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作成日:2012年7月19日 最終更新日:2021年2月23日 |
引退車両
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![]() 小田急5000形 |
2段式窓 俗に「小田急顔」と呼ばれる。 他形式と併結して10両編成で運用されていた。 前照灯が片方しか点いていないが球切れではない。 ![]() |
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![]() 小田急5200形 |
6両固定編成で登場したが、4両編成に組みかえられた。 他形式と併結して10両編成で運用されていた。 ヘッドライトを9000形から引っこ抜いてきたシールドビームに付け替えた車両も存在した。(下の写真) 2012年1月8日に引退した ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() 京王3000系更新車 |
日本で2番目のオールステンレス車両(最初は東急7000系) 正面窓がパノラマに改造された。 側面のラインはデビュー当時にはなかった。 愛称は「ステンプラカー」(ステンレス+プラスチック)。 改造前の前面7色部分はFRP(強化プラスチック)だった。 鉄道友の会ローレル賞を受賞。 写真はアイボリーホワイト(今はなき分散クーラー車) 未更新車の一部は引退後、北陸鉄道、上毛電気鉄道、松本電気鉄道、岳南鉄道に譲渡され、活躍している。 更新車は伊予鉄道に譲渡される。(銚子電鉄への譲渡はなくなった) ![]() |
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![]() 関東鉄道キハ350形 2011年10月9日 |
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![]() JR203系 |
17編成製造された。 小田急線内を走行することはできなかった。 5編成がインドネシア(ジャカルタ)に譲渡された。 4編成がフィリピン国鉄に譲渡され、客車として使用されている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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![]() JR113系 |
スカ色(横須賀色) 6両固定編成と4両固定編成を組み合わせて、時間帯によって4両、6両、8両、10両(最長)とフレキシブルに運用していた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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![]() JR201系 |
総武緩行線から転属されてきた形式(中央快速線からの転属もあり) 6連+4連で分割・併合が可能なので、外房線・東金線直通の上総一ノ宮(または勝浦)・成東行快速に充当されていた。(連結・切り離しは誉田駅で行われる) 前面方向幕が白幕であることに注目。 黒地に白文字で発注したはずが、伝達ミスにより、白地に黒文字で作成されてしまったのである。(205系も同様)その後すべて黒地に交換されている。 ![]() ![]() |
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![]() 京王6000系 |
都営新宿線乗り入れ対応車(2009年6月に新宿線から撤退した) ラインの色が8000系に合わせて変更された。(登場時はエンジ色の細い帯) ![]() |
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![]() 都電7500形 |
2011年3月13日に運行終了 1両が花電車に改造された。(貨物あつかいで乗車不可) (2006年4月22日 飛鳥山停留所) |
![]() 西武101系 |
4両編成50本と6両編成13本が製造された。 ドアはステンレスの無塗装。 前面にステンレス製のひげ(?)がついている。 2004年12月18日で本線系統での運用から外れた。 2010年11月9日引退 6両が総武流山電鉄に譲渡されたが、すべて引退している。 |
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![]() 東急7700系改造車(7715F) |
中間車を先頭車に改造した車両 9000系もどきの「顔」 2010年8月に廃車になった。 (2004年9月18日 東急池上線池上駅) |
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![]() 新京成800形 |
新京成電鉄が製造した最初の形式(それ以前は京成の中古車両) 2010年7月17日のダイヤ改正に伴い引退 前面に貫通扉まがいの金属枠がある。(だまされないように) 昔は本当に貫通扉があった。 現在、新鎌ヶ谷駅は高架化工事により仮設の島式ホームに移行している。写真は移行前のホーム。 |
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![]() JR253系 |
成田エクスプレス(成田線・総武線・横須賀線他) 最長12両編成(6+6) 2010年6月30日に引退 3両編成2本が長野電鉄に譲渡、2011年の春から特急として運行開始 6両編成2本が特急「日光」「きぬがわ」として2011年6月4日から運行開始(VVVF改造し1000番台として) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() 京急1000形 |
片開きドア 写真は集中クーラーだが、昔は分散クーラー車も存在した。 初期車は湘南型の正面2枚窓だった。 高松琴平電気鉄道(琴電)に16両が譲渡された。 ![]() |
山形新幹線400系「つばさ」
2010年4月18日
つばさ+Maxやまびこの走行シーン(並走動画) スマホ再生可能
サハ208
209系の6ドア車
2010年1月24日
![]() JR207系900番台 |
1編成しか存在しない。(試作車) 国鉄が製造した唯一のVVVFインバータ車。 地下鉄乗り入れ車両のため、前面に非常用の貫通扉がついている。 側面は205系とほぼ同じだが、窓上にラインがないのが特徴。 2009年12月5日のさよなら運転をもって引退 ![]() |
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![]() 相鉄5000系 |
ジャンパ栓の数がすごい。 グローブ型ベンチレーター。 おそらく、シロウトには7000系との違いがわからないと思うが、ライトの位置や赤帯の太さなどが微妙に異なる。 2005年3月3日に一度引退したが、同年5月に奇跡の復活を遂げた。 (踏切事故で車両数が不足したためらしい) |
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![]() 東急8000系 |
26本製造された。 日本で最初にワンハンドルマスコンを採用した車両。 もともと赤帯はなかったが、視認性の向上のため前面に赤帯が付けられた。最近では日中でもヘッドライトを点灯するのが一般的になったので、赤帯の必要性はなくなったと思われる。 16本が伊豆急行に譲渡された。 2本がインドネシア(ジャカルタ)に譲渡された。 ![]() ![]() ![]() |
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![]() 京成3200形 |
写真は1編成(4両)しかない片開きドア車。 当時特急「開運号」として製造された車両である。 旧塗色(クリーム色とファイアーオレンジ色のツートンカラーにミスティーラベンダー色の帯)に塗り替えられ、1月28日に特急開運号としてリバイバル運転された。(1月17日から旧塗装で営業運転を開始した) |
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![]() JR403系 |
交直流両用 7両編成と併結で使用される。 写真の車両は集約分散型クーラー+グローブ型ベンチレーター 403系・415系の下り方には幌がついている。 |
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![]() JR415系 |
交直流両用 最長15両編成(7+4+4) 1983年から小田急線のような塗色に変わった。 上の写真とは乗務員室の奥行が違うため、乗務員室ドアと窓の配置が異なる。 4両編成2本がJR九州に転属した。 ![]() ![]() |
![]() 北総鉄道7000形 |
6両編成が3本製造された。(のちに8両編成化) 愛称は「げんこつ」(正面の形状がげんこつに似ているため) 「Σ(シグマ)型電車」とも呼ばれている。 1980年に鉄道友の会ローレル賞を受賞 2007年3月25日に引退(3月14日に営業運転離脱) |
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![]() 東京メトロ5000系ステンレス車 |
戸袋窓のある車両とない車両が存在する。 10両編成3本がインドネシアに売却された。(現地では8両編成で運行している) 1981年まで千代田線でも使用されていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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![]() 東京メトロ5000系アルミ車 |
晩年は千代田線北綾瀬支線に3両編成が2本在籍した。 (2004年5月3日 西船橋駅) ![]() |
![]() 東武5000系 |
7800系を流用して作られた。 2004年10月18日で野田線から引退し、2006年12月まで宇都宮線で使用されていた。 写真は5070系 ![]() ![]() |
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![]() 横浜市営地下鉄2000形 |
9本製造された。 JR205系の1段下降式窓は、この形式を参考にした。 2006年12月16日に全廃 バリアフリー化とワンマン運転に対応するため、全車の車体を3000R形と同様のものに乗せ換え、3000S形として生まれ変わる(1本は余剰により廃車)。 ![]() |
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![]() 横浜市営地下鉄1000形 |
14本製造された。 2006年12月16日に全廃 製造から30年以上経つが、今でも斬新なデザインだ。特に前面左側の窓は、かなり下まで広がっており、大胆だ。 |
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![]() 東葉高速1000形 |
10本存在した。 はっきり言って東京メトロ5000系の改造車である。 開業時は5000系の帯の色を変えただけの車両も存在した。 ドアは新しいものに取り替えられている。 2006年12月3日に引退した 3編成がインドネシア(ジャカルタ)に譲渡された。 ![]() ![]() |
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![]() 秩父鉄道3000形 2006年11月 |
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![]() 都営5200形 |
晩年はほとんど泉岳寺〜西馬込の区間運転でのみ使用されていた。 2編成製造された。 2006年11月3日に引退 |
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![]() 小田急9000形 |
2006年3月17日に営業運転を終了した 鉄道友の会ローレル賞を受賞 初代東京メトロ千代田線乗り入れ車 前面のデザインは額縁スタイルと呼ばれている。(ガイコツというあだ名もある) スケルトン構造 4両+6両が9本製造され、当初は全編成が千代田線乗り入れに使用された。 ![]() ![]() |
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![]() JR103系(高運転台) |
直流専用車両なので、交流電化区間である取手以遠には乗り入れることができない。 ![]() ![]() ![]() |
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![]() 京急700形 |
晩年は主に大師線で使用されていた。 愛称は「赤い棺桶」(愛称と言うのも変だが)。 非冷房車時代に開く窓が少なく、まるで棺桶のようだったことから名づけられた。 動力車である先頭車を1m長くして重量を重くし、「ふんばり」を良くしている。(このような例は小田急2400形にもみられる。小田急は逆に中間車のほうが長かった。) 2005年11月28日に引退した。 高松琴平電気鉄道(琴電)に22両が譲渡された。 |
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![]() 都営10-000形試作車 |
1本のみ製造された。 登場時は都営三田線で試運転を行っていた。(当時は4両編成) |
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![]() 京成3290形 |
インバーター改造車(試験車両) 2004年に廃車 特急「開運号」として製造された片開きドア車 (2003年3月17日 京成津田沼駅) |
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