第1節 キリストはなぜ男性として誕生したか
一九一九年三月二十一日 金曜日
貴殿に興味のありそうな話題は多々あるのですが、話が冗漫(ジョウマン)になるといけませんので割愛させていただき、兄弟(ケイテイ)かきにせめぐ今日の危機(第一次大戦一九一四 ~ 一八──訳者)に至らしめた大きな原因について述べようと思います。
それはつまるところ、霊的なそしてよりダイナミックな活動をさしおいて、外面的な物的側面を高揚する傾向であったと言えます。
その傾向が西洋人の生活のあらゆる側面に浸透し、それがいつしか東洋人の思想や行動意志まで色濃く染めはじめました。それは実際面にも表れるようになり、一般社会はもとより政治社会、さらには宗教界にも表れ、ついには芸術界すらその影響から逃れられなくなりました。
すでにお話した物質と形態へ向けて〝外部へ、下方へ〟と進んできた宇宙(コスモス)の進化のコースを考えあわせていただければ、そのことは別段不思議とは思えないでしょう。
顕現としてのキリストについてもすでに述べました。私はこう述べました──いかなる惑星に誕生しようと、言いかえれば、地上への降誕と同じ意味でいかなる形態に宿ろうと、キリストはその使命を託された惑星の住民固有の形態を具えた、と。
そのことは降誕する土地についても言えますが、同時に降誕する時代についても言えます。
ではこれより私は、ガリラヤのイエスとしての前回の地上への降誕について述べてみます。
人間は次の事実すなわち、少なくとも吾々が知るかぎり、神性において性の区別はないこと、男性も女性もないこと、なのにイエスは、いつの時代においても、かのガリラヤにおいても、男性として降誕したという事実のもつ重要性を見落としております。私はこれよりその謎について説明してみます。
これまでの全宇宙の進化は〝自己主張〟すなわち形体をもって自己を顕現する方向へ向かってまいりました。絶対的精髄である霊は、本来、人間が理解している意味での形体はありません。悠久の(形態上の)進化もようやく最終的段階を迎えておりますが、その間のリーダーシップを握ったのは男性であり、女性ではありませんでした。
それには必然性があったのです。自己主張は本来男性的な傾向であり、女性的ではないからです。男性は個性を主張し、その中に自分の選んだ女性を組み入れて行こうとします。
その女性を他の女性から隔絶して保護し、育(ハグク)み、我がものとしていきます。我が意志が彼女の意志──つまり女性は自分の意志のすべてを男性の意志に従わせます。
その際、男性の性格の洗練度が高いか低いかによって女性に対する自己主張の仕方に優しさと愛が多くもなり少なくもなります。しかし、その洗練というものは男性的理想ではなく女性的理想へ向かうものです。この点をよく注意してください。大切な意味があるのです。
そこで地球について言えば──このたびは他の天体のことには言及しません──悠久の進化の過程において、身体的にも知性的にも力による支配の原理が表現されてきました。
この二元的な力の表現が政治、科学、社会その他あらゆる分野での進歩の推進的要素となってきました。
それが現代に至るまでの地上生活の主導的原理でした。人類の旗には〝男性こそリーダー〟の紋章が描かれておりました。キリストが女性としてでなく男性として地上へ誕生したのはそのためでした。
しかし、男性支配の時代はやっとそのクライマックスを過ぎたばかりです。と言うよりは、今まさにそれを越えつつあります。そのクライマックスが外部へ向けて表現されたのが前回の大戦でした。
──その大戦のことはすでに多くを語っていただいております。これからまたその話をなさるのではないでしょうね。
多くは語るつもりはありません。しかし私がその惨事について黙することは、その大戦で頂点を迎えた、人類の進化に集約される数々の重大な軌跡を語らずに終わることになります。その軌跡が大戦という形で発現したのは当然の成り行きであり不可避のことだったのです。
冷静に見つめれば、自己主張の原理の良い面は男性的生活態度が創造主の面影をほうふつとさせることですが、それは反面において自分一人の独占・吸収という野蛮な側面ともなりかねないことが分かるでしょう。
洗練された性格の男性は女性に対して敬意を抱きますが、野獣的男性は女性に対して優位のみを主張します。同じ意味で、洗練された国家は他の国家に対して有益な存在であることを志向し、相手が弱小国家であれば力を貸そうとするものです。が、
野蛮な国家はそうは考えず、弱小国を隷属させ自国へ吸収してしまおうとする態度に出ます。
しかし、程度が高いにせよ低いにせよ、その行為はあくまでも男性的であり、その違いは性質一つにかかっております。善性が強ければ与えようとし、邪性が強ければ奪おうとします。が、与えることも奪うことも男性的性向のしからしむるところであり、女性的性向ではありません。
与えることは男性においては美徳とされますが、女性においては至極(シゴク)あたりまえのことです。男性は功徳を積むことになりますが、女性はもともとその性向を女性本能の構成要素の中に含んでおります。
キリストはこの自己主張の原理をみずから体現してみせました。それが人類救済の主導的原理だったのです。男性としてキリストも要求すべきものは要求し、我がものとすべきものは我がものとしました。これは女性のすることではありません。が、
徹底的のその原理を主張してしまうと、こんどは男性の義務として、すべてを放棄しすべてを与えました。が、
その時のキリストは男性としての理想に従っているのではなく女性としての理想に従っているのです。しかも女性としての理想に従っていながら、いっそう完全なる男性でもあるのです。
このパラドックスはいずれ根拠を明らかにしますが、まずはイエス・キリストの言葉を二、三引用し、キリストが身体的には男性でありながら、男性と女性の双方の要素が連帯して発揮されている、完全なる神性の顕現であることをお示ししましょう。
「人、その友のために己れを棄つる、これに優る愛はなし」(ヨハネ15・13)確かにそうですが、それは男性的な愛です。それよりさらに大なる愛が存在します。
それは敵のために己れの生命を棄てることです。自分を虐待する男になおもしがみつこうとする女性の姿を見ていて私は、そこに女性特有の(友のために捧げる愛よりも偉大な)憎き相手に捧げる愛を見るのです。
イエスは自分を虐待する者たちのために自分の生命(イノチ)を棄てました。私にはそれはイエスの本性に宿る男性的要素でなく女性的要素が誘発したように思えるのです。
また、なぜ「奪うよりは与える方が幸福」(使徒行伝20・35)なのか。男性にとってはこの言葉は観念的にも実際的にも理解が困難ですが、女性にとっては容易にそして自然に理解がいきます。
男性はそれが真実であることに同意はしても、なお奪い続けようとするものです。女性は与えるという行為の中によろこびを求めます。
受けたものを何倍にもして返さないと気が済まないのです。このことを考え合わせれば、今だに論争が続いている例の奇蹟に敬虔の念を覚えられることでしょう。つまり、わずかなパンを何十倍にも増やして飢えをしのがせた行為も同じ女性的愛から発していたのです。
しかしこの問題はこれ以上深入りしないでおきましょう。
私が言いたかったことをまとめると次のようなことになります。つまりこれまでの地上世界はすべての面において英雄的行為が求められる段階にあったということ。
従って〝雄々しい力〟という言葉が誰の耳にも自然な響きをもって聞こえ、〝女々しい力〟という言い方から受ける妙な響きはありません。
しかし男性は神威の一つの側面──片面にすぎないのです。その側面がこれまでの永い地上の歴史の中で存分に発揮されてきました。が、
これより人類が十全な体験を積むためには、もう一方の側面を発揮しなければなりません。これまでは男性が先頭に立って引っぱってきました。そしてそれなりの所産を手にしました。これからの未来にはそれとは異質の、もっと愉しい資質が用意されております。
第2節 男性支配型から女性主導型へ
一九一九年三月二十四日 月曜日
吾々から送られるものをそのまま書き記し、疑問に思えることがあってもいちいち質問しないでいただきたい。全部を書き終わってから読み直し、全体として判断し、部分的な詮索はしないでいただきたい。
このようなことを今になって改めて申し上げるのも、吾々が用意している通信は多くの人々にとって承服しかねるものであろうと思われるからです。ですが、とにかく書き留めていただきたい。
吾々も語るべきことは語らねばなりません。それをこれより簡略に述べてみましょう。
キリストがガリラヤのイエスとして地上に降誕するまでの人類の進化は、知性においても力においても、男性の〝右腕〟による支配の線をたどっておりました。
それが人類進化における男性的要素でした。他にもさまざまな要素があったにしても、それは本流に対する支流のようなもので、進化の一般的潮流にとっては大して意味はありません。私はこれよりそうした細かいことは脇へ置いて、本流について語ります。
イエスは地上に降り、人間社会の大混乱を鎮静させるためのオイルを注がれました。聞く耳をもつ者に、最後の勝利は腕力にせよ知力にせよ強き者の頭上に輝くのではなく、〝柔和(ニュウワ)なる者が大地を受け継ぐ〟(詩篇37・11)と説きました。
受け継ぐのです。奪うのではありません。お分かりでしょう。イエスは人類の未来のことを語っていたのです。
この言葉を耳にした者は実際的であると同時に美しくかく真実であることを認めました。そして以来二千年近くにわたって両者を融合させようと努力してまいりました。
すなわち支配力に柔和さを継ぎ木しようとし、国内問題、国際問題、社会問題その他あらゆる面で両者をミックスさせようとしたのです。が両者は今なお融合するに至っておりません。そこである者はキリスト教は公共問題においては無能であると言います。
その結論は間違っております。キリストの教えは地上の人生において唯一永続性のある不変の真理です。
人間は暴力と威圧による支配が誤りであったことを認識しました。が、それを改めるためにこれまでに行ってきたことは、その誤った要素はそのまま留めておいて、それを柔和さという穏やかな要素によって柔らげることでした。
つまり一方では男性が相変わらずその支配的立場を維持しつつ、他方では女性的要素である柔和さによってその支配に柔らかさを加味しようと努力したのです。
結果は失敗でした。あとは貴殿にも推察がつくでしょう。唯一残されたコースはその誤った要素を棄て、女性的要素である柔和さを地上生活における第一位の要素としていくことです。
地球の過去は男性の過去でした。地球の未来は女性の未来です。
女性は今、自分たちの性の保護のための何か新しいものの出現を期待する概念が体内から突き上げてくるのを感じております。それは感心しません。
ひとりよがりの考えであり、従ってそうあってはならないことだからです。かの昔、一人の女性が救世主を生みましたが、それは女性の救世主としてではなく全人類の救世主として誕生しました。現在の女性の陣痛から生まれるものも同じものとなるでしょう。
何か新しいものを求める気持の突き上げを感じて女性は子孫への準備に取りかかりました。男児のための衣服を作りはじめております。私は今〝男児〟と言いました。
女性が作りつつある衣服はやはり男性のためのものなのです。そのための布を求めに女性は、男性だけが売買をしている市場へ行って物々交換を申し出ました。
〝私たち女性にだって男性の仕事はできます〟と言います。そのとき女性は自分が新しいブドウ酒を古い皮袋に入れているにすぎないことに気づいていません。いけません。女性が男性の立場に立つことをしては両者とも滅びます。
女性は男性がこれまでに学ばされてきた苦い体験から女性としての教訓を学び取らなくてはいけません。男性はどこに挫折の原因があったかを学びました。
ではどうすべきかが分からぬまま迷っております。片方の手で過去をしっかりと握り、もう一方の手を未来に向けて差し出しています。が、その手にはいまだに何も握られていません。過去を握りしめている手を放さないかぎり空をつかむばかりでしょう。
女性は今、かつての男性がたどったのと同じ道をたどろうとしています。男性と対等に事を牛耳ろうとしています。しかし女性の未来はその方向にあるのではありません。
女性が人類を支配することにはなりません。単独ではもとより、男性と対等の立場でも支配することにもなりません。これからは女性が主導(リード)する時代です。支配するのではありません。
前にも述べた通り、これまでの地球の進化は物的なものへ向けての下降線をたどって来ました。そこでは男性が先頭に立ち、荒々しい闘争のために必要な甲冑がよく似合いました。が、
その下降線も折り返し点に到達し、今まさにそこを後にして霊的発達へ向けて上昇を開始したところです。霊の世界には人間が考え出した(神学の)ような、ややこしい戒律(キマリ)による規制はありません。あるのはただ愛による導きのみです。
地上にも、優位の立場からの支配は女性の性(サガ)に不向きであることを悟った暁に女性が誘導(ガイダンス)によってリードしていく場があります。
しかし、その女性主導の未来がどういうものであるかは、いかなる形にせよ説明するのはとても困難です。と言うのも、これまでのそうした主導権の概念は支配する者と支配される者、抑える者と従わされる者、といった二者の対立関係を含んでおりますが、これからの主導権にはそうした対立関係は含まれていないからです。
この〝主導〟という用語からしてすでに一方が先を行き他方がその後に付いていくという感じ、一種の強制観念をもっています。これからの人類を待ちうけていると私が言っている主導はそれとは異なるものです。
次のように説明すればどうでしょうか。それはイエス・キリストにおいて明白に体現されております。男性としての美質が一かけらの不快さも醜さも伴わずに体現されていると同時に、女性としての優しさが一かけらの弱々しさも伴わずに融合されております。
未来は両者が、すなわち男性と女性とが、いかに完璧に一方が他方を吸収した形であっても、二つの性としてではなく、一つの性の二つの側面という形をとることになります。
力の支配するところでは〝オレが先だ。お前はあとに付いてこい〟ということになります。愛の支配するところでは言葉は不要です。以心伝心で〝最愛なる者よ、ともに歩もう〟ということになります。
私の言わんとすることがこれでお分かりと思います。
──分かります。ただ、今日までの慣習に親しんできている者にとっては、一方が(優しく)手引きし他方が(素直に)付いて行くようでなければ進歩が得られないというのは、いささか理解が困難です。
おっしゃる通りです。今の言いまわしにも苦心のあとがうかがえます。いま貴殿は地上でいう組織や整然とした規制、軍隊や大企業における上下の関係を思わせる語句を使用しておられます。
もちろん天界においても整然たる序列が存在します。しかしそれは権力の大小ではなく、あらゆる力の背後に控えるもの──愛がそうあらしめるのです。
実際においてそれが何を意味するかを次の事実から微(カス)かにでも心に描いてみてください。比喩的な意味ではなく実際の事実として、地上でいうところの高い者と低い者、偉大な者と劣等なる者は存在しません。
地上から来たばかりの霊と天使との間にもかならず共通した潜在的要素が存在します。
その意味で、若い霊も潜在的には天使と同じであるのみならず、さらに上の大天使、力天使、能天使とも同じであると言えるのです。
(訳者注──ここではオーエンがキリスト教の牧師であることから神学における天使の分類用語を使用しているまでのことで、実際にそういう名称で呼ばれているわけではない。要するに造化の仕事に直接たずさわっている高級霊と考えればよい)
さらに、たとえば天使と父との関係について言えば、地上的な観点からすれば当然天使の方が小さい存在ですが、天界全体として考えた時、両者の関係は一つの荘厳なる実在すなわち絶対神の中に吸収されてしまいます。
そこにおいては天使も絶対神と一体となります。〝より大きい〟も〝より小さい〟もありません。それは外部にまとう衣服については言えましょう。
宝石のわく飾りのようなものです。が、内奥の至聖所ではその差別はありません。
そのことはキリストの顕現の度に思い知らされることです。すなわちキリストはたしかに王であり吾々はその従臣です。しかしキリストはその王国全体と一体であり、その意味において従臣もその王の座を共有していることになるのです。
キリストが命を下し、指揮し、吾々はその命に服し、指揮に従います。が、命じられたからそうするのではなく、キリストを敬慕するからであり、キリストもまた吾々を敬愛なさるからです。お分かりでしょうか。
ともかく、こうした天上的な洞察力の光をいくばくかでも人類の未来へ向けて照射していただきたい。きっとそこに、こうして貴殿に語りかけている吾々に啓示されているものを垣間みることができるでしょう。
また次のことも銘記してください。理性というものは男性的資質に属し、したがって私のいう未来を垣間みる手段としては不適当であることです。
直感は女性的資質に属し、人間の携帯用望遠鏡のレンズとしては理性より上質です。
思うに女性がその直感力をもって未来をどう読まれるにしても、理性的に得心がいかないと満足しない男性よりは、私が言わんとすることを素直に理解してくださるでしょう。女性は知的理解をしつこく求めようとしません。理屈にこだわらないのです。
あまりその必要性がないとも言えます。直感力が具わっているからです。それで十分間に合いますし、これより先は女性と男性の双方にとってそれがさらに有益となっていくことでしょう。
──例によって寓話をお願いしたいですね。
ある金細工人が王妃の腕輪(ブレスレット)に付ける宝石としてルビーとエメラルドのどちらにしようかと思案しました。彼は迷いました。ルビーは王様がお好みであり、エメラルドは王妃がお好みだったからです。
思案にあまった彼は妻を呼んで、どう思うかと聞いてみました。すると妻は〝あたしだったらダイヤにする〟と答えました。
〝なぜだ。ダイヤはどっちの色でもないぞ〟と聞くと、〝お持ちになってみられてはいかが?〟と答えます。彼は言われた通りに持参してみることにしました。
恐るおそる宮殿を訪れてまず王様にお見せしたところ、〝でかしたぞ。このダイヤはなかなかの透明度をしている。ルビーの輝きがあふれんばかりじゃ。さっそく妃(キサキ)のところへ持っていって見せてやってくれ〟と言います。
そこで王妃のところへ持っていくと王妃もことのほか喜ばれ、〝なかなか宝石に目が高いのお。このダイヤはエメラルドの輝きをしている。さっそくそれでブレスレットを仕上げておくれでないか〟とおっしゃいます。
わけが分からないまま帰ってきた金細工人は妻になぜ王妃はこのダイヤが気に入られたのだろうかと聞いてみました。
すると妻は〝お二人はどんなご様子だったのですか〟と尋ねます。〝お二人とも大そうお気に召されたんだ。王様はなかなか上質でルビー色をしているとおっしゃり、王妃もなかなか上質でエメラルド色をしているとおっしゃった〟と彼は言いました。
すると妻は答えました。〝でもお二人のおっしゃる通りですよ。ルビー色もエメラルド色も、砕いてみれば何もない無色の中から出ているのであり、ほかにも数多くの色が混ざり合っているのです。
愛はその底にすべての徳を融合させて含んでおり、一つ一つの徳が愛の光線の一条(ヒトスジ)なのです。王様も王妃もその透明な輝きの中にお好みの色をごらんになられたのです。
お二人が違う色をごらんになったからといって別に不思議に思われることはありません。お互いの好みの色はその結晶体の中で融合し、自他の区別をなくして本来の輝きの中に埋没してしまっているのです。それはお二人が深く愛し合う仲だからですよ〟
第3節 崇高なる法悦の境地
一九一九年三年二十五日 火曜日
さて、未来へ向けて矢が放たれたところで一旦出発点へ戻り、これまでお伝えしたメッセージを少しばかり手直しをしておきましょう。私が述べたのは人類の発達途上における目立った特徴を拾いながら大ざっぱな線について語ったまでです。
しかし人類が今入りかけた機構は単純ではなく複雑をきわめております。次元の異なる界がいくつも浸透し合っているように、いくつもの発展の流れが合流して人類進化の大河をなしているのです。
私がこれからは男性支配が女性の柔和さにその場をゆずると言っても、男性支配という要素が完全に消滅するという意味ではありません。そういうことは有り得ません。
人類の物的形態へ向けての進化には創造主が意図した目的があるのであり、その目的は、成就されればすぐに廃棄されてしまう程度のものではありません。ようやく最終段階を迎えつつある進化の現段階は、男性の霊的資質を高める上で不可欠だったのです。
ですから、その段階で身につけた支配性は、未来の高揚のために今形成しつつある新しい資質の中に融合されていくことでしょう。
ダイヤからルビーの光が除去されることはありません。もしそうなればダイヤの燦然たる美しさが失われます。そうではなく、将来そのダイヤが新たな角度から光を当てられた時に、その輝きがこれまでよりは抑えられたものになるということです。
かくしてこれからのある一定期間は、そのまたたきが最も顕著となるのはこれまでのルビーではなくエメラルドとなることでしょう。
(訳者注──前回の通信の最後の寓話になぞらえて、ルビーが男性的性格、エメラルドが女性的性格を象徴している)
また遠い過去においてそのルビーに先立って他の色彩が顕著であった時期があるごとく、ダイヤの内奥には、このエメラルドの時代の終ったあと、永遠の時の中で然るべき環境を得て顕現するさらに別の色彩があるのです。
さらに言えば、私のいう女性の新時代は激流のごとく押し寄せるのではなく、地上の人間が進歩というものを表現する時によく使う言い方に従えば、ゆっくりとした足取りで訪れます。言っておきますが、その時代はまだ誕生しておりません。が、
いずれ時が熟せば誕生します。その時期が近づいた時は──イヤ、(ここで寓話に変わる──訳者)救世主は夜のうちに誕生し、ほとんど誰にも気づかれなかった。
しかも新しい時代の泉となり源となった。それから世の中は平凡なコースをたどり、AUC(ローマ紀元。紀元前七五三年を元年とする)を使用している間は何の途切れもなく続いた。
が今日、かの素性の知れぬ赤子(イエス)の誕生がもとでキリスト教国のすべてがDU(西暦紀元)を採用することになり、AUCは地上から消えた。貴殿は私の寓話を気に入ってくださるので、どうか以上の話から何かの意味を読み取ってください。
また例の天使の塔におけるキリストの顕現の話を思い出していただきたい。あれはこの地上への吾々の使命に備えるための学習の一環だったのです。
私の叙述から、その学習がいかに徹底したものであったかを読み取っていただけるものと思います。物的宇宙の創造を基盤とし、宇宙を構成する原子の構造を教えてくださったのです。
それが鉱物、植物、動物、そして人間となっていく永くかつ荘厳な生命の進化の過程が啓示されたのです。さらに学習は続き、地球に限定して、その生命を構成する要素を分析して、種類別に十分な検討を加えました。
それから地球の未来をのぞかせていただき、それが終わって今こうして貴殿にメッセージを送っているわけです。
その人類の未来をのぞかせていただいた時の顕現のすべてを叙述することはとても出来ません。ダイヤモンド(※)の内奥には分光器にかからない性質の光線が秘められているからです。
ですが、その得も言われぬ美と秘密と吾々にとっての励ましに満ちた荘厳なるスペクタクルについて、貴殿にも理解しうる範囲のことを語ってみましょう。
(※これも前回の通信の寓話になぞらえて、すべての色彩が完全に融合したときの無色透明な状態を象徴している──訳者)
地球を取り巻く例の霧状の暗雲が天界の化学によって本来の要素に分析されました。それを個々に分離し、それぞれの専門家の手による作業にまかされました。
その作業によって質を転換され、一段と健康な要素に再調合する過程がほぼ完了の段階に近づいた時に、吾々は各自しばし休息せよとの伝達をうけ、その間は他の霊団が引き受けてくれました。
そこで吾々は所定の場所へ集合しました。見ると天界のはるか上層へ向けて一段また一段と、無数の軍勢が幾重にも連なっておりました。
得も言われぬ壮麗なる光景で、事業達成への一糸乱れぬ態勢に吾々は勇気百倍の思いがいたしました。その数知れぬ軍勢の一人一人が地球上の同胞の救済のために何らかの役割分担を持ち、その目的意識が総監督たるキリストにおいて具現されているのでした。
それを内側から見上げれば、位階と霊格にしがって弧を描いて整列している色彩が、あたかも無数の虹を見るごとくに遙か遠くへと連なっておりました。
そしてその中間に広がる、一個の宇宙にも相当する大きさの空間の中へ、すでにお話したことのある静寂という実体(一章2)が流れ込んできました。それはすなわち、そこに吾らが王が実在されるということです。
静寂の訪れを感じて吾々はいつものごとく讃仰のために頭(コウベ)を垂れました。崇高なる畏敬の念の中に法悦を味わい、目に見えざる来賓であるキリストを焦点とした愛の和合の中にあって、吾々はただただ頭を垂れたまま待機しておりました。
第4節 地球の未来像の顕現
一九一九年三月二十八日 金曜日
この段階で吾々はすでに、それぞれの天界の住処(スミカ)にふさわしい本来の身体的条件を回復しておりました。それ故、吾々は実際は地球を中心としてそれを取り囲むように位置しているのですが、地球の姿はすでに吾々の目には映じませんでした。
もちろんこのことは私自身の境涯に視点をおいて述べたまでで、私より地球に接近した界層の者のことは知りません。多分彼らにはそれらしきものは見えたことでしょう。これから述べることは私自身の視力で見たかぎりのことです。
私はその巨大な虚空の内部を凝視しました。すべてが空(クウ)です。その虚空が、それを取り巻くように存在する光輝によって明るく照らし出されているにもかかわらず、その内部の奥底に近づくにつれて次第に暗さが増していきます。
そしてその中心部になるとまさに暗黒です。そう見ているうちに、その暗黒の虚空の中心部から嘆き悲しむ声に似た音が聞こえて来ました。
それが空間的な〝場〟を形成している吾々の方角へ近づくにつれてうねりを増し四方へ広がっていきます。が、その音が大きくなってくるといつしか新しい要素が加わり、さらにまた別の要素が加わり、次々と要素を増していって、ついに数々の音階からなる和音(コード)となりました。
初めのうちは不協和音でしたが吾々に近づくにつれて次第に整い、ついには虚空の全域に一つに調和した太く低い音が響きわたりました。そうなった時はもはや嘆き悲しむ響きではなく、雄々しいダイヤペーソンとなっておりました。
それがしばらく続きました。するとこんどはそれに軽い音色が加わって全体がそれまでのバス(男声の最低音)からテノール(男性の最高音)へと変わりました。変化はなおも続き、ついに吾々が囲む空間全体に女性の声による明るい合唱が響きわたりました。
そのハーモニーが盛り上がるにつれて光もまた輝きを増し、いよいよ最高潮に達したとき吾々が取り囲む内部の空間が得も言われぬ色合いを見せる光輝に照らし出されました。
そしてその中心部、すなわち吾々の誰からも遠く離れた位置で顕現が始まっていることが分かりました。それは次のようなものでした。
まず地球が水晶球となって出現し、その上に一人の少年が立っています。やがてその横に少女が現れ、互いに手を取り合いました。
そしてその優しいあどけない顔を上方へ向け、じっと見つめているうちに二人ともいつしか青年に変身し、一方、立っている地球が膨(フク)れだして、かなりの大きさになりました。
するとその一番上部に曲線上に天蓋のついた玉座が出現し、女性の方が男性の手を引いて上がり段のところへ案内し、そこで女性が跪(ヒザマズ)くと男性だけが上がり段をのぼって玉座の中へ入りました。
そこへ大勢の従臣が近づいて玉座のまわりに立ち、青年に王冠と剣(ツルギ)を進呈し、豊かな刺しゅうを施した深紅のマントを両肩にお掛けしました。それを合図に合唱隊が次のような主旨の祝福の歌をうたい上げました。
「あなたは地球の全生命の主宰者として、霊の世界よりお出ましになられました。あなたは形態の世界である外的宇宙の中へ踏み込まれ、あたりを見まわされました。
そして両足でしっかりと踏みしめられ、地球がどこかしら不安定なところを有しながらも、よき天体であるとお感じになられました。それから勇を鼓して一方の足を踏み出し、さらにもう一方の足を踏み出され、かくして地上を征服なさいました。
そこで再び周囲を見渡されて、あなたのものとなったものを点検なさいました。それに機嫌をよくされたあなたは、その中で最も麗しいものに愛をささやかれました。そのとき万物の父があなたのために宝庫よりお出しになられた全至宝の中でも、あなたにとっては女性が最愛の宝物となりました。
征服者としての権限により主宰者となられたあなたへの祝福として詠唱した以上のことは、その通りでございましょうか」
青年は剣を膝の上に斜めに置いてこう答えました。
地上での数々の闘いに明け暮れた私をご覧になってきたそなたたちが歌われた通りである。正しくご覧になり、それを正しく語られた。さすがにわれらの共通の主の家臣である。
さて私は所期の目的を果たし、それが正当であったことを宣言した。武勇において地上で私の右に出る者はおりませぬ。地球は私が譲りうける。私みずからその正当性を主張し、今それを立証したところである。
しかし私にはまだ心にひっかかるものがある。これまでの荒々しい征服が終了した今、私は次の目標をいずこへ求めればよいのであろう。永きにわたって不穏であった地球もどうにか平穏を取り戻した。が、まだ真の平和とは言えぬ。
地球は平穏な状態にうんざりとし、明日の平和を求める今日の争いにこれきり永遠に別れを告げて、真の平和を求めている。
そこで、これまで私を補佐してこられたそなたたち天使の諸君にお願いしたい。幾度も耳うちしてくれた助言を無視して私がこれまでとかく闘いへの道を選んできて、さぞ不快に思われたことであろう。それは私も心を痛めたことであった。
しかし今や私も高価な犠牲を払って叡智を獲得した。代償が大きかっただけ、それだけ身に泌みている。そこで、これより私はいかなる道を選ぶべきか、そなたたちの助言をいただきたい。
私もこれまでの私とは違う。助言を聞き入れる耳ができている。今や闘いも終わり、この玉座へ向けて昇り続けたその荒々しさに、われながら嫌気がさしているところである」
そう言い終わると従臣たちが玉座の上がり段を境にして両わきに分かれて立ち並び、その中間に通路ができました。するとその中央にさきの女性が青のふちどりのある銀のロープで身を包んで現れました。
清楚に両手を前で組み、柔和さをたたえた姿で立っておられます。が、その眼差しは玉座より見下ろしている若き王の顔へ一直線に向けられています。
やがて彼はおもむろに膝の上の剣を取り上げ、王冠を自分の頭から下ろして階段をおり、その女性のそばに立たれました。そして女性が差し出した両腕にその剣を置き、冠を頭上に置きました。それから一礼して女性の眉に口づけをしてから、こう告げました。
「そなたと私とで手を取り合って歩んで来た長い旅において私は、数々の危機に際してそなたの保護者となり力となって来ました。嵐に際しては私のマントでそなたを包んであげました。
急流を渡るに際しては身を挺して流れをさえぎってあげました。が、行く手を阻(ハバ)む危険もなくなり、嵐も洪水も鎮まり、夏のそよ風のごとき音楽と化しました。そして今、そなたは無事ここに私とともにあります。
しかし、この機をもって私は剣をそなたに譲ります。その剣をもってその王冠を守ってきました。ここにおいてその両者を揃えてそなたに譲ります。
もはや私が所有しておくべき時代ではなくなりました。どうかお受け取りいただきたい。これは私のこれまでの業績を記念する卑しからぬ品であり、あくまで私のものではありますが、それが象徴するすべてのものとともに、そなたにお預けいたします。
どうかこれ以後もそなたの優しさを失うことなく、私が愛をもって授けるこの二つの品を愛をもって受け取っていただきたい。それが私より贈ることのできる唯一のもの──地球とその二つの品のみです」
青年がそう言い終わると女性は剣を胸に抱きかかえ、右手を差しのべて彼の手を取り、玉座へ向かって階段を上がり玉座の前に並んでお立ちになりました。
そこでわずかな間を置いたあと彼は気を利かして一歩わきへ寄り、女性に向かって一礼しました。すると女性はためらいもなく玉座に腰を下ろされました。彼の方はわきに立ったまま、これでよしといった表情で女性の方を見つめておりました。
ところが不思議なことに、私が改めて女性の方へ目をやると、左胸に抱えていた剣はもはや剣ではなく、虹の色をした宝石で飾られたヤシの葉と化しておりました。
王冠も変化しており、黄金と鉄の重い輪が今はヒナギクの花輪となって、星のごとく輝く青と緑と白と濃い黄色の宝石で飾られた美しい茶色の髪の上に置かれていました。その種の黄色は地上には見当たりません。
若き王も変っておりました。お顔には穏やかさが加わり、お姿全体に落着きが加わっておりました。そして身につけておられるロープは旅行用でもなく戦争用でもなく、ゆったりとして長く垂れ下がり、うっすらとした黄金色に輝き、そのひだに赤色が隠れておりました。
そこで青年が女性に向かってこう言いました。
「私からの贈りものを受け取ってくれたことに礼を申します。では、これより先、私とそなたではなく、そなたと私となるべき時代のたどるべき道をお示し願いたい」
これに答えて女性が言いました。
「それはなりませぬ。私とあなたさまの間柄は、あなたさまと私との間柄と同じだからでございます。これより先も幾久しく二人ともども歩みましょう。ただ、たどるべき道は私が決めましょう。しかるべき道を私が用意いたします。
しかし、その道を先頭きって歩まれるのは、これからもあなたさまでございます」