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喜寿になって知る父の影響

2013.10.03. 掲載
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目次
1.はじめに
2.影響を受けた父の書籍
3.影響を受けた父のレコード
4.影響を受けた父の美術書
5.影響を受けた父と観た映画
6.影響を受けた父のことば
7.まとめ


1.はじめに

1982年に父偕爾(ともじ)は71歳で亡くなった。歌と思い出に、父の思い出を書いている。それは今も変わらないが、今年に入って母のまとめを書いたように、父のまとめも残しておこうと思った。

母と言えば「歌」を連想するが、父の場合、それは「本」である。そのほか、「本」ほどではないが、SPレコードもよく買ってきた。

母の「歌」は「歌う」という能動的なものであったが、父の「本」は、「読む」という受動的なもので、本を書く、論文やエッセイを「書く」という能動的なものではなかった。

レコードを私は、BGMで聞き流すか、一緒にメロディーを歌ったり、リズムをとり、シンフォニーなどでは、時には指揮をしながら聴くことも多かったが、父は解説書を読みながら静かに鑑賞するタイプで、教養のための「本」「音楽」のように思えた。

小中学生のころから、この父の教養主義的生き方に反発することが多かったが、30歳を過ぎたころから、それも一つの生き方だと思うようになり、むしろ、この教養面での影響が大きいことを意識するようになった。

そこで、父のまとめを「父の影響」としたが、それを遺伝的影響ではなく、環境的影響に絞ることにした。遺伝的な影響は私が選んだものではないが、環境的影響には、私の選択もある程度は関わっている。自分が関わることができないことは仕方がないと諦め、仕方があることを行ない、これまで生きてきた。

父が作った環境の中で、私はどのような影響を受けたかを中心に、父のまとめを書いて置こうと思う。



2.影響を受けた父の書籍

小学校低学年のころ、私は「のらくろ」「冒険ダン吉」「タンクタンクロー」などを読みたかったが、父はその代りに「広介童話名作選」「坪田譲治童話集」「心に太陽を持て」「宮沢賢治名作選」などを買い与えた。面白くもないそれらをほとんど読まなかったためか、これらの本のあと、私に本を買ってくることはなくなった。

それでも「心に太陽を持て」に載っている「パナマ運河物語」や「唇に歌を持て」は今も心に残り、宮沢賢治の「注文の多い料理店」、「セロ弾きのゴーシュ」などを面白く思って何度か読み返したのを覚えている。

私が興味を持って読んだのは、買い与えられた本ではなく、所狭しと置かれていた父の書籍であった。心理学、哲学、社会学、文学が多かったように思う。小学校高学年になると、その中の、自分が興味のあるタイトルを、むさぼるように読んでいた記憶がある。

私は、自分に関係した記録を大事にする性癖があり、影響を受けた書物もできるだけ保存してきた。今、調べてみると、大学を卒業するころまでの影響を受けた書籍のほとんどが、父の書籍である。現在手許に残っている書籍には★印をつけた。また、このサイトに掲載した記事と関連があるものには、リンクを張っておいた。

青色太字がリンクで、その中で歌と思い出は、「歌と思い出」という記事の中の関連部分へのリンクを表している。


小学6年 1948年

横光利一「旅愁」、堀辰雄「美しい村」、堀辰雄「風立ちぬ」、ヘッセ「車輪の下」、デュマ「三銃士」、フローベール「ボヴァリー夫人」を読んだ。「車輪の下」「三銃士」「ボヴァリー夫人」に熱中した記憶がある。

中学1年〜中学3年 1949年〜1951年

ヘッセ「デミアン」1939年刊 歌と思い出
「哲学的文学」谷川徹三1946年刊
★ホール「ナンセン伝」1946年刊
★「フランクリン自伝」1949年刊
★ゲーテ「若きエルテルの悩み」1951年刊
★ヘイエルダール「コンティキ号漂流記」1951年刊
★岩波写真文庫13「心と顔」51年刊
★岩波現代叢書 ハヤカワ「思考と行動における言語」51年刊
★文庫クセジュ ヴィオー「知能」51年刊
★岩波現代叢書 ウェルトハイマー「生産的思考」52年刊
 ヘッセ「青春彷徨ペーター・カメンチント」
 谷崎潤一郎「陰翳礼賛」
 カミュ「異邦人」
 サルトル「壁」「嘔吐」

この年代で一番愛読し、権威を疑う拠りどころとしたのが「デミアン」であり、「ナンセン伝」や「コンティキ号漂流記」などの探検記に惹かれた。「心と顔」は、人の顔に興味を持つようになった原点であり、「思考と行動における言語」は、ことばと実体の関係について興味を持つきっかけとなった本である。「知能」と「生産的思考」は、考えるということを探る興味を与えてくれた。いずれも、私にとって大切な本であった。

「青春彷徨ペーター・カーメンチント」の主人公の回想を羨ましく思い、このような見方があるのかと「陰翳礼賛」を読んだことを思い出す。

高校1年〜高校3年 1952年〜1954年

★岩波新書 池田潔「自由と規律」1949年刊
★市民文庫笠信太郎「ものの見方について」1951年刊
★岩波新書 原光雄「化学入門」1953年刊
★岩波写真文庫108「京都案内 ー洛中ー 1954年刊
★文庫クセジュ ドベス「青年期」1954年刊
 ロマン・ローラン「ベートゥベン」
 ロマン・ローラン「ジャン・クリストフ」

イギリス人、ドイツ人、フランス人の思考と行動を、分かりやすくまとめた「ものの見方について」から、文章を書く基本を学んだと思っている。「化学入門」では、自然科学の方法論を学んだ。「京都案内」の簡潔で要を得た文章が好きで、これを書いた梅棹忠夫氏の著書に親しむきっかけとなった。自分の年齢に一致する「青年期」は、その時期の諸問題について学んだことが多かった。ただし、知ったことを逆手にとった行動をしたり、話すこともあり、それに対する大人の反応を見るのが愉快だった。

ロマン・ローランの著作は、どれもその熱情に圧倒された。長編の「ジャン・クリストフ」を読み切ったが、次にこのような経験をするのは、「人間の条件」までなかった。

大学教養時代1955年〜1956年

★岩波書店 九鬼周造「いきの構造」1930年刊
★岩波新書 稲村耕雄「色彩論」1955年刊

★岩波全書 村上 仁「異常心理学」1952年刊
★創元医学新書 西丸四方「異常性格の世界」1954年刊
★創元医学新書 加藤正明「ノイローゼ」1955年刊
★創元社 矢田部達郎「改訂心理学初歩」1956年刊
 この4冊については人のこころの面白さで取り上げている。

小学生のころから、書棚にある「いきの構造」のタイトルが不思議だった。「息」では可笑しいし、「いき」とは何なんだろう?と思っていたが、この年代で読んでみると「粋」であることが分かった。日本民族に特有の「いき」という概念を使って、哲学を説いていた。「善の研究」と違って、比較的平易に書かれていた。

このころから「色」に関心が強くなり、「色彩論」はその出発点となった。

「異常心理学」「異常性格の世界」「ノイローゼ」「改訂心理学初歩」によって、精神の病理のあらましを学んだ。

大学専門時代1957年〜1961年

★河出書房 フロイト「精神分析入門」1956年刊
★日本教文社 アドラー「現代人の心理構造」1957年刊
★岩波新書 宮城音弥「精神分析入門」59年刊
 この3冊も人のこころの面白さで取り上げている。

★中央公論社 「どくとるマンボウ航海記」1960年刊
★三笠新書 クローニン「人生の途上にて」1955年刊
★三笠新書 クローニン「続人生の途上にて」1955年刊
★荒地出版社 シンクレア・ルイス「アロウスミスの生涯」1958年刊
 新潮文庫 クローニン「城砦」1955年刊
 三一新書 五味川純平「人間の条件」1956〜1958年刊

この時代には、精神病理をより深く知りたくて、フロイトやアドラーの著作を熱心に読んだ。そのほか、現代心理学大系のような心理学を網羅した分冊書籍が父の書棚にあり、その中で、杉靖三郎氏が分担執筆した、セリエのストレス学説に強く興味を持った。当時、汎適応諸侯群と呼ばれていたが、ストレスに対する生体の非特異的反応のメカニズムの図解が印象に残っている。精神分析とストレス学説に対する関心は、この時代から始まった。

親の希望で、それまで志望してきた工学部を諦め、医学部を選んだのだが、シュバイツァーのような医者には、なりたくはなかった。周囲には、クローニンの「城砦」や「人生の途上にて」に書かれている医師、黒澤監督の映画「赤ひげ」を理想とする医学生もいたが、私は「アロウスミスの生涯」の主人公のような医師を望ましく思っていた。

「どくとるマンボウ航海記」は大のお気に入りで、愛読した。文体も好きで、あるいは、似ているところがあるかもしれない。



3.影響を受けた父のレコード

私が中学生になった1949年春、我が家に電蓄が入り、父はSPレコードを集めはじめた。この蒐集は高校2年の1953年に、電蓄をLP用に改造するまで続いた。

この頃から世間では、SPレコードはLPレコードやシングル・レコードに取って代わられ、我が家でも、SPレコードは幾つかのリンゴ箱に詰めて押し入れの奥に置き、最後は廃棄した。

廃棄にあたって、私はレコードに入っていた曲目解説のしおりの大部分を保存しておいた。敗戦後4〜8年の紙質は非常に悪く、どれもボロボロであった。それをコピーしたのち、原本を廃棄した。これによって、当時どのようなSPレコードを聴いていたかが分かる大事な資料となっている。

ただ、組み物になったオペラアリア集やディズニーの白雪姫サントラ盤などは、その表紙の裏などに、歌詞や解説が印刷されていて、これらはレコードごと捨ててしまったので、資料が残っていない。

SPに代わって、LPやEPなどのシングル盤の時代となったが、それらもCDに取って代わられた。そして、このマンションへ転居する際に、LPやEPなどはすべて廃棄した。

ここでも、「2.影響を受けた書籍」と同じように、関連した項目に青色太字でリンクを張っている。通常は、クラシック・データベース400曲歌のデータ・ベース1000曲の中の該当項目であるが、「歌と思い出」や「YouTube」にリンクを付けている曲もある。


中学1年(1949年)〜高校1年(1952年)に聴いたSPレコード

 ●交響曲

・シューベルト 交響曲「第8番」(未完成) ワルター指揮
 第一楽章 第二楽章

・ベートーベン 交響曲「第5番」(運命) トスカニーニ指揮 
 第一楽章 第二楽章 第三楽章 第四楽章

・ベートーベン 交響曲「第9番」 クーセヴィツキー指揮
 第一楽章 第二楽章 第三楽章 第四楽章


図1.ベートーベン 交響曲「第5番」と「第9番」の解説書

この三つの交響曲は本当によく聴いた。指揮をしながらレコードを聴くことも多かった。メロディーだけなら、暗譜で歌えるくらいだ。昨年、50年ぶりで第9を聴く機会があり、やはり感動したが、少ししんどいとも感じた。


 ●管弦楽曲

・オッフェンバッハ 管弦楽曲「ホフマン物語」ホフマンの舟歌 サロン管弦楽団演奏
・メンデルスゾーン 管弦楽曲「フィンガルの洞窟」 ボールト指揮
・ベルリオーズ 管弦楽曲「ハンガリー行進曲」 ブレツヒ指揮
・ヨハン・シュトラウス 管弦楽曲「ウインナの森の物語」 ワルター指揮
・リヒヤルト・シュトラウス 管弦楽曲「薔薇の騎士」 クライバー指揮
・ワーグナー 管弦楽曲「タンホイザー行進曲」 ブレツヒ指揮
・ワルドトイフェル 管弦楽曲「スケーターズ・ワルツ」 トスカニーニ指揮

 ●ピアノ曲

・シューマン ピアノ曲「トロイメライ」 安川加寿子演奏
・モーツアルト ピアノ曲「トルコ行進曲」 安川加寿子演奏

 ●ヴァイオリン曲

・サラサーテ ヴァイオリン曲「ツィゴイネルワイゼン」 ハイフェッツ演奏
・シューベルト ヴァイオリン曲「アヴェ・マリア」 ハイフェッツ演奏
・シューベルト ヴァイオリン曲「ロンド」 ハイフェッツ演奏

 ●ギター曲

・メンデルスゾーン ギター曲「カンツォネッタ」 セゴビア演奏
・バッハ ギター曲「遁走曲」 セゴビア演奏
・トロバ ギター曲「ファンダンギリョ」 セゴビア演奏
・トロバ ギター曲「夜想曲」 セゴビア演奏


管弦楽曲、ピアノ曲、ヴァイオリン曲、ギター曲もよく聴いた。こちらは肩がこらず、気楽に音楽を楽しむことができる。


 ●歌曲

・カプア 歌曲「マリア・マリ」 ヂーリ独唱  歌と思い出
・黒人霊歌 歌曲「誰かこの苦悩を」 マリアン・アンダースン独唱  歌と思い出
・黒人霊歌 歌曲「深い河」 マリアン・アンダースン独唱 歌と思い出
・シューベルト 歌曲集「冬の旅」 ヒッシュ独唱
  1.おやすみ
  2.風見の旗
  3.凍ゆる涙
  5.菩提樹
  6.あふるる涙
  7.川にありて
  9.鬼火
  11.春の夢
  13.郵便馬車
  15.からす
  20.道しるべ
  22.勇気
  23.幻の陽
  24.辻音楽師

・ューベルト 歌曲 ヒッシュ独唱「魔王」 歌と思い出
・シューベルト 歌曲「影法師」 ヒッシュ独唱
・シューベルト 歌曲「セレナーデ」 マルタ・エガルト独唱 歌と思い出
・デ・フクシェンツォ 歌曲「娘の願い」 ヂーリ独唱
・トスティ 歌曲「イデアーレ」 スキーパ独唱
・トスティ 歌曲「マレキアーレ」 スキーパ独唱
・トスティ 歌曲「可愛いくちもと」 スキーパ独唱
・ペルゴレーシ 歌曲「ニーナ」 スキーパ独唱
・メンデルスゾーン 歌曲「歌の翼に乗りて」 エリザベート・シューマン独唱
・ヨーゼフ・シュトラウス 歌曲「天体の音楽」 エリザベート・シューマン独唱
・バッハ 歌曲「甘き死よ、来たれ」 マリアン・アンダースン独唱
・フォスター 歌曲「懐かしきケンタッキーのわが家」 マリアン・アンダースン独唱
・ブランド 歌曲「懐かしのヴァージニアへ」 マリアン・アンダースン独唱
・ヘンデル 歌曲「シチリアーナ」 マリアン・アンダースン独唱

 ●歌劇アリア

・ヴェルディ 「リゴレット」女心の唄 ジーリ独唱
・ヴェルディ 歌劇「アイーダ」 浄きアイーダ マルティネッリ独唱 歌と思い出
・プッチーニ 歌劇「トスカ」
星は光りぬ ジーリ独唱 歌と思い出
・トーマ 歌劇「ミニヨン」君よ知るや南の国 ダシイ独唱 歌と思い出


歌曲やアリアを聴くときは、女声用の曲でなければ、私もレコードに合わせて一緒に歌うことが多かった。高2〜高3の悩み多い時期には、それは専ら「冬の旅」で、24曲のうちのここに載せた14曲だったと思う。これによって、あの苦悩の時期を乗り越えることができたと信じている。

それからも、時々発作的に大声を張り上げて歌うことがあるが、それは「浄きアイーダ」や「星は光りぬ」などのイタリアオペラのアリアであることが多い。


 ●歌劇二重唱

・ヴェルディー 「椿姫」乾杯の歌 カプシールとチェチル 二重唱 歌と思い出
・ヴェルディー 歌劇二重唱「椿姫」ああそは彼の人か カプシールとチェチル 二重唱
・オッフェンバッハ 歌劇二重唱「ホフマン物語」ホフマンの舟歌 ヴァランとシビィエ 二重唱

 ●歌劇合唱

・ウェーバー 歌劇合唱「魔弾の射手」猟師の合唱 ベルリン国立歌劇場合唱団合唱
・ヴェルディー 歌劇合唱「イル・トラヴァトーレ」アンヴィルコーラス スカラ座合唱団合唱
・グーノオ 歌劇合唱「ファウスト」兵士の合唱 スカラ座合唱団合唱
・ビゼー 歌劇合唱「カルメン」煙草工女の合唱 メトロポリタン歌劇場合唱団合唱
・ワーグナー 歌劇合唱「ローエングリーン」祝婚の合唱 ベルリン国立歌劇場合唱団合唱


 ●シャンソン

愛への讃歌 エディット・ピアフ 歌と思い出 YouTube
・パリの恋人たち エディット・ピアフ
枯葉 エディット・ピアフ 歌と思い出 YouTube
・街に唄が流れてた エディット・ピアフ
・古き日のパリ エディット・ピアフ
・すてきね エディット・ピアフ
・たそがれのボレロ リュシェンヌ・ドロイル YouTube
・ひめごと シュジイ・ソリドオル YouTube
・星を夢見て ティノ・ロッシ YouTube
・アニイ・アンナ シャルル・トレネ YouTube
・あなたの瞳に コレット・マルス YouTube
・マリイ ジョルジュ・ユルメ
パリの空の下 ジャン・プルトニエール
・パリの心 アンドレ・クラヴォ


図2.エトアール・ド・パリ(シャンソン・ド・パリ第4輯)解説書

シャンソンというジャンルの歌は、父のレコードで初めて知った。ここに載せた曲は、当時親しんだものである。英語、ドイツ語、イタリア語はなんとか真似ることもできたが、フランス語はまねるのが難しく、日本語の訳詩か英語、ドレミ、ラララなどで歌ってきた。

「愛の讃歌」は、岩谷時子の訳詞で歌ったが、歌は越路吹雪風ではなく、エディット・ピアフ風、「枯葉」は英語で歌う。

戦後、コロンビアレコードから、シャンソンを集めた「エトアール・ド・パリ」というSPレコード集が出版され、その解説書だけは手許に残っている。このSP盤を再生したシャンソンを、YouTubeで聴くことができる。60年前に聴いていた音が嬉しく懐かしい。

 ●タンゴ

ラ・クンパリシータ エディ・ドゥチン楽団
カミニト  エディ・ドゥチン楽団


タンゴというジャンルの音楽も、父のレコードで初めて知った。アルゼンチンタンゴのほかに、フォン・ゲッツィの演奏するコンチネンタル・タンゴが好きで、歩くときに口笛でタンゴを吹くことが多かった。タンゴはマーチよりもよほどハイカラで、足取り軽く歩けるのをよく楽しんだ。


 ●ポピュラー

ホワイト・クリスマス フランク・シナトラ  歌と思い出
ジングル・ベル フランク・シナトラ
・クルージング・ダウン・ザ・リヴァー フランキー・カール楽団
・ミズリー・ワルツ フランキー・カール楽団
黄色いリボン ジョニー・ワトソン・オーケストラ
駅馬車 ジョニー・ワトソン・オーケストラ 歌と思い出
老兵は死なず ヴィクター・オーケストラ 歌と思い出
・露営の歌 ヴィクター・オーケストラ 歌と思い出
いつか王子様が 白雪姫サウンドトラック  歌と思い出
・ハイ・ホー 白雪姫サウンドトラック
ワン・ソング 白雪姫サウンドトラック  歌と思い出

戦後進駐軍が持ち込んだ文化の中で、当時の若者のこころを一番とらえたのは、ポピュラー音楽だと思う。センチメンタル・ジャニーサム・サンデー・モーニングボタンとリボン、は中学1年 1949年に流行った。父のSPレコードにもポピュラー音楽はあるが、このようにごくわずかである。


音楽面での父の影響

この「父の影響」をまとめるまでは、音楽面での影響は、母からの方が大きいと感じていた。確かに、歌をうたうこと、歌曲やアリアなどを好むことなどは母の影響であるに違いない。しかし、クラシック音楽の基礎的な部分は、父の買ってきたSPレコードで身に着けたことがよく理解できた。

以前、一般によ知られているクラシック400曲のデータベースを作ったが、ここに載せた中学1年から高校1年までに愛聴したクラシック曲を数えてみると53曲あり、13%を占めている。多感な思春期に、毎日むさぼるように聴いてきたことが、私の音楽面で大きく影響していることがデータから裏付けられたと考える。

クラシックだけでなく、シャンソンやタンゴというジャンルの音楽も、父のレコードで初めて知ったことを考えると、書籍の影響よりもレコードの影響の方が大きいかもしれないと思ったりもする。



4.影響を受けた父の美術書

私が幼かった頃から、父の書棚にはB4版程度で幅約8cmの分厚いドイツ語の小百科事典があった。父はその中にあるデューラーの「4人の使徒」の絵を、なぜかよく私に見せるのだが、うすきみ悪く怖かった。その本には、ホルバインの木版画「死の舞踏」も載っていて、よけい怖かったのだろう。


図5.デューラー「4人の使徒」   ホルバイン「死の舞踏」                                                                            

デューラーというあまり知られていない画家の絵を知ったのは、この絵の影響である。父が亡くなったあと、父の蔵書のうち、「デューラーの画集」と堀田善衛の「ゴヤ」全4巻だけを私の書庫に収めた。

私が最初に影響を受けた美術書は、岩波書店 児島喜久雄,安井曾太郎,矢崎美盛編「少年美術館」全12巻50〜52年刊である。父が出版のたびに購入してきたのを覚えている。私は自分が影響を受けた書籍を、結婚して家を出るときに持ち出してきたが、これは大部だったせいか、家に残してきた。先日、弟と話をして、これは弟が持っていることを知った。


図6.岩波書店 少年美術館 全12巻

この美術書は、多感で悩み多かった中学生時代の私の大切な書籍で、もう一つは、先に、2.影響を受けた父の書籍に書いた「デミアン」である。この「少年美術館」は無性に手許に置いておきたく思ってきた美術書であるが、幸運にも、ほとんど無傷に近い状態でインターネットの通信販売によって入手することができた。

これを入手できたことがきっかけで、「私の美術歴」をまとめ、このサイトに掲載している。



5.影響を受けた父と観た映画

小学5年から中学1年くらいにかけて、父に連れられ幾つかの洋画を観た。そのうちで、戦前に作られ、リバイバル上映された「未完成交響楽」と「噫無情 レ・ミゼラブル」、戦後公開された「キューリー夫人」「ハムレット」などが心に残り、影響を受けたことを感じる。いずれもモノクロだった。このDVDをすべて持っている。

●未完成交響楽
シューベルトの音楽伝記である。シューベルトの曲は、「子守歌」「野薔薇」「菩提樹」などは知っていて、この映画にもその曲にまつわるエピソードが出てくる。しかし、この映画のテーマは、実らぬ恋を交響曲第8番「未完成」で表現し、「わが恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」とした。異性への恋心が芽生えはじめたころの私にふさわしい映画だった。

中学生になって、父のSPレコードで、この交響曲第8番「未完成」の流れるような美しい曲の虜となり、シューベルトは私の一番好きな作曲家となった。高校時代には、彼の歌曲集「冬の旅」によって、人生最大の苦悩の時を乗り越えることができた。

●噫無情 レ・ミゼラブル
この映画で、銀の食器を盗んだジャンバルジャンに、神父は更に燭台を与え、与うるは受くるよりも幸いなりと話すことばの字幕が、印象に残り、後々影響を受けた。

●キューリー夫人
私の最も尊敬する女性は、科学者、妻、母親、女、人として見事な生涯を過ごしたマダム・キューリーであるが、この映画を観た影響が大きいと思う。

●ハムレット
この映画には、いくつか心に残る場面があるが、その中で、ハムレットが父の亡霊と会い、そのことを不審に思う友人ホレーショに対して、ホレーショ君、この世の中には君の哲学では分らないことがあるんだよと語る字幕が印象に残っている。このことばも、後々まで影響を受けた。



6.影響を受けた父のことば

今から11年前の2002年に、自分の心に生きることばをまとめ、心に生きることばのタイトルで、このサイトに掲載している。そのフレーズは500篇近くあるが、7割近くが自作で、身内のことばは10篇ばかり。その中に、父のことばが2篇ある。

小さく固まらない方が良い、回り道も必要

高校2年の夏のこと、家へ遊びに来た友人のN君が、人生設計や将来像についてはっきりした意見を話した。それを聞いて、母は非常に感心し、そのことを父に話した。

それに対して、父は、「小さく固まらない方が良い、回り道も必要」と言って、明確な将来像を持っていない私の方を評価してくれた。このことばは、以来、私のこころの中で生きており、そのように自分も思ってきた。

ホモ・ファーベルとホモ・サピエンス

これは、ものを作るのが好きな私に対して、それが嫌いで、できない父が、ホモ・ファーベル(工作人)はホモ・サピエンス(知性人)に劣ると、よく説教をしてくれた言葉である。しかし、私は全くこれを無視してきたし、今でも工作人であることを続けている。

ホモ・ファーベルがホモ・サピエンスに劣るなどとは、このことばの提唱者であるベルグソンは、どこにも書いていないのだが、父は私の知らないことばを使って、物づくりを止めさせたかったのだろうと思っている。

人間の定義として、このホモ・サピエンス(知性人)というのは、リンネが人間という種に対して学名として名付けたもの、ホモ・フアーベル(工作人)は、ベルグソンが作ったことばである。もう一つの人間の定義として、ホイジンガの名付けた、ホモ・ルーデンス(遊戯人)がある。

これらは対立したり、上下関係のある概念ではなく、並立するものである。私の場合は、ホモ・フアーベルの要素は大きいが、父はこれが非常に小さいと言えるだろう。

それにしても、小学生の私に対して、このようなことを言う父を面白いと思う。お蔭で人間理解の三つのツールを手に入れることができた。



7.まとめ

遺伝的影響ではなく、父が作った環境から、私はどのような影響を受けたかという観点で、父のまとめを行った。

調べてみると、それは非常に大きく、そのような環境で、少年期から青年前期を過ごすことができた幸運に感謝する。

この父が作った環境は、家族ではなく、自分のためだったと考えてほぼ間違いあるまい。少年美術館は、こどものことも少しは頭にあったかもしれないが、それでも自分が知りたかったからだろう。

しかし、私や弟が勝手にその環境を利用するのは自由で、父の書籍を子どもたちが無断で自分の本箱に移動させることもまったく自由だった。

遺伝的に、父の影響を全く受けていないのは工作好きなところ、逆に非常に影響を受けているのは、他人の目を気にせず行動することかもしれない。したいことがあって、それをいつまでも続けようとするのも、遺伝的影響ではないかと思う。他人の生き方に干渉しないのも、遺伝的影響が大きいのだろう。


<2013.10.3.>

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