News >「仕事日記」2007年5月


5月1日(火) 月猫リハ 青山劇場リハーサル室B
琵琶湖ホールのための、ということは2006年度の演し物、ということはサルかに合戦、なのだが去年の分だけ譜面がどうしても見つからない!ビデオを見て芝居など思い出し稽古をしている隙に必死で音を採る。がらがらどんその他も含めてなんとか譜面のようなメモのようなものを作ったのが先月。
今日はなんと吉澤耕一氏がきれいに製本した(僕がしたのだが)去年の譜面のコピー(それもカラー)が出てきた、と言って持参してくれたのだ!頼りになる演出家である。僕はちっとも頼りにならない音楽家である。吉澤さんは自身の設計による新築住居に引っ越したばかりなのに良く探し当ててくれた。引越しの整理をしたからこそ出てきたのかもしれません、とは言ってくれるがどうしてどうして。相当念入りに探してくれたはずである。
5月3日(木) ジャズマイム絵本 長久手
ジャズ絵本にプラスアルファして世界初の演し物をやってくれ、とのオーダー。親子向けでありながら芸術性は高くしろ、とのこと。そこで能祖将夫が考え付いたのが、、、ジャジャ〜ン!!! ジャズ絵本にマイムをつける。ってちょっと近場で済ませてないか?とは言わず、本多愛也の“白球”など名作にコラボできてとても嬉しい&有意義。
5月5日(土)  月猫えほん音楽会 琵琶湖ホール
回分:ベッドでうつらうつら考えては出来上がって起き上がってメモとってまたベッド。
○ 役に立つ手下足してった肉屋
○ この子詫びないな、琵琶湖の子
○ タコかいな?そんな日なんぞない過去だ
○ ほじくって付く塩
○ 布団は何処?琴はん問う
○ こうよ、静かな首領(ドン)ダスキンで電気スタンド流す正午

小沢さん結婚披露宴 京都都ホテル 
地域創造のスタッフ小澤さんの結婚式。お嫁さんは尼崎の人で、近年は二人で西宮の芸術劇場の仕事。小澤征爾の甥だったとはこのたび初めて知った。小澤指揮者はいなかったが佐渡裕は遠目に見ることができた。
わざわざスクリーンを用意してのジャズ絵本が、オケの団員さんたちの演奏(僕も最後にセッションした)など数ある演し物の中のメインに据えられていて吃驚。能祖さんは二人のそれほどの恩人だったそうである。
桜美林の講師くらいでは驚かないけれど、色んな地方でのセミナーなどに付き合うたびに、ご本人が見せている何倍も社会的に大きくて数多い身内から受けている尊敬も少なからず。あるべき仁徳者かもしれない。その上でい〜い飲み仲間、というのがいいですね。
5月7日(月) 堀井勝美 おかあさんといっしょ NHK506st
鳴瀬喜博(B)
梶原順(Gi)
石川雅春(Ds)
久々に堀井チームの仕事は楽しいがブッチャー浅野君が急逝してまもなくのこととて、寡黙にはしていたのだが、なんとなくそんな話になって、それならそれで様子が聞けてよかった。梶原順君は最も密接な相棒だからさすがに、、、とのこと。小さい時の予防注射で感染していたのがある程度の年齢になって顕在化する。これはまぁよくあるほうの事で、僕のバンド仲間にして担当税理士も最近それがわかって養生しているのだが、ブッチャーの場合、養生や薬投与は当分先のはずだった。
それがある日のライブの後に、ちょいとだるいから、と言って早めに帰ったらそれっきり。10日ほどで亡くなった。去年の青木智仁君に続いてのショック。角松敏生および永井隆の落胆はいかばかりか。しかし考えてみるに角松・永井という極端に音楽性の違う二人がそれぞれに最も信頼していたリズムセクションが共通しているというのが興味深い。あの二人にはそれだけのキャパと度量が会った証拠でもある。かえすがえすも惜しまれる。
5月8日(火) 名古屋NHK ほっとイブニング
4月からのテーマ曲を提供したことでゲスト出演。
秒単位で進行するので合図が出て弾き始めてからずっと秒針を睨みながらの演奏。そこはさすがにアドリブ音楽の強みで、どの場面もピタリとはまり好評を博す。
5月9日(水)国立音楽大学 前期第3回
 
5月11日(金) 表紙は歌うコンサート リハーサル 大久保労音会館
津田ホールプロデューサーの楠瀬さん、今回は制作とプロデュースをお願いした能祖さん、そして和田誠さんと台湾料理。猫じゃないどころかバンドを仕切っている佐山さんを初めて見た、と大笑い。実は偉い人なんですよ、と和田さんがフォロー。偉くはないが、10年以上の付き合いで本業の姿を初見というのも面白い。それだけ月猫の仕事も全うしているということだと自負しようかな。
5月12日(土) 富山 ジャズイベントゲスト w/三木俊雄
彼の学生時代から金沢もっきりやを通じて親交のあったベーシスト岡本君が仕切るアマチュアながら大々的なイベント。スポンサーは大谷製鉄。いまの時代にこういう豪華な文化事業を応援する企業というのは珍しいし、とても素晴らしい。
昔、小馬崎くんというギタリストに連れられてセッションした時のメンバーもいて、懐かしくも和やかな飲み会は無理を聞いて遅くまで居させてくれた地元の一流料亭。刺身がきときと。そういえばハマチを食べられるようになったのは先ほどの小馬崎くんのご実家が魚屋さんで、養殖ではない天然のものを頂いてからのことだったことを思い出す。身が赤いのであるな、ちゃんとしたハマチは。
5月13日(日) 龍見医師結婚式 姫路
酒蔵をパーティ会場にして瀬木(新婦のリクエスト)、伝兵衛(新郎のリクエスト)のライブ。僕は座付きピアニスト。入場から退場までBGM。勿論ケーキ入刀にも伴奏。退場にラプソディ・イン・ブルーを弾いていたら途中でやめさせられた。お客さんが帰らなくて困るから。
5月16日(水) 国立音楽大学 前期第4回 カウントベイシー
 
5月17日(木) プリバップグルーブ 京都 ル・クラブ
小井政都志(B)
馬場孝喜(Gi)
琵琶湖ホールの金田さんが来てくれて嬉。正面最前列。金田さん、たまたま居合わせた中国人と思しき二人連れと談笑(英語)。僕のことやジャズのことを解説などしていたのだが、あとで聞くとその二人、料金を払わずにいつのまにか帰ったらしい。確信犯?
5月18日(金) プリバップグルーブ 樟葉生涯学習センター
M’sで去年来たときは公民館だったと思う。楽屋のケータリングが赤ワインとフランスパン。打ち上げはないがお土産にボルドー。手作りで洋服を着せていてスカートをまくると下着もついていて顔が赤らむ。
5月21日(月) ドラマ収録 横浜ドルフィ
情報漏洩になるといけないので詳しい記述は避けるがテレビドラマ初体験が松本幸四郎さんとの二人きりシーンというのはなかなか気分が良い。ジャズバーのマスター役でリクエスト曲を弾く、という台本だったのだが、飲み物を出すのとピアノを弾いているのが両立しにくいので僕はピアニスト役。マスター役はドルフィの小室マスターがそのままやることに。初めて佐山雅弘役じゃない役が出来ると思ったが果たせず残念だが、飲み物を出す、などということが演技できるわけもなく胸をなでおろすことしきり。唯一ピアノじゃない仕事経験は喫茶店のウエイター。3mほどの間コーヒーを運ぶのにこぼしてばかりいて3日でクビになった恥ずかしい過去を思い出しながらびくびくしていたのだ。
5月23日(水) Show店街組曲 初日
昼間のゲネプロ(本番どおりの通しリハーサル)のあと亀淵由香さん登場。サムタイムでちょくちょくご一緒していたのは30年ほども前の事。今やゴスペル界の巨匠、芸能界ボーカルレッスンの大先生なんである。今回のミュージカルにも歌唱指導に入っていたのでどこかで会えるかと思っていたのだが今日になってしまった。懐かし話もそこそこにアドバイスを受けた。中山さんも真琴さんも本職の歌手ではないのでとにかく歌う前にコードをはっきりと出せと言う。馬鹿言っちゃいけないよ、こんなに親切なアレンジをした上にこれ以上出やすく、というのは山や川の字にルビを振るようなものじゃないか。客に対しても格好悪いし本人たちも本意じゃなかろう。と思いつつもそのように演奏すると答えた。
不本意ながらも本番中ボイシングやタイミングでなんとか格闘しているうちになんと!開眼するところあり。中程度以上の聴音能力を動員するまでもなく歌い出せる状況というのは、対位法でも旋律法でもなく、へたをすれば和声法でもなく、アトモスフィア(空気感とでも言うか)としてのコード感なのである。“立体としての和音”とでもいうコード感というのは現象として確かにあって、歌伴、編曲に限らずジャズにおいても僕の演奏に欠けていたもののひとつを発見できた。人にはあって見るもんである。ちょっと不愉快な話というのはその中に意外な宝物が隠れているものなのかもしれない。

歌うたいが感じている音楽への捕らえ方、その道筋を体感できたら、“愛”というものもわかるかもしれない。わからなくてもいいけれど。

中山秀征さんが志村けん氏に“作り物(舞台)は何かとやっていなくちゃいけないよ”と常々アドバイスされていたのが今日よくわかった、という。端的でいい意見だ。見にも来ていて励ましてもらったそうである。
5月24日(木) Show店街組曲 二日目 昼公演。
早変わりで真琴つばささん胸元がポロリ。本人も周囲も慌てず騒がずはさすが。
5月25日(金) Show店街組曲
13時からの帝国劇場“マリー・アントワネット”に松山修が乗っている(ステージに出ることやオケピットに入ることを“〜に乗っている”)と聞いて向かったのだがたどり着いたのが13時5分。こういう日に限って押さないのですね。(開演時間を予定より遅らせることを“押す”)ちょうどに始まったと教えられて、ミュージカルはオープニングから見ないとつまらなかろう、と諦めてわが現場に入る。
バッハなど弾いているうちにスタッフが集まりだしたので楽屋に入ると中山真美も早く来てしばし話し込むうちに貴重な教え。ルバートを歌っているときもインテンポであって、ただ拍子がころころと、4分の3になったり8分の3になったりしているのだそうな。それは彼女が十代の時にホイットニーの物真似でテレビでのコンテストに優勝したVTRを見返したときに(ただひたすらに歌っていた)自らを分析してのことだというから才能であるな。
5月26日(土) Show店街組曲
子音を前に出す。二回公演の待ち時間に中山真美の歌話。日本語はビートが出せないと言うのは言い分けないし嘘。あ行以外は子音が付いているのだからダウンビートの外(時間的には前)にその子音を出して母音をオンビートに当てれば、たとえば“sky”という歌詞が一拍目にあって“s”がアンティシペイトするように“そんなこと”の“そ”を“s”が前打音にして“o”をオンビートにし、アンテティシペイト音の感じ方、のり方でその曲固有のビートを歌自体で出せるはず。
5月27日(日) Show店街組曲
始まってしまえばあっという間。大打ち上げは昨日済ませておいて今日は楽屋乾杯で解散。メンバーと再会を約す。八尋洋一と松山修とはセッションの約束も。
5月28日(月) 打ち合わせ
ローランド特別講義の最終打ち合わせ。考えていた何種類かのうち、スタイル変遷の講義と一渡りのスタイル実践の二本立てに決定。生徒たちは実演もかなり期待していますから、といわれやる気が出たところへ“ローランドのキーボードで申し訳ないですが”。な、な、な、ナンデスト〜〜!?しばらく立ち直れなかった。
5月30日(水) 瀬木貴将&フレンズ 北九州 飯塚コスモスコモン
すっかりお馴染みになったコスモスコモンで、すっかり定着した感のある瀬木貴将フレンズコンサート。なんと今年はドラムに村上“PONTA”秀一。遊左未森さんや堂島コウヘイ君などの歌伴にさすがの冴えを見せていた。

ソロコーナーがあるのでリハーサルルームがありますか、と尋ねたら、なんとなんと中ホールにピアノを出しておくのでご自由にどうぞ、といってくれた。大感激。僕は忘れていたのだが、前回来た時にピアノが素晴らしい(<そのこと自体は覚えている)ことを仕事日記に書いていたようで、そのことを喜んで下さっている由。
全体リハーサル終了後本番衣装に着替えて開演ギリギリまで無人のホールでリサイタル。
ラプソディ・イン・ブルーとゴールドベルク変奏曲。

本ステージでの僕のコーナーはSand Witch。こちらは結局ぶっつけ本番になった。舞台袖では乱入しようとするポンタさんを瀬木貴将が羽交い絞めにしていたそうである。入ればよかったのに。

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2007年