ロンドン・パリ旅行(2005年7月)



  7月17日から24日までロンドンとパリに行きました。
  主人は仕事でロンドンを何回か訪れていましたが、私は初めてのイギリスです。
  イギリスはバラの国でもありますから、いつの日か訪れるのを楽しみにしていました。
   



 7月17日

  日本時間の17日、14時10分発の飛行機に乗り込み、
  イギリス時間の同日、18時50分にヒースロー空港に着きました。
  入国審査は外国籍の列が長蛇の列でしたが、1時間で無事通過。
  地下鉄でEarls Court のホテルまで向かいました。
  気温は29度。湿度が低いので暑さは感じません。夜は寒いくらいです。

  日本で天気予報を下調べした時点では、最高気温が30℃を越える日もあれば、
  最低気温が11℃の日もあったので、セーターも念のために持ってきました。
  以前ウイーンに行ったときに予想外の寒波で慌ててセーターやジャケットを買うはめになったので。

 ホテルをインターネットで探す時に、安全で、ロケーションの良い所を
 条件に検索しました。
 ホテルはEarls Court 駅から歩いて2〜3分の、静かな環境にありました。
 間口は狭いけれど奥に細長い、京都の「ウナギの寝床風」のホテルが
 軒並みにずらっと並んでいます。
 この街にはいろんな国の人達が住んでいるようです。
 駅前には様々な国のレストランがあり、人種も多岐にわたっていて、
 イギリスが国策として、移民を多く受け入れているのだと実感します。

 

  夕食は、10時頃、駅前のイタリアンレストランにて。おいしいスパゲッティに満足!
  緯度が高いので、夏は9時頃まではまだ明るいのですが、10時でもまだ人がいっぱい。
  ただし、1ポンドが199円だったので、日本人には物価が高く感じられます。
  


駅前のパブ

駅の裏側のホテル街

住宅街

  

7月18日


15℃〜25℃ 晴天
ジャケットを羽織って出たけれど、11時頃には暑くて脱ぎました。
日射しは結構強いと感じました。

  駅で1dayチケットを買って、バスで大英博物館を目指しました。
  しか〜し!間違えて反対方向に乗ってしまって、テムズ河の方向へ・・・・。
  主人が「どうも見たことのない町並みだなあ」というので、途中下車。
  町中をしばし散策したあとで、引き返しましたが、
  観光地とは違った、生活する人々の街の雰囲気を味わえて、私はうれしく感じました。


バスの窓から
 反対方向とは知らず・・

 テムズ河を越えてしまう

 乗り換えたバスの窓から


  バスでトッテナム・コート・ロード駅まで行きました。
バスを降りると人と車でたいへんな混雑振りです。
また、ちょっとだけ道に迷いましたが、
  何とか大英博物館を見失わずにすみました。
  大英博物館の一つ先の通りには、夏目漱石が留学したロンドン大学があります。
ディケンズの家も近くにあるようです。
  博物館近くに来るとおいしいコーヒーの薫りに誘われて、道路に面したテーブルでしばし休憩。
  目の前をイギリス名物のタクシー(後部座席が向き合っている)が次々に通っていきます。
  



大英博物館

  
 ロンドンにはたくさんの博物館がありますが、やはりここは世界最大級の博物館です。
 1753年に設立され、エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、日本、中国他、世界中から
 集められた世界遺産があり、特にロゼッタストーンミイラは有名。
BC3400年頃(エジプトでミイラが造られるより前)埋葬された庶民のミイラもありました。
極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために地下に埋葬された王族のミイラより
保存状態が良かったとのことですが、褐色の皮膚もカラカラのままで残っていて、
ミイラというより生きていた人間という感じが強くて、写真に撮るのはためらわれました。
身分の高いミイラは包帯で巻かれて棺に納められていますが、
このミイラは横臥した形で日用品と共に埋葬されていました。

 博物館の入場料は基本的には無料です。が、寄付を入れる透明な円柱が入り口にあります。
 私たちも5ポンドずつ入れて、その横の売店で、ガイドブックを買って中に入りました。
  

メインエントランスを入ると
2000年にオープンしたというグレートコートの空間が広がり
円形の図書館の壁面に
ミイラ展の展示の垂れ幕が掛かっていました。
これは日本でも展示されました。図書館の2階で展示されていましたが、階段まで人があふれていました。

グレートコートにある
ライオンの像。

天井がガラス張りで
とても明るい中庭。

円形図書館の3階のレストランで昼食をとりました。
なんと、タイ風カレーが
日本のおみそ汁茶碗に入れられて運ばれてきました。
ラムセス2世の
  胸像の上部

右胸の穴はナポレオンが
戦利品として持ち帰る時につけたものらしい。
   BC1250年頃
パルテノン神殿の彫刻


BC438〜432年頃
ネレイデス・モニュメント

トルコ南西部の権力者
その家族に捧げられた墓
3体の女性像は
海の神ネリウスの娘たちと
考えられているそうです。
BC390年〜380年頃
先史時代の彫刻
中国の作品
明時代
中国の作品
18世紀に、西インド会社が
輸出していたコーヒーポットやティーポットなど。

スーダン
From Kerma, Sudan
About 1750-1550 BC
エジプト
 ヌトメヒトの棺。

上の写真左のウィッグは
BC1350から1250年頃
エジプト、テーベで発見されたとのこと。
大理石像

BC5世紀のブロンズ像がオリジナル。

この作品は BC2世紀の古代ローマの作品。

BC865年頃
新アッシリア時代

人面有翼の巨大なライオン。この大きな像は宮殿を魔物から守るために一対で入り口に置かれていた。

アッシリア宮殿の城壁の浮き彫り彫刻

浮き彫り彫刻の保存状態が
極めて良好で、物語として連続してしています。
黒いオベリスク
     (B.C.825年)
 アメンホテプ3世座像
  BC1350年頃
古代エジプトを中央集権によってよみがえらせた人物。
権威の象徴として多くの座像を作らせたそうです。
高さ235p
 
エジプトの神々の像

BC1360年
エジプトの王

BC196年  ロゼッタストーン
1799年ナポレオン軍がエジプトのロゼッタ村で発見。
石碑には上段、中段、下段に3つの言語で、主にBC305〜30年のプトレマイオス朝を称える内容が刻まれている。上段はヒエログラフ(象形文字)、中段はデモティック(古代エジプトの民衆文字)、下段は古代ギリシャ語。古代ギリシャ語はアルファベットを含むため、それを手がかりにヒエログラフとデモティックの解読に成功したそうです。


写真をたくさん撮ったのですが、光が反射していて見にくかったり、、
人気が高くて人だかりが多いものはなかなかシャッターチャンスがなくて、
すべてをご紹介できないのが残念です。

大英博物館の入り口の脇にある休憩所から正面を見るとこんなクラシカルな建物が見えます。
お天気が良いので、青い空と良くマッチしています。

キングスクロス駅



今回の旅ではどうしてもここに来て、
地下鉄とバス爆破テロの犠牲になった方たちのご冥福を祈りたかったのです。

ごく普通に暮らしていた罪のない方たちが、他者の報復のためだけに
どうして突然にそれぞれの人生を奪われなくてはならないのか、
いかなる理由があっても、こんなことは絶対に許されないことです。

MISSINGの文字と、こんなにも美しい笑顔を見て、悲しくて悔しくて辛くてたまりませんでした。
写真の下には We Missinng You という文章と共に、
「どうぞこの顔を忘れないでください」
とも添えられていました。
この文字を見たとたん涙を止めることはできなくなりました。

世界中から記帳に訪れた人達と同様、私たちもご冥福を祈って記帳させていただきました。

King's Crossの看板の下に簡単な記帳所があります。
私たちも列に並んで記帳させていただきました。
世界各国の文字が書かれていました。
記帳する皆さんも涙を抑えきれない様子でした。 
こんなにもたくさんの花束が・・・・。
どんなに多くの人がこのテロ事件を悲しんでいることか。

愛くるしい笑顔で笑っている小さな女の子の写真や
元気で飛び回っていたであろう少年の写真もありました。
お花やキャンドルで埋め尽くされている中を歩きながら
かみ殺すようにすすり泣く人や、、
堪えきれずに大きな声で泣き崩れる人もいました。
私も主人もあふれる涙をどうすることもできませんでした。

壁に所狭しと貼られていたのは
各国の国旗やお悔やみや、テロを許さないという署名です。

日本の埼玉の消防署員の方たちの署名もありました。
日の丸をこんなに誇らしく親しく思えたのは初めてです。

ダブルデッカー(2階建てバス)の2階の一番前の席から
キングスクロス駅全体を写しました。

どのダブルデッカーでも監視カメラが作動していて
隅々まで常にチェックしていましたが、
乗る度に勇気がいりました。
普段なら静かな駅のはずなのに、
駅の構内は、まだ破損したガラスをはずしたままの扉や、
使えないエスカレーターがあったり、
テープを貼って出入りを禁じている箇所もあって、
物々しい雰囲気が漂っていました。
実はハリーポッターでも有名な駅です。

ロンドンでは爆破テロ事件以来、街中に警官がいて、
市民の安全に目を配っていましたが、
特にキングスクロス駅では、他の場所以上に厳重な警備網がしかれていました。

コベントガーデン

キングスクロス駅からダブルデッカー(2階建てバス)に乗って、
大英図書館を過ぎ、コベントガーデンを目指しました。
ここは17世紀前半にはイタリア風の屋敷が並ぶ開放的な広場でしたが、
その後、青果市場として賑わい、19世紀後半にガラス屋根が増築され、
市場が移転されたあとは大ショッピングセンターになりました。
オードリーヘップバーン映画 My Fair Ladyで、花売り娘を演じたあの市場です。

ガラス屋根の下には所狭しと、アクセサリーから陶器、レース、バッグ、おもちゃなど
ノミの市のような賑わいで、目が回るほどでした。
イタリア風のオープンカフェもあり、そこで休憩。
ガラス屋根の左右は紅茶のウィッタードや、アロマの専門店、
イギリスロックの小物を売るお店、石鹸専門店、ピーターラビットの専門店など
50の店舗がありました。

広場の東側にはロイヤルオペラハウスがあります。

コベントガーデンにさしかかると
広場には人だかりができていて、
大道芸で盛り上がっていました。

反対側ではジャズが、奥ではクラッシックが
向こうでもまた別の大道芸と、
たいへんなにぎわいでした。

コベントガーデンでは2回も土砂降りになり、日頃少々の雨は気にしないロンドンっ子も
たまらずに避難していました。それでも雨が降り込まない屋内で盛んに音楽を楽しんでいました。



ピカデリーサーカス

私たちはコベントガーデンを後にして、歩いてピカデリーサーカスへ向かいました。
サーカスというのは「いくつかの道路が集まる円形広場」という意味だそうです。
ピカデリーサーカスはロンドンのへそ的存在と言われています。
大英帝国の時代には世界の中心とも言われたそうです。
シャッフルベリー・アヴェニューは劇場が建ち並び、
リージェントストリートはショッピング街で賑わい
王室御用達のお店や、高級ホテルのホテル・リッツ、
若者向きのショッピング街までここを中心に広がっています。

 ピカデリーサーカスのエロスの像
 ここはロンドンっ子の待ち合わせ場所との  こと。とにかく人が多いです。

 ソーホーへの道しるべも一緒に。
 

ピカデリーサーカスに向かう途中で、すごい人混みに紛れ込みました。
石畳の歩道に赤い絨毯が敷き詰められて、周りをロープで囲ってあり、正面には大きなスクリーンが!
その周りをたくさんの報道関係者と群衆がひしめき合っています。
「ファンタジー・フォー・ユー」のプレミアショーが行われていたのでした。
人混みに逆らって歩いているとガードマンからそこを歩くなと叱られてしまいました。

夕食はイタリアンレストランの、トッポジージョで。
このお店に来るまでにイギリスっぽいバーを何軒も見て回りましたが、
どのお店も外まで人があふれるほどの盛況振りで、
空腹には勝てず、主人が以前入ったことがあるトッポジージョにしました。
店内にはトッポジージョのお人形もあり、なんだか懐かしい感じでした。

テロの予防策のため、不振な荷物があると地下鉄ラインは即座に閉鎖されます。
この日もピカデリーラインが閉鎖されていたため、
ラインをいくつか乗り継いでホテルに帰りました。



次はコートールドギャラリーです