長崎(2000年8月)

8月の5日&6日に長崎に行って来ました。初めての長崎でした。デジカメで写真をたくさん撮ってきましたので、紹介します。


まずは、チャンポン
長崎では、路面電車を利用しました。どこまで乗っても100円です。乗り換えの時は乗り換え券をもらえるので、便利です。5分おきくらいにくるため、車はホテルの駐車場に置きっぱなしで、ずっと電車を使いました。(チキンラーメンやペコちゃんの派手な広告の電車もありました。)

真っ先にチャンポンの元祖、四海楼に行ってみました。中国の移民の人が、同郷の人たちのために栄養をとれる食べ物を作り出したそうです。中国の歴史的建物のような立派な店でした。瓦でできた竜竜の彫刻のようなものもありました。
3時過ぎについたので店は閉まっていました。結局、隣のレストランでチャンポンを食べました。また、四海楼のとなりに、上海貿易会社、というような建物がありました。雰囲気のある建物でした。

グラバー園
チャンポンを食べたあと、坂を上ってグラバー園へ出かけました。途中、ボーリング発祥の地という記念碑が自動販売機の横にひっそりと建っていました。
また、静かな佇まいの小径のつきあたりに、絵本美術館がありました。この美術館は、You've got a mail の映画に出てくる絵本屋さんのような雰囲気で、選りすぐられた良書だけが置かれていました。おもちゃも自然の素材を使ったものを置いてありました。大きな窓から射し込む光の中で、小さな子供とお母さんが時間が止まったように好きな絵本を床で読んでいるのがとても自然で、その場を離れがたい感じがしました。

坂を上っていくと、大浦天主堂が見えてきました。入口にはマリア像がありました。大浦天主堂の裏を抜けるとグラバー園です。まず、自由亭という喫茶店があって、西洋料理発祥の地のようです。私は行きたかったのですが、店が禁煙だったので主人が嫌がって行きませんでした。

グラバー邸です。室内の様子の写真を撮ることができます。グラバー夫人の部屋です。婦人は日本人で、つるさんという方でした。ダイニングルームは当時のように食器が並べてありました。こちらは台所です。台所は昔の日本もこんな感じだったと思います。 リンガー邸です。応接室のような感じの部屋です。昔のオルゴールズボンプレッサーが置いてありました。 一番はずれにオルト邸がありました。大きな蓄音機が置いてありました。台所では、主人が料理を作っているふりをしています。室内にはたくさんのお皿が飾られていました。


No.1

No.2

No.3

No.4

No.5

No.6
(最後の写真は、石炭入れです。)

グラバー園の一番高いところにドックハウスがありました。船を補修している間に船員が泊まっていたところだそうです。室内には、出島の模型がありました。また、2階のバルコニーから長崎の町並みがよく見えます。

実は、ちょうどファンタスティック・ナイト2000というイベントの最中で、10月9日まで夜9時半まで開演しています。グラバー園には5時頃ついたのですが、夜景を撮ろうとずっと時間をつぶしました。また、マダム・バタフライ2000というコンサートをやっています。10月7日まで金曜と土曜の夜にダニエラ・ヴァラデスクさんというソプラノ歌手の方が7時頃から2回コンサートをやっています。蝶々夫人の中の曲を歌っていました。グラバー園の中庭で、蝉しぐれの中、素敵なオペラの曲を聴くことができて感動しました。写真に写っている白い像の人はプッチーニだそうです。

ライトアップされた船です。船上ホテルだそうです。グラバー邸もライトアップされ、大変きれいでした。

銀嶺〜中華街
それから、銀嶺というレストランに行きました。場所は、思案橋という電停から歩いて3分くらいのところです。中にたくさんの陶器やグラス、ランプなど所狭しと置かれています。そのどれもが本物の美術品で、ここはまるで博物館のようです。主人は、銀嶺のコースターをもらってきたようです。中が暗くてあまりきれいに写っていませんが、お皿などを紹介します。


No.1

No.2

No.3

No.4

No.5

No.6

No.7

No.8

No.9

中華街にも行ってきました。歩いて2〜3分の通りの両側に中華料理店や中国の雑貨店などが並んでいます。夜の8時くらいだったのですが、チャンポンも700円くらいで、他の料理も安く、どこに入ろうかと迷っているうちに店が次々に閉まっていって、結局どこにも行けませんでした。長崎では店が閉まるのが早く、チャンポンの元祖、四海楼も夜は8時には閉まってしまいます。朝が遅く、夕食も遅くなってしまう観光客もいるので、もっと遅くまで開けてもらえると良いのですが。

平和公園〜浦上天主堂
まず、原爆投下地点へ行ってみました。1945年8月9日午前11時2分にこの記念碑の上空500mで原爆が爆発したそうです。すぐ近くにある浦上天主堂の壁もありました。平和公園は、9日の式典の準備中でした。有名な平和像です。

平和公園には、いろいろなオブジェが置いてありましたので、紹介します。No.4の注目は、文明堂のカステラではなく、掲げた手の上にとまっている鳩です。


No.1

No.2

No.3

No.4

No.5

平和公園から浦上天主堂に向かう途中、階段のところから浦上天主堂が見えました。近くから撮った写真ですが、大きすぎて全部写りませんでした。原爆が落ちたときの像や壁も残してありました。

長崎原爆資料館
一番印象に残ったのは被爆者の生の声が、当時の映像とともに流れていたことです。
潰れた家や、吹き飛ばされたがれきや、熱で溶けたガラスなども衝撃を受けました。が、なによりも、あの当時子供だった被爆者の、自分自身の体の痛さ、熱さ、また、お母さんやおとうさん、妹、弟、お姉さんのことなどを書き留めた肉声はあまりにもつらくて、悲しくて、その場を動くことができませんでした。今でも思い出すとどうしても涙が止まりません。
この人たちの声は地球上のすべての人に是非聞いてもらいたいと思うのです。

資料館のホームページはこちらです。
http://www.us1.nagasaki-noc.ne.jp/~nacity/na-bomb/museum/museum01.html

また、葉祥明さんの絵本、「あの夏の日」が出版されたそうです。問い合わせは、

電話:095(844)9922
Eメール:ajisai4@nagasaki-noc.ne.jp
ホームページ: http://www.us1.nagasaki-noc.ne.jp/~nacity

です。パンフレットに、吉永小百合さんの推薦文が載っています。

「核兵器も地雷もないほんとうの平和が
 くることを願っています。
 長崎からの深い祈りを世界の人々に
 伝えてください。」

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子どもたちが東京へやってきた

夏休みに甥と姪がジュニアパイロットでやってきました。まず、初めに甥の自由研究のために永田町の官庁街を車でぐるりとまわりました。国会議事堂など、官庁の写真をたくさん撮りました。ところが肝心の甥は車の中でぐーぐー寝ていました。妹を連れて初めてふたりで親元を離れたため、極度の緊張が続いて疲れているようでした。

それから、東京タワーに行って(ちなみに高さは、333mです。)都内の写真を撮りました。下を見下ろすとあまりの高さに足がすくんでたいへん怖いでした。が、子どもたちは全く怖くなかったようです。
東京タワーの中にあるトリックアート館に行きました。子どもたちどころか大人にも大受けでした。予想以上におもしろい体験ができました。例えば、何でもない鏡の部屋と思ったら、実は家具などがあたかも鏡に映っているように置かれてありました。びっくりしてしまいました。なんといってもイルカの絵がすごいです。その場で見ても立体感がありましたが、写真にするとほんとうに飛び出しているようです
トリックアートというのはいかにも子供だましのようですが、大人も充分に楽しめます。一度行ってみたらどうでしょうか。

次の日は、ユリカモメに乗って、お台場まで行きました。パレットタウンに行きました。天井に空が描かれていて、不思議なことに自分たちが動くと空も一緒に動いているようでした。夕暮れ時になると、天井の空も夕焼けになります。(あれは、写真かな?ビデオかな?)

土曜日は隅田川の二万発の花火を見に行きました。(百万人の人出だそうです。)花火会場からは少し離れているけれど、あまり混まず、花火もよく見えるというお薦めスポットを調べていましたが、浅草の駅からちょっと歩いたところで、いかにもこの道ウン十年というおじさんがカメラの三脚をセットしていて、たまたまその隣があいていたので、そこに陣取りました。開始4時間前というのにほとんどの場所はうまっていました。ところが、始まってみると、木に邪魔されて座ったままでは、ほとんど見えませんでした。
花火はさすがでした。やはり、写真はあまりよく撮れませんでした。

    

最後の日は、つきみ野のフィールドアスレチックに行ってきました。子どもたちは汚泥のような池の上でやるゲームが楽しかったようです。たらいで池を渡るものや筏の上を渡ったりするものです。汚い池に落ちるかもしれないというスリルが楽しかったのでしょうか。うちのふたりは大丈夫でしたが、何人か落ちている子どもたちもいました。近くの水道のところで裸になって洋服を洗っていました。

今回は行けませんでしたが、次はマザー牧場の子豚のレースや、横浜の中華街なども良いかもしれません。

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