山弦蔵は「夜は11時くらいに寝て、朝は9時とか10時くらいですね」と言っていた。そういえば、内田百閒などは「大概夏期は十時間、冬期は十二時間位眠る」と自らの健康法として書いていた。若山弦蔵は、現在、78歳。調べてみると、内田百閒は82歳になるちょっと手前で亡くなっている。長寿をめざす・・・がんと思い込んだ痛みがなくなったとたん宿願の2039年まで生きられるような気がしてきた可笑しさよ・・・長寿をめざすとしたら、もう少しよく寝た方がいいようだ。さあ、きょうは早く寝よう。(12/9/2010)

 「あっ、嫌だな」と思うことがあっても、だいたいは黙って見ているままだ。ただ、性根は癇性だから、いずれ溜まると爆発する。

 黒目川沿いのウォーキングコース、すれ違う双方が直前でにらみ合いになるのはいかにも不細工なので、見通せる前方から人が来る時は必ずこちらからコースを変える。公道が七分、自分が歩く部分は三分というのが江戸しぐさの心得とされるが、そんな心得がなくてもそれくらいは当然の話だろう。

 だが、いまや手前勝手は時代の病になっている。だから、コースを往復8キロほども歩けば「バカじゃないか」という連中に、毎日、一、二度は出くわす。

 右岸はサイクリングコースを兼ねており、おおむね全幅を舗装してあり、左岸よりは広めになっている。そこにヤンママが自転車を停めておしゃべりをしていた。ひとりは川沿いのフェンスに自転車を預けて、もうひとりがそれと直角につまり道幅方向に自転車を停めておしゃべりに余念がない。しかも何のつもりだか、その自転車を前後に動かしているから通り抜けるにはタイミングを計らねばならないようだった。いくら何でも、近づけば自転車を寄せるなりなんなりすると思っていたが、いっこうにその気配がない。腹に据えかねて道をふさぐなと一喝して、ドウダンツツジと自転車のテールの間をすり抜けた。それでもよけるでもなく、動ずるでもないようだった。たいした度胸だ。

 きょうはよほどに運が悪かったのか、折り返して左岸を歩き始めると、4人連れのババタリアン(オバタリアンより歳上、歩くよりは転がった方が早かろうと思われるほどコロコロと太り、おそろいの黒いスナフキン帽、その背中にこれもおそろいのリュックを背負っている)が一列に並んで通りゃんせをしながら歩いてくるのに行き会ってしまった。いつもなら精一杯の侮蔑をこめて「失礼」と言い、脇を抜けるところだが、直前の腹立ちが収まっておらず「道の半分はあけろ、馬鹿たれ!」と怒鳴ってしまった。すれ違ってからほどなく後の方で自転車の鈴が鳴るのが聞こえた。チリンチリン鳴らすくらいなら右岸を走ればいいのにとも思いつつ、いっそ、あのババタリアンどもに自転車ごと突っ込んでくれたら溜飲が下がるかもしれぬと思い直した。

 家に戻ってシャワーを浴び一息ついてから、思い出して越川禮子の「江戸の繁盛しぐさ」を取り出した。「往来しぐさ」の章の冒頭にとりあげられていたのは「韋駄天しぐさ」だった。時速6.8キロという当方の速歩も、あるいはマナー違反だったのかもしれぬ、と微苦笑した。

 等々書いていたら、ニュース速報。WikiLeaksのジュリアン・アサンジがロンドンで逮捕された由。容疑はスウェーデン人女性に対する暴行。モノを盗めば窃盗、人を殺せば殺人、カネをだまし取れば詐欺、・・・こういった犯罪ならばモノが移動し、死体が転がり、カネが移転するから犯跡が残る。これらに比べれば、婦女暴行は微妙だ。でっち上げようとすれば冤罪を仕立てるのは比較的容易。それほど、アサンジを逮捕したいのなら、各国政府(いまのところ、もっぱらアメリカ合衆国だが)は、なぜ、「情報が盗まれた」と主張しないのか。別件でしか彼を逮捕できないことが、リークされている情報の信憑性を高めていることはたしかだ。

 ただし、どのような情報をリークするかの「編集作業」がWikiLeaksによってなされていることには十二分に注意しなくてはならない。これを忘れると、とんでもない世界へとワープしてしまいかねない。(12/8/2010)

 朝刊の文化欄、シリーズ「文化変調」の第5部「ゆらぐ権威」の最終回に山崎正和のインタビューが載っている。話はこんな具合に始まる。「あらゆる権威が落ちている。大学、医師、マスコミ、さらには検察・・・・・・。権威をたたきつぶすことが時代の流行となって久しい。権威も権力も一緒くたに『悪いものだ』と思われているが、実はそうではない。権力は最小限度に制限すべきだが、権威は社会に必要なものなのだ」。

 例示はいささかどうかと思われる列挙だが、うなずけない話ではない。氾濫する情報を整理・選択するためには権威あるプロが整理・選択してくれるからたしかな情報にたどり着けるという主張も、半畳入れたくなる部分はあるにしてもその通り。とくに「編集者がじっくり育てた作家より、公募で賞をとった作家の方が一発でポピュラーになってしまう」という嘆きなどにも同意する。

 「大衆化社会によっていまや5割以上が大学に進む。みんな自分は偉いと思い、壇上の人を引きずりおろそうとする。戦争と全体主義の時代を経験し、権力は嫌だ、権威も一緒くたに嫌だ、と否定の気持ちが強くなった。これは世界的流れでもある」。こう続くと山崎も歳をとって、もはや時代に追いついていないのではと思うものの、半分くらいの主張は同意見。

 そして結論。「権威を妄信せよというのではない。ただ、そろそろ権威をたたきつぶす流行に歯止めをかけなければ、文明は無政府状態に陥ってしまう」。これにも同意する。

 しかし山崎を権威とは認めない。彼に権威について語る資格も認めない。徹底的にたたきつぶすべきウジ虫だと思っている。山崎よ、お前には「権威」について語る資格はない。お前、イラク戦争開戦時にアメリカの権威に寄りかかってエイプ・ブッシュが始めた戦争を全面的に支持したろう。ソ連の崩壊によって権威を失った者ども同様、イラク戦争を支持したお前を含む権威者はすべて権威を失ったのだ。そのお前が権威について語るとはね。汚らわしい、ウジ虫野郎、早く死ね。(12/7/2010)

 立川でいつものメンバーの忘年会。**さんと**さんがそれぞれに所用があって欠席。少し、寂しい。

 **さん、「シルバー人材での稼ぎは、ほとんど船にいっちゃった」とか。船の状態はベストらしいが、ご本人の腰の具合は一進一退らしく、クルージングに関する計画、きょうは「お話し」のみ。

 「初島、どうだった? 見るところある?」との質問あり。かりに体調がベストとしても、この時期、天候は良くても波が高そう。城ヶ島あたりへの日帰りならともかく、湾外に出るとしたら初島くらいが適当なところなのかもしれない。

 いまのところは養生をしてもらいつつ、海が穏やかになる時期まで待ち、大島から新島あたりで計画しようかというところに落ち着いた。船酔いが心配なこちらとしてはおつきあいできるのは大島あたりまでが精一杯なのだが。(12/6/2010)

 一年間続いた「龍馬伝」が先月終了し、埋め草として「坂の上の雲」の第2部が今夜から始まった。

 ほとんど見ていなかったから内容比較は分からないが、「龍馬伝」は「龍馬が行く」そのままというわけではなかったようだが、司馬遼太郎モノは大ウケのようだ。

 おかげで坂本龍馬はずいぶんと「出世」した。高評価に見合うほどの大人物だったかどうかについては疑問符がつくようだが、あの独特の語り口で誉めあげられれば、イワシの尻尾でもタイの尾頭付きくらいにはなれるに違いない。あの世なるものがあるとすれば、司馬はさだめし坂本の歓待を受けたことだろう。

 司馬遼太郎の読者がいくら「龍馬が行く」や「坂の上の雲」を読んでも、世の中を見る「視力」は向上しない。いま自分が生きているこの時代、この社会を、司馬の描いたところの坂本龍馬や秋山真之のように見通すことができたら良いのだが、どれほど素直に率直に彼らを真似たところで、あの小説(そう、所詮「小説」なのだ)のように時代を切り開く境地は絶対に得られない。

 司馬遼太郎の作品を選んで読むほどの読者は、十分に素直で、偏見がなく、謙虚なので、「ああ、自分には彼らのような良い眼も、明晰な頭脳もないからだ」とあきらめるのだろうが、もともと坂本龍馬にも秋山真之にも時代が見通せたわけではなかったろう。

 司馬遼太郎の作品を精読したことはない。だが、その作品をおおよその感じで要約すれば、ごく普通の人間がいろいろの制約の中で精一杯生きたその軌跡を、後知恵で飾り立ててドラマ仕立てにしただけの「物語」だということ。たしかに人間の歴史にはそこここに非凡な決断がある。しかし、それはその後のことが見通せたから、あるいは時代と社会がたどることになる道がありありと見えたから「決断」できたわけではない。ごく一握りでもいいから、それほど賢い人間が必ず存在したというなら、我々が知っている歴史がほとんど「愚行の葬列」であるなどということはないはずだ。

 司馬遼太郎の作品をいくつ読んでも、彼が飾り立てたような「時代を見通した青年」、「神業のような戦術を立案できる参謀」に近づくことなどできはしない。また、そういう人物の出現を待ってもムダだ。もし、坂本龍馬に、秋山真之に、天才があったとすれば、あれやこれやと紛れの多いこの世の出来事をすっぱり忘れてしまう迂闊さを発揮できる場面があった、そういう才だったのではないか。最近の世情では、それは「良い才」ではなく「悪い才」だとされ、世論調査などやれば、高率の不支持率を稼ぐ「才」として袋叩きの対象とされているようだ、呵々。

 人間はその時代を地べたに立ってしか過ごすことはできない。ミネルバのフクロウですら、夕方にならねば飛び立って鳥瞰することはできないのだ。

§

 珍しく続いた週末行事も4週目にしてやっと終了。あとは来週月曜と再来週木曜の忘年会をこなすのみ。(12/5/2010)

 月曜から木曜にかけて夕刊に掲載された「揺れる死刑-米国・中国からの報告」によると、アメリカの陪審制は有罪か無罪かの判定のみではなく量刑の判断も行うようになっているらしい。彼の国では州により法制度の細かな部分に違いがあることは承知していたが、記事によると「陪審が死刑事件の量刑に関わる」州が32に及ぶということは大勢としては陪審が死刑の判断を行うということになる。

 とすると11月16日に書いた、「(裁判員制度は)裁判に関与する市民が死刑を決定する独自の制度だ」というのは間違いだったということになる。プロである最高裁事務局作成の比較表により「陪審制度では量刑を判断しない」のだと信じたのだからあながち素人の勝手な思い込みによる間違いではないが、事実の裏付けのない主張になっていた。

 ではいったいアメリカにおける陪審制はもともとどのようなものだったのか(死刑判断を行っていたのか、否か)、また32州とはどこか?

 いろいろ調べてみたが、32州の内訳はもちろんのこと、もともとその大半の州で陪審が死刑判決に直接関わっていたのか、それとも最近そのようになったのかさえも、はっきりしたことが分からない。インターネットの検索に引っ掛かる断片的な情報をつなぎ合わせてみるとこんな話のようだ。

 刑事被告人は「公平な陪審によって行われる、迅速な公開の裁判を受け」る権利を有することが合衆国憲法修正第6条によって保証されている。もともとは陪審員が有罪と判定し、裁判官が死刑とするかどうかの判断をしていたらしいのだが、アリゾナ州で発生した事件に対し連邦最高裁が修正第6条の精神に従って、「死刑判決を下すために認定しなければならない加重事由を裁判官が認定する死刑制度は憲法違反である」(言い換えると「裁判官による死刑判決は憲法違反である。死刑判決は陪審員によるものでなければならない」ということになる)という判断を示した(リング対アリゾナ裁判判決:合衆国判例集第536巻584ページ2002年)ことにより、がらりと変わってしまった。

 このあたりのロジックはいかにもコモン・ローの国らしい匂いがプンプンする。そして、裁判官(ないしは検察官)による「自由な」裁量に法定刑の適用を任せてきたこの国が、その都度選任される人々に量刑の決定にあたらせ、なおかつ、その決定を「全員一致」ではなく「多数決」によるとした裁判員制度なるものの異常さが際立っていることが分かる。(12/4/2010)

 ワールドカップ開催国が日本時間の昨晩遅くに決定。2018年はロシア、2022年はカタール。

 18年の開催国には、ロシアの他、イングランドが単独、スペイン-ポルトガル、オランダ-ベルギーが共催のかたちで立候補し、22年には日本、韓国、オーストラリア、アメリカが名乗りを上げていた。

 開催国はFIFAの22名の理事(買収を持ちかける囮報道に2名の理事が引っ掛かり、本来の24名から2名の理事がリジェクトされた)の過半数の得票を得る国が出るまで、支持数が最下位になった国を外すやり方で投票を続ける。22年の開催国決定投票は、最初にオーストラリアが脱落、続いて日本、韓国の順に選外となり、最終投票でカタールがアメリカを制した由。

 FIFAにはIOCに対するある種の対抗意識があったのではないか。

 リオデジャネイロで開催される2016年のオリンピックには当初カタールのドーハも立候補していた。暑熱の地であるドーハはオリンピックの日程を8月ではなく10月とするように主張していた(2006年のアジア大会はドーハで12月に行われた)がIOCは聞き入れずドーハは早々と落選してしまった。カタール関係者の「夏の大会が8月に固定されるのなら中東はオリンピック開催地として閉め出されることになる」という不満はもっともなことだった。

 カタールの夏は、平均最低気温がおおむね28℃、平均最高気温は40℃を超える。カタールは立候補にあたり開城の冷房施設を整備するとしたが、かなり大きな問題であることは明らか。サッカーに比べれば屋外に競技が限られることのないオリンピックの方がはるかに問題が少ないはずだが、案外問題だったのはIOC理事の頭の固さだったのかもしれない。ともかくカタールがこのワールドカップを成功させ、頑迷なIOCの鼻を明かすことを楽しみにしている。

 それにしても22年の開催国が韓国にならなくてよかった。そんなことになっていたら、我が嫌韓族などは集団自殺したかもしれぬ、呵々。(その逆もあるか、日韓の心狭きナショナリストさんたちに、カンパイ)(12/3/2010)

 旧ソ連時代の話。「赤の広場で『ブレジネフのバカ野郎』と叫んだヨッパライが逮捕された。逮捕理由は『国家機密漏洩罪』だったとさ」。

 こんな懐かしいアネクドートの傑作を思い出させたのは、WikiLeaksが暴露したアメリカの外交公電にじつに辛辣な各国首脳に対する人物評が含まれていたことが報ぜられたから。

 まず大嗤いしたものから。ベルルスコーニ・イタリア首相:「軽率でうぬぼれが強く無能」。サルコジ・フランス大統領:「怒りっぽく、独裁主義的」。ということは、サルコジは「無能」ではないらしい。だが、評者が異なるから額面通りとは限らぬ。

 なるほどと思ったのは、メルケル・ドイツ首相:「リスクを避け、めつたに創造性を発揮しない」。プーチン・ロシア首相&メドベージェフ・ロシア大統領:「プーチンはバットマンで、メドベージェフは相棒のロビン」。しかしこのていどのことなら、陋巷の民にとっても事新しい感じはせずおおむねイメージ通り。驚くとしたら「その内容」というよりは「その率直さ」。いや、むしろアメリカの外交官の観察眼はこのていどなのかという気もしないではない。

 意外に人物を見抜く力に欠けているな(つまり観察者自身の教養レベルが低いということだが)と思わせるものもある。金正日は「体がたるんだ年寄り」だというが、まさに見たまま。「精神的・肉体的トラウマをかかえる」と続くが、そのトラウマがどのようなものでありどんな場面で噴出するのかが知りたいところだ。

 逆に観察者自身の精神状態が対象者に投影した結果、おそらく真の観察になり得ていないのではないかというものもある。カルザイ・アフガニスタン大統領を「被害妄想に駆られている」としているが、これなどはアフガニスタンで目的を失った負け戦を戦っているアメリカ自身の精神状態が見てとれる。

 情報漏洩問題として取り上げられるWikiLeaksだが、その内容の多くは少しばかりものを見る眼のある人ならば想像できることがらがほとんどだ。もし問題があるとすれば、それは、大多数の平凡な人々が根拠もなしに「そんな下品なこと」あるいは「そんな酷いこと」をアメリカ合衆国ともあろう国がやるはずがないと信じていることが「まぎれもない真実である」と分かってしまうことかもしれない。もっとも国家の裏の顔はこんなもので、いずれアメリカに限らず先進国などと思われている国々も多かれ少なかれ仮面の下にはがっかりするような素顔を隠していることが露見するだろう。

 アネクドートが笑い飛ばしたように、「ブレジネフがバカ野郎だ」という「国家機密」は、人類史の視点から見れば、機密でも何でもない。だが、同時代に生きている人間全員が「人類史の視点」を持ちうるものではない。厄介なのはそういう視点とは金輪際無縁であり、そういう視点にいささかのコンプレックスも感じないような人々も、「畏れ」すら感ずることもなく世論調査をすればなにがしかの意見を開陳し「一票」を持って政治に参加するのが「いま」という時代の仕組みになっているということだ。(12/2/2010)

 昨夜は同期会の幹事引継会。同期会の運営に関する前任と後任の間の意見交換などはゼロ。対面でなければできない話などこれっぽっちもなく、「引き継ぎ」は名目、ただの飲み会。時節柄、忘年会か。なぜ、仲良しメンバーで繰返し幹事を務めるのかといえば同期会準備を名目に飲み会を楽しくやるため。こうしなくては「合コン」ができないというのも寂しい話だ。

 とはいうものの、収穫がなかったわけではない。**くんからピアノ曲に関するお薦め情報を仕入れたことはグッド。

 話の中心はショパン。ピアノコンチェルト第2番が第1番よりも前に作曲されたことは知っていた。そのことによる勝手な想像で完成度の点で劣るのだと思い込んでいた。だが、彼の話では「ぼくの個人的な好み」との限定付きながら、第2番も食わず嫌いはもったいない名曲とのこと。趣味とは言いつつ「ピアノがふたつあると協奏曲ができるんだよ。一方がピアノパート、もう一方がオケの方を受け持つんだ」などと言ってのける人の言葉は、それなりに聞きとめなくてはならない。

 それにしても、グランドピアノを2台おける自宅か・・・、その一方はSteinway & Sons(この表記には引っかかりがある。日本法人は「スタンウェイ」とは言わず「スタインウェイ」と表記している。つまり「ei」を「アイ」と読んでいるわけだ。とすれば「シュタインウェイ」と読む方が正しいだろう・・・。ふつうアインシュタインをアインスタインとは表記しない)という話だったから、ちょっと「生活のラベル」が違う。

 偏食は身についた悪癖だからどうしようもないと思ってきたが、最近はかなり矯正された。読書は、いまだに「偏食? どこが悪い」(偏食ではなく悪食かもしれない)と思っているが、その他のものは少しずつ眼を拡げるのも楽しいかもしれない。ショパン、少し、聴いてみようか。(12/1/2010)

 大丈夫だろうとは思いつつも一抹の不安を胸に東京病院へ。

 結果は単なる突起で問題なし。「少し荒れていることはたしかだね」、「気をつけることは、なにかありますか?」、「酒、タバコをやらないこと」、「やってません」、「若いころから?」、「はい」、「あとは食べないこと、胃を使わないのがいちばんいいんだ。アハハハ。そういうわけにゆかないんなら、なるべく腹八分目を心がけるんだね」、「分かりました。先日、いただいた薬は飲みきるまでは飲むということですか?」、「どっちでもいいよ」、「飲まなくても?」、「飲みたくなきゃ、いいよ」。この先生はいつもこんな調子だ。

 現金なもので腹のあたりのチクチク感はあっさりと消え、空腹感が訪れた。支払いを済ませ病院を出る。頭上には抜けるような青空。「Oh ! blue sky , blue sky・・・きょうの空の青さは、きょうの空の青さは」と口笛を吹きながら・・・あの歌は失恋の歌だったかと、苦笑い。

 いつものコースとは逆のルートで歩く。ウォーキングの出で立ちではないので、いつものピッチよりはよほど緩くして歩いた。(11/30/2010)

 **から喪中欠礼のハガキ。お母さんが亡くなったのだそうだ。今月の10日、享年66歳。

 夕食後に電話してみた。去年の暮れに白血病と分かり、その時点で「残り3カ月」といわれた由。入院は9月まで続いたが、本人の意思もあり退院。毎週火曜日、輸血に通う日々だったらしい。

 あしたは胃の生検の結果を訊きに行く日。人生一寸先に何が待っているかは分からない。まあ、でも、当たりくじには縁がない方だから、大丈夫だろう。(11/29/2010)

 きのう、書こうと思っていて忘れた「鎌倉スケッチ」。

 覚園寺の巡覧を終わって、全員がそろうまでの合間。記憶の蓋を開けかねていると、囲いの石柱の上にデジカメを置いて構図を決めている女の子が眼に入った。男の子とのツーショットをセルフタイマーで撮ろうとしているらしい。セットをし終わって並ぶ。二人そろって膝を折り低い姿勢をとる。その様子が可愛くて、思わず「お節介かもしれないけど、シャッター、押しましょうか?」と声をかけた。

 「お願いできますか、ありがとうございます」という言葉に気をよくして、そのまま一枚撮り、「ズーム、どうやるの?」と訊いたりしながら、アップで、もう一枚、撮った。お節介そのもの。

 素朴な感じながら笑顔がすばらしく可愛い女の子と嫌みのない男前。ちょっと気がかりだったのは、普通、何とかセルフタイマーで撮ろうとする努力は男の子がするものだろう。女の子の方にいくぶん力が入っているような感じがした。シャッターを押してあげた写真、彼女だけの想い出の一枚にならなければいいが・・・などと要らぬ心配。

 ところで、ああいう時代に戻りたい? 一方に仕事のストレスがなければ、ね。(11/28/2010)

 来年の春の「修学旅行」企画の世話人会という名目で春の筍パーティメンバーが鎌倉に集合。きのうは明月院・円覚寺・東慶寺とまわってから、鶴岡八幡宮近くのホテルにチェックイン。その後、披露山の大崎公園で夕暮れの海を見て、高級住宅街の中の**さんの知り合いのおうちで家庭料理をいただいた。たまたま研究会のため釧路から出て来た**くんも加わって、囲炉裏端で賑やかで暖かい夕食。

 囲炉裏にはおでん鍋がグツグツ。亭主の**さん曰く「お豆腐とコンニャクは買いましたけど」。つまりがんもどき、生揚げ、つみれ、巾着は**さんの手作り。上品な薄味がちょっと物足りなく思ったもののおいしい。カモのあぶりなど絶品で、野菜たっぷりなのもうれしい。

 けさは朝市会場近くの朝食のお店で十穀米に納豆の朝定食を食べて、八幡宮、鎌倉宮、覚園寺へ。

 覚園寺、たぶん35年ぶり。きのうよりきょうの方がいい天気で紅葉も銀杏も日に映える。1時間ごとにまとまって案内人に連れられて見て回る。四、五十分で追い出される勘定。こんなシステムではなかったように記憶するが、あの日の記憶の主体は覚園寺にはないからなんとも言い難い。

 **さんが予約を入れてあった「ナチュール・エ・サンス」でゆっくりと昼食。柔らかな秋の日射しが差し込む白ベースの店内。牡蠣のスープが特においしかった。

 気の合う仲間と人生の秋を楽しむ、じつに幸せ。これでワインの味について語るくらいの「教養」があれば、もうちょっと幸せ度が増すのだろうが、なにごとも中くらい、一つ、二つ、欠けているものを意識できるくらいがちょうどよいのかもしれぬ。

 4時少し前に鎌倉を出て、5時すぎに池袋に着き、3冊ほどハードカバーを仕入れて帰宅。(11/27/2010)

 朝一番のメーリングリストで**さんがこんなことを書いてきた。

 (了解を取っていないので要約)

 韓国空軍パイロットが航空自衛隊の訓練施設を借りに来る日程を変更していないことから、韓国軍はほとんど動揺していないことがうかがえる。

 朝鮮日報あたりのマスコミ情報によると

   「北朝鮮軍は目的に適合しない砲弾しかない可能性が高い」
   「北朝鮮軍は照準能力が乏しい可能性が高い」

 地元民撮影の映像、市街地に着弾したのに死者が少ないことを考え合わせると、榴弾ではなく徹甲弾を用いたのではないか。

 素人の勝手な想像を書くと、炸薬の入っていない徹甲弾は炸薬の入っている榴弾よりも軽いため、島のてっぺんにある軍事施設を狙った砲弾が島頂部を超え、その先の市街地に着弾した・・・しかし、いくらなんでもこんなポカをする砲兵は世界中どこの国の軍隊にもいるはずはないか・・・呵々。

§

 砲撃のあったおととい夜10時を過ぎたころから、見るごとにオーストラリアドルの下落が始まった。おかしなことに砲撃直後から夕方にかけてドル円は大幅に円安に振れ、「おお、有事のドル買い」の伝統はしっかりあるのだと思わせたが、7時台にストンと83円40銭に落ち小康状態、10時を過ぎるとドルもまたしっかり円高に振れた。

 それほど円に対する信任は厚いのか。そんなことはない。遊ばれているのだ。アメリカ投機筋は「どうせ北朝鮮の一発芸」と見定めたのではないか。そう思わせた。ならば、朝方までに底をつけて、ショートポジションの決済を誘った後、反転する・・・。そう思った。

 ならば、週末の鎌倉行きの小遣いを稼ぐには絶好のチャンス。80円30銭~50銭あたりでひとつ買い玉を建てて・・・。しかし、結局、思いとどまった。25日はニューヨーク市場が感謝祭の休日に入るから。薄商いのときにはちょっとしたことで(単なる誤報でも)スパイクノイズのように短時間に振れることがある。それが恐かった。

 実際には谷はさほど深くはなく80円47銭。戻りも思いの外早く、きのうの深夜には82円ジャストまで戻した。つまりサンクスギビングデーの休場など意識しなければ、あっさり鎌倉行きの小遣いがゲットできたわけだ。これで三回ほど、読みは当ったにもかかわらず、ゲインゼロ。でも「四度目の正直」と思って乗り出すと、外してやけどを負うのかもしれない。そう考えるとますます買いにくさが増す。まるで何回か健康診断をパスしているうちに、悪い話を聴くのが恐くなり、さらに健診への足が遠のいてしまう老人のような話。(11/25/2010)

 北朝鮮による「無差別砲撃」、きょうになって、民間人2名の死亡が確認された由。

 朝鮮戦争は手続き的には「停戦」であって終結したわけではない。したがって、戦時が継続しているとすれば、民間人に対する無差別攻撃は重大な国際法違反だ。しかし、昨日来、そういう指摘が報ぜられていないのは不思議といえば不思議な話。もっとも、朝鮮戦争はそんなルールを無視した戦争だったわけだから、韓国でそういう声が上がらないのは分からないではない。また、日本も自国への無差別爆撃を立案・指揮したカーチス・ルメイに最高位の勲一等旭日大綬章を授与するような信じがたいことを平然とやってのけた国だから、無差別攻撃に対する感性が特別鈍いのかもしれない。

 それはそれとして、昨日来の報道に「今回の北朝鮮による砲撃、韓国としては国連の安全保障理事会に提訴したいところなのだが、この春の哨戒艦沈没事件に対する北朝鮮制裁決議が中国の反対により通らなかったということもあり、韓国政府は対応について慎重に検討しているものと思われる」という珍妙な「解説」があって大嗤いをした。

 この「解説」は基本的かつ重大なことを見落としている。哨戒艦沈没事件に関して北朝鮮は「犯行」を否認しているのに対し、今回の無差別砲撃に関して北朝鮮は「犯行」を認めているということだ。これは天と地ほどの違いではないか。さらに仮に哨戒艦沈没が北朝鮮の犯行であることが明確になったとしても、それは軍の艦船に対する攻撃であって、強弁するなら「停戦違反」に留まる。だが、今回は民間人居住区に対する無差別攻撃だ。民間人を殺戮することを正当化しているのは、現在のところ、北朝鮮同様のならず者国家アメリカ合衆国だけだろう。(先日、WikiLeaksが公表した、アメリカ軍ヘリコプターからの民間人銃撃映像がアメリカ合衆国と北朝鮮の類似性についての雄弁な証拠となるはずだ)

 無条件に春の哨戒艦沈没事件を北朝鮮の犯行と信じ、報じているのは日本のマスコミくらいのものらしい。「北朝鮮制裁決議」のはずが「議長声明」に止まったのは、軍民共同調査団の看板で作られた「韓国製報告書」の信憑性が疑われた結果、非常任理事国の足並みがそろわなかったからだ。

 今回の砲撃事件にそういう懸念は一切ない。北朝鮮は「ああ、やったよ」と言っているのだから。そして、市街地の住宅が砲撃により破壊されているのだから。自らの軍の練度が著しく低いことを告白しない限り、北朝鮮は「仮に民間施設に命中してもかまわない、無差別の攻撃であった」という事実から逃れることはできない。非常任理事国はおそらく一致して北朝鮮非難にまわるだろう。

 中国が非難決議を阻止するためには拒否権を行使する他はない。一貫してイスラエルの暴挙を非難する決議を拒否権により葬り去ってきたアメリカ合衆国のように。中国にそれだけの胆力はまだないだろう。

 ではなぜ韓国は即座に安全保障理事会に持ち込まなかったのだろう。以下は推測。おそらくアメリカが韓国を牽制したのだ。きょう、横須賀から原子力空母ジョージ・ワシントンが28日からの米韓合同軍事演習に向けて出航した。当初、アメリカは中国からの抗議により、中国沿岸への派遣を見合わせていたはずだった。黄海は水深が浅い海だ。重量級の原子力空母が黄海でどのような行動が取り得るか、あるいはどのような制約があるのかについてのデータをとるために、アメリカ海軍は喉から手が出るほどに黄海での運行の機会が欲しかったに違いない。アメリカは、韓国が早々と安保理提訴して、北朝鮮非難と抱き合わせに当該海域での軍事演習の機会まで制限されるような安保理決議がなされることを恐れたのではないか。

 こう考えてくると、砲撃の当日、北朝鮮による「最初に砲撃したのは傀儡(北は韓国をこう呼ぶ)側だ」という主張に対し、「聯合ニュース」がこんなことを伝えていることが興味深く思えてくる。

 国防部の李庸傑(イ・ヨンゴル)次官は同日、民主党幹部に非公開報告を行い、軍が延坪島の沖合いで実施した訓練は護国訓練ではなく、定期的に行っている射撃訓練だったと説明した。民主党の朴智元(パク・チウォン)院内代表が明らかにした。
 李次官によると、韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLLより南側で砲撃を行った。北朝鮮側が午後2時34分に海岸砲20発余りを発射してきたため、韓国軍もK9自走砲で同49分ごろ応射。続いて午後3時1分ごろ二度目の応射を行ったという。事態は午後3時41分に収束した。
 合同参謀本部の金正斗(キム・ジョンドゥ)戦力発展本部長(中将)も、与党ハンナラ党の緊急最高委員会に出席し、韓国軍の延坪島沖での訓練は護国訓練ではなく、海兵隊が毎月白リョン島で実施する砲撃訓練だったと報告した。ハンナラ党の安亨奐(アン・ヒョンファン)報道官が伝えた。
 特に金本部長は、韓国軍は北側ではなく南側に向け砲撃していたが、北朝鮮が突然、韓国軍陣地に向け海岸砲を発射したと指摘。北朝鮮の攻撃は威嚇射撃ではなく、照準射撃とみるべきだと強調した。また、北朝鮮の挑発は、NLLの無力化、北朝鮮の後継体制固め、軍事的緊張を通じた南北関係の主導権確保などに向けた多目的布石だと分析した。
聯合ニュース 2010/11/23 21:08KST

 案外、先に「発砲」したのが韓国であることを「自白」したあたりに、この砲撃事件の深淵がのぞけるような気もしないではない。まあ、たしかなことは、この国のパープリンなマスコミ情報だけでは裏を読むことは金輪際できそうもないということくらいか、呵々。(11/24/2010)

 北朝鮮が、きょう午後2時半頃、「北方限界線」に近い大延坪島を砲撃し、韓国軍に死者2人、重軽傷者16人の他、民間人にも負傷者が出た。

 俗に38度線といわれる朝鮮戦争の軍事境界線だが、陸上部分は合意されたものであるが、海上部分には合意などない。いくつかの島は休戦条約締結時の実効支配で凍結されたから、その多くは「国連軍」支配下にあり、「北方限界線」はそれを根拠に引かれたものだ。ところがこの海域はワタリガニの漁場でもあるので、島の実効支配や「限界線」の存在を棚上げして南北の漁民は操業をしてきた。そういう意味では尖閣列島周辺海域と同様の状況だったと言える。そのため、ワタリガニ漁の季節になると、漁船保護のために南北それぞれの軍が繰り出す艦艇の間で小競り合いが絶えず、ときに軍事衝突につながっていた。

 しかし民間人の居住する島、その住宅密集地に数十発もの砲弾をぶち込むとなると、これは明確に意図的に行われた「無差別攻撃」である。夜のニュースでも基本的には「いったい北朝鮮はいかなる意図で砲撃したのか」という疑問に対する「解説」が中心となっていた。結論を書くと、どの「解説」も「核実験」以来、使い回されている「解説」で、なるほどと思われるものは皆無であった。この国のマスコミに登場する「専門家」の皆さんはどうして「分かりません」とか、「いまのところ合理的説明はありません」ということが言えないのだろう。

 なにより、それ以前に不思議なのは砲撃を受けた地点が大延坪島の東南に位置する市街地であることだ。島の市街地は、北朝鮮が砲撃に使用したとされている砲台の設置位置から見ると中央部の山の「向こう側」、つまりブラインド部分にある。グーグルマップの航空写真で見ると、手前にある山頂部には韓国軍の施設やインフラ施設らしきものがかなり並んでいるのが分かる。確実に破壊するために直射砲ではなく曲射砲を使用するとしても、直接見えないブラインド位置にあるものよりは、目印になるものがある山頂部のインフラ施設を狙う方が効果もあれば、砲撃の成否も確認しやすいはずだ。なぜわざわざ戦果が確認しにくい山越えの市街地をターゲットにしたのだろう。(11/23/2010)

 雨が降り出すのは午後という予報を信じてウォーキングに出たが、久留米西高校のあたりで急に雨が強く降り出した。ジョギングに切り替えて帰宅したがぐっしょり。そのくせ、昼過ぎには一時的だったけれど、日が射してきた。「女心と秋の空」と思えば、気象予報士を恨む気にもなれない。ところで広辞苑には「男心と秋の空」となっており「女心」の方は載っていない。フェミニストなのかな。

 週末、おつきあいのため仕方なく、しっかり食い過ぎたせいだろう、体が重い感じ。**(家内)はいつものように玄米がゆとナスとカボチャの煮付けを用意していってくれたが、洋梨、柿、バナナの取り合わせにコーヒーですませた。この方が体が軽く、どことなく切れがいい感じ。そのくせ、郵便局から銀行へとまわった帰りにポテトチップスを買って、一袋まるまる食べた。これだけはトランス脂肪酸がどうとか、何とかいう発がん物質があるとか、メタボ族御用達食品ナンバーワンだとか、・・・ありとあらゆる「汚名」にもかかわらず、なかなかやめられない。

 読み始めた本郷和人「天皇はなぜ万世一系なのか」が面白い。いかにもの題名で文春新書とくれば「猫またぎ」本のように思えるが、豈図らんや一気に読者を中世日本にワープさせてくれる。ご本人のサイトに掲載している自己紹介を読んでさらに親近感を覚えた。「ザンデルリンクのブラームス」で「ン?」と思わせ、「ルドンが好き」で、「小三治が好き」で、「談志が好きになれない」とくれば、否が応でもファンになりたくなるというものだ。

 以上、きょうは、我が61歳の生活と意見。(11/22/2010)

 天気は事前の予想よりも、土曜日はよく、日曜日は悪かった。

 お昼前に熱海に集合。食事をしてから、旧日向別邸へ。

 ブルーノ・タウトの設計。和洋折衷、なかなかモダンな造りになっている。はじめにタウト紹介のビデオを見る。桂離宮の評価で知られるタウトはケーニヒスベルクの生まれ。あの7つの橋を重複なく一巡路でまわれるかどうかで有名な街。たぶんカントが生まれ、その生涯を過ごした街でもあったはずと思うが、メンバーの誰も分からなかった。(いま確かめた。当たり。それなりの記憶はまだ蒸発していない)

 地下への階段(この階段の手すりが凝っている)を下りて、取っつきの部屋がベートーベン、順にモーツアルト、バッハというのがタウト自身のイメージだったとか。日本様式を意識したことはたしかなのだろうが、悪くいうと、どこか「カラクリ屋敷」のような印象がないでもない。タウトにもう少しだけ日本での時間があれば、もっとこなれたかたちの仕事を見ることができたのかもしれない。残念な気がした。

 4時の船で初島へ。お泊まりはアイランドリゾート内のトレーラーハウス。夕食が早めだったので、たっぷりとおしゃべり。就寝は1時前。

 きょうは6時すぎに起きて朝風呂。トレーラーハウスの前で用意されている食材を使い、またまたのおしゃべりをしながらゆっくり朝食。チェックアウト後、島内を時計回りに一週。12時20分の船で熱海に戻り、昼食、お茶、買い物を順にこなして3時すぎの東海道線で帰ってきた。(11/21/2010)

 旅行用のリュックを買いに**(家内)と池袋へ。いま愛用しているリュックは少し小振りなことと、背負いベルトが片タスキになっていてデザイン的には洒落ているのだが、きちんと背負うときには少し安定に欠けることがあって、ひとつまともなものを買っておこうと思ったから。イメージ的には来年の春の旅行のとき、デイパックとして使うことを想定した買い物。

 サムソナイトが最近出したカメラバッグにした。通常のデイパックを上下に分割にし下段側にカメラと200ミリ程度の交換レンズが収められるようになっている。上段は外側にペンや手帳・メガネケースなどの小物、背中よりにいろいろなものが入れられる。そして背中全体に薄型のノートパソコンていどなら収納できる部分がある。背あてのクッションもうまく作られていてイメージにぴったり。若干、重いかなというのが気になるがこれはやむを得ない。

 そのまま使うことにして新宿の紀伊国屋まで。チェックしておいた新書と文庫を買うため。紀伊國屋はEdyで支払いができるのがいい。もうひとつ今月末まではポイントカード一周年記念とかでポイントが倍になるという案内メールが来ていた。この際、講談社文庫に収められた中西進の「万葉集(1)~(4)」と「万葉集事典」を買っておくことにした。他に綾部恒雄の「秘密結社」、新書が6冊、そして偶然見かけた早川タダノリ「神国日本のトンデモ決戦生活」

 これだけ買ってちょうどVISAのカードポイントをEdyに振り向けた分くらいになった。カードポイントもばかにはできない。じつにありがたい。

 帰りの電車の中で「神国日本」をパラパラ読み。最近ではなかなか読めないであろう、北原白秋の「大東亜戦争 少国民詩集」所収の詩の一節が紹介してある。

すばらしいの、何のつて、君、
大東亜共栄圏なんだもの。
ぼくの脳髄はそのまま地図なんだぜ、
カナダだつて、スエズだつて、パナマだつて、
もうとうに塗りかへてるんだぜ。

 瞬時、ディックの「高い城の男」を思い出した。なにしろ、スエズはユーラシア大陸の端と思えるとしても、カナダもパナマもじきに大東亜共栄圏に入るというのだからすごい。白秋が亡くなったのは1942年11月、この詩集は遺作集とされているから、おそらくこの年の春くらいまでに作られたものなのだろう。

 太平洋戦争が始まった翌年の春頃までの戦況は大日本帝国にとってよかった。この年の3月9日の木戸幸一日記には「御召により御前に伺候したるに、竜顔殊の外麗しくにこにこと遊され『余り戦果が早く挙り過ぎるよ』との仰せあり」と書かれている。

 つまり、北原白秋がどうせ子供相手の詩だと気楽な気分で、「もうカナダだって世界の二大運河だって大日本帝国のものだ」と大言壮語したわけではなさそうだ。大元帥である天皇までが、連戦連勝に喜色満面、「勝ちすぎる」ことを心配するほどに舞い上がっていたのだから、上から下までこの国全体が「我が国が世界の覇者になるのはもうすぐのことだ」と、そう思っていたのも無理からぬことだ。

 まことにバカとアホウにつける薬はないとはよく言ったものよ。

 ちなみにこの「大東亜戦争 少国民詩集」の出版元は朝日新聞社だ。朝日嫌いの右翼の皆さんはせいぜいこの阿呆の見本のような詩を朝日新聞が出版していたと批判材料に使うがよろしい。それとも己が貧しき感性との親しさ故に、にわかに朝日新聞に親近感を覚えるか、呵々。(11/19/2010)

 上場外債の分配金に関する封書とともに、資生堂からの封書がポストに入っていた。配当金は、通常、12月初旬だから少し早いなと思いながら開封すると、配当に関するお知らせではなく個人情報流出のお詫びだった。株主優待の発送を委託している会社から優待品を選択している(優待品を受け取らず環境保護活動への支援を選択している株主もいる)株主、31,157名分の個人情報を記録したパソコンの入った鞄が盗まれたとのこと。現在までのところ悪用された形跡はないが「万一お心あたりのない郵便物や不審な状況がございましたら」担当窓口へご連絡下さいとある。

 委託先は学研ロジスティクス。「人の不幸は蜜の味」。さっそくホームページを見てみると、11月11日付で「お詫びとご報告」が掲載されている。こちらの方には「66,566件」とあるから、資生堂関係以外のデータもあったのかもしれない。どういう状況かは想像する他はないがノートパソコンのハードディスクにデータを入れたままで担当が持ち歩いていたというくらいのことだろう。数年前ならいざ知らず、現在の状況下、しかもプライバーシーマークを取得後4年経過している企業としてはいささかお粗末な話。株主優待のフレグランスが来たのは半年近く前だったような気がするから、不要になったデータの廃棄処理が確実に履行されていなかったということになる。

 送付された文書の文面は恐縮の姿勢になっているが、どこか、やることはこれで全部やった、もともとデータは暗号化されているから大丈夫という安心感のようなものが見てとれる・・・というのは、少しばかり意地悪な見方か。(11/18/2010)

 朝刊の「CM天気図」、天野祐吉に座布団三枚。

 「尖閣ビデオ大爆発で轟沈した菅内閣」「民主党が国を殺す」「菅政権が脅える尖閣ビデオクーデターの闇」「菅外交が日本を滅ぼす」「日本がどんどん縮んでゆく」「民主党政権終わりの予感」。すごいなあ。マスコミが記事につける見出しを見ていると、日本という国が明日は地球上からなくなっているような、いや、なくなっているに違いない、という気持ちになる。・・・でもさ、近ごろはそれがエスカレートして、集団ヒステリーのようになっていませんかね。・・・・・・「無能の政権」よりも、このほうが「国を滅ぼす」んじゃないかと心配なくらいだ。

 まったく同感。民主党がプアであることは分かった。菅政権が頼りないことも分かった。しかし自民党と比較して格段にプアであるとは思えない。麻生政権にしても、福田政権にしても、安倍政権にしても、菅政権の頼りなさとさしたる違いはない。そのことは先日ザッピング中にちらり見かけた麻生と安倍が、菅政権のあれこれを取り上げて、オレのときは同じようなことでもっと袋叩きにあったと、まるで依怙贔屓あった子供が親に泣きつくような必死さで訴えているのを見かけたから、間違いのない事実だろう。

 つまりはチョボチョボ。いまの民主党といまの自民党には違いはほとんどない。それはその顔ぶれ、その来歴を見れば、納得できないでもない。まず、民主党の何割かはもともと自民党にいた連中であり、自民党からは立候補できなかったから民主党(新進党だったり、自由党だったり、・・・)から立候補しただけのことで、主義と主張、いや、他人様の稼ぎに寄生して甘い汁を吸おうというマインドにおいて自民党と変わらない連中であるからだ。

 民主党に松下政経塾出身が多いのは、自民党の二世・三世議員のような特権階級にのし上がりたいという強烈な出世志向を持ちながら、世襲の持つ地盤も看板も、もちろん鞄も持ち合わせていなかったから自民党に割り込むことができなかっただけのことだ。一昔前なら、そういう連中はボス議員の懐で使い走りをしながら、主人の寝首を掻く機会をうかがったものだ、ちょうど鈴木宗男のように。だが、松下政経塾出身者のほとんどは「オレは頭がいい」と自惚れているから地べたから這い上がる気になれないのだ。(「知識」と「知恵」の違いも分からないくらいの「頭の良さ」だから、所詮、たいしたものじゃないのだが)

 週刊誌の見出し広告に「民主党に期待したオレたちがバカでした」とかいうのがあったが、これは「政権交代に期待したオレたちがバカでした」とした方がよかったろう。

 もともとこの国の政権交代の歴史は浅い、もっと正確に書けば、民主体制における政権交代はこの国では初めてのことではないか。それをこの大衆扇動型社会の中でやろうというのだから、よほどの知恵を出さなくてはならず、ある意味、このていどのバカ騒ぎは当然のことなのかもしれない。それが民主主義という最悪の制度の中でやりくりするための必然的なムダなのだろう。もしも、あくまでムダをなくして進めたいのなら、いまほとんどの日本人が批判しているお隣の中国がいまやっているような体制をとることだ。小沢式も嫌い、中国式も嫌い、文句ばかりのエエカッコシイ、そんなフヌケに何ができるというのか。

 天野祐吉は「批評の本質はホメたりケナシたりすることじゃなく『つくりかえの提案』をすることだと言った人がいる。『こうしたほうがいいんじゃないか』と知恵を出すことだ」と続けて、秀逸なオチをつけている。

 「時速60マイルで走るとき、このクルマの中で聞こえるいちばん大きな音は、クルマについた電気時計の音です」というロールスロイスの広告があった。センセーショナルな言い方をせずに、車内の静かさを表現した名作として知られた広告だが、このコピーを見たロールスロイスのある技術者は、「そうか、あの時計の音をなんとかしなくちゃ」とつぶやいたという。これ、広告史上に有名なウソみたいなホントの話。

 我がマスコミは「これ」とは周回遅れの位置にいる。とすれば、我が政権交代がそのていどのものであるのはごくごく当然のことではないか。バカマスコミとチャラチャラした口先男どもが日本を滅ぼすのだよ。(11/17/2010)

 きれいに晴れ上がった秋空の下を東京病院へ。むかしで言う「胃カメラ」。これが3回目。日記で確かめてみると、2004年8月26日、2007年9月14日となっている。ちょうど3年ごと。

 先生が来るまで機材をじっくり見る時間があった。ちょっと太めのキャブタイヤケーブルのような感じでオリンパス製。「喉元を過ぎる」ときが一番辛いのは毎度のこと。胃の中をかき回される感じは最悪で、数度ほど大きく嗚咽した。あれこれと数カ所くらい検査用サンプルをとった。

 前回の日記によると、9時半にスタートして10時すぎには支払いも済んだとあるのだが、きょうは9時すぐにスタートして病院の玄関を出たのは10時40分過ぎ。切り取ったサンプルの検査は十日くらいかかるとのことで30日に予約を入れてもらった。今回は薬も出された。薬局のお姉さんによると、「よく宣伝してるガスターテンと同じもので胃酸を抑える薬です」とのこと。たいしたことはないのだろうが、気のせいか食道とおぼしきあたりや、ヘソのあたりが妙に痛む。

 それでも突き抜けるような青空に誘われ所沢の家の方まで歩いてみた。残念ながら安松神社から富士は見えなかったが、いつもよりはゆっくりと深呼吸を繰返しながら歩いていると、大げさな話だが生きている喜びのようなものが胸一杯につまり、ちょっと涙が出て来た。

§

 裁判員裁判で初めての死刑判決が出た。事件そのものは犯罪事実の認定に争いがないことから、もっぱら量刑が焦点となるものであった。覚醒剤取引の利権を得るという反社会的な目的のために、面識のない被害者二人を電動鋸で生きたまま首を切断するという犯行内容からすれば、死刑の判決に異論は立てにくい。

 裁判長は判決の読み上げ後に「当裁判所としては被告に控訴することを勧めたい」と発言した。ニュース解説によれば、これは控訴審であらためて死刑判決が出れば、今回の判決に関わった裁判員の精神的負担を緩和することができるという裁判官の配慮によるものとのこと。

 一般市民が裁判に関わる制度には、裁判員制度の他に、「陪審制」と「参審制」がある。最高裁の作成した裁判員制度のホームページにはその比較が表にまとめられている。

裁判官関与 有罪無罪 量刑 任期 選任
陪審制度 陪審員のみ 判断する 判断しない 事件ごと 無作為
参審制度 裁判官と共同 判断する 判断する 任期制 団体等推薦等
裁判員制度 裁判官と共同 判断する 判断する 事件ごと 無作為

 表の補足としてこんなことも書かれている。「陪審制はアメリカやイギリスなどで採用されています」。「参審制はドイツ、フランス、イタリアなどで採用されています」。

 陪審員は有罪か無罪かを判断するのみで量刑は裁判官に任される(正確には刑事陪審の場合)のに対し、参審員と裁判員は有罪か無罪かだけではなく量刑の決定にも関与する。たいした違いではないというわけにはゆかない。なぜか。

 参審制を採用しているヨーロッパの国々では死刑という刑は既に廃止されている。したがって、参審員が死刑を決定することはない。一方、死刑制度が存続している州があるアメリカは陪審制であるから、陪審員は量刑には関与しない。「裁判員制度は日本独自の制度だということができます」と最高裁はいささか誇らしげに書いているが、別の言い方をすれば、裁判に関与する市民が死刑を決定する独自の制度だということもできる。(11/16/2010)

 **(家内)と池袋で買い物、本屋をのぞいてから帰宅、着替えてテレビのスイッチを入れると、ちょうど結びの一番が始まるところだった。

 九州場所初日のきのう栃ノ心に勝って63連勝とした白鵬、きょうは稀勢の里との一番。立ち合いは悪くはなかったと思うが、土俵際まで後退した稀勢の里が猛然と押し返したところで、なぜか白鵬はバタバタしてしまった。いったんは回り込むものの強引な投げで体勢を悪くすると一気に寄られて土俵下へ突き落とされた。負けるときはこんなものかという相撲だった。

 これで双葉山の69連勝という記録は少なくとも来年の名古屋場所までは安泰となった。いや、勝負事というのは秋を逃すとそのままということが多いものだ。まったく別の世界のことだが、怪童と呼ばれた中西太は入団から数年の間、抜群の成績を残し、常に「三冠王は時間の問題」と言われ続けながら、ついにその座につくことはなかった。一人横綱かつ日本人力士の不作状況が続き、白鵬にはチャンスがあると思われているが、最初の機会を逃した影響はこれからも出てくるような気がしてならない。

 この一つの敗戦をどのように心に留めるか、白鵬がよりホンモノになるか、いまていどの横綱に止まるかの分かれ道は、案外、こんなところに隠れているのかもしれない。

 それにしても、どこかいつもと違うような気がした。その理由をさっきからずっと考えていたが、座布団が飛ばなかったからだと思い当たった。テレビカメラが土俵下の白鵬の表情を追っていたので映らなかったのかもしれないが、礼のために再び上がった土俵上にも座布団は見当たらなかったような気がする。(11/15/2010)

 クルネのユニクロでジーパンを買い、直しを待つ間、週刊文春を立ち読み。新聞広告に「中国漁船やっぱり『スパイ船』証拠を掴んだ!」という見出しを見ていたから。

 いかにもお手軽な内容、典型的な「羊頭狗肉」記事。「証拠」というから、一時領置した漁船から、海上保安庁がスパイ船としての独特の装備(俗に言うところの動かぬ「物証」)を発見していたという話かと想像したが、そんなことはどこにも書かれていない。たったひとつ、中国当局からの「抗議」が「異常に早かった」という外務省関係者の「感想」というか、「印象」があるということ。これが件の漁船が「スパイ船」である「証拠」なのだそうだ。

 関係者の「お言葉」は日本語では「証拠」とは言わない。せいぜい「証言」だ。「異常に早い抗議」の内容が「船長逮捕」に関するものだったとすれば、「船長」がただの民間人ではないという「推測」の「根拠」のひとつくらいにはなり得るが、件の漁船が特殊装備した「スパイ船」である「証拠」にはならないだろう。それとも、かつて「北方領土」で活躍した「レポ船」の類推から、そう書いているのだろうか、呵々。しかし、どういう論理のアクロバットをするとレポ船というヒントから中国漁船=スパイ船という結論が生まれるのか、ダラダラと余白を埋めるためだけに書かれたとおぼしき記事からは読み取ることができなかった。

 それよりももっと嗤える記事が続きにあった。あまりに可笑しくて吹き出したために、立読み誌に鼻汁がつきそうになったくらいだ。その見出し、これが長い、「海保幹部が口走った"流出経路"――巡視船よなくに『疑惑の乗務員』――ビデオ撮影を指導、処分歴あり」。文春の発売は「うらなみ」搭乗の海上保安官が「自主」した日の翌日だから、差し替えが間に合わなかったのだろうが、いかにも「文春の記事だからね、ウソが八百、ホントは万に一つだよ」と嗤われそうで、じつにお気の毒。

 一方、文春が外してしまった「真犯人」さんは、文春の発売日のはるか前、6日に読売テレビの山川友基記者とコンタクトし、10日に「自首」する前にも何度か連絡を取り合っていたのだそうだ。文春はそういうあたりのことは一切知らずに「下手人」は「『よなくに』搭乗の人物」という推測記事を大まじめに書き飛ばしていたということになる。文春には「いっそなかったことにしたい」記事がいろいろあったが、これなどもまたその仲間入りする「間の悪いアホ記事」のベストテンに入るだろう、呵々。

 もちろん、もっとお気の毒なのは文春に「アイツに違いない」と濡れ衣を着せられた「処分歴」のある「ビデオ撮影を指導した」「よなくに」搭乗の海上保安官だ。ここまで書かれれば、どこの誰のことをさしているかは「暴露」したも同然。さあ、週刊文春、どのように「落とし前」をつけるか、次号に期待するぞ。間違っても知らん顔というのが文春の手口かな。それではでっち上げの雄、週刊新潮と変わらないが。

 雄といえば、いまや「英雄」という評価の高い「下手人」さんとコンタクトした山川記者だが、日本テレビのニュースで経過を説明した際、なかなか興味深いことを言っているという。

 こういう話。「下手人」ご本人から山川に直接連絡があったわけではなく、「ある筋からのもたらされた情報で」一度だけ直接会うことができたというのだ。そして、その後、「下手人」さんが上司に「告白」するまで、何回か、一方的に電話がかかってきたとか。職を賭して国民の知る権利に応じたと信じられている我が英雄殿は、相当、自己顕示欲が旺盛でマスコミ・アピールがお上手な人物のようだ。さらにもっと興味深いのはこの流出劇にはいまだ登場していないプレイヤーが少なくとも1名以上いるということ。

 この事件、いま伝えられているのは氷山の一角、海面下には、現在、見えているものとは多いに異なる事実があるのかもしれない。(11/14/2010)

 **さんと品川で待ち合わせる。荷物類をコインロッカーに預けてと思っていたが、APEC期間中は駅のコインロッカーは全部アウトとのこと。インフォメーションで尋ねる。「どの駅もダメ?」、「いえ、営業している駅もございます」と図を見せられた。「大崎はOK?」、「ハイ、でもこういう状況ですので、ふさがっている場合も・・・こちらではなんとも」とのこと。ホテルは大崎に予約とのこと。コインロッカーがダメなら、いったんホテルに入ればいいということで大崎へ。北側は全部赤ランプだったが、南側に奇跡的にひとつ空きがあった。

 ・・・しかしコインロッカーまで制限するとはね。あのジャッカルはコインロッカーなんか使わなかった。義足に見せかけた筒が銃だった・・・なぞと、独り言で悪態。

 両国の国技館脇から旧安田庭園・復興記念館を横切ったあたりで蕎麦をたぐり蔵前通りへ。大横川親水公園へ降りて工事行き止まりまで歩き東に進む。十間橋近くまでと思っていたが、4時にはホテルに戻りたいとの仰せなので四つめ通りとの交差点を曲がる。ほどなくスカイツリーの見物客がごっそり。川沿いを建設現場近くまで歩く。人がうっとうしくなったところで浅草通りに戻って、そのまま橋のたもとへ。ウンコビルの前庭のビルでビールを飲み、あれこれとおしゃべり。大崎に戻って4時10分くらい。お上りさんのくせにスカイツリーには感動せず、ひたすら地ビールに感激していた。散歩はあまり歓迎ではなかったのかも。でもね、ダイエットにはウォーキングが一番なんだよ。(11/13/2010)

 朝刊「耕論」。きょうのテーマは「流出」で、4人への聞き書きが載っている。西山太吉、長谷部恭男、佐藤優、鈴木謙介。

 佐藤の発言が一番峻烈。佐藤は今回の場合は「中国人船長を超法規的措置で釈放したタイミングで国民の求めに応じ、全データを発表すればよかった」と言いつつ、鋭い指摘をふたつしている。

 ビデオをインターネットに流した者に対する同情論が国民の間で出ているが、私は、犯行に至る経緯を徹底的に究明し、形式にのっとって厳正に処分すべきだと考える。それは次の二つの理由からだ。
 第一に、今回「ユーチューブ」に流されたデータが「国民の知る権利」に応えるものとはなりえていないこと。
 もし、すべての映像データがアップされていたならば、それはある程度、国民の知る権利に応えるものと言えたかもしれない。しかし、今回、国民の目に触れたのは、人の手によって編集済みのデータだ。つまり、真実をそのまま写しとったものではなく、だれかの意 図が入ったものだということになる。リークや情報操作の入り込むスキがいくらでもある。
 「義挙だ」という声も聞くが、義挙ではありえない。自分、あるいは自分の組織にとって都合の悪い部分はカットされているかもしれないではないか。映像には、無意識であれ、後付けされたものであれ、海上保安庁の行為を正当化しようとする編集意図が入っている。
 第二に、歴史の教訓に学べ、ということ。
 1932年、帝国海軍将校が時の犬養毅首相を暗殺した五・一五事件の時に、「方法はともかく、動機は分かる」と、刑の減免を求める運動が起こり、軽い処分で収束した。この対応が後に二・二六事件(36年、陸軍の将校が大蔵大臣高橋是清、内大臣斎藤実らを殺害したクーデター)を誘発した。
 海上保安庁が機関砲を所持している官庁だということを忘れてはならない。
 武力を行使できる公務員に対して、統制が取れていない行為を認めることの危うさを、国民は肝に銘じておくべきなのだ。激励の電話を海保にかけ、彼らを喜ばせてどうしようというのか。独断専行を許したしわ寄せは、自分たちに来る。・・・(後略)・・・

 さすがに情報分析官だと思わせるのは、流出データが「編集済みのデータ」であることを指摘したこと。お隣の欄で鈴木謙介が言っているように、「人間の心理として、自分が望んでいた情報を提供する『良い行い』の背後には、善良な意図があると思い込みやすい」のみならず、待望していたが故にそのデータの質に関する値踏みがほとんどなされないという指摘は貴重だ。

 もうひとつの指摘はあまりに当然のことなのだが、たぶんこういう気がついてもいいことに気がつかないか、それを閑却するほどに時代と社会の気分がムカついているのだろう。「それでも日本人は『戦争』を選んだ」し、これからも「健康的な気分」で「不健康な時代」に向かってレミングの行進を続けるというわけだ。(11/12/2010)

 渡辺京二の「逝きし世の面影」の一節を思い出した。以前の日記(2005年11月2日)に引いた部分より少し前の部分を書き写してみる。

 これは明治中期になってからのことだが、アリス・ベーコンはこう言っている。「自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも、彼らの立場は従属的でなく、責任を持たされているのはたいへん興味深いことだと思います。彼らの態度や振舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心を残しているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかでも良い地位を占めているように思えます」。召使が言いつけたとおりでなく、主人にとってベストだと自分が考えるとおりにするのに、アリスは「はじめのうちたいそう癪にさわ」った。しかし何度か経験するうちに、召使の方が正しいのだと彼女は悟ったのである。
 彼女は主著己"Japanese Girls and Women"においてこの間題をもっとくわしく論じている。
「外国人にとって家庭使用人の地位は、日本に到着したその日から、初めのうちは大変な当惑の源となる。仕える家族に対する彼らの関係には一種の自由がある。その自由はアメリカでならば無礼で独尊的な振舞いと見なされるし、多くの場合、命令に対する直接の不服従の形をとるように思われる。・・・家庭内のあらゆる使用人は、自分の眼に正しいと映ることを、自分が最善と思うやりかたで行う。命令にたんに盲従するのは、日本の召使にとって美徳とはみなされない。彼は自分の考えに従ってことを運ぶのでなければならぬ。もし主人の命令に納得がいかないならば、その命令は実行されない。・・・(略)・・・外国人との接触によって日本人の従者が、われわれが召使の標準的態度とみなす態度、つまり黙って主人に従う態度を身につけている条約港においてさえ、彼らは自分で物事を判断する権利を放棄していないし、もし忠実で正直であるならば、仮にそれが命令への不服従を意味するとしても、雇い主のために最善を計ろうとするのだ」。

 よかれと思ったときには命令には従わず自分で物事を判断することをためらわない。そんな「伝統」を思い出したのは、**(友人)さんから「海保の職員がかわいそう」という、「いかにも」のメールが来たから。「国際法違反の あの船長がお国では英雄で、ビデオを流した職員は有罪だとぉ?? 何かおかしいです。そう思わない??」というのだ。「できてしまった」知人は別として友人の数は少ない。考え方の右・左は問わない、しかし、「何も考えない、そのまんまヒガシ」という人とはつきあわないからだ。だからこのメールはちょっとしたショックだった。

 メールで論議をする気はないから、ここは軽く応答。「『可哀想』という感想には・・・情緒的には『そう思います』。ただし『宮仕えならば、そのルールを守るのは、当たり前だのクラッカー』。給料をもらって、組織に勤めるということはそういうことです。そこをグズグズにしたら、組織は持たないのですから」と。

 ・・・と書きながら思い出したのが「逝きし世の面影」だった。渡辺京二は上記に続けて、チェンバレンの言葉を紹介した後に、こう書いた。

 なるほどこれなら、殿様が家臣団から祀りあげられたり、ときによっては押込められたりもするはずだ。昭和前期の軍部の暴走を主導した佐官級幹部の「下剋上」現象も、その淵源するところは深いといわねばならない。

 日本人の基本的メンタリティーの中に、いまだ脈々とこういう精神が生きているとすれば、「可哀想」という言葉がどぶ川に浮かぶ泡のように出てくるのは無理もないということになる。そういえば「下克上」というのはことしのキーワードだったなぁ、と独り嗤い。(11/11/2010)

 お昼のNHKニュース、アナウンサーが尖閣ビデオの投稿元が神戸市内のマンガ喫茶であることが判明したと伝えている映像にニュース速報の文字がかぶった。速報は「海上保安官が上司に自分が流出させたと申し出た模様」というもの。

 夜までのニュースを総合するとこんな話。神戸に本部を置く第五管区海上保安本部所属の巡視艇「うらなみ」の乗組員が船内で朝のテレビニュースを見た直後からふさぎ込んだ様子になり、上司にあたる船長が「体調がおかしいのか」と問うと、「船長は知らない方がいい」などと言い始め、船長が問いただすや、自分がやったと打ち明けたのだという。

 ハンドルを使ってマンガ喫茶のパソコンからアップすれば足が付くことはないと考えたのだとするといささかお粗末と言わざるを得ないが、偉そうに理屈をこね上げるネットスズメたちもネットの仕組みについては「イロハ」すらも知らないのかもしれない。匿名に隠れれば「尻」まで隠せると思い込む素朴さ(粗忽さといいたいところだが)に、今回の「内部告発」の幼稚さがそっくりそのまま現れている。

 おとといの日記にどうせリークするのなら「『木』のみならず『森』を俯瞰させるような厚みのあるリークができなかったものか」と書いた。この海域での中国、台湾などの漁船の違法操業は珍しいことではないだろう。それに対する海上保安庁の取り締まりは日常茶飯事のはず。ならば「逮捕に至らないケース」はどのようなものであり、「逮捕に値するケース」としての今回がどれほど「異常」であったのかの比較映像などだ。たとえばこうした映像があればまさに「国民に知っておいてもらいたいデータ」として、海上保安官ならではの説得力をもった「内部告発」になったのではないか・・・そう思ったのだが、頭を隠して尻を隠さないような子供にそれを期待するのは無理だったかもしれない。(11/10/2010)

 胃の内視鏡検査のための予診と左目の黄斑変性症診察のため東京病院へ。内視鏡検査は来週火曜日に決定。11時すぎに終わって、久しぶりに明治薬科大から野塩団地へのコースをウォーキング。

 BMI22より少し内輪という目標ラインに到達し、ここ半月はそのあたりで安定している。金曜、山種美術館に行ったとき、筑紫楼でランチサービスの「フカヒレ姿煮セット」を食べ、その日の夜と翌日、オーバーウェイトしたのが唯一の例外。

 野塩コースには坂の上り下りが5セットある。黒目川のコースが平板なのに比べると負荷が大きい分、消費カロリーも燃焼脂肪量も多め。目標をクリアしているので夏のころほどピッチは上げないが、けっこう汗をかく。なめてみてもしょっぱくないから悪い汗ではない。

 帰ってすぐにシャワーを浴びた。ついでに湯船につかって手足を伸ばした。読んだばかりの詩を思い出した。石垣りんの詩。

私は六十五歳です。
このあいだ転んで
右の手首を骨折しました。
なおっても元のようにはならないと
病院で言われ
腕をさすって泣きました。
「お父さん
 お母さん
 ごめんなさい」
二人とも
とっくに死んでいませんが
二人にもらった体です。
いまも私はこどもです。
おばあさんではありません。

 湯船の中で足首を揉みながら、つくづく、思ったのだ。「母さん、こんな丈夫な体に生んでくれて、ありがとう。父さん、こんな体に育ててくれて、ありがとう」と。まさに「身体髪膚、受之父母」の気分。

 体の末端から幸福感が込み上げて来るような感じがして、この詩のことを思い出した。もっとも、この詩のタイトルは「かなしみ」というのだが・・・。

 当たり前と思っていることにあらためて感謝の気持ちが湧くとき、たいてい、もう親はいない。いないからこそ、そういう気持ちが湧くのだ。でも、そういうときが来ると信じることができれば、それで人は仕合わせなのだ。(11/9/2010)

 中国漁船衝突事件の映像流出の件、海上保安庁は被疑者不詳のまま、東京地検と警視庁に刑事告発した由。いったん非公開と決めた以上、手続き的にはやむを得ないのだろうが、そもそも非公開とした理由は何かということが置き去りにされているのが問題。

 「中国」というだけで強烈なバイアスがかかってしまって、冷静に事態を見ることができなくなるということを懸念したのかもしれない。たしかに流出以降の騒ぎぶりがそれを証明している。しかし、所詮、世の中の半分くらいはそのていどの人間で占められているのだ。仕方がないではないか。あの44分の映像の衝突シーンしか見ない者は最初から論外だが、44分を子細に見ると「国境」という「現実」が実感をもって伝わってくる。

 半分がバカとしても残りの半分は「百聞一見」の知見を持てるのだから、非公開にする理由はまったくなかった。おそらく、自民党に限らず、民主党も「オレに投票するくらいだから、選挙民の大半はバカだ」と思っているからこそ、何でも隠したがるヘキをもっているのだろう。だがお前たちを当選させたのはせいぜい国民の20~30%に過ぎないことを忘れているのではないか。

 まったくの余談だが、もし、北方領土のどこかで操業する漁船がロシアの警備艇に追い回されて、逃走する際にイタチの最後っ屁よろしく、あれくらいの当て逃げをする映像でもあれば、今回、異常興奮している皆さんのほとんどは「よくやった」と英雄扱いするだろう、ちょうど、晋漁5179の船長を歓呼で迎えた中国の小人さんたちのように。人間の世界とはそんなものなのだ。

 いずれにしても世の中のすべてが激しやすい「バカ」ではない。攻守所を変えれば、こんなものというくらいの想像力は残り半分の人々にはある。むしろこういうものに慣れておくこと、頭に血を上せずに冷静に見られるようにすることの方が、もっとシビアな状況に対応できるようにするという観点からは望ましい。だから、このていどの映像は積極的に公開すればいいのだ。まあここ数日の騒ぎぶりを見るとなかなかだなぁという気もしないではないが・・・。本当にバカな奴はバカなものだよ。しかも最近はバカであることに羞じらいというものがないから始末におえない。

 さて、もうひとつの問題。一部に上がっている意見のように、映像をアップロードした人間を、「英雄扱い」し、お構いなしとすべきかどうか。これは「悪法も法は法なり」か否かということに通ずる問題だ。あの映像がアップされた先週木曜の「クローズアップ現代」は「Wikileaks」を取り上げていた。少なくともアメリカを代表とするほとんどの政府は「Wikileaks」を「国家の敵」と断じて、関係者を逮捕し、活動の息の根を止めようとしている。ここでも問題は、本当に「国家の敵」なのか、単に「権力者の敵」というにすぎないのではないかということになる。時の政権に対する好悪によって、微妙に「英雄扱い」と「犯罪者扱い」とが入れ替わる。今回も、ここを民主党に対する攻撃ポイントと見てヒステリックに騒いでいる連中はsengoku38(オリジナル映像をアップした人物のハンドル)を英雄扱いしているし、政府側関係者ないしその支持者は「犯罪者扱い」している。もしその人物が海上保安庁関係者であったとすれば、このていどの情報リークのみではただの自己満足に過ぎない。「木」のみならず「森」を俯瞰させるような厚みのあるリークができなかったものか、そういう「質」が欲しかった。

 だが、まったく別の見方も存在する。リーク元が政権内部の人間である可能性だ。自民党の塩崎恭久がきょうの国会質問の中でそのようなことを匂わせていた。なぜかNHKの7時のニュースで報ぜられただけだったが。可能性がありそうなのは前原誠司だろう。自らの判断で「逮捕」にゴーサインを出したにもかかわらず、はしごを外された格好で不満が鬱積した可能性は十分にある。事件発生当時、国交相だった前原にとって、この映像の入手は容易、所有も自然なこと。さらに、前原が、深い思慮もなく火種を持ち込んではやけどするタイプであることは、「永田メール事件」で実証済み。塩崎がそのあたりを指摘して、政権に揺さぶりをかけたのはさすがといえばさすがだ。(11/8/2010)

 日本シリーズはマリンズとドラゴンズで戦われ、マリンズが4勝2敗1引き分けで制した。レギュラーシーズン三位のチームが「日本一」になったのは初めてのこととか。

 きのう、日記をパスしたのはマリンズ3勝2敗で迎えた、第6戦が延長15回の「大熱戦」(試合時間5時間43分は日本シリーズ史上最長)になったからだ。まあ、それだけが理由ではなかったけれど。

 しかしきのうはとうとう2対2のままで決着がつかなかった。シリーズの引き分けは24年ぶり、あのライオンズ対カープのなんとも劇的なシリーズ(引き分け後にライオンズが三連敗、その後四連勝で日本一になった)の第一戦以来とか。

 このシリーズにはあまり関心がなかった。しかしマリンズが勝ち・負け・勝ち・負け・勝ちときて、玉木正之が期待していた「ヌケヌケ」の可能性が高まり急に興味が湧いてきた。

 限りなく「ヌケヌケ」に近い展開だった。落合がつまらぬ「勝利の方程式」などにこだわらなければ、ドラゴンズの勝利は堅く、「ヌケヌケ」の興味はきょうにつながったはずと思うが、それは言うまい。あくまでも可能性の話だから。

 ドラゴンズには山のように勝利の機会がプレゼントされた。それをことごとく逃したのだから、これはもうなんとも言いようがない。ただ、このような展開の場合の多くは、圧倒的に防戦一方の方が、ワンチャンスで嘲笑うように勝利をもぎとるものだ。しかしマリンズにもその気配はなかった。どちらもたいしたチームではないのだ。

 そして今日の試合になった。はっきり言って落合の投手起用のミスだ。河原は三点のリードがある場面で出す投手ではない。浅尾の使い方にも疑問が残る。ただ、これは論評以前の低レベルのミスで落合らしくない。どこか「ロッテオリオンズ」に恩返しをしたような感じさえ残った。

 ファインプレーに見せてしまう選手がいる。難なく処理できる球をわざわざ難しいタイミング、難しい捕り方で処理するのだ。野球を見る「眼」を持たない客はコロリとだまされる。「なるほど、これがプロというものか」と。

 延長戦が3試合。最後にきて、第6戦、第7戦が延長戦、とくれば、ミーちゃんハーチャンが「すごい日本シリーズだったね」と、コロリ、だまされそうなシリーズだった、と、記録しておく。(11/7/2010)

 公開の是非について論議されていた尖閣列島での中国漁船「晋漁5179」と海上保安庁巡視船「よなくに」・「みずき」との「衝突」映像が、なんとYouTubeに掲載された。**さんが件のURLを知らせてくれた。全部で6本、44分27秒。

 ざっと見た第一印象は「ちょっと拍子抜け」という感じ。もっと派手に攻撃的にぶち当たってきた状景を想像していたから。しかし、マスコミは異常に興奮しているし、ネットの当該画像についているコメントもすごい。「戦争だぁ」と叫んでいる奴まで見かけたが、本当に44分27秒の映像を全部見て、そんなことを書き込んでいるのだろうか。

 映像のバックに入っている海上保安庁職員同士の会話は衝突の一瞬にテンションが上がるものの、さほどの緊張は感じられない。6本目の「はてるま」から撮影した映像の始め頃には笑い声さえ混じっているし、4本目のいわば「メイン・イベント」である「よなくに」への「攻撃」の前には「という風に、仲座くん、ナレーションを入れると、あとで分かりやすいから」などと先輩が後輩を「指導」している言葉もあるくらいだ。おそらく中国のみならず台湾の漁船がこの海域で「違法」な操業をするのは日常茶飯事のことで、この日もいつもの取り締まりと同じという意識だったのではないか。

 現実に1本目の始まりから7分30秒間の映像の前半には、けたたましい汽笛とともに巡視船から中国漁船への中国語によるアナウンス(「ここは日本の領海である。速やかに退去しなさい」くらいの言葉か?)が入っているが、「該船、停船した。これから網をあげる模様」というナレーションのあとには「警告」も「汽笛」もない。これは操業を中止して引き上げると判断したからではないか。ここからは時間経過を映像にかぶせながら、オッターボードの作動や漁網の引き上げ、中国漁船から発せられた「笛の合図」などの操船状況を逐一アナウンスして証拠収集に努めているのがうかがえる。この一連の流れが4本目のはじめまで続く。

 そしてどのていどの「違法」な漁獲量があったか(網の引き上げ中、海鳥が群がっているのが見えるから、相当の収穫があったのかもしれない)の映像をとるために「よなくに」は中国漁船の前を通って網が引き上げられた左舷側に回り込んだ。いわば「敵前大回頭(ちょっと違うか、呵々)」だ。毎日、黒目川沿いのウォーキングコースを歩いているが、前を歩く人はなるべく「追い抜く」ようにしている、「追い越す」ことはめったにしない。経験的な「感じ」にすぎないが「追い越される」と妙に感情的になる人が、たしかに、いるからだ。自分の進路を横切る者に対して、一部の人々は敵意を抱くことがあるらしい。

 まったくの想像に過ぎないが、ひょっとすると中国漁船は「よなくに」の「敵前大回頭」に反感と敵意を持ったのかもしれない。もちろん我が巡視船に非は一切ない。しかし曲解や逆恨みはあるものだ。

 むかし、李承晩ラインなるものがあったころ、あるいは貝殻島や水晶島近くの海で昆布漁をしていたころ、拿捕された漁師たちの中には釈放され帰国するや「捕まる前に、一発、かましてやった」という「武勇伝」を語る者たちがいた。今回の中国漁船の乗組員にそういう気持ちがむらむらとわいたとしても、理解できない話ではない。そういうことは国境で働いた者にしか分からない話かもしれない。

 今回の「衝突」騒ぎの中、件の中国船は「漁船」ではなく「衝突用に強化された特別船」で乗組員は全員中国海軍の軍人だとする話が流布した。この44分27秒の映像のどこにそれをうかがわせる部分があるか、具体的に指摘して欲しいと思う。漁網の巻き上げに従事する様子が見えるが、彼らは「屯田兵」ならぬ「屯海兵」だというのか、呵々。また、特別船だったとすると、これを領置しながら強化された部分を発見できなかった海上保安庁の眼は節穴だったということになりそうだが、これについてはどう説明するのだろうか。主張をした者は正々堂々名乗り出て、この流出映像により自説が証明できたのか、あるいは証明できなかったのか、「どうだ」と胸を張るなり、「間違っていました」と首を垂れるなりすべきだろう。

 仮に間違っていたとするなら、まず間接的に無能だと決めつけた海上保安庁関係者に謝罪し、いまだにそれを真実のことのように思っている人々に侘びて妄説を撤回すべきだ。それともハナからウソ八百だったのか?(11/5/2010)

 アメリカ中間選挙は事前の予測通り、民主党の大敗北。上院は非改選議席とあわせてかろうじて過半数を確保したものの、下院では50議席以上を失い過半数割れ。これはクリントン大統領の一期目の中間選挙を上回る数字とか。2年間の通信簿といわれる中間選挙はだいたい与党にとってアゲインストというのが相場だが、負けるにしても負けすぎという結果だったようだ。

 敗因は不景気の中で高止まりしたままの失業率、巨額の財政出動による深刻な赤字ということになっている。それは間違いではないのだが、不景気だから、財政赤字を心配したから、有権者の多くが投票先を変えたと考えると少し実際に起きていることを見誤ることになるのではないか。

 そもそもアメリカの選挙は投票したい人(もちろんアメリカ国籍があり一定の年齢に達していることなどの条件をクリアしての話だが)が有権者登録をしていない限り選挙には参加できない。この国のように選挙管理委員会なるところから自動的に「投票所入場券」などが来ることはない。「政治に参加する意識のある者」だけが投票できるという仕組みはそれなりに理解できる。

 一度登録をしていても引っ越しなどをすれば再度登録しなくてはならないから、経済的に余裕がなく職を求めてしょっちゅう住所を変えている人の有権者登録率が極端に低いのは当然のことだ。したがって人種的に偏りがある。どこで読んだか記憶がないが、登録率は白人で70%、黒人で60%、ヒスパニックでは50%。つまり「頭の悪い貧乏人」はあらかじめ選挙から閉め出されている。だから貧乏人のための政治を訴えるようなことをしても当選はおぼつかない。

 政党、議員、議員の応援者などは選挙登録の「お世話」をして支持を集める。金にあかせて虚偽登録をさせるなどは珍しくはないようだ。選挙の季節になると、FBIなどが虚偽登録の摘発をするのだが、その摘発が片手落ち(右手が落ちているのか、左手が落ちているのかは知らない)なのでFBIが公正であると信じているアメリカ人はいないともいう。

 よく知られていることだが、彼の国の選挙ではネガティブキャンペーンが許容されている。したがって「犯罪者を野放しにしたのは**候補だ」とか、「**候補はあなたの税金を盗んでいる」とか、品格を疑わせるような候補者攻撃が横行する。最近の法改正によりこうした宣伝を候補者ではなく、特定候補者の応援とはいわずに「政治を良くする会」などの看板を掲げた「自称市民団体」がスポンサーになることができるようになった。資金提供元を巧妙に隠すことによって、特定の候補者を狙い撃ちにしたネガティブキャンペーンが可能になったのだから、資金力のある勢力はまさにやりたい放題のことができるようになったわけだ。

 オバマが行った医療保険改革が民主党に有利にならなかった理由を「ノイジー・コンサーバティブ」たる「ティー・パーティ」の影響力に求めるマスコミ解説は、アメリカの選挙の現実を少しでもきれいなものとして報じたいからそういっているだけのこと。

 よく見ればティー・パーティの活躍を伝える映像には白人しか映っていない。白人の比率は年々低下しつつあり、現在ではおおよそ三分の二になっているはずなのに、黒人もヒスパニックも一人として映っていない。有権者登録という「関税障壁」がまずあって、保険会社に代表される「官業代行業者」の資金提供を受けた市民団体が朝から晩まで「大きな政府があなたの税金を貧乏人にばらまいている」と宣伝すれば、世の中の半分は単細胞で大半は日々の生活という遮眼帯をつけた動物なのだから「相互扶助社会」などはたちどころに破壊できる。これが今回の中間選挙のメカニズムだと思う。

 いずれにしても「アメリカ帝国」の終わりはもう始まっている。人口推計では2050年ごろには白人は50%を切ると予測されている。「帝国」の支配階層が必死に支配力の保持のために知恵を絞っても、人口移動のダイナミズムから逃れることはできないだろう。残念なのはそれが見届けられるまで生きていることができないということだ。(11/4/2010)

 きのう書き漏らした耳かき店員とその祖母殺害事件に対する裁判員裁判の判決のこと。

 マスコミは一斉に「裁判員、死刑を回避」と報じた。「回避」という言葉を使ったということは「当然死刑であったのに」というニュアンスがこめられている。もしそういう意識がないならば「裁判員、無期懲役の判断」ないしは「裁判員、無期を選択」というのが自然な言い方だろう。

 では「死刑」が「当然」だったのだろうか。殺された祖母の妹にあたる女性は主文読み上げの瞬間号泣し、裁判員が退廷する際には「こんなの嫌だ、ダメ」と叫び、インタビューでも「こんな判決ってない」と不満をぶちまけていた。被告のターゲットであった耳かき店員の父も「母に報告できない。二人殺してこんな判決でいいのか、これで無期になるのなら、いったい何人殺せば死刑になるのか」というようなことを言っていた。

 被害者遺族としては当然の言葉かもしれない。最近は「被害者の人権」という言葉に「被害者の遺族の人権」までが含まれている。そしてその「人権」には「感情にまかせた怒りを表明する権利」までがあると思われているらしく、昔に比べるとずいぶん乱暴なことを言えるようになったのだから。

 昔といえば、本で読むしかない昔、死刑は娯楽だった。「人権」に配慮して処刑を秘密裏に行うようになってからは、死刑にするかしないかというプロセスとそれに関わる人間模様をいじり回すのが娯楽になった。「死刑を回避」という言い回しの中に「死刑」を楽しむ気分が横溢している。

 だとすれば、件の被害者の父は匿名に隠れることなく、顔と面体を晒し、仁王立ちにでもなって、「いったい何人殺せば死刑になるのか」と叫ぶべきだった。祖母の妹は氏名を名乗り堂々と顔を見せてインタビューに応じたが、娘の父は氏名を隠し出てくることさえしない。なにゆえ彼は匿名に隠れたのか。何かを恥じるところがあったのか。もっとも匿名に隠れ、我が身を安全な場所においた上で、ものかげから人を狙い撃つのが最近の流行らしいし、かつてなら「卑怯」といわれたはずのそういうやり口を、最近の我がマスコミがもてはやしている以上、彼はそれに倣ったのかもしれない。

 裁判員裁判には大いなる危惧を持っていた。ほとんどすべての判決が重罰化の方向にシフトするだろうという予感があったからだ。では、危惧は杞憂であったか?。予感は外れたか?。なんとも言えない。

 確実に言えそうなことはただひとつ。裁判員は氏名こそ公表されないものの検察審査会の審査員などとは違って「匿名」ではないということだ。判決公判の後には、義務ではないが、記者会見もある。検察審査会の審査員は冤罪を作っても口をぬぐって知らん顔ができるが(甲山事件の神戸検察審査会の面々のように、いったい何人が恬然と生き残っているのだろうか)、裁判員にはそれはできない。ポピュリズムの温床のような「匿名の無責任」がないことが、重罰化シフトに歯止めをかけているような気がする。しかしそれが安易なカンガルー裁判に対する十分な歯止めになるかどうかはなんとも言い難い。(11/3/2010)

 ポピュリズム列島は大騒ぎだ。まずロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問、そして耳かき店員とその祖母殺害事件に対する裁判員裁判で私刑の求刑に対し無期懲役の判決が出された。いずれもきのうの出来事なのだが、格好のワイドショーネタになっている。

 我が国が「北方領土」と呼ぶ島に、その島を「違法」占領している国の元首が足を踏み入れたとなれば、黙っているべきではないという事情は分かる。また、一方的に恋愛感情を抱き、それがもとで来店を断るやその自宅に押しかけて本人のみならずいっしょに暮らす祖母までも殺害したというのだから、許すべからざる重大犯罪であるという事情も分かる。しかしそれに対する取り上げ方は、いくら感情論を煽ってナンボの商売とはいえ、いささか異常だ。

 北方領土に関する問題は「千島列島(ロシア名:クリル群島)」の指し示す範囲がどこまでかということに尽きる。なぜか。いわゆる「サンフランシスコ条約(対日平和条約)」において「千島列島並びに樺太の一部及びこれに近接する諸島」を放棄したからだ。

 ところで、声高に「北方領土」を主張する人たちに「千島列島とはどこからどこまでか」という質問をしたら、何%くらいがあるていど内容のある説明をできるだろう。また、カムチャッカ半島から北海道に至る白地図を示して「千島『列島』の『切れ目』を入れてください」とペンを渡したら、何人が「正解」するだろう。いささか心許ない結果になることは十分に予想される。もっとも、そういう事情はロシア国民についてもまったく同様だろうし、そもそもロシアはいわゆる「サンフランシスコ条約(対日平和条約)」に加わっていないことも厳然たる事実である。

 「サンフランシスコ条約」には我が国が千島列島を放棄することしか書いていない。とすれば、我が国は、対象の島に資産を保有していた以上、「それを拾いに来た国」との間で確認すべきであった。そして、その場で1875年の「樺太千島交換条約」などを引き合いに出した上で、放棄した部分のロシア(ソ連)領有を確認することを通じて「紛れ」を回避する措置をとることが必要であった。「片面講話」に踏み切った以上、それは不可欠の手続きだったはずだ。しかし、自由党・吉田茂はアメリカへの従属にのみ熱心で小さな島の領有権に関わる手続きにはまったく関心を示さなかった。まことに不用意な「放棄宣言」であったと言わざるを得ない。(ついでに書いておくと、外務省条約局長は、当時、国会で択捉・国後の両島は千島列島に含まれると答弁したそうだから、そのていどの「問題意識」だったことがうかがえる)

 ロシアは着々とインフラ投資を進めているようだ。公費を投入した政府の最高責任者が対象地域を訪問するのはある意味では「ごく当然の行動」だろう。厳密に言えば、大統領ではなく首相が訪問する方が適当なのだろうが、現在の首相はプーチンだ。プーチン訪問の方が刺激は強かったかもしれないが、呵々。

 「不法占領だから返せ」の一点張りですむ時代はとっくに終わっている。どのように「正当な領有国」としてのメリットを引き出すか、現実的な「解」をプランニングすることこそが大切なことで、政府首脳が視察したからといって大騒ぎすることには何の意味もない。まして「中国と結託しているに違いない」とか、「弱腰だからこうなるのだ」などと政府・外務省を責め立てて「喜んでいる(?)」輩は、それこそロシアを「喜ばせる」だけの「売国奴」の役割を果たすことになる。もっとも、頭の悪いナショナリストさんにはそういうことは考えも及ばないことなのだろうが。(11/2/2010)

 金華山の宿(鯨の竜田揚げなど、いったい何年ぶりだったろう)でゆっくりして、9時半ちょっと前に出発。雨、風が強い。きのうはとっくに暗くなってからだったので気付きもしなかったが、ずいぶん海沿いの道だった。先行車もない状態で、暗闇の中、初めて通るこの曲がりくねった道を相当のスピードで走ったものだと、いささか感心、というよりは寒心した。知らぬが仏・・・だったか。

 石巻河南ICから三陸道に入ったのが10時40分頃、外環の和光を降りたのが15時30分頃。雨も福島を過ぎる頃からは細かくなり、那須高原ではあがっていた。そして宇都宮あたりからはサンシェードが必要になった。高速はおおむね順調だったのだが、朝霞あたりからうちまでが渋滞に次ぐ渋滞。1時間以上もかかってしまった。

 きのうが493キロ、きょうが456キロ、総計949キロ。さほど疲れは感じないが、いささか眠い。(11/1/2010)

 **(義父)さんの百箇日があした。予定ではきょうは台ヶ森温泉に泊まり、あした豊里。格別法要などはしないとのことなのでお参りをし、懸案事項に関する話が終わってから、金華山に泊まって月曜に帰るというスケジュールだった。

 台風14号はきょうお昼ぐらいに関東南岸に接近、最悪の場合上陸という予報。早くに出発すれば逃げ切れるだろうとは思うのだが、北からせり出している寒気団が作る秋雨前線に台風から湿った温風が供給される状況。局地的急変があり得ると気象予報士さんが解説する。高速道路の全行程、強風と雨の中というのも辛いので、きょうの出発は取りやめ。もともと運転が飛び抜けてうまいわけではないし、気力・体力を過信できる歳でもない。

 キャンセル連絡をして、キャンセル料を尋ねると不要とのこと。あっさりそう言われると、是非、埋め合わせに泊まりに行かなくてはと思うものだ。

 「風雨強かるべし」などとつぶやきつつステップボードをセット。ウォーキングよりもカロリー消費が大きいので60分程度でも十分なのだが、どうしてもノルマの「一万歩」をクリアするとなるとそれでは不足。このところの「お伴」はBDにダビングしておいた「刑事コロンボ」。おおむね90分から100分なのでちょうどいい。きょうは「マリブビーチ殺人事件」。

 コロンボもシリーズが進むと単純な倒叙形式では飽きられるということで、二重底のようなシナリオになっている。おとといのステップボードのお伴だった「だまされたコロンボ」などもそうだったが、きょうの「マリブビーチ」などはさらにもう一捻りしてあって、途中で「こいつじゃないの」と迷わせるようになっていた。雨の日も亦た楽しからずや。(10/30/2010)

 日銀が次回会合の開催日程を繰り上げた由。当初予定の来月15・16日を4・5日。FRBが来月2・3日にFOMC(連邦公開市場委員会)を開いた直後という設定は悪くない。円高はとっくにギリギリを通り越して、経済に変調をきたすところまで進んでいる。もちろん為替はゼロサム現象なのだから、多少、マスコミの誇張がないわけではないが。それでもFRBの決定による市場動向を見定めてというわけにはゆかない。

 ニューヨークは26日(日本時間で水曜朝)終値で11,169ドル46セントまであげて、ここ二日55ドルほど下げた。東京は、今週、前日終値を上回ったのは水曜のみ。きょうなどは163円58銭も下げ、かろうじて9,200円ギリギリのところで終わった(時間内には9,179円15銭をつけている)。きのうの朝刊には4月はじめからの主要国の株価騰落率の比較グラフが載っていたが、イギリスでさえ浮いているというのに、我が国は十数%のマイナス、まさに「一人負け」の惨状。

 逆にいえば、いまは絶好の仕入れ時なのかもしれない。ちょっと税金を返して欲しくて、今月に入ってから退職直前、リーマンショック前に購入していたステート・ストリートの外国株インデックス投信を5回に分けて買取請求にした。試行的に入れたカネ、「勉強代」と思うことに決めていても、50万近い損金には溜息が出る。回収した分を振り向ける。そのつもりではいるが、二番底懸念がチラチラするうちは、どうしてもその気になれない。

 ほぼ予定の比率で各セグメントに配分をしたから、以前よりは遊び金が少ない。せっかくヨダレの出る局面がきても、先立つものがあるていどないと欲求不満がたまり、変な話だが「敗北感」にとらわれてしまう。「その気」になれないのはそのせいもある。

 そろそろニューヨークが開く。たぶん今週でサマータイムが終わるから、来週からは寄りつき状況を知って床に就くことができなくなる。(10/29/2010)

 きのうも寒かったが、きょうはそれに輪をかけて寒い。

 宿題にしていた「浄瑠璃寺コース」について調べる。交通手段を確認するのは昔と違ってじつに簡単。インターネットでちょっと検索をすれば、情報提供サイトや体験ブログが微細なことまで教えてくれる。バスの時間も所要時間も周辺の散策マップも小一時間もかけずに必要なものはだいたい入手できた。便利なことこの上ない。

 浄瑠璃寺に最後に行ったのはいつだったろう。春ではなく秋だった。前期試験が終わった後の試験休みだったと思う。先日掘り出したユースホステルの会員証を見ると、1971年10月7日が名古屋、8日・9日と奈良ユース(当時は「国営」だったはず)、10日・11日・12日と多武峰ユース(「公営」。ペアレントが高校を退職したばかりの先生で、ミーティングの万葉解説が記憶に残る)に泊まっているからこの時に違いない。おおよそ40年も昔のことか。

 日記を出してみた。「旅行先までは・・・」と思ったが、あった。

10月9日(土)

 九体寺。静かというだけでなくいい所。
 野の仏、おがみにきた。なけなしの貯金はたいて。汽車に乗って。こんないい所に、バカなことに、たったひとりで。
[9:57 am]
 九体寺から岩船寺へ30分ばかり歩いたところ。「笑い仏」の名のある石仏の前。野ざらしの岩に刻んだ仏の浮きぼり。さっきの阿弥陀如来像に、平等院のそれを連想したためか、へんなことを考えている。この岩はもともとここにあったのだろうか。それとも彫ってから、または彫るためにここへ運んできたものだろうか。山あい、というのも大ゲサかもしれないが、ずいぶんいりくんだところまで稲田はある。この石仏、野良へのゆきかえり、人々の拝んだものか。彼らには、あの寺の九つもの仏像はやはり遠いもの、池のむこうの折々の存在だったのか。
 いつでもどこでもつまらぬ実感論の落とし穴。
 仏の前、そなえたかたちのまっかなピーマン。時折、遠く近くに有線放送の声。
[10:53 am]

 徐々に記憶がよみがえってきた。やはり日記は書いておくものだ。

 翌々日の日記には聖林寺の十一面観音に関するちょっとした書き込みの後に、さりげなく「おとといの岩船寺でいっしょになった人とみた。じつにすばらしい象であった」などと書いてあったりする。**の***さんのことだろう。いい人だった。芹沢光治良の「人間の運命」を奨めてくれたけれど、ついに読むことはなかった。

 なぜ当尾や飛鳥を一週間近くもかけて歩いたのかも思い出した。前後の日記を読み返してみると、これほど陰鬱な日々を過ごしていたのか、と、驚く。一節、書き写しておく。

 年齢によって、肉体が肥満してくるということは、ひょっとしたら同時に精神の浮力がより大きくなることを意味しているのかもしれない。したがって、精神の深みに潜るためにはたくさんのバラストを必要とするようになるのではあるまいか。

 肥満は回避した。しかし「内省」という錘をほぼ完璧に失ったいま、体はもちろんのこと、心も含めて何もかも、どのような汚水の上にもプカプカと浮いていられる。これがいま。深みに潜ることなど思いもしない。当時、想像だにしなかった人生の黄昏。(10/28/2010)

 また4時前に目が覚めた。眠らないのも同じ。起き出してきたが寒い。5時を少しまわったところで、書斎は気温16.9℃・湿度54%。ちょうど一日前の気温は21.4℃、湿度は62%。室内がこれだから、外は10℃に届いているのかどうか。

 昨夜、**さんの修士号取得お祝い会をいつもの東レクラブでやった。ついでに同期会の来年度幹事指命まであった。ことしの幹事を努めたつもりだったが、次期幹事の決定についての経緯は何も知らない。例の如く例のメンバーの「調整」らしい。この種の集まりにつきものの話、一種の「私物化」。

 今年の初めだったか、連絡係として名簿データをもらった。そこに記録されている過去17回の出欠状況を見ていて、出席者にかなりの偏りがあるのを知った。はじめの数年、それに続く数年、そして最近の数年、三期に分けると、それぞれにも特徴的な偏りと移り変わりがある。

 クラス会だの同期会だのという催しにはいろいろの「気持ち」が絡む。出席したい事情、欠席したい事情などはさまざまで、出欠に偏りが生まれるのは当然の話。みんながみんな、むかし仲間に会いたくなるわけではない。自分で自分を誉めてあげられる状況でなければ出席したくない者も多かろう。だから、幹事がどのように心を砕いたところで、出席する気持ちになれないメンバーが発生するのは致し方のないことではある。

 だが、そうだとしても、同じクラスだった、同じ学年だったメンバー全員にイーブンな場、イコールな機会を提供するんだというフラットな気構えは忘れてはならないし、それが伝わるような工夫はしなければならないだろう。そういう『問題』、意識してますか?、オレにはそう見えないけど。似たような顔ぶれの幹事グループが予定調和のような回り持ちをしていることが、安心感を生むのか、反発を生むのかは微妙なところだ。そういう『緊張感』、もってますか?、オレにはそう思えないよ。

 仲良しクラブをやりたいのなら、クラス会、同期会などという看板を使わずに、正々堂々「何とか仲良しクラブ」でやればいい。幹事会そのものが仲良しクラブでどうするんだ。工夫もせず、知恵も出さないのなら、幹事は完全回り持ちにする方がはるかにいいよ。

 春に名簿を預かってから、それを考えてきたのにつんぼ桟敷だった。その腹立ちも手伝って「オレもやるよ」と宣言してやった。幹事の引受け手がいないから仕方なしに引き受けたという言い訳の手前、志願する者を拒否する理由はなかったらしい、大嗤いだ。

 ちょうど続々とリタイアする時期でもある。この節目に同期会としての性根が入らなかったら、たいしたものにはならない。もっともたかが同期会にそれほど入れ込むことはないのも事実だが、呵々。(10/27/2010)

 どうやら春の杉花粉だけではなく、この季節の何かにもアレルギー症状が出るようになったようだ。少し熱っぽい感じで、目が痒く、喉がヒリつき、唇が異常に乾く。夜は鼻づまりのためだろう、かなり盛大にイビキをかくらしい。せっかくBMIも22を切り内臓脂肪レベルも標準レンジに入ってきたところなので、ウォーキングは継続したいが、症状がひどくなるようなら考えなければならないかもしれない。厄介な体になったものだ。

 毎年、春になるとこのシーズンが終わったら減感作療法を受けてみようと思いつつ、喉元過ぎると何とやらで翌年になってから思い出すということの繰返し。この夏の猛暑が条件となって来年の杉花粉は大変な量が飛散するとの予報が出ている。でも、時、既に遅しだろうか。

 そうでなくとも、このあいだの健康診断で、胃炎と隆起性病変で内視鏡検査、左目に黄斑変性症の疑い定期検査受診要というのが来ていた。来月になったら集中的に通わなくてはいけなくなるだろう。

 ノーストレスで、ゴロゴロしながら、興味にまかせた読書、じつに幸せな日々・・・と思っていても、その必要条件が崩れてしまっては困る。なるほど死苦争責からは簡単に逃れられぬものだ。

 夕刊の「追憶の風景」に保阪正康の談話が載っている。編集者としての仕事をしながら国会図書館へ通った頃の話。以下の部分、まことに同感。

 私はこれまで昭和史を調べる中で、のベ4千人の方に話をうかがってきました。それで気づいたことがあるんです。1割の人は本当のことをいう、1割の人は最初からうそをいう、8割の人は記憶を美化し、操作する。この8割というのは実は我々なんです。悪人じゃないけどうそをついている。本を徹底的に読んでいないと、そうした証言の真偽は判断できないと思う。
 それでも記憶を持っている人たちがいるときにできる記録は、バランスがとれている。記憶は記録を補完し、記録は記憶を正すんです。危倶しているのはこれからです。記憶を持った人が少なくなっていく時期は、記録が改ざんされかねない。それだけは許容してはいけないと思っています。

 インターネットに晒すつもりがない昔の日記でさえ「美化し、操作する」のが8割の人だった。振り返って昔を作るのではなく、あらかじめ未来の自分にうそをついているというわけだ。(10/26/2010)

 あるはずの本が見つからない。この3週間で立て続けに5冊ほど。探すのに時間がかかってしまって、イライラさせられる。誰が悪いわけでもない、自分が悪いのだが、だから余計に腹が立つ。

 岩井克人の「二十一世紀の資本主義論」。これを探し出すだけで午後の読書時間のあらかたが吹っ飛んでしまった。まさか引っ越し時の未整理箱にあるなどとは思いもしなかった。たしかに本棚に収めたはずだったのに。なんだか妖精にでもからかわれているような気持ち。記憶もボロボロならば、頭の中のチェックリストもグズグズになってしまったということか。そろそろ、また、本棚の整理をしないといけないのかも。前後に収納している文庫と新書は奥の方にあるものの記憶が消えてしまう。蔵書録に書棚の位置情報を追加しようかと思わないでもないが、「エントロピーは増大する」から、入力をしても当座の自己満足にしかならないだろう。

 そろそろ大掃除の季節でもあるし、リスニングルームの復活も「暑いから」「寒いから」などといっていたら、死ぬまで手がつかないことになる。LPたちにももう一度針を落としてやらないと可哀想だ。

 忘れないうちに書いておかないと・・・。ウォーキングのお伴で「赤盤」と「青盤」を聴きながら、あの怪作、グロリューの「ビートルズを弾く」を思い出した。必ず、掘り出して聴くこと。(10/25/2010)

 最近、ウォーキングをしながら、ずっと考えていることがある。

 あれは本当に約束だったのだろうか。それともただの冗談だったのだろうか。その時は本気の約束だったとしても、大人としてたそがれてゆくうちには、そんなこと誰も本気にしなくなる、そういう類のことだったかもしれない。そもそも、そんな話のあったことすら憶えていないのが普通か。いや、もともと、勝手に頭の中に作り出した「お話し」ではないのか。もう、ありとあらゆる場合を考えてみた。

 「百年後もこんないい天気かな?」、「わかんないよ、もう死んでるから」、「五十年後だったら?」、「死んじゃいないね」、「ぼくは何になってるんだ?」、「・・・大人」、「大人っていったって、もう、じいさん・ばあさんだぜ」、・・・そんな遠い未来が来るまでには、もう、飽きるほど時間がかかるんだろうな、みたいなことを考えていたとき、誰かが、五十年後のきょうこの時間にここに集まろう、具体的にどんな言葉だったかはどうしても思い出せないが、そんなことを言った。それはなにか秘密結社の誓いのような感じがして、みんなすぐに同意した。女子がいることが秘密結社気分を台無しにしていたが、逆になんともいえないくすぐったい思いがした。

 待ち合わせにギリギリに来た奴が誰だったかも記憶がないが、そろったところで代々木までの切符を買って模擬試験会場に向かった。ほとんどの奴は中学受験組だった。

 所詮、子供の約束じゃないか、何度もそう思う。でもあの中の誰か、「反故になっていたら、それはそれでいい、でも確かめてやろうじゃないか」、と、そう考える奴がいるかもしれない。去年の11月3日ではない、来年の11月3日でもない、ことしの11月3日がその50年目。

 結果は予想できる。誰か一人でも来ている確率はゼロそのものだと。それでも、文化の日、6時前に目が覚めて、天気がよかったら、あの駅まで行ってみよう、か。(10/24/2010)

 きのうから韓国でG20財務相・中央銀行総裁会議が開かれている。

 先進国は自国の通貨安を誘導するために極端な金融緩和をしているのに対し、新興国はだぶついた先進国通貨が投資資金として流入するのを止められないでいる。これが現在の問題。これを受けた会議でアメリカが提案したのは「2015年までに各国の経常収支の赤字・黒字幅を自国のGDP比で4%以内にする。ただし資源輸出国を除く」というものだった。

 朝刊にG20参加国の昨年(2009年)のGDPに対する経常収支率を数直線上にプロットした図が載っている。黒字幅の大きい順に、サウジアラビア(6.1%)、中国(6.0%)、韓国(5.1%)、ドイツ(4.9%)、ロシア(4.0%)、日本(2.8%)、アルゼンチン・インドネシア(2.0%)の8カ国。赤字幅の大きい順に、オーストラリア(4.4%)、南アフリカ(4.0%)、イタリア(3.2%)、カナダ・インド(2.9%)、アメリカ(2.7%)、トルコ(2.3%)、フランス(1.9%)、ブラジル(1.5%)、イギリス(1.1%)、メキシコ(0.6%)、EU(0.3%)の11カ国と1地域。

 解説によると韓国は「10年以降は2%台で推移する見通し」とかで、アメリカの提案は素直に切り上げに応じない中国、基軸通貨候補であるユーロを叩いた結果過大なアドバンテージを獲得してしまったドイツを狙い撃ちするものとの評価。

 欧米先進国というのは自分たちが優位なポジションにいるあいだは「自由で(つまり制約のない)公正な競争」を主張するが、負けそうになると「ルール改正」で優位性を守ろうとする。この悪癖はオリンピック競技などで幾たびも見てきたことだが、アメリカという国はそれを経済(に限らないが)の分野でも臆面もなく実行するという点で札付きの「ならず者国家」だ。

 ドル対元のレートに文句があるのなら中国との二国間で議論を積み上げて解決を図るのが基本。もともと自国の浪費体質が生んだ不均衡なのだから性根を入れ直さない限り、何度レートを変更したところでしばらくすればまたまた負けそうになる現実は変えられるはずはない。

 ドイツについても自分たちが招いた結果であることは同じ。ドイツの「輸出絶好調」は何によってもたらされたか。

 戦争依存症から来る過大な軍事支出のために恒常的に地盤沈下を続けてきたのがここ半世紀のドルだ。基軸通貨発行国の責任はとっくの昔に放り出したくせに、基軸通貨を発行するシニョレッジは手放したくないものだから、ことさらにPIIGS国債の格付けを問題化して二番手候補のユーロを叩いた。PIIGSの国債を云々するのならアメリカ国債もトリプルAであるはずはないだろう。ところがこちらについては何も言及しない。アンフェアであることこのうえない。格付け会社はすべて「アメリカの会社」だ。嗤わせる。

 もっともあのサブプライムローンという毒入りの債券の格付けを優良としていたくらいだから、必ずしも意図した不公正ではないのかもしれない。だいたいがウォール街の投資銀行に就職できなかったようなサブプライム人材が就職するのが格付け会社と知れば納得がゆくかもしれぬ。こうして首尾よくユーロの価値を下げたわけだが、そのユーロ安がドイツに幸運をもたらしたのがアメリカは気に入らないというわけだ。世界はどこまでアメリカの身勝手につきあわされることになるのか。

 ベトナム戦争により財政状態が悪化して以来、のし上がってくる国を叩くためにアメリカが行った手口は決まっている。まず、貿易の不均衡を言い募り、恫喝し、通貨の切り下げを迫り、相手国の経済構造が問題だと主張する。「グローバル化」ないしは「規制緩和」と称する制度変更をさせた後に自分たちの資本を入れる。バブルが発生するか、官民ともどもに借金体質が行き渡ったところで、ちょっとした出来事をきっかけに注入した資本を極く自然を装いながら一気に引き上げ、その国の経済をがたがたにする。

 じつは「規制緩和」と「マネー万能主義」がアメリカ自身をがたがたにしてしまったことはバーレットとスティールの共著「アメリカの没落」に書かれている。この本の各章のタイトルを見るだけで「どこかで見た風景」であることに愕然とする。「中産階級の崩壊」、「メキシコへの仕事流出」、「税負担は企業からあなたへ」、「規制自由化の幻想」、「消えた年金」(これは我々の知る話とは少し違うが)、・・・。

 竹森俊平は「中央銀行は闘う」の中で、ハロルド・ジェームスの近著からあの大恐慌には1929年のウォール街の株価大暴落によるものと、1931年のオーストリアの銀行破綻によるものがあり、それぞれに対する処方箋は大きく異なるものだったという話を引いている。それを信じるならば、29年の崩壊は通貨供給によって立て直せたということ。今回もアメリカをはじめとする先進各国はおおむねこの処方箋に従っているわけだが、当時と今回で大きく異なるのではないかと思われるのはアメリカの産業基盤、なかんずく製造業が非常に不健全なものになってしまったということ。したがってオバマが躍起になってドル安に誘導してもはかばかしい輸出の改善にはつながらず、ジャブジャブに供給されるマネーは新興国への投資に向かうことになり、ますますアメリカが輸出する「新興国破壊」(「悪夢のサイクル」というネーミングもある)に向かうことになる。つまり「構造問題」はまさにアメリカの問題であって、アメリカの不振は他国の「構造問題」のしからしむるところではない。

 ブラジルのマンテガ財務相が「為替戦争」あるいは「通貨戦争」という言葉を使ったのに対し、マスコミは「通貨安競争」という表現に切り替えた。「戦争」という言葉が穏当ではないとして避けたのかもしれない。しかし日本の経済と社会がどのように破壊されたか、南米や東南アジアで繰り返されたデフォルトや通貨危機によって、どのような惨禍がもたらされたかを思い出してみれば、これは「競争」などではなく「戦争」という表現の方が適切だろう。

 ブラジルが非居住者の金融取引税の税率を2週間足らずのあいだに再度引き上げて6%にしたことは十分に理解できるし、もっぱら「世界の悪役」のように報ぜられている中国(一昔か二昔前のハリウッド映画を思い出す)が頑固に元の切り上げに応じないのも、少なくともアメリカの手前勝手に比べれば当然のことと思われる。

 その意味では中国はじつによく日本の先例に学んでいる。いつまでたってもアメリカに引きずられてカモにされ続ける我が祖国がつくづく情けない。(10/23/2010)

 きのう、最高検察庁は大阪地検特捜部の前部長・大坪弘道と元副部長・佐賀元明を犯人隠避で起訴し、法務省は両人を懲戒免職にした。隠避の対象となった元主任検事の前田恒彦は既に証拠隠滅で起訴、懲戒免職になっている。

 推定無罪の原則に従い検察官も他の公務員同様休職扱いが妥当なのではという疑問があるが、「森本毅郎スタンバイ」によると、検察官は検察庁法の対象となるため休職制度がないとのこと。

 調べてみると、「第25条:検察官は、前三条の場合を除いては、その意思に反して、その官を失い、職務を停止され、又は俸給を減額されることはない。但し、懲戒処分による場合は、この限りでない」とある。「前三条」のうち第22条と第24条はそれぞれ定年退官、俸給減額についての規定で、馘首に関する規程は第23条。第23条は8項からなるが、要約すると馘首にする手続きは検察官適格審査会の議決があった場合のみ。審査会の決定があったという報道はないから、第25条の但し書きが適用されたということらしい。

 法務省が但し書きを適用してまで懲戒免職を急いだのは、一見、「身内の犯罪」にも厳しい姿勢をとっていると見て欲しいからのように思える。さらに最高検が前田恒彦の単独犯行とせずに上司の犯罪まで暴いたのは「真相の徹底的究明」にこだわっていると見せたいからだろう。ロシュフコーならば、「自分を正直者に見せたいと思うのは不正直者の証拠」と嗤うかもしれぬ。

 最高検は「ガン細胞は前田、転移先は大坪と佐賀まで」として、彼らを摘出手術すれば終わりだとしたいのだろうが、もともと「民主党関係で事件を作れ」という暗黙の指示を出したのは最高検の然るべきレベルだったというのが真相なのではないか。

 朝刊には大坪・佐賀両名に対する事情聴取段階での最高検の本音は「何とか容疑を認めさせ、罰金刑で済ませてやりたい」というものだったとある。これに対して、大坪は「まさに誘導の取調べ」、「前田は執行猶予が欲しくて、責任回避のために供述している」と憤懣をぶちまけた由。取調べが始まったころ、佐賀は「取調べ過程を録画してくれ」と要求をしているという報道があった。いずれも彼ら自身がこれまでの数々の案件でどんなことをやってきたのかということを如実に表わしている言葉でじつに嗤える。

 彼らは徹底抗戦を貫くらしい。大坪は逮捕以来、「もう検察にはなんの未練もない」と言っているとも伝えられた。大坪よ、この際だから、検察の裏金問題を世に問おうとした三井環をパージするためにお前がやったことを全部洗いざらいぶちまけたらどうか。たしかに、暴力団員にまで頭を下げ、でっち上げにご協力を「お願い」したというのはあまりに不面目な話で、暴露するにはそれなりの勇気が必要かもしれないが、なにゆえそこまでしなければならなかったのかということを含めて公にしたら最高検もぶっ飛ぶのではないか。(10/22/2010)

 時代の雰囲気を記録しておくのも面白かろう。SAPIOや週刊新潮の記事はワトソンくんレベルにも達していないので、週刊文春の見出し広告を書き写しておく。何年くらい経ったら、「ああ、こんな見出しがマジョリティの『生活と意見』だった時代があったんだね・・・」という、曰く言い難い感慨を抱くようになるかしらね。

 10月28日号の柱記事は二本。一本が「TVには映らない:チリ33人『奇跡のドラマ』地下700mの『愛と裏切り』」で、もう一本が「中国『暴力帝国』の狂気:『反日暴動』を仕掛けたのは誰だ?!」。

 テレビには映らないという「注意書き」はいわゆるマスメディアの中でいちばん遅い週刊誌のコンプレックスを跳ね返すためのものだが、おおむねこういう「クレジット」はどのようにしても負け戦であるときの「ごまめの歯ぎしり」。これを書いた時点で中身のなさを自白していることが多い。

 中国記事の方にふられている「小誌が掴んだ全情報」というのは「精一杯みつくろってみました」がこのていどでごめんなさいというニュアンスが強い。もう少し自信があるときは、ちょっと気取って「小誌だけが知っている・・・」という言葉を使うようだ。では、それぞれの特集記事の見出し。

▼家族が初めて明かす「絶望した息子が書いた遺書」
▼バリオス愛人「本妻は問題ない。若い愛人は追い返してやった」
▼3000人押しかけたマスコミ現地の評判ワーストランキング
▼小誌記者に5千ドル取材謝礼を要求した2人の鉱員
▼「遅すぎた外務省」日本製下着は使われなかった
▼米ドリル会社「24時間決死の陣頭指揮」を振り返る
▼佐藤優が分析「聖書の物語が彼らを救った」

 今月の文春新書新刊に佐藤優が解説をつけた「新訳聖書」が収められたという「注釈」をつけておくと、何年かあとには微笑ましく嗤えるに相違ない、呵々。

■黒リスト:暴徒が日本企業を狙い撃ち
■ノーベル賞:ノルウェー恫喝の全舞台裏
■島返せ!:サッカー日本代表へのヤジに小学生動員
■あさま山荘:中国人実業家に売られていた!
■千葉の有名私立校:東大合格者9人全員中国人
■初の100万人セックス大アンケート「4割に複数のセフレあり」
■胡錦濤vs江沢民血で血を洗う抗争
■「アップル下請け工場」連続自殺はなぜ起きた
■温家宝首相:国内ではバカキャラ
■中国政府がヒタ隠す原発放射能漏れの闇
■中国が恐れるインドに抜かれる日

 これらの見出しをつけた記事で「反日暴動」を仕掛けたのが誰かが明らかになるとは思えないから、まさに「羊頭狗肉」だが、「ブチ抜き11ページ」と力んだわりにはいつもの記事の見出しレベルとあまり変わっていない。おそらく「ひねり方」に「白髪三千丈」的な工夫が見られないためだろう。

 最後にもうひとつ「お嗤い」を。

 広告末尾の「谷亮子敗れたり/強欲"ヤワラ主義"の崩壊」の見出しには膝を打つものの、その見出しと中国関係見出しのあいだに「小泉進次郞と『勝手に一週間』"進サマ人気"に完全密着!」という見出しが載っている。「なんだ、所詮、文春はただの自民党広報誌なのか」。ぶち壊しだね、これじゃ。

 それにしても「進サマ人気」ですか。文春はいつから女性週刊誌的センスを身につけたのかしら、可笑しくってよ、とっても。(10/21/2010)

 何かちょっとヘンな感じがする。ドルが各国通貨に対して全面的に戻している。

 けさのニューヨークタイムが終わったところで、オーストラリアドルは前日から1円59銭下がった。一日の山と谷が2円以上あったのは9月15日以来。その時は上げだった。下げで2円以上のレンジだったのは8月30日。その時の前日からの下げは1円19銭だったから、きのうはそれ以上で、久々の大きい下落だったわけだ。

 対ドルで見ても、きのうは前日から0.0236ドルの下げ。ユーロもドルで0.0244ドル下がっているし、円から、ポンド、スイスフラン、三カ国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク)クローネ、ニュージーランドドル、カナダドルに至るまでの各国通貨に対してドルが高くなっている。久しぶりのことで、ちょっとしたターニング・ポイントなのかと思わせる。理由は中国の金利引き上げという説明になっているが、どうもそれはただの「口実」のような気がする。

 「市場に任せる」が口癖のアメリカだが、実際のところ任されたはずの市場はじつに都合よくアメリカのポジションをサポートすることが多い。このにわかなドルの買い戻し、週末に予定されているG20の財務相・中央銀行総裁会議の準備的な動きの匂いがする。(10/20/2010)

 BMI22を切った。22という数値は目標。18.4~25.0が標準体重の目安という意味では、去年の9月以降は5か月間のブランクのあいだも、この範囲を超えてはいなかった。でも目標は22を少しでも切ること。あまりこれといった意味はないのだが、

 7月のウォーキング再開から数えて111日目。7日間の移動平均値で5キロの減量。去年のように足がむくんだり、膝の痛みを感ずることもなかった。試供品のサプリを10日ほど飲んだが、あとはいつもの通り。一日一万歩のノルマと夜9時以降には食べないというルールの徹底のみ。八郎さんの葬儀、鳴子温泉、河口湖、鵜飼見物などで一万歩ノルマの達成率は93%、9時から就寝までの間食禁止は98%。まずまずの成績。

 フィットネスクラブに通うわけでもないし、特別のダイエット食をとることもしない。根が貧乏性だから、そういうことにカネをかける気にならない。単純に歩くだけ。平均歩行速度は6.2km/h~6.7km/h。ジョギングでもないし、特別に速く歩くわけでもない。

 朝食はナチュラルハイジーンイメージのサラダとヨーグルト。パンなどの炭水化物はとらない。これでウォーキングに出る。ノルマの一万歩はこのフェーズでクリアする。後から足りない分を歩こうなどと思うと、午後の読書に集中できず、楽しくないから。帰宅後には最近だと梨または葡萄、これからの季節だと林檎。適当にバナナも組み合わせる。

 昼食は玄米がゆに**(家内)が出してくれる普通のおかず。この時点ではもう神経質にナチュラルハイジーンにこだわらない。つまり炭水化物と肉・魚を同時に食べないなどというタブーは気にしない。といってもなぜか最近は野菜中心になってしまう。

 午後には適宜コーヒー。これから寒くなればココアにすることもあるかも。**(家内)がいないときには、どうしてもやめられないポテトチップスを食べる。これだけが、唯一、不健康志向かも。

 夕食も格別の自己規制はしない。注文もつけない。出されたものをそのまま。**(長男)・**(次男)がいたころは肉と魚が一日おきと決まっていたが、最近は2対1から3対1で魚が多くなりつつある。夜9時すぎにどうしても何か口に入れたくなったら、空腹感が押さえられないときはジュース、さほどのことがなければお茶かコーヒー。カフェインで眠れなくなるなどということはない。

 時間的制約はいっさいなし、面倒な人付き合いもほとんどない。したがってノーストレス。人生の暮れつ方を長い日曜の午後を楽しむように過ごす。じつに幸せな日々。(10/19/2010)

 きょうも中国内陸都市で反日デモがあった。数年前の反日デモの際は数週間連続したが、毎週末に限られていて平日に行われることはなかった。前回と違うことがもうひとつある。今回はおとといが成都・西安・鄭州、きのうが綿陽、きょうが武漢、すべて内陸都市だということ。

 おととい、成都・西安・鄭州で反日デモという報道があったとき、今週は内陸部、こんどの週末は沿海部か東北部、順に場所を変えてあちこちでデモがあり、その後は当局が押さえ込みに成功という段取りで進むのかなと想像したのだが、週末限定という条件が崩れてしまった。まあ、所詮、お茶の間スズメの予想だ、気分でニュースを料理しているマスコミと同じ。

 反日デモとともに伝えられたのが、国家副主席・習近平が国家主席・胡錦濤の後継者となることが内定したというニュースだった。中国では大衆行動と政権内部の権力争奪戦とは無関係ではない。文化大革命のときも、天安門事件でさえも、大衆行動を容認する勢力がどこかにいたわけだ。

 図式的には習近平は江沢民系、胡錦濤が推したい後継者は李克強と言われてきた。そして江沢民は対日強硬派、胡錦濤は対日融和派。とすると、習近平を中央軍事委員会副主席にとりたて最高指導者につけることを確実化する目的で、江沢民一派が胡錦濤を牽制するために反日デモを仕掛け、あらかじめ公安に手を回してデモの押さえ込みに手心を加えたのではないかという見方を報じているマスコミもある。

 しかし「権力闘争」が今回の反日デモ騒ぎの背景にあるのかどうかは藪の中だし、日本が自分の側から中国を見るからそんな「妄想」を抱くのかもしれない。習近平が後継者の最有力候補になっていることは昨年の訪日に際して天皇との会見をあまりスマートとは言い難いやり方で「要望」したことを考慮すれば、わざわざこの時期に大衆行動をからめてみせるまでのことはないようにも思える。

 中国政府内の権力闘争をあれこれと推測するよりはもっと別のことに留意すべきだろう。現下の経済情勢の中で中国が世界経済の一角を支える存在になっている。おとといも書いたように、胡錦濤の後継者が誰になろうと、中国首脳は「自分が美人であること」を知っているし、十分に意識している。アメリカが作ったシナリオ、アメリカが仕掛けて維持しようとしている世界経済秩序にすんなりとは乗らないということ、そういう姿勢を従来以上にしっかりと打ちだすだろう。

 今月はじめ、ギリシャを訪問した温家宝はギリシャ国債の更なる購入を約束した。これがその意識の現れだ。これを単純にシンパ造りの弱者援助としか見ないとしたら、たぶん今後の世界を見誤ることになるだろう。南米の国々、東南アジアの国々は、かつての経験からアメリカの魂胆を見透かして、中国の暗黙の主張に関心を示しつつある。

 中国国内の反日デモに眼を奪われて、それならとアメリカに寄りかかろうとするようでは(多分そういうことになるのだろう、愚かなこの国は)、日本の存在感はいよいよ希薄になり、アメリカとともに沈むばかりだ。かといって、アメリカと心中するつもりでも先様に「その気」があるとは思えないけれど。

 アメリカは行き詰まるや、きっとこううそぶくことだろう、「同盟国だって?!、その通りだよ。でも、カルネアデスを知っているだろう、舟板をあんたに譲る気はない、恨むなよ」と。いやいや、そうとすら言ってくれないかもしれない。いつのまにか舟板を失って悔やむ、どうもそちらの可能性の方が大きいような気がしてきた。(10/18/2010)

 さきおとといの夜から来ている**(次男)を、昼飯で釣って、三人で**(弟)の墓参り。暑さのせいもあって、お彼岸にゆかなかったから、半年ぶりくらいになる。

 ここも最初の頃に比べるとずいぶん混み合ってきた。比較的入り口に近い**(弟)の墓あたりはもう空きはない。墓苑を囲む木々は伸び、葉が繁り、新興の墓地ながらそれらしくずいぶん落ち着いた感じになってきた。

 もうあれから7年になろうとしている。ふだんは何も感じない。しかし、思いがけぬ時に、水頭症気味のちょっと頭でっかちの顔が浮かび、「CCレモン、買ってきてよ、一緒に飲も」という言葉が耳の奥から聞こえると、たちどころに喉が痛くなり涙が出てくる。

 なんで買ってきて、一緒に飲んでやらなかったのか、と、思う。また元気になると思うから「ダメだって」などと言ったのだ。それが最後の言葉と分かっていれば、買ってきてやったさ、一緒に飲んださ・・・ごめんな、ごめんなと繰り返す。

 **(長男)にプレゼンとしてくれた地球儀を指ではじいてクルクル回しながら、ピリスが弾くニ短調の協奏曲を聴いている。緩徐楽章が沁みる。(10/17/2010)

 中国の成都、西安、鄭州の三都市で反日デモ。成都ではイトーヨーカドーなどの日本企業の店舗に投石があり、臨時休業に追い込まれたとか。東京の中国大使館に対する日本国内の抗議デモが計画されているという情報へのカウンター的行動だという。

 デモ隊の中心は大学生ということだが、最近は彼の国もかなり広範な人々が大学に進学するようになった結果、この国同様、まず「大学生」が「エリート」ではなくなり、その「質」も落ちているのかもしれない。嗤えるのは「日本製品の不買運動」を呼びかけていること。ボイコットした「日本製品」をよく見てみるがいい。ほら、「Made in China」と書いてあるだろう、呵々。

 それにしても、常識的にはあの国の大衆行動は権力筋の暗黙の「承認」がなければできないはずだが、今回のデモが社会の変化が激しく当局の抑えが効きにくいと思われる沿海部の都市ではなく、まだ洗練されていないであろう内陸部の都市であるということが少し不気味な感じがする。

 中国のナショナリズムは年々厄介なものになりつつある。かつての中国ならば「中華」を主張しても、現実は「夜郎自大」そのものだったわけだが、数年以内に「中華」の内実は相当ていどに整うことになるだろう。国内に圧倒的に貧しい多くの人々を抱えながら国は「一等国」になる。これはまさにかつての大日本帝国のありようと重なる。

 その一方で世界経済が深刻な二番底に陥るかどうかは中国経済がどこまで牽引役を務められるかにかかっており世界はそこに期待をかけざるを得ない。中国はそのことを十分に意識している。伊丹十三の言い回しを借りれば、中国は「まだ自分が美人であることを知らない少女」から「自分の美しさを心得た女」になりつつある。もっとも往々にして自らの美しさを意識したとたん、輝いていたものは急速に失われるものだ。そうなっても美しさを失わない人は少ない。そのことは自らを鏡に映すていどでは分からない。なぜなら見かけの美醜ではなく、振る舞いの美醜だから。(10/16/2010)

 小沢一郎が検察審査会の議決内容に違法なところがあるとして行政訴訟に踏み切った由。

 「違法」と指摘するのは土地購入の原資となった「小沢個人から陸山会への貸付金」を収支報告書に記載しなかったことも小沢が会計責任者に指示した「犯罪」であるから起訴対象とすべきであるとした部分。そもそも小沢に対する告発の中に含まれていないことまで審査の対象にしたのはおかしいということらしい。面白いのは今年4月の審査会議決にはこのことは書かれていないそうだから、今回の議決をした審査会メンバーの「創意工夫」による項目だということ。

 強制起訴を決める二度目の議決になってから、あれもこれもと追加をすることがフェアなことかどうかと問われれば「フェアだ」という人はいないだろうが、「群集心理」でかかればなんでも決められるということで最近のこの国では珍しいことではない。審査会事務局が形式的チェックもできなかったことは情けないといえば情けないが、算術平均の計算もできないプアな事務局のようだからフリーパスで通ってしまったということかもしれない。

 腹の虫が治まらないというのが小沢側の受け取り方なのだろうが、「行政訴訟」で対抗するというのが素人にはピンと来ない。このあたりの法律的な解説が朝刊37面「もっと知りたい!」に載っていたが、いささか重箱の隅をつついた理屈で、相当に無理がありそうだという印象を持った。

 「告発内容を超えた議決」というのは、一部には早くから伝えられていた。共同通信のサイトには7日の時点でこんな記事が載っていた。

 ・・・(前略)・・・小沢氏の代理人弁護士は7日、「議決内容が告発容疑と違っており違法だ」として起訴前にも訴訟手続きを取る意向を明らかにした。
 具体的な手続きは「検討中」としている。裁判関係者によると、議決を不服とした訴訟手続きは、検察審査会自体に法人格がないため、構成する審査員個人が対象になる可能性もある。ただ、訴訟は現実的ではなく、起訴後の公判で主張するのが一般的という。

 今回の議決をした「おバカな11人のマヌケ面を拝めないのがつくづく残念」だと思っていたから、この記事の「検察審査会自体に法人格がないため、構成する審査員個人が対象になる可能性もある」というくだりを読んだとき、小沢側がこの審査会の面々を法廷に引っ張り出すことに期待をかけた。

 もしそれが適えば、どんな薄弱な根拠、どのていどの理屈で、他人の「罪」を問えるとしたのか、肉声でその説明を聞ける。いまのこの国のワトソンくんの知的水準がいかなるものだったのかを明らかにすることは、多いに将来のためになるだろうと思ったからだ。(10/15/2010)

 小沢一郎を「起訴相当」と再議決した東京第五検察審査会に対し、「実体があるのか?」、「審査そのものは本当にされたのか?」という疑問が持ち上がっている。こんな疑問が浮かんだのは、東京検察審査会の事務局が、きのうになって、またまた第五検察審査会審査員の平均年齢を「再訂正」したからだ。

 話題の議決を発表した日、11人の平均年齢は30.9歳だった。不自然なくらいに若いのではないかということが話題になった。

 検審のメンバーは11人だが、平均年齢は30.9歳で、有権者の平均年齢約52歳とかけ離れている。週刊ポストが、そのような偏りが生じる確率を多摩大学経営情報学部・統計分析グループに助力を求めて計算すると、結果は、0.005%。さらに驚くのは、1回目の議決をした審査員の平均年齢も34.3歳だから、両方が起こる確率は0.00067%で、100万回くじを実施すれば7回しか起こらない、極めて珍しいことなのだ。
元木昌彦「深読み週刊誌」から

 この指摘を気にしたのだろう、三連休明けのおととい、検察審査会事務局は大あわてで「確認したところ、平均年齢は33.91歳でした」と訂正した。事務局の釈明はこんなものだった。

【読売:13日00時30分】同審査会事務局長が9月14日付の起訴議決にかかわった審査員の平均年齢を計算した際、1人の審査員(37)の年齢を足さないまま、10人分の合計を「11」で割るなどしたという。

【毎日:13日06時00分】事務局によると、平均年齢を計算する際、担当職員が37歳の審査員の年齢を足し忘れ、10人の合計年齢を11で割るなどしていた。

足し忘れた審査員の年齢は小学生でも簡単に算出できる。

1人分の年齢を足し忘れたときの総和は30.9×11で339.9

訂正後の11人の年齢の総和は33.91×11で373.0

 373.0-339.9だから足し忘れた審査員の年齢は「33歳」。ところがこれは読売や毎日の報道による「37歳」とは一致しない。

 どこかから「おかしいじゃないか」という指摘があったのかもしれない。きのうになって検察審査会事務局は、またまた、「再度訂正します、平均は34.55歳でした」と発表した。今度の言い訳は「従来は審査員就任日の年齢にしていたが、議決時の年齢で計算し直したためです」とのこと。

 再計算した平均年齢が34.55歳ということは34.55×11は380.1だから「7人」が就任から9月14日までのあいだに誕生日を迎えたことになる。

 今回の11人のうち6人が5月1日の就任、5人が8月1日の就任ということだから、この間に誕生日を迎える人の確率的期待値は「2.9人」(6×4.5÷12+5×1.5÷12という計算)のはず。

 つまり通常の誕生日分布の倍以上もの人の誕生日がここに集中していたというわけで、年齢の偏りほどではないにしても、これもまた相当に不自然な偏りだ。

 ネットには「もっとシンプルに考えてみよう」という指摘がある。1人分の年齢を足し忘れたときの総和は339.9だった。これに忘れた人の年齢37を加えて平均を取るとどうなるか。34.3歳になる。

 ビックリする話だ。1回目の議決をした審査員の平均年齢と一致するのだから。これも偶然だというのなら「恐ろしい偶然」と言える。「総員入れ替えをしました。すると、またまた平均年齢がぴったり同じ34.3歳になりました」。「議決日の年齢で再計算」などというややこしい釈明は本当なのか。第1回の議決からメンバーを入れ替えても同じ結果が出たというと、「誰が議決をしても結論は同じ」だという印象を受けるが、実際にやったことは「入れ替えたふりをした」だけのことではないのか。

 小沢一郎の政治資金よりも、東京第五検察審査会そのものの方がよほど怪しい。(10/14/2010)

 テレビの画面を見ながら「何人も一島嶼のみにては非ず」という言葉を思い出していた。ヘミングウェーが「誰がために鐘は鳴る」の扉に引いたジョン・ダンの詩句だ。

 チリのコピアポ近郊のサンホセ鉱山で落盤事故が発生したのは8月5日。絶望と思われていた33人が避難所で生存しているのが判明したのが22日。しかし避難所は地下700m。救出用のトンネルの完成は当初クリスマスころと伝えられ、地下の33人にその事実をどのように伝えるかが検討されたりした。

 わずかにつながっている地上・避難所間の伝声管のような穴を拡げる形で救出口の工事は進められたようだ。発表されるたびに救出予定日は早くなった。意図されたものだったかどうかは分からないが、見積金額などは最初の話より安くなる分には誰も文句は言わないものだ。

 救出の開始時間もきのうのニュースでは日本時間のきょう夜とされていたものがお昼頃に繰り上がった。そして午後0時10分(現地時間では午前0時10分)最初のひとりが直径54センチのカプセルで地上に生還した。生還者はいま10人を超えたようだ。救出劇はいまも続いている。予定では日本時間であしたの夜になるらしい。

 落盤から外界との連絡が確立するまでの17日間、絶望的な環境の中で生活のリズムを確立し、備蓄された水と食料を計画的に消費したこと、各人の特性に見合った役割をこなし、一定の規律を保ち続けたこと・・・すべてが「人は島ではない」ことを示す。人間という動物の本質なのだと思う。

 ジョン・ダンの言葉は「人の死」についての説教だったようだが「孤独の中の死」を悼むものではなかった。33分の1が33人全員の生死に直結していたこと。その家族の心配と救出の喜びがニュースを見る世界の人々につながっていたこと。そのことがほとんどの人の心を温かくしたのだ。

 もちろん、あくまで「人は島だ」と思っている人もいることだろう。「生産に役立たない安全設備を最低限のものにするのは経営者としては当然のこと」、「危ないと思ったら、そんなところではたらかなければいい。それでもそんなところで働いたのは自己責任」、「事故が起きたら国に助けてもらおうというのは労働者の甘え」、・・・、あの奥谷禮子なら、きっとそう言うだろう。

 しかし、奥谷に代表されるような、すべてを「自己責任」と切り捨てて個人を孤立させ、社会的責任をゼロにしようとする新自由主義的な冷たい社会を理想とする最近の風潮とは異なるものを肌に感じたからこそ、世界の多くの人々はこのニュースに注目したのだと思う。「人は島ではない」のだ。(10/13/2010)

 新聞休刊日。ラテ欄を見ようときのうの朝刊を繰っていて、文化欄に日本考古学協会が所蔵する専門書の行く先に関する論議が持ち上がっているという記事を見た。

 蔵書は1948年の協会発足以来の遺跡調査発掘報告書や専門書の他に、考古学という学問らしく在野の研究者による同人誌的なものもあるという。70年代、国立考古学博物館建設構想があったときにはそこで一括管理という話があったのだが立ち消えになるや、これらの資料は東京近郊を漂流することになり、いまは段ボール箱に詰められて所沢の倉庫に保管されている由。

 そんな中、保管費だけは年間100万円余りとかさむため、協会の理事会は一括での寄贈を検討。昨年8月から受け入れ先を募った。国内外の大学や博物館などから6件の問い合わせがあったが、結局、応募したのは英国のセインズベリー日本芸術研究所のみだった。大英博物館のほか、九州大、立命館大などと協力関係にある実績を評価し、協会は今年3月、寄贈の覚書を交わした。
 同研究所は、目録を作成したうえで蔵書を英国へ運ぶ計画だ。インターネット上での目録の公開、日本への蔵書の貸し出しなどを協会と検討しているという。将来は中身のデジタル配信も想定され、石川さんは「海外に日本考古学の拠点ができる」と期待する。

 持ち上がっている論議というのは「貴重な蔵書・研究資料を国外の組織に寄贈するなど問題外」という主張。記事の冒頭にはこんな声が紹介されている。曰く「学問の責務についての自覚を決定的に欠いている」、曰く「協会蔵書は、理事会の私物ではない」、曰く「信じがたい愚行」。

 なるほど批判はその通りだが、記事を信ずるならば、国内・国外を問わず受け入れ先を募ったにも関わらず、応募してきたのはイギリスの研究所のみだったという事実の方が重い。この国の大学、研究機関、もろもろの組織に自分の国の学術資料を引き受ける意識はなかったにも関わらず、手を上げたのが国外の組織だと知るや、次善の策として苦衷の中で方向付けした人を「無責任」、「無自覚」、「愚か者」とののしる構図ははっきりいって醜い。それにしても大英帝国の底力はこんなところにまだ残っているのだな、と思う。

 記事の結びはある会員の口を借りるかたちで「国内の機関で受け手がないという現実に、日本の底の浅さを感じる」となっている。まことにこの国は「とてつもない国」であり、「美しい国」だ。

 もっともこういう取り上げ方をするから「朝日は自虐的だ」といわれるのかしらね。では「自虐」を批判される方たちはこの「国辱的事実」をどのように解決するプランを提案できるだろうか。(10/12/2010)

 雲ひとつない快晴。久しぶりにウォーキング・コースを野塩団地コースに変えて、前の家のあたりまで足を伸ばしてみた。慈光幼稚園では運動会。神社の境内から富士が見えた。ここは高圧線が邪魔をしなければ最高の眺め。まだ雪をかぶっていない夏の富士はヌボーっとした感じ。

 ハッピーマンデーの祝日。体育の日はもともと東京オリンピック開会式の日を記念したもの。聞いた話になるが、前日の10月9日は大雨で、関係者は相当気をもんだという。ところが翌10日はまさに日本晴れだった。まるで「きのう」と「きょう」の関係のようだ。「体育の日」には快晴を呼ぶ念力が備わっているのだろうか。

 そういうわけで、きょうは「旗日」。ウォーキング・コースにただ2軒あった由緒正しい家のうち、堂々たる門構えの家に、きょう、日の丸はなかった。去年の暮れの天皇誕生日にもなかったから、おじいさんか、おばあさんが亡くなったのかもしれない。うちでは旗を出すのは**(祖母)さんの仕事だった。下高井戸のアパートに住んでいた3年間を除いて、札幌でも、名古屋でも、杉並でも。**(祖母)さんが入院生活に入ってそれが途切れてしまった。

 ウォーキング・コースにある日の丸家庭は1軒になってしまった。例の「お子様ランチ」風の日の丸。見ようによっては、どこか日の丸をおちゃらかしているようにも見える。たぶんご当人にはそんな気持ちは更々ないのだろう。

 半端仕事全盛の世の中だもの、「お子様ランチ」並みの自己満足もまた良き哉、か。(10/11/2010)

 政治的効果を狙った検察審査会事務局のもくろみは図に当った。最近の自民党は「政治とカネ」、「小沢一郎を証人喚問しろ」の連呼に明け暮れている。

 小沢というと「剛腕」・「政局好き」などの形容詞がつくが、少なくとも今回の件については、そういう感じはしない。今年1月の中旬、まだ小沢が検察からの事情聴取に応じず、与謝野と囲碁対局などをやって批判を浴びていたとき、いっそのこと自分の方から当時自民党などが要求していた「参考人招致」に積極的に応ずればいいのにと思ったものだった。

 その場で「情報リークを繰り返す特捜部の聴取ではなく国会の場での質疑に応じることにした。検察に提出した資料と同じもので説明するよ」、「だいたい政治とカネ、政治とカネと連呼するが、西松建設のダミー団体から献金を受け取ったのはオレだけじゃないよ、二階にも聞いてくれ」、「水谷建設からヤミ献金を受け取ったなど、何を根拠に言ってるんだ」などとして、返す刀で「東京地検の特捜部長も参考人招致し、オレからも質問させてくれ」と条件をつければ、よほど世間は納得しただろう。

 過去の参考人招致なり証人喚問で、当時、野党だった民主党がほとんどなすところがなかった例を見れば、自民党の質問など国民の失笑を買うだけだったろう。したがって小沢にとっては一石二鳥どころか三鳥も四鳥にもなるはずだと思ったからだ。

 それでもいわゆる「市民の会」(「会」とはいいながら、週刊ポストの記事を信じるならば告発者はたった一人なのだそうだ)は告発をしただろうし、「11人のイカれた男女たち」は「起訴相当」の議決を繰り返したかもしれない。そして自民党はまたまた性懲りもなく証人喚問を要求しただろう。かつての民主党がそうしたように。

 しかし、平均年齢45歳といわれる国民の大半はここまで実体のないバカ騒ぎを見れば、30歳前後のイカれたミーちゃんハーちゃんたちとは異なって、おおよその舞台裏を見透かしてしまったことだろう。

 小沢は最初の一歩のところで選択を間違ってしまったのだ。とすれば、小沢よ、いまからでも遅くはない。参考人招致でも、証人喚問でも、応じたらいい。ついでに「大久保くんの裁判はいつになったら再開するのかね」などと「呟いて」みるのもまた一興かもしれぬ。(10/10/2010)

 ことしのノーベル平和賞が中国の劉暁波に与えられることになった。中国政府は事前にノルウェーの選考委員会に対し劉暁波に賞を与えないよう圧力をかけていた由。この一事を取り上げるだけでも中国政府の近視眼ぶりは嗤えるが、昨夜来のニュースによれば、中国国内へ再送されているNHK、CNN、BBCなどのニュース番組が劉の受賞を伝える部分になるや画面をブラックアウトしているというから絶句してしまう。この時代にこれだけのニュースを小手先でコントロールできると考えていること自体が大いなる時代錯誤だ。

 もともと平和賞にはあるていど西欧的な、もう少し過激に書くならば「先進資本主義国のイデオロギー」によるバイアスがかかっている。まず、受賞者を推薦する依頼状の送り先そのものにバイアスがかかっているのではないか。選考委員会が推薦依頼する対象者を非公開にしているのは当然としても、依頼先の所属(たとえば国、人種など)別分布すらも明らかにしないのは、選考委員会も自分たちが政治的に中立ではないこと、もっと一般的に言えば、公平・公正なものでないことを意識しているからだろう。

 平和賞が、他のノーベル賞各賞と大きく異なって、「人類の叡智」に対して必ずしもフラットではなかったことをいちばん雄弁に語る事実がある。あのガンジーが受賞していないことだ。ガンジーの非暴力・不服従によるインド独立運動は、人類の歴史において、非凡かつ独創的なものであった。過去の平和賞の受賞者と比較してガンジーが水準に達していないとは思えない。

 ガンジーが生きていた時代、イギリスは依然として大国であった。今回、中国はあからさまな「警告」を発して国際社会から失笑を買っているが、当時のイギリスにはその必要がなかった。宗主国として植民地から上がる利益を享受するヨーロッパ先進国はイギリスの「気持ち」がよく理解できる「共犯者」だったからだ。

 中国政府が、もし劉暁波が指摘するような「権威主義」、あるいは「共産党独裁の防衛」のために彼の平和賞受賞の影響を恐れているのなら、劉暁波の受賞報道を差し止めたり、彼を犯罪者呼ばわりしたり、事前の「警告」を実行するのは根本的に間違っている。受賞に過剰に反応すればするほど、中国政府は墓穴を掘ることになる。まず中国政府は劉暁波を授賞式に出席させることだ。

 その上で国内に向けてはガンジーに平和賞を与えなかったノーベル賞選考委員会のイデオロギー性を指摘すればよい。「敵」のイデオロギー性を暴くことはマルキシズムの得意技ではないか。そして国外に向けてはなにゆえ自分たちが自由な言論を制限しているか、中国の事情を釈明すればよい。その手がかりは劉暁波が出した「08憲章」の中にある。

 中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。
「08憲章」の「二、我々の基本理念」の末尾から

 曰く、「中国は士大夫の国である。士大夫以外はすべて小人、小人が『本当の国家の主人になる』とはどういうことか。いま世界中に露見している子供のような(だから小人か、呵々)中国人のマナーの悪さ、たとえばコピー製品の横行、利益優先の粗悪品の氾濫、騙した者勝ちの商慣行、まわりの迷惑など顧みることのない手前勝手、論理性を無視したむき出しの中華ナショナリズム、・・・、既に中国社会に横行しているこれらのことが是正されることなくナマの形でもっと大々的に海外に向けて噴出する、そういう中国が生まれてしまう」。

 思えば、世界中、アメリカ合衆国から我が日本に至るまで、小人に阿るポピュリズムが蔓延し、騙した者勝ちの経営者を「勝ち組」と評価し、平然と法の支配を無視した恣意的な判断で「社会の敵」を抹殺し、愚かさの極みのようなナショナリズムに陶酔する、そんな状況ではないか。この主張、あながち詭弁とは受け取られないだろう。

 続けて、曰く、「19世紀末から20世紀に向けていち早く停滞するアジアから離陸した我が隣人である大日本帝国は『武士』という士大夫が先導することによって近代国家の基礎を作ることができた。我が中国もその先例にならうところから始めたいと思っている。つまり、残念ながら、『自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守する』ことによってそのまま民主的市民社会を実現できる西欧(ダブルスタンダードの国アメリカは除いた方がよい、devide and ruleという手法はじつに有効だから)のあなた方と、我々の事情は異なるのだ」と。「中国は未だ発展途上国なのだから」という抗弁は、現今、元の切り上げをはねつけている理屈でおなじみだから主張しやすかろう。

 もっとも、かりに中国政府がそう主張し、中国固有の事情があることを認めるとしても、ごく真っ当な人類の理想を主張した劉暁波を「国家政権転覆扇動罪」などという汚名を着せて獄につなぐというのは、とても士大夫の判断とは思えないけれど、呵々。

 きょうはジョンレノンの生誕70周年。グーグルのバナーで知る。(どういうわけか、昨夜のうちから出ていたが・・・)。(10/9/2010)

 御代田のメルシャン美術館へ。河口湖に行った際、株主優待の入場券をさし上げた**夫妻とは現地で合流。11時半近くだったので、まず食事。去年同様、敷地内のカフェの庭。ちょっと肌寒いくらいで、風も強め。それでも芝生の庭を前におしゃべりをしながら、食べるのはじつにいい気分。

 展示は「小さなルーブル美術館」展。とにかくおなじみのルーブルの名画がたくさん展示されている。なにしろラトゥールまであるのだ。すべて5分の2に縮小されたミニチュア複製。ミロのビーナスまで含めて、なにもかも、さわってもいいというのも楽しい。エジプトのミイラの棺、あけると中にまた棺、つまり、マトリョーシカ構造になっている。

 その後、いまは貯蔵だけになったらしい「ウィスキー工場」を見学。もともとは大黒葡萄酒という会社がブドウ園を購入、その後にオーシャンウィスキーの蒸留所になったらしい。三楽オーシャン時代に製造したウィスキーが保存されているとか。売店では50年もののウィスキーも販売している。

 **さんはここまで運転、ここからは**子さんの運転とかで、**(家内)と一緒にワインの試飲やら、20年もののウィスキーの試飲をしていた。夫妻はきょうは軽井沢泊とか。

 2時半くらいに出発、2時間ほどで帰宅。猛烈な睡魔。いつもの株価、投信基準価格、オーストラリアドルの推移などを記録、チェックするのがやっと。もう寝る。(10/8/2010)

 まず、忘れないうちに。

 先々週の金曜、24日、午後1時すぎに「ドル-円が84円50銭あたりから一気に85円30銭くらいまでに振れた」のは、けさ為替ニュースに転載された荻野金男の「侃々諤々」によると「某本邦機関投資家がドル買いを持ち込んだだけのことで介入ではなかったらしい」とのこと。でも消息通ならば、同時に流れた(流された?)「日銀総裁辞任か」という噂の出元、ないしは背景にもふれて欲しかった。

 さて、ドルの独歩安が続いている。大げさにいえば「暴落」という言葉を使いたくなるほどの下落ぶりだ。「おなかいっぱいになるほどのドル買い・円売りを続けている。それこそゲップが出るほど」とおっしゃっていたフジマキ先生はどう見ているのだろうか。かりに「短期的には円高だが、もう少し長い時間で見れば、円は必ず暴落する」という見込みが的中しても、ドルも円ともどもに暴落すれば投資的にはあまりハッピーにはならないように思えるが、どうだろう。

 オーストラリアドルの対ドルはリーマンショック前のおととし7月15日につけた0.9849ドルが壁として意識されていた。しかし、ウォーキングから戻ると0.98ドルをあっさり超えて0.983から0.984あたりに達していた。それでも2時半ごろの為替ニュースは「豪ドル/ドルは0.9847まで上昇も、上値を伸ばしきれず」と報じ、0.9849ドルのレジスタンスは相当に強いというニュアンスだった。ところが3時32分ころに0.985ドルを超えると1時間足らずのうちに0.99ドルもクリアしてしまった。そして5時すぎには1983年の変動相場制移行後の最高値0.9915ドルへ。

 おかげで常にドル円による「変換」をうける豪ドル円も、ドル円が82円30銭まで進んだにも関わらず、けさほどの81円ちょうどのレンジを脱して81円50銭を超えている。マスコミさんは「15年ぶりの円高水準」とお騒ぎのようだが、豪ドルに対していえば円安が進行している。豪ドルだけではない。ユーロもきのう1.385ドルあたりでウロウロしていたのが1.4ドルに迫るいきおい。おととい114円台ギリギリだったものが115円50銭あたり。つまり対ユーロでも円安トレンド。マスコミさんには「目の前にあるデータ、ファクトをしっかり見たらいかがですか。まるで某検察特捜部のようですよ、できあいの『見立て』にこだわって、何があっても『円高』見出しをつけるのは」と教えてさし上げたい。

 ドルの独歩安の話だった。これが単に「アメリカ経済への不安」ていどのことですめばいいが、「ドルは裸の王様なのではないか」という際どい認識にリンクするようなことがあれば、「青ざめた馬に乗る騎士」が登場しないとも限らない。(10/7/2010)

 6時台のTBS「Nスタ」で、今年のノーベル化学賞をパデュー大学根岸英一特別教授、北海道大学鈴木章名誉教授、デラウェア大学のリチャード・ヘック名誉教授が受賞という速報が流れた。よる7時のNHKニュースはこれで始まった。画面にはヘック、根岸、鈴木と三人が並ぶ海外ニュースのパネルが映っているのだが、根岸と鈴木について報ずるのみで、左端の「外人」の名前は報じない。

 ロイターのサイトでそれがアメリカ人のリチャード・ヘックと知った。日本人受賞の歓びは分かるが、視聴者の中には同時受賞者が誰かを知りたいと思う者もいるのだ。どうせ入ったばかりのニュースでは、業績においてそれぞれの受賞者がどのような関係にあるのかまでを報ずることはできないのだ。

 それを知りたい視聴者は名前さえ分かれば、すぐにでもインターネット検索でその概要が調べられる。最近のニュースではさすがにそんなことはなくなったが、一昔前まではこんな報じ方をしていたなぁと思い出した。「・・・幸い、この事故の死傷者の中に、日本人はいませんでした」。

 嫌韓族は彼の国の「ウリナラ」報道を嗤うが、この国の報道もまさに「ウリナラ」だ。秋成風に書けば、自分の口臭にはなかなか気がつかない、というところ。天下のNHKがこれでは嫌韓族の愚かさを嗤うこともできまい。(口臭の件については我が身も気をつけねばならぬが・・・)。

 それはそれとして、受賞理由をざっと調べると、ヘックの研究を土台として、まず根岸が応用性の扉を開き、鈴木がその扉をさらに拡げたということらしい。NHKニュースの写真が左から順に「ヘック・根岸・鈴木」であったのは研究の時間的流れを表わしていたわけだ。とってつけたように、科学技術予算の削減についてふれるよりも、まず、どのように研究成果のバトンが渡されたのかについて、きちんと伝えるべきであろう。

 コイズミ改革以降、まず、教育関係費が削減(OECD加盟国中我が国の教育関係の国家支出は最下位から二番目になっている由。まことにコイズミさんとタケナカさんの功績は大きいのだ)され、素人でも評価しやすい応用研究費はまだしも基礎研究費は声も出ないほどに「仕分け」されている。この機会にそれをアピールしたい気持ちは分かるが、そのあたりは「ノーベル賞のニュースのついで」などではなく、じっくりとまとめて報じてもらいたいのだから。(10/6/2010)

 けさ、ウォーキングをしながら昨夜の日記を反芻するうちに、そもそも「虚偽記載」の対象となった世田谷の土地取引とはどんなものだったのかという疑問がわき上がった。シャワーを浴び、すっきりしてから検索をかけてみた。

 件の土地については世田谷区深沢8丁目7-26という説、8丁目28-5という説、8丁目28-19という説があるらしい・・・。「いろいろ買っているようで、やっぱり小沢は怪しい」とか、「8丁目には28番はない。小沢は架空の土地を買ったと偽装してマネーロンダリングをやっているのだ」とか、好き勝手な揣摩憶測で書き散らしたバカ話がたんと読める。架空の土地取引を検察が見逃すものか、バカ。

 しかし「小沢批判」(というよりは「小沢攻撃」)のブログに、「小澤確認書」の現物コピーをあげてくれているのを見つけた。「小澤確認書」とは、土地登記ができない陸山会と小沢個人が「土地登記は小澤一郎の名前でやるが土地の権利は陸山会にあるし、購入費用も陸山会が負担する」という内容を「確認」したもの。それによると問題の土地は「世田谷区深沢8丁目28番」であることがわかる。

 さらに別のブログには深沢8丁目28番-19の登記簿謄本の一部が載せられていた。ファクトを根拠に書かれていることはまさに衝撃的な事実。結論から書く。小沢のみならず石川・大久保の両秘書も「土地登記の虚偽記載」ついては完全に無罪、「土地代金の支出」についても「相当の理由があっての記載」として罪に問うほどの違法性はないのではないかと思われる。

 件の登記簿謄本を転載する。

 問題の土地の地目は「畑」となっている。つい最近、**(義父)さんの相続の際にはじめて知ったのだが、農地の所有権移転は地域の農業委員会の許可を必要とするのだ。つまり「契約に基づいて代金をきょう支払いました。所有権移転登記をお願いします」と言っても法務局は受け付けないということ。

 それをうかがわせる記載が「甲区」2項の上段「所有権移転請求権仮登記」だ。買い主が売り主に代金を支払った(「乙区」2項の抵当権抹消の日付が「仮登記」の日付と一致している。売り主が受領した代金を抵当権者に支払って抹消したと推定される)ので、農業委員会の決定が出るまでのあいだの権利登記として、仮登記したのだろう。おそらく農業委員会の許可が出たのが平成16年末ギリギリか17年明け早々だったのではないか。農業委員会の許可により晴れて「甲区」2項の下段「所有権移転」登記が認められたというわけだ。

 つまり平成16年(2004年)年末時点では政治資金収支報告書に土地購入を記載するわけにはゆかなかったのは「虚偽」ではなく「所有権移転」がペンディング状態にあったからだというのが真相だろう。したがって、2005年収支報告書に土地購入が記載されたのは「真実そのもの」だということだ。あえて「虚偽」というならば、2004年の収支報告書に購入資金の記載がないことがそれにあたるかもしれないが、その支払いが(本当ならば陸山会が支払うはずのところ)小沢個人がその金を立て替えたとすると、登記とセットで2005年収支報告書に記載すればいいと判断したことは、それほど不自然なことではない。もちろん、4億もの資金のことだから、手前勝手な判断は許されないことではあるが。

 地目が「農地」であったことが、契約・支払い・登記、それぞれの日付の違いを生んだ、それだけのことだとすれば、石川が「土地購入について、登記は来年にします」と報告したとき、小沢が「そうか」と言うだけだったことも首肯できる。

 しかし問題となっている土地の登記簿を閲覧すれば、誰にでも容易に推認できることのはずなのに、マスコミはいったい何をしていた、いやいまも、何をしているのだろう。こんな裏付けも取らずに報道しているのかと思うと情けなくなる。いや、たぶんそんなことはない。現場の記者はそれなりの取材をしているはずだ。いったい誰がそれを押さえているのか。この国も中国なみの報道管制が敷かれているのか。それとも小沢を叩けば、視聴率は上がり、新聞も週刊誌も売れるから「虚偽」を承知で報じているのか。「虚偽記載」は許し難いとしながら「虚偽報道」を続けるとは笑止千万。

 マスコミに比べれば、検察の事情は分からないでもない。もともと特捜部は西松建設からのヤミ献金が土地購入の原資だという見立てで捜査を開始した。この土地取引を名目に石川知裕や大久保隆規を逮捕、締め上げ、お得意の見立てに基づく検面調書を作成し、ヤミ献金疑惑で小沢一郎をあげようというもくろみだったのだろう。しかし、西松建設の政治献金については現在延期されている大久保隆規の公判は行き詰まり、小沢の個人的資金という4億円についてもついにその内訳に違法性を立件できる材料は上げられなかった。検察は本丸を攻めきれず、口実として作った土地引きと収支報告書の日付の違いというちっぽけな容疑しか手元に残らなかった。二人の秘書を起訴したのは振り上げた拳の下ろし場所に困ったからであり、とうてい小沢一郎の「犯罪」にはならないことが明白だから不起訴にせざるを得なかったのだ。

 それでも疑問は残る。なぜ小沢側はこのことをアピールしなかったのかということだ。考えられることは、土地の取得に関する件は「冤罪」だとしても資金に関する件は「無実」ではないということ。そして「カネ」にのみ焦点が絞られるのはやはり避けたい事情があるからではないかということ。その点では「怪しい」ことは怪しいのだ。ただ、その怪しさを明らかにしなくては「有罪」ではないことは理解しなければならない。

 検察審査会の11人はその「容疑の抜け殻」と「怪しさ」にこだわって「黒白は裁判所に決めて欲しい」などという寝言を大まじめに「議決」した。告発事実にない「小沢個人からの4億円の借り入れ」まで含めて「議決」したのがその現れだろう。カンガルー・コートならばいざ知らず、少なくとも日本の法廷では、「あれもこれも怪しいことばかりだから、個々の事実はよく分からないけれど有罪です」などということがないくらいの常識は持っていて欲しかった。このおバカな11人(少なくとも8人はいたはず)のマヌケ面を拝めないのがつくづく残念な気がする。

 最後に蛇足。不動産取引過程のちょっとした手続きの省略、遅滞はありがちなことだ。別件で「指す」ときにはこれが非常に有効なようで、あの大阪高等検察庁公安部長だった「三井環」を引っかけた件も不動産取引に絡めた逮捕だった。いわば検察の常套手段なのだろう。(10/5/2010)

 「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」。芥川龍之介はそう書いた。

 小沢一郎の04年と05年の政治資金収支報告書の虚偽記載容疑に関し、東京第五検察審査会は2度目の「起訴相当決議」を行ったことが発表された。「決議を行ったことが発表された」などと回りくどい書き方をするのは、この議決が既に先月14日になされていたにも関わらず、発表はきょうになったから。

 なぜ、民主党の代表選当日の議決になったのか、なぜ、それから20日間ものあいだ議決結果の公表が差し控えられたのか、不思議な話。まるで代表が菅に決まるのを見定めた後に「安心」して採決をし、国会が開会されるのを狙って公表したようで、どこか不明朗で気持ちの悪いやり口だ。

 これで小沢の強制起訴が決まった。起訴は東京地裁が弁護士会に推薦を求めた上で選任する。夜のニュースの中では検察官役を務める弁護士の報酬は最大でも120万円とのこと。東京地検特捜部が大久保秘書の逮捕から丸一年以上かけて、ついに匙を投げた「ヤミ献金を原資とする購入」という見立てを立証できずに、結局、「収支報告書の虚偽記載」という形式犯しか洗い出せなかった件をやろうというのだから、引き受ける弁護士さんも大変なことだろう。真面目にやろうというなら、この報酬では確実に持ち出しになってしまう。

 どうだろう、ここは選任された弁護士さんを資金的にも人員的にも支援する体制を作っては。

 有望なのは小沢を告発したいわゆる「市民の会」の皆さん、あるいは自民党さんだ。自民党さんは身内に西松建設が作ったダミー政治団体からの「献金」を受け取り「略式起訴」の罰金100万円で手を打った二階俊博がいるから内情もよく分かるだろう。

 もっとも収支報告書のウソがばれるたびに「誤記でした。虚偽記載ではありません」と「訂正」することを常套手段としている議員さんを多く抱える自民党としては気が進まないことかもしれない。ならば、共産党さんあたりから有能な弁護士を派遣していただくのもいいかもしれない。それくらいの体制でしっかりやらなければ、小沢一郎の有罪判決は勝ち取れないだろう。

 第一審で小沢が有罪になればめでたしめでたしだが、かりに無罪になったらどうなるのだろうか。通常一審無罪ならば検察は上告するかどうかの判断を行う。しかし指定弁護士が起訴し、力及ばず無罪となったとき、指定弁護士に上告する実際的なパワーがあるだろうか。彼が「これ以上の起訴は無理」と言ったら、またまた、検察審査会がお出ましになるのかしらね、呵々。

 今回、「怪しいんだから、裁判所に判断してもらおう」と決めた、検察審査会のメンバーにうかがいたいことがふたつある。ひとつは、小沢一郎はどんな「犯罪」を犯したというのか。彼の秘書たちはどんな「犯罪」を犯したというのだろう。彼らは「土地購入」を隠したわけではない。「土地取得」を「翌年の収支報告書に記載した」というだけのことだ。不動産売買の経験者ならば、契約、代金支払、登記などの際、実際の日付と文書記載が必ずしも一致しないことがあるくらいのことは知っているものだ。その点では今回の審査会メンバーの年齢が極端に若いというのが気にかかる。

 もうひとつは、このご時世に大枚の税金を使って「黒白」をはっきりさせることは、こんな形式「犯罪」の他にいくらでもあるのではないか。かりに無罪になったら、これこそ税金の無駄遣いではないのか。

 「市民感覚」というのが「知恵の及ばぬバカの代名詞」とは哀しい話だ。芥川龍之介はこうも書いていた。「輿論は常に私刑であり、私刑はまた常に娯楽である」。そうか、これは娯楽か。(10/4/2010)

注)芥川龍之介の言葉はいずれも「侏儒の言葉」から。世はますます、昭和の初めに似てきたのでしょうか。

 四場所連続の全勝優勝で白鵬が秋場所を終えてから一週間。朝青龍の断髪式が同じ国技館であった。

 同じモンゴル出身でモンゴル人と結婚しモンゴルに人であり続けた朝青龍、日本人と結婚し帰化する予定らしい白鵬。二人は対照的だ。母国とその風土を「捨てない」ことにアイデンティティーの基礎をおいた朝青龍、母国にもその風土にも必ずしもこだわる風のない白鵬。まずそれが対照的だった。

 「郷に入りては郷に従え」というが朝青龍は頑固だった。いや、朝青龍は大陸的ゆえに気がつかなかったのかもしれない。だがこの国の島国根性にとって、その違いは大きかった。貧しい国から来たのだから気の毒にと思って、社会の一角を与えたのにまつろわぬ者は許し難い輩と見なされた。朝青龍が紅毛碧眼の持ち主であれば、あれほどのことはなかったのではないか。欧米人が片言の日本語で「テニヲハ」を間違えても「日本語、お上手ですね」とお愛想を言う人でも、韓国・朝鮮、中国の人が「テニヲハ」を間違えれば日本語の巧拙は論評しない。漢字を使う黄色人種というだけでハンディキャップを認める気になれない、それが平均的日本人らしい・・・というくらいに留めておこう。

 朝青龍をいびり出すためにさかんにいわれたのが「品格」だった。それは日本社会が品格を保ったしっかりとした社会であるから「相撲といえども」であるのか、逆にあまりに品格を失った社会に成り果てたゆえに「せめて相撲くらいは」であるのか、どちらから発するものなのだろうと疑問に思っていた。しかし、朝青龍が去った後に露見したことどもは「品格」以前の問題で、「品格相撲」と「品格社会」についての疑問などは吹っ飛んでしまった。

 断髪式の宣伝ポスターには「自業自得」の四文字熟語。コピーライターが考えたのだろうが、なかなか皮肉がきいている。NHKの中継が再開された秋場所だったが、中継で見る会場の不入りは明らかで、白鵬の連勝記録がかろうじて観客の興味をつないでいるように見えた。「自業自得」は朝青龍というより相撲協会のことではないか。

 とまれ、面白い相撲と興味深い話題を提供し続けてくれた朝青龍よ、ありがとう。君がいなくなった相撲は、下品な刺激を下品に楽しむ当節、ずいぶんつまらないものになってしまったよ。(10/3/2010)

 ウォーキングコースのそこここに金木犀の香りが漂っている。やっと秋が来た気分。

 きょうのおともはオフコースのシングル集。ひと月ほど前の土曜版の「うたの旅人」に「秋の気配」が取り上げられていた。「ああ、あれはそういうことだったのか」と思ったら急に聴きたくなって、三枚組になっている「シングル集」を買った。

 耳順を過ぎた男には、ちょっと気恥ずかしいけれど、「僕の贈りもの」なんかがいい。

 CQ、CQ、CQ。

夏と冬のあいだに/秋をおきました
だから秋は少しだけ/中途半端なのです
この頃はなんとなく心さみしくて
知らないうちに誰かと/すきまができたりします
それで好きな人と/別れた人のために
この歌は僕からあなたへの贈りものです

 じゃあ、また、88。・・・と、見上げる秋の空は青い。(10/2/2010)

 夜、水技メンバーの飲み会。幹事を仰せつかっていることもあり、早めに家を出る。

 **(長男)に父の日プレゼントとしてもらったマウス、チャッタリングがひどくなったので買い換え。日記を繰ってみると2年前の6月。2年とは少し耐用に問題ありか。とはいいつつ、ワン・タッチ・サーチ機能が気に入っているので、またロジクールで探す。MX1100という型番。ワイヤレスで単二電池二本。電池というのが重そうでちょっと引っ掛かったが、最大9カ月程度はもつということで決めた。税込み6,780円。ビックカメラのポイントで購入。

 久しぶりに本屋にまわるが、荷物になるので買うわけにはゆかない。さらり、眺めるだけ。積ん読の滞貨もあることだし・・・。

 **さんに予約してもらった飲み会の会場はイトシアプラザ3階の「響」。イトシアプラザは有楽町駅とマリオンに挟まれた場所。その昔、「初藤」や「レバンテ」があった一角。懐かしくもあり、懐かしもなし・・・というところか。下期の期初とあって、現役メンバーは欠席が多く、今回は12名。二次会の声もかからず、「安全」に帰宅。

 現在、ドル円は83円20銭あたり。単純にショックを与えて円高傾向に警戒感を与えることだけが望みだとしたら、ニューヨークタイムの終わる少し前、日本時間で5時くらいから5時半にかけて、84円界隈まで軽い円売りを仕掛けるというのも面白いと思うのだが。「介入を始めたところで、時間切れだったのか?」という疑心暗鬼を生んでおいて、週末を悶々と過ごさせる。さして金をかけずに心理戦に持ち込めたら悪くないのでは・・・と思うのだが、所詮、素人の浅知恵かな。(10/1/2010)

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