第2章 霊的交信の原理
第1節 思念の濾過装置――カスリーン
一九一七年、十一月十六日、金曜日
貴殿にとっては吾々の述べることの大半がさぞ不思議に思えることでしょう。吾々は現実に見ることも聞くこともできるが、貴殿はかつて一度も見聞きしていないのであるから無理もないことです。そこで何か不可解なことがある時は次のことを思い起こしてほしい。すなわち、今貴殿が耐え忍ばねばならない霧は、かつて吾々も遭遇したことがあるということです。ということは、貴殿の今の苦しい立場も疑念も吾々にとって決して理解できない性質のものではなく、貴殿がたびたび見せる躊躇(ためらい)も吾々にとって少しも驚きではないということです。が、それはそれとして、貴殿の脳裏に浮かぶものをそのまま綴っていただきたい。それをあとで容赦ない批判的態度で読み返してみられたい。完璧性には欠けるかも知れないが、実質においても外殻においても、苦心しただけの価値があることを認められるに相違ない。外殻(がいかく)よりも実質の方が重要であるが、さらにその奥には核心がある。吾々の通信もその核心まで見届けてほしい。何となれば、もし吾々の通信に幾らかでも価値があるとすれば、そこにこそ見出されるであろうからです。
――「文章がいささか古めかしいですね。古い言いまわしの方が近代的なものよりお得意とお見うけします。私が近代的な語句を使用しようとしても、すぐに古風な言いまわしが割り込んできてそれを押し出してしまいます。そういうことがしばしばあります」
当たらずといえども遠からず、というところであろう。かつての古い語句や言いまわしのクセが顔を出し、その方が使い勝手が良いので、ついそちらへ偏(かたよ)ることは事実です。が、何なら貴殿の脳の中から近代的なものを取り出して使用するように努力しましょう。貴殿がそう望まれるのならそうしてもよい。
――「それには及びません。私はただこうした傾向があまり一般的でないので述べてみたまでです。例えば私が教会で説教を行っている時に指導してくれる霊は古い言いまわしはしません」
それはそうであろう。吾々の仕事においては各自のやり方に少しずつ違いがあるものです。正直言って彼の場合も時たまうっかり生前使い慣れた言い方をしそうになるに相違ない。が彼はそうならぬよう心掛け、貴殿の言い方に倣(なら)っている。うっかり聞き慣れない言い方をすると聴衆が変に思い、貴殿がどうかしたのではないかと、牧師としての適性を疑いかねないでしょう。一方吾々は貴殿に書き取ってもらうことを前提としてしゃべるので、力強く印象づけないと使いものにならない用語や連語があり、そのために貴殿が戸惑い、書くのを躊躇することにもなる。が、それを避けようとすると肝心の目的からそれてしまうのです。
――「では、どのようになさっておられるのか具体的に説明してください」
さて、さて、これは特殊な方法であるから、たとえ説明しても部分的にしか理解していただけないでしょう。が出来るかぎり説明してみよう。まず今夜ここに居合わせているのは七人のグループです。時にはもっと多いこともあるし少ないこともある。何を述べるかは予(あらかじ)め大ざっぱにまとめてあるが、どのような表現にするかは貴殿の姿を見て精神状態を確かめ、同時に貴殿がそのあと何をする予定であるかを調べてから決める。それから貴殿から少し離れたところに位置をとる。あまり近いと吾々の影響つまり数人の精神から出る意念の放射が一つにまとまらずにバラバラの形で貴殿に届けられ、貴殿の意識に混乱が生じる。少し離れていると、それがうまく融合して焦点が定まり、貴殿に届く時には一つに統一され、語法にも一貫性ができあがる。貴殿が時おり単語や語句を変に思って躊躇するのは、あれは吾々の思想が混り合ったままで、用語が決まるまでにまとまっていない時である。それで貴殿は筆を止める。が融合作用が進行して一つにまとまると貴殿の頭に一つの考えが閃(ひらめ)き、また筆を進めることになる。確か貴殿はそれに気づいておられるはずですが……。
――「気づいてました。ただ、なぜそうなのかが判りませんでした」
無理もないことです。では先を続けよう。吾々が思想を貴殿へ送るわけだが、時にはそれが貴殿の言うようにひどく古くさい表現となって、貴殿はとっさにその意味を捉(とら)えかねることがある。それを修正するために中間に近代的な濾過装置を用意している。吾々がこのたび語りたいのはこの濾過装置のことである。
それが実は他ならぬカスリーンです。カスリーンが間に入ってくれるおかげで吾々の思念を貴殿に届けることができるのです。これにはいろいろと理由(わけ)がある。霊的状態が吾々よりも貴殿の方に近いということがまず第一である。つまり吾々にはこちらへ来てからの年数が長く、地球そのものから遠く離れているので、地上的習慣や手段との馴染(なじ)みが薄くなっていますが、その点カスリーンは比較的新しい他界者なので、しゃべる言葉がまだ貴殿に感応しやすい。次にそれと関連した理由として、カスリーンにはまだ言語の貯えが残っていることが挙げられる。彼女は今でも地上の言語で思考することができる。しかもその言語は吾々のものより近代的である。もっとも吾々に言わせれば現代語は感応しない。何やら合成語のような感じがするし、適確さに欠けるように思う。が、それなりの良さを持っているからには、吾々もアラ探しは控えねばなるまい。吾々とて相変らず偏見があり偏狭性を拭い切ってはいない。そうした人間的弱点はどこかに潜んでいるもので、こうして地上へ降りてくると、これまでの進化の道程で一度は棄て去ったはずのものが再び頭をもたげるのです。地上に戻るとそうした人間的感情を再び味わうことになるが、それもまんざら悪いものでもありません。結構楽しいものです。
そうした点においてもカスリーンの方が貴殿に近く、それで吾々の思念の流れをいったん彼女を通過させて貴殿に届けるのです。また吾々が貴殿から少し離れたところに位置しているのは、吾々が一体となった時の威力が貴殿を圧倒してしまうからです。オーラという語を使用してもよい――この言葉はあまり好きではないが、ここでは使わねばなるまい。つまり吾々のオーラの融合したものが貴殿に何とも言えぬ心地良さ―― 一種の恍惚――に導いてしまう。が、それでは貴殿が書き取れないことになる。吾々がこうして降りて来るのは貴殿ならびに他の大勢の人々に理性をもって読んでいただき、願わくば理解していただくために、文章として綴るのが目的なのですから。
貴殿は今タイムキーパー(時間記録器)の文字盤へ目を向けられた。それを貴殿らはウォッチ(時計)と呼んでおられる。なぜこのようなことを? 吾々が古い言いまわしを好む一例として述べてみたまでです。ウォッチと言うよりはタイムキーパーと言った方が吾々にはぴったりくる。が、吾々の好みを押しつけるつもりはありません。礼を失することになるでしょう。いま貴殿が文字盤――それをどう呼ばれてもよいが――に目をやられた意味も判っております。そこでお寝みを申し上げるとしよう。貴殿ならびに皆さまに神の祝福のあらんことを、失礼します。
カスリーンですが、私からもひとこと付け加えさせていただけますか。
――「もちろん。どうぞ」
いま霊団の方たちが何かおしゃべりをされてます。まるで昔なじみのように、別れ際にはいつも暫くおしゃべりをされるのです。いよいよ行ってしまう時はすぐにそれと知れます。いつも最後は皆んなで私の方を向いて、有難う、さようなら、と言ってくださるのです。光り輝く素敵な男性ばかりです。時には女性の方が付いて来ていることもあります。それは男性的精神構造では理解できない問題を扱うときだろうと私は思っています。その女性の方がどなたであるかは知りません。でも威厳のある、美しい、しかも優しい感じの方です。では今回はこれでお別れします。間もなくまた参ります。
いっしょに筆記していただいて有難う。
――「さよなら、カスリーン。有難うは私の方から言うべきだと思うけど」
でも初めはあまり気乗りがしなかったのではないですか?
――「そうね。片付けなければならないことが沢山あるものだから。それに、四年前の通信(第二巻)の時の苦しさが今も忘れられないのでね」
でも、通信の再開の話は前もって打合せてあったのでしょ? 憶えてらしたのでしょ? それに、思ったほど苦痛は感じないでしょ?
――「両方ともおっしゃる通り」
とくに、苦痛が少なくなったのは間違いないと思う。このカスリーンが間に入っているからです。ですから、これから先も私の存在を忘れないでね。さようなら。そしてもう一度有難うと言わせていただきます。ルビーちゃん(*)なら〝それにキスも〟とでも言うところでしょうけど、それは娘だけの特権ね。私は愛と善意をこめて、ただ、さようなら、とだけ申し上げます。
《(*)オーエン氏の女児で、カスリーンが二十八歳で他界してから三年後にわずか十五か月で他界している。――訳者》
第2節 通信を妨げるもの
一九一七年、十一月十七日、土曜日
吾々が送り届け貴殿が綴ったものをあとで読み返してみると、さまざまな入り組んだ事情のために、ぜひ伝えたいと思ったことがうまく表現されておらず、逆に〝思いも寄らないことが表に出ている〟ことがあります。こうしたことは通信を送る側の界と受け取る側の界との間に部厚いベールが存在することから当然生じることです。そのベールを境とした双方の大気は性質がまったく異なるために、吾々から発送した思念がそのベールに突入した際に急速にそして極端にスピードが落ち、思念の流れが乱れ、その境界線上において混乱が生じることは避け難い。それは譬(たと)えてみれば川堰(かわぜき)を越えて流れ落ちる水のようなもので、その表面に激しい波が立つ。そこで吾々はなるべく静かな底流を利用することになります。そうすれば通信内容も鮮明となる。しかし、こうしたことは数多い問題の一つに過ぎません。
もう一つ、こういう問題もあります。人間の脳は実によく出来た器官ではあるが、あくまで物質であるために吾々の思念が脳に届いても、あるいは強く突き当たっても、物質の固さのために内部への浸透が阻害され、その場で完全にストップされることもある。と言うのも、吾々から出る思念のバイブレーションが高度であり、その微妙さが密度の粗(あら)い脳との感応を妨げるのです。
さらに、こちらには地上の言語では表現できないことが数多く存在します。色彩にしても、スペクトルには感応しても人間の目には見えないものがある。が、人間の目はおろか、スぺクトルにも感応しない崇高な色彩も存在します。音も同じで、地上では絶対に感応しないものがある。エネルギーにしても、人間には利用もできないし存在を証明してみせることも出来ないものが存在する。人間側に知識も経験もないからです。こうした事情から〝四次元〟という用語が用いられることがあります。必ずしも正確な表現とは言えないが、そう表現しておく方が、まったく述べずにおくよりはましかもしれません。といって吾々がそれを高く評価していると受取ってもらっては困るが……。とにかく、そうしたものやその他の無数の要素が入り組んで存在し、吾々の生活環境を形成しているわけです。が、それについて、あるいは人間の目に映じる地上の諸現象との因果関係について語ろうとすると、とたんに吾々は大いに当惑し、人間に理解してもらい且つなるべく吾々の知る実相から掛け離れない程度に説明するには、一体どうしたものかと思案にくれるのです。
これでお判りと思うが、こちらの界から地上界へ通信を送るには大変な操作が必要であり、それがまた決して容易ではないのです。が、それだけにやり甲斐のある仕事でもある。吾々は鋭意努力して少しでも満足のいく仕事を残したいと思います。
地上の人間がもし吾々の存在と吾々との協調関係についてもっと信仰心をもってくれれば、吾々もずっと仕事がやり易くなることでしょう。またその信仰がもっと大胆にして強烈なものとなり、心がもっと素直にして一途(いちず)なものとなってくれれば、霊的環境が改善されて仕事がやり易くなり、吾々からの援助が受け入れ易くなるでしょう。
たとえば吾々にとっては西洋人よりもインド人の方が思念が伝わり易い。それはインド人が西洋人よりも霊的なものに馴染んでいるからです。西洋においては有機物と無機物――と西洋人は考えるがこれは誤りです――つまり物質と科学と、何かというと同盟や機構を作ること――言わば政治力学――にばかり躍起となります。(*)それも必要であり、しかも立派に成し遂げている。さらにはそれを世界的規模にて行うのも必要なことではあった。が、それもすでに現在の時勢に関するかぎり、ほぼ完全に近い。吾々としては西洋人がそろそろチャンネルを切り換えて霊的世界へ目を向けてくれるのを期待しています。そうなってくれれば地上と連結したがっている大勢の者にとって、そのチャンスを与えられることになる。その時も近い。そして援助せんとする勢力もその時を今や遅しと待ちかまえている。吾々にとっての最大の敵は西洋人の物質万能主義であり、それとの闘いに吾々は貴殿と同じく喜びをもって挑(いど)みます。またそう易々とサジは投げません。
今夜はこれ以上は述べません。貴殿は疲れて来ました。ではお寝み。神の安らぎを。
《(*)折しも第一次世界大戦が終局へ向かいつつある時で、三国同盟協商とかのことを指しているのであろう――訳者》
第3節 人間診断のスペクトル
一九一七年十一月二十二日、木曜日
再び貴殿の精神をお借りして、吾々が人間界に対して行う仕事と援助の方法について、もう少し述べてみたいと思う。理解していただけると思いますが、天界は広大な範囲にまたがり、その住民の数は文字どおり無数であり、従って人間界への関わり方もまた地域によってさまざまであり、霊団の進化の度合いによっても異なります。
そこで、ここでは吾々の霊団の話に限定し他の霊団のことまでは言及しないことにします。実は霊団どうしで互いの強化と協力のために相手霊団の仕事の進展具合を研究し合っており、従って範囲を広げればキリがないのです。そこで吾々の霊団に限ることにしたい。
こうして吾々の界より地上へ降りてきて人類のために授けるよう託されたものは数多くあります。それを幾つかに分類し、中でも特殊なものが幾つかの霊団に割り当てられる。ここにいる吾々七人はその霊団の中の一つの班を構成している。
その仕事が今こうして行っているように一連の通信をまずカスリーンを通して送り、さらに貴殿を通して地上の人々に届けるということです。霊団の数は時の経過とともに変わります。新しく加わることもあれば、古いメンバーが上層へ召されて行くこともある。
現在のところでは総勢三十六名です。それが六名のメンバーと一人のリーダーで一個の班をこしらえていますが、それは原則であって、その時々の仕事の内容次第でもっと多くなる時もあれば少なくなることもある。
一人でなく複数で行動する理由はエネルギーを結集して強化するためだけではなく、一つに融合した時の各メンバーの影響力のコンビネーションを考慮してのことです。このことはすでに説明しました(本章1)。
そのコンビネーションの効果を上げるためには、それを伝達するための地上の霊媒、場合によっては霊界の霊媒ともうまく調和しなければなりません。それがうまく行かないと確実性が乏しく、大なり小なりの誤りが生じやすくなります。仕事によってはそれを必要としないこともありますが、それは今は措いて、現在の吾々の仕事に限ることにする。
今の吾々の仕事には二人の霊媒がいる。すなわちカスリーンと貴殿です。カスリーンは通訳──そう呼ぶのが適切であろう──として吾々の班の一人に加わっています。
彼女と貴殿の二人については過去何か月にも亘って観察を続けてきました。まず貴殿に目をつけました。そのきっかけは貴殿がご母堂から(第一巻)、そしてのちに吾々の霊団の最高指揮者であられるザブディエル殿から(第二巻)通信を受けていることを知ったからです。
──ザブディエル様について何か教えていただけませんか。
喜んでお教えしたいところであるが、それは適切な時期を選んで改めて述べるとしよう。今夜は控えたい。
さて吾々はそれから貴殿の精神構造と、そこに蓄積されているそれまでの地上生活の中身、それは貴殿の霊──貴殿の霊的身体と思えばよい。吾々はその意味で使用します──とその健康状態、そして、これ以後の仕事の完遂のために要請される要素等を分析検討し、そして最後に貴殿の魂そのものの質と性格を出来る限り診断した。
それから、そうした調査結果を吾々の界で使用しているスペクトルにかけてみたのである。
(地上の科学者が使用するスペクトルとはあまり似ていないが、地上の科学者が光波の分析に使用するのと同じように吾々はそれを人間の診断とオーラの分析に使用している)
こうして貴殿は何も知らないうちに吾々によって細心の注意をもって調査されテストされていたのです。つまり吾々は貴殿の詳細な診断書を作成して、それをザブディエル殿がかつて貴殿を使用される時に作成された診断書と比較し、また精密さにおいては劣るが、ご母堂の霊団が最初に貴殿に思念を印象付ける方法で通信を送る際に用意された相当くわしい記録とも比較してみました。
以上三つの記録が貴殿の進歩の様子を明らかにしてくれました。貴殿はある面では・・・・貴殿のことを明かしてもよいであろうか。
──結構です。どうぞ。
貴殿はある面では進歩しておられたが、別の面では退歩しておられた。それは主に今継続中の(第一次)大戦のために時間と思考が奪われているせいでもある。総合的に診断すれば貴殿は三、四年前に比べて霊媒としては少し劣っておられるように見受けられる。
が吾々は、この程度ならば何とか以前とほぼ同程度に使用できるとの結論に達したのです。問題は貴殿が奥深い霊覚を失っておられることであった。
つまり霊的高揚や法悦状態に導き、内的視力とも言うべき想像性豊かな能力と内的聴力に吾々が働きかけるのを可能にしてくれるものが消え失せていることでした。しかし何とか使用できる、そして使用するうちに改善される可能性もあると判断して、貴殿を吾々の道具とすることに決めたのです。
そのほかにも吾々は、上がったり下がったりしながらの進化のコースは、上の三つの記録をつなぎ合わせた時の一直線のコースとは必ずしも一致しないことを発見しました。
そこに幾つかの食い違いがあったのです。そして吾々の記録とすぐその前の(ザブディエル殿の)記録との間の食い違いは吾々の診断の方に原因があり、ザブディエル殿のために記録を作成した霊団の手落ちではなかったことが判明しました。
これは吾々の採用した例の特殊な方法を考慮していただけば驚くには当たりません。何しろ貴殿の進歩は決して一定方向ではなく、数々の方向への線が複雑に交叉して絡み合い、そこに混乱が生じていたのです。ともあれ落度は吾々の側にありました。
今夜はこれにて終わり、明日また同じ問題を扱うことにしたい。このたびは貴殿は一度ならず中断し、それも必要以上に間延びした。その意味で今夜は貴殿はあまり扱い易くありませんでした。これ以後こうしたことのないようにするために何か良い方法を考えねばなりますまい。
何とかやってみましょう。ではお寝み。貴殿の進まれる道に神の祝福のあらんことを。
第4節 男性原理と女性原理
一九一七年十一月二十三日、金曜日
前回の話を続けたい。
吾々霊団の精神的融合体と、そこから出る思念体の流れを受け取る貴殿の鉛筆と用紙との間の連絡関係は、今まさに完璧な状態に近づきつつあります。
頭初、貴殿の人間性と特質の調査を終えたあと吾々は、こんどは吾々と貴殿との間を取り次ぐもの──その思念体の流れを受け取り、屈折させ、ある程度まで変質させ、言ってみればスペクトルの中の無用の要素、つまり人間の網膜に感応しない要素に相当するものを取り除くことのできる存在(カスリーン)を探す必要に迫られた。
これでお判りの様に、最終的に貴殿に届けられるのは吾々が最初に発送したもの全部ではないのです。
それは譬えてみればスペクトルの中の可視光線と呼ばれている部分、つまり赤外線と紫外線を除いた波長でできた、人間の目に映じる部分と同じである。人間の手によって綴られる通信に筋の通らないものが見られる要因も、そうした複雑な事情によります。
法則というものは全ての分野で一貫しており、どこか相通ずるものがあるもので、この問題においても同じである。例えば人間の目に映じる白色光は合成体ではなく統一体であるが、吾々の霊団についても同じことが言える。
つまり白色光が複数の色彩を統一して一色の光波つまりは無色の光の流れをこしらえるのと同じように、吾々霊団も六名の要素の寄せ集めではなく、融合統一することによって、あたかも一つの精神のように思えるほどの一体性を作り出す。
そこから出る思念がカスリーンという素晴らしい媒体を通過することで一層その度合を強める。その一体性を出すためには各自の霊力の割合をうまく調節しなければならない。
さもないと効果が損なわれます。それはちょうど光を構成している色彩の割合が崩れてそのうちの一つでも目立つと、もはや無色ではなくなり色合いが出てしまうのと同じです。
さてここまでの説明は言ってみればプディングの材料を一つ一つ用意してきたようなものです。このままではまだオーブンには入れられない。もう一つだけ大切なものを忘れている。と言うよりは軽く扱い過ぎている。吾々がカスリーンに目を付けたのは、貴殿の血縁関係の一人との間の交友関係と二人の間の親和性とがあったからです。
──ルビーのことですか。
いかにも。他にはいないでしょう。貴殿のお嬢さんのルビーはカスリーンにとって親友であると同時に指導者でもあります。うまくしたものです。と言うのは、カスリーンについても貴殿の場合とほぼ同じような調査をしたのですが、そのうち吾々の仕事の成否を左右しかねない、非常に微妙でしかもほほえましい問題に逢着したのです。
吾々六人は男性である。カスリーンは女性である。地上と同じように、こちらの世界でも科学の分野は圧倒的に男性が支配しており、地上との関係においても男性の頭脳の方が働きかけ易いものです。
そこで──勿体ぶらず結論を急ぐが──吾々は一方において吾々男性と通じ合うことができ、他方において女性とも通じ合える人物を見つけ出した。
それがルビーで、吾々の通訳のような役をしてくれています。彼女はこちらの世界の存在であり、同時に吾々の霊団の一人でもあり、従って実際の事実にも通じ、それもすでに長い期間に及んでいる。
メンバーの一人として霊団とよく調和しており、同時に女性の特性においてカスリーンともウマが合う。吾々の精神活動──思念操作──の全体をまとめ上げ、ブレンドした上で、さらにそれをカスリーンを通して貴殿に届けてくれるのはルビーなのです。
通信全体を通しての思想とその表現に男性的雰囲気が漂っているのに気づかれるであろう。それは霊団の中の班を構成している吾々六人の男性的要素が支配しているからです。
しかし、その中にあって時おり女性的要素が顔を出すのに気づかれるであろう。それは通信の内容上、女性がリードして吾々男性が哀れにも車を後押しするような形で力を貸した方が都合がよい時です。カスリーンも時おり顔をのぞかせることがあるでしょう。
そしてそれが彼女特有のナイーブな雰囲気をもたらして可愛らしさを感じさせるであろう。吾々にとっても同じです。
──お聞きしていると今回の通信はこの先かなり長く続きそうな感じがします。嫌がってるように受け取られては困るのですが、前回(第二巻)の時が苦痛だったものですから・・・・。
いや、いや、そう怖がられることはない。今回の通信──そう大そうなものではないが──に当たってずいぶん骨を折ってきたが、貴殿が止めたいと希望されるなら、いつ止めても結構です。が、私が観たところ貴殿は吾々霊団を見放すようなことはなさらないであろう。
現に貴殿は、こうして吾々に接近して通信に耳を傾けることを結構楽しんでおられる。このまま私の意図した通りに通信が続きそうである。
ただ貴殿が懸念しておられるので私から一言申し上げておくが、吾々が目論んでいるのはザブディエル殿の通信ほど大きいものではない。あれほど深刻な内容のものではありませんが、しかし有益であるに相違ないと思う。
──あなたは時に〝私〟と言い、時に〝吾々〟とおっしゃっています。思うにそれはあなたの通信に二つの面があるからでしょう。流れは一つでも、その流れを構成している要素は複数である。それで七人が時に複数でしゃべり時に単数でしゃべる。そうじゃないですか。
──まずい説明とも言えない。ある程度は正鵠(せいこく)を得ている。が、ある程度、です。〝私〟と言ってる時は(現在のところ)三十六名の霊団全体のリーダーの資格において語っており、〝吾々〟と言う時はこの小班の他の六名を代表して〝私〟が語っている。
そこで貴殿もよく考えてほしい。統一性と多様性、単数と複数とがいかに見事にしかも、この通信に見られるように、いかに簡単に使い分けが可能であるかをです。
よく承知していただきたい。こちらの世界には肉体に宿っている者がどうあがいても探り得ない深層があります。何となれば、地上というところは崇高なる〝三位一体の神秘〟を秘蔵した宇宙最奥の聖殿の〝外郭〟に過ぎないからです。
<原著者ノート>この通信のあとカスリーンが私の妻が使用しているプランセットを通じて私のことで次のようなことを言って来た。「ジョージ(私)は明日教会で一人になれるでしょうか。〝リーダー〟が彼にあまり会話をさせないようにと望んでおられるのです。
話をしに来る人たちがジョージに余計な神経を使わせるのを気にしておられます。明日早朝に〝リーダー〟が通信を送られるので私がその準備に参ります。カスリーン」
私が「そのリーダーというのはあなたの属する班のリーダーのことですか」と聞くと、
「そうです。私たちはいつも〝リーダー〟とお呼びしています」とのことだった。これで私はこれ以後の通信の全てをリーダーからのものと判断した。