江戸歴史散歩 花めぐり 散歩コースと花と木→【名所、ポイント】 1(皇居)-2(浜離宮)-3(後楽園)-4(護国寺)-5(墨堤)--説明--6(日暮里)-7(両国)-8(葛飾)-9(千住)-10(新宿) 11(増上寺)-12(目黒)-13(豪徳寺)-14(駒込)-15(板橋)-16(飛鳥山)-17(日野)-18(青梅) (土産)コース正順-他1-他2-他3-他4-江戸歴史散歩の会履歴 東京は緑が少ないという人もいますが、いまは私の住む多摩丘陵よりも花・木の種類が豊かもしれません。 名前を知らない事は、「モッタイナイ」事と思います。今まで歩いたコースポイントに主な花の名前を入れてみました。 ◆◆◆企画1コース--江戸城跡と大名藩邸跡を歩く=====================↑top 和田倉噴水公園【出発地】 →皇居外苑A【黒松と芝B、楠他】 →二重橋A →坂下門 →桔梗門 →巽櫓B →内堀通り(枝垂柳、エンジュ並木) →大手門A →三の丸尚蔵館辺り(カリン、マンリョウ、センリョウ、ヌスビトハギ) →下乗橋跡 →番所 C →百人番所B →中の門(改修中) →大番所(タカサゴユリ) →中雀門 →富士見櫓B(ヤマボウシ、ハナイカダ、ナンジャモンジャ、ヌスビトハギ) →松の廊下跡→竹林(キッコウチク、キンメイモウソウ、ラッキョウダケ、ギンメイチク) →本丸跡B(コウシンバラ、サンショウバラ、ハマナス、トチノキ、アベリア、ゴンズイ、フヨウ)、ヤブラン) →天守台跡B(アジサイ) →梅林坂C【白梅、紅梅B】 →二の丸雑木林C(白山吹、エビネ、キンランA、ギンランA、紫陽花、キツネノカミソリ、秋の七草) →二の丸庭園A【ハナショウブ、サツキ、サルスベリ、アサザ他】 →諏訪の茶屋(全国の都道府県の木) →平川門B →竹橋駅解散 →近代美術館工芸館B →千鳥が淵遊歩道(松古木多し、アベリア) →北の丸公園(ロウバイ、サンシュユ、寒椿、ヤブツバキ、ムクゲ、サルスベリ) →靖国神社前
→半蔵堀B →内堀通り(ユリノキ並木) →英国大使館前B →半蔵門 →桜田堀A(菜の花B、ムラサキハナナB) →柳の井戸跡(枝垂柳) →桜田門A →有楽町駅解散【江戸歴史散歩3】【概要】 皇居外苑は幕閣の役屋敷が並び、幕末には京都守護職松平容保の屋敷もあったところです。本丸 は総石垣で作られ、脇から攻撃するための屈曲も随所で見られ、道筋は遠くを見通せない工夫をし ていました。 大手門から全国の大名は登城して行きましたが、格式により共の数から、籠を降りる場所まで決め られていていました。広大な本丸御殿の玄関に近づくと石積みが精緻になり、将軍の権勢を示して います。江戸城は全国の大名に築かせたもので、西国の大名は領地から白い御影石を運び忠誠の証 としています。今、皇居本丸、ニの丸では貴重な花が四季楽しめます。 【桜田堀の菜の花】菜の花、ムラサキハナナ、3月頃から桜田堀に咲く菜の花は、都心には珍しい 優しさを見せています。【江戸時代からの松】 吉宗公の時代、江戸城の周りを松を植え始めました、今では古木であるはずですが、千鳥が淵の遊 歩道以外では見ることが出来ません。 【都道府県の木】 諏訪の茶屋周辺にある、同様のものは日比谷公園にもあります。 【赤松 刺しても痛くない】 樹皮を見て赤ければ赤松ですが、赤松は女松とも言われ、掌に指しても痛くはありません。 【キンラン、ギンラン 二の丸雑木林】 国の絶滅危惧種に登録されている。 キンラン(金蘭)は金色に輝く花の意味でキンランと名付けられ、ギンランは花が白色で、キンラン に対してギンラン(銀蘭)となづけられた
キンラン(小山田で撮影馬場氏)---------------------ギンラン(〃) 【有楽町・おかめ】 出来たてをお持ち帰り。東京交通会館を地下1階に下りる。おかめのお面が目印の座席数20席 前後のこじんまりとしたお店。レトロな雰囲気が漂う。注文してから作るおはぎは、やはり王道の 「あんこ」がお勧め。おにぎりの様なもち米、に少し甘めのつぶあんが包まり、びっくりする大きさ。 1個食せば充分満足できる。冷めてもおいしいが、できれば柔らかさも味わえる温かい内に食して 欲しい。 【二重橋と大手門】 二重橋は皇居の正門ですが、江戸城の正門は大手門でした。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど か火事の多かった江戸時代、庶民の家だけでなく、将軍の御殿でもたびたび火事を火事を出していて、明 治天皇が江戸城に入ったときに、本丸御殿は火事で無く、仕方なく西の丸に入りました。以来、西の丸に 天皇家の宮殿が造られ、西の丸正門が皇居の正門になりました。 今でも、再建ですが、大手門の方が大きく立派であることが分かります。 【石垣の刻印】 江戸城は全国の大名により造られた城です。石垣には大名家を示す刻印が数多くの残っています。田安門 の刻印は近くで見ることが出来ます。 【本丸の玄関】 大手門より登城した諸侯は、下乗橋、百人番所などを通過していきます。石垣の作りも本丸に近づき重厚、 精緻を増し、将軍の権勢を感じさせます。 【江戸城の天守閣】 家康、秀忠、家光と三代にわたり立て替えられた天守閣も、明暦の大火(1657)で焼失、以後造営さ れなかった。内部の石垣が三代将軍家光時代、外部は四代家綱が加賀の前田藩に命じて再建させた。 天守台の北側の門は北拮橋門で、有事には橋を跳ね上げて遮断できる構造になっています。 【本丸 コウシンバラ】 四季咲き性のバラは、全てコウシンバラの系統です。
◆◆◆企画2コース:浜離宮、新橋、銀座、京橋あたり==================↑top 新橋駅【出発地】 →土橋跡 →御門通り(枝垂柳並木) →金春通り →新橋跡(銀座の柳二世) →浜離宮庭園AA (菜の花畑、キバナコスモス畑B、三百年の松B、ぼたん園B、ソメイヨシノ、アメリカディゴ、関東タンポポ群落、白花シラン、アジサイ、ツツジ) →築地市場前(メタセコイア並木) →朝日新聞前公園(ツツジ、白雲木、アベリア、カルミア、ナツミカン、枝垂梅、花桃、アメリカディゴなど) →晴海通り(ユリノキ並木) →千代橋公園(栴檀、ネズミモチ、ハゼノキ、フヨウ、オオデマリ) →新橋演舞場 →采女橋公園(果樹とハーブ園、八重山吹、ユキヤナギ) →狩野画塾跡 →歌舞伎座前B(枝垂桜) →江戸城外堀跡(首都高環状線) →銀座公園(ハーブ類:チェリーセージ、ローズマリー、メキシカンセージ、パイナップルセージ。ソメイヨシノ、フイリヤブラン) →祝橋公園(バラ類:レッドメイディランド、スカーレットメイディランド、ホワイトメイディランド。ソメイヨシノ) →亀井橋公園(ツツジ類:リュウキュウツツジ、キリシマツツジ、ヒラドツツジ。ソメイヨシノ、サツキ、ムクゲ、フジ) →三吉橋公園(枝垂柳、ツルバラ) →新富橋公園(サクラ、バラ、白カラー) →水谷橋公園(トイレ、バラ、シラン、ハクチョウゲ、コムラサキシキブ、カンツバキ) →京橋公園(ベニコブシ、ヒイラギモクセイ、サルスベリ、オリーブ) →弾正橋C →京橋跡B(ソメイヨシノ並木) →銀座発祥地の碑C →尾張町跡 →南町奉行所跡 →数寄屋橋跡C(枝垂柳、枝垂桜) →泰明小前(島崎藤村の碑、銀座の柳二世) →有楽町駅解散 【江戸歴史散歩23】 【銀座の柳】 皇居二の丸庭園(紅葉)------------サザンカ(東御苑)---------ソシンロウバイ(北の丸公園)
伏見櫓---------------------コウシンバラ-------------二の丸庭園(ハナショウブ)
白山吹----------------------八重山吹----------------山吹
明治7年、我が国の街路樹第一号として銀座通りに植えられた、松、桜、楓は地下水が高いという銀座の土地柄 枯れてしまいました。明治10年から柳に植え替えられたのが、「銀座の柳」の由来です。 明治17年銀座の街路樹の殆どは柳に植え替えられました。大正10年に銀座通り拡幅により一時、イチョウに 植え替えられましたが、昭和4年にヒットした「東京行進曲」が引き金となり、昭和7年に朝日新聞社から柳の苗 木が寄贈され、再び銀座通りに柳が帰ってきました。 東京オリンピックの開催の決まった、昭和34年頃からビル建設ラッシュなどの環境へんかにより枯死するもの が多くなり、昭和43年銀座通り改修に伴い、衰退著しかった「銀座の柳」は建設省の日野市田圃に移植され、余 生を過ごすこととなりました。 昭和59年、日野田圃に移植された柳が3本を残すだけとなったことを知った銀座8丁目の方が、日野田圃から 柳の枝を持ち帰り挿し木とし、二世柳を復活させました。◆◆◆企画3コース--小石川後楽園と徳川の女性====================↑top 【出発地】小石川後楽園AA (枝垂桜A、花菖蒲、睡蓮A、稲田、松原、伽羅木、ツツジ、関東タンポポ、サルスベリ、卯の花、シャガ、榧の木他) →西門(外堀石垣移築) →北野神社:牛天神C(紅梅/紅梅祭、紅梅守、神木樹齢100年の木槲) →常泉寺(高野槇) →西岸寺(杏、万両、木蓮、ヒメシャラ) →春日通り富坂上(ハナミズキ並木) →福聚院 →伝通院A(ソメイヨシノB、枝垂桜、牡丹、朝顔祭り) →於大の方塋域(菩提樹) →千姫塋域 →家光室本理院塋域(枝垂桜、八重桜) →将軍家の女性の墓(枝垂桜、八重桜) →善光寺坂(ムクノキの神木) →慈眼院 →沢蔵司稲荷C →善光寺 →源覚寺C(大黒天 とうがらし地蔵、こんにゃく閻魔) →礫川公園(幸田文のハンカチの木、サトウハチロウーのハゼの木B) →春日通り(チャンチン) →文京シビックセンター展望台(関東の富士見百景) →春日局拝領地跡(出世稲荷神社) →旧本郷弓町(楠の大木) →かねやす →本郷通り(イチョウ並木) →赤門A →(株)南江堂歩道際(ヒポクラテスの木:コス島株スズカケノキ) →麟祥院 →湯島天神A【湯島の白梅A、梅祭り、菊祭り】銀座の柳二世、三世、四世(東京国道事務所 東京道の情報館) 【銀座の並木】 中央通り(樅)、銀座桜通り(ソメイヨシノ並木)、銀座柳通り(枝垂柳並木)、銀座マロニエ通り(トチノキ並木) 松屋通り(ハナミズキ並木)、晴海通り(欅並木)、みゆき通り(コブシ並木)、交詢社通り(トウカエデ並木) 並木通り(シナノキ並木)、外堀通り(枝垂柳)、御門通り(枝垂柳)、花椿通り(ヤブツバキ) 【銀座並木通り】 現地のプレートに「リンデン」と書かれていますが、 樹木鑑定サイト「このきなんのき」に写真を投稿し、 http://www.ne.jp/asahi/blue/woods/index.html かつ、主催者の方に調べてもらったところ、 大半は、日本の「シナノキ」と思われます。 http://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/kankyo/midori/gairozyu/index.html セイヨウボダイジュは「自由」の象徴とされていました。 現在でも,ヨーロッパでは公園樹,街路樹,記念樹として親しまれています。 日本ではシューベルトの歌「菩提樹 泉に沿いて繁る菩提樹・・・・」で知られています。
セイヨウボダイジュ 【花椿通り】 銀座は江戸初期に海を埋め立て作られた土地です。加賀町、出雲町などと工事を担当した大名の国 名で呼ばれ、出雲町は堀尾吉晴(松江城初代城主)が担当、通りは「出雲通り」と呼ばれていました。 明治5年、出雲通りに創業した資生堂が出雲との縁を深めようと、椿(ヤブツバキ)を植えました。 また、大正4年、資生堂は商標を花椿としました。これは松江の八重垣(やえがき)神社の椿をモチー フにしたといわれています。平成5年には通りが改修され、再び出雲市から10本の出雲椿が贈られ、 通りに植えられています。 【銀座・煉瓦亭】《洋食》 有楽町駅から徒歩約5分、銀座松屋の近くにある、明治38年創業の洋食屋。この洋食というジャンルを 日本で作ったというお店である。定番メニューはポークカツレツ。コートレットを日本人の味覚に合うよ うにアレンジした、トンカツの元祖。柔らかい豚肉がまとう、サックリとした歯ごたえの衣がたまらない。 中央区銀座3-5-16 【築地市場・丸武】《卵焼き》 築地場外市場に店を構える、卵焼き専門店。緑地に黄文字ののぼりが店先に並び、初めて訪れてもすぐに わかる。演出家・テリー伊藤の実家としても有名で、三代目の現店主は実兄である。ダシの入った甘い厚 焼き玉子で、種類もプレーン・海老・三つ葉・青海苔など豊富。ふわふわとした食感、滑らかに口の中で 解れていく舌触りは冷めてもおいしい。 【銀座・新富寿司】《寿司》 昭和2年創業。新橋の「新富鮨」創業者の弟がこの地に開いた。銀座コア裏のあづま通りに面したビルの 1階に位置する。ねじり鉢巻や、威勢良く張り上げる大声を禁じているため、落ち着いて食べることがで きる。赤酢と塩のみを使用したさっぱりとしたシャリは、ネタに良く合う。特に酢〆と煮物がお勧めです。
【関東タンポポ】 20年間、タンポポを見るたびに花を裏返して総苞片の反りを見てきました、圧倒的に多いのが 西洋タンポポ、関東タンポポを見つけたときは運命の人と出会ったような感激を受けたものです。 街で関東タンポポを見かけるようになり、少しずつ関東タンポポが増えているように感じます。 【カノコユリ】 日本には約15種類のユリがあり、その半数が日本にだけ分布する特産種で美しい花として知ら れています。1830年代「カノコユリ」がオランダ軍医シーボルトによりヨーロッパに紹介され、 その華やかな美しさが絶賛されました。 19世紀、ヨーロッパにユリブーム庭園革命が起こり、印象派の画壇と共にジャポニズムが巻き 起こりました。純白大輪のユリ「カサブランカ」を始め、多数の美しい品種はこれら日本伝統の ユリを主体に改良されたものです。 カノコユリ(浜離宮)---------------------キバナコスモス(浜離宮)------------菜の花(浜離宮)
栴檀(千代橋際)-----------------------ローズマリー(銀座公園)-------------フイリヤブラン(銀座公園)
ホワイトメイディランド(祝橋公園)---------スカーレットメイディランド(祝橋公園)-------------関東タンポポ(浜離宮庭園)
→御徒町公園(伊予大洲藩加藤家上屋敷久森山跡、八幡神社、ナンジャモンジャ、藤棚) →解散【江戸歴史散歩2】 『江戸名所花暦』伝通院の桜 :牛天神の桜【概要】 水道駅で降りると神田川が目に入ります。下流は伊達政宗公が掘割をして、治水、防衛、水運に貢 献しました。神田川を渡ると、遊園地、東京ドーム、中大、小石川後楽園は全て水戸徳川家の上屋 敷でした、今は庭園が残っているだけですがそれでも広大な大名屋敷の跡を偲ぶことが出来ます。 特に小石川後楽園は大名庭園として名園であり、四季の変化も楽しむことが出来ます。塀には水戸 家の副紋の六葉葵が再現されていて、基壇に外堀の石垣が移築されています。ちかくの伝通院では 家康生母於大、千姫等の将軍家一族の女性の墓を見ることが出来ます。文京シビックセンター展望 台からは関東一円を見学して、春日局の墓がある麟祥院をすぎ、金沢前田家の御守殿門(東大赤門) は徳川家斉の溶姫が嫁ぐときに作られました。そして、湯島天神に至り、お蕎麦を食べてみては如 何ですか。 【失われた日本の風景】都心の稲田 小石川後楽園内の水田があり、水戸光圀公が嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃で、現在 は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植え、9月に稲刈りをしています。 山手線の内側では、他に駒場野公園のケンネル田圃がある。 【ナンジャモンジャ】 雪が積もったように小さな白い花が咲く木。 外苑絵画館前(六道の辻 六道木) 皇居本丸中雀門辺り 御徒町公園 深大寺 【はぜの木】 サトウハチロウーが(小さい秋みつけた)を作詞したときに、庭で深紅に染まったハゼの木が有った。 樹齢70年の木は礫川公園に移植され秋には深紅に染まる。 【ハンカチの木】 礫川公園のハンカチの木は、小石川植物園から幸田文(コウダアヤ)が譲り受けたもの。◆◆◆企画4コース:護国寺から小石川植物園あたり--小石川植物園と桂昌院の権勢========↑top 護国寺交番前【出発地】 →護国寺AA(枝垂桜) →石段の左右【ツツジ】 →吹上稲荷神社 →大塚先儒墓所(室鳩巣など) →教育の森公園・占春園(陸奥守山藩跡、ユリノキ、大王松) →石川啄木終焉の地 →伝明寺(藤寺) →播磨坂A【ソメイヨシノの名所A】 →吹上坂 →極楽水 →宗慶寺(家康側室:茶阿の局) →小石川植物園AA 【ソメイヨシノB、ハンカチノキ、精子発見の銀杏、ハナミズキ原木、ユリノキ古木B、プラタナス古木B、ナンジャモンジャ、ツツジ園】 →白山神社A(枝垂桜、旗桜 紫陽花祭りA 3,000株の紫陽花) →地下鉄白山駅解散 【江戸歴史散歩15】◆アーチは日本の建造物には少ないものです。 明の遺臣朱舜水が晩年に設計した、すぐれた石造拱橋。水面に映る橋は比類のない満月を表します。 小石川後楽園の円月橋は狂い一つ無く、優れた石工が江戸初期に活躍していたことを証明しています。 広島の縮景園の跨虹橋のように大泉水の中にあるのではなく、谷川の中にある。 ◆後楽園内庭 東京に大名庭園は幾つか残っていますが、書院の庭園まで残っている物は他にはない。 ◆牛天神参道石段 神社というと石段を登るものです。子供の頃、何度も石段を数えた記憶が甦ります。 東京は坂が多いことで有名ですが、愛宕神社「出世の石段」、胸突坂、本郷菊坂など階段も多いこと を知って欲しい。 ハンカチの木
サトウハチロウーのハゼの木(礫川公園)---------------小石川後楽園(紅葉)----------都庁と富士山(文京シビックセンターより)
円月橋------------後楽園内庭(スイレン)--------------牛天神
ハナショウブと水田--------------シャガ(後楽園)-----------------------------卯の花
筑波山(文京シビックセンターより)---------伝通院徳川家墓地八重桜--------富坂ハナミズキ並木
【ハナミズキ】 北米の原産でメキシコの東南部まで自生地がある。バージニア州の州花になっている。大正時代のはじめに東京市 長がアメリカへサクラの苗木を贈った際に、その桜の返礼としてハナミズキ(白)の苗木40本が東京市におくられ ました。小石川植物園にあるのは原木の内の一本です。 似ているヤマボウシは、北海道を除く日本各地に自生しています。『江戸名所花暦』護国寺石段の左右のツツジ :伝明寺の藤寺 :白山神社の旗桜◆◆◆企画5コース--墨堤の桜と隅田川七福神========================↑top 吾妻橋橋詰【出発地】 →吾妻橋 →浅草側隅田公園(アジサイ各種、フヨウ) →アサヒビール本社前 →枕橋・北十間川 →隅田公園B(ソメイヨシノA、サルスベリ、ハナショウブ) →牛嶋神社C(撫で牛、サカキ、枝垂桜) →見番通り(ハナミズキ) →すみだ郷土文化資料館B →三囲神社C(石碑群、タイサンボク) →桜橋 →山谷堀跡 →今戸神社(招猫発祥地)C(ムクゲ、) →待乳山聖天B(大銀杏 大根まつり) →弘福寺 →長命寺(サンゴジュ) →墨堤(植桜の碑) →【ソメイヨシノの名所A】 →白鬚神社(ハナキササゲ、シイノキ) →向島百花園B【秋の七草、朝顔、萩のトンネル、彼岸花、ハナショウブ、梅林、アジサイ、他野草】 →東武東向島駅解散 【江戸歴史散歩9】 ハンカチノキ-----------カキツバタ(小石川植物園)----------大王松(ダイオウショ)
白山神社アジサイ祭り
徳川吉宗の命で享保2年(1717)、桜100本が植えられたのに始まる 墨堤の桜は、隅田川とともに今も見事な風情です。向島が花街らしくなった のは、明治、大正期ですが、今でも料亭約22軒、芸者は約130人で、東 京では一、二を争う規模です。また、向島は風流人達の集まる所でもありま した。6回以降のコース---開催履歴へ---トップページへ萩のトンネル------------------------ハナキササゲ(白髭神社)----------------------------サカキ(牛嶋神社)
アサザ(向島百花園)--------------------ガクアジサイ(向島百花園)---------------------サルスベリ(隅田公園) 【長命寺桜もち】 江戸時代からの名物。墨田公園の向かい、長命寺の裏手にある享保二年より続く「山本や」の名物、桜もち。 塩漬けにしたオオシマザクラの葉を贅沢に三枚使い、薄めの皮とあっさりとした甘さの漉し餡を包んである。 食すと、葉っぱのしょっぱさに餡の甘さが丁度良い。しっとりとした皮の歯ざわりと、鼻に抜けるほのかな 桜の香りも楽しめる。桜の開花時期にはかなり混雑するが、並んででも食べる価値あり。
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『江戸名所花暦』は、文政10年(1827)に刊行された、江戸の代表的な行楽ガイドブック。 江戸名所花暦に記載されて、今もある花 1回 東叡山 桜 1回 不忍池 蓮 2回 伝通院 桜 2回 牛天神 桜 9回 墨堤 桜 9回 向島百花園 秋の七草 12回 住吉神社 藤 15回 護国寺石段の左右 躑躅 15回 伝明寺 藤寺 15回 白山神社 旗桜 24回 亀戸天神 藤 梅 24回 龍眼寺 萩寺 24回 吾妻神社 連理の楠 28回 柳原土手 枝垂柳 29回 飛鳥山 桜 今はないもの 21回竜巌寺前 円坐松 24回柳島妙見堂 影向松 24回亀戸普門院 御腰掛松 24回梅屋敷跡 梅屋敷 31回木下候庭中跡 彼岸桜
コース選定の基準
- 30名程度が、集まりやすい出発地
- 史跡、旧跡、名所のポイントを徒歩10分程度で結ぶ
- ポイントのカテゴリが重ならない
- グループで見学できる場所かどうか
- コースに歩道がある
- 綺麗なトイレが3か所程度ある
- 休憩を合わせて、概ね4時間程度
- 事前申し込みの必要の無い、又は、簡易な申し込みのポイント
- 危険な場所がないか確認する
万葉集の花木 万葉集の花木関連のコース 12(目黒):目黒不動公園-万葉植物コーナー 13(豪徳寺):烏山川緑道-万葉の小径 春 梅 椿 アシビ 桜 桃 スミレ 山吹 桔梗 桑 蕨 セリ 川柳 夏 アヤメ 百合 躑躅 紫陽花 麦 合歓木 蓮 藤 ニラ 秋 朝顔 彼岸花 萩 撫子 カエデ 露草 女郎花 栗 梨 冬 松 竹 橘 旗本寄進の鳥居 31回桜田神社二の鳥居は 境内二の鳥居は2,000石の旗本 従五位下 松平伊勢守定朝(1774-1856)の寄進 「菖翁」と号す 松平左金吾定朝とも言う、中国大使館辺り 花菖蒲の品種改良に没頭した。改良した品種は今もある ↑top
三笠山----------------------七宝------------------------ノハナショウブ(白金自然育園)
【開催コースを参考にして、花草木を追加したものです。榎本】 6回以降のコース---開催履歴へ---トップページへ ナンジャモンジャの花----------ナンジャモンジャ(深大寺)
ギンモクセイ(朝日新聞本社庭園)------------------------------キンモクセイ