読書を助けるための用語説明1


アグン山
バリ語でアグンは「偉大な、大きな」という意味。<戻る>

ミゲル・コバルビアス
1904〜57。メキシコ生まれの画家。1923年ニューヨークに渡る。1931年新婚旅行でバリを訪れる。1933年から1年余夫妻でウブッドに滞在、帰米して1937年『Island of Bali』を出版。帰国後、メキシコの古代文明やアメリカ先住民の研究に従事した。<戻る>

ローズ・コバルビアス
ローズモンド・コーワン。アメリカ生まれの写真家・画家・舞踊家。夫ミゲルと一緒にウブッド滞在中に撮影した写真が『Island of Bali』に収録されている。<戻る>

ウブッド
デンパサールの北20キロ余にある村。1920年代後半、領主が外国人芸術家の居留を誘致したのを契機に、画家、音楽家、学者らが多数滞在した。現在も芸術の村として内外に知られる。ウブッドという名は、バリ語で「薬」を意味するウバッド(ubad)という言葉に由来する。<戻る>

スカルノ
1901〜70。インドネシア共和国初代大統領(在任1945〜67)。ジャワ人を父としバリ人貴族を母としてスラバヤに生まれた。1945年8月17日、ハッタとともに独立宣言に署名して、これを読み上げ、翌18日にはインドネシア共和国初代大統領に選出された。(石井米雄鑑修『インドネシアの事典』より)<戻る>

ハッタ
1902〜80。インドネシア共和国初代副大統領。西スマトラのブキティンギ生まれ。1945年8月17日の独立宣言にはスカルノとともに署名した。直ちに共和国副大統領に選出され、1948年から50年にかけては、首相、外相、国防相を兼ねて国政の中枢にあった。(石井米雄鑑修『インドネシアの事典』より)<戻る>

ププタン・マルガラナ事件
ププタンはバリ語で「終焉」の意味。古来バリでは、戦闘で敗北を期した王が名誉ある死=自決を選び、多くの場合その家族や家臣が殉死する慣わしがあった。現在ププタンという語は、19世紀末のオランダ侵攻から独立戦争に至る外国の侵略に対するバリ人の集団自決行動(玉砕)という民族主義的な脈絡で使われることが多く、反植民地、独立のシンボルとなっている。<戻る>

チャンディ・マルガラナ墓苑
タバナン北方のマルガ村にある英雄墓地。ラナはバリ語で「戦場」の意味。独立戦争の戦没者1372人が眠る。独立戦争に参加した日本人の墓が13基ある。墓苑脇には独立戦争関係資料を展示する博物館があり、旧日本軍の遺品も展示されている。毎年11月20日にはここで戦没者のための儀式が行なわれる。<戻る>

パサール
インドネシア語、バリ語(敬語)で市場のこと。バリ語普通語ではプクン(peken)という。<戻る>

ワヤン
出生順に基づくバリの呼称の一つ。ワヤンは第1子で、以下マデ、ニョマン、クトゥと続き、第5子は再びワヤンに戻る。男女共通に使うが、区別する場合は男性はイ、女性はニを呼称の前に置く。貴族階級の場合、オカ、ラカ、ライ、アノムと呼ぶ。これ以外の呼称もある。<戻る>

ナシ・ゴレン
インドネシア風炒飯。インドネシア語でナシは「御飯」、ゴレンは「焼く」「揚げる」という意味。<戻る>

バリ博物館
デンパサール博物館ともいう。1910年に時のオランダ植民地政府が創立し、その後1932年に開館した。バリ各地の代表的なプラとプリ、すなわち寺院と宮殿を模して造られた数棟の陳列館は、先史時代から現代に至るバリの歴史、生活、絵画、舞踊などの資料を展示している。<戻る>

考古学博物館
ブドゥルとペジェンの間にある考古局バリ支所の付属博物館。バリ各地から出土した遺物を展示する。<戻る>

プタヌ川
バトゥール山麓に源を発し、ギアニャル県内をほぼ南流してバドゥン海峡(インド洋)に注ぐ。この川の水は呪いがかかっているという言い伝えがある。詳しくは補遺を参照。<戻る>

スレンダン
衣服の上から腰に巻く布。サロンとともに、祭礼時以外に寺院に入る際の略装となる。<戻る>

サロン
下半身に巻いて着用する腰布の総称。通常、長い1枚物のバティックを用いる。<戻る>

マデ
出生順に基づくバリの呼称の一つ。貴族以外の第2子、第6子。<戻る>

ジャカルタ
ジャカルタはジャヤ・カルタが縮まったもの。ジャヤは「勝利の」という意味。<戻る>

ガジャ・マダ
?〜1364年。マジャパイトの大宰相。第3代ラージャパトニ女王と第4代アヤム・ウルク王の治世にかけ、34年間宰相を務めた。在任中は領土拡張政策を推進し、古代インドネシア史上最大の版図を築いた。現在インドネシア各地の都市では、最も繁華な街路をガジャ・マダ通りと命名していることが多い。<戻る>

『ナーガラクルターガマ』
古代ジャワの歴史的詩書。マジャパイトのアヤム・ウルック王の治世、宮廷詩人プラパンチャが編纂した。1365年成立し、マジャパイト最盛期の様子がうかがえる。1894年、ロンボック島で写本が発見された。<戻る>

ブダウル
現在のブドゥル村付近に王宮があった国王の名。ブダウルとは「首(ウル)をすげ替えた」という意味で、この王は首を自由に切り離す呪力を持っていたという。ある時、切った首を川に落としてしまい、家臣が慌てて豚の首を付けてしまったという伝説に因む。<戻る>

ランダ
バリにおける魔女の統領。チャロナランとも呼ばれ、伝説ではバリ出身のジャワ王アイルランガの母マヘンドラダッタの変身した姿といわれる。ランダはバリ語で「未亡人」を意味するが、マヘンドラダッタは夫ウダヤナ王に先立って死去しているので、史実と合わない。舞踊では、聖獣バロンの好敵手である。<戻る>

パスパティ
バリの神話では、バリ島を創造し、インドよりヒンドゥー教をもたらしたとされる神。<戻る>

シワ
バリ語の発音はシウォ。シワ神はインドのヒンドゥー教神シヴァのこと。暴風神、破壊者の一面をもつ。仏教では自在天とされる。現在バリ・ヒンドゥー教の多数派である。<戻る>

マハメル山
古代インドの世界観で、宇宙の中心に位置するとされる聖山マハー・メール。スメール山ともいい、漢訳仏典では須彌山(しゅみせん=妙高山)と称する。マハメルの分割神話は、インド文化が流布したインドネシア各地にみられる。<戻る>

アグン山
バリ語でアグンは「偉大な、大きな」という意味。海抜3142mはバリ最高峰。中腹にブサキー寺院がある。<戻る>

バトゥール山
バリ語でバトゥールは「聖なる、神々しい」という意味。海抜1717mの活火山。アグン、バトゥ・カウとともに太古より神々の峰とされている。<戻る>

リンガ
バリ語の発音はリンゴ。男根を模した彫像。陽石、石棒。ヒンドゥー教ではシワ(シヴァ)神のシンボルとされるが、バリでは太古から男根崇拝があった。<戻る>

ウィシュヌ
バリ語の発音はウィスヌ。インドのヒンドゥー教神ヴィシュヌのこと。秩序の維持を担い、たびたび地上世界に化身を顕わすとされる。霊鳥ガルーダはこの神の乗獣である。<戻る>

ブラーマ
バリ語の発音はブラモまたはブロモ。ブラーマ神はヒンドゥー教の創造神で火神。仏教では梵天として知られる。<戻る>

ムンブラユ
豊饒と生殖、夫婦和合を司るバリの女神。夫婦一体の神で、男神はパンブラユといい、我国における道祖神に相似する。詳しくは第8章を参照。<戻る>

ムンドゥ
ボロブドゥールの東1.5キロの所にある古代仏教寺院。8世紀頃、ボロブドゥールと同時期に建立されたとみられる。本堂に安置する釈迦三尊像は、東南アジア仏教史上最高の傑作として名高い。<戻る>

プラ・プセー
バリ語で「臍の寺」という意味。<戻る>

プラ・デサ・バレ・アグン
バレは四方の壁がない吹き抜けの小屋。東屋、四阿。アグンは「大きい、偉大な」という意味。<戻る>

プラ・ダラム
バリ語で「死者の寺」という意味。本来ダラム(ダルム)は「内奥の、深淵な」を意味する。<戻る>

サンガー
先祖の霊を祀るため屋敷内に設けられた場所。バリの世界観で神聖な方角であるカジャ(南部バリでは北東)側に置かれる。貴族の屋敷のものはムラジャンまたはプムラジャンという。<戻る>

サド・カヤンガン
梵語起源のバリ語でサドは「6」、カヤンガンはプラの雅語で「神霊(ヤン)の坐す所」を意味する。六箇の寺院については諸説がある。詳しくは第9章を参照。<戻る>

パンデ
鍛冶職能集団およびそれに所属する人の称号。クリス(短剣)やガムランなど金属器を製造、鍛錬する鍛冶職人は、古来特別な地位にあった。<戻る>

スバック
水利組合。水田に必要な川水や潅漑用水を管理する集団。水系ごとに寺院を維持し、祭礼を行なう。<戻る>

プタヌ川
バトゥール山麓に源を発し、ギアニャル県内をほぼ南流してバドゥン海峡(インド洋)に注ぐ。この川の水は呪いがかかっているという言い伝えがある。詳しくは補遺を参照。<戻る>

プクリサン川
バトゥール山麓に源を発し、プタヌ川の東を平行してバドゥン海峡に注ぐ。川名はクリス(短剣)に由来する。<戻る>

ジャバアン...
ジャバアンは「外」、ジェロアンは「内」、ダラムは「内奥の」、トゥンガーは「中央の」という意味。<戻る>

クルクル
木の内部をくりぬいた円筒状の太鼓。古くは人形(ひとがた)に彫刻した。寺院や宮殿の隅の建物(バレ・クルクル)に吊し、警報や時報を打つのに用いられる。<戻る>

カジャ
バリ語の発音はカジョ。「川上」を意味するカ・アジャという語に由来し、山側、南部バリでは北、北部バリでは南を指す。特にバリ最高峰アグン山の方角を指し、神聖な方角とされる。反対はクロッドという。<戻る>

パドマサナ
蓮座。バリ語の発音はパドモサノ。パドマは「蓮華」、サナは「場所」を意味する。バリの寺院で最も重要な建造物で、カジャ側に建てられる。<戻る>

リンガ石
バリ語の発音はリンゴ。男根を模した彫像。陽石、石棒。ヒンドゥー教ではシワ(シヴァ)神のシンボルとされるが、バリでは太古から男根崇拝があった。<戻る>

ワルン
簡単な造りの小さな店、茶店、屋台。どこの村にも、コーヒーや軽食、菓子、日用雑貨を売る小さな店がある。<戻る>

バトゥブラン・バスターミナル
原則として、デンパサール市街地は中型ベモやバスの乗り入れが禁止されている。バトゥブラン(クルンクン方面)とクルネン(サヌール方面)ウブン(シンガラジャ、タバナン方面)、トゥガル(クタ方面)のターミナルがある。例えばベモでウブッドからデンパサール中心街へ行く場合、バトゥブランとクルネンで乗り継がなくてはならない。<戻る>

ベモ
小型の乗合バス。インドネシアにはベチャと呼ぶ三輪の人力輪タクがあるが、ベモとは、ベチャ・モトル、すなわちモーター付ベチャの意味である。四輪のワゴン車が一般的だが、デンパサールの市街地を循環するベモは三輪車が使用されている。<戻る>

パダン料理
ミナンカバウ料理の総称。パダンは西スマトラの都市で、当地のミナンカバウ人は母系制社会を形成し、男子は外地への出稼ぎ人が多い。あらかじめ小皿に盛られた料理を選び、食べた分だけ支払う。<戻る>

バビ・グリン
仔豚の丸焼き。バリでは祭礼時にこれを供する習慣があるが、日常これを調理する店がある。ギアニャルのパサールとタバナン街道沿いにある店は有名。<戻る>

ダンヒャン・ニラルタ
東ジャワ出身のシワ教・仏教僧。16世紀中葉バリに渡来後、各地に寺院を建立、造築し、今日のバリ=ヒンドゥー教の基礎を築いた。詳しくは第11章を参照。<戻る>


Created by
NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1996-2000.