ホーム > サイトマップ > 音楽 > 音楽エッセ > リスト編曲ベートーベン第9交響曲


リスト編曲ベートーベン第9交響曲

2012.02.08. 掲載
このページの最後へ

目次
はじめに
オリジナルとピアノ編曲との比較
50年ぶりに聴いた第9の感想
ピアニストから知る人間の素晴らしさ
まとめ


はじめに

知人から、リスト編曲によるベートーベン第9交響曲ピアノ版のCDをいただき、第9にピアノ版があること、しかも、その編曲がリストであることを知った。リストも好きな作曲家の一人だ。以前ハンガリーのブダペストに旅行したとき、彼の銅像の大きな手に触れたことを思い出す。超絶技巧のピアニストでもあった彼が、この大曲をどのように編曲するのか、その作品とオリジナルとではどのような違いがあるのか、興味津々だった。

私がクラシックを聴いていたのは中学高校のときが主で、第9は中学2〜3年のころ、毎日のように聴いていた記憶がある。レコードは日本ビクターのSP盤で、指揮:クーセヴィツキー、演奏:ボストン交響楽団、合唱指揮:ロバート・ショウの8枚16面だった。第9を全部聴くには、16回レコードを入れ替え、針を盤面に下ろさなければならなかった。SPレコードはとっくに廃棄したが、その解説書は保管してあったので、このようなデータを記すことができる。

私が一番好きなクラシックの作曲家はシューベルトで、一番尊敬するのはベートーベンだった。高校1年の時に、私の尊敬する人 ベートゥベンという作文を書いている。 その一部を転記すると、

彼があの第九交響曲を作ったのは晩年、彼の甥が不良化し、遂には自殺までしかけた苦悩の時、耳がまったく駄目になるという不幸の連続の中に於いてであった。なんと偉大な人、超人と言うより他はない。そして、彼のほとんどの作品が、耳が悪くなってから書かれたものであるとは。

生涯喜びを拒絶された彼は、自ら歓喜を創造しなければならなかった。苦悩を通じての歓喜を。 管弦楽と合唱が声を限りに歓喜を奏す。熱狂せる歓喜の歌を聴く者は、非常なる感動を覚え、明日への希望を新にする。

中学高校時代からあとは、クラシック雑感に書いたように、クラシックを聴くことはほとんどなくなった。第9をじっくり聴くのはおそらく50年ぶりではなかろうか。


オリジナルとピアノ編曲との比較

オリジナルとピアノ編曲との比較と言っても、演奏楽器の種類と数の違いがある上に、オリジナルには肉声が加わるのだから、単純に比較することは意味がない。それを承知で、素人にとってオリジナルよりも優れているところ、オリジナルとは違うが、雰囲気がよく似ているところ、ピアノでは代替え表現ができないところに分けてまとめてみた。

演奏する者の技量の違いがあれば、比較にならないのは当然である。そこで、オリジナルとしては私の記憶に残っているクーセヴィツキー指揮のもの(図1)とカラヤン指揮のCD(図2)、ピアノ演奏は若林顕のCD(図3)を対象とした。


図1.クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団演奏、ベートーヴェン交響曲第9番 レコード解説書


図2.カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団演奏、ベートーヴェン交響曲第9番 CD


図3.若林顕演奏、リスト編曲、ベートーヴェン交響曲第9番 CD

ピアノ編曲の方が優れているところ

・全体を通して、音がきれいで聴きやすい。

・主旋律と伴奏〜伴奏的旋律の構成がより分かりやすい。

・二重フーガの二つの独立した旋律が管弦楽よりも分かりやすい

これらの長所を生かし、オリジナルを聴いたあとでピアノ編曲を聴くと、オリジナルがより理解しやすくなるのではないかと思える。

ピアノ編曲がオリジナルと雰囲気の似ているところ

・第1楽章、第2楽章は雰囲気がオリジナルとよく似ていて、違和感はまったくなかった。
 これらの楽章はテンポが速く、減衰音系楽器でも問題はないからであろう。

・第4楽章は、以下に述べるピアノでは代替え表現が無理なところに挙げた部分を除けば、
 雰囲気は損なわれていない。

ピアノ編曲では代替え表現が無理なところ

第3楽章にはスローな美しい旋律が多い。特に第2主題の「ミー、ミレレー、レミファレ、ファーミー、ミファソミ、ソーファー」などは、天上の音楽のような優雅な美しさがある。この旋律をピアノで代替えするのには無理がある。

これらのスローな旋律は、弦や管楽器などの持続音系楽器が演奏するから美しいのである。持続音系楽器は、音の持続だけではなく、音量も途中で変えることができるほか、音質でさえいくらかは変えることができる。それに対して、ピアノのような減衰音系楽器では、これらは根本的に不可能だからである。

第4楽章では、人間の声で歌われる部分、その中でも4重唱の部分とテンポの遅い男声2部合唱の部分などはピアノでの代替えは無理のようだ。

4重唱はテンポが早く、4つの声部を独立させて演奏することが技術的に難しいようだ。また、男声2部合唱の部分はスローテンポで、宗教的な雰囲気が濃厚だが、減衰音系楽器のピアノでは荘厳さが失われてしまう。


50年ぶりに聴いた第9の感想

これまでも、TVなどでベートーべンの第9を流し聞きしたことはあったかもしれないが、じっくり聴いたのは、50年ぶりだと思う。オリジナルとピアノ編曲をCDで何回か比較しながら聴いてみた。その感想をひとことで言うと、やはりこれはすごい曲である。どの楽章も素晴らしいが、圧巻は第4楽章だ。交響曲の最終楽章に人声を加え、それを管弦楽と融合させ、さらに昇華させた。壮大な建造物を思わせる構成、構築力が素晴らしい。いつまでも努力を続けるベートーベンの真摯な人柄が満ちあふれている。

若いころにこの曲を聴いて感動したし、今もそうだが、どこか、しんどいと感じるのも本当だ。多感な思春期にこの曲をむさぼるように聴いていた。それでも、ドリス・デイのセンチメンタル・ジャーニー、ナット・キング・コールのモナリサやトゥー・ヤングなどの歌の虜にもなっていた。そして、中学高校を過ぎたころから、クラシックを聴くことが非常に少なくなった。

それでも、50年前にこの曲に熱中したことは良かったのだろうと思っている。私の生き方に、わずかかもしれないが、影響はあった気がするからだ。人類にはこのような偉大な人がいたことを知るのは嬉しい。


ピアニストから知る人間の素晴らしさ

超絶技巧のピアニストでもあったリストが編曲したこの第9を、若林顕氏は驚嘆する素晴らしい演奏で応えた。技巧が優れているだけでなく、音楽性が極めて高度であった。いくつもの難しい旋律を、同時に、自然に演奏できるとは、信じられない思いである。しかし、現実にはそれが可能なピアニストが居るのだ。なんと人間は素晴らしい潜在能力を持っていることかと感動してしまう。

不器用な私は、同時に複数の作業をすることができない。それで、私は聖徳太子ではないと良く言ってきた。聖徳太子は、10人の話を聞き分けたとされている。若林顕氏のようなプロのピアニスト、オーケストラの指揮者、同時通訳者などを考えると、それもあながち誇張ではないかもしれないと思える。



まとめ

1.思いがけないことから、リスト編曲のベートーベン第9交響曲のピアノ版を知り、それを鑑賞した。ピアノの名手でもあった彼のリストが編曲したものを、弾きこなすピアニストが演奏した場合、素晴らしい音楽となることを実感した。

2.リスト編曲の第9の演奏を、オリジナルな第9の演奏と比べてみると、リスト編曲の方がオリジナルよりも、ある面で優れているところがある。それは、音が澄み切って美しく、オリジナルの曲の構成がよく理解でき、第9のエッセンスを味わうことができるからだ。

3.減衰音系楽器であるピアノの特性から、オリジナルの代替えができない部分があるのも確かである。

4.1台のピアノによる演奏と、管弦楽と人声が融合したオリジナルを比較すること自体が間違っている。これは別の音楽の創造と考えるべきだろう。

5.十代のころ、この第9にも熱中したことがあった。今回この曲を聴く機会があり、長いブランクがあるにも関わらず、大部分を覚えていた。声に出し、手を振り、あのころと同じようにして聴いている。

5年前に機会があって、50年ぶりにコーラスを始め、今も続けている。3日前にそのコンサートを終えたばかりだ。

最近は、これも機会があって、63年ぶりにハーモニカを吹き始めてみたが、昔と同様に吹くことができる。このように、若い頃に熱中したものは、身体が覚えていることを立て続けに経験した。


<2012.2.8.>

ホーム > サイトマップ > 音楽 > 音楽エッセ > リスト編曲ベートーベン第9交響曲   このページのトップへ