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2008年の総括

2008.12.25. 掲載
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目次
1.はじめに
2.音楽に重点を置いた
3.サイトの点検・修正・廃止
4.Web検索結果1位
5.ウォーキングの習慣
6.手紙など文書類の整理
7.初孫誕生
8.人との交流
9.金融危機
10.まとめ


1.はじめに

私は総括が好きな人間で、何ごとにも、自分なりのまとめをしておかないと、気持が落ち着かず、把握が充分できていないと思う、難儀な性分である。その上、記憶力が恐ろしいほど衰えてきているので、書いて置かなければ、大部分が忘却の淵に沈んでしまい、永久に失われてしまう。だから、この総括はまったく自分のためであり、特別な方にしか興味が湧かない代物であろう、と自覚している。

2003年末に、その年の総括の記事をこのサイトに掲載した。2004年末にも、その年の総括の記事を掲載した。2005年は、9月から息子夫婦に診療も住居も引継いだ年で、極めて多忙であり疲労困憊の日が続いた。そのため、この年は総括を行なう余裕がなかった。その代わりとして、引継引越騒動記1章2章3章4章に顛末を詳しく書いた。2005年更新歴にまとめている。

2006年の総括は、死亡想定年をふり返って のタイトルで行なった。また、この年掲載の全記事は、2006年更新歴にまとめている。

2007年は入院手術で始まり、世界一周クルーズなどの、生まれてはじめての体験に振り回された年であった。この年の4月に、オマケの人生に入ったが、オマケの実感は少なかった。この年の総括をオマケ1年目をふり返ってのタイトルで行なった。また、この年掲載の全記事は、2007年更新歴にまとめている。

2008年は完全にオマケの人生となり、これまでの本当の人生と違うことを、じっくり味わうことができた。そして、今までの人生の中では、一番活動的であり、充実した年でもあった。その全部の記事は、2008年更新歴にまとめているが、それとは別の見方でまとめてみた。


2.音楽に重点を置いた

飛鳥Uからの縁で、1)小澤幹雄氏と親しくなり、2)コーラスに誘われ、3)スライドショーのDVDのBGMを選ぶために、手持ちのCDを多く聴く必要があったことなどから、今年は音楽に重点を置くことにした。

1)クラシックやポピュラーのライブを多く聴いた
カラヤン生誕100周年記念コンサートウィーン国立オペラ座での「ドン・ジョバンニ」、ラ・マンチャの男、オペレッタ「こうもり」、アンヘル・ロメロ「ギター・コンサート」、アンネ・ゾフィー・ムター梅谷裕子コンサート、住金合唱団リサイタル、神戸ジャズストリート、スカラ・フィルハーモニー、The Gospel V など。

2)コーラスに月2回参加した
飛鳥Uのコーラスで知った方から誘われて、10数名の女声コーラスに、男声として2名で加わった。月2回の練習が楽しく、50年ぶりに発表会にも出演した。発声法だけでなく、歌唱法についても学んだことが多い。引退してからは途切れがちだった鼻歌が復活したのも、コーラスと関係がありそうだ。

そして、72歳になった今も、昔に劣らない程度の声が出ることが分かり、嬉しく思っている。ビング・クロスビーが、1976年に、ロンドンでの芸能生活50周年記念コンサートを行なったライブを聴いたことがあった。その時、75歳でも声が衰えないことを知って、希望が持てたことを思い出す。

3)CDやDVD、インターネットで曲を聴き、多くの曲をMP3ファイルでダウンロードした
これは、BGM選曲のための他、クラシック・データベース400曲 を作るためでもあった。

4)abc記譜法をマスターし、その入門書を作った
記譜法として、欧米で普及しているabc記譜法をマスターし、実用abc譜 という入門書と、その超簡単入門書 abc譜のABC を掲載した。

5)掲載済みの歌の記事にMIDIをつけ、メロディー略譜をABC譜に変更した
既に掲載済みの、歌のデータベース1000曲、 歌の曲名検索、 歌と思い出、という歌の3部作に対して、abc記譜法を使ってMIDIをつけ、メロディー略譜をABC譜に変更した。

6)クラシックデータベース400を新たに作り、MIDI、ABC略譜、五線譜を付けた
歌の3部作の改訂を行なった機会に、クラシック・データベース400曲 も作ることにした。全ての曲に、メロディー8小節のハ調五線譜を付けることにしたが、歌と違って、クラシックでは、どうしても入手できない数曲があり、演奏から採譜しなければならなかった。メロディーだけであるのに、この採譜は難しく、8小節に2〜3時間を要したこともあった。このデータベースには、ハ調五線譜の他に、MIDI、abc略譜も付けた。

次に、このデータベースを検索するための クラシック曲名検索400曲 を作り、1)作曲家名、2)ジャンル、3)日本語曲名、4)欧米語曲名、5)メロディー から検索できるようにした。

7)Youtube動画の活用
Youtubeの音楽動画にリンクする方法で、歌っている動画を、自分のサイト上で簡単に表示できることを活用した。Youtubeの音楽動画には、通常では入手できない貴重な音楽動画も多く、これの活用を知ったことは大きな収穫だった。例えば、名歌手ミレイユ・マチュースーパー・テナー8名の「誰も寝てはならぬ」 などの紹介に使った。

また、Youtubeの動画ファイル(flvファイル)をダウンロードしたり、ダウンロードしたファイルから、mp3ファイルを取り出すことなども行なった。

8)英語口語文、大阪弁表示記号の開発
大阪弁を楽譜で表示できないか、英語口語文を楽譜で表示できないかという発想から、大阪弁と標準語のアクセントや 英語音声表示記号を開発した。


3.サイトの点検・修正・廃止

1)不要な記事は削除した
これまでに、このサイトに掲載した記事は450件を越える。その内でかなりの記事を削除してきたが、今回現状に合わないもの、不必要なものを積極的に削除し、最終で約400件にまで減らした。

2)掲載済みの記事のスタイルを統一した
これは、ページ初めとページ終りの部分について、特に注意を払った。

3)サイトマップを作り、記事の所在を分かりやすくした
現在掲載している記事だけでも、約360件(大きく分類しても約270件)あり、書いた本人も、記事を探し出すのが困難な状況になってきた。そこで、分かりやすい サイトマップ を作り、記事を探しやすいようにした。

4)「BOWのエッセイ」と「BOWの映像」のサイトを廃止した
2006年に、「中之島のBOW」に記載しているエッセイが分かりやすいようにと、エッセイに特化した「BOWのエッセイ」というサイトを開設した。また、同じように、映像関係専用の「BOWの映像」というサイトを開設した。しかし、同じものを二つのサイトに掲載する作業が面倒であることと、分かりやすい サイトマップ を作ったので、両サイトを廃止し、「中之島のBOW」サイトだけに戻した。

5)「心に生きることば」を点検し、修正、追加を行なった
歌の3部作心に生きることばは私のライフワークに近いものなので、この機会に「心に生きることば」を点検し、記事の修正や追加を行なった。

6)DVDライブラリに追加を行なった
DVDライブラリーについては、1年以上放置したままだったので、DVD関連記事に新たな追加を行い、分類整理を行なった。


4.Web検索結果1位

サイトマップに掲載した順に、272件の記事のタイトルをキーワードにして、検索エンジン Google と Yahoo! で検索を行なった。その結果、Google 検索結果1位が204件で75%、Yahoo! 検索結果1位が218件で84%あり、どちらかのエンジンで 検索結果1位 になる記事は233件で86%あった。

検索結果1位で、その母集団が10万件以上のものが過半数を占め、分野別では、エッセイ、音楽、映像、パソコン、ハウツー、医療のいずれもにおいても80%を越え、平均86%であった。これにより、各分野が同じように評価されていることを知った。

1996年にこのサイトを開設して以来、Mifesというエディターだけで、最小限のHTML言語を使って書き続けて来た。華やかさも遊びもなく、地味でシンプルなサイトであるが、代表的検索エンジンに評価されていることを知り、しみじみとした幸せを感じている。


5.ウォーキングの習慣

リタイヤして中之島に転居して以来、書斎にこもりきりのことが多く、特に、昨年飛鳥Uの世界一周クルーズから帰ってからは、その整理のために、食事も忘れるほどだった。妻は、その状態に耐え切れず、11月の半ばに暴発し、私は自分の非を認めた。

その解決策として、毎日雨でなければ、梅田までウォーキングをすることにした。これで毎日7〜8000歩のウォーキングが習慣となり、1年以上が経過した。おそらく、この習慣は、二人のどちらかが歩けなくなるまで続くであろう。それは苦痛では決してなく、むしろ楽しいからだ。私は、健康に良いといわれることをするのが嫌な天邪鬼だが、このような理由で、健康に良いことをするようになってしまった。


6.手紙など文書類の整理

1)手紙類の整理
私は大学入学のころから、手紙や葉書を保存してきた。このマンションへ転居する際に、大量に処分したものの、それでも膨大な量の手紙や葉書が残っている。今回の整理では、それらの多くを処分し、自分にとって大切なものだけを、個人別に分類した。その中にある、今は亡き数名の友人の手紙の束から、在りし日のことを思い出す。

私が書いた手紙は、婚約中の妻に宛てたものだけである。その他は、手紙のコピーを、開業当初はカーボンコピーで取り、その後はコピー機で複写し、パソコンを使い始めてからは、ファイルで保存している。今回はこちらの整理まではできなかった。

2)作文、日記、メモ類の整理
手紙以外の個人的文書類の整理も行い、若いころの作文を発見して 思春期の作文 としてまとめた。また、青春前期の日記類から、当時の悩みや精神状態を知ることができた。いつか、これらと関係を付けて、人生の転機について書いておきたく思っている。

マンションという保管容量が限定された中では、自分にとってより大事な記録が精選されて残り、多くの記録は廃棄される。惜しい気はするが、忘れていた大切な記録が陽の目を見るメリットもあり、保管容量が少ないことは、必ずしも悪いことではない。よく整理された10の知識は、未整理の100の知識に勝るのだ。


7.初孫誕生

1)半ば諦めていた祖父母になることができた
結婚して5年になる息子夫婦に、こどもが生まれないことを気にしていたが、尋ねるわけにもいかず、結婚してくれただけでも良かったと、半ばあきらめていた。それが、妊娠を知らされ、私たちも人並みに祖父母になれることに感謝した。その時願ったのは、男女どちらでも良い、五体満足なこどもであることだけだった。

2)生後2時間の孫娘を見て感動した
病院で、生後2時間が過ぎたばかりの孫娘に、両親と両祖父母は、対面することができた。その時の感動を、私は「新しいいのち」という詩で表した。詩を書いたのは生まれてはじめてであるが、感動の気持を書いていくうちに、散文ではなく、詩のかたちになってしまった。

3)孫へのアドバイス
孫の両親から、育児記録ノートに書き込みを頼まれ、妻はすぐに次のようなことばを書いた。

    あなたの誕生 それだけでもう充分 私たちを 幸せにしてくれました
    その上 これからの成長を見守る楽しみも 与えてくれました
    哩央ちゃん ゆったりと おおらかに育って下さい
    そして 大きくなったら 自分の思う通りに生きて下さい


これを読んで、私も同じ気持だったが、ほかのアドバイスをしたくなった。

    あなたは 幸運の星の下に生まれました
    その幸運を いつも信じなさい
    そして、その幸運に いつも感謝しなさい
    そうすれば、その幸運は あなたを助けてくれますよ
                 同じねずみのBOWBOWより


同じねずみと書いたのは、私は干支が同じなのだぞと言いたかったからだ。また、BOWBOW(ボウボウ)は、孫がしゃべるようになったら、こう呼んでもらおうと決めたからだ。

孫へのアドバイスは書いたが、孫の育児に関わるつもりはまったくない。育児は両親が行なうもの、私たちは、どのような時にも、孫を受け容れることに徹しようと思う。しかし、じいバカ、ばあバカにはなりそうな予感がする。

4)幸運について考えた
私は大学に入ったころから、運、不運 について意識するようになり、それは今も続いている。孫が生まれ、その2時間後の姿を目の当たりにして、孫の強運を直感した。私は自分の直感を信じている。というより、人生での重大な決定は直感で行なってきた。孫が生まれ、幸運についての自分のこれまでの考えが、より強められたような気がする。いつか、そのことについてまとめておきたい。


8.人との交流

今年は例年よりも人との交流が多かった。それも新しく親しくなった方が多かった。そのきっかけを分類してみると、1)飛鳥Uで親しくなった方、2)ウィーン・ベルリン旅行で親しくなった方、3)コーラスで親しくなった方、4)ブログ「エンジョイBOW」で親しくなった方になる。

同窓会関係では、1)小学校のクラス会、2)中学の同窓会、3)高校のクラス会があり、高校のクラス会は昨年に続けて2年幹事を引き受けた。

飲み友達と飲む回数は、現役の頃よりはかなり減ったが、交野の飲み仲間、小学校の飲み仲間と相変らずの痛飲ができた。


9.金融危機

昔、冷戦時代のころ、人類の最後を見ることになるかも知れないと、半ば本気で思ったことがあった。今、残り少ない人生において、このような未曾有の金融危機に遭遇し、その経過をいくらかは見ることができるかもしれない運命を享受するつもりだ。私たちほど多くの変化を体験してきた世代は、歴史上いないのではなかろうか?


10.まとめ

1)人生で一番活動的だった年
今年は生涯で、一番活動的であったように思う。面白いのは、毎年そのように思ってきたことで、記憶にあるのでは、野村医院二十年史 を作った1993年がその最初である。翌年は 医師会設立 で前年以上に活動したと思った。そして、2004年の総括 では、「現役最後の年は、これまでの生涯で一番活動的な年だったような気がします。」と書いている。2005年は引継・引越で総括をする余裕もないほど忙しかった。2006年 には「人生で、精神的に一番活動的だった1年」と書いている。そして、昨年 は「これまでの人生で一番活動的だったと思う。しかし、このような年はもう来ないだろうとも思う。」と書いている。

しかし、昨年の予想は外れ、今年は質、量ともに生涯で一番活動的だった。このサイトに掲載した記事が、2006年40タイトル、2007年50タイトルに対して、今年は80タイトルであることも、間接的にそれを証明していると考えても良かろう。もう、これ以上の年が来ないのは間違いないだろうが、それはそれで良いことだと思う。

2)作業達成感から作業中の幸福感へ
今年はオマケの人生であることを実感できた年であった。これまでは、タイムリミットを決め、目標を達成した時の充実感が喜びであった。それが、作業をしている過程に喜びを感じるように変わった。もちろん、達成はするのだが、達成した時よりも、それを行なっている間に喜びを感じるように変わっている。達成するしないはあまり問題ではなくなった。

面白いことに、作業達成感から作業中の幸福感へ変わったことにより、したいことが増え、多くのプロジェクトを達成できたのである。達成するしないが重要でなくなれば、作業中にひらめくアイデアとか思いつきを、即、実行しやすくなるので、それは当然の結果だろう。

考えてみれば、結果よりもその過程を楽しむというのは、革命的変化である。幼い頃はそうであった。作ること自体が楽しみだった。それが中学、高校と進むにつれ成果が優先され、成果主義の現代社会では、結果がすべての様相を呈している。それは仕方がないことかもしれない。しかし、その社会を離れたオマケの人生では、成果よりも過程を楽しむようになるのが、自然なのかもしれない。

3)あるがまま、なるがまま、気の向くまま
オマケの人生であることを実感したもう一つ事実は、「あるがまま、なるがまま、気の向くまま」を、本気で思うようになったことである。以前からその傾向はあったが、それが身についてきた気がする。悟ったようなことになるが、もう、オマケの人生を生きているのだと考える人は、そのような気持になるのではなかろうか?

孫は生まれたが、孫が大きくなるまで生きていたいとはまったく思わない。しようがないことはしようがない。なるがままである。これが最後の総括になるとしても、それはしかたのないことだ。


<2008.12.25.>

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