第9章 さまざまな問題
【Q1】 もしも放送番組でスピリチュアリズムについて語るとしたら、どのように説明されますか?

生命に「死」はないことを説きます。人間は不滅・不死の存在であること、死を悲しみ、頬を涙で濡らして別れた人が、無言ですぐ傍らに立っていること、「無言で」といっても、人間の耳に聞こえないからであって、本人は自分の存在を知らせようと悲痛な声で、長いこと叫び続けるという事実を話します。

むしろ、地上の人間のほうが死者、生命の実相に気づかずにいるという意味で、死んでいるのも同然であること、大霊が創造した宇宙の無限の美に目を閉じていることを説いて聞かせます。

つまり、人間は無限の宇宙のなかのほんのひとかけらほどに過ぎない、地上という物質界のことしか感識できないようになっているのです。目に映じない大気中では、莫大な生命活動が繰り広げられています。魂の窓を開きさえすれば、その強大な霊的エネルギーを認識して強くたくましくなることでしょう。

スピリチュアリズムは、大霊を共通の父として、世界の民族のすべてが霊的な兄弟であるという福音を説きます。その認識を妨げているのが、地上だけにしか通用しない概念、間違った教義のうえに建てられている教会、特権の占有、暴君の傲慢と権力、ムチを手にしたお粗末な支配者です。

スピリチュアリズムの教えが広まるということは、民族間の反目がなくなることを意味します。国家間のバリア、人種差別、階級差別、肌色による差別の消滅を意味します。その他、教会、礼拝堂、寺院、モスク(イスラム教の教会)、シナゴーク(ユダヤ教の礼拝堂)などによる差別の消滅を意味します。なぜなら、それぞれ大霊の真理の一部を秘めており、他のいかなる宗教も、自分たちの宗教と根幹において矛盾しないことを理解するようになるからです。

【Q2】 幽界を脱して霊界へおもむいた霊が、地上界と通信をするときは、幽界まで降りてくるのでしょうか?

いえいえ、そうではありません。メッセージを中継してくれる霊を見つけます。いわば、中継のための道具を採用するわけですが、道具とはいえ、霊性が幽界のレベルを超えているだけでなく、それ以上のものが求められます。

物質界の次の段階である幽界にいるものだけが、地上界と通信できると思ってはいけません。その先の上層界にいる者でも、直接の交信が可能です。ただし、上層階のバイブレーションを中継できる霊媒を見つけることができるか否かにかかっています。

【Q3】 霊は、睡眠中の私たちの意識に、きちんと印象づけられたかどうかがわかるものでしょうか?

いいえ、必ずしもわかるとは限りません。こうした交霊会においても、どの程度のことが伝えられたかは、その時点ではわからないものです。平常時に、こちらから指導しようとして意念を送った場合でも同じです。

訳注―シルバーバーチと霊媒のバーバネルとの関係に限っていえば、バーバネルが母親の胎内に宿った瞬間から関わり、その成長の過程をつぶさに観察し、自分の専属霊媒として操作方法を研究したので、意図したことが100%伝わっていると明言している。

これほどまで用意周到に準備した通信霊と霊媒の関係は、他に例を見ないもので、それだけに霊的な人類史におけるシルバーバーチの出現の意義は想像以上に大きいものと思われる。訳者の直観的判断では、その霊的教訓の真価が本格的に衆目を集めるようになるのは、今世紀半ばから後半にかけてではないかと推察している。

【Q4】 霊的通信のなかでも、自動書記による通信がいちばん頼りにならないように思えるのですが、なぜでしょうか?

すべては霊媒の能力次第です。未熟な霊媒ですと、地上界で行き交っている想念と霊界から送られてくる想念との区別ができないのです。霊的能力の発達程度の問題であって、発達すればするほど、地上界の想念を排除し、霊界の影響力を受けやすくなるものです。道具が未熟なのに、私たちをとがめてはいけません。霊界側は、そちらが用意してくれる道具で仕事をするしかないのです。

【Q6】 もしも善人が、死後存続の真理を聞かされていながら信じなかった場合、そちらへ行って何か報いがあるのでしょうか?

善人とか悪人とかの意味が私にはわかりませんが、肝心なことは、どういう人生を送ったかということ、どれほど人のために役立つことをしたかということ、潜在する大霊の資質を開発する機会をどれほどもったかということです。それがすべてです。

死後存続の事実は、知らないよりは知っていたほうがいいでしょう。が、最後の試金石は、どのような日常生活を送ったかということです。

【Q6】 霊的真理を知った者は、この現代社会をどう生きていくべきでしょうか?

真理を知った者は、取り越し苦労をするようなことがあってはなりません。これまで地上界にはトラブルが絶えませんでしたが、社会の秩序が霊的原理のうえに築かれるようになるまでは、これからもトラブルは絶えないでしょう。物的原理のうえに築こうとすることは、砂上に楼閣を築こうとするようなものです。内部に争いごとがありながら、外部に平和が得られるわけがありません。憎しみと暴力と敵意と貪欲と怠惰に溢れた世界に、どうして協調的生活があり得ましょう?

愛とは、摂理を成就することです。地上のすべての人間が、互いに兄弟であり姉妹であること、そして人類という大家族は、霊的な親類知己によって構成されていることを知ったみなさんは、互いに睦みあうことができなくてはなりません。

大霊がその神性の一部を全存在に植えつけて、霊の鎖が全地球を取り巻いているからこそ、それは可能なのです。

しかし現在のところ、人類は、自分たちが基本的には霊的存在であり、一人として孤立無援の人間はいないこと、進化も退歩も共同体としての運命をたどるという、不変の事実の認識が欠けています。

それを認識することは、あなた方の責任です。いつも申しあげているとおり、知識を手にした者は、それをいかに実践に生かすかについての責任をとらされます。霊的真理の存在を知った以上は、つまり霊力というものが働いていることを知ったら、もはや今日や明日のことで不安を抱くようであってはなりません。

あなたの霊が危害を被ることはありません。あなたが手にした真理、あなたに啓示された真理に忠実に生きていれば、いかなる試練の業火に逢っても、やけどを負うことはありません。地上生活で生じるいかなる災難によっても、霊的に傷ついたり打ちひしがれたりすることはありません。条件さえ整えば、霊力がどれほどのことを生み出すことができるかを示すものなら、日常生活のなかにいくらでも見出すことができます。

残念ながら、こうした霊的真理を手にした人は少数であり、多数ではありません。大半の人間は物的財産こそ、武力こそ、支配力こそ、傍若無人な生き方こそ、奴隷を使役することこそ、力があることの証拠だと思い込んでいます。

しかし、大霊の子は、生まれながらにして、身体・精神・霊的に自由でなければならないのです。こうした真理が徐々に広がり、すみずみまで浸透していくにつれて、地球人はより大きな自由のなかで生き、日々の生活に光沢も増すことでしょう。神性を帯びた進化の力がゆっくりと、そして少しずつ顕現していきます。妨害することはできます。遅らせることもできます。しかし、そのために大霊が、その意志を変更することは絶対にありません。

もしも人間の力が、大霊の意志を凌駕することがあるとしたら、地球はとっくの昔に破壊していたことでしょう。霊は物質に勝ります。大霊が宇宙を絶対的に支配しているのです。その大霊の真理を手にしたあなた方に、元気を出しなさい、真っ直ぐに前を向いて歩きなさい、地上にも死後の世界にも、おそれるものは何一つありません、と申しあげているのはそのためです。道は必ず開けます。

【Q7】 霊の立場から見て、死体は火葬がよいと思われますか?

はい、常々そのほうがよいと思っています。焼却してしまったほうが、自分は肉体だという観念に終止符を打つ効果があるからです。

【Q8】 夢はどう理解したらよいのでしょう? なかには霊界旅行の記憶とはいえないものがあるように思えますが‥‥。

夢は、実に多様です。しばらく脳が沈黙している間に、残像が反応する純粋に物質的なものもありますし、食べたものの影響が反応する場合もあります。それとは別に、霊界での体験の記憶を断片的に思い出す場合があります。なぜ歪んだかたちで見えるのかといえば、霊界へ来ている間は物的束縛から解放されていて、その間に見たものを脳という窮屈な機能で再現しようとするからです。

【Q9】 睡眠中は霊体が肉体から抜け出て、肉体はいわば空き家になるわけですが、その肉体に地縛霊が入り込んだり憑依したりしないのはなぜですか? 背後霊のだれかが“当番”で警護にあたるのでしょうか?

そのようなことにならないように自然法則ができあがっているからであって、憑依されるような条件を宿していないかぎり、低級霊に憑依されることはあり得ません。霊は身体のなかにいるのではありません。霊と身体とはバイブレーションが違うからです。あなた(本当のあなた)は、その肉体のなかにいるのではありません。心臓と肺の間に押し込められているのではありません。あなたという存在は、肉体という地上の機械をとおして自我を表現している“意識”です。

睡眠中は、その意識が肉体をとおしてではなく、霊体をとおして自我を表現しているのであり、したがって、その間は霊的階層で生活していることになるわけです。他の霊が、あなたの肉体に入り込んでくるとか、こないとかの問題は生じません。寝入ると同時にドアが開き、だれかがのこのこ入ってきてドアを閉める、といった図を想像してはいけません。そんなものではありません。その間も自我は肉体を管理しながらも、意識は別の次元で表現しており、肉体に戻るべき時間がくるとすぐに意識が戻ります。

【Q10】 すると、憑依された場合は、霊的自我が憑依することを許したということでしょうか?

そうではなくて、憑依を可能にする条件を、当人みずからがこしらえていたということです。あくまでも当人の問題です。

たとえば、あなた方人間が、愛と献身の心を宿せば、それに感応して高級霊が引き寄せられます。それと同じ法則です。親和力の法則は善にのみ働くのではありません。悪にも働くのです。最大の福祉に役立つ法則でも、悪用することができるのです。高く上がっただけ、それだけ下がることもありますし、堕落しただけ、それだけ高尚な次元まで霊性を高めることもできます。

【Q11】 人類は自然界の恵みを破壊し、もはや、とりかえしのつかないものがたくさんあることはお認めになると思いますが、地下資源も同じで、地球と言う人類の住みかも心細くなってきました。

でも、地球には莫大な潜在資源が秘められているのですよ。これから明かされていくもの、発見されていくものがたくさんあります。人類は、進化の最終局面に到達したのではありません。まだまだ初期の段階です。

霊的真理を理解した人は、決して絶望しません。その楽観主義は、啓示された知識から生まれます。その知識を手にした人は、絶対的な霊力に全幅の信頼をおくことができます。

その長い歴史を通じて人類は、幾多の災厄に逢ってきましたが、それを見事に生き抜いてきました。気づかないうちに進歩しています。進化は自然法則の一環ですから、これからも進化し続けます。霊的進化も、その一環です。

【Q12】 地上生活を何度か体験した後、人間は究極的にどうなるのでしょうか?

究極の運命ですか? 私は「究極」のことは何も知りません。始まりと終わりについては、私はどう扱っていいのかわかりません。生命には限りがないのです。進化も無限に続くのです。サイクルには、終わりも始まりもありません。生成発展は、無限に続くのです。

【Q13】 あなたは霊側としてよけいな手出しができず、人間の判断に任せるしかないことがあるとおっしゃったことがあります。つまり、自由意志による選択に任せるということですが、それが機械のなかにスパナを投げ入れる(予定の計画をぶち壊しにする)ことになったらどうなりますか?

自由といっても、ある一定限度内でのことで、無制限の自由というのはあり得ません。霊的成長と、進化に伴う情況によって条件づけられ制約された自由意志です。何でも好きにできるという、まったく制約のない完全な自由意志ではありません。

【Q14】 われわれ人間が投げ入れるスパナが、機械全体に及ぼす影響はたいしたことはないという見方も可能ではないでしょうか?

スパナを投げ入れて機械の一部を破壊することはできますが、全部をぶち壊すことはできません。及ぼす影響は、全体のごく一部だということです。大霊の意図を根本から台無しにしてしまう、あるいは大霊の計画を行き詰まらせるほどのダメージを与える手段をもっている人は、地上世界にはいません。

【Q15】 地上界にはさまざまな思想・信仰がありますが、どう対処すべきでしょか?
スピリチュアリズムに批判的な者は自分たちの信仰を押しつけてきますが、寛容的な態度でのぞむべきでしょうか? それとも徹底的に排除して“わが道”を行くべきでしょうか? 私自身の考えとしては、キリスト教の活動に関しては寛容的であるべきですが、思想・信仰に関してはスピリチュアリズム的なものを、こちらから押しつけていくべきだと思うのです。スピリチュアリズムは、信仰薄き者に宗教心を植えつける格好のものだと考えます。


「スピリチュアリズム」といった用語は、ただの言葉に過ぎません。私たちは、言葉には関心がありません。言葉というのは、観念や真理を表現する道具に過ぎません。私たちとしては、霊の力(あなた方のいう神、私のいう大霊の力)が地上のどこでもよいから根づいてくれることを願っているのです。私たちが行なうことの背後には、必ずそういう目的があるのです。

なぜ霊力を根づかせたいか? それは魂の琴線にふれさせ、本当の意味で生き甲斐を感じさせてあげたいからです。それがどこであってもよいのです。教会のなかであっても、教会の外であっても、家庭内であってもよいのです。目標とするのは個々人の魂です。手の届くかぎりのところで行ないます。

物的な眠りから覚める段階に来ている者のほうから、あなた方のもとを訪れる場合もあるでしょうし、あなた方のほうから訪れて、霊的真理の種子を植えつけることもできるでしょう。もしも効を奏さなかったら、涙を流してあげなさい―自分のためではなく、種子が根づかなかった人のためにです。せっかくのチャンスなのに、それが生かせなかったのですから…。しかし、根づく条件の整った人は、そこここにいるものです。やがて芽を出し、花を咲かせ、ついには美と愛の結晶を実らせます。神性を帯びた種子だからです。そのときはじめて、真の自我に目覚めたことになるのです。

地上生活のそもそもの目的は、人間的存在の全側面、すなわち物的資質、精神的資質、霊的資質を発現することであり、それがまんべんなく発現されるまでは、自己実現ができているとはいえません。肉体と精神のみで生きているだけで、幻影を追い求め、実在を知らずにいます。それが霊性に目覚め始めると、霊的資質の開発と冒険へのドアを開くことになります。それが地上に誕生した、そもそもの目的です。魂が、真の自我を見出すためです。

ですから、大切なのは、どういう場で真理に目覚めるかではなくて、真理に目覚めるということ、そのことです。地上生活に苦痛と悩みが絶えないのはそのためです。つまり、もはや物的なものでは解決のつかない窮地に追い詰められ、霊的なものを受け入れる用意が整うのです。バイブルにも「風はおのが好むところに吹く」(『ヨハネ3』)とあります。どこでもよろしい、吹きたいところを吹いていればよろしい。受け入れる者に出会えば、精いっぱい自分を役立てることです。

【Q16】 物欲や権勢欲は、死後の世界でも存在するのでしょうか?

死後の世界でも、幽界の低階層では、あいかわらず物欲と権勢欲が残っています。忘れてならないのは、死ぬということは肉体がなくなるだけで、霊的には生前と少しも変わっていないということです。しかも地上と違って、死後の世界は思念が実体をもつ世界です。あなたの考えることがリアルであり、実体があるのです。

やっかいなのは、地上時代の物欲や権勢欲が鎖となって、地球圏へ縛りつけることです。物的に死んだのですが、霊的にも死んでいて、こちらの世界よりもそちらの世界のほうに近い存在となっています。困ったことに、そういう存在が、地上界の欲望と権力欲にとりつかれた人間を、ますます深みに引きずり込んでいくのです。

【Q17】 霊媒の口を借りてしゃべるとき、その身体のなかに入るのでしょうか?

必ずしも、そうではありません。たいていは霊媒のオーラをとおしてしゃべります。

【Q18】 霊媒の発声器官を利用することもあるのでしょうか?

あります。現に今の私は、霊媒の発声器官を使用しています。私自身の発声器官をこしらえることもできないことはないのですが、エネルギーの無駄になります。今の私は、霊媒の潜在意識をコントロールしています。これで全身の機能をコントロールすることができます。

つまり、霊媒の意識と入れかわっているわけで、霊媒の同意を得たうえでやっていることです。こうしているときは、霊媒の身体をお預かりしているわけで、用事が終わるとオーラから脱け出ます。すると、霊媒本人の意識が戻って、ふだんのコントロールを再開します。

【Q19】 霊媒の霊的身体も入れかわっているのでしょうか?

ときどき入れかわることがありますが、その霊的身体は、常に物的身体とつながっています。

【Q20】 古い屋敷で修道士が歩きまわる足音のような、意味もなく繰り返される機械的な現象は、何が原因でしょうか?

霊によって引き起こされるものもありますが、今おっしゃったような現象は、地上に残した強烈な意念の幽質の印象が引き起こしています。しかし、幽霊騒ぎは、大体において地縛霊の仕業と思ってよろしい。

【Q21】 催眠状態での退行現象は、過去世の証拠でしょうか、それとも憑依現象でしょうか?

退行現象において前世との接触を得ることは、時として可能です。しかし、語られることが必ずしも前世であるとは限りません。

精神の潜在的可能性は莫大なもので、その全貌に通じた人はまだ一人もいません。創造力もあります。潜在的な願望もあります。一時的に霊に憑依される可能性もあります。こうしたことを全部、考慮に入れなくてはいけません。さらには、いわゆる幽体離脱の場合もありますし、催眠的トランス状態で飛び込んでくる一連の印象に過ぎないこともあります。そうしたケースでは、過去世を述べているとはいえません。

【Q22】 神童と呼ばれる子どもについて、ご説明願えませんか?

三つのケースがあります。過去世の記憶をそのままもちこして再生した場合が一つ。もう一つは、本人は無意識であっても霊的影響に鋭敏で、霊界からの教養や英知や真理をそっくり受け取ることができる場合。そして三つめが、人類の進化の先駆けとしての、いわゆる天才です。

【Q23】 蚊によって伝染するマラリヤや眠り病などを予防するために、殺虫剤をスプレーするのは間違っているでしょうか?

すべての生命を尊重しなければならないことはいうまでもありませんが、これは動機と程度問題です。ある事情で病気をまん延させる悪条件がそろっている場合は、スプレーを使用する動機は正しいでしょう。生命への敬意も、それが繁殖し過ぎて危害を及ぼすことが間違いなければ、程度をやわらげざるを得ないでしょう。同じように、ナンキンムシが繁殖した家屋には、殺虫剤をスプレーして生活しやすくしてあげるのは間違ってはいません。

【Q24】 直観とは何でしょうか?

直観(注)とは、霊が直接的に働く手段です。通常の地上的な推論の過程を飛び越えて、電光石化の速さで結論を導きます。同じ問題について、ふつうならじっくりと時間と思索を重ねた末に到達するものを一瞬のうちに入手する、一種のインスピレーションです。

訳注―英語では「Intuition」となっていて、同義語に近いものとしては「虫の知らせ」を意味「hunch」くらいしか思い浮かばないが、日本語にはこの「直観」のほかに、「直感」「直覚」「勘」というように、意味が微妙に異なる表現がいくつもある。ここで「直観」としたのは、シルバーバーチの答えがまさにそれを意味しているからで、「直覚」もこれに入るであろう。「直感」とか「勘」は、必ずしも霊的なインスピレーションではなく、長年の経験から生まれたものであろう。

【Q25】 進化の極致において神と合一したとき、われわれは個性を失ってしまうのでしょうか?

進化の極致は涅槃(ニルバーナ)に到達することではありません。霊的進化は、個性の無限の開発へ向けての歩みです。個性が薄らいでいくのではなく、逆に鮮烈になっていくのです。潜在能力が開発され、より多くの知識を身につけ、性格が強化され、神性がますます発揮されていきます。大霊は無限の存在ですから、開発は無限に続きます。完全というものは達成されません。完全へ向けての無限の努力が続くのです。自分を失うことは永遠にありません。逆に、永遠に自分を発見していくのです。

【Q26】 その極致を言語で説明することはできませんか?

できません。なぜなら、そこは言語を超越した境地であり、階層だからです。意識と直覚だけの次元で成り立っている世界であり、そこへ到達してみないと理解できません。大いなる意識の海に、個性を埋没してしまうのではありません。大海の深淵が、あなたの個性のなかに包み込まれていくのです。

【Q27】 地上で孤独な人生を強いられた人は、死後も孤独な人生を送ることになるのでしょうか?

いえ、いえ、そんなことはありません。摂理は常に完璧です。魂は地上生活の試練の報奨をみずから受け、怠惰をみずから罰するのです。愛と情愛で結ばれた者たちは死後、必ず再会します。魂が自然に引きあうのです。

【Q28】 死後低級界へおもむく者は、どんな状態におかれるのでしょうか? 睡眠中に訪れた階層(たぶん低級界だと思うのですが)での体験が役に立つのでしょうか?

低級界へおもむくような人間が、睡眠中に訪れる階層はやはり低級界ですから、その間の記憶は役に立ちません。環境が地上界とそっくりですから…。

【Q29】 物質化現象は、心霊現象としては高級でしょうか、低級でしょうか?

一つの魂にしたがって幸せをもたらす者、あるいは霊的摂理の知識を授けるきっかけとなるものは、どんなものでも役に立ったことになります。高級とか低級とかの判定を下してはいけません。それを必要としている人の役に立ったか否かで評価すべきです。

【Q30】 心霊現象は、霊媒が霊的に向上するにしたがって質がよくなるのでしょうか?

生活の質が高まるほど、その霊媒による現象の質が高まるのが常です。自分を役立てるためなら、喜んで自分を犠牲にする覚悟ができていない人間からは、価値あるものは生まれません。私たちはみな、そのことを学ぶために地上へ戻ってくるのではないでしょうか?

【Q31】 現代になって、物理現象が見られなくなったのは、なぜでしょうか?

それは物理的進化の法則だけでなく、霊的進化の法則もあるからです。地上界におけるものの考え方の風潮が変わったのです。物理現象は、霊的実在を物理的に証明しなければ承知してくれない時代には必要でした。当時の科学者は、自分の専門の範疇になじまないものは受け入れる準備ができていなかったのです。

現代の地上人類は、核分裂によって生じる「功」と「罪」の双方を体験しています。唯物主義の基盤が完全に崩れてしまいました。これ以上分解できないと思っていた原子が、どんどん分解されていって、物理学者も物質が個体ではないこと、実在は不可視の世界にあることを受け入れるようになりました。

そうしたものの考え方の変化に呼応して、霊的治療が発達し普及しています。条件がそろったときは、物理的な医療に勝るエネルギーの存在を見せつけます。

【Q32】 花や植物にも意識があるのでしょうか?

あなた方が考える意識とは異なりますが、人間のバイブレーションとは次元の異なるバイブレーションに反応します。偶然の体験でその秘密を知り、それを応用して花や野菜や植物の栽培で成功している人が大勢います。

【Q33】 「精神一到何事か成らざらん」の気概でのぞめば、何でもかなえられますか?

その質問には、条件つきでないとお答えできません。望むものが何でもかなえられるわけがないからです。人間にできることには、自然法則によって一定の制約があります。もしなかったら、地球を含む宇宙全体が基盤としている大原則を、破壊したり止めたりすることができることになります。

ことわざの主旨に反対しているわけではありません。ただ、ほしいものが何でもかなえられるかに受けとるのは愚かです。極端な例ですが、太陽がほしいと思っても手に入るわけがありません。

【Q34】 道徳・不道徳は、何を基準に判断すべきでしょうか?

あなた方地上の人間から見て道徳的に思えることが、私たち霊界の者にはきわめて不道徳に思えることがあります。生命観の違いが、その違いを生むのです。私に言わせれば、道徳的であるということは、自分が悟った最高の原理に照らして行動しているという理念を信念として生きることです。それは、たとえば人にやさしくするということであり、人の役に立つということであり、哀れみの心を忘れないということです。

またそれは、いかなる意味においても人を傷つけないということであり、人の進歩を妨げないということであり、自分の理想としている真理に忠実でなかったと、後になって恥じ入るような振る舞いをしないということです。

以上が、私が理解している道徳性、私だったらこう説くと思う道徳観です。地上界の道徳性が高いか低いかは、あなた方人間がそれをどう解釈するかによります。本質的に、経済的に、霊的に見て向上している面もありますが、遅れている面もあります。進化というのは一直線に進むものではないのです。

【Q35】 核エネルギーは、善でしょうか悪でしょうか?

私は、核エネルギーそのものを悪だとは見ていません。その使用法によっては悪になりうるものを秘めていることは事実ですが、同時に莫大な恩恵をもたらすものを秘めています。それは、それを管理する者の判断にかかっているということです。

【Q36】 すべての道は神に通じる、つまり同じ場所に行き着くのでしょうか?

同じ「場所」という用語が問題です。私だったら、すべての道は創造の大始原としての神に通じる、と表現します。

あなた方の言う「神」、私の言う「大霊」は無限の存在です。となれば、完全なる愛と英知そのものである大霊へ通じる道は、無限に存在することになります。

大霊は生命であり、生命は霊です。生命を授かったものはすべて、誕生の宿命的遺産の一部として神性を秘めています。そして、地球という惑星で生を営む存在はすべて、永遠の巡礼の旅を歩んでいるのであり、それは究極においては大霊という一つのゴールへ向かっているのです。

どういう道を歩むかは問いません。巡礼者が正直な目的意識をもち、真摯に自己実現を求め、授かった資質を発揮して、あなたという存在がいたことで地球が少しでも豊かになったと言われるような人生を生きることです。

【Q37】 霊界にもプライバシーはあるのでしょうか?

ありません。何一つ隠すことができません。すべてが知れるのです。ということは、何一つ恥じることがないということでもあります。地上界では騙すこともできますし、裏切ることもできます。姓名を変えることも法的に可能です。しかし、個性を変えることはできません。

【Q38】 霊界側がスピリチュアリズムを広めようとしておられるのであれば、なぜマスコミなどを通じて宣伝活動をなさらないのでしょうか?

おやおや、これは驚きました。あなたはおわかりになっていないようですね。知識が広まるのは結構なことであるに決まっています。ですが、宣伝という手段を用いることにどれほどの価値があるのでしょう? 魂の琴線にふれるということがどういうことかを、あなたはご存知ないようです。霊界側では霊界側なりの手段を用意しています。計画はできているのです。あとは、地上界のみなさんの協力なのです。

といって、私たちは魔法の杖を振るわけではありません。神秘的な処方箋があるわけではありません。私たちがすることは、宇宙の霊的摂理を啓示することだけです。その摂理と出会った人の魂が感動を覚え、自分も大霊の一部であり、したがって、自分を通じて大霊が働くこともあるということを理解していただくことです。それがいわば、霊界側の宣伝活動であり、これは今後とも決してやめることはありません。ブームという一時的な大騒ぎによってではなく、魂と心情に訴える、つまり本来の自分である霊的自我に訴えることによって、ゆっくりと着実に広めてまいります。

【Q39】 予知夢は、霊界から「送り届けられる」のでしょうか?

そういう場合もあります。背後霊が危険を察知して送り届けるのです。が、本人自身が肉体の束縛から解き放たれている間に未来の出来事を察知して、夢のかたちでもち帰る場合もあります。

【Q40】 有色人種と白人との結婚は好ましくないことでしょうか?

私も有色人種です。これ以上申しあげる必要があるでしょうか? 地上では、色素、つまり肌の色で人間の優劣が決まるかに考えがちですが、これは断じて間違いです。

人のために自分を役立てたその仕事の価値が高い人ほど、優秀なのです。それ以外に基準はありません。肌の色が白いから、黄色いから、赤いから、あるいは黒いからといって、霊的に上でもなければ下でもありません。肌の色は、魂の程度を反映するものではありません。地上世界では、とかく永遠なるものを物的基準で判断しようとしがちですが、永遠不変の基準は一つしかありません。すなわち霊性です。

すべての民族、あらゆる民族、あらゆる肌色の人間が大霊の子であり、全体として完全な調和を構成するようになっています。

大自然の見事なわざをご覧なさい。広大な花園に無数の色彩をした花々が咲き乱れていても、ひとかけらの不調和も不自然さも見られません。すべての肌色の人間が融合しあったとき、そこに完璧な人種が生まれます。

【Q41】 宗教とは何でしょうか?

宗教とは、同朋に奉仕することによって大霊に奉仕することです。本来の宗教は、地上の世俗的概念とはほとんど関係ありません。人間の魂に内在する神性を、地上生活において発揮させるものでなければなりません。自分と大霊とのつながり、そして自分と同朋とのつながりを強化するものでなければなりません。自分一人の世界に閉じこもらずに、広く同朋のために自分を役立てるように導くものでなければなりません。宗教とは、人のために自分を役立てることであり、自分を役立てることが、すなわち宗教です。

それ以外のこと(教義とか儀式など)は、どうでもよろしい。肉体が朽ちてしまえば、それまで後生大事にしていたもの、そのために争うことまでした教義のすべてが、空虚で無価値で無意味で無目的であったことを知ります。魂の成長を微塵も助長していないからです。魂の成長は、自分を役立てることによってのみ促進されるのです。他人のために自分を忘れているうちに、大きさと強さを増すのです。

これまで地上には、あまりに長い間、あまりに多くの宗教が存在し、それぞれに異なった教えを説いてきました。しかし、その宗教が最も大事にしてきたものは、実質的には何の価値もありません。過去において流血・虐待・手足の切断・火刑といった狂気の沙汰まで生んだ教義や信条への忠誠心は、人間の霊性を一センチたりとも増していません。

それどころか、いたずらに人類を分裂させ、障壁をこしらえ、国家間、さらには家族間にも無用の対立関係を生みました。論争のタネともなっています。分裂と不和を助長することばかりを行なってきました。大霊の子らと一つに結びつけることに失敗しています。私が宗教的建造物や組織としての宗教に関心がないのは、そのためです。主義・主張はどうでもよいのです。大切なのは、日常の行ないです。

【Q42】 青少年の宗教教育は、どうあるべきでしょう?

そもそも教育とは何かといえば、住んでいる世界の価値ある住民となるために必要な知識を授けることです。宇宙の自然法則を教える必要があります。授かっている才能を知らしめる必要があります。それを開発することが、自分のみならず、社会全体への貢献につながるからです。

さて、お尋ねの宗教教育の問題ですが、若い魂がこれから始まる人生の闘争に堂々と立ち向かい打ち克っていくための備えとして、最も重大な役割を果たすものです。青少年もすべて大霊の一部であり、本質的には霊的存在ですから、「自由」がもたらすあらゆる恩恵のなかで生きていくべく意図されているのです。その魂を幼いうちから小さな枠に押し込めてしまうということは、自由という、霊的存在としての基本的権利を否定することになります。鎖につなぐことであり、霊的奴隷にしてしまうことです。

自由であるということが、教育の最も大切な点です。私の考えでは、宗教の真のあり方について学んだ子どもは、自由のなかで成長します。宗教を教える者が、私的な魂胆に基づいた指導をして、古い神話や寓話を詰め込むようなことをすれば、それは子どもの精神の泉を汚すことになります。もしも知性が十分に発達していれば反発を覚えるはずの間違った教義を、判断力のない幼い時期から教え込むことは、宗教にとって、教育にとって、そして何よりも子ども自身にとって不幸なことです。

そうした不自然な教育は、必ず反動を生みます。抵抗する術を知らない年齢で間違った指導をされた魂は、いずれそうした教育に背を向けます。若い芽は、真っ直ぐに伸びるように意図されています。その芽に間違った水を与えれば、霊的存在の根そのものを傷めることになり、成長が阻害されます。

【Q43】 もう一度やり直すチャンスは、だれにでも与えられているのでしょうか?

もちろんです。やり直すチャンスが与えられないとしたら、宇宙は愛と公正によって支配されていないことになります。もしも地上人生の物語が墓場で一巻の終わりになるとしたら、地上世界は矛盾だらけで、せっかく送った人生への報奨も罰も与えられない人が無数にいることになります。

地上界の人間にお届けしようと、私たちが奮闘している知識のなかでも最高に輝いているのは、墓場で人生が終わるのではないこと、苦難の生涯を送った人や挫折の人生に終わった人にも、埋め合わせとやり直しのチャンスが与えられ、地上界のために貢献しながら逆賊の汚名を着せられた人にも、悔し涙をぬぐうチャンスが与えられるという知識です。

生命は、死後にも続くのです。続くからこそ、内部の資質(地上での発現を妨げられた資質)を改めて発現させるチャンスが与えられますし、逆に、愚かにも地上で威張り散らし、自然の摂理も逃れられるのだと思い込んでいた者は、その誤りを矯正するための試練を体験しなければなりません。

そうした事実を知って、少しもおそれを抱く必要はありません。他人を思いやり、慎み深い生活を送っている人は、何一つ怖がることはありません。怖がるべきは、利己的な人生を送っている人たちです。

【Q44】 こうした交霊会を開くに当たっては、前もって準備をなさることがあるのでしょうか?

あります。不純な影響力を排除しなければなりません。私たちの霊団のオーラと、あなた方地上のメンバーのオーラとの融合を図らねばなりません。最高の成果が得られるように、あらゆる要素を点検しないといけません。

その目的に向かって、高度な組織体制で交霊会にのぞみます。

【Q45】 交霊会を台無しにしようとして侵入する邪霊を、排除する手段も講じるのでしょうか?

もちろんです。そのかなめとなるのは、地上のメンバーのすべてが、愛の心に満たされることです。そうすれば、愛に満たされた霊しか近づきません。

【Q46】 霊的知識の程度は受け入れ能力によって決まるそうですが、そうなると、霊的に受け入れ準備のできていない人間には、霊媒を通して「証拠」を提供するのが賢明ということになるのでしょうか?

証拠を手にすることと魂の成長とは、何の関係もありません。受け入れる能力によって決まるという意味は、真理を理解するために霊界のどの次元まで入り込めるかで決まるという意味です。いい換えれば、その人の魂の発達程度によるということであって、そのことと証拠を手にするということを混同してはなりません。両者は必ずしも連携しません。生命が死後も続くという証拠を十分に手にしていながら、その魂の霊性がまったく開発されていない人がいるものです。

【Q47】 霊の僕として働く者は、安楽な生活を期待してはならないというのは事実でしょうか?

地上に霊的真理を根づかせる仕事にたずさわっている人はみな、なまやさしい道ではないことを実感しているに相違ありません。もしも楽に達成されるものであれば、たいした価値はないことになりましょう。霊的報奨は、刻苦勉励の末に得られるものです。が、いったん手にしたら、決して失われることはありません。

【Q48】 スピリチュアリズムの第一線で活躍している人が、とかく世俗的なことで挫折することが多いのはなぜでしょうか?

霊の僕として活動する者は、とことんしごかれ、試されなければならないからです。霊の大軍の兵士であらんと志す者は、襲いかかるいかなる困難にも耐え、障害をものともせず、すべての難題に挑むだけの強靭さがなくてはなりません。最初の困難の一撃であっさりと怖じけづくような兵士で何の役に立ちましょう? 大いなる貢献をする者は、清めの業火でしごかれ、試されなければなりません。それを潜り抜けてはじめて、鋼鉄のごとき強靭さとがまん強さが身につくのです。

世間の目に挫折として映るものは、実は霊界で用意した試練なのです。使命を帯びて生まれてきた者が、安楽な生活に甘んじ、何の試練もストレスも嵐も困難も体験しないようでは、期待していた性格は築かれず、待ち受ける仕事を完遂するだけの力は発揮できないでしょう。

【Q49】 世間から隔絶し、孤独のなかで瞑想にふける隠遁者によって、何かよいものが成就されるものでしょうか?

その「よいもの」というのが、何を意味するのかによって返答が違ってきます。世俗の喧騒から逃れるということは、霊的なものを発現させるうえでは好条件であるかもしれません。その意味ではよいことかもしれませんが、私にいわせれば、世俗のなかにいてなお世俗にまみれず、奮闘と努力と修行によって自己開発して、大霊から授かった資質によって社会に貢献するほうがよほど立派です。

【Q50】 心霊的(サイキック)と霊的(スピリチュアル)とを使い分けておられますが、どう違うのでしょうか? 同じものでしょうか?

よく似ていますが、まったく同じではありません。いわゆる超能力はすべて「サイキック」(注)なものですが、これに霊界の存在が働きかけて(この交霊会のように)高等な目的のために活用するようになると「スピリチュアル」なものになります。超能力はみな、霊的身体から出ているのですが、それが発達して高等な霊的エネルギーと融合するようになると「霊的能力」となります。

訳注―人間をはじめとして動物や鳥類、魚類には、先天的にサイキックな能力がそなわっている。渡り鳥の習性や、サケが生まれた川へ戻ってくる感覚が不思議がられているが、これもサイキックな能力で、動物がもっとも鋭い。かつては人間が最も鋭かったのであるが、知性の発達による文明化によって、そういう能力、いわゆる第六感が不必要となって退化したといわれている。

ユリ・ゲラー以来、超能力がもてはやされているが、物理的な解釈のつかないものはすべて、サイキックなものと考えてよいであろう。次元的には物質のレベルに近く、それなりの次元での法則が働いているのであって、決して摩訶不思議なものではない。ただ「そんなことができて、だからどうだというの?」と聞かれて返答のしようがないところに、サイキックの次元の悲しさがある。


【Q51】 霊界でも過ちを犯すことがあるのでしょうか?

あります。死の直後の世界は地上と非常によく似ていて、住んでいる者も、地上の平均的な発達程度の者です。天使でもなければ悪魔でもありません。ごく平凡で、高級霊でもなく低級霊でもありません。ですから、判断の誤り、英知の欠如から過ちを犯します。妬みや憎しみ、我欲などから判断を誤ります。要するに未熟なのです。

【Q52】 霊界が地上界の写しのようなものだとすると、スラムやひどい労働環境のようなみにくい側面も再現されているのでしょうか?

死の直後の世界でも、低い階層にはそういうものが再現されています。それ以外の環境での生活を知らない未熟な霊にとっては、それが似合いの環境だからです。もちろん、実在の世界ではなく、そこに住む者の精神的発達程度の反映にすぎません。

「なぜこんなむさ苦しいところで、生活しなきゃならんのだ」と反発を覚えるようになったその瞬間に、その環境から脱け出ます。いつまでも居残るのは、思考力が乏しくて、それ以外の環境が思いつかない者、そして次に、まだ霊性に向上する意欲がめばえていない者、この二種類です。

忘れてならないのは、そうした環境の存在も、霊的生命の発達上の急激な変化に面食らわないようにとの、大自然の配剤の一環だということです。もしそうした似合いの環境がなければ、新しい環境が与えるショックは精神を混乱させるほど大きなものとなるでしょう。

【Q53】 昨今のスピリチュアリズムの動向をどう見ておられますか?

潮に満ち潮と引き潮があるように、ものごとには活動の時期と静止の時期とがあるものです。いかなる運動も一気呵成に進めるわけにはいきません。表面的にはスピリチュアリズムも、かなりの進歩を遂げ、(キリスト教界との論争などで)大きな勝利を収めたように見えますが、霊的真理についてまったく無知な人が多過ぎます。何度も言ってきましたように、スピリチュアリズムというのは単なる名称に過ぎません。

私にとってそれは大自然の法則、大霊の摂理を意味します。私の使命は、その知識を広めることによって、少しでも無知をなくすことです。その霊的知識の普及に手を貸してくださるのであれば、一個人であってもグループであっても、私はその努力に対して賞賛の拍手を送りたいと思います。

大霊の計画は、きっと成就します。私が得ている啓示によっても、それは間違いありません。地上における霊的真理普及の大事業が始まっています。ときには潮が引いたように活動のめだたない時期があるでしょう。そうかと思うと、ブームのような時期があり、そして再び無関心の時期が来ます。普及に努力するのがいやになる人もいるでしょう。しかし、それは大霊の全体から見れば、部分的現象にすぎません。

この計画のなかでも、特に力を入れているのが霊的治療です。世界各地で起きている奇跡的治療は、計画的なものであって、決して偶発的なものではありません。その治療の原因が霊力にあることを知らしめるように、霊界から意図的に行なっていることです。

私は、真理の普及に関して決して悲観的になることはありません。常に楽観的です。というのも、背後で援助してくれている強大な霊団の存在を知っているからです。私は、これまでの成果に満足しています。

地上の無知な人々が、われわれの仕事を邪魔し、遅らせ、滞らせることはできても、真理の前進を完全に阻止することはできません。ここが大切な点です。遠大な大霊の計画の一部だということです。牧師が何と説こうと、医学者がどうケチをつけようと、科学者がどう反論しようと、それは好きにさせておくがよろしい。時の進展とともに、霊的真理が普及していくのをストップさせる力は、彼らにはないのです。

【Q54】 スピリチュアリズムは組織的信仰としてよりも、これまでと同じように影響力として伸びていくほうがよいのでしょうか?

スピリチュアリズムを信仰とするご意見には賛成できません。知識です。あなた方には風の向きを変えることができないように、知識の発展ないしは普及をコントロールすることはできません。真理は、自然の営みで花開いていくのです。あなた方の力で開かせることはできないのです。あなた方にできることは、一人でも多くの人々が、その真理を手に入れることができるように、あなた方みずからが、その提供の手段となることだけです。

ですから、その知識がどういう影響を及ぼすかは、あなた方には査定できません。普及していく通路を、前もって規制することもできません。

あなた方にできるのは、自分の責務に忠実であること、自分の判断力に照らして業務を遂行すること、どこにいても人のために自分を役立てること、自分が入手したものは人にも譲り渡すこと、そしてあなた方の存在がかもし出す霊の芳香を漂わせることです。それが発酵素の役割を果たします。それが人間界のあらゆる活動分野に浸透し、吸収されていきます。あなた方のお一人お一人が自分でベストだと信じることに精を出し、きっと役に立つと信じる方法で、霊的真理を広めていくことです。

【Q55】 私たちも内部に大きな問題を抱えています。力を発揮するためには団結する必要があるのですが、今のところ、それができていません。この問題を解決するための方策を考えているのですが、何かコメントをいただけませんでしょうか?

団結は容易に達成されるものではありません。号令をかけて団結させるわけにはいきません。理解力の発達とともに、徐々に成長して達成されるものです。

問題は、人類は知性・道義心・霊性において、一人として同じレベルの者はいないということです。一つの共通の基準というものがないのです。あなた方の組織内においても、会員の一人ひとりが異なった進化の段階にあるという単純な事実から生じる衝突が少なくありません。

霊的な悟りというのは、霊性が進化してはじめて得られるものです。高級霊との一体化によって得た悟りは、あなたにとっては明々白々であっても、その段階まで到達していない人とは分かちあうことができないのです。したがって、あなたは、今のあなたにとって可能な手段によって、あなた一人の判断で最大限の貢献をする以外にありません。

実は、私たちも常に同じ問題に直面しているのです。私たちは、地上の人間の協力を得なければならないのですが、なかにはこちらの要求する基準に満たない者がいます。でも、それで最善を尽くすしかありません。それでも、光明が少しずつ広がっていきつつあることに気づかれるはずです。

大切なことは、このサークルのような集会を催すと、さまざまな伝統と環境をもち、異なった言語や慣習をもったさまざまな国の人々が顔をあわせることになり、お互いに学びあうことができるということです。たとえば、自分たちの国が遅れていることを思い知らされることがあれば、それがよい刺激となります。

案ずることはありません。最善を尽くすことです。これ以上は力が及ばないと思えば、むきにならずに、私たちに任せることです。人間は、最善を尽くすことが求められているのであって、それ以上を求められることはありません。

【Q56】霊界は一つでしょうか?

そうです。たった一つあるだけですが、無限の表現形態があるということです。地上界はもとよりのこと、他の惑星上の生命もそのなかに含まれています。それぞれに霊的階層が存在するからです。

【Q57】 死後の世界についての通信がまちまちなのは、なぜでしょう?

忘れてならないのは、私たちは無限の世界に住んでいること、したがってそこで生活する者が体験することには無限のバラエティーがあるということです。死後の世界には無限の次元があり、同じくこの場に存在する者でも、それぞれに違った体験があるということになります。

かりに、今あなたが霊界のだれかと対話をするとします。その男性または女性の霊があなたに語って聞かせる内容は、その霊がその時点までに体験したことに限られます。その後、その霊が一段と高い階層へ向上すれば、前に語ったことを撤回せざるを得ないような体験をすることでしょう。

ですから、どういう内容の通信が地上界へ届けられるかは、その通信霊の進化の程度次第ということになります。地上の波動に近い階層の霊ほど、これから向上していくことになっている階層に関する表現能力が限られていることになります。

私からのアドバイスは、いつもと同じです。霊界からの通信は(うのみにせずに)理性をもって検討しなさいということです。「おかしい。これは納得できない」と思ったら、躊躇なく拒絶することです。私も含めて霊界からの通信者も、絶対に間違いを犯さないということはあり得ないのです。まだまだ完全の域に到達していないからです。完全に至るには、永遠の時を要します。それは、何度もいっていますように、終わりのない過程なのです。

【Q58】 「時間」は人工的なものでしょうか?

人工的というよりは、無数の次元があるということです。人工的なのは時間の計り方です。「時間」そのものは実在です。存在します。「空間」も存在します。ただ、その計り方が正確でないのです。人間が時空を見る焦点距離に限りがあるからです。他の要素に関する知識が増えていけば、焦点距離がそれだけ真実に近づき、鮮明度を増します。

【Q59】 こちらから送る思念はすべて、他界した霊に伝わっているのでしょうか?

単純に「イエス」とも「ノー」とも答えられません。相手の霊的進化の程度によって違ってくるからです。もしも精神的・霊的に地上の人間と同じレベルのままであれば、その思念は届くでしょう。が、その後の進化が著しくて、はるか上層界へ向上していれば次元が異なりますから、その思念は届かないでしょう。

【Q60】 動物の肉を食べたことで、他界してから罰せられるでしょうか?

大霊のか弱い創造物を殺して食べることが間違っていることを確信する段階まで進化した人は、いけないことと知りながら犯した行為に対する報いを受けます。

その段階まで達していない人であれば、いけないことという自覚が魂に芽生えていないのですから、罰を受けることはありません。知識には必ず代価を払わされます。その代価が義務というわけです。

【Q61】 人類のすべてが肉食をやめて菜食にすれば、より幸せな世のなかになるでしょうか?

ご質問に対する答えは「イエス」であることを断言します。いろいろな点から見て、肉食は好ましくありません。身体的・精神的・霊的視点から見て、そう断言します。道義的問題だけでなく、健康上の問題も含まれます。そして何よりも、霊的観点から私は、人類の進化に伴って、いつかは人類の大半が、ますます菜食主義になっていくであろうことを断言します。