私は旅行が好きでいろいろと出かけています。旅行の時に書きつづったものと、そのときの写真を紹介したいと思います。旅行先が多いので、このページがかなり長くなりそうですが、少しずつ書いていきます。

グアム(88年)
メキシコ−ティファナ(2000年10月)
信州旅行
伊豆旅行(2001年5月)
東北旅行(92年)
香港旅行(2002年5月)
京都・秋の青蓮院
神戸旅行(2003年7月)
・ドイツ・ウィーン旅行(95年)
  ウィーン編  ドイツ編
カナダ旅行(2003年8月)
ニューヨーク(96年)

ニューヨーク(97年)

韓国(99年5月)

長崎(2000年8月)

子どもたちが東京へやってきた

ロンドン・パリ旅行(2005年7月)
   ロンドン編  パリ編

 


東北旅行(92年)

 残暑の残る都会の喧噪を離れ、のんびり秋色の東北旅行。長袖のシャツとジャケットを持って行ったのですが、十和田ではそれでも寒いくらい。いたるところでとんぼが舞い、すすきが風になびき秋真っ盛りの東北でした。
 いつもは車でひたすら走り、宿も行当りばったり。ところが今回は1日目と2日目の宿は予約をいれ、3日目以降の予定は青森で考えるという、今までになく計画的な旅行でした。当初は3日目に十和田・八甲田山で1日遊び、その日は青森で1泊、4日目は日本海を見に行くか、疲れたらそのまま高速で帰ってくるというスケジュールでした。弘前の喫茶店で決めた小岩井農場と那須高原が、結局スケジュールをきつくせず正解でした。
 今回は毎日睡眠もたっぷりとれ、また各地のおいしいものが食べられて本当に充実した旅行でした。

十和田〜奥入瀬
 十和田から流れ出す奥入瀬川には数多くの滝があって、子の口から焼山まで何度も車を止めながら写真撮影。五両の滝・寒沢の流れ万両の流れ銚子大滝・白布の滝など。水しぶきの白さに圧倒される。自然遊歩道をゆっくり歩くとせせらぎの音と葉ずれの音が心地よく、森林浴でリフレッシュされる。

八甲田〜
 睡蓮沼でひと休み。睡蓮の浮かぶ池と低い潅木の原生林、背景にはるかに広がる八甲田山の眺めが雄大だった。

弘前〜
 10時頃、八甲田から弘前へ向けて出発。途中の黒森の林檎畑(下の写真です)に感動。林檎に鮮やかな赤い色をつけるために畑の下一面に銀色のシートをひいていた。さすが米所で黄金色の田圃が広がっている様は圧巻だった。

小岩井〜
 3時30分盛岡着。ひたすらチーズケーキを楽しみに小岩井農場へ向かう。
 チーズケーキハウスは8時までやっているため、まず牧場を見てまわる。羊の群と一頭一頭の首に下げられたカウベルと、可愛らしい羊のどすのきいた「メェー」という声に目をまんまる! 砧公園よりも広いくらいの牧場で、馬や牛や兎を見てまわる。この兎がピーターラビットにそっくりでゆったりとくつろいでいた。ここにはいろいろな形のブランコや、大きなタイヤを利用した不思議な遊戯装置もあり1日いても飽きないと思う。牧場のはずれにある売店でクッキーやシューケーキなどのお土産を買う。売店や食堂が店じまいを始めた頃、胸をときめかせながらチーズケーキハウスへと向かう。ところがなんとその時間にはもうSLホテルの宿泊客専用になっていて、洋子は首うなだれてとぼとぼと駐車場へ歩いていったのでした。

那須高原〜
 12時、りんどう湖ファミリーパーク着。那須高原の小さなスイスと呼ばれているだけあってなかなかきれいなところだった。正面ゲートから変なバスに乗ってフラワー階段の所までくると、確かにどことなくスイスの雰囲気があった。まずはバイキングで腹ごしらえ。量も多くておいしく、満腹になってしまった。洋子念願の大きなイカもバイキングの中にあり、満足・満腹の笑顔。はじめは無視してそっぽを向いているけれど人参を持って行くとしなを作って寄ってくるポニーと並んで記念撮影。馬舎で柵の中から首だけ出している馬の顔がすごく大きく、また角がちょっとふくらんだくらいの子牛の目がたいへん可愛かった。湖や花壇を眺めながら満腹のお腹を抱えてしばし散歩。チロルの本場の音楽、(アコーデオンとクラリネットとギターの3人組)を聞きながらりんどう湖を後にした。

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グアム旅行(88年)

グアムには1988年に行きました。空と雲と海の色に感銘を受けたのを覚えています。環境の汚染が少ないせいでしょう、たいへん美しいでした。グアムの浜辺で眺めた、夕暮れ時の写真をご覧下さい。日がくれる30分くらい前だと思います。それから日が徐々に沈んでいきます。空と雲と海は金色に染まり、ゆっくりと夜の闇に包まれていきました。

グアムの夜景もきれいでした。

車で島を一周しましたが、そのとき水牛を見かけました。水牛の世話をしていた男の子と記念写真を撮りましたが、近づくとちょっと怖い感じでした。
夜は、カラオケに行って、一曲歌いました。カラオケに行ったのはこれが最初で最後になります。
帰りの飛行機の中で、朝焼けの写真を撮りました。

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ドイツ・ウィーン旅行(95年)

ウィーン編

1995年8月29日(火曜)うだるような暑さの中、日本出発。朝10時45分発のルフトハンザで飛行時間は12時間。ウラジオストックのあたりからロシアの大地を横切って、東欧を越え、ドイツへと向かう。ロシア上空で一面のツンドラを期待したが、全くなかった。映画が済んで一眠りして、朝食が済むといよいよドイツ上空。緑の大平原にお菓子の家のような街並が見え、洋子は夢み心地。フランクフルト空港でウィーンへ乗継ぎ。

 国際電話で3000円かけて予約したホテルノセックへチェックイン。エレベーターが螺旋階段の中を通っていて、ドアも手で開ける。(ヨーロッパはドアはなんでも自分で開けるのが基本。)このホテルは昔モーツァルトが住んだ事があるという由緒ある建物。ちなみにウィーンは気温が10〜15゜C位で非常に冷え込んだ。この日突如寒波が襲来し、10月半ばくらいの気候になったらしい。

 次の日の朝早速セーターを買い込んで、そのあとぶらぶらとウィーン見物。オペラ座学友協会まで行った。

 3日目は、朝からシェーンブルン宮殿へ出かける。ハプスブルグ家の宮殿で目を見張るような絢爛豪華さだった。ボヘミアングラスをふんだんに使った大きなシャンデリア、金をあしらった食器の美しさ、部屋の隅にあるストーブは、壁を伝って換気ができるように配管がされていた。全てがここまでと言うほど洗練されていてあまりの美しさとセンスの良さにため息が出るばかり。この時代の日本の文化は?と思ってしまった次第。大いなるカルチャーショック。

 午後からはハイリゲンシュタットへ出かけた。ここは、ウィーンから電車で20分くらいの所で昔ベートーベンが夏の間によく住んでいた所。耳が聞こえなくなって絶望して「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた所としても有名。ベートーベンの小径と名付けられたベートーベンがよく散歩をした所を散策。交響曲「田園」の小川のなんとかという楽章をイメージしたと思われる小川もあったが、生活排水の影響かやや汚かった。

 4日目は朝から王宮へ向かったが、あいにくの雨だった。入口が分からずうろうろしてから、銀の食器のコレクションと皇帝の住居を見学した。金・銀・ボヘミアングラス・マイセンなどをふんだんに使った食器類に圧倒された。中国の陶器と日本の有田焼が多種類、しかもセットで保存されていることに驚く。
 世界でいちばん美しいと言われている王立図書館を見学。天井まできちんと整理された蔵書、パピルス、地球儀、天球儀、天井の壁画、エジプトの布。入ったとたん、本のにおいと図書館の空気に思わず涙してしまう洋子でした。長い時の中で、ずっとそこに待っていてくれていたようで、ものすごく懐かしい気がして、うれしくてたまりませんでした!!
 夕方に美術史博物館。この博物館だけを見るためにウィーンに来る人もいるくらい有名らしい。中世の頃の宗教画が豊富だと思った。また、絵だけに限らず、建物の外観や柱・階段・壁のちょっとした装飾なども非常に素晴らしかった。

 さてウィーン最後の夜は、楽友協会でモーツァルトコンサート。楽友協会はウィーンフィルの本拠地になっており、毎年ニューイヤーコンサートでおなじみ。テレビでしか見たことのないホールで実際にコンサートを聞けて大感激だった。このコンサートは、モーツァルトの時代の衣装と楽器の構成、プログラムで行なわれた。つまり、オペラの序曲とアリア、交響曲や協奏曲の一つの楽章などを組み合わせたもの。モーツァルトの代表曲がうまく配されていた。ウィーンのオケの特徴か音色が非常になめらかで甘くびっくりしてしまった。但し、テンポはどれも速かった。アンコールも2〜3曲あり、最後の「トルコ行進曲」では、客席の手拍子を指揮するなど大満足の2時間だった。ちなみにコンサートは8:15から10:15くらいまでだった。(しかも、何とひとり3500円!)
 なお、ジーパンでも入場を許された。音楽の楽しみ方を見て、ウィーンの人と音楽とは切っても切れない縁で結ばれているように感じた。(ちなみに、右上の写真はウィーン・モーツァルト・コンサートのホームページから借りてきました。)

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ドイツ・ウィーン旅行(95年)

ドイツ編

 5日目の昼にウィーン空港から一路ドイツへ向かった。フランクフルト空港に着いてまず、ジャーマンレイルツインパスの使用開始日のスタンプを貰った。Sバーンと呼ばれるドイツの国鉄の郊外電車で空港駅からマインツへ、そこからローカル線に乗り換え一路バッハラハへ向かった。空港駅からマインツまで20分、マインツからバッハラハまで50分くらい。ラインの景色と街並や古城に酔いつつバッハラハ着。ところがドアの開け方が分からず大パニックに!二人で大騒ぎしているのを気付いた若者が開けてくれて、何とか降りることができた。ちなみにヨーロッパは電車、バス、地下鉄とほとんどドアは自分で開けなくてはならず、しかも取っ手の構造や開け方がほとんど違っていた。
 街は非常にきれいな街並みだったが、石畳なのでスーツケースを転がすことができず、体力を消耗した。クランネントゥルムという創業500年くらいのホテルに2泊。食事の前に街を散歩。古い木組みの家古城などが残っていて散歩するだけでも楽しい気分になった。(人口は2600人)夕食はホテルで。洋子は、マッシュルームスープとチキンのバター炒めのマッシュルームソース、修一は牛の尻尾のスープと牛の赤ワイン煮。さすがにビールが旨かった。

 今日は(6日目)今回の旅行のメインの一つのライン下り。雨模様で肌寒く天気は悪かった。バッハラハからザンクト・ゴアルスハウゼンまで1時間の船旅、途中、川の中州や山の中腹・頂上などに古城が見え、また街並みもバッハラハに負けず劣らず素晴らしい雰囲気だった。ザンクト・ゴアルスハウゼンの手前でローレライの岩が見え船のスピーカーからはローレライの歌が流れるというドイツらしくない演出もあった。天気が小雨まじりの曇り空だったため、写真はきれいに撮れなかった。

 朝食のあと、チェックアウトし、バッハラハからローカル線でコブレンツへ。バッハラハの駅でドアが開けられない可能性があるので他の人の後ろから乗ろうとしたが、その人も開けられず、結局他の既に開いているドアまで走ってそこから乗った。コブレンツからICと呼ばれる特急列車でボンへ。
 早速ボンの街を散歩。楽しみにしていたベートーベンハウスが改装中なのはがっくり。ボン大学があり学生の街でもあり、古い市庁舎や石畳の広場や、広場で果物と野菜の市が出ていたりで散歩は楽しかった。道端でやっている音楽も多彩だった。サックスでベートーベンのピアノソナタ8番の2楽章やリコーダーでバッハのイギリス組曲など。アボリジニーの大きな笛の演奏には驚いた。また、広場にグランドピアノを持ち込んでショパン・チャイコフスキー・ガーシュインなどを本格的にやっているのもすごかった。

 次の日ケルンまで出かけた。大聖堂とゲルマン博物館を見学。ゲルマン博物館には、2000年前くらいの遺跡や土器、青銅器、鉄器、ガラス製品、装飾品などが展示してあった。2000年前のローマ時代のピアスが構造的にも今と変わらなかった。(今のピアスがローマ時代のものを真似した?)何組か10人くらいの子供のグループが先生に連れられ授業中。例えば、一つの像の前で議論をしたり、子供達が寝そべって壷を書き写していたり。歴史を学ぶのにじっくりと時間を掛けて本物を見ながら学ぶというのは本当に素晴らしいことだと思う。

 今回の旅行の最後の街はフランクフルト。駅のすぐ隣にあるハンバーガーホテルに泊まった。部屋に初めてテレビが付いていた。久しぶりにニュースを見た。ニュースはドイツ語放送のみでよく分からないが、繰り返し何度も放送している事件があってそれに対して世界中で抗議のデモが起こっていて、二人でなんだろう?と見ていたが、フランスが5日に核実験を行なったというものだった。世界の抗議行動を比べてみると日本が一番警官とデモ隊がもめていたようだった。アジアのどこかの国で黙ってプラカードを持ち、たたずんでいる姿が印象的だった。ロンドンではフランス大使館の前で通過する車がクラクションを鳴らし、深夜まで鳴りやまなかったというのがイギリス人らしい気がした。

 フランクフルトでは、ザクセンハウゼン・ゲーテハウス・レーマー広場・「ぼうぼう頭」の博物館・シュテーデル美術館などを廻った。それなりに楽しいけれど、やはり普通の街だった。

 11日間の長い旅が終わった。二人での海外旅行はグアムの3泊の旅行くらいしかなかったので、初めての本格的な旅行だった。毎日観光に歩き詰めの旅だったので本当に疲れきってしまった。ただ、ウィーンには4泊したが、それでもまだほんの入口を覗いただけのような気もする。街そのものが芸術だった。
 帰ったそうそう次の旅行を考え始めている。今度(来年?)はウィーンに1週間のんびりするか、東ドイツでバッハの足跡をたどる旅にしたい。(主人は、ニューヨークに行きたがっているけれど...)

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