第8章 暗黒街の探訪
第1節 光のかけ橋
一九一七年 大晦日

ここまでの吾々の下降の様子はいたって大まかに述べたにすぎません。が、これから吾々はいよいよ光輝が次第に薄れゆく境涯へ入っていくことになります。

これまでに地上へ降りて死後の世界について語った霊は、生命躍如たる世界については多くを語っても、その反対の境涯についてはあまり多くを語っておりません。いきおい吾々の叙述は理性的正確さを要します。

と言うのも、光明界と暗黒界について偏りのない知識を期待しつつも、性格的に弱く、従って喜びと美しさによる刺戟を必要とする者は、その境界の〝裂け目〟を吾々と共に渡る勇気がなく、怖気づいて背を向け、吾々が暗黒界の知識を携えて光明界へ戻ってくるのを待つことになるからです。

さて、地上を去った者が必ず通過する(すでにお話した)地域を通りすぎて、吾々はいよいよ暗さを増す境涯へと足を踏み入れた。すると強靭な精神力と用心ぶかい足取りを要する一種異様な魂の圧迫感が急速に増していくのを感じた。

それというのも、この度の吾々は一般に高級霊が採用する方法、つまり身は遠く高き界に置いて通信網だけで接触する方法は取らないことにしていたからです。

これまでと同じように、つまりみずからの身体を平常より低い界の条件に合わせてきたのを、そこから更に一段と低い界の条件に合わせ、その界層の者と全く同じではないがほぼ同じ状態、つまり見ようと思えば見え、触れようと思えば触れられ、吾々の方からも彼らに触れることの出来る程度の鈍重さを身にまとっていました。

そしてゆっくりと歩み、その間もずっと右に述べた状態を保つために辺りに充満する雰囲気を摂取していました。そうすることによって同時に吾々はこれより身を置くことになっている暗黒界の住民の心情をある程度まで察することができました。

その土地にも光の照っている地域があることはあります。が、その範囲は知れており、すぐに急斜面となってその底は暗闇の中にある。

そのささやかな光の土地に立って深い谷底へ目をやると、一帯をおおう暗闇の濃さは物すごく、吾々の視力では見通すことができなかった。

その不気味な黒い霧の上を薄ぼんやりとした光が射しているが、暗闇を突き通すことはできない。それほど濃厚なのです。その暗黒の世界へ吾々は下って行かねばならないのです。

貴殿のご母堂が話された例の〝光の橋〟はその暗黒界の谷を越えて、その彼方のさらに低い位置にある小高い丘に掛かっています。その低い端まで(暗黒界から)辿り着いた者は一旦そこで休息し、それからこちらの端まで広い道(光の橋)を渡って来ます。

途中には幾つかの休憩所が設けてあり、ある場所まで来ては疲れ果てた身体を休め、元気を回復してから再び歩み始めます。

と言うのも、橋の両側には今抜け出て来たばかりの暗闇と陰気が漂い、しかも今なお暗黒界に残っているかつての仲間の叫び声が、死と絶望の深い谷底から聞こえてくるために、やっと橋までたどり着いても、その橋を通過する時の苦痛は並大抵のことではないのです。

吾々の目的はその橋を渡ることではありません。その下の暗黒の土地へ下って行くことです。

──今おっしゃった〝小高い丘〟、つまり光の橋が掛かっている向こうの端のその向こうはどうなっているのでしょうか。

光の橋の向こう側はこちらの端つまり光明界へつながる〝休息地〟ほどは高くない尾根に掛かっています。さほど長い尾根ではなく、こちら側の端が掛かっている断崖と平行に延びています。その尾根も山のごとく聳えており、形は楕円形をしており、すぐ下も、〝休息地〟との間も、谷になっています。

そのずっと向こうは谷の底と同じ地続きの広大な平野で、表面はでこぼこしており、あちらこちらに大きなくぼみや小さな谷があり、その先は一段と低くなり暗さの度が増していきます。暗黒界を目指す者は光の橋にたどり着くまでにその斜面を登って来なければならない。

尾根はさほど長くないと言いましたが、それは荒涼たる平地全体の中での話であって、実際にはかなりの規模で広がっており、途中で道を見失って何度も谷に戻ってきてしまう者が大勢います。

いつ脱出できるかは要は各自の視覚の程度の問題であり、それはさらに改悛の情の深さの問題であり、より高い生活を求める意志の問題です。

さて吾々はそこで暫し立ち止まり考えを廻らしたあと、仲間の者に向かって私がこう述べた。

「諸君、いよいよ陰湿な土地にやってまいりました。これからはあまり楽しい気分にはさせてくれませんが、吾々の進むべき道はこの先であり、せいぜい足をしっかりと踏みしめられたい」

すると一人が言った。

「憎しみと絶望の冷気が谷底から伝わってくるのが感じられます。あの苦悶の海の中ではロクな仕事はできそうにありませんが、たとえわずかでも、一刻の猶予も許せません。その間も彼らは苦しんでいるのですから・・・・」

「その通り。それが吾々に与えられた使命です」──そう答えて私はさらにこう言葉を継いだ。「しかも、ほかならぬ主の霊もそこまで下りられたのです。

吾々はこれまで光明を求めて主のあとに続いてきました。これからは暗黒の世界へ足を踏み入れようではありませんか。なぜなら暗黒界も主の世界であり、それを主みずから実行してみせられたからです」
(暗黒界へ落ちた裏切り者のユダを探し求めて下りたこと。──訳者)

かくして吾々は谷を下って行った。行くほどに暗闇が増し、冷気に恐怖感さえ漂いはじめた。しかし吾々は救済に赴く身である。酔狂に怖いものを見に行くのではない。そう自覚している吾々は躊躇することなく、しかし慎重に、正しい方角を確かめながら進んだ。

吾々が予定している最初の逗留地は少し右にそれた位置にあり、光の橋の真下ではなかったので見分けにくかったのです。そこの小さな集落がある。

住民はその暗黒界での生活にうんざりしながら、ではその絶望的な境涯を後にして光明界へ向かうかというと、それだけの力も無ければ方角も判らぬ者ばかりである。

行くほどに吾々の目は次第に暗闇に慣れてきた。そして、ちょうど闇夜に遠い僻地の赤い灯を見届けるように、あたりの様子がどうにか見分けがつくようになってきた。あたりには朽ち果てた建物が数多く立ち並んでいる。

幾つかがひとかたまりになっているところもあれば、一つだけぽつんと建っているのもある。いずこを見てもただ荒廃あるのみである。

吾々が見た感じではその建物の建築に当たった者は、どこかがちょっとでも破損するとすぐにその建物を放置したように思える。あるいは、せっかく仕上げても、少しでも朽ちかかるとすぐに別のところに別の建物を建てたり、建築の途中で嫌になると放置したりしたようである。

やる気の無さと忍耐力の欠如があたり一面に充満している。絶望からくる投げやりの心であり、猜疑心からくるやる気のなさである。ともに身から出た錆であると同時に、同類の者によってそう仕向けられているのである。

樹木もあることはある。中には大きなものもあるが、その大半に葉が見られない。葉があっても形に愛らしさがない。煤けた緑色と黄色ばかりで、あたかもその周辺に住む者の敵意を象徴するかのように、ヤリのようなギザギザが付いている。幾つか小川を渡ったが、石ころだらけで水が少なく、その水もヘドロだらけで悪臭を放っていた。

そうこうしているうちに、ようやく目指す集落が見えてきた。市街地というよりは大小さまざまな家屋の集まりといった感じである。それも、てんでんばらばらに散らばっていて秩序が見られない。通りと言えるものは見当たらない。

建物の多くは粘土だけで出来ていたり、平たい石材でどうにか住居の体裁を整えたにすぎないものばかりである。外は明かり用にあちらこちらで焚き火がたかれている。

そのまわりに大勢集まり、黙って炎を見つめている者もいれば、口ゲンカをしている者もおり、取っ組み合いをしている者もいるといった具合である。

吾々はその中でも静かにしているグループを見つけて側まで近づき、彼らの例の絶望感に満ちた精神を大いなる哀れみの情をもって見つめた。そして彼らを目の前にして吾々仲間どうしで手を握り合って、この仕事をお与えくださった父なる神に感謝の念を捧げた。

第2節 小キリストとの出会い
一九一八年一月三日、木曜日

さて彼らのすぐ側まで来てみると、大きくなったり小さくなったりする炎を囲んで、不機嫌な顔つきでしゃがみ込んでいる者もいれば横になっている者もいた。吾々の立っている位置はすぐ後ろなのに見上げようともしない。

もっとも、たとえ見上げても吾々の存在は彼らの目に映らなかったであろう。彼らの視力の波長はその時の吾々の波長には合わなかったからです。

言いかえれば吾々の方が彼らの波長にまで下げていなかったということです。そこで吾々は互いに手を握り合って(エネルギーを強化して)徐々に鈍重性を増していった。すると一人二人と、何やら身近に存在を感じて、落ち着かない様子でモジモジしはじめた。

これが彼らの通例です。つまり何か高いものを求めはじめる時のあの苛立ちと不安と同じものですが、彼らはいつもすぐにそれを引っ込める。

と言うのも、上り行く道は険しく難儀に満ち、落伍する者が多い。最後まで頑張ればその辛苦も報われて余りあるものがあるのですが、彼らにはそこまで悟れない。知る手掛かりといえばこの度の吾々のように、こうして訪れた者から聞かされる話だけなのです。

そのうち一人が立ち上がって、薄ぼんやりとした闇の中を不安げに見つめた。背の高い痩せ型の男で、手足は節くれだち、全身が前かがみに折れ曲がり、その顔は見るも気の毒なほど希望を失い、絶望に満ち、それが全身に漂っている。

その男がヨタヨタと吾々の方へ歩み寄り、二、三ヤード離れた位置から覗き込むような目つきで見つめた。その様子から吾々はこの暗黒の土地に住む人間のうち少なくとも一にぎりの連中には、吾々の姿がたとえ薄ぼんやりとではあっても見ることが出来ることを知った。

それを見て私の方から歩み寄ってこう語りかけた。

「もしもし、拝見したところ大そうやつれていらっしゃるし、心を取り乱しておられる。何か吾々にできることでもあればと思って参ったのですが・・・・」

すると男から返事が返ってきた。それは地下のトンネルを通って聞こえる長い溜め息のような声だった。

「いったいお前さんはどこの誰じゃ。一人だけではなさそうじゃな。お前さんの後ろにも何人かの姿が見える。どうやらこの土地の者ではなさそうじゃな。いったいどこから来た?そして何の用があってこの暗い所へ来た?」

それを聞いて私はさらに目を凝らしてその男に見入った。と言うのは、その不気味な声の中にもどこか聞覚えのあるもの、少なくともまるで知らない声ではない何ものかが感じられたのである。そう思った次の瞬間にはたと感づいた。

彼とは地上ですぐ近くに住む間柄だったのである。それどころか、彼はその町の治安判事だった。

そこで私が彼の名を呼んでみた。が私の予期に反して彼は少しも驚きを見せなかった。困惑した顔つきで私を見つめるが、よく判らぬらしい。そこで私がかつての町の名前を言い、続いて奥さんの名前も言ってみた。

すると地面へ目を落とし、手を額に当ててしきりに思い出そうとした。そうしてまず奥さんの名前を思い出し、私の顔を見上げながら二度三度とその名を口ずさんだ。それから私が彼の名前をもう一度言ってみた。すると今度は私の唇からそれが出るとすぐに思い出してこう言った。

「わかった。思い出した。思い出した。ところで妻は今どうしてるかな。お前さんは何か消息をもってきてくれたのか。どうしてオレをこんなところに置いてきぼりにしやがったのかな、あいつは・・・・・」

そこで私は、奥さんがずっと高い界にいて、彼の方から上がって行かないかぎり彼女の方から会いに下りてくることはできないことを話して聞かせた。が彼にはその辺のことがよく呑み込めなかったようだった。

その薄暗い界でよほど感覚が鈍っているせいか、そこの住民のほとんどが自分がいったいどの辺りにいるのかを知らず、中には自分が死んだことすら気付いていない者がいる。

それほど地上生活の記憶の蘇ることが少なく、たとえ蘇ってもすぐに消え失せ、再び記憶喪失状態となる。それゆえ彼らの大半はその暗黒界以外の場所で生活したことがあるかどうかも知らない状態である。

しかしそのうちその境涯での苦しみをとことん味わってうんざりし始め、どこかもう少しましなところでましな人間と共に暮らせないものかと思い始めた時、その鈍感となっている脳裏にも油然として記憶が蘇り、その時こそ良心の呵責を本格的に味わうことになる。

そこで私はその男に事の次第を話して聞かせた。彼は地上時代には、彼なりの一方的な愛し方ではあったが、奥さんを深く愛していた。そこで私はその愛の絆をたぐり寄せようと考えた。が、彼は容易にその手には乗らなかった。

「それほどの(立派になった)人間なら、こんな姿になったオレのところへはもうやってきてはくれまいに・・・・」彼がそう言うので

「ここまで来ることは確かにできない。あなたの方から行ってあげるほかはない。そうすれば奥さんも会ってくれるでしょう」

これを聞いて彼は腹を立てた。

「あの、高慢ちきの売女(ばいた)め!オレの前ではやけに貞淑ぶりやがって、些細な過ちを大げさに悲しみやがった。今度会ったら言っといてくれ。せいぜいシミ一つないきれいな館でふんぞり返り、ぐうだら亭主の哀れな姿を眺めてほくそえむがいい、とな。

こちとらだって、カッコは良くないが楽しみには事欠かねえんだ。口惜しかったらここまで下りてくるがいい。ここにいる連中みんなでパーティでも開いて大歓迎でもしてやらぁ。じゃ、あばよ、だんな」

そう吐き棄てるように言ってから仲間の方を向き、同意を求めるようなうす笑いを浮かべた。

その時である。別の男が立ち上がってその男を脇へ連れて行った。この人はさっきからずっとみんなに混じって座っており、身なりもみんなと同じようにみすぼらしかったが、その挙動にどことなく穏やかさがあり、また吾々にとっても驚ろきに思えるほどの優雅さが漂っていた。

その人は男に何ごとかしばらく語りかけていたが、やがて連れだって私のところへ来てこう述べた。

「申し訳ございません。この男はあなた様のおっしゃることがよく呑み込めてないようです。皆さんが咎めに来られたのではなく慰めに来られたことが分かっておりません。あのようなみっともない言葉を吐いて少しばかり後悔しているようです。

あなた様とは地上で知らぬ仲ではなかったことを今言って聞かせたところです。どうかご慈悲で、もう一度声を掛けてやってください。ただ奥さんのことだけは遠慮してやってください。ここに居ないことを自分を見捨てて行ったものと考え、今もってそれが我慢ならないようですので・・・・」

私はこの言葉を聞いて驚かずにはいられなかった。あたりは焚火を囲んでいる連中からの怒号や金切り声や罵り声で騒然としているのに、彼は実に落着き払って静かにそう述べたからです。私はその人に一言お礼を述べてから、先の男のところへ行った。

私にとってはその男がお目当てなのである。と言うのも、彼はこのあたりのボス的存在であり、その影響力が大であるところから、この男さえ説得できれば、後は楽であるとの確信があった。

私はその男に近づき、腕を取り、名前を呼んで微笑みかけ、雑踏から少し離れたところへ連れて行った。それから地上時代の話を持ち出し、彼が希望に胸を膨らませていたころのことや冒険談、失敗談、そして犯した罪の幾つかを語って聞かせた。

彼は必ずしもその全てを潔く認めなかったが、いよいよ別れぎわになって、そのうちの二つの罪をその通りだと言って認めた。これは大きな収穫でした。

そこで私は今述べた地上時代のことにもう一度思いを馳せてほしい・・・・そのうち再び会いに来よう・・・・・君さえよかったら・・・・と述べた。そして私は彼の手を思い切り固く握りしめて別れた。

分かれた後彼は一人でしゃがみ込み、膝をあごのところまで引き寄せ、向こうずねを抱くような格好で焚き火に見入ったまま思いに耽っていました。

私はぜひさきの男性に会いたいと思った。もう一度探し出して話してからでないと去り難い気がしたのです。私はその人のことを霊的にそろそろその境涯よりも一段高いところへ行くべき準備ができている人ぐらいにと考えていました。

すぐには見つからなかったが、やがて倒れた木の幹に一人の女性と少し距離を置いて腰かけて語り合っているところを見つけた。女性はその人の話に熱心に聞き入っています。

私が近づくのを見て彼は立ち上がって彼の方から歩み寄ってきた。そこで私はまずこう述べた。

「この度はお世話になりました。お蔭さまであの気の毒な男に何とか私の気持ちを伝えることが出来ました。あなたのお口添えが無かったらこうはいかなかったでしょう。

どうやらこのあたりの住民のことについてはあなたの方が私よりもよく心得ていらっしゃるようで、お蔭で助かりました。ところで、あなたご自身の身の上、そしてこれから先のことはどうなっているのでしょう?」

彼はこう答えた。

「こちらこそお礼申し上げたいところです。私の身の上をこれ以上隠すべきでもなさそうですので申し上げますが、実は私はこの土地の者ではなく、第四界に所属している者です。私はみずから志願してこうした暗黒街で暮らす気の毒な魂を私にできる範囲で救うためにここに参っております」

私は驚いて「ずっとここで暮らしておられるのでしょうか」と尋ねた。

「ええ、随分長いこと暮らしております。でも、あまりの息苦しさに耐えかねた時は、英気を養うために本来の界へ戻って、それから再びやってまいります」

「これまで何度ほど戻られましたか」

「私がこの土地へ初めて降りてきてから地上の時間にしてほぼ六十年が過ぎましたが、その間に九回ほど戻りました。初めのうちは地上時代の顔見知りの者がここへやってくることがありましたが、今では一人もいなくなりました。みんな見知らぬ者ばかりです。でも一人ひとりの救済のための努力を続けております」

この話を聞いて私は驚くと同時に大いに恥じ入る思いがした。

この度の吾々一団の遠征は一時的なものに過ぎない。それを大変な徳積であるかに思い込んでいた。が、今目の前に立ってる男はそれとは次元の異なる徳積みをしてる。己れの栄光を犠牲にして他の者のために身を捧げているのである。

その時まで私は一個の人間の同胞(とも)のために己れを犠牲にするということの真の意味を知らずにいたように思う。

それも、こうした境涯の者のために自ら死の影とも呼ぶべき暗黒の中で暮らしているのである。彼はそうした私の胸中を察したようです。私の恥じ入る気持ちを和らげるためにこう洩らした。

「なに、これも主イエスへのお返しのつもりです──主もあれほどの犠牲を払われて吾々にお恵みくださったのですから・・・・」

私は思わず彼の手を取ってこう述べた。

「あなたはまさしく〝神の愛の書〟の聖句を私に読んで聞かせてくださいました。主の広く深き美しさと愛の厳しさは吾々の理解を超えます。理解するよりも、ただ讃仰するのみです。が、それだけに、少しでも主に近き人物、言うなれば小キリストたらんと努める者と交わることは有益です。思うにあなたこそその小キリストのお一人であらせられます」

が、彼は頭を垂れるのみであった。そして私がその髪を左右に分けられたところに崇敬の口づけをした時、彼はひとり言のようにこう呟いたのだった。

「勿体ないお言葉──私に少しでもそれに値するものがあれば──その有難き御名に相応しきものが一かけらでもあれば・・・・」

第3節 冒涜の都市
一九一八年一月四日、金曜日

その集落を後にしてから吾々はさらに暗黒界の奥地へと足を踏み入れました。そこここに家屋が群がり、焚き火が燃えている中を進みながら耳を貸す意志のある者に慰めの言葉や忠言を与えるべく吾々として最善の努力をしたつもりです。

が、残念なことにその大部分は受け入れる用意はできていませんでした。反省してすぐさま向上の道へ向かう者は極めて少ないものです。

多くはまず強情がほぐれて絶望感を味わい、その絶望感が憧憬の念へと変わり、哀れなる迷える魂に微かな光が輝き始める。そこでようやく悔恨の情が湧き、罪の償い意識が芽生え、例の光の橋へ向けての辛い旅が始まります。

が、この土地の者がその段階に至るのはまだまだ先のことと判断してその集落を後にしました。

吾々には使命があります。そして心の中にはその特別の仕事が待ち受けている土地への地図が刻み込まれております。決して足の向くまま気の向くままに暗黒界を旅しているのではありません。ただならぬ目的があって高き神霊の命によって派遣されているのです。

行くほどに邪悪性の雰囲気が次第に募るのを感じ取りました。銘記していただきたいのは、地域によって同じ邪悪性にも〝威力〟に差があり、また〝性質(たち)〟が異なることです。

同時に又、地上と同じくその作用にムラが見られます。邪悪もすべてが一つの型にはまるとはかぎらないということです。

そこにも自由意志と個性が認められているということであり、どれだけ永い期間それに浸るかによって強烈となっているものもあれば比較的弱いものもある。それは地上においても天界の上層界においても同じことです。

やがて大きな都市にたどり着いた。守衛の一団が行進歩調で行き来する中を、どっしりとした大門を通り抜けて市中へ入った。それまでは姿を見せるために波長を下げていたのを、こんどは反対に高めて彼らの目に映じない姿で通り抜けたわけです。

大門を通り抜けてすぐの大通りの両側には、まるで監獄の防壁のような、がっしりとした作りの大きな家屋が並んでいる。

そのうちの何軒かの通風孔から毒々しい感じの明りが洩れて通路を照らし、吾々の行く先を過(よ)ぎっている。そこを踏みしめて進むうちに大きな広場に来た。

そこに一つの彫像が高い台の上に立っている。広場の中央ではなく、やや片側に寄っており、そのすぐそばに、その辺りで一番大きい建物が立っていた。

彫像はローマ貴族のトーガ(ウールのゆるやかな外衣)をまとった男性で、左手に鏡を持って自分の顔を映し、右手にフラゴン(聖餐用のぶどう酒ビン)を持ち、今まさに足もとの水だらいにドボドボとぶどう酒を注いでいる──崇高なる儀式の風刺(パロディ)です。

しかもその水だらいの縁にはさまざまな人物像がこれまた皮肉たっぷりに刻まれている。

子供が遊んでいる図があるが、そのゲームは生きた子羊のいじめっ子である。別のところにはあられもない姿の女性が赤ん坊を逆さに抱いている図が彫ってある。

すべてがこうした調子で真面目なものを侮(あなど)っている──童子性、母性、勇気、崇拝、愛、等々を冒涜し、吾々がその都市において崇高なるものへの憧憬を説かんとする気力を殺がせる、卑猥(ひわい)にして無節操きわまるものばかりである。

あたり一体が不潔と侮辱に満ちている。どの建物を見ても構造と装飾に唖然とさせられる。しかし初めに述べた如く吾々には目的がある。嫌なことを厭(いと)ってはならない。使命に向かって突き進まねばならない。

そこで吾々は意念を操作して姿をそこの住民の目に映じる波長に落としてから、右の彫像のすぐ後ろの大きな建物──悪の宮殿──の門をくぐった。

土牢に似た大きな入り口を通り抜けて進むと、バルコニーに通じる戸口まで来た。バルコニーは見上げるようなホールの床と天井の中間を巻くようにしつらえてあり、ところどころに昇降階段が付いている。

吾々はその手すりのところまで近づいてホールの中をのぞいた。そこから耳をつんざくような強烈な声が聞こえてくるが、しばらくはそれを発している人物が見えなかった。

そうして吾々の目があたりを照らす毒々しい赤っぽい光に慣れてくると、どうやら中の様子が判ってきた。

すぐ表面に見えるホールの中央にバルコニーへ出る大きな階段がらせん状に付いている。それを取り囲むようにして聴衆が群がり、階段もその中ほどまで男女がすずなりになっている。が、その身なりはだらしなく粗末である。

そのくせ豪華に見せようとする意図がみられる。たとえば黄金や銀のベルトに首かざり、銀のブローチ、宝石をあしらったバックルや留め金を身につけている者がそこらじゅうにいる。が、ぜんぶ模造品であることは一目で判る。

黄金に見えるものはただの安ピカの金属片であり、宝石も模造品である。その階段の上段に演説者が立っている。大きな図体をしており、邪悪性が他を威圧する如くにその図体が他の誰よりも大きい。

頭部にはトゲのある冠をつけ、汚らしい灰色をしたマントルを羽織っている。かつては白かったのが性質(がら)が反映して煤(すす)けてしまったのであろう。

胸のあたりにニセの黄金で作った二本の帯が交叉し、腰のあたりで革紐で留めてある。足にはサンダルを履き、その足もとに牧羊者の(先の曲がった)杖が置いてある。が、見ている吾々に思わず溜息をつかせたのは冠であった。

トゲはいばらのトゲを黄金であしらい、陰気な眉のあたりを巻いていた。

帰れるものなら今すぐにも帰りたい心境であった。が、吾々には目的がある。どうしても演説者の話を最後まで聞いてやらねばならなかった。そのときの演説の中身を伝えるのは私にとって苦痛です。貴殿が書き取るのも苦痛であろうと思います。

が、地上にいる間にこうした暗黒界の実情を知っておくことです。なぜなら、こちらの世界にはもはや地上のような善と悪の混在の生活がない。善は高く上がり悪は低く下がり、この恐ろしい暗黒界に至っては、善による悪の中和というものは有り得ない。悪が悪とともに存在して、地上では考えられないような冒涜行為が横行するようになります。

何と、彼が説いていたのは〝平和の福音〟だった。そのごく一部だけを紹介して、後はご想像にお任せすることにしたい。

「そこでじゃ、諸君、吾々はその子羊を惨殺した獣を崇拝するために、素直な気持ちでここに参集した。子羊が殺害されたということは、われわれが幸福な身の上となり呪われし者の忌まわしき苦しみを乗り越えて生きて行こうとする目的にとっては、その殺害者は事実上のわれわれの恩人ということである。

それ故、諸君、その獣が子羊を真剣に求めそして見出し、その無害の役立たずものから生命(いのち)の血液と贖(あがな)いをもたらしてくれたごとくに、諸君も、つねに品性高き行為に御熱心であるからには、その子羊に相当するものを見つけ出し、かの牧羊者が教え給うたごとくに行うべきである。

諸君の抜け目なき沈着さをもって、子羊の如き惰性の中から歓喜の熱情と興奮に燃える生命をもたらすべきである・・・・そして女性諸君。げすな優雅さに毒されたその耳に私より一服の清涼剤を吹き込んで差し上げよう。

私を総督に選出してくれたこの偉大なる境涯に幼児はやって参らぬ。がしかし、諸君に申上げよう。どうか優しさをモットーとするこの私と、私が手にしているこの杖をとくと見てほしい。そして私を諸君の牧羊者と考えてほしい。

これより諸君を、多すぎるほどの子供を抱えている者のところへこの私がご案内しよう。

その者たちは、かつてせっかく生命を孕みながら、あまりに深き慈悲ゆえに、その生命を地上に送って苦をなめさせるに忍びず、生け贄としてモロック(*)の祭壇に捧げたごとく、その母なる胸より放り棄てるほど多くの子供を抱えている。

さ、諸君、生け贄とされた子をいとおしみつつも、その子の余りに生々しき記憶におびえ、それを棄て去らんと望む者のところへ私が連れて参ろう」(*子供を人身御供(ひとみごくう)として祭ったセム族の神。レビ記18・21、列王記23・10──訳者)

こうした調子で彼は演説を続けたが、その余りの冒涜性のゆえに私はこれ以上述べる気がしません。カスリーンに中継させるのも忍びないし、貴殿に聞かせるのも気がひけます。

それを敢えて以上だけでも述べたのは、貴殿並びに他の人々にこの男の善性への冷笑と愚弄(ぐろう)的従順さの一端を知っていただきたかったからであり、しかも彼がこの境涯にいる無数の同類の一つのタイプに過ぎないことを知っていただくためです。

いかにも心優しい人物を装い、いかにも遠慮がちに述べつつも、実はこの男はこの界層でも名うての獰猛(どうもう)さと残忍さを具えた暴君の一人なのです。

確かに彼はその国の総督に選ばれたことは事実ですが、それは彼の邪悪性を恐れてのことだった。その彼が、見るも哀れな半狂乱の聴衆を〝品性高き者〟と述べたものだから、彼らは同じ恐怖心にお追従(ついしょう)も手伝って彼の演説に大いなる拍手を送った。

彼はまた聴衆の中の毒々しく飾った醜女たちを〝貴婦人〟と呼び、羊飼いに羊が従うごとくに自分に付いてくるがよいと命じた。

するとこれまた恐怖心から彼女たちは拍手喝采をもって同意し、彼に従うべく全員が起立した。彼はくるりと向きを変えて、その巨大な階段を登ろうとした。

彼は次の段に杖を突いて、やおら一歩踏み出そうとして、ふとその足を引いて逆に一歩二歩と後ずさりし、ついに床の上に降りた。全会衆は希望と恐怖の入り混じった驚きで、息を呑んで身を屈めていた。その理由はほかならぬ階段の上段に現われた吾々の姿だったのです。

吾々はその環境において発揮できる限りの本来の光輝を身にまとって一番上段に立ち、さらに霊団の一人である女性が五、六段下がったところに立っていました。

エメラルドの玉飾りで茶色がかった金色の髪を眉(まゆ)の上あたりでしばり、霊格を示す宝石が肩のあたりで輝いており、その徳の高さを有りのまま表している。胴の中ほどを銀のベルトでしばっている。こうした飾りが目の前の群集の安ピカの宝石と際立った対照を見せている。

両手で白百合の花束を抱えているその姿は、まさしく愛らしい女性像の極致で、先ほどの演説者の卑猥な冒涜に対する挑戦でした。

男性も女性もしばしその姿に見とれていたが、そのうち一人の女性が思わずすすり泣きを始め、まとっていたマントでその声を抑えようとした。が、他の女性たちも甦ってくるかつての女性らしさに抗しきれずに泣き崩れ、ホールは女性の号泣で満たされてしまった。

そうして、見よ、その悲劇と屈従の境涯においては久しく聞くことのなかった純情の泣き声に男たちまで思わず手で顔おおい、地面に身を伏せ、厚い埃もかまわずに床に額をすりつけるのだった。

が、総督は引っ込んでいなかった。自分の権威に脅威が迫ったと感じたのである。全身に怒りを露(あらわ)にしながら、ひれ伏す女性たちのからだを踏みつけながら、大股で、最初に泣きだした女性のところへ歩み寄った。それを見て私は急いで階段の一番下まで降りて一喝した──

「待たれよ!私のところへ来なされ!」

私の声に彼は振り返り、ニヤリとしてこう述べた。

「貴殿は歓迎いたそう。どうぞお出でなされ。吾輩はここにいる臆病な女どもが貴殿の後ろのあのご婦人の光に目が眩んだようなので正気づかせようとしているまでじゃ。みんなして貴殿を丁重にお迎えするためにな・・・・」

が、私は厳しい口調で言い放った。

「お黙りなさい!ここへ来なされ!」

すると彼は素直にやって来て私の前に立ったので、続けてこう言って聞かせた。

「あの演説といい、その虚飾といい、冒涜の度が過ぎますぞ!まずその冠を取りなさい。それからその牧羊者の杖も手放しなさい。よくも主を冒涜し、主の子等を恐怖心で束縛してきたものです」

彼は私の言う通りにした。そこで私はすぐ側にいた側近の者に、さきほどよりは優しい口調でこう言って聞かせた。

「あなた達はあまりに長いあいだ臆病すぎました。この男によって身も心も奴隷にされてきました。この男はもっと邪悪性の強い者が支配する都市へ行かせることにします。これまでこの男に仕えてきたあなた達にそれを命じます。

そのマントを脱がせ,そのベルトを外させなさい。主を愚弄するものです。彼もいつかはその主に恭順の意を表することになるであろうが・・・・」

そう言って私は待った。すると四人の男が進み出てベルトを外しはじめた。男は怒って抵抗したが、私が杖を取り上げてその先で肩を抑えると、その杖を伝って私の威力を感じておとなしくなった。

これで私の意図が叶えられた。私は彼にそのホールから出て外で待機している衛兵に連れられて遠い土地にある別の都市へ行き、そこでこれまで他人にしてきたのと同じことをとくと味わってくるようにと言いつけた。

それからホールの会衆にきちんと坐り直すように言いつけ、全員が落着いたところで最初に紹介した歌手に合図を送った。すると強烈な歌声がホール全体に響き渡った。

その響きに会衆の心はさらに鼓舞され、そこにはもはやそれまで例の男によって抑えられてきた束縛の跡は見られなかった。あたりの明りから毒々しい赤味が消え、柔らかな明るさが増し、安らかさが会場にみなぎり、興奮と感激に震える身体を爽やかに包むのでした。

──どんなことを歌って聞かせたのでしょうか。

活発な喜びと陽気さにあふれた歌──春の気分、夜の牢獄が破られて訪れる朝の気分に満ち、魂を解放する歌、小鳥や木々、せせらぎが奏でるようなメロディを歌い上げました。

聖とか神とかの用語は一語も使っておりません。少なくともその場、その時には、一切口にしませんでした。彼らにとって何よりも必要とした薬は、それまでの奴隷的状態からの解放感を味わうように個性に刺戟を与えることでした。

そこで彼は生命の喜びと友愛の楽しさを歌い上げたのでした。と言って、それで彼らがいきなり陽気になったわけではありません。言わば絶望感が薄らいだ程度でした。

そのあとは吾々が引き受け、訓戒を与え、かくしてようやくそのホールが、かつては気の向かぬまま恐怖の中で聞かされていた冒涜の対象イエス・キリストの崇拝者によって満たされる日が来ました。

崇拝といっても、善性にあふれた上層界でのそれとは較べものになりませんが、調和の欠けた彼らの哀れな声の中にも、この度の吾々のように猜疑心と恐怖心に満ちた彼らの邪悪な感情のるつぼに飛び込んで苦心した者の耳には、どこか心を和ませる希望の響きが感じられるのでした。

それからあとは吾々に代って訪れる別の霊団によって強化と鍛錬を受け、それから先の長くかつ苦しい、しかし刻一刻開けてゆく魂の夜明けへ向けての旅に備えることになっており、吾々は吾々で、さらに別の目的地へ向けて出発したのでした。

──そのホールに集まったのは同じ性質の者ばかりですか。

ほぼ同じです。大体において同質の者ばかりです。性格的に欠けたところのある者も少しはおりました。それよりも、貴殿には奇異で有り得ないことのように思える事実をお話しましょう。

彼らのうちの何名かがさきの総督の失脚のお伴をすることになったことです。彼の邪悪性の影響を受けて一心同体と言えるほどまでになっていたために、彼らの個性には自主的に行動する独立性が欠けていたわけです。

そのために、それまで総督の毒々しい威力の中で仕えてきたごとくに、その失脚のお伴まですることなった。が、その数はわずかであり、別の事情で別の土地へ向かうことになった者も少しばかりいました。

しかし大多数は居残って、久しく忘れていた真理を改めて学び直すことになりました。

遠い昔の話は今の彼らにとっては新鮮に響き、かつ素晴らしいものに思えるらしく、見ている吾々には可哀そうにさえ思えました。

──その後総督はどうなりましたか。

今も衛兵が連れて行った遠い都市にいます。邪性と悪意は相も変らずで、まだまだ戻っては来れません。この種の人間の高尚な者へ目を向けるようになるのは容易なことではないのです。

──衛兵が連れて行ったと言われましたが、それはどんな連中でしたか。

これはまた難しい質問をなさいましたね。これは神について、その叡智、その絶対的支配についてもっと深く悟るまでは、理解することは困難な問題の一つです。

一言でいえば神の支配は天国だけでなく地獄にも及んでいるということで、地獄も神の国であり(悪魔ではなく)神のみが支配しているということです。先の衛兵は実は総督を連れて行った都市の住民です。

邪悪性の強い人間であることは確かであり、神への信仰などおよそ縁のない連中です。ですが総督を連行するように命ぜられた時、誰がそう裁決したのか聞こうともせず、それが彼にとって最終的な救済手段であることも知らぬまま、文句も言わずに命令に従った。

この辺の経緯の裏側を深く洞察なされば、地上で起こる不可解な出来ごとの多くを解くカギを見出すことが出来るでしょう。

大ていの人間は悪人は神の御国の範囲の外にいるもの──罪悪や災害は神のエネルギーが誤って顕現したものと考えます。しかし実は両者とも神の御手の中にあり、悪人さえも、本人はそうとは知らずとも、究極においてはそれなりの計画と目的を成就させられているのです。

この問題はしかし、今ここで扱うには少し大きすぎます。では、お寝みになられたい。吾々の安らぎが貴殿のものとなるよう祈ります。

第4節 悪の効用
一九一八年一月八日、火曜日

こうした暗黒の境涯において哀れみと援助を授ける使命に携わっているうちに、前もって立てられた計画が実は吾々自身の教育のために(上昇界において)巧妙に配慮されていることが判ってきました。

訪れる集落の一つひとつが順序よく吾々に新たな体験をさせ、吾々がその土地の者に救いの手を差しのべている間に、吾々自身も、一団と高き界から幸福と教訓を授けんとする霊団の世話に与(あずか)るという仕組みになっていたわけです。

その仕組みの中に吾々がすでに述べた原理の別の側面、すなわち神に反抗する者たちの力を逆手に取って神の仕事に活用する叡智を読み取っていただけるでしょう。

──彼らの納得を得ずに、ですか。

彼らの反感を買わずに、です。暗黒界の奥深く沈みこみ、光明界からの影響力に対して反応を示さなくなっている彼らでさえ、神の計画に貢献すべく活用されているということです。

やがて彼らが最後の審判の日(第一巻五章参照)へ向けて歩を進め、いよいよ罪の清算が行われるに際して、自分でこそ気が付かないが、そういう形での僅かな貢献も、少なくともその時は神の御心に対していつもの反抗的態度を取らなかったという意味において、聖なるものとして考慮に入れてもらえるのです。

──でも前回に出た総督はどうみてもその種の人間ではないと思いますが、彼のような者でもやはり何か有用性はあったのでしょうか。

ありました。彼なりの有用性がありました。つまり彼の失脚が、かつての仲間に、彼よりも大きな威力を持つ者がいることを示すことになったのです。

同時に、悪事は必ずしも傲慢(ごうまん)さとは結びつかず、天秤(てんびん)は遅かれ早かれいつかは平衡(へいこう)を取り戻して、差引勘定がきっちりと合わされるようになっていることも教えることになりました。

もっとも、あの総督自身はそれを自分の存在価値とは認めないでしょう。と言うのも、彼には吾々の気持ちが通じず、不信の念ばかりが渦巻いていたからです。

それでも、その時点ですでに部分的にせよそれまでの彼の罪に対する罰が与えられたからには、それだけのものが彼の償うべき罪業の総計から差し引かれ、消極的な意味ながらその分だけ彼にとってプラスになることを理解すべきです。

もっとも、貴殿の質問には大切な要素が含まれております。総督の取り扱い方は本人は気に入らなかったでしょうが、実はあれは、あそこまで総督の横暴を許した他の者に対する見せしめの意味も含まれておりました。

吾々があの界へ派遣され、あのホールへ導かれたのもそれが目的でした。その時はそうとは理解しておらず、自分たちの判断で行動したつもりでした。が実際には上層界の計画だったというわけです。

さて、貴殿の方さえ良ろしければもっと話を進めて、吾々が訪れた土地、そこの住民、生活状態、行状、そして吾々がそこの人たちにどんなことをしてあげたかを述べましょう。あちらこちらに似たような性質(たち)の人間が寄り集まった集落がありました。

寄り集まるといっても一時的なもので、孤独感を紛らわすために仲間を求めてあっちの集落、こっちの集落と渡り歩き、嫌気がさすとすぐにまた荒野へ逃れて行くということを繰り返しています。その様子は見ていて悲しいものです。

ほとんど例外なく各集落には首領(ボス)が──そして押しの強さにおいてボスに近いものを持つ複数の子分が──いて睨みをきかせ、その威圧感から出る恐怖心によって多くの者を隷属させている。

その一つを紹介すれば──これは実に荒涼とした寂しい僻地をえんえんと歩いてようやく辿り着いた集落ですが──まわりを頑丈な壁で囲み、しかもその領域が実に広い。中に入ると、さっそく衛兵に呼び止められました。衛兵の数は十人ほどいました。そこが正門であり、翼壁が二重になっている大きなものです。

みな図体も大きく、邪悪性も極度に発達している。吾々を呼び止めてからキャプテンがこう尋問した。

「どちらから来られた?」
「荒野を通っていく途中ですが・・・・」

「で、ここへは何の用がおありかな?」

その口調には地上時代には教養人であったことを窺わせるものがあり、挙動にもそれが表れていた。が、今ではそれも敵意と侮蔑(ぶべつ)で色付けされてる。それがこうした悲しい境涯の常なのです。

その尋問に吾々は──代表して私が──答えた。

「こちらの親分さんが奴隷のように働かせている鉱山の労働者たちに用事がありまして・・・・」

「それはまた結構な旅で・・・・」いかにも愉快そうに言うその言葉には吾々を騙そうとする意図が窺える。
「気の毒にあの人たちは自分たちの仕事ぶりを正しく評価し悩みを聞いてくださる立派な方が一日も早く来てくれないものかと一生懸命でしてな」

「中にはこちらの親分さんのところから一ときも早く逃れたいと思っている者もいるようですな。あなた方もそれぞれに頭の痛いことで・・・・」

これを聞いてキャプテンのそれまでのニコニコ顔が陰気なしかめっ面に一変した。ちらりと見せた白い歯は血に飢えた狼のそれだった。その上、彼の気分の変化とともに、あたりに一段と暗いモヤが立ちこめた。そしてこう言った。

「この私も奴隷にされているとおっしゃるのかな?」

「ボスの奴隷であり、ヒモでいらっしゃる。まさしく奴隷であり、さらに奴隷たちの使用人でもいらっしゃる」

「でたらめを言うとお前たちもオレたちと同じ身の上にするぞ。ボスのために金と鉄を掘らされることになるぞ」

そう言い放って衛兵の方を向き、吾々を逮捕してボスの館へ連れて行くように命じた。

が私は逆に私の方からキャプテンに近づいて彼の手首に私の手を触れた。するとそれが彼に悶えるほどの苦痛を与え、引き抜いていた剣を思わず放り出した。私はなおも手を離さなかった。

私のオーラと彼のオーラとが衝突して、その衝撃が彼に苦痛を与えるのであるが、私には一向に応えない。私の方が霊力において勝るために、彼は悶えても私には何の苦痛もない。貴殿もその気があれば心霊仲間と一緒にこの霊的力学について勉強なさることです。

これは顕と幽にまたがる普遍的な原理です。勉強なされば判ります。さて私は彼に言った。

「吾々はこの暗黒の土地の者ではありませんぞ。主の御国から参った者です。同じ生命を受けておりながら貴殿はそれを邪悪な目的に使って冒涜しておられる。今はまだ貴殿はこの城壁と残虐なボスから逃れて自由の身となる時期ではない」

彼はようやくその偉ぶった態度の薄い殻を破って本心をのぞかせ、こう哀願した。

「なぜ私はこの地獄の境涯とあのボスから逃れられないのですか。ほかの者は逃れて、なぜこの私だけ・・・・」

「まだその資格ありとのお裁きがないからです。これより吾々がすることをよくご覧になられることです。反抗せずに吾々の仕事を援助していただきたい。そして吾々が去ったあと、そのことをじっくりと反省なさっておれば、そのうち多分その中に祝福を見出されるでしょう」

「祝福ね・・・・・」そう言って彼はニヤリと笑い、さらに声に出して笑いだしたが、その笑いには愉快さは一かけらも無かった。が、それから一段と真剣な顔つきでこう聞いた。

「で、この私に何をお望みで?」
「鉱山の入口まで案内していただきたい」
「もしイヤだと言ったら?」
「吾々だけで行くことにする。そして貴殿は折角のチャンスを失うことになるまでですな・・・・」

そう言われて彼はしばらく黙っていたが、やがて、もしかしたらその方が得かもしれないと思って、大きな声で言った。

「いや、案内します。案内します。少しでも善行のチャンスがあるのなら、いつも止められているこの私にやらせていただきます。もしあのボスめが邪魔しやがったら、こんどこそただじゃおかんぞ」

そう言って彼は歩き出したので吾々もその後に続いた。歩きながら彼はずっと誰に言うともなくブツブツとこう言い続けた。

「彼奴とはいつも考えや計画が食い違うんだ。何かとオレの考えを邪魔しやがる、さんざん意地悪をしてきたくせに、まだ気が済まんらしい。云々・・・・」

そのうち振り返って吾々にこう述べた。

「申し分けありません。この土地の者はみな、ここでしっかりしなくては、という時になるといつも頭が鈍るんです。多分気候のせいでしょう。もしかしたら過労のせいかも知れません。どうかこのまま私に付いてきてください。お探しになっておられるところへ私がきっとご案内いたしますので・・・・」

彼の物の言い方と態度には軽薄さと冷笑的態度と冷酷さとが滲み出ている。が、今は霊的に私に牛取られているためにそれがかなり抑えられていて、反抗的態度に出ないだけである。

吾々は彼の後について行った。いくつか市街地を通ったが、平屋ばかりが何のまとまりもなく雑然と建てられ、家と家の間隔が広く空き、空地には目を和ませる草木一本見当たらず、じめじめした場所の雑草と、熱風に吹かれて葉が枯れ落ち枝だけとなった低木が見える程度である。

その熱風は主として今吾々が近づきつつある鉱山の地下道から吹き上げていた。

家屋は鉱山で働く奴隷労働者が永い労働のあとほんの僅かの間だけ休息を取るためのものだった。それを後にしてさらに行くと、間もなく地下深く続く坑道の大きな入口に来た。が、近づいた吾々は思わず後ずさりした。猛烈な悪臭を含んだ熱風が吹き出ていたからである。

吾々はいったんそれを避けてエネルギーを補充しなければならなかった。それが済むと、心を無情にして中に入り、キャップテンの後について坑道を下りていった。彼は今は黙したままで、精神的に圧迫を感じているのが分かる。

それは、そうでなくても前屈みになる下り道でなおいっそう肩をすぼめてる様子から窺えた。

そこで私が声を掛けてみた。振り向いて吾々を見上げたその顔は苦痛に歪み、青ざめていた。

「どうなされた?ひどく沈んでおられるが・・・・この坑道の入口に近づいた頃から苦しそうな表情になりましたな」

私がそう言うと彼はえらく神妙な調子で答えた。

「実は私もかつてはこの地獄のような焦熱の中でピッケルとシャベルを握って働かされた一人でして、その時の恐ろしさが今甦ってきて・・・・」

「だったら今ここで働いている者に対する一かけらの哀れみの情が無いものか、自分の魂の中を探してみられてはどうかな?」

弱気になっていた彼は私の言葉を聞いて坑道の脇の丸石の上に腰を下ろしてしまい、そして意外なことを口にした。

「とんでもない。とんでもない。哀れみが必要なのはこの私の方だ。彼らではない・・・」

「でも、そなたは彼らのような奴隷状態から脱し、鉱山から出て、今ではボスと呼んでいる男に仕えている、結構な身の上ではありませんか」

「貴殿のことを私は叡智に長けた人物とお見受けしていたが、どうやらその貴殿にも、一つの奴隷状態から一段と高い権威ある奴隷になることは、粗末なシャツをトゲのある立派なシャツに着替えるようなものであることをご存知ないようだ・・・・」

恥ずかしながら私はそれを聞いて初めて、それまでの暗黒界の体験で学んだことにもう一つ教訓を加えることになりました。この境涯に住む者は常に少しでもラクになりたいと望み、奴隷の苦役から逃れて威張れる地位へ上がるチャンスを窺っている。が、

ようやくその地位に上がってみると、心に描いていた魅力は一転して恐怖の悪夢となる。

それは残虐で冷酷な悪意の権化であるボスに近づくことに他ならないからである。なるほど、これでは魅力はすぐに失せ、希望が幻滅とともに消えてしまう。それでも彼らはなおも昇級を志し、野心に燃え、狂気の如き激情をもって悶える。そのことを私は今になってやっと知った。

その何よりの実物教訓が今すぐ目の前で、地獄の現場での数々の恐怖の記憶の中で気力を失い、しゃがみ込んでいる。その哀れな姿を見て私はこう尋ねた。

「同胞としてお聞きするが、こういう生活が人間として価値あることと思われるかな?」

「人間として・・・か。そんなものはこの仕事をするようになってから捨てちまった──と言うよりは、私をこの鉱山に押し込んだ連中によって剥ぎ取られちまった。今じゃもう人間なんかじゃありません。

悪魔です。喜びといえば他人を痛めつけること。楽しみと言えば残虐行為を一つひとつ積み重ねること。そして自分が味わってきた苦しみを他の者たちがどれだけ耐え忍ぶかを見つめることとなってしまいました」

「それで満足しておられるのかな?」
彼はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて口を開いた──「いいや」

それを聞いて私は再び彼の肩に手を置いた。私のオーラを押し付けた前回と違って、今回は私の心に同情の念があった。そして言った。

「同胞(とも)よ!」
ところが私のその一言に彼はきっとして私を睨みつけて言った。

「貴殿はさっきもその言葉を使われた。真面目そうな顔をしながらこの私をからかっておられる。どうせここではみんな愚弄し合っているんだ・・・・」

「とんでもない」と私はたしなめて言った。

「そなたがいま仕えている男をボスと呼んでおられるが、彼の権威は、そなたが彼より授かった権威と同じく名ばかりで実質はないのです。そなたは今やっと後悔の念を覚えはじめておられるが、後悔するだけでは何の徳にもなりません。

それが罪悪に対する自責の念の部屋へ通じる戸口となって初めて価値があります。この土地での用事が終わって吾々が去ったあと、今回の私との間の出来ごとをもう一度はじめから反芻し、その上で、私がそなたを同胞と呼んだわけを考えていただきたい。

その時もし私の援助が必要であれば呼んでください。きっと参ります──そうお約束します。ところで、もっと下りましょう。ずっと奥の作業場まで参りましょう。早く用事を終えて先へ進みたいのです。ここにいると圧迫感を覚えます」

「圧迫感を覚える?でも貴殿が苦しまれる謂われはないじゃありませんか。ご自分の意志でここまで来られたのであり、罪を犯した結果として連れて来られたわけではないのですから、決してそんなはずはありません」

それに対する返事として私は、彼が素直に納得してくれれば彼にとって救いになる話としてこう述べた。

「主にお会いしたことのある私の言うことをぜひ信じてほしい。この地獄の暗黒牢にいる者のうちの一人が苦しむ時、主はその肩に鮮血の如き赤色のルビーを一つお付けになる。吾々がそれに気づいて主の目を見ると主も同じように苦しんでおられるのが判ります。

こうして吾々なりの救済活動に携わっている者も、主と同じほどではないにしても、少なくとも苦しむ者と同じ苦しみを覚えるという事実においては主と同じであるということをうれしく思っております。

ですから、そなたの苦しみが吾々の苦しみであること、そしてそなたのことを同胞(とも)と呼ぶことを驚かれることはありません。大いなる海の如き愛を持って主がそう配慮してくださっているのですから」

第5節 地獄の底
一九一八年一月十一日、金曜日

私の話に元気づけられたキャプテンの後に付いて、吾々は再び下りて行った。やがて岩肌に掘り刻まれた階段のところに来て、それを降りきると巨大な門があった。キャプテンが腰に差していたムチの持ち手で扉を叩くと、鉄格子から恐ろしい顔をした男がのぞいて〝誰だ?〟と言う。

形は人間に違いないが、獰猛な野獣の感じが漂い、大きな口、恐ろしい牙、長い耳をしている。キャプテンが命令調で簡単に返事をすると扉が開けられ、吾々は中に入った。

そこは大きな洞窟で、すぐ目の前の隙間から赤茶けた不気味な光が洩れて、吾々の立っている場所の壁や天井をうっすらと照らしている。近寄ってその隙間から奥を覗くと、そこは急なくぼみになっていて人体の六倍ほどの深さがある。吾々は霊力を駆使してあたりを見まわした。

そして目が薄明りに慣れてくると、前方に広大な地下平野が広がっているのが分かった。どこまで広がっているのか見当もつかない。そのくぼみを中心として幾本もの通路が四方八方に広がっており、その行く先は闇の中に消えている。

見ていると、幾つもの人影がまるで恐怖におののいているかのごとく足早やに行き来している。時おり足に鎖をつけられた者がじゃらじゃらと音を立てて歩いているのが聞こえる。

そうかと思うと、悶え苦しむ不気味な声や狂ったように高らかに笑う声、それとともにムチ打つ音が聞こえてくる。思わず目を覆い耳をふさぎたくなる。苦しむ者がさらに自分より弱い者を苦しめては憎しみを発散させているのである。あたり一面、残虐の空気に満ち満ちている。私はキャプテンの方を向いて厳しい口調で言った。

「ここが吾々の探していた場所だ!どこから降りるのだ!?」

彼は私の口調が厳しくなったのを感じてこう答えた。

「そういう物の言い方は一向に構いませんぞ。私にとっては同胞(とも)と呼んでくれるよりは、そういう厳しい物の言い方の方がむしろ苦痛が少ないくらいです。

と言うのも、私もかつてはこの先で苦役に服し、さらにはムチを手にして他の者たちを苦役に服させ、そしてその冷酷さを買われてこの先に出入口のある区域で主任監督となった者です。そこはここからは見えません。

ここよりさらに低く深い採掘場へ続く、幾つもある区域の最初です。それからさらにボスの宮殿で働くようになり、そして例の正門の衛兵のキャプテンになったという次第。

ですが、今にして思えば、もし選択が許されるものなら、こうして権威ある地位にいるよりは、むしろ鉱山の奥底に落ちたままの方がラクだったでしょうな。そうは言っても、二度と戻りたいとは思わん。イヤです・・・・イヤです・・・・」

そう言ったまま彼は苦しい思いに身を沈め、私が次のような質問をするまで、吾々の存在も忘れて黙っていた。

「この先にある最初の広い区域は何をするところであろう?」

「あそこはずっと先にある仕事場で溶融され調合された鉱石がボスの使用する凶器や装飾品に加工されるところです。出来上がると天井を突き抜けて引き上げられ、命じられた場所へ運ばれる。

次の仕事場は鉱石が選り分けられるところ、その次は溶融されたものを鋳型に入れて形を作るところ。一番奥の一番底が採掘現場です。いかがです?降りてみられますか」

私はぜひ降りて、まず最初の区域を見ることでその先の様子を知りたいと言った。

それでは、ということで彼は吾々を案内して通風孔まで進み、そこで短い階段を下りて少し進むと、さっき覗いた隙間の下から少し離れたところに出た。

その区域は下り傾斜になっており、そこを抜けきって、さっきキャプテンが話してくれた幾つかの仕事場を通り過ぎて、ついに採掘場まで来た。私は何としてもこの暗黒界の悲劇のドン底を見て帰る覚悟だったのである。

通っていった仕事場はすべてキャプテンの話したとおりだった。天井の高さも奥行きも深さも途方もない規模だった。が、そこで働く何万と数える苦役者はすべて奴隷の身であり、時たま、ほんの時たま、小さな班に分けられて厳しい監視のもとに地上の仕事が与えられる。が、

それは私には決してお情けとは思えなかった。むしろ残酷さと効率の計算から来ていた。つまり再び地下に戻されるということは絶望感を倍加させる。

そして真面目に、そして忠実に働いていると、またその報酬として地上へ上げてもらえる、ということの繰り返しに過ぎない。空気はどこも重苦しく悪臭に満ち、絶望感からくる無気力がみんなの肩にのしかかっている。それは働く者も働かせるものも同じだった。

吾々はついに採掘場へ来た。出入口の向こうは広大な台地が広がっている。天上は見当たらない。上はただの暗黒である。ほら穴というよりは深い谷間にいる感じで、両側にそそり立つ岩は頂上が見えない。それほど地下深くに吾々はいる。

ところが左右のあちらこちらに、さらに深く降りて行くための横坑が走っており、その奥は時おりチラチラと炎が揺れて見えるほかは、殆どが漆黒の闇である。

そして長く尾を引いた溜め息のような音がひっきりなしにあたりに聞こえる。風が吹く音のようにも聞こえるが空気は動いていない。立坑もある。その岩壁に刻み込まれた階段伝いに降りては、吾々が今立っている位置よりはるか地下で掘った鉱石を坑道を通って運び上げている。

台地には幾本もの通路が設けてあり、遠くにある他の作業場へ行くための出入口につながってる。その範囲は暗黒界の地下深くの広大な地域に広がっており、それは例の〝光の橋〟はもとより、その下の平地の地下はるかはるか下方に位置している。

ああ、そこで働く哀れな無数の霊の絶望的苦悶・・・・途方もない暗黒の中に沈められ、救い出してくれる者のいない霊たち・・・・

がしかし、たとえ彼ら自身もあきらめていても、光明の世界においては彼らの一人ひとりを見守り、援助を受け入れる用意のできた者には、この度の吾々がそうであるように、救助の霊が差し向けられるのである。

さて私はあたりを見回し、キャプテンからの説明を受けたあと、まわりにある出入口すべての扉を開けるように命じた。するとキャプテンが言った。

「申しわけない。貴殿の言うとおりにしてあげたい気持ちは山々だが、私はボスが怖いのです。怒った時の恐ろしさは、それはそれは酷いものです。こうしている間もどこかでスパイがいて、彼に取り入るために、吾々のこれまでの行動の一部始終を報告しているのではないかと、心配で心配でなりません」

それを聞いて私はこう言った。

「吾々がこの暗黒の都市へ来て初めてお会いして以来そなたは急速に進歩しているようにお見受けする。以前にも一度そなたの心の動きに向上の兆しが見られるのに気付いたことがあったが、その時は申し上げるのを控えた。今のお話を聞いて私の判断に間違いがなかったことを知りました。

そこで、そなたに一つの選択を要求したい。早急にお考えいただいて決断を下してもらいたい。吾々がここへ参ったのは、この土地の者で少しでも光明を求めて向上する意志のある者を道案内するためです。そなたが吾々の見方になって力をお貸しくださるか、それとも反対なさるか、その判断をそなたに一任します。

いかがであろう、吾々と行動を共にされますか、それともここに留まって今までどおりボスに仕えますか。早急に決断を下していただきたい」

彼は立ったまま私を見つめ、次に私の仲間へ目をやり、それから暗闇の奥深く続く坑道に目をやり、そして自分の足もとに目を落とした。それは私が要求したように素早い動きであった。そして、きっぱりとこう言った。

「有難うございました。ご命令どおり、すべての門を開けます。しかし私自身はご一緒する約束はできません。そこまでは勇気が出ません──まだ今のところは」

そう言い終わるや、あたかもそう決心したことが新たな元気を与えたかのごとく、くるりと向きを変えた。その後ろ姿には覚悟を決めた雰囲気が漂い、膝まで下がったチュニックにも少しばかり優雅さが見られ、身体にも上品さと健康美が増していることが、薄暗い光の中でもはっきりと読み取れた。

それを見て私は彼が自分でも気づかないうちに霊格が向上しつつあることを知った。極悪非道の罪業のために本来の霊格が抑えられていたのが、何かをきっかけに突如として魂の牢獄の門が開かれ、自由と神と陽光を求めて突進しはじめるということは時としてあるものです。

実際にあります。しかし彼はそのことを自覚していなかったし、私も彼の持久力に確信が持てなかったので黙って様子を窺っていたわけです。

そのうち彼が強い調子で門番に命ずる声が聞こえてきた。さらに坑道を急いで次の門で同じように命令しているのが聞こえた。その調子で彼は次々と門を開けさせながら、吾々が最初に見た大きな作業場へ向かって次第に遠ざかっていくのが、次第に小さくなっていくその声で分かった。

第6節 〝強者(つわもの)よ、何ゆえに倒れたるや〟
一九一八年一月十五日、火曜日

そこで吾々はこの時ばかり一斉に声を張り上げて合唱しました。声のかぎりに歌いました。その歌声はすべての坑道を突き抜け、闇の帝王たるボスの獰猛(どうもう)な力で無数の霊が絶望的な苦役に甘んじている作業場や洞窟のすみずみにまで響きわたりました。

あとで聞かされたことですが、吾々の歌の旋律が響いてきたとき彼らは仕事を中止してその不思議なものに耳を傾けたとのことです。

と言うのも、彼らの境涯で聞く音楽はそれとはおよそ質の異なるもので、しかも吾々の歌の内容(テーマ)が彼らには聞き慣れないものだったからです。

──どんな内容だったのでしょう。

吾々に託された目的に適ったことを歌いました。まず権力と権威の話をテーマにして、それがこの恐怖の都市で猛威をふるっていることを物語り、次にその残酷さと恥辱と、その罠にかかった者たちの惨状を物語り、続いてその邪悪性がその土地にもたらした悪影響、つまり暗闇は魂の暗闇の反映であり、それが樹木を枯らし、土地を焦がし、岩場をえぐって洞窟と深淵をこしらえ、水は汚れ、空気は腐敗の悪臭を放ち、至るところに悪による腐敗が行きわたっていることを物語りました。

そこでテーマを変え、地上の心地良い草原地帯、光を浴びた緑の山々、こころ和ませるせせらぎ、それが、太陽の恵みを受けた草花の美しく咲き乱れる平地へ向けて楽しそうに流れていく風景を物語りました。

続いて小鳥の歌、子に聞かせる母の子守歌、乙女に聞かせる男の恋歌、そして聖所にてみんなで歌う主への讃仰の歌──それを天使が玉座に持ち来り、清めの香を添えて主に奉納する。

こういう具合に吾々は地上の美を讃えるものを歌に託して合唱し、それから更に一段と声を上げて、地上にて勇気を持って主の道を求め今は父なる神の光と栄光のもとに生きている人々の住処──そこでは荘厳なる樹木が繁り、豪華けんらんたる色彩の花が咲き乱れ、父なる神の僕として経綸に当たる救世主イエスの絶対的権威に恭順の意を表明する者にとって静かなる喜びの源泉となるものすべてが存在することを歌い上げました。

──あなたが率いられた霊団は全部で何名だったのでしょうか。

七の倍にこの私を加えた十五人です。これで霊団を構成しておりました。さて吾々が歌い続けていると一人また一人と奴隷が姿を現しました。青ざめ、やつれきった顔があの坑道この坑道から、さらには、岩のくぼみからも顔をのぞかせ、また吾々の気付かなかった穴やほら穴からも顔を出して吾々の方をのぞき見するのでした。

そしてやがて吾々の周りには、恐怖におののきながらもまだ光を求める心を失っていない者たちが、近づこうにもあまりそばまで近づく勇気はなく、それでも砂漠でオアシスを見つけたごとく魂の甦るのを感じて集まっていた。

しかし中には吾々をギラギラした目で睨み付け、魂の怒りを露(あらわ)にしている者もいた。

さらには吾々の歌の内容が魂の琴線に触れて、過去の過ちへの悔恨の情や母親の子守歌の記憶の甦りに慟哭して地面に顔を伏せる者もいた。彼らはかつてはそれらを軽蔑して道を間違えた──そしてこの道へ来た者たちだったわけです。

その頃から吾々は歌の調子を徐々にゆるやかにし、最後は安息と安らぎの甘美なコードで〝アーメン〟を厳かに長く引き延ばして歌い終わった。

するとその中の一人が進み出て、吾々から少し離れた位置で立ち止まり、跪いて〝アーメン〟を口ずさんだ。これを見た他の者たちは彼にどんな災難がふりかかるのかと固唾(かたず)をのんで見守った。と言うのも、それは彼らのボスに対する反逆に他ならなかったからです。

が、私は進み出て彼の手を取って立たせ、吾々の霊団のところまで連れてきた。そこで霊団の者が彼を囲んで保護した。これで彼に危害の及ぶ気遣いはなくなった。

すると三々五々、あるいは十人二十人と吾々の方へ歩み寄り、その数は四百人ほどにもなった。そして、まるで暗誦文を諳(そら)んずる子供のようにきちんと立って、彼に倣って〝アーメン〟と言うのだった。

坑道の蔭では舌打ちしながら吾々へ悪態をついている者もいたが、腕ずくで行動に出る者はいなかった。そこで私は、希望する者は全員集まったとみて、残りの者に向けてこう述べた。

「この度ここに居残る選択をした諸君、よく聞いてほしい。諸君より勇気のある者はこれよりこの暗黒の鉱山を出て、先ほどの吾々の歌に中に出てきた光と安らぎの境涯へと赴くことになる。

今回は居残るにしても、再び吾々の仲間が神の使いとして訪れた時、今この者たちが吾々の言葉に従うごとく、どうか諸君もその使いの者に従う心の準備をしておいてほしく思う」

次に向きを変え、そこを出る決心をした者へ勇気づけの言葉を述べた。と言うのも、彼らはみな自分たちの思い切った選択がもたらす結果に恐れおののいていたからです。

「それから私の同志となれた諸君、あなた方はこれより光明の都市へ向けて歩むことになるが、その道中においてボスの手先による脅しには一向に構ってはなりませんぞ。もはや彼はあなた方の主(ぬし)ではなくなったのです。

そして、もっと明るい主に仕え、然るべき向上を遂げた暁には、それに相応しい衣服を給わることになります。が、今は恐れることなく一途に私の言うことに従ってほしい。間もなくボスがやってきます。全てはボスと決着をつけてからのことです」

そう述べてから、吾々がキャプテンとともにそこに入ってきた門、そして四百人もの奴隷が通ってきた門の方へ目をやった、それに呼応するかのように、それよりさらに奥の門の方から騒々しい声が聞こえ、それが次第に近づいてきた。

ボスである。吾々の方へ進みながら奴隷たちに、自分に付いてきて傲慢きわまる侵入者へ仕返しをするのだとわめいている。脅しや呪いの言葉も聞こえる。恐怖心から彼の後に付いてくる哀れな奴隷たちも彼を真似してわめき散らしている。

私はボスを迎えるべく一団の前に立った。そしてついにそのボスの姿が見えてきた。

──どんな人でしたか──彼の容貌です。

彼も神の子であり従って私の兄弟である点は同じです。ただ、今は悪に沈みきっているというまでです。それ故に私としては本当は慈悲の心から彼の容貌には構いたくないのです。彼が憎悪と屈辱をむき出しにしている姿を見た時の私の心にあったのは、それを哀れと思う気持ちだけでした。

が、貴殿が要求されるからにはそれを細かく叙述してみましょう。それが〝強者(つわもの)よ、何ゆえに倒れたるや〟(サムエル書(2)1・19)という一節にいかに深い意味があるかを悟られる縁(よすが)になろうと思うからです。

図体は巨人のようで、普通の人間の1.5倍はありました。両肩がいびつで、左肩が右肩より上がっていました。ほとんど禿げあがった頭が太い首の上で前に突き出ている。煤けた黄金色をしたソデなしのチュニックをまとい、右肩から剣を下げ、腰の革のベルトに差し込んでいる。

錆びた(鎧)のスネ当てを付け、なめされていない革の靴を履き、額には色褪せた汚れた飾り輪を巻いている。その真ん中に動物の浮き彫りがあるが、それは悪の力を象徴するもので、それに似た動物を地上に求めれば、さしづめ〝陸のタコ〟(というものがいるとすればであるが)であろう。

彼の姿の全体の印象を一口で言えば〝王位の模倣〟で、別の言い方をすれば、所詮は叶えられるはずもない王位を求めてあがく姿を見る思いでした。その陰険な顔には激情と狂気と貪欲と残忍さと憎しみとが入り混じり、同時にそれが全身に滲みわたっているように思えた。実際はその奥には霊的な高貴さが埋もれているのです。

つまり善の道に使えば偉大な力となったはずのものがマヒしたために、今では悪のために使用されているにすぎない。彼は足をすべらせた大天使なのです。それを悪魔と呼んでいるにすぎないのです。

──地上では何をしていた人か判っているのでしょうか。

貴殿の質問には何なりとお答えしたい気持ちでいます。質問された時は私に対する敬意がそうさせているものと信じています。そこで私も喜んでお答えしています。どうぞこれからも遠慮なく質問されたい。

もしかしたら私にも気づかない要因があるかも知れません。その辺は調べてみないと分かりませんが、ただ、それに対する私の回答の意味を取り違えないでいただきたい。

そのボスが仮に地上ではこの英国の貧民層のための大きな病院の立派な外科医だったとしても、少しもおかしくありません。もしかして牧師だったとしても、あるいは慈善家だったとしても、これ又、少しも不思議ではない。

外見というものは必ずしも中身と一致しないものです。とにかく彼はそういう人物でした。大ざっぱですが、この程度で我慢していただきたいのですが・・・・

──余計な質問をして申しわけありません。

いや、いや、とんでもない。そういう意味ではありません。私の言葉を誤解しないでいただきたい。疑問に思われることは何なりと聞いていただきたい。貴殿と同じ疑問を他の大勢の人も抱いているかもしれない。それを貴殿が代表してることになるのですから・・・・

さて、そのボスが今まさに目の前に立っている。わめき散らす暴徒たちにとっては紛れもない帝王であり、後方と両側に群がる人数は何千を数える。

が、彼との間には常に一定の距離が置かれている──近づくのが怖いのである。左手にはムチ紐が何本もついた見るからに恐ろしい重いムチがしっかりと握られていて、奴隷たちは片時もそのムチから目を離そうとせず、他の方向へ目をやってもすぐまたムチへ目を戻す。

ところがそのボスが吾々と対峙したまま口を開くのを躊躇している。そのわけは、彼が永い間偉そうに、そして意地悪く物を言うクセが付いており、いま吾々を前にして、吾々の落着き払った態度が他の連中のおどおどした態度とあまりにも違うためにためらいを感じてしまったのです。

そうやって向かい合っていた時である。ボスの後方に一人の男が例の正門のところで会った守衛の服装の二人の男に捕らわれて紐でしばられているのが私の目に入った。蔭の中にいたので私は目を凝らして見た。なんとそれはキャプテンだった。

私はとっさに勢いよく進み出てボスのそばを通り──通りがかりにボスの剣に手を触れておいて──二人の守衛の前まで行き「紐をほどいてその男を吾々に渡すのだ」と命じた。

これを耳にしたボスが激怒して剣を抜き私に切りかかろうとした。が、すでにその剣からは硬度が抜き取られていた。まるで水草のようにだらりと折れ曲がり、ボスは唖然としてそれを見つめている。

自分の権威の最大の象徴だった剣が威力を奪われてしまったからである。もとより私自身は彼をからかうつもりは毛頭なかった。しかし他の者たち、即ち彼の奴隷たちはボスの狼狽した様子に、ユーモアではなく悪意からでる滑稽さを見出したようだった。

岩蔭から嘲笑と侮りの笑い声がどっ沸きおこったのである。するとどうであろう。刀身が見る間に萎れ、朽ち果て、柄(つか)から落ちてしまった。

ボスは手に残った柄を最後まで笑っている岩蔭の男を目がけて放り投げつけた。その時私が守衛の方を向くと、二人は慌ててキャプテンの紐をほどいて吾々の方へ連れてきた。

とたんにボスのカラ威張りの雰囲気が消え失せ、まず私に、それから私の仲間に向かって丁寧におじぎをした。その様子を見ても、このボスは邪悪性が善性へ向かえばいつの日か、吾らが父の偉大なる僕となるべき人物であることが分かる。

「恐れ入った・・・・」彼は神妙に言った。「あなた様は拙者より強大な力を自由に揮(ふる)えるお方のようじゃ。そのことには拙者も潔くカブトを脱ごう。で、拙者と、この拙者に快く骨身を惜しまず尽してくれた忠実な臣下たちをどうなさるおつもりか、お教えねがえたい」

いかにも神妙な態度を見せながらも、彼の言葉のいたるところに拗ねた悪意が顔をのぞかせる。この地獄の境涯ではそれが常なのである。すべてが見せかけなのである。奴隷の境遇を唯一の例外として・・・・

そこで私は彼に吾々のこの度の使命を語って聞かせた。すると彼はまたお上手を言った。

「これはこれは。あなた様がそれほどのお方とは存じ上げず、失礼を致した。そうと存じ上げておればもっと丁重にお迎え致しましたものを・・・・しかし、その償いに、これからはあなた様にご協力を申し上げよう。さ、拙者に付いて参られたい。正門まで拙者が直々にご案内いたそう。皆さんもどうぞ後に続かれたい」

そう言って彼は歩き始め、吾々もその後に続き、洞窟や仕事場をいくつか通り抜けて、吾々が鉱山に入って最初に辿り着いた大きな門へ通じる階段の手前にある小さな門のところまで来た。

第7節 救出
一九一八年一月十八日、金曜日

そこまで来てみると、はるか遠くの暗闇からやってきた者たちも加わって、吾々に付いてくる者の数は大集団となっていた。いつもなら彼らの間で知らせが行き交うことなど滅多にないことなのですが、この度は吾々のうわさは余程の素早さで鉱山じゅうに届いたとみえて、その数は初め何百だったのが今や何千を数えるほどになっていた。

今立ち止まっているところは、最初に下りてきたときに隙間から覗き込んだ場所の下に当たる。その位置から振り返っても集団の前の方の者しか見えない。が、私の耳には地下深くの作業場にいた者がなおも狂ったようにわめきながら駆けて来る声が聞こえる。

やがてボスとその家来たちの前を通りかかると急に静かになる。そこで私はまずボスに向かって言って聞かせた。

「そなたの心の中をのぞいてみると、さきほど口にされた丁寧なお言葉に似つかわしいものが一向に見当たりませんぞ。が、それは今は構わぬことにしよう。こうして天界より訪れる者は哀れみと祝福とを携えて参る。

その大きさはその時に応じて異なる。そこで吾々としてもそなたを手ぶらで帰らせることにならぬよう、今ここで大切なことを忠告しておくことにする。

すなわち、これよりそなたは望み通りにこれまでの生き方を続け、吾々は天界へと戻ることになるが、その後の成り行きを十分に心されたい。

この者たちはそなたのもとを離れて、そなたほどには邪悪性の暗闇の濃くない者のもとで仕えることになるが、そのあとで、どうかこの度の出来ごとを思い返して、その意味するところをとくと吟味してもらいたい。

そして、いずれそなたも、そなたの君主であらせられる方の、虚栄も残忍性も存在しない、芳醇(ほうじゅん)な光の国より参った吾々に対する無駄な抵抗の末に、ほぞをかみ屈辱を覚えるに至った時に、どうかこうした私の言葉の意味を味わっていただきたい」

彼は地面に目を落とし黙したまま突っ立っていた。分かったとも分からぬとも言わず、不機嫌な態度の中に、スキあらば襲いかかろうとしながら、恐ろしさでそれも出来ずにいるようであった。そこで私は今度は群集へ向けてこう語って聞かせた。

「さて今度は諸君のことであるが、この度の諸君の自発的選択による災難のことは一向に案ずるに足らぬ。諸君はより強き方を選択したのであり、絶対に見捨てられる気遣いは無用である。

ひたすらに忠実に従い、足をしっかりと踏まえて付いて来られたい。さすれば程なく自由の身となり、旅の終わりには光り輝く天界の高地へとたどり着くことが出来よう」

そこで私は少し間を置いた、全体を静寂がおおった。やがてボスが顔を上げて言った。

「おしまいかな?」

「ここでは以上で留めておこう。この坑道を出て大地へ上がってから、もっと聞きやすい場所に集めて、これから先の指示を与えるとしよう」

「なるほど。この暗い道を出てからね。なるほど、その方が結構でしょうな」

皮肉っぽくそう述べてる彼の言葉の裏に企みがあることを感じ取った。

彼は向きを変え、出入口を通り抜け、家来を引き連れて都市へ向かって進みはじめた。
吾々は脇へ寄って彼らを見送った。目の前を通り過ぎて行く連中の中に私はキャプテンの姿を見つけ、この後の私の計画を耳打ちしておいた。彼は連中と一緒に鉱山を出た。そして吾々もその後に続いて進み、ついに荒涼たる大地に出た。

出てすぐに私は改めて奴隷たちを集めて、みんなで手分けして町中の家という家、洞窟という洞窟をまわってこの度のことを話して聞かせ、いっしょに行きたい者は正門の広場に集まるように言って聞かせよと命じた。

彼らはすぐさま四方へ散っていった。するとボスが吾々にこう言った。

「彼らが回っている間、よろしかったら拙者たちとともに御身たちを拙宅へご案内いたしたく存ずるが、いかがであろう。御身たちをお迎えすれば拙者の家族も祝福がいただけることになるのであろうからのお」

「無論そなたも、そしてそなたのご家族にも祝福があるであろう。が、今ただちにというわけには参らぬし、それもそなたが求める通りとは参らぬ」

そう言ってから吾々は彼について行った。やがて都市のド真ん中と思われるところへ来ると、暗黒の中に巨大な石の構築物が見えてきた。住宅というよりは城という方が似つかわしく、城というよりは牢獄という方が似つかわしい感じである。

周囲を道路で囲み、丘のように聳え立っている。が、いかにも不気味な雰囲気が漂っている。どこもかしこも、そこに住める魂の強烈な暗黒性を反映して、真実、不気味そのものである。住める者が即ち建造者にほかならないのである。

中に通され、通路とホールを幾つか通り抜けて応接間へきた。あまり大きくはない。そこで彼は接待の準備をするので少し待ってほしいと言ってその場を離れた。彼が姿を消すとすぐに私は仲間たちに、彼の悪だくみが見抜けたかどうかを尋ねてみた。

大半の者は怪訝な顔していたが、二、三人だけ、騙されていることに気づいていた者がいた。そこで私は、吾々がすでに囚われの身になっていること、周りの扉は全部カギが掛けられていることを教えた。

すると一人がさっき入って来たドアのところ行ってみると、やはり固く閉ざされ、外から閂(かんぬき)で締められている。その反対側には帝王の間の一つ手前の控えの間に通じるドアがあるが、これも同じく閂で締められていた。

貴殿はさぞ、少なくとも十四人のうち何人かは、そんな窮地に陥って動転したであろうと思われるであろう。が、こうした使命、それもこの暗黒界の奥地へ赴く者は、長い間の鍛錬によって恐怖心というものはすでに無縁となっている者、善の絶対的な力を、いかなる悪の力に対しても決して傷つけられることなく、確実に揮(ふる)うことのできる者のみが選ばれていることを忘れてはならない。

さて吾々はどうすべきか──それは相談するまでもなく、すぐに決まったことでした。十五人全員が手をつなぎ合い、波長を操作することによって吾々の通常の状態に戻したのです。それまではこの暗黒界の住民を装って探訪するために、鈍重な波長に下げていたわけです。

精神を統一するとそれが徐々に変化して身体が昇華され、まわりの壁を難なく通過して正門前の広場に出て、そこで一団が戻ってくるのを待っておりました。

ボスとはそれきり二度と会うことはありませんでした。吾々の想像通り、彼は自分に背を向けた者たちの再逮捕を画策していたようです。そして、あのあとすぐに各方面に大軍を派遣して通路を封鎖させ、逃亡せんとする者には容赦ない仕打ちをするように命じておりました。

しかし、その後はこれといってお話しすべきドラマチックな話はありません。衝突もなく、逮捕されてお慈悲を乞う叫びもなく、光明界からの援軍の派遣もありません。

いたって平穏のうちに、と言うよりは意気地のない形で終息しました。それは実はこういう次第だったのです。

例の帝王の間おいて、彼らは急きょ会議を開き、その邸宅の周りに松明を立て、邸内のホールにも明りを灯して明るくしておいて、ボスが家来たちに大演説を打(ぶ)ちました。それから大真面目な態度で控えの間のドアの閂を外し、使いの者が接待の準備が出来たことを告げに吾々の(いるはずの)部屋へ来た。

ところが吾々の姿が見当たらない。そのことがボスの面目をまるつぶしにする結果となりました。すべてはボスの計画と行動のもとに運ばれてきたのであり、それがことごとくウラをかかれたからです。

家来たちは口々に辛らつな嘲笑の言葉を吐きながらボスのもとを去って行きました。そしてそのボスは敗軍の将となって、ただ一人、哀れな姿を石の玉座に沈めておりました。

以上の話からお気付きと思いますが、こうした境涯では悲劇と喜劇とが至るところで繰り返されております。しかし全てはそう思い込んでいるだけの偽りばかりです。すべてが唯一絶対の実在と相反することばかりだらかです。

偽りの支配者が偽りの卑下の態度で臣下から仕えられ、偽りのご機嫌取りに囲まれて、皮肉と侮りのトゲと矢がこめられたお追従を無理強いされているのです。

<原著者ノート>救出された群集はその後〝小キリスト〟に引き渡され、例のキャプテンを副官としてその鉱山からかなり離れた位置にある広々とした土地に新しい居留地(コロニー)をこしらえることになる。鉱山から救出された奴隷のほかに、暗黒の都市の住民の男女も含まれていた。

実はこのあとそのコロニーに関する通信を受け取っていたのであるが、そのオリジナル草稿を紛失してしまった。ただ、この後(第四巻の)一月二十八日と二月一日の通信の中で部分的な言及がある。