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戦慄的感動の演奏

2008.01.28. 掲載
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2008年1月23日、私たちは午後7時にベルリン・フィルハーモニーホールに入った。開演前に、ドイツ語による演奏会の解説があったが、ことばが分からないので、広い会場を散策した。 午後8時開演、コンサートマスターの安永徹氏のもとで音あわせが終り、小澤征爾氏とアンネ=ゾフィー・ムターが登場すると、会場は熱気につつまれてしまう。


L・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調

  アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  小澤征爾指揮

ベルリンフィルが演奏を始めると、美しいムターは、からだを静かにゆらせ、顔を傾け、オーケストラの音にじっと聴き入っている。それが自然で、眺めているだけでも気持が良い。ムターが弾き始めると、オーケストラはそれを慈しむように、静かに支える。小澤は、この二つの演奏から最高の音楽を紡ぎだして行く。

ヴァイオリンのピアニッシモの微かな音でさえも、それを引き立たせる、オーケストラと聴衆に感嘆する。ヴァイオリンとオーケストラ、指揮者の3者が、精魂込めて、美しい音楽を創り上げていこうとしているのが、はっきりと伝わってくる。素晴しい。

感動の極みに達する直前に、からだが自然と震えてくる。それが何度も続くのだ。これほどまでの感動を、これまで経験したことがなかったことに気づく。音楽が、これほど強烈な感動をもたらす力を持っているとは、恐ろしいほどだ。

カラヤンに育てられたムターが、小澤が、そしてベルリンフィルが、彼の生誕100周年記念コンサートで、師に対して最高のプレゼントを捧げようと、心を合わせ、持てる力一杯を発揮しているのが分かり、感動する。この場に存在できた幸せを、私たちはなんと感謝すれば良いのだろうか?

第1楽章の最初は「ミファソラシ^ドソ、ファミレミドレ」[MIDIによるメロディー]と、甘く優しいメロディーではじまり、最後の華やかなカデンツァの部分では、その技巧に呆然となるが、同じメロディーで、静かに終わっていく。この協奏曲で、いちばん長く華麗な楽章だ。第2楽章では、流れるようなヴァイオリンの独奏部分に対して、オーケストラは、ピッチカートだけで伴奏をするのが印象に残っている。それに続く第3楽章は、あの良く知っている「ド_ソドミソ、ド_ソドミソ、ファレ、ミド、レ_ラ_シドレ」[MIDIによるメロディー]で始まり、最後はフォルテッシモで感動的に終わる。

拍手が鳴り止まず、スタンディングオベーションが続く。ムターは5回舞台に姿を見せ、バッハの曲と思われる無伴奏ヴァイオリン曲をアンコール演奏した。心にしみいる良い曲であり、素晴しい演奏だった。

休憩:約30分


P.I.チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」

  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  小澤征爾指揮

こんどは交響曲であり、ベルリンフィルは思う存分に、しかし、節度を外すことなく、演奏した。興奮と感動の絶える間がない。この時も、感動の極みに達する直前から起きる震えを、止めることはできなかった。それはなぜか、常に殿部のあたりから始まるのだ。カラヤンが、「今夜の演奏は、私が指揮をしていた時よりも良い」とほめるであろう演奏だった。愛弟子たちは、精魂込めて師を称えようとしているかのように思えた。このような演奏を聴くことは、もう一生ないであろう。幸せだ。

高校生のころくりかえし聴いたことがあるこの曲を、今までとは違った視点で聴いていた。そして、このような曲だったのかと、この曲を新鮮に感じ、嬉しくなっていた。

第1楽章は、第2主題の美しいメロディーが、私にとって、この交響曲の魅力の大半であった。「^ミ^レ^ドラソミソ^ドラソ、^ミ^レ^ドソミドミラソ」[MIDIによるメロディー]。神秘的な、美しい情景に似つかわしい美しいメロディーに、素直に浸った。

第2楽章では、「ミファソラシ^ドラシ、ソラシ^ド^レ^ミ^ド^レ」[MIDIによるメロディー]の、楽しい軽快な5拍子のワルツになる。心弾むひと時である。

第3楽章では、「ド_ソ_ソド_ソ_ソドファ、ミレソドドド_ソド」[MIDIによるメロディー]と、行進曲風に凱旋将軍の気分になる。しかし、終楽章では、「ララソファミ、ミレ、ドドド_シ_ラ」[MIDIによるメロディー]と物悲しく、静かに、消えるようにメロディーは終わる。

人生には、こんなに美しい時もあった。こんなに楽しい時も経験した。勇壮、果敢に力の限りを出し切った時もあった。それらをどれも経験してきたが、今、その人生の幕が降りようとしている。限りなく寂しいが、それが生きとし生ける者のさだめ、従わなくてはならない。そういう意味が、この交響曲に込められているのではないかという考えが、演奏の途中から閃き、そのまま鑑賞を続けた。そのためか、この時に聴いた「悲愴」は、今まで聴いたどれよりも心の奥深く迫ってきた。

このような思いを抱いたのは、自分がオマケの人生に入ったことも関係しているかもしれないが、それ以上に、それを強く感じさせる演奏だったためだと確信している。ほんとうに感動的な素晴しい演奏だった。カラヤンの遺産は、この夜最高のかたちで花開いたのだった。そして、カラヤンの偉大さを改めて思った。

演奏が終り、今度もスタンディング・オベーションはくり返されたが、アンコール曲の演奏はなかった。小澤は、なんどもなんども、ベルリンフィルの各パートを巡り、感謝の気持を伝えていた。それを、また、各パートのメンバーが同じように応え、感謝を返していた。第1コンサートマスターの安永徹さんも、その一人だった。ともに、今夜の演奏を喜び、感謝しあっていた。その光景もまた、非常に感動的だった。


ベルリン・フィルハーモニーホール

ベルリン・フィルハーモニーの本拠地で、ポツダム広場近くにある。1963年に設立されたが、東西ドイツに分断されていた時代には、西ベルリンのこの周辺に、この建物以外は何もなかったという。45年を経た建物の外観は、今も超モダンで、ロビーは明るく、広く、合理的で感心した。


図1.ベルリン・フィルハーモニーホールの外観



図2.ベルリン・フィルハーモニーホールのロビー(開演1時間前)



図3.ベルリン・フィルハーモニーホールのロビー(開演1時間前)



図4.ベルリン・フィルハーモニーホールのロビー(開演30分前)


開演前にロビーにある売店で、1月15日に発売されたばかりの、カラヤンの未亡人エリエッテ・フォン・カラヤン自らが選んだお気に入りの演奏の収録されたCD2枚組を購入した。この夜、会場内でエリエッテ未亡人の姿を見かけたという。


図5.エリエッテ未亡人が選んだお気に入り演奏のCD「彼に寄り添った私の人生」


舞台は客席の中央にあり、舞台の背部にも座席がある360度座席である。これは18のブロックに仕切られていて、どの位置でも舞台を見ることできる構造になっている。


図6.18のブロックに仕切られた客席


私たち夫婦の席は、Aブロックの9列目で、21番22番という最中央の位置にあり、音響効果も良く、舞台も良く見える申し分のない位置だった。


図7.Aブロックの9列目で、21番22番という最中央の位置


すぐ背後の12列目に、NHKのTVカメラのメインが設置されていた。3月中旬にNHKから放映されるようなので、ナマの演奏と録画での演奏との違いが比べられることを楽しみにしている。


図8.プログラムと入場チケット



図9.ステージ正面



図10.ステージ左側



図11.ステージ右側



図12.音あわせ中のステージ正面、立っているのはコンサートマスターの安永徹氏


ベルリン・フィルハーモニーのメンバー

ベルリン・フィルハーモニーは世界のトップクラスのオーケストラである。首席指揮者として有名なのは、フルトヴェングラー、カラヤンで、現在はリヴァプール生まれのラトルが務めている。また日本人として、安永徹が1983年より第1コンサート・マスターに選ばれている。彼は福岡出身で1951年生まれ、25年以上もコンサート・マスターを続けている。

ムター

アンネ=ゾフィー・ムターは、1963年スイス生まれ。カラヤンに認められ、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を1979年と1984年にカラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニーとの共演で演奏している。

現地マスコミの反応

翌朝のラジオは、ベルリンフィルのハーモニーが甦ったと放送していると現地ガイドが教えてくれた。また、入手した新聞では、小澤、ムター、安永の写った写真を大きく掲げ、絶えることのない甘く美しい音色が、天国の長さで続いたと報じていた。


図13.FRANKFURTER ALLGEMEINE ZEITUNG という新聞に掲載されたコンサートの写真


「戦慄的感動の演奏」というタイトル

何ともオーバーな表現となったが、これには理由がある。今回の旅行では、海外でも日本国内と同じように電話の送受信ができるだけでなく、i-modeによるEメールの送受信と、Webサイトのupload、download が可能な905iというタイプの携帯電話に機種変更をした。これによって、私のブログ「エンジョイBOW」に、ウィーンやベルリンから旅行の記事を書いてきた。

ブログへのコメントは、日本国内と同じようにできるのだが、携帯で文章を書くことは慣れていないために、非常に時間がかかる。ベルリン・フィルの演奏の感動を携帯で書くことなど、とうていできなかった。そこで、最短の文章で感動を表現しようとして、戦慄的感動ということばを作ってしまった次第。

最後に、この感動のチャンスを与えてくださった小澤幹雄さんに、心からの感謝を捧げます。

(2008.1.28.)

旅行でご一緒だった東京のKO様が先日送って下さったコンサートの写真をご披露します。


図14.演奏終了後の小澤征爾氏とベルリンフィルのメンバー



図15.アンコールに応えてステージを降りるアンネ=ゾフィー・ムターさん



<2008.6.21.>追加

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