第1節 五つの塔
一九一八年三月十八日 金曜日
第十界の森林地帯の真っ只中に広大な空地があります。周囲を林に囲まれたその土地から四方へ数多くの道が伸びており、その道からさらに枝分かれして第十界のすみずみまで連絡が取れております。
その連絡網は、瞑想と他の界層との通信を求めてその空地へ集まってくる人々によってよく利用されています。その一帯を支配する静穏の美しいこと。茂る樹木、咲き乱れる花々、そこここに流れる小川、点在する池、群がる小鳥や動物たちが、修養を心がける者たちを自然に引きつけ、その静穏の雰囲気に浸らせます。
が、これから述べるのはその中心にある空地のことです。空地といっても地上ならさしずめ平野と呼ばれそうな広大な広さがあります。そこには庭園あり、噴水あり、寺院あり、建物あり。それらがみな研究と分析・調査の目的に使用されています。
そこは一種の大学ですが、その性格は〝美の都市〟とでも呼ぶにふさわしいものを具えております。と言うのは、そこでは美と知識とがまったく同等の意図を持つに至っているかに思えるのです。
形は長円形をしています。その片方の端には森の緑から巾の広い背の高いポーチが突き出ており、その両側に木が立ち並び、その樹木の上空に建物の翼廊が姿を見せています。その翼廊の壁の高い位置にバルコニーが付いていて、そこから空地全体を見晴らすことができます。
建物の残りの部分はすっぽり森林に包まれており、塔とドームだけがポーチよりはるかに高く聳え立っております。それが無かったら森林の中に一群の建造物が存在することに誰も気づかないでしょう。それほど周囲に樹木が密生しているのです。
塔は五つあります。うち四つは型は違っていても大きさは同じで、その四つにかぶさるようにドームが付いています。残りの一つは巨大なものです。あくまでも高く聳え、その先端が美しいデザインの帽子のようになっています。
あたかも天界のヤシの木のようで、その葉で王冠の形に線条細工が施され、それに宝石が散りばめてあり、さらにその上は銀河に似たものが同じく宝石をふんだんに散りばめて広がっております。
これら四つの塔とドームと大塔には神秘的な意味が込められており、その意味は例の大聖堂を通過した者でなければ完全な理解はできません。それが大きな儀式の際に理解力に応じた分だけが明かされる。その幾つかは〝顕現〟に形で説明されることもあります。
そのうちの一つをこれからお話するつもりですが、その前にそこの建物そのものについてもう少し述べておきましょう。
ポーチの前方に左右に広がる池があり、その池に至る道は段々になっています。大学の本館はその水面から聳え立っており(※)、周辺の庭園と群立する他の小館とは橋でつながっており、その大部分に天蓋が付いています。
ドームのあるホールは観察に使用されています。観察といっても大聖堂の翼廊での観察とは趣きが異なり、援助を送ったり連絡を維持するためではなく、他の界層の研究が目的です。そこでの研究は精細をきわめており、一つの体系の中で類別されています。
それというのも、天界においては他の界との関連性によって常に情況が変化しているからです。ですから、こうした界層についての知識の探求には際限がありません。
(※霊界の情況は地上の情況になぞらえて描写されるのが常であるが、地上圏から遠ざかるにつれてそれも困難となる。この部分もその一つで、一応文章のままに訳しておいたが、これでは地上の人間には具体的なイメージが湧いて来ないであろう。が、私の勝手な想像的解釈も許されないので、やむを得ずこのままに留めておいた──訳者)
四つの小塔にはそれぞれ幾つかの建物が付属しています。それぞれに名称がありますが、地上の言語では表現ができないので、取りあえずここでは〝眠れる生命の塔〟──鉱物を扱う部門、〝夢見る生命の塔〟──植物を扱う部門、〝目覚める生命の塔〟──動物を扱う部門、そして〝自我意識の塔〟──人間を扱う部門、と呼んでおいてください。
大塔は〝天使的生命の塔〟です。ここはさきの四つの生命形態を見おろす立場にあり、その頂点に君臨しているわけです。その段階へ向けて全生命が向上進化しつつあるのです。
それらの塔全体を管理しているのが〝ドームの館〟で、各塔での分析調査の仕事に必要な特殊な知識はそこから得ます。つまりその館の中で創造・生産されるものを各分野に活用しています。
四つの小塔は一つ一つデザインが異なり、平地から四つを一望するとすぐに、全体としていかなる創造の序列になっているかが知れます。
そういう目的をもってデザインされているのです。内部で行われる仕事によって各塔にそれ特有の性格がみなぎり、それが滲み出て外形をこしらえているのです。
大塔は見るからに美しい姿をしております。その色彩は地上に見出すことはできません。が、取りあえず黄金のアラバスターとでも表現しておきましょう。それにパールを散りばめた様子を想像していただければ、およその見当がつくでしょう。
それは言うなれば液晶宝石の巨大にして華麗な噴水塔という感じです。水が噴き出る代わりに囁くようなハーモニーが溢れ出て、近づく者に恍惚状態(エクスタシー)に近い感動を覚えさせずにはおきません。
周辺の水がまた美しいのです。花園をうねりながら流れるせせらぎもあれば大きな池もあり、その水面(みなも)に五つの塔やドーム、あるいは他の美しい建物が映っており、静かな、落ち着いた美しさを見せています。
その感じを貴殿に分かりやすく表現すれば、揺りかごの中の天使の子供のようです。では、これより貴殿を大塔の中にご案内して、その特徴を二、三ご紹介しましょう。
この塔は何かの建物の上にあるのではなく、基礎からいきなり聳え立っております、その内部に立って見上げたら、貴殿は唖然とされるでしょう。階が一つもなく、屋根のようなものもなく、ただ虚空へ向けて壁(四方にあります)が山の絶壁のように上へ上へと伸びているだけです。
そしてその頂上は星たちの世界のど真ん中へ突きささっているかの如くです。その遥かはるか遠くにその塔の先端の縁(ヘリ)が、あたかも塔そのものから離れてさらにその上にあるかのように見えます。それほど高いのです。
その壁がまた決してのっぺりとしたものではないのです。四方の壁が二重になっていて、間(ま)が仕切ってあり、各種のホールや天使の住居(すまい)となっております。外部を見ると通路あり、バルコニーあり、張り出し窓あり、さらには住居から住居へと橋がループ状につながっております。
壁の上に対角線状に見えるものは、そこの部屋から部屋へ、あるいは楽しみのための施設から別の施設へとつなぐ階段です。庭園もあります。塔の側壁から棚状に突き出た広大な敷地にしつらえてあります。
この尖塔は実に高くそして広大なので、そうした付属の施設──中へ入ってみるとそれぞれに結構大きなものなのですが──少しも上空を見上げた時の景色の妨げにならず、また一番先端の輪郭を歪めることもありません。
また、よく見ると光が上昇しながら各部屋を通過していく際に変化したり溶け合ったり、輝きを増すかと思えば消滅していったりしております。
たとえば塔の吹き抜けに面したある住居のところでは真昼の太陽に照らされているごとくに輝き、別の住居のところでは沈みゆく夕日が庭を照らし、夕焼空を背景にして緑の木々やあずま屋が美しく輝いて見えます。
さらに別のところでは春の爽やかな朝の日の出どきの様相、さよう、そんな感じを呈しております。小鳥がさえずり、小川がさざ波を立てて草原へ流れていきます。この驚異の世界にも〝流れる水〟は存在するのです。
音楽も流れています。あの部屋から一曲、この部屋から一曲と聞こえてきます。時には数か所から同時に聞こえてくることもありますが、塔の広さのせいでお互いに他のメロディの邪魔になることはありません。
さて、以上お話したこと──全体のほんの一かけらほどでしかありませんが──を読まれて貴殿はもしかしたら、その大塔の中がひどく活気のない所のように思えて、建立の動機に疑問を持たれるかもしれません。
が、先ほど私が各塔に名付けた名称を思い出していただけば、決してそうでないことが分かっていただけるでしょう。
この大塔は四つの小塔を指揮・監督する機能を有し、そのためのエネルギーを例のドームから抽(ひ)き出すのです。そこにはきわめて霊格の高い天使が強烈な霊力と巾広い経験を携えて往き来し、かつて自らが辿った道を今歩みつつある者たちの援助に当たります。
すなわち測り知れぬ過去において自分が行ったことを、四つの小塔とドームの館の住む者が永遠の時の流れの中の今という時点において励んでいるということです。進化の循環(サイクル)の中で、先輩の種族が去って新しい種族が今そこに住まっているのです。
これでお気づきと思いますが、そこでの仕事がいかに高度なものであるとはいえ、そこはあくまでも第十界であり、従ってあくまでも物事の育成の場であって創造の界ではないのです。
でも、創造へ向かいつつあることに間違いはなく、第十界では最高の位置にある施設の一つです。
──アーネルさんご自身もその大学を卒業されたのですか。
しました。四つの塔を全部通過するコースを終えました。それが普通のコースです。
──ドーム館もですか。
学徒として入ったことはありません。別の形で同じことを修了しておりましたから。実は私は四番目の塔を終えたのちに大塔直属の天使のお一人に仕える身となったのです。大聖堂へ行けるまでに修行できたのもその方のお陰です。
例の暗黒界への旅の間にずっと力をお貸しくださったのもその方で、そのことは旅から帰って初めて知りました。その方はそうした援助の仕事を他の者にもしておられました。それがその方の本来の仕事だったのです。(※)
(※過去形になっているのは現在は別の仕事に携わっているからであろう。〝その方〟について何も述べていないが、同じ霊系の一人、つまり類魂の一人であるに違いなく、こうした関係は地上に限らず上級界へ行っても同じであることが分かる──訳者)
第2節 摂理(ことば)が物質となる
一九一八年三月四日 月曜日
五つの塔から成る大学の構内は常時さまざまな活動に溢れていますが、せわしさはありません。中央水路へ通じる数々の小水路を幾艘もの船が往き来して、次々と渡航者を舟着き場へ下ろしています。
その水辺近くまで延びているテラスや上り段には幾千ともつかぬ参列者が群がっており、新しい一団がその明るい賑わいを増しています。いずれもある大きな顕現を期待してやって来るからです。
参加者はそれぞれ個人としての招待にあずかった人ばかりです。その地域の者なら誰でも参加できるのではありません。ある一定の霊格以上の者にかぎられています。
招待者が全員集合したところで天使の塔から旋律が流れてきました。続いて何が起きるのであろうかと一斉に注目しています。ではそのあとの顕現の様子を順を追って叙述しましょう。
音楽がボリュームを増すにつれて、その塔を包む大気が一種の霞を帯びはじめました。しかし輪郭が変わって見えるほどではありません。そして塔は次第に透明度を増し、それが上下に揺れて見えるのです。
つまり色彩に富んだ液晶ガラスのように、外側へ盛り上がったかと思うと内側へのめり込んでいくのです。
やがて吾々の耳にその音楽よりさらに大きな歌声が聞こえてきました。それは絶対紳とその顕現であるキリストへの讃歌(テデウム)でした。そのキリストの一つの側面がこれより顕現されるのです。
──そのテデウムの歌詩を教えていただけませんか。
いえ、それは不可能です。その内容だけを可能な限り地上の言語に移しかえてみましょう。こうです──
「遠き彼方より御声に聞き入っております私どもは、メロディの源であるキリストこそあなたであると理解しております。あなたのみことばを聞いて無窮が美をもたらしたのでございます。
あなたの直接の表現であらせられるキリストの目にあなたのお顔を拝している私どもは、あなたは本来無形なる存在であり、その御心より形態を生じ、美がむき出しのままであることを好まず、光を緯(タテ)糸とし影を経(ヨコ)糸として編まれた衣にて包まれていると理解しております。
あなたの御胸の鼓動を感じ取っております私どもは、美がそのように包まれているのはあなたが愛のすべてであり、あなたの愛でないものは存在しないからでございます。
あなたのその美を私どもはキリストの美によって知り得るのみであり、そのキリストはあなたが私どもに与え給うたのと同じ形態をまとって顕現されることでございましょう。
私どもはあなたを讃えて頭(コウベ)を垂れます。私どもはあなたのものであり、あなたを生命と存在の源として永遠におすがりいたします。この顕現せる生命の背後に恵み深き光輝が隠されております。
キリストの顕現とその安らぎを待ち望む私どもにお与えくださるのは、御身みずからのことに、ほーかーなーりーまーせーぬ」
最後の歌詞はゆっくりと下り調子で歌われ、そして終わった。そして吾々は頭を垂れたまま待機していました。
次に聞こえたのは〝ようこそ〟という主の御声でした。その声に吾々が一斉に顔を上げると、主は天使の塔の入り口の前に立っておられます。その前には長いそして広い階段が水際まで続いています。その階段上には無数の天使が跪いています。
その塔に所属する天使の一団です。総勢幾千もの数です。主は塔へ通じる大きなアーチ道から遠く離れた位置にお一人だけ立っておられます。
が、その背後には階段上の天使よりさらに霊格の高い天使の別の一群が立ち並んでいます。主の降臨に付き添ってきた天使団です。
今や天使の塔は躍動する大きな炎のごとく輝き、大気を朱に染めてそれがさらに水面に反映し、灼熱に燃えあがるようにさえ思えるのです。
その時です。主がまず片足をお上げになり、続いてもう一方の足をお上げになって宙に立たれました。塔の頂上を見上げると、その先端に載っている王冠状のものが変化しはじめているのが分かります。あたかも美しい生きもののように見えます。
レース状の線条細工がみな躍動しており、さらによく見ると、そのヤシの葉状の冠には数々の天使の群れが宝石を散りばめたように光って見えます。
ある群れは葉に沿って列をなして座し、ある群れは基底の環状部に曲線をなして立ち、またある群れは宝石の飾り鋲に寄りかかっています。王冠を構成しているあらゆる部分が天使の集団であり、宝石の一つ一つがセラピム(※)の一団であり、炎のごとく輝き燃え上がっているのでした。
(※キリスト教で最高神に直接仕える第一級の天使──訳者)
やがてその塔の頂上部分がゆっくりと塔から離れて主ならびに付き添いの天使団が立ち並ぶ位置の上空高く上昇し、それからゆっくりと下降してテラスに着地しました。
内部にはすでに千の単位で数えるほどの天使がいます。そして吾々も水路を横切ってその内部へ入るように命じられました。(その大塔は湖の中央に聳えている──訳者)
私が階段の頂上まで来て見下ろすと、滔々(とうとう)とした人の流れが、喜びの極みの風情で、新しくしつらえた宮殿の中へ入って行くのが見えました。私もその流れに加わって何の恐れの情もなく中へ入りました。すべてが静寂、すべてが安らぎとよろこびに溢れておりました。
入ってみると、その王冠の内側は広く広大なホールとなっており、天井が実に高く、下から上まで宝石と宝玉に輝いておりました。透し細工に光のみなぎった薄靄が充満し、それがそのままホールの照明となっておりました。
壁は少し垂直に伸びてからアーチを描いて穹陵(きゅうりょう=西洋建築における天井の一形式)となり、その陵線がサファイア色をした大きな宝玉のところで合流しています。
壁の材質は透明なクリスタルで、外側の天界の様子を映し出す性質をしており、どの天使が飛来しどの天使が去って行ったかが、いながらにして分かるようになっています。
この王冠はテラスへ下降してくる間にそのように模様替えされたに相違ありません。普段は完全に青空天井になっておりますから。
──出席者は全部で何名だったのでしょうか。
私には分かりません。でも主のお伴をした霊は少なくとも千五百名を数えたに相違ありません。そして吾々招待を受けた者はその六倍を下りませんでした。それに塔の直属の霊がおよそ三千名はいました。大変な集会だったのです。
このたびの顕現はその大学における科学に関する指導の一環として行われたものです。それがどんなものであるかはすでにお話しました。
それまで吾々は研究を重ね、資料を豊富に蓄積しておりました。そこへ主が訪れてそうした知識がそれより上の境涯へ進化して行きながら獲得される神についての知識といかに調和したものであるかをお示しになられたのです。
──もう少し詳しくお話ねがえませんか。今のでは大ざっぱすぎます。
そうでしょう。私もそれを残念に思っているのですが、といってこれ以上分かりやすくといっても私には出来そうにありません。でも何とか努力してみましょう。
冗漫な前おきは抜きにして一気に本論へ入りましょう。あのとき主は神のことばがそのまま顕現したのでした。すでに(第二巻で述べたので)ご承知の通り、宇宙創造の当初、神の生命のエネルギーが乳状の星雲となり、それが撹拌されて物質となり、その、物質から無数の星が形成されるに至った時の媒介役となったのが、ほかならぬことばでした。ことばこそ創造の実行者だったのです。
すなわち神がそのことばを通して思惟し、その思念がことばを通過しながら物質という形態をとったということです。
(※Wordは聖書などでことばと訳されているので一応それに倣ったが、シルバーバーチの言う宇宙の摂理、自然法則のことである──訳者)
この問題は永いあいだの吾々の研究課題でした。主が降臨されて宇宙の創造における父なる神の仕事との関連においてのことばの意味について吾々が学んだことに、さらに深いことを説明なさったのは、上層界における同種の、しかしさらに深い研究につなげていくためでした。残念ながらこれ以上のことは伝達しかねます。
──このたび主がお出でになられた時の容姿を説明していただけませんか。
主は大ホールの中空に立っておられ、最後まで床へ下りられませんでした。最初私はそれがなぜだか分かりませんでした。が顕現が進行するにつれて、その位置がこのたびの主の意図に最も相応しいことが分かってきました。
視覚を使って教育するためだけではありません。中空に立たれたのは、その時の主の意図が自然にそのような作用をしたのです。
そしてお話をされている間も少しずつ上昇して、最後は床と天井の中間あたりに位置しておられました。それはその界層における力学のせいなのです。そう望まれたのではなく、科学的法則のせいだったのです。
さらに、冠の外側に群がっていた天使が今は内側の壁とドームの双方に、あたかも生きた宝石のごとく綴れ織り(タベストリ)模様に群がって飾っているのでした。
さて貴殿は主の容姿を知りたがっておられる。衣装は膝までのチュニックだけでした。
澄んだ緑色をしており、腕には何も──衣服も宝石も──付けておられませんでした。宝石はただ一つだけ身につけておられました。胴のベルトが留め金でとめてあり、その留め金が鮮血の輝くような赤色をした宝石でした。
腰の中央に位置しており、そのことは、よくお考えいただくと大きな意味があります。
と言うのは、主は父なる神と決して断絶することはありませんが、この界層における仕事に携わるために下りて来られるということは確かに一種の分離を意味します。造化の活動のためにみずから出陣し、そのために父より顔をそむけざるを得ません。
意念を〝霊〟より〝物質〟へと放射しなければならないのです。その秘密が宝石の位置に秘められているのです。このことは語るつもりはなかったのですが、貴殿の精神の中にその質問が見えたものですから、ついでに添えておきます。
マントは付けておられませんでした。膝から下は何も付けておられませんでした。両手両脚とお顔は若さ溢れる元気盛りのプリンスのそれでした。頭髪にも何も付けておられず、中央で左右に分けておられ、茶色の巻き毛が首のあたりまで下がっておりました。
いえ、目の色は表現できません──貴殿の知らない色ばかりです。それにしても貴殿の精神は主についての質問でいっぱいですね。これでも精一杯お答えしてあげてるつもりです。
──主についてのお話を読むといつもその時のお姿はどうだったのかが知りたくなります。私にとっても他の人たちにとっても、それが主をいっそう深く理解する手掛かりになると思うからです。主そのものをです。
お気持ちはよく分かります。しかし残念ながら貴殿が地上界にいる限り主の真相はほとんど理解し得ないでしょう。現在の吾々の位置に立たれてもなお、そう多くを知ることはできません。それほど主は偉大なのです。
それほど地上のキリスト教界が説くような窮屈な神学からはほど遠いものなのです。キリスト者は主を勝手に捉えて小さな用語や文句の中に閉じ込めようとしてきました。
主はそんなもので表現できるものではないのです。天界においてすら融通無碍であり、物的宇宙に至っては主の館の床に落ちているほこり一つほどにしか相当しません。にもかかわらずキリスト者の中には主にその小さなほこりの中においてすら自由を与えようとしない人がいます。この話はこれ以上進めるのは止めましょう。
──それにしても、アーネルさん、あなたは地上では何を信仰しておられたのでしょうか。今お書きになられたことを私は信じます。が、あなたは地上におられた時もそう信じておられたのですか。
恥ずかしながら信じていませんでした。と言うのも、当時は今日に較べてもなお用語に囚れていたのです。しかし正直のところ私は神の愛について当時の人たちには許しがたい広い視野から説いていました。それが私に災いをもたらすことになりました。
殺されこそしませんでしたが、悪しざまに言われ大いに孤独を味わわされました。今日の貴殿よりも孤独なことがありました。貴殿は当時の私よりは味方が多くいます。
貴殿ほど進歩的ではありませんでしたが、当時の暗い時代にあっては、私はかなり進んでいた方です。現代は太陽が地平線を緩めはじめております。当時はまさに冬の時代でした。
──それはいつの時代で、どこだったのでしょう?
イタリアです。美しいフローレンスでした。いつだったかは憶えてはいません。が神が物事を刷新しはじめた時代で、人々はそれまでになかった大胆な発想をするようになり、教会が一方の眉をひそめ国家がもう一方の眉をひそめたものです。
そして──そうでした。私は人生半ばにして他界し、それ以上の敵意を受けずに済みました。
──何をなさっていたのでしょう。牧師ですか?
いえ、いえ、牧師ではありません。音楽と絵画を教えておりました。当時はよく一人の先生が両方を教えたものです。
──ルネッサンス初期のことですね?
吾々の間ではそういう呼び方はしませんでした。でも、その時代に相当しましょう。そうです!今日と同じように神がその頃から物事を刷新しはじめたのです。
(それが何を意味するのかがこれからあとの通信の主なテーマとなる──訳者)そして神がそのための手を差しのべるということは、それに応えて人間もそれに協力しなければならないことになります。大いに苦しみも伴います。
が刷新の仕事は人間一人苦しむのではありません。主のベルトのルビーの宝石を思い出して、主がいつもお伴をして下さっていると信じて勇気を出していただきたいのです。
第3節 マンダラ模様の顕現
一九一八年三月八日 金曜日
吾々招待にあずかった者が全員集合すると、主のお伴をしてきた天使群が声高らかに讃美の聖歌を先導し、吾々もそれに加わりました。貴殿はその聖歌の主旨(モチーフ)を知りたがっておられる。それはおよそ次のようなものでした。
「初めに実在があり、その実在の核心から神が生まれた。
神が思惟し、その心からことばが生まれた。
ことばが遠く行きわたり、それに伴って神も行きわたった。神はことばの生命(イノチ)にして、その生命がことばをへて形態をもつに至った。
そこに人間(ヒト)の本質が誕生し、それが無窮の時を閲(ケミ)して神の心による創造物となった。さらにことばがそれに天使の心と人間の形体とを与えた。
顕現のキリストはこの上なく尊い。ことばをへて神より出て来るものだからである。そして神の意図を宣言し、その生命がキリストをへて家族として天使と人間に注がれる。
これがまさしくキリストによることばを通しての天使ならびに人間における神の顕現である。神の身体にほかならない。
ことばが神の意志と意図を語ったとき虚空が物質に近い性質を帯び、それより物質が生じた。そして神より届けられる光をことばを通して反射した。
これぞ神のマントであり、神のことばのマントであり、キリストのマントである。
そして無数の天体がことばの音楽に合わせて踊った。その声を聞いてよろこびを覚えたのである。なぜならば、天体が創造主の愛を知るのはことばを通して語るその声によるのみだからである。
その天体はまさに神のマントを飾る宝石である。
かくして実在より神が生まれ、神よりことばが生じ、そのことばより宇宙の王としてその救済者に任じられたキリストが生まれた。
人間は永遠にキリストに倣う。永遠の一日の黄昏どきに、見知らぬ土地、ときには荒れ果てた土地を、わが家へ向けて、神へ向けて長き旅を続けるのである。今はまさにその真昼どきである。
ここが神とそのキリストの王国となるであろう」
こう歌っているうちにホール全体にまず震動がはじまり、やがて分解しはじめ、そして消滅した。そしてそれまで壁とアーチに散らばっていた天使が幾つかのグループを形成し、それぞれの霊格の順に全群集の前に整列しました。
その列は主の背後の天空はるか彼方へと続いていました。さらに全天にはさまざまな民族の数え切れないほどの人間と動物が満ちておりました。全創造物が吾々のまわりに集結したのです。
動物的段階にあった時代の人間の霊も見えます。さまざまな段階を経て今や天体の中でも最も進化した段階に到達した人種もいます。さらには動物的生命──陸上動物と鳥類──のあらゆる種類、それに、あらゆる発達段階にある海洋生物が、単純な形態と器官をしたものから複雑なものまで勢揃いしていたのです。
さらには、そうした人類と動物と植物を管理する、これ又さまざまな段階の光輝をもつ天使的存在も見えました。その秩序整然たる天使団はこの上ない崇高性にあふれていました。それと言うのも、ただでさえ荘厳なる存在が群れを成して集まっていたからであり、
王冠のまわりに位置していた天使団も今ではそれぞれに所属すべきグループのメンバーとしての所定の位置を得ておりました。
全創造物と、中央高く立てるキリスト、そしてそのまわりを森羅万象が車輪のごとく回転する光景は、魂を畏敬と崇拝の念で満たさずにはおかない荘厳そのものでした。
私がその時はじめて悟ったことですが、顕現されるキリストは、地上においてであれ天界においてであれ、キリストという全存在のほんの小さな影、その神性の光によって宇宙の壁に映し出されたほのかな影にすぎないこと、そしてその壁がまた巨大な虚空に中にばらまかれたチリの粒から出来ている程度のものであり、その粒の一つ一つが惑星を従えた恒星であるということです。
それにしても、その時に顕現された主の何とお美しかったこと、そしてまた何という素朴な威厳に満ちておられたことでしょう。全創造物の動きの一つ一つが主のチュニック、目、あるいは胴体に反映しておりました。
主の肌の気孔の一つ一つ、細胞の一つ一つ、髪の毛の一本一本が、吾々のまわりに展開される美事な創造物のどれかに反映しているように思えるほどでした。
──あなたが見たとおっしゃる創造物の中にはすでに地上から絶滅したものやグロテスクなもの、どう猛な動物、吐き気を催すような生物──トラ、クモ、ヘビの類──もいたのでしょうか。
ご注意申し上げておきますが、いかなる存在もその内側を見るまでは見苦しいものと決めつけてはいけません。
バラのつぼみも身をもちくずすとトゲになる、などという人がいますが、そのトゲも神が存在を許したからこそ存在するわけで、活用の仕方次第では美しき女王のボディガードのようにバラの花を護る役目にもなるわけです。
そうです、その中にはそういう種類のものもいました。バラとトゲといった程度のものだけでなく、人間に嫌われているあらゆる生物がいました。神はそれらをお捨てにならず、活かしてお使いになるのです。
もっとも吾々は、そうした貴殿がグロテスクだとか吐き気を催すようなものと呼んだものを、地上にいた時のような観方はせず、こちらへ来て教わった観方で見ております。その内面を見るのです。
すると少しもグロテスクでも吐き気を催すようなものでもなく、自然の秩序正しい進化の中の一本の大きな樹木の枝分かれとして見ます。
邪悪なものとしてではなく、完成度の低いものとして見ます。どの種類もある高級霊とその霊団が神の本性の何らかの細かい要素を具体的に表現しようとする努力の産物なのです。
その努力の成果の完成度が高いものと低いものとがあるというまでのことで、神の大業が完成の域に達するまでは、いかなる天使といえども、ましてや人間はなおのこと、これは善であり、これは邪性から生じたものであるなどと宣言することは許されません。
内側から見る吾々は汚れなき主のマントの美しさに固唾(かたず)をのみます。中心に立たれたそのお姿は森羅万象の純化されつくしたエッセンスに包まれ、それが讃仰と崇敬の香りとなって主に降り注いているように思えるのでした。
その時の吾々はもはや第十界の住民ではなく全宇宙の住民であり、広大なる星たちの世界を流浪(さすら)い、無限の時を眺望し、ついにそれを計画した存在、さらには神の作業場においてその創造に従事した存在と語り合ったのです。
そして新しいことを数多く学びました。その一つひとつが、今こうしてこちらの大学において高等な叡智を学びつつある吾々のように創造界のすぐ近くまでたどり着いた者のみが味わえる喜びであるのです。
かくして吾々はかの偉大なる天使群に倣い、その素晴らしい成果──さよう、虫けらやトゲをこしらえたその仕事にも劣らぬものを為すべく邁進しなければならないのです。
それらを軽視した言い方をされた貴殿が、そのいずれをこしらえようとしても大変な苦労をなさるでしょう。そう思われませんか。ま、叡智は多くの月数を重ねてようやく身につくものであり、さらに大きな叡智は無限の時を必要とするものなのです。
そこで吾々大学で学んでいた者がこうして探究の旅から呼び戻されて一堂に招集され、いよいよホールの中心に集結したところで突如としてホール全体が消滅し、気が付くと吾々は天使の塔のポーチの前に立っているのでした。
見上げると王冠はもとの位置に戻っており、すべてがその儀式が始まる前と同じになっておりました。ただ一つだけ異なっているものがありました。
こうした来訪があった時は何かその永遠の記念になるものを残していくのが通例で、この度はそれは塔の前の湖に浮かぶ小さな建物でした。ドームの形をしており、水面からそう高くは聳えておりません。
水晶で出来ており、それを通して内部の光が輝き、それが水面に落ちて漂っております。
反射ではありません。光そのものなのです。かくしてその湖にそれまでにない新しいエネルギーの要素が加えられたことになります。
──どんなものか説明していただけませんか。
それは無理です。これ以上どうにもなりません。地上の人間の知性では理解できない性質のものだからです。それは惑星と恒星のまわりに瀰漫するエネルギーについての吾々の研究にとっては新たな一助となりました。
そのエネルギーが天体を包む鈍重な大気との摩擦によっていわゆる〝光〟となるのです。
吾々はこの課題を第十一界においてさらに詳しく研究しなければなりません。新しい建造物はその点における吾々への一助としての意味が込められていたのです。
アーネル †
──カスリーン、何か話したいことありますか。
あります。こうして地上へ戻って来てアーネルさんとその霊団の思念をあなたが受け取るのをお手伝いするのがとても楽しいことをお伝えしたいのです。
みなさん、とても美しい方たちばかりで、わたしにとても親切にしてくださるので、ここでこうして間に立ってその方たちの思念を受信し、それをあなたに中継するのが私の楽しみなのです。
──アーネルさんはフローレンスに住んでおられた方なのに古いイタリア語ではなく古い英語で語られるのはどうしてでしょう?
それはきっと、確かにフローレンスに住んでおられましたが、イタリア生まれではないからでしょう。
私が思うにアーネルさんは英国人、少なくとも英国のいずれかの島(※)生まれだったのが、若い時分に移住したか逃げなければならなかったか──どちらかであるかは定かでありませんが──いずれにしても英国から出て、それからフローレンスへ行き、そこに定住されたのです。
その後再び英国へ帰られたかどうかは知りません。当時はフローレンスに英国の植民地があったのです。(※英国は日本に似て大小さまざまな島から構成されているからこういう言い方になった──訳者)
──誰の治世下に生きておられたかご存知ですか。
知りません。でも、あなたがルネッサンスのことを口にされた時に想像されたほど古くはないと思います。どっちにしても確かなことは知りませんけど。
──どうも有難う。それだけですか。
これだけです。私たちのために書いてくださって有難う。
──これより先どれくらい続くのでしょう?
そんなに長くはないと思います。なぜかって?お止めになりたいのですか。
──とんでもない。私は楽しんでやってますよ。あなたとの一緒の仕事を楽しんでますよ。それからアーネルさんとの仕事も。でも最後まで持つだろうかと心配なのです。つまり要求される感受性を維持できるだろうかということです。このところ動揺させられることが多いものですから。
お気持ちは分かります。でも力を貸してくださいますよ。そのことは気づいていらっしゃるでしょう? 邪魔が入らなくなったことなど・・・・アーネルさんがこれから自分が引き受けるとおっしゃってからは一度も邪魔は入っていませんよ。
──まったくおっしゃる通りです。あの時までの邪魔がぴたっと入らなくなったのが明らかに分かりました。ま、あなたが〝これまで〟と言ってくれるまで続けるつもりです。神のみ恵みを。では又の機会まで、さようなら。